マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

長谷町・カミサンのチャワン/ハチ

2020年04月30日 11時30分43秒 | 民俗あれこれ
田植え作業にサビラキ取材をしていたとき、Tさんの奥さんが話してくれた件である。

実は、といってお話してくださった藁造りの一品。

「茶碗みたいな形の藁造りが一つ残っているねん」という言葉に思わず・・・これは、と思った。

想像した形は藁で作ったもの。

ある部分からぐにゃっと曲げた形。

その部分が茶碗のようになっているなら、アレしかない。

右手を差し出して、こんな感じ。

手で受けるような形のアレでは・・・。

T家は、玄関と裏にある蔵の扉辺りにもアレをぶら下げる。

元日の朝、その手の部分に家族が食べる雑煮の具を少しずつ入れる、というから間違いない。

奥さんはその形からカミサン(※ここでは民俗語彙的にカミサンと表記するが、私的民俗分類では“外の神さん”に位置付ける)のチャワン(※茶碗)と呼んでいる。

カミサンのチャワンに家族が食べる雑煮の具を少しずつ入れる。

お餅、トーフ、ニンジン、ダイコンなどを小さく切った雑煮の端くれを、そのチャワンにおます、というアレを拝見させてもらった。

大急ぎで撮ったものだから、アレはブレブレの映像になってしまった。

田植え作業を終えたTさんに、アレの名前を尋ねたら「ハチ」だ、という。

「ハチは鉢。金魚鉢とか植木鉢の鉢や」と、いっていたことに驚きものの木である。



本来は、元日の朝に炊いた雑煮の余りもの。

細かく切った餅とかダイコン、サトイモ、豆腐も入れる。

場合によれば、ニンジンなどもハチに入れておます。

なお、Tさんの先代になる親父さんもハチと呼んでいたそうだ。

なるほど、どちらも云いえて妙な表現である。

「ハチ」の名前で思い出した資料がある。

平成6年11月に初芝文庫より発刊された『藁綱論―近江におけるジャノセレモニー―』である。

著者は橋本鉄男氏。

「藁」で作る「ジャ」の民間信仰をとらえている書物に「ヤスノゴキ」関連民俗資料一覧がある。

聞きなれない「ヤスノゴキ」とは何ぞえ、である。

書物は、民俗行事取材を丹念に調べ、さまざまな土地に出かけて調査している写真家Kさんが入手したもの。

拝読した『藁綱論―近江におけるジャノセレモニー―』の民俗調査は全国に亘る。

地域特性も一覧でわかる素晴らしい資料である。

さて、「ヤスノゴキ」の一覧表である。

気になるのは奈良県データである。

3地域に同様の形が見られたという調査報告があった。

うち、天理市福住町の井之井にあった苞状形。

ここT家からそれほど遠くない峠を越えた“山田の山間地”の一角にある井之井(※正しくは井之市)。

呼び名は不詳だが、形状は苞状である。

奥さんが云っていたカミサンのチャワンがキーワード。

一覧表を再度調べてみたら、チャワンの呼び名でなく、“カミノハチ”がちらほら登場する地域があった。

群馬県吾妻郡嬉恋町である。

但し書きに「カミノハチといい、木器を用いることがある」と・・。

形状から思い出す類似例が2例ある。

一つは井之市に近い天理市福住町の別所にあった。

二つ目の事例はT家と同じ集落の長谷町である。

三つ目はやや形状が異なるが宇陀市室生の小原にあった。

T家の“カミサンのチャワン”こと、”ハチ”を拝見し、比較検討のためにも、その行為をされる正月2日にお伺いしたく取材許可をお願いした。

ちなみにかつてはサシサバをしていた、というTさん。

親でなく若いもんがサシサバをして、子どもは供えたサシサバを食べていたそうだ。

時季は夏場。

旬のサシサバはそのころに行商がやってきて村に売りに来た。

なぜか村には魚屋が5~6軒もあったにも関わらずサシサバ売りをする行商が来ていた。

サシサバは、お盆における習俗

生きている親を神さんととらえてカラカラに乾いたサシサバを供えた。

作法は正月のイタダキと同じ。

下げたサシサバは家族みなで食べる家族もあれば、T家のように子どもたちだけが食べることもある。作法は家族によって区々である。

(H30. 4.26 EOS7D撮影)

マルちゃんの黒い豚カレー焼きそば

2020年04月29日 07時43分31秒 | あれこれインスタント
急なことでひる飯はインスタントカップ麺を食べることになった。

カップ麺の在庫にあった黒いカップ麺と思って手を伸ばしたら、あれェ、である。

全身が黒いパッケージに包まれているはずの辛黒富山ブラック風焼きそばではなく、まんだら黄色もある。

よくよく見たら、マルちゃんの黒い豚カレー焼きそばやんか。

同商品は先月の9月24日に食べたことがある。

在庫の思い違いだったようだ。

前回は車中食だった。

吉野山口の行事取材に来ていたから車中食であるが、本日は自宅リビングでいただくひる飯焼きそば。

場が違ったら味覚もかわるだろう。

熱めのお湯を注いで3分間待つ。

お湯捨てしてから液体ソースを落とす。

ちりちり麺の間に吸い込まれるから、麺に馴染んでくれるのだろうか。

粉末ソースはカレー粉。



香辛料も入っていると思うが・・・。

粉末を混ぜて、混ぜて、麺に馴染ませるがどうしても全体に浸みこんでいってくれない。

ところどころに空き家ならぬ、白い麺が残ってしまうのが悲しい。

ただ、食べてみると、意外や意外の損得のないスパイシーなカレー焼きそばが味わえる。

しかし、だ。

カレー粉が尤も馴染んでいたのはポーク肉とか野菜に、である。

味が濃いから旨いんだが、なかなか麺と同時に箸が掬ってくれない。



以前も同じような不満を残していた。

味はまま良いんだが、せっかくの豚カレースパイスをもっと味わいたいのが本音。

本家の豚カレーうどんは、それこそうどん出汁が最高なのである。

辛さ、旨さが充実している豚カレーうどんの出汁。

どうか、パサパサの焼きそばでなく、スープカレー、いやスープスパゲッティ的な刺激に浸りたいのである。

多くもない出汁いっぱいに絡んだ麺で食べたい。

そう願ってやまない。

(H30.10.28 SB932SH撮影)

長谷町・T家のサビラキ

2020年04月28日 09時05分39秒 | 奈良市(東部)へ
風景写真家のYさんが、この日の朝にFBにアップされた「イロバナ」に目が引き込まれた。

田植え初めに供えたサビラキのあり方である。

映像でわかるその地は日笠町。

その苗代田を覗きたくなって車を走らせた。

今日の暦は先勝。

農家の人は大安の次のえー日になるらしく一粒万倍である。

もしや、と思って、先に目指すほぼ同地域になる奈良市長谷町。

いずれも田原の里と呼ぶ地域。

田んぼに水を張っているところもあれば、田植えをしている農家さんもいる。

目的の地は、以前から承知しているTさんの田んぼ。

平成25年の5月12日に拝見していたウエゾメ(植え初め)の様相である。

後日にお会いしたTさんは、それを「サビラキ」と呼んでいた。

田に水を張っているが、サビラキは・・・まだのようだ。

その付近で苗箱を洗っていた婦人にお声をかけたら、なんと、Tさんの奥さんだった。

Tさんは77歳。

村の神社行事(塔の森参り・日吉神社の虫の祈祷/チョウナはじめ風の祈祷)とか庚申講行事取材などで世話になった人。

写真家のKさんやSさんも存じているTさんである。

奥さんが云うには、この日の午後に始めた田植え。

もうすぐ上の田んぼが終わって、いつもサビラキをしているこの場所に戻ってくる。

戻ったら、御田祭でたばった「幣に松苗、次いでイロバナも立てはるで・・」と、いう。



下見のつもりで出かけたら、今からするっていうから緊急取材である。

久しぶりにお会いしたTさん。

「それなら今から栗の木を取りに行こう」、とすぐさま動く。



家に咲いている花を集める。

ハナズオウ、ユキヤナギ、ツバキ、ヤマブキにシャガの花である。



自宅は茅葺家。

縁で幣つくりをされて、ぱっぱっと作っていた。



奥さんの手元にあるのは、近隣村になる茗荷町天満神社行事の祈年祭にたばった松苗である。

隣村の大野町もまた氏子領域にあり、平成23年の3月27日に行われていた子ども涅槃取材の際に拝見した松苗に護符を挟んだ漆棒も記録として撮っていた。



護符の文字は「御年大神」。

天満神社の護符であるが、サビラキに立てるのは松苗だけだ。

「ほな、立てよか」と云いつつ、いつものところに立て。



特に詞章はみられず黙々と立てる。

「田圃の神さんに、今年もよろしゅうと、豊作を願いますねん」という。

以前はフライパンでモチゴメを煎って作る“ハゼコメ(爆ぜ米)”をパラパラ落としていたそうだ。



サビラキは、田植えのえー日にする。

日和がえー日だという日は大安とか先勝。

タネマキは一粒で万倍の日に植えている、と話してくれた。



平成25年に拝見したときと同じようにフキダワラは見られないが、この年の3月11日に地区の御田祭でたばった松苗も立てた。

こうしてサビラキの行為をし終えてから、田んぼに入れた田植え機に乗る。



しばらくは田植え機で何往復もする器械的田植えが続く。

T家の作付け品種は粳米のキヌヒカリ

苗箱は215枚。

苗代つくりもしていた時代もあったが、現在は手間を省いてJAの農協買いの苗を植えていく。



田んぼはここにも上にもある。

1ヘクタールの広さに田植え作業は3日間もかかる。

働くTさんの田植え作業姿をとらえていた、そのときである。

上から下ってきた乗用車が急ブレーキをかけて車を停めた。

車から降りた黒いスーツ姿の男性に女性が尋ねたことは、この花は何でしょうか、である。

これは田植え初めにおける農家の豊作願い。

「田主はこれをサビラキと呼んでいます」、と代弁したら、つい先ほどまで峠を越えた天理市山田町も田植えをしていたが、このようなモノはなかった、という。

農家さんの田植え作業の取材を終えて事務所に戻るときに見つけた豊作のあり方に興味をもたれた一行。

「どうか、取材をお願いできないでしょうか」、と私に言われてもなんなので、田主のTさんに声をかけて願い人を紹介した。



同じように説明される田主の本音も聞かれたこの人たちは、どこの事務所に所属しているのか。

尋ねてみれば農林水産省近畿農政局奈良支局地方参事官室の3人。

写真を撮らせてもらって近畿農政局のHP掲載許諾もとっていた。

HPの内容は“山田の山間地”の田植え状況。

生産者のTさんの談話も織り込んで紹介してくださった。

こんな機会なんて滅多にあるものではない。

喜んで受けたTさんの姿は、その後に編集されて近畿農政局HPの頁を飾った。

長谷町は28軒の集落である。

今もなおサビラキをしているTさん。



10年前までは村の人もしていたが、今ではたったの一人。

村で唯一だ、という。

T家以外のお家はどうされているのだろうか。

実態は、茗荷町天満神社行事の御田祭で祈祷された松苗に漆棒に挟んだ護符は、いつしか祭る場は神棚に移っていた。

苗代に立てることもなく神棚に供え、翌年の小正月のトンドで燃やす形になったそうだ。

ちなみにT家が属する垣内は、清水垣内。

今では新暦に行われている旧暦閏年の庚申講がある。

かつては9軒の営みであったが、現在は4軒。

4年に一度のオリンピックの年の2月29日に行っている、という。

今も営みを終えた直会にイロゴハンを食べているそうだ。

(H23. 3.27 EOS40D撮影)
(H30. 4.26 EOS7D撮影)
(H30. 4.26 SB932SH撮影)

料理屋に見る一升餅

2020年04月27日 09時51分56秒 | 民俗あれこれ(売り場の民俗歳時記編)
子どもさんが誕生した1年後に祝う「いっしょう餅」の習俗がある。

初誕生とか、歩き初めの儀式と呼ぶ地域もある。

「いっしょう餅」は満一歳を迎えた子どもに風呂敷に包んだ「※一升餅(地域によってはタンジョウモチ(誕生餅)と呼ぶ」を担がせて、その先に置いてあるさまざまな道具を手にする。

歩き始めたばかりの子どもは背中が重くてひっくり返る。

まだバランスをとれない子どもは、よちよち歩きをやめて這い這いで前方に置いてある道具に向かって・・・。

手にした道具が算盤なら計算高い能力を持つとか、バットやグローブを手にしたら野球選手になるとか。

いわゆる通過儀礼の一つの在り方である。

農家であれば背中に箕を背負う習俗。

今の時代に始まったものでもなく江戸時代どころかもっともっと昔からある習俗はお家の中でしていた。

お食い初めもそうだが、お家でしていた習俗は外に出るようにあった現代。

お外の場は料理屋。

しゃぶしゃぶ日本料理の木曽路に大きく宣伝していた。

還暦、古希祝いなどの長寿祝いや法事の場としての利用はずいぶん前からあったが、まさか一升餅までしているとは・・。

商魂たくましい料理屋に日本の民俗の在り方を知ろうとは・・・。

いずれは人の一生のすべてを営む場になっていくだろう。

その背景にあるのは大家族、三世帯同居の崩壊ではないだろうか。

個別的所帯、ミニ団地所帯では大勢を招いてもてなしすることはできないが、大広間を設備する料理屋はその点を助けてくれる。

(H30.10.27 SB932SH撮影)

木曽路大東店の法事会席―四季―

2020年04月26日 09時16分50秒 | ぽつりと
平成15年の賀状に喪中の印しをしていたからわかる。

かーさんの従弟さんに3兄弟がおられる。

私の兄弟は長男の私に次男、三男の3兄弟。

従弟さんも同じく長男、次男、三男の3兄弟。

その従弟さんの父親が亡くなってからもう15年にもなる。

それから15年後の今年の9月初旬に母親も亡くなられた。

従弟さんの母親は、かーさんの母親の妹さん。

叔母にあたる女性である。

先ほどまでは自宅で行われていた四十九日満中陰の忌明け法要だった。

人数が多いということもあって弔事の食事は場を替えた料理屋に場を移す。

行先は木曽路大東店

お店の送迎車に乗り込んで出発。

距離はそれほどもないが、折れ曲がる道をあちこち走る。

おかげで方角がわからなくなった。

車を駐車したお店の西側に建物があった。

どこかで見たことのある建物・・。

なんと大東市市立市民会館だった。

33年前のことである。

かーさんと挙式をあげた施設だった。

懐かしさに恥ずかしさも交差する若かりしころを思い出す。

この日の弔事に施主の挨拶から始まった会席料理である。



予めテーブルに配膳されていた先付料理はもずくに鮎煮、ヤマノイモなどだ。



叔母を偲んで乾杯。

次から次へと運ばれる料理に追っつかない。

ゆっくり食べる私の食事よりもみなさんは早い。

尤も飲んでいる、喋っているから会席料理を口に運ぶのが遅れてしまうからである。

先付や牛肉のしぐれ煮の前菜もある会席料理をじっくり味わいたいし、料理は何かも知りたいが、先に進む弔いの宴。



次の料理は、マグロ、イカ、ハマチ、炙りヒラマサの四種盛りお造りに椀盛。



煮ものに焼き物。

焼き物の西京漬けサワラは実に美味しいが、店舗見本にあるような生姜はなかった。



揚げ物は天ぷらで、留鉢(とめばち)の酢の物。

メニューの内容から会席料理は―四季―のように思えたが・・。

ふと背中に感じる仲居さんの動き。



会席中央に配した場に叔母さんの写真を立てていた、その場に、である。

叔母さんに食べてもらう会席料理がそこにあった。

施主家族の温かい心遣いであろう。

会席が始まってから1時間半後。



時間通りか知らないが、ご飯に汁ものと香の物が運ばれた。



そのあとは膳の状況を見て運ばれたデザートに希望を伝えていたアイスコーヒーで〆。



ほぼきっちりの2時間コースだった。

※先付(もずく・鮎煮・ヤマノイモなど)、前菜(牛肉のしぐれ煮)、椀盛、五種のお造り(マグロ、イカ、ハマチ、炙りヒラマサ)、煮もの、焼き物(西京漬けサワラは美味いが見本にあるような生姜はない)、中皿、お凌ぎ(おしのぎ)、揚げ物は天ぷら、留鉢(とめばち)、ご飯、汁もの、香の物、デザート+コーヒードリンク・・

(H30.10.27 SB932SH撮影)

四十九日満中陰の忌明け法要に拝見するヒトガタに分離するカサモチ

2020年04月25日 10時37分40秒 | 民俗あれこれ(葬送編)
かーさんの叔母さんにあたる女性が逝去された。

何度となく病に伏してはまた立ち上がる。

かーさんの母親は叔母さんよりも先に亡くなっている。

我が家の子どもたちがまだ小さいことだったからもう30年以上になる。

その母親の妹になる叔母さんが亡くなってからの忌明け。

四十九日の忌明けに自宅で法要を営まれる。

生前、お元気だったころである。

奈良を代表する東大寺二月堂のお松明を見せてあげようと云っていたが、約束を果たせなかった。

連れてあげたいと思いつつ・・。

月日の流れはいやがおうでも早く感じるころ。

入院の身になった叔母さんは連れていくことができなくなった。

悔やまれても、もう遅い。

お通夜に涙した夜にもうしわけない、と心の中に弔いを。

それから1カ月と少し。

この日が四十九日満中陰の忌明け法要である。

供養に仏説阿弥陀経を唱えたおじゅっさん。

長年に亘っておつきあいされてきた叔母さんのことを話していた。

お話しを終えたその後である。

かーさんの従弟にあたる施主がおもむろに動いた。

只今より、カサモチ(傘餅)を準備しますと、満中陰に集まった人たちに声をかけてから作業をする。

作業は四角いお盆にのせた丸い餅である。

厚めでもない餅に包丁を入れる。

切れそうで切れないのは、餅はまだ柔らかさがあるからだ。

しかも下に半紙を敷いているから、包丁を入れて動かすたびに餅全体が動いて切れない。

大きな丸餅に切取り線のように切れ目がある。

その切れ目に沿って包丁を入れたら切れるらしいのだが、どうも切りにくい。

径がどれくらいなのか測っていないが、円形の大きな餅。

餅は餅屋に注文して作ってもらったカサモチの餅。

カサモチを充てる漢字は、被る笠を象っていることから笠餅。

施主がいうにはインターネットで調べたカサモチだという。

席すぐ近くに座っていた親類の人(和歌山周参見育ちの義兄の嫁)はお通夜に見たことがあるという。

観音講かどうかわからないが、ご詠歌の西国三十三番を唱えていたその晩だからお通夜に違いない。

住んでいた里の風習らしく、その地にもあったカサモチの習俗である。

ネット調べの施主が云うには、この習俗は真宗にあると・・。

帰宅してから調べてみればあるにはあったが、四十九日の笠餅の形態がまったく違うその宗派は浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、臨済宗、曹洞宗、真言宗、天台宗、禅宗などなど。

四十九日の法要に49個の餅を重ねて供える四十九日餅

そのてっぺんの大きな丸餅を被せておくようにする形から笠餅と呼んでいるようだ。

また、法要を終えて、親族らは四十九日の餅を分け合って食べるのがあり方だとか。

ただ、このブログによれば日蓮宗の場合は、「大きな餅から人形(ひとがた)を作る風習」があると書いてあった。

さらに、法要の読経を終えた僧侶が人形(ひとがた)に切り分けるとも。

餅切りの形は人形(ひとがた)の他に死出の旅装束に傘や杖もあるらしい。

切れ目に沿って包丁を入れる施主。

一枚、一枚を大切に切る包丁入れ。

すべてを切り終えたらお盆にのせてみなさんに見てもらう。



これが足、頭、腕、杖、数珠‥と説明を入れて披露する施主。



角状でなく丸状が数珠とわかる。

右手近くにあるのが杖である。

人形(ひとがた)に切り分けた餅の数はそれほど多くない。

自主的に欲しい親類らで分け合う。

身体の具合で、例えば痛いとか、治療している部位など、治りたいと願う人がもらって食べる。

そうすれば、患部の治りが早いと云われている習俗である。

腰が痛いなら、腰の餅を。

足が悪いなら足の餅をもらって食べる。

私はコリにこった肩痛に難義しているから近い部位の肩腕をもらっていただいた。

実は、ヒトガタに分離するカサモチを拝見するのは、この日が初めてではない。

平成16年、6歳上の従弟の兄ちゃんが亡くなった。

生前、関西テレビの番組「走れガリバーくん(※平成11年~放映)」にむりこぎ登場し、ガリバーくんを案内していたまさやんである。

ガリバーくんが訪れた寺院にたまたま牛乳配達に来ていたまさやん。

ガリバーくんがまさやんに質問したのをキッカケに、取材に興味をもったらしく、なぜか行くところ、いくところに顔を出していたことを思い出す。

14年前、大阪・南河内郡南加納の自宅間2階に集まった親族一同。

法要を終えて周りにいた叔父や叔母たち。

おふくろの横に座った私に、カサモチについて話してくれた。

その日も同じように肩腕のカサモチを口にした記憶がある。

(H30.10.27 SB932SH撮影)

逆さ文字の十二月十二日水の護符

2020年04月24日 10時15分06秒 | 民俗あれこれ(護符編)
この日は叔母さんの四十九日の満中陰法要。

料理屋でなくご自宅で行われる法要に大勢の親類縁者たちが参集された。

扉を開けて入った玄関口。

扉を閉めようと振り返ってときに思わず口にした、えっこれは・・。

そう、紛れもない「十二月十二日」の護符であるが、当家はその「十二月十二日」に続いて「水」の文字もある。

「水」の文字で思い出した他所の護符。

在所は田原の里の一角になる奈良市須山町である。

在所の一軒に護符が見つかった。

その文字並びは正位置に書く「12月12日の水」である。

宜しければ撮らせてほしいと願った民俗の一つ。

直前になって電話を架けたが、やんわりとお断り。

無理なかろう、である。

当家は酒販売店。

お店の合間に「十二月十二日水」の文字を書く。

その数、多しのようだ。

書いておいた護符は何時貼られるのか。

お店を閉めた夜中。

12月12日の夜中である。

糊付けでなくセロテープでぺたぺた貼るようだ。

祈りもなにもせずに、ただただ貼るだけだから・・・という。

義母が生前のころにしていた「12月12日水」のお札貼り。

「あんたらも貼りや」と云われてしていたそうだ。

お話しを伺ったお嫁さんは、水曜日の「水」だと思っていたが、義母は天下の石川五右衛門が火で焚いた湯釜に沈められて釜茹で処刑をされたから、「水」だと話していたそうだ。

私がこれまで取材した民家の在り方はさまざま。

糊付けするケ-スもあるし、セロテープ貼りも。

貼った護符は毎年剥がして新しく貼る家もあれば、その護符の上から貼る家も。

天理市荒蒔はA家セロテープ。

桜井市脇本のB家C家もセロテープ。

大和郡山市万願寺町のD家もセロテープである。

ちなみに私の祖母が生前にしていた「十二月十二日」護符は糊付け。

毎年に剥がしていたような気がする。

ところで「水」の文字がある護符である。

それは初めて拝見したわけでなく、前年の3月に取材で訪問した奈良市須山町のE家であるが、表現は異なり「朝の水」であった。

しかもE家は逆さ文字でなく正位置の貼り方であった。

昨年の12月は京都の事例である。

「十二月十二日」の護符を書いて、玄関や窓の桟などに貼っている民家の事例も興味深かった。

(H30.10.27 SB932SH撮影)

大起水産奈良店の会員特典ラストサービスに感謝

2020年04月23日 10時26分01秒 | あれこれテイクアウト
これまで何度もお世話になっていた大起水産の会員特典。

ずいぶん昔はお盆に正月前に贈ってくださった直ちに利用できるお買物券。

いつしか年末だけのサービスになったが、それはそれで十分に愉しませてくれた美味しい贈り物。

先月のことである。

いつもの会員特典を送ってくれはったと思って喜んでみたが・・・。

これが最後になると書いてある。

案内は「街のみなと奈良店カード会員様」宛てである。

カードは「食卓豊漁カード」である。

真っ青な海を回遊するまぐろ姿をデザインしているカードである。

何故か、発行したときより小型のカードもあったが、小さくて使い難かったので一度も提示することはなかった。

その会員カードはポイントを貯めて購買のときに役立てるシステム。

これが、なんと9月30日で廃止される。

貯まったポイントは利用したこともなかったからずいぶんと貯まっているだろう、と思うが買物回数は思ったより伸びていない。

出かけるのは会員特典のお買物券がいただけるときだけになっていたのが現実である。



10月31日までにこれまで利用してきた「食卓豊漁カード」をお店に持参された方に限り1000円のお買物券がいただける。

つまりは回収である。

届いてからまだまだ日にちはあるなと思っていたら、いつのまにか月末間近。

お昼に美味しいお寿司を食べたいと思うときに、と思っていた日がようやくやってきた。

レジの店員さんに提出したら引き換えに「奈良店限定 お買物券¥1000-」を渡してくれた。

有効期限は今年の12月20日までだが、お腹はその日まで待ってくれない。

早速、利用するお買い物に選んだ商品は580円の8貫入り特売盛り合わせに380円の海鮮巻きだ。

これが美味いんだから。

新鮮な魚介類が盛り盛り入っている。

にぎりも間違いなく美味しい大起水産のネタにいつも感動している。

帰宅後に卓球から戻ってきたかーさんとともにいただくご馳走。

スーパーの寿司よりもクルクル回転寿司よりも極上の味を提供してくれる大起水産の寿司が美味すぎる。

ネタは味を感じる太目切り。



海鮮巻きなんてものは口の中で踊っているような錯覚に陥るくらい美味いのだ。

なら、なぜにスーパ買いやクルクル回転寿司にするんだいと家人に云いたいが・・・。

会員特典はこれで最後になったが、美味しくいただきたいのなら、行くべし、である。

ちなみにこの日も晩食用に買った総菜がある。

一つは380円のたこの唐揚げ。

もう一つはこれまた380円のサーモンカマの唐揚げ。

もう一つのおまけに買った260円の辛子明太子並み切れ。

ちょびちょび飲む酒の肴に食べたくなったから買った。

それもこれも美味しくいただいた惣菜など。

これらはお買物券オーバー分。

現金支払い分は1138円。

また、欲しくなったら車を走らせよう。

さて、今夜の食卓に盛り上がり。

とにかく美味しい2品の唐揚げにかーさんがアピタ大和郡山店の鮮魚店に売っていたモウカサメの煮付けも。



いつもながらえー味している鮮魚の煮付けは1杯でたったの100円。

舌を唸らせる。たこの唐揚げは塩を振りかけなくとも乙な味。

下味が利いているサーモンカマの唐揚げはあまりにも大きいので半分にした。

残りの半分は明日に続くが、とにかく量が多い。

食べごたえはあるし、サーモンの身がふわっとする優雅な味。

揚げたとこの皮付近にある身の濃い味に納得するわ、サクサク感もたまらん。

極上だったのはたこの唐揚げ。

サーモンもそうだが1パック380円は魅力的。

折を見てまた買いに行こうと思った次第である。

ちなみにこれまでに味わった味覚の寿司を振り返ってみる。

平成24年8月12日によばれた美味しいテイクアウトは、特上にぎり盛り合わせに特上ちらし寿司と海鮮ミックス巻き。

平成24年12月21日によばれた美味しいテイクアウトは、ブリづくしに海鮮ちらし寿司。

平成25年1月20日によばれた美味しいテイクアウトは、お寿司盛り合わせに海鮮ミックス巻き。

平成25年8月11日によばれた美味しいテイクアウトは、にぎり寿司セット海鮮巻き寿司。

平成25年12月10日によばれた美味しいテイクアウトは、お寿司盛り合わせにお造り盛り合わせと巨大なかき揚げ。

平成27年12月4日によばれた美味しいテイクアウトは、にぎり寿司にマグロ巻き、いなり寿司、巨大かき揚げ。

平成28年12月3日によばれた美味しいテイクアウトは、サーモンづくし盛り合わせににぎり巻き、海鮮巻き、海鮮かき揚げ、天然はまちお造り用。

平成29年12月7日によばれた美味しいテイクアウトは、ぶりづくし盛り合わせに海鮮巻き。

こんなに美味しいお寿司に海鮮ものを提供してくれる大起水産。サービス券がなくとも、以後も買い続けるだろう。

(H30.10.26 SB932SH撮影)

持ち込んだ西洋文化は商売のネタ

2020年04月22日 10時02分19秒 | 民俗あれこれ(売り場の民俗歳時記編)
この時季になれば鬱陶しい状態になる。

スーパー、コンビニエンスストア、百均売り場にケーキ屋さんにまで溢れるカボチャを見る。

西洋文化のカボチャはデカカボチャ。

決して食べ物ではない飾り物のデカカボチャが食料品売り場に並ぶ。

黒いテープを貼って買い欲を促がす商法。

いつからこんなことをするようになったのか。

日本の民俗に、関西地方のあちらこちらにされている「月見どろぼう」の習俗がある。

江戸時代(※以前の可能性もある)から続く日本の伝統文化。

これこそ日本の民俗といえる習俗であるが、報道したテレビが一様に伝える表現が、「これって日本版ハロウインですね」と・・。

アナウンサーはもちろん、コメンテーターから、行事をしていた子どもの親までが口にする「日本版ハロウイン」。

えっ、日本版ハロウインって、おかしくないですか。

そもそも江戸時代、いやもっともっと昔からあった日本の民俗(※例えば月見どろぼうのような)に対して、「日本版ハロウイン」の表現は馴染まない。

「ハロウイン」そのものが西洋民俗である。

知られて何年になる。少なくとも、たかだか十数年前。

商売利用され出したのはごくごく数年前。

クリスマスにバレンタインデーもしかり、である。

ハロウインは収穫祭でもあるが、本質は「キリスト教の諸聖人に祈りを捧げる祝日“万聖節”の前夜祭として行われるヨーロッパ発祥の祭り」。

また、「先祖の霊を迎えるとともに悪霊を追い払う行事」である。

一方、「月見どろぼう」の習俗は、「主に旧暦の8月15日にあたる中秋の名月、つまり十五夜の日に、月に見立てた芋や月見団子(昨今は月見団子と称して月見餅をそういう地域もあるが・・)お月に供える。収穫に感謝(※だから芋である)し、お月さんを愛でる習俗に、子どもたちは供えた芋、団子、餅(※昨今はお菓子に移った地区が多い)を、この日に限って盗っていいよ、と地区、お家の許しを得て盗んでいく習俗」である。

「月見どろぼう」とまったく異なる「ハロウイン」は西洋文化であり、主旨・時季など、まったく異なるもの。

テレビ、新聞などで、日本版ハロウイン表現がまかり通っている現状に、困惑している。

ちなみに「月見どろぼう」の他、伝統的日本民俗行事の「ハタアメもらい」に「豆もらい」、「亥の子」までも、とにかく子どもたちがもらいにくる映像をとらえたて、「ハロウィンっやっ」ていう人がとにかく多くなっている時代に、こと危惧を感じる。

(H30.10.25 SB932SH撮影)

マルちゃんのやみつき旨辛辛黒富山ブラック風焼きそば

2020年04月21日 09時48分27秒 | あれこれインスタント
今月の10月10日はマルちゃんのやみつき旨辛シリーズの辛赤名古屋台湾まぜそばを食べた。

真っ赤なパッケージにインパクトを誇る唐辛子仕立ての名古屋台湾まぜそばは一度食べたら病みつきになること間違いなし。

今度はトライアルスーパー小泉店で売っていた辛黒の富山ブラック風焼きそばを予定していた。

富山ブラック風焼きそばは89円。

特売だった商品の賞味期限が切れる前に食べておきたから辛黒富山ブラック風焼きそば

パッケージ表記は10月17日。



一週間足らずであるが、期限切れになっていた。

カップ麺は一日、一週間そこらで変質するもんではない。

食べてわかる味の品質は舌で感じよう。

お湯を沸かして、乾燥具材を落とした麺にお湯を注ぐ。

待ち時間は4分間。

お湯捨てすぐに真っ黒な液体ソースを撒いていく。

そこに粉末ソースも落とす。



結構な量の粉末ソースだけでも黒くなる。

いや、それよりも鼻に抜ける黒胡椒の香りが強い。

これら液体、粉末ソースを混ぜてみる。

ちょっと箸を動かすだけで黒さが広がる。

広がる、広がる香りも拡がる。

旨さがぶぁーっと舞い上がる。

一般的にス-プ混ぜが充足できないでいる。

色のつかない麺があっちこちに斑状態。

色が混ざらなかった焼きそば麺は美味くない。

まぜそばであっても同じようなもんだ。



ところが富山ブラック風焼きそばのソースに驚かせる。

一口食べて美味いと叫びたくなる特徴ある味の決め手は黒胡椒であるが、出汁の魚粉が気にかかる。

美味さ、味覚が半滅する魚粉。

魚の種類を替えるだけでずいぶんと良くなるのだが・・・。

魚粉がぎゃふんになっていようが、旨さはこれまたやみつき版。

ややモチモチ太麺に絡んだ黒いソース味が喉に浸みこんでいく。

辛赤も美味いし、辛黒も。

いつまでも赤、黒の繰り返しで毎日食べたらどうなるだろうか。

ふと、思った次第で。

辛黒富山ブラック風焼きそばを初めて食べたのは1年以上も前の平成29年8月29日

そのときに味わった味の感想もあるが、お初はもっと前の5月28日だった。

味の記憶は若干のバラツキはあるものの旨さにまた食べたくなる。

(H30. 9.25 SB932SH撮影)
(H30.10.23 SB932SH撮影)