マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

大和郡山市社会福祉協議会講演・大和郡山の伝統行事~城下町と周辺地域における地蔵盆とトンドの様相~

2015年11月18日 08時00分36秒 | 民俗を語る
大和郡山市社会福祉協議会主催の講演会を無事に終えてほっとした。

講演会の依頼があったのはほぼ1年前。

在住地区の自治会長から頼まれた。

正式に頼まれたのは前年の12月2日だった。

講演会の具体的な進め方は会場となる大和郡山市社会福祉協議会。

担当の社会福祉士とは以前にお会いしたことがある。

平成25年7月18日だ。

名刺交換をして大和郡山市を中心に行事取材をしていることを伝えた。

何かのお役に立てるようであれば・・と云っておいた。

それから1年半後。

自治会長は市社協保健生活部会の責任者でもあった。

自治会集会所で度々の講演会を実施していた私の実績をもっと多くの人に伝えてもらいたく白羽の矢を打たれたのだ。

前年の12月11日は事前打合せ。

講演内容は参加者が市内城下町の北西、西(主水山・冠山)、南(JR郡山)の人たちということを聞いていたので、城下町とその周辺地域で行われている民俗行事を紹介して市内全域を城下町、周辺における文化の差異を知ってもらおうと思って演題を市民向けに「大和郡山の伝統行事~城下町と周辺地域における地蔵盆とトンドの様相~」とした。

参加者の対象は地区の自治会員。

130自治会からなる地区自治会向けの講演につき、一般の人は受け付けない。

講演案内は2月初旬頃に地区(1地区~6地区)の自治会に回覧で通知される。

講演会場は大和郡山市社会福祉協議会2階の大研修室だ。

かなりの人数を収容することができる広い会場だ。

講演はパソコンスライドーショーを活用してプロジェクター投影する。

時間があれば解説シートも配布したいと申し出た。

正式な依頼を受けてストーリー構成を練る。

地蔵盆、トンドの写真はどこにするかはストーリーの流れで選ぶ。

それより重要なのは行事の分布をどうするか、である。

市全域を俯瞰するマップに印を落とすのは編集ソフトを使う。

白地図はどれにするか。

無料で配布されている白地図は市町村サイズがない。

さて、どうするかである。

一つ手がある白地図。

市の環境調査があった。

それをベースに地区を六つに分けて歴史・文化を伝える史料ができあがった。

その中に白地図がある。

当時、行政担当者から白地図は大いに利用してくださいと云われていた。

その地図は大まか。

幹線道路に川、鉄道網に若干薄めで地区割をした地図だ。

これは使えると思って利用させていただく。

さて、分布をどう表現するか。

印は○にするが、塗りつぶしの色で分布分け。

どの地域方面に集中している様相を考えてもらいたくマップ製作する。

この作業が最も手間や時間がかかった。

試行錯誤しなから制作したマップだけでは頭のなかに記憶が残るだけだ。

もう一つの資料を準備することにした。

地蔵盆なら地区区分け、所在地町名、神社・寺院、地蔵尊仏、実施月だ。

トンドも実施月。

精査もしたくてこれまで調査したデータより情報化した。

特に強調したい地区区分けは外堀に囲まれているか、それ以外かである。

城下町を考える場合、どこで区切りをつけるかである。

外堀内と外の違いが判るように整備した。

なぜにこのような整備をするのか。

参加者はほぼ城下町内とそこから北・西の一部の地域。

北部城下町に近い人にとって話題を提供することだ。

そうすることで地域文化を知る。

逆に外堀以外の地区にも目を向けてもらう。

城下町ができあがったのは400年前。

外堀の外の地域は平城京もあれば室町時代など戦国時代に形成された地域もある。

尤も、古代史でいえば弥生時代の遺跡もある。

今回の講演はそこまでいかない。

村落と町屋の違いである。

そういうことだ。

資料ができたらストーリー。

始めの掴みは何を選ぶ。

自治会長はともかく私を知る人は少ないだろう。

多くの人は存じていない私を何もんや・・・ということになる。

司会者に紹介してもらうプロフィールをこの際、整備してみた。

経歴、著書、寄稿・調査誌、講演・解説、写真展、写真提供誌などだ。

自己紹介のトップスライドは大和郡山市市制50周年史料。

市職員が自ら調べて地区ごとに地域文化を案内・紹介する「こおりやま町おこし50町ウォーク」を挙げた。

なぜにこれかと云えば、今年度は市制60周年。

いろんなイベントや企画ものが行われている。

10年前はこういものもあったのだと再認識してもらうために挙げた。

本題は城下町とその周辺における大和郡山の伝統行事を伝えることである。

それにはうってつけのマップがある。

郡山城外堀跡コースをぐるっと一周して歴史文化を知るマップは完成度が高い。

製作者は観光ボランティアガイドクラブもされている一部の方が「みちしるべの会」を立ち上げて製作した。

マップは観光案内所にも置いている。

外堀を認識していただいて整備した手造りマップを写しだす。

整備したデータ情報は配っておいた。

両方を見て説明する。

先にも書いたが、今回の講演の主題は「大和郡山の伝統行事~城下町と周辺地域における地蔵盆とトンドの様相~」だ。



特に強調したかったのは七月地蔵盆・八月地蔵盆をされている地域の在り方である。



何故に7月と8月に分かれているのか。

江戸時代は旧暦で行われていた。

新暦が導入されて地域が分かれた。

地域によってどういう考えがあって旧暦、新暦になったか。

それはまったく判らないが、色塗りマーキングをしたマップを見れば一目瞭然。

ほぼ、であるが、佐保川を境に分かれているのである。

こういうことは誰も知らない。

気がつかないというよりも、他の地域の地蔵盆がどのような形態でされているのか、調べることがないのだ。

次に紹介するのが取材してきた地蔵盆の様相。

特徴ある地域を挙げて解説する。

次はトンドだ。

トンドをしている地域は明白だ。

城下町は町屋。

外堀の向こう側は旧村。

火を焚ける用地があるか、ないかである。

町屋がひしめく外堀に囲まれた地域にはトンドという考え方がない。

一歩離れた旧村は田園が広がる農村地域。

尤も環濠集落がある旧村は土豪の武士の存在もあったが、である。

大和郡山のトンドは実施日に特徴がある。



一般的には1月14日、15日の小正月であるが、圧倒的に多いのは1月30日から2月1日にかけてだ。

地区によっては2日、6日の場合もある。

二度目の正月を迎える行事とする風習があった。

これをニノ正月、或は旧暦正月と称することから判りやすく二ノ正月のトンドと云った。

トンド行事も地区によってそれぞれ特徴がある。

これもまたスライドショーで紹介して終えた。

大和郡山を俯瞰して眺めてみれば各地域の状況が少しでも判っていただけると考えて製作した手造りマップ。



地蔵盆、トンド以外に市内に鎮座する神社や寺院の所在地も色塗りマップで紹介した。



頭のなかでぼやっとしていたものが、マップに落とすことで、より一層明確になった。

(H27. 2.14 SB932SH撮影)
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4回目も地域行事を語る

2015年05月12日 08時53分53秒 | 民俗を語る
平成23年から始まった大和郡山市内の行事を語る講演会。

1回目のテーマは「大和郡山の祭りと行事写真展~豊作を願う春の祭り~」だった。

2回目は「大和郡山の祭りと行事写真展~夏祭りを中心に~」。

3回目は「大和郡山の祭りと行事写真展~秋祭りから正月迎え~」を語った。

3年間をかけて市内の年中行事を紹介してきた。

いずれも会場は在住する地元の集会所である。

今回も自治会長からお願いされた地域の行事を紹介するテーマは何にするかである。

市内で行われている行事はこれまで290行事を取材・記録してきた。

さまざまな行事は多方面に亘っている。

これまで紹介できなかった行事を二巡目の続編ということも考えたが、がらりとテーマを替えて「城下町・元藩医家の年中行事」とした。

郡山・城下町は城主、成立、形成、箱本十三町、外堀など広く知られており、多くの観光客が訪れているが、商い・町屋・医者などについてほとんど知られていない。

そう思って、今までに紹介されることもなかった元藩医家で行われている年中行事とした。

平成26年9月19日、20日の両日に亘って郡山城天守台発掘調査現地説明会が行われた。

調査によってこれまで幻とも思われていた「天守」の存在が明らかになった。

今後も、益々城下町に訪れる観光客が増えていくことになると思われるが、代々の殿さんや武家・町民を支えてきた医者の存在が表に出ることはないのでは・・・と考えて、今回のテーマに設定した。

元藩医家の歴史など、詳しく述べることはできないが、これまで取材させていただいた、「神農さん」、「三宝飾り」、「正月の膳」、「サンニンサン」、「先祖さん迎え」の5題。

家の行事の「お供え」を中心にスライドショーを用いて紹介する。

前回までは写真展を併設したが、今回はスライドショー「語り」とした。



この場に聴講してくださった若い男性がおられた。

例年には見られない若い男性が持ってこられた本。

なんと著書である『奈良大和路の年中行事』である。

回覧案内を見られた男性は当ブログを拝見されていた。

住まい近くにこんな人がおられたと思われてわざわざ啓林堂に足を運ばれて買ってきたと話す。

ありがたいことである。

さらにありがたい聴講者の特別参加。

なんと、である。

数々の家の行事を取材させていただいた元藩医家の婦人も来てくださった。

語る内容に誤りはないのか、それを心配されてこられたと思っていたがそうではなかった。

第三者的立場で客観的に我が家の行事を見て・聞いておられたのだ。

婦人が資料化していたお供えの祭り方。

始めて拝見させてもらったときに、これは役立つと思ったのだ。

おばあさんや旦那さんが主に行われている家の祭り方。

跡を継いでいくのが婦人の役目。

そう考えられて資料化されていた。

地元民も興味をもたれた後世に伝える資料にあらためて感服した。

(H26. 9.24 SB932SH撮影)
(H26.10. 7 SB932SH撮影)
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コーナー展のまつりの用具を語る

2014年06月08日 08時12分01秒 | 民俗を語る
県内行事を取材した際に村人からいただいた「祭りの用具」のすべてを奈良県立民俗博物館に寄贈したことがある。

その数、およそ60点だった。

新収蔵品の紹介として、今回、その一部がコーナー展で展示されることになった。

主な展示品は「天理市藤井町の鬼打ちの矢」、「天理市兵庫町の将軍祭の矢・チンマキ・ネコヤナギ」「天理市長滝町の正月ドーヤの矢」、「桜井市萱森の御田植祭の鬼的・弓・矢」、「天理市三昧田のちゃんちゃん祭のカザグルマ」、「大和郡山市伊豆七条町のフクマル迎えの青竹」である。



なお、6月8日には展示された関連講演で「まつりの用具」を語ることになった。行事に纏わる話しをしたいと思っている。
なお、5月17日放送の「県政フラッシュ」のお知らせで「祭りの用具」が案内された。


展示場所 奈良県大和郡山市矢田町545 奈良県立民俗博物館 (一般入館 200円)
開館時間 9時~17時 (入館受付は16時半まで)
展示日程 平成26年 5月 3日(土)~平成26年 6月29日(日) 終了しました
関連講演 平成26年 6月 8日(日) 奈良県立民俗博物館 2階講義室 終了しました
 <「まつりの用具」を語る 話者 民俗写真家 田中眞人 13時半~15時半>
※ 聴講料は無料ですが、入館時観覧料が要ります。



当イベントに関して、「ならドットFM 78.4Mhz」の「ひるラジ!784」の番組中、電話生出演で紹介した
 放送日・時 平成26年 6月 3日(火) 11時15分<なら街角スケッチ> 終了しました

6月26日の10時半、県立民俗博物館から電話があった。なんでも奈良テレビがコーナー企画展の「祭りの用具」を取材しているとのことである。話しを伺いたいとのことで急遽に急行した。取材陣は県政フラッシュだった。活動に関してインタビューを受けた。その夜の放送であろうと思っていたら、夕方の「ゆうドキッ!」のニュースで報道されていた。緊張した顔で6秒間もしゃべっている姿は記念に録画することにした。なお、ニュースでは字幕があったが、その夜に放映された「県政フラッシュ」では見られなかった。



テレビが伝えたアナウンスは次のとおりであった。
『地域のまつりや民俗行事などで使われる道具を紹介した展示が、県立民俗博物館で行われています。 地域のまつりなどで使われた道具は、まつりの後に燃やされるなどして、残る事がまれだといわれています。 この展示は、民俗写真家の田中眞人さんが収集したこれらの貴重な道具をまつりの写真と共に紹介しています。 これは天理市長滝町の「正月ドーヤ」の行事で使われる弓や矢、そして鬼の文字が書かれた的です。 実際の道具とともに矢が的を射る一瞬を見事にとらえた写真も並んでいます。 地域の祭りや民俗行事は、今、後継者不足で途絶えてしまうことが多いため、田中さんは後世に伝える活動も続けています』と伝えられた。
私が伝統的な民俗行事を取材する目的の後世に伝える「思い」をうまく伝えてくださった。ありがたいことである。

(H26. 5.10 SB932SH撮影)
(H26. 6.26 記)
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3回目の地域行事写真展

2013年06月04日 19時30分12秒 | 民俗を語る
平成23年から始まった地域の行事を紹介する写真展。

1回目は「大和郡山の祭りと行事写真展~豊作を願う春の祭り~」を開催してくださった旭ケ丘自治会。

私が住む地元地域である。

開催場所は旭ケ丘自治会集会所だ。

初回の狙いは新しくなった集会所の利用促進である。

好評だったことから平成24年も開催してくださった。

そのときのテーマは「大和郡山の祭りと行事写真展~夏祭りを中心に~」である。

いずれも数日間の開催であった展示会は地域住民向けに、見て、聞いて、知っていただく地域の行事の紹介である。

今回も自治会長からお願いされた展示会。

ここまでくれば大和郡山の年中行事の続編と考えて「大和郡山の祭りと行事写真展~秋祭りから正月迎え~」にした。

3年間かけて展示する大和郡山の年中行事。

さてさて今回は・・・。

地域住民を対象としている写真展ですがが、地域外(市外)の一般の方々にもご欄できるように自治会長の了承も得ています。ご遠慮なくお越しいたでければ幸いです。

日程・時間  平成25年6月2日(日)13時 ~6月4日(火)11時半まで (終了しました)

※ 6月4日(火)10時から11時頃まで 『大和郡山の秋祭りから正月迎え』をスライドショーで解説・紹介します(終了しました)
 
場所  旭ケ丘自治会集会所  奈良県大和郡山市九条町1043-72 (17時閉所)
主催  旭ケ丘いきいきサロンの会
共催  旭ケ丘高友会

なお、旭ケ丘自治会集会所には駐車場がありません。奈良交通バス或いは近鉄電車でお越しください。
バス 近鉄郡山駅下車 西友前バスロータリー「3番」乗り場より若草台行き 旭ケ丘下車北東徒歩5分
電車 近鉄九条駅下車 西へ徒歩25分

(H25. 5.17 SB932SH撮影)

展示した45枚の解説シート。地域を巡って民俗行事を取材した資料である。

前回から1年間もかけて記録した行事はすべてが新作である。

講演を終えた数日後のことである。

奈良西大和を中心に地域文化を伝えるNPO法人「うぶすな企画」編集者から電話があった。

自己紹介のような感じで記事を書いてほしいという。

地域を紹介するならこれだと思ったのが3年間に亘って大和郡山の民俗行事や習俗を話した集会所の在り方を伝えようと思って記事を寄せた。

地域行事、住民、暮らし、集会所をキーワードに寄せた文である。

7月初めにアップされたタウン誌「うぶすな7月号」は県内の生駒郡、北葛城群、一部の大和郡山市に配布されている。

県内の図書館や公民館など公共施設に配っていると聞く。

毎号、愛読している人も多いそうだ。

配布された『うぶすな』7月号はこちらだ

(H25. 7. 1 記)
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地域で行事の展示会

2012年07月03日 06時43分00秒 | 民俗を語る
昨年の5月に開催された「大和郡山の祭りと行事写真展~豊作を願う春の祭り~」。
好評につき第2回目を旭ケ丘自治会集会所で開催します。
地域住民を対象としておりますが、地域外(市外)の一般の方々にもご欄できるように自治会長の了承も得ておりますので、ご遠慮なくお越しください。

日程  平成24年6月30日(土)~7月3日(火)<終了しました>
時間  午前9時~17時 <但し7月3日は12時迄>
※ 7月3日(火)10時から11時までは『大和郡山の夏祭りを中心に』を語ります。<終了しました>
場所  旭ケ丘自治会集会所  奈良県大和郡山市九条町1043-72
主催  旭ケ丘いきいきサロンの会
共催  旭ケ丘高友会



なお、旭ケ丘自治会集会所には駐車場がありませんので、奈良交通バス或いは近鉄電車でお越しください。
バス 近鉄郡山駅下車 西友前バスロータリー「3番」乗り場より若草台行き 旭ケ丘下車北東徒歩5分
電車 近鉄九条駅下車 西へ徒歩25分

(H24. 6.12 SB932SH撮影)



机1本に3枚ずつ。13本×3枚で39枚も並べた。

今回はフォトフレームも持ちこんだ。

小さな画面には前回に解説した映像を取り込んだ。

それだけではもったいないのでかつて県立民俗博物館で開催した「大和郡山の祭りと行事」写真展で使用した映像も加えた。

結構な毎数になった。

その画面を食い入るように見るTさん。

年老いたがかつては子供たちの野球を指導してきたご仁だ。

石木町の登弥神社の氏子でもある。

かつては石堂村であった石木町。

神社の氏子は城町と奈良市の石木、大和田の三か村の氏神さんだ。

7月7日は植え付け祭で御湯をすると話す。

その登弥神社の粥占も記録している。



そのページに見入っている。やがて矢田坐久志玉比古神社の粥占にも目がいった。

「同じようなことをしているんだ」と話した。

(H24. 6.30 SB932SH撮影)

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私がとらえた大和の民俗解説

2011年12月15日 06時45分24秒 | 民俗を語る
奈良県立民俗博物館では、玄関ホールで度々映像による民俗を紹介する展示会を開催されてきた。

どれをとっても珠玉の作品と思う秦氏が捉えたビデオ映像に野本氏の「オンダと野神行事」。

村上氏が描いた絵画作品や伝統行事として指定された「往馬大社の火祭り」もあった。

それに私自身も協力させていただいた「大和郡山の祭りと行事」も。

今回は8人の写真家による「私がとらえた大和の民俗」であった。

それぞれの視点でとらえた民俗事象を写真で描く作品群。

これが大和の民俗ではないかとテーマ組写真は3枚組。

写真展でありながら初の図録も制作された。

民俗博物館始まって以来のことのようだ。

初の試みだっただけに、ここに至るまで一年間も要した。

テーマや写真の選別はお互いが重ならないように何度も打合せをしたが、作品や解説文はそれぞれに委ねられる。

お互いの個性がここに表出されるだけに纏まりはないが、それぞれに味わいが出たのではないかと思っている。

それぞれの写真家がとらえた民俗テーマは結果的にバラエティに富んだと思う。

民俗を網羅したわけではないがなんとか立ち上がったことにほっとする。

この日はそれらの民俗を紹介する解説日。

写真家を代表して野本氏と私が壇上に座ることになった。

自分の作品だけ話すわけにはいかない。

大和の民俗を踏まえて紹介しなくてはならないから全体をふまえた解説ストーリーは難しい。

解説依頼を受けてから「あーでもない、こーでもない」と悩ましき日々を送っていた。

期日が迫ってなんとかレジメを用意した。とはいってもそれは私用だ。

ユネスコ世界遺産に登録された都祁上深川の題目立。

そこでは「おーい、写真屋」と呼ばれていると自己紹介から始めた。

祭りのイメージにはどんなものが、大和の祭りの数は、と話しながら展示テーマのいくつかを紹介していく。

今回は写真家の立場だけに、撮影にあたっての心構えなども話した。

会場には撮影でたいへんお世話になっている宮司さんや巫女さんも来られていた。

行事をされたご家族も来られていただけに緊張しまくりの解説であった。

座トーヤや行事を勤めていた氏子に祭祀を勤める宮司、巫女。

映す側の写真家と映される側、それぞれの立場で語られた会場はまるでミニシンポジウムのようになった。

(H23.10.30 SB932SH撮影)
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地域で行事解説

2011年06月22日 06時44分58秒 | 民俗を語る
平成21年9月に建て替えられた地元住民のための自治会集会所。

長年に亘って建て替え費用を貯めてきた。

その内覧会はその月の6日にあった。

2年ほど前のことだ。

ここで地元住民になにかができないかなと思っていた。

そのころと言えば県立民俗博物館で2回目の大和郡山の祭りと行事写真展の準備で大わらわのときだった。

地元の行事を写真で紹介する展示会だった。

それをこの集会所でできないものかと思って観光ボランテイガイドクラブのF元自治会長に声をかけた。

そうすれば現自治会長のOさんに打診されたのであった。

それから2年後に実現した展示会。

毎月1回は集会所で「お茶のみ会」が開かれている。

そこでおしゃべりをしてくれないかということだ。

少なくとも30人は集まるという。

それは先月の花見会からとんとん拍子に進んでいった。

展示する資料はそれまで整理しておいたものだ。



このためにというわけではないがブログにアップしている内容は一行事ごとに解説付き写真資料に整理していたのでそれを使うことにした。

2月まで民博企画展で紹介した行事を中心に整理した枚数は44枚。

多すぎるかもしれないがテーブルの上に並べるだけ。

写真展といえば額縁に入れて壁に張る。

それが一般的だが会場の関係もあるので設営も簡便なものにした。

会場は展示場。設営は役員さんたちが行ってくれた。

ありがたいことだ。

自治会からは回覧でそのことを伝えられていた。

各班の案内板にもそれが明示されている。

初日の日曜日は17人、翌日の月曜日は7人。そしておしゃべり会には33人もの人たちが見に来てくれた。

さて、何を話せばいいのだろうか。

このテーマ立てが難しい。

数日間考えた結果、地元に馴染みのある行事に絞った。

主文山(もんどやま)のとんどと地蔵盆、登弥神社の筒粥占、矢田のとんどを中心に季節がら水口祭をされているので農家の風習と神社やお寺の行事の関係をその様相を解説することにした。

その行事は矢田坐久志玉比古神社の綱かけ、田中町甲斐神社のおんだ祭、小泉町小泉神社のおんだ祭、矢田寺の修正会、松尾寺の修正会、植槻町植槻八幡神社のおんだ祭、少し離れるが小林町新福寺のオコナイとした。

40分の予定がちょっとオーバーぎみになったが「良かった」などの声を聞いてほっとした。

市広報誌つながりの担当者が来てくれたが誌面に載るかどうか判らない。

それでも地元の方のふれあい、温もりがある。

地元に住む人が地元のために開催する。

それが集会所のあり方だけに感動したという。

私が9年前に早期定年で辞めた理由の一つが地域に貢献することだった。

こうした地域の要請を受けたことで実現したのである。

後日、この場に参加した人よれば、近所の田んぼを散歩するたびに苗代、水口が気になって覗き込むようになったという。

関心をもつきっかけになったと喜んでおられた。



こうした成果があったことはうれしく思い、温かいコーヒーでもてなしてくださったみなさんに感謝する次第だ。

(H23. 5. 9 SB932SH撮影)
(H23. 5.10 SB932SH撮影)
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矢田丘陵周辺の遺跡と農耕儀礼にふれる

2011年06月21日 12時17分52秒 | 民俗を語る
先月から始まった県立橿原考古学研究所附属博物館春季特別展の「弥生の里-くらしといのり―」。

ふとしたことから行事の写真で協力することになった。

それは3月11日に遡る。

そう、大地震があったその日だ。

初めて訪れた博物館でK・Y両学芸員と打合せをした。

その際にお聞きしていた遺跡巡りツアー。

大和郡山で発掘された弥生時代の古墳、遺跡を巡るというのだ。

そこでは遺跡だけでなく展示しているものとリンクして現代における農作業、暮らしの中における弥生の祈りを見ていくというものだ。

それは苗代を作った際に農家の風習として行われている水口祭。

弥生時代にはそれが存在していたかどうか判らないが、かつての情景を醸し出すかもしれない。

場所はといえば地元そのもの。

またとない機会だけに是非協力させていただきたいと申しでたのだ。

そんなことで先週はその水口祭を営まれている個所を探していたのである。

巡るコースにそれが存在してあれば参加者も関心をもつのでは、ということだ。

集合場所はJR大和小泉駅。

集まった人たちは友史会を中心に約100人。

普段のツアーならその倍にもなるという。

当日の遺跡見学地は小泉遺跡、小泉大塚古墳、六道山古墳、田中垣内遺跡、割塚古墳などと矢田町周辺の水口祭を経て県立民俗博物館(企画展「モノまんだら2 太鼓とカネ」)の拝観であった。

遺跡見学会は11kmを歩くコースだ。

小泉駅から街道を抜けて最初に到着したのが小泉大塚古墳だ。

歩いてきたコースはかつて大にぎわいだった松尾寺へ向かう参道である。

ほぼ直線的な道だ。

富雄川を渡る個所には地蔵さんがある。



「市場の楠地蔵」さんだ。

大昔、富雄川の下流から逆に流れついたとされる楠の化石と俗称されている六字名号碑と石地蔵。

それぞれ天正二年(1574年)、天明八年(1788年)のものだという由緒書きがある。

ツアー参加者は考古学博物館の関係者、まっしぐらに遺跡を目指していく。

この地蔵に興味を示す人はごく僅か。

この先の水口祭ではどうなるのか、ちと心配する。



小泉大塚古墳は発掘された当時、現説に行ったことを覚えている。

割れた鏡が数枚あった。

1996年というから平成8年。

たったそんな前だったか。

そのころから奈良の行事を撮影しに行くようになった時期だけにターニングポイントになった遺跡かもしれない・・・。

解説によれば葺き石、埴輪はなく、7面の銅鏡が発見されたそうで古き古墳の様相を示しているという。

そこから西の地域に小泉遺跡がある。

現在は現代住居があるので面影は見られないが円筒が3基、弥生後半期の竪穴住居が4基も見つかったそうだ。

弥生人が集落をかまえて生活を営んでいたと想定されるが発掘区域は小規模だっただけに水田跡は見つかっていない。

ここは高台の丘陵地。

当時の見晴らしは良かったのだろう。

慈光院の駐車場から眺める六道山古墳。



小泉大塚古墳とも前方部は潰されてない。

同様に葺き石はなかったが様相は異なるらしい。

異なるといわれても私にはよく判らない。

ここも弥生後期の古墳だそうだ。

ここからはやたら歩く、歩く。

富雄川沿いにあるサイクリングロードを歩く。



そして福寿橋を渡り、目指すは平成16年にオープンしたアピタショッピングセンターだ。



開発前に畑地を発掘された田中垣内遺跡。

弥生後期から古墳前期に亘って何層も出土された。

竪穴住居が20基に円形(環状)の溝が発掘された。

それは排水のためだったのだろう。

水路があって集落に水を集めていく様相と西へ向かって流れていく構造のようで、溝は「溜め」要素だという。

それは長方形の深い穴から溝に行く。

上澄みが流れ水田へとむかったのではという説があるらしい。

らしいというのは、まだ未発掘であるため現状では明白ではないということだ。

そのときに発掘された土器類はアピタの1階と中2階段にガラス越しで展示されている。

アピタ前をぬう大和中央道でも発掘された東城(ひがしんじょ)遺跡もあるが今回は時間的な制約もあることから、ここで1時間の昼食やトイレ休憩を済ませて割塚古墳を目指す。

それは千日町にある。

地域一帯は新興住宅地。

そのなかに突如として浮かびあがった巨艦。

ではなくて径49m、高さほぼ5mの円噴をもつ古墳公園。



塚の中央辺りがⅤ字方に割れていたことからその名がついたそうだ。

横穴式石室が発見されたそうだ。

6世紀前半の築造というから弥生時代ではなく、その当時の馬具や須惠器が発掘されたそうだ。

そこからは一路矢田山を目指す。

確認はしているものの水口祭の跡があるのかどうかドキドキする。

というのは、それは農家の風習だけに決まりごとはない。

祭りごとを終えればお札は取り払う場合もあるし、服忌であればそれをしない。

なければ・・・どうしようかと辻を曲がれば。

あった。

学芸員から紹介されて、ここで解説をする。

大声でもいけるのだがマイクを持った。

苗代の祭りごとと行事を絡ませて説明する。

そのお札は見えないので発刊された県立民俗博物館で展示された「大和郡山の祭りと行事」展の図録を提示してしゃべった。

この図録は当博物館で販売されている。

40ページものの図録の価格は350円。



その12ページ目には金剛山寺矢田寺や矢田坐久志玉比古神社のお札を載せている。

苗代に供えられたお札は拝見できないのでそのページを広げて解説した。

当地ではここを入れて3か所が集中してお札がみつかる。

いずれもお花を添えてある。

それぞれの文字は判読できないが金剛山寺矢田寺の修正会の加持祈祷札か、これから向かう矢田坐久志玉比古神社のお札であろう。

これらのお札は田植えが始まれば畦に寄せられる場合もあるし捨てられる場合も。

場合によってはとんどで燃やされることもあるから土中には残らない。

洪水で埋もれてしまわない限り残らないモノだけに弥生時代にあったかどうかの痕跡はない。

ましてお札は仏教伝来後だけに弥生時代にはそもそもありえない。



こうして神社参拝を経て民俗博物館に到着した。

65歳以上は無料、以下であれば団体扱いで200円のところ150円になる。

年齢別に分かれて入館したがちょうど半分ぐらいの人数になった。



館内でおよそ1時間の拝観。

なんでか、企画展の補助解説までしてしまった。

この日は国際博物館の日記念事業でもある。

参加者のみなさま方、博物館のみなさま方、丸一日の遺跡巡りにお疲れさまでした。

全コースを歩いた歩数は15800歩だった。

(H23. 4.17 スキャン)
(H23. 5. 8 SB932SH撮影)
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企画展列品解説2

2011年03月14日 08時50分50秒 | 民俗を語る
取材先の人たちが行ってみたいと言っておられたので2回目の企画展列品解説にも出かけた。

一人は井戸野のお渡りに登場している人だ。

撮影しているときにその人の顔を発見して「あれまぁ、奇遇だこと」と交わしたことを覚えている。

仕事先にも関係していただけにどこにご縁があるか判らない。

お寺のことも当然ながらご存知だけに発見された旧鉦講の鉦に興味をもたれる。

お寺はそれまで4代も替わっている。

いつのころか覚えてないが鉦は本堂にあったという。

子供のときには行者講のホラ貝を吹いていたそうだ。

そして観音講のことも。

写真を挿して「あの人は亡くなりはったけど103歳の婦人は今でも元気でテレビ番組にも出演していた」と話す。

そのコーナーには東明寺の観音講も紹介していた。

実はここが母親の出身地のN家なのだ。

写っている人もよく知っていると話す。

奇遇な縁(えにし)はさらに増幅することになったのだ。

もう一組は白土のKさんご家族。

子どもたちと連れだって来館してくれた。

夏の暑い盛り。

念仏講の取材にはたいへんご協力をいただいた。

熱心に列品解説を録画収録されている。

子供の念仏講は奈良県内に見られる念仏のなかでも極めて珍しいと解説される。

大人の念仏講よりもさらに古い記録が残っている子供の念仏講。

古文書や鉦の刻印から二百七十余年も続いているようだ。

その解説を聞いKさんは驚きを隠せない。

「それほど古いものだとはまったく知らなかった。子供のときからしていたことだし、気にかけてもいなかった。解説を聞いて重要性が判った」と話す。

井戸野の人も同じことをいう。

「昔からしていることやし、することが当たり前やと思っていた」と・・・。展示の品々や写真を見ているだけではそれらは伝わってこない。「すぅーっと通り過ぎてしまうだけだった。この日に来たことはとてもよかった。」と話す突然の来館者。

農具の展示とは違って行事の展示にはひと工夫もふた工夫もいるのではないかと思った。

それを少しでも補おうとしたのが動画である。

熱心に見入っている人を拝見すると嬉しくなる。

その一人は矢田在住の男性。

明日にとんどがあるという。

その地区では1月31日だそうだ。

竹を伐採して火点けの豆ガラを準備しているという。

そういえば15日明けに矢田付近のたんぼを調べてみたらその証しがあったのだ。

話しではそことも違う垣内のようだ。

数カ所があるらしい。

2月の立春明けの日曜にしている地区もあるという。

城町の主水山もそうで、2月1日辺りに行われるとんどがある。

展示写真でも紹介したが番条町では2日と決まっている。

旧暦正月にしている地区があるということだ。

調査対象がますます広がっていく大和郡山の行事。

取材が「これで終わり」だという目処はいつやってくるのだろうか。

(H23. 1.30 SB932SH撮影)
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企画展列品解説1

2011年03月03日 08時31分06秒 | 民俗を語る
これまではおしゃべり側の民博企画展だった。

この日は学芸員による列品解説。聴講生の立場で解説を聞くことにした。

取材を通して知り得た行事は間違ってなかったのか。

もっている見識はこれからも通用するのか。そういう視点に立って解説を聞いた。

1.大注連縄をドウガイと呼ぶ地域がある。

偶然にも本日の聴講の一人に川西町のHさんが訪れていた。

産経新聞の荘厳の記事でもお世話になった人だ。

杵築神社の宮守をしていたころだ。

3、4年前のことだがそれまでは簾型の注連縄を掛けていたという。

七、五、三に編んだ注連縄をドウガイと呼んでいたことを思いだされた。

当時は拝殿や鳥居に掛けていたそうだ。

葉付きの竹を2本。互いに組んで端っこを上方にあげる。

それを龍の尻尾と言ってたそうだ。

神社ではしなくなったが旧家では今でもしているらしい。

それに砂の道もあったというではないか。

およそ30年も前のことだが集落の生活道路がアスファルトに変わってしなくなった。

それまでは各家ごとに玄関まで砂を撒いていた。

道は一直線。隣近所もしてそれが繋がっていったが神社での記憶はないそうだ。

大和郡山市外でもあった砂の道。

これまたたまたま来ていたカメラマンのNさんも口を揃えて宮古にもあったという。

ひょんなことから民俗情報が得られた解説日。

学芸員が語るには天理市、生駒の高山、川西に事例があるという。

高山では○型や月の形をした線を描く。

○型は太陽を現す。

奈良市の六条町では桝のような□型もあったそうだ。

正月を迎える風習は他にも福丸がある。

昨年末に実施された伊豆七条町の福丸迎え。

そのときに使われた青竹が四本組まれている。

子どもたちの人数分の本数だ。

正月の神さんを迎える福丸事例。

福を自分の家に入ってもらう目印が注連縄や砂の道である。

家を綺麗に掃除して年神さんを迎える。

火を焚くのは暖かく迎えることで、お供えをして正月の日はお籠もりをしてきたのだ。

2.布団太鼓やだんじりが登場する。

近世に流行ったそうだ。

布団は上等なモノだった。

寝具が一般普及した現代では上等なモノという感覚はない。

飾りを付けた布団太鼓の御輿。

瀬戸内から畿内に入ってきたそうだ。

タワラ(俵)が原型だった御輿。

それが稗田の神社で練り歩く。

なんだタワラかいな、ではなく民俗的にも貴重な御輿である。

源九郎稲荷神社のミニだんじりがある。

薬園八幡神社にもあることが知られている。

明治13年に造られただんじり。

農村部では大きなだんじりを曳航している。

大和高田などが有名だが郡山市内中心部の町衆がこしらえただんじり。

覗いてみると神さんが入るようにしてあるだんじり。

これは神輿でもあるのだ。

大きなだんじりには子供が乗って音楽を奏でる。

ミニだんじりにはそれができない。

近世に流行したのがだんじりだそうだ。

3.祭りの道具はさまざま。

矢田坐久志玉比古神社の宮座行事で使われている道具がる。

北座と南座があり、協力をいただいた北座の左座のものを展示している。

お供えしたものは膳を囲んで神とともに飲食する大切な道具がここにある。

もうひとつ展示協力いただいた白土町白坂神社の日の丸御幣。

弊(へい)は幣(ぬさ)であって神さんを所在する。

神の形は布もあるそうだ。

手で触るのは畏れおおいから弊の棒で挟む。

神さんが御幣に依りついたのだ。

御幣を持って前に後ろに左に持ち、そして右手に持ち替えて振る奉幣神事がある。

小泉神社の宮司の話しによれば昔(天正のころ)、宮中から勅使がやってきたときにそれをしたそうで。

それを習って現在に至っているという。

道具には小物も見逃せない。

番条町熊野神社の朔座のお渡りにトヤが首にぶら下げているモノがある。

首飾りのようなモノ。

それは木の板を何枚か重ねて数珠のようにしている。

この事例は白坂神社のお渡りのときにも見られる。

小さなものが古い形式を残しているそうだ。

4.仏教が最初に入った奈良には。

鎮護国家安寧を祈る仏事の行事。

庶民に下りたのは念仏信仰だ。

難しい修行をしなくとも極楽浄土へいった。

融通念仏、謡う六斎念仏が県内の特徴だ。

15世紀ころに六斎念仏が流行った。

五條の六斎念仏は結衆だそうで。T字型の撞木(しゅもく)で鉦を叩く。

祇園祭りはコンコンチキチ、コンチキチと鉦の縁と胴を打って鳴らす。

鉦を楽器として使っている。

六斎念仏の鉦は縁を叩かない。

井戸野町のお寺の床下から発見された鉦が9枚。

銘文によれば1672年。江戸初期にあたる。

「うえだかつべえ」なる者が大和各地に48の六斎講に5枚ずつ配ったという。

それが見つかったのだ。

白土町では珍しい子供の念仏があった。

チャンガラガンとも称された六斎念仏。

子供のうちに念仏に親しませ、大人になる下準備として知らず知らずのうちに染みこませる。

現代教育にはない手法である。

それは行者講のひとつにあげられる井戸野の金丸講の回り当番の日であることを知らせるホラ貝吹きとリン鳴らし。

子供が触れ回ることで講のことを教えていくのだ。

野迫川村の行事では太鼓を叩いている。

あるところでは空き缶をガラガラと引く。

それは不審者が来たという合図。

子供がそれを引いて知らせる。

民俗とは生活のなかにあることを知った。

5.巡礼が一日で回れる番条のお大師さん。

お寺の裏に四国八十八カ所や大和三十三、大峰などが作られているところがある。

遠くに行かなくともそこを回れば同じご利益。

番条では町の一軒、一軒がそれにあたる珍しい形態である。

お接待をすることでご利益を得るということだそうだ。

6.大和のソネッタン。

神楽をする巫女。

奈良には神社に属さない巫女さんが居る。

巫女を代々勤めてきた人をソネッタンと呼ぶ。

本人が言うのではなく周りの人が言っている呼称だ。

文献によればソウノイチがある。

ソウは「惣」と書く。

イチは「一」や「市」であって巫女のこと。

惣、つまり村や里の巫女さんで、ソノイチから転じてソネッタンとなったそうだ。

御湯(みゆ)をするソネッタン。

伊勢の湯立神事の影響を受けたとされる。

湯を沸かす釜は三本足。

展示された絵図にそれがある。

7.豊作を予祝、祈る作法。

オンダは年始めに田植えの真似ごとをする劇場的な要素。

稲苗に見立てた松葉。

竹に組み込んでいるのが郡山の特長で苗代にそれを立てる。

苗が無事に育つようにと農家の願いがそこにある。

お寺の行事では初祈祷で牛玉宝印が加持される。

牛の胆のうが病的変化したものを磨りつぶして朱印とする。

牛玉宝印の朱印が大事なのである。

ゴーサンと呼ばれる牛玉宝印の書は同じように苗代にお花とともに挿す。

神も仏も稲作の無事を祈ったのだ。

ゴーサンを挟む杖をゴオウツエと呼ぶ。

木も大切なのだ。

小林町の新福寺では盆地部では珍しく乱声が行われている。

床や縁を棒で叩いて悪魔を退散させる。

悪いものが村に入ってこないようにというわけだ。

それを終えたらゴーサンの朱印を額に押す。

叩いたフジの木は皮を剥いで供えたヤナギの枝を束ねる。

紐にするという。

これも珍しいそうだ。

豊作を願うもうひとつは占いがある。

釜に竹を入れてアズキ粥が入った状況を判断(神託)して決定する。

粥占(かゆうら)と呼ぶ神事行事である。

作物のどれが豊作でどれが不作か。

農家の願いは占いで一年が始まる。

矢田坐久志玉比古神社の結果表には月々の天候まで予測されている。

月の満ち欠けみたいな表示である。

他所でも同じ様なものがあるがそれは豆占い。

火箸に豆を12個並べてその焼け具合を見るそうだ。

8.神さんのお供えの形式はさまざま。

石川町と白土町の神社ではムシメシ(粳米)が供えられる。

コモで周りを縛る。

鉢巻きメシの形態。

高く盛り上げると喜ばれるとされるモッソウメシ。

型抜きのことをモッソウと呼ぶ。

珍しいのは満願寺町の古田神社で供えられるシトギだ。

米を水に浸けてそれを砕く。

生のコメを供えて食べる。

生で食べる風習は古い形式だそうだ。

多彩な行事がありつつ古いものがある大和郡山の行事はまだまだある。

やりにくくなった現代。

行事の曲がり角に来ているのではと話す。

労力や時間をかけて伝承してきた行事の数々。

伝統を繋げていくことの意味は展示物を参考にこれからのことを考えていきたいと締められた。

写真のとんどは城町主水山の大とんど。この日の夕方に火が点けられた。

(H23. 1.16 EOS40D撮影)
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