マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

月ヶ瀬と都祁を巡る奈良を観るin奈良市美術館

2016年07月31日 08時49分09秒 | 民俗を観る
社友人がFBで紹介していた「月ヶ瀬と都祁を巡る奈良を観る」。

この日は大宇陀、下市、旧西吉野村、五條、御所を巡ってきた。

距離はおよそ160kmの道のり。

停まっては調査してきた山の神行事の聞取りである。

成果は乏しいが実感を得たことが大きい。

帰路では燻炭焼きも拝見できた。

快調に走ってきた車は自宅を通り越して奈良市に入る。

場所はイトーヨーカドー5階にある奈良市美術館だ。

ここへは写真クラブなどが披露する写真展で幾度か訪れる。

写真展はいつも無料。

そう思っていたら「月ヶ瀬と都祁を巡る奈良を観る」は有料だった。

今更戻るわけにもいかず百聞は一見の価値あり、ということで、惜しむことなく100円の入館料を支払って拝見する館内展示。

月ヶ瀬は高山ダムこと月ヶ瀬湖畔を紹介する観光紹介本に拓本だ。

高山ダムが完成する前の時代の梅林を紹介する本もあった。

月ヶ瀬周囲や湖畔をとらえたモノクロ写真もある。

当時の生活文化を知る貴重な写真である。

会場中央には氷豆腐の生産や京終まで運ぶ索道を地図で立体的に紹介する。

製作したのは「大和高原文化の会」の人たちだ。

作者名に何人かの知り合いがいる。

同会が所有する写真など諸々も展示していた。

天然凍豆腐感謝状が展示してあった。

凍り豆腐組合が発行した感謝状の宛先は、昭和32年、山添村が発足するまでの村名だった豊原村・大字切幡の川畑貞雄氏の名である。

切幡で行われている行事を取材したなかに川畑氏がおられた。

おそらく先々代か先代の名であろう。

索道で凍豆腐を運んでいた札も展示していた。

いわゆる荷札である。

所有者は奈良市茗荷町住民のOさん。

古いものはなんでも所有していると、私はそう思っている男性だ。

Oさんは写真も出展提供している。

「奈良安全索道」の八反田駅を撮った3枚の写真だ。

2枚は昭和4年で1枚は昭和17年だ。

そのころはほぼ衰退時期にきていた。

都祁村の農村情景を描いたスケッチ図が何枚もあった。

図柄に描かれた男女の顔。

戦後の顔のように思えるが、野良着などの衣装は戦前、もっと前を表現している。

いつごろ描かれたのか、何も書かれていない。

参考にした原画を拝見したいものだ。

ラストの写真数枚を展示しているのは桑原英文さんがとらえた月ヶ瀬・都祁の情景写真。

月ヶ瀬梅林、都祁の桜、吐山・下部神社の大銀杏、三陸墓、題目立で〆る。

一応は満足した展示に図録はない。

展示資料の一覧表もない。

美術館が提供する有料拝観展示にこれはないだろう、である。

しかもだ。柱に展示していた2枚の写真のキャプション。

平成26年(2013)とある。

なんとなくおかしいと思って会場展示作品を観ていた。

その写真に平成26年撮影とある。

26年はどない考えても、西暦でいえば2014年。

会場受付していた男性に問うた。

今年は平成27年。

西暦では2015年。

間違いないですねと念押しした。

そうですと答える受付者。

であるなら、平成26年は西暦何年ですか、と尋ねた。

結果は2014年。

展示キャプションがおかしいのである。

受付者が云った。

前日だと思うが、撮影した作者はなにも云わなかったという。

だいたいが、撮った写真は気にするカメラマンだが、撮影者はキャプションまでは気が回らなかったのであろう。

早急に確認されて訂正されたし、と伝えて退出した。

(H27.11. 7 SB932SH撮影)
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御所鳥井戸の燻炭焼き

2016年07月30日 08時01分19秒 | 民俗あれこれ(四季耕作編)
大宇陀本郷、吉野町、大淀町、下市町(新住丸尾・栃原)、五條市(津越・城戸)を巡って帰路につく。

五條市から御所市に繋がる峠越え。

稲刈りを終えた田園景観が広がる。

昨年もほぼ同じ時期を走っていた見慣れた風景の中に煙が上がっていた。

畑の中に黒いエントツがあった。

通り過ぎたが気になってUターン。

間違いもない燻炭焼きである。

通ったときにはその場に鍬を手にした男性が居られた。

話しを聞ける。

そう思って膨れた場に停車する。

数百メートルも歩けば燻炭焼きの場につくが、心臓がバクバク唸る。

厳禁の早歩きは負担がかかる。

逸る気持ちを抑えて歩くスピードをスローダウンして到着する。

せっかくの機会を逃してはなるまいと思って、その場に居られた男性にお願いして撮らせてもらった。



燻炭焼きは常に遭遇するものではない。

場所、時間帯、焼き状況が私の行動と一致しなければ見られない作業なのだ。

煙が昇っていても田主が居ない場合がほとんど。

風景写真であればその様相を撮るだけで良いが、私の場合は暮らしのなかの風景。

つまり、風景写真に民俗要素を入れ込むということだ。

特に重要視しているのは田主の言葉だ。

生活、手法などなど不知な私を醸成してくれる生の声。

教わりがイチバンの栄養素。

私を成長させてくれる宝の声に教えを乞う。

巡りあえた田主さんは元建築業。

定年後の10年間は稲作など畑仕事をしていると云う。

燻炭焼きのエントツは近くのDIY店で購入したもの。



ブリキ板で作られたエントツは何カ所かを月型に開けた穴がある。

それが空気穴だ。

エントツの下部はこれの倍以上の膨らみがあると云って焼けた籾に鍬を入れて崩してくれる。

内部から出現した袴型の部品も月型空気抜き穴がある。

内部にある籾が焼ける。

周りの空気を取り込み、エントツを通して煙が立ち昇る。

ウスヒキした籾は焼けてしまえば真っ白な灰になる。

灰になれば燻炭ではなく、籾が燃え尽きるだけだ。

これを防止するには山高く積まれた籾を混ぜ合わせなければならない。

火を点けたら一時間に一度は混ぜ合わせ。

この作業を繰り返すことでデキの良い燻炭ができあがる。



今日もそうしていたと云う。

一段高い畑にマメを干していた。

この時期ともなれば畑の周囲に植えたアゼマメを引っこ抜いてハザに架けて干す。



カラカラに乾いたら棒で莢を叩いてマメを取り出す。

この場でするのではなく自宅に持ち帰って作業をする。

マメは二種類ある。

シロマメとクロマメだ。

お節料理などに欠かせないシロマメにクロマメ。



どういうものか持って帰りと云われて数本を分けてくれた男性は自宅へ戻っていった。

ちなみに男性は吉野水分神社と大いに関係あるらしい。

あらためて伺いたいと思った。

(H27.11. 7 EOS40D撮影)
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城戸で聞きとる陰地の山の神

2016年07月29日 08時44分31秒 | 五條市へ
大字津越(つごし)より下って大字川岸外れ。

そこではなかった大字の陰地(おんじ)。

いったいどこに集落があるのだろうか。

川岸から走行路を下って南下する。

ここら辺りははっきり覚えている。

数回泊まった宿泊所がある。

村営の「にしよしの荘」である。

季節はいつだったか覚えてないが家族旅行で泊まった。

食事も美味しかったし格安料金だったように覚えている。

鮮明に記憶に残るアクシデントがあったことも一つの思い出。

あんまり思いだしたくないが、アクシデントは車のトラブルだ。

到着して荷物を下ろした。

家族は宿に向かって歩いていた。

私は、といえばキーを使わずにドアノブ操作でドアロックだ。

家族を追いかけて歩いていたときに気がついた。

キーは車の中に置いたままだ。

キーがなければドアは開かない。

トラブルは20数年前のことだ。

電子キーなんぞなかった時代である。

困った顔で「にしよしの荘」の職員さんに事情を伝えたら、なにやら奥から取り出してきた。

長いモノサシである。

ドアの窓ガラスの隙間に突っ込んでグニュグニュ。

音がしたかどうかは覚えていないが、ドアが開いた。

職員さん曰く、宿泊者で度々こういうトラブルがあるので対応してきたという。

タネをバラシたくはないが、云十年も前のこと。

現在の車はセキュリテイでがんじがらめ。

モノサシでは不可能だと思う。

感慨にふける余裕はない。

本題の話しに戻そう。

私が知りたいのは在所陰地の山の神だ。

たまたま玄関に居た人を発見した。

おそるおそる尋ねてみた山の神。

奥さんが云うにはそこにあったかどうか・・、である。

あったとしても集落よりもまだ山の上

「円光寺(平等山桧川御坊)」がある。

それより上にあるのが八幡さん。

神社の当番かどうか判らないが何がしかを供えているようだと云う。

もしかとすればしていないかも知れない。

旧吉野村の大字城戸(じょうど)などここら辺りは山の仕事が主たる産業だった。

今は廃れて伐りだした木材をトラックで運んでいたと云う。

業態は木材ではなくなったが、培った技術で運送業を営んでいる。

津越に向かう道で木材を伐りだしていた人たちが居た。

その人らは地元民ではなく他村から来た同業者。

山の神のことは知るわけがない。

訪ねた運送屋さんの前を登る道がある。

その道を行けば陰地になるが、たぶんに迷う。

現地をよく知る森林組合の人の案内であればいいのだが・・、という。

城戸に森林組合がある。

ここも地元民ではなく他村の人。

ほとんどの人に聞いても判らない山の神だが、唯一一人だけが地元民。

この日の森林組合は休日。

平日の場合なら居られる可能性がある。

山の神の存在を知りたければその人に聞け、と云われた。

気になっていた城戸の行事も尋ねた。

平成17年7月24日に取材した川合地蔵尊のお祭りだ。

地蔵尊の前で組んだススキ提灯。

台車に載せたススキ提灯は引っ張って曳行していた。

このときに訪れたときに神社行事の様相を聞いた。

が、何年か前に中断されていた。

もしかとすればと思って奥さんに尋ねた。

結果はススキ提灯も中断であったということだ。

(H27.11. 7 SB932SH撮影)
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旧西吉野村川岸の八幡神社

2016年07月28日 09時06分56秒 | 五條市へ
集落地図によれば大字陰地(おんじ)は当地より下り道にあるらしい。

が、危険を感じて来た道を戻った。

たしか神社の鳥居があったのでは、と思って停車した。

後に判るのであるがここは大字川岸(かわぎし)。

今では五條市に統合された旧西吉野村にある一大字だ。

ところがカーナビゲーションで示した陰地一番地はここを示す。

どういうことだろか。

それはともかく3軒ほどの集落。

いずれも不在で神社や山の神を尋ねることはできなかった。

(H27.11. 7 EOS40D撮影)
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旧西吉野村津越の残り柿に四季桜

2016年07月27日 08時14分42秒 | 五條市へ
陰地(おんじ)の山の神はどこにある。

たしか自生する福寿草を観に出かけた旧西吉野村の大字津越(つごし)のすぐすぐ傍にある村だったと思う。

津越を初めて訪れたのは平成15年3月14日だった。

今から13年も前。

廃れた記憶を戻しながら川沿いの山道を駆け上がる。

三叉路に数軒の津越集落地図があった。

急カーブに急な坂道を登る。

訪れた時期には福寿草は見られないが、着いた場で思いだした。

たしか収穫した梅の実を干していたはずだ。

作業場はあったが扉は閉まっていた。

時期的にどうなのだろうか。

それはともかく小雨が若干降る日だった。



対岸の山々は紅葉が染まりつつある。

集落には残り柿がある。



ここもそうだが下市から南下して大字川岸(かわぎし)辺りに来れば四季桜がいっぱい咲いていた。

ここ津越も同じように四季桜は可憐に咲いていた。



四季桜は冬に咲くから冬桜とか、十月以降の寒い時期に咲くことから期月をもって十月桜と呼ぶこともある。

雪が舞うとても寒い日に咲くから寒桜の名前もある。

実に多様な名をもつ四季桜である。

(H27.11. 7 SB932SH撮影)
(H27.11. 7 EOS40D撮影)
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下市栃原の波比売神社

2016年07月26日 08時21分29秒 | 下市町へ
大宇陀本郷、吉野町、大淀町、そして下市町を走っていた。

何年か前に見かけたような景観が現われる。

旧西吉野の北部は柿の産地。

なだらかな山々にたわわに稔った柿の実がいっぱいだ。

柿の葉が紅葉しつつあるが、この日は曇天。

美しさは求められない。

標識にあった栃原地区。

そうだここは枝垂れ桜を撮ったことがある地区だ。

久しぶり、というか何年ぶり・・か、である。

そこから少し走ったら三叉路。

角地に大きな鳥居が建っている。

停車して神社名を確かめる

。栃原の波比売(はひめ)神社だった。

昔もここを通ったかも知れないが、思いだした景観とは違うような気がした。

ある情報によれば同神社には宮座があるらしい。

調べてみれば下市町指定文化財の宮座行事のようだ。

10月1日のようだが、今では日程が替わっているかもしれない。

時間があれば集落を訪れて聞取りをしたかったが、先を急ぐ。

(H27.11. 7 SB932SH撮影)
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新住地区丸尾垣内の巨大な藁積み

2016年07月25日 09時28分18秒 | 民俗あれこれ(干す編)
大宇陀本郷を離れて旧西吉野村に向かう。

五條市経由で行けば遠回り。

時間のロスはどれぐらいか判らないが、カーナビゲーションが示す案内通りのコースを走る。

宇陀市、吉野町、大淀町、そして下市町だ。

吉野川に架かる橋を渡って丘山の方に向かって進んでいく。

ここら辺りは大字新住(あたらすみ)。

丘下に見える集落で行われたオカリヤ立て神事を思いだす。

看板に新住区丸尾垣内の標識があった。

そうなんだ。ここも新住地区内なのだ。

地区はそうとうな広さであると思った。

そこから数キロメートル足らずの地。

右手に巨大な藁積みが二つ。

大きなものだけに勝手に目に飛び込む。

思わずブレーキをかけて道路際に一旦停止。

後方に車がついていればそうはしない。

パッシングライトをしながら停止する。このときは後方につく車はなかった。

安全を確かめて車を降りる。

巨大な高さの藁積みは3層、それとも4層積み。



私自身、奈良県内では見たことがない巨大なものだ。

テレビとかで拝見する東北辺りにこれと同じようなものがあったと思うのだが・・。

重さもそうとうな量であろう。

円形であればまるで古代の藁葺き家か。

そう思ったが入る口も窓もない。

手刈りした稲藁を積んでいる光景に圧倒される。

これほどの高さを確保するには数人の力が要る作業だと思った。

(H27.11. 7 EOS40D撮影)
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かつて牛頭天王社と呼ばれた大宇陀本郷の八阪神社

2016年07月24日 11時30分22秒 | 宇陀市(旧大宇陀町)へ
平成22年のことだ。

9月12日は十二薬師。

同月15日は薬師さんの数珠繰りをしていると写友人が聞いていた大宇陀本郷。

枝垂れ桜で名高い本郷の地は幾度か訪れた宿泊地がある。

椿寿荘である。

家族揃って泊まった椿寿荘の食事はとても美味しかった。

高齢のおふくろは柔らかくしてあるから食べやすいと云っていた。

食事の場はカラオケ会場にもなる。

食事を済ませて他に泊り客がいないことを良いことにカラオケ三昧したことがある。

あれから20年以上も経った椿寿荘は今もあるらしいが、その場を通り過ぎて山の方に向かう。

たしかここら辺りから山の方に登っていった記憶があるが道はすっかり忘れて不安が漂う。

集落手前に石で造った祭壇がある。

何かを祀っているのだろうと思って停車した。

右側に立つ石漂がある。

彫られた文字は「おご乃明神」。

付近に人影が見られず話は聞けていない。

その場より数メートル右も三叉路。

異なる石漂があった。

刻印に「嘉永酉年」がある。

おそらく嘉永二年(1849)に建てたと思われる石漂は「右・・云々」とある。

判読は難しい。

ひとっ子一人いない、その場を下って人影を探す。

右手にあった民家に数人の男性が居られた。

地元に住む人なら道辺寺垣内への行先道を教えてくれるであろうと思われた。

たしかにその通り。

ここら辺りは四垣内。

道辺寺垣内は山の上の方にある集落。

ここは西にあたるらしい。

山近くに建つ寺は薬師寺。

四垣内の代表者ぐらいしか登らないという寺だ。

その辺かどうか判らないが山の神の行事があれば・・・と云えば、それを知っているのはYさんぐらいだけだという。

そのYさんは入院療養中の身であるらしい。

どうやら5年前に具合が悪くなったようだと話す。

道辺寺垣内のすべてではないが山の仕事を主にしているという。

山の仕事人でないと存知さいない山の神行事。

村の行事や風習を知る人はYさんしかいない。

5年前にYさんが話していた山の神行事。

場所は不明だが、竹筒と藁ジャコのカケゴ掛けをしていると話していた。

療養中の身であるYさんが居らっしゃることを知っただけでもうれしく思った。

山へ向かう道を教えてもらって駆け上がる。

急カーブに急坂道。

おそるおそる駆け上がる。

なんとなくここは来たことがあるようだと思った村の景観。

ふっと不安になった。

怖くなったのだ。

Uターンして戻った処に住居表示があったが、Yさんの名前はない。

もっと上のようだが、この日は諦めて道を下った。



するとカーナビゲーションに寺名が表示された薬師寺とは違う名の寺だ。

そこに向かおうと思ってハンドルをきった。

ふっと現れた大きな石塔。

刻印に「太神宮」がある。

一方の辺にもあった刻印は「三太郷村中」だ。

ここら辺りは三太郷の呼び名があるらしい。

その地に鎮座する神社は八阪神社。

神社下に生えるクマザサらしき太い葉の笹がある。



その場に林立するかのように立てている割り竹がある。

何を意味するかの、不思議な光景だ。

鳥居脇に「天保二年辛卯(1831)三月吉日」の刻印文字がある常夜燈が建つ。

すぐ傍には月・日をあしらい、「庚申」の文字がある庚申さんがある。



格子戸から覗いてみた。

急な階段を登る。

2段構えの階段だ。

本殿に上がる階段下にも石灯籠が建っていた。

それには「牛頭天王社」の文字がある。

おそらくは江戸時代まではそう呼ばれていたのであろう。



もう一つの灯籠に「下本郷村」や「文化十二年乙亥(1815)六月」の刻印が見られる。

すべてが江戸末期の年号であった。

もう少しゆっくり調査したいと思ったが雨が降り始めた。

仕方なく先を急いだ。

(H27.11. 7 EOS40D撮影)
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経食道心エコー図検査の3時間前にパンを食す

2016年07月23日 23時11分43秒 | むびょうそくさい
前日は心エコー検査。

ゼリー状のものを身体に塗って超音波器具で状態を検査する。

特に苦痛もない検査である。

この日の検査は苦痛そのものの経食道心エコー図検査。

7月31日に心臓手術をした。

その一週間前の24日に実施された。

とにかく苦しいカメラの飲み込み。

苦痛で辛いとしか言いようのない検査である。

この日の午前中は送迎の仕事がある。

検査が始まる時間は午後2時45分。

それまでに受付を済ませておかねばならない。

経食道心エコー図検査は食道にカメラを挿入して検査をする。

胃カメラと同じようなもので口内にしびれ薬が用いられる。

ということは食事をどうするか、である。

検査予定について書かれたシートがある。

それには検査の3時間前に飲食を済ませておくとある。

送迎の仕事が終えるのは、だいたいが午後1時ころ。

それから昼食すれば検査に引っかかる。

仕事中ではあるが、食事を摂らなければ腹が減る。

お腹がグウグウ云いだす。

というよりも、経食道心エコー図検査後の2時間は飲食できない。

となれば夕方近くになる。

お腹が減れば検査に対応する体力も維持できない。

そう思ってパンを送迎車に持ち込んだ。

食べる場所は車内だ。

別に車外でもいいのだが・・外は冷たい風が吹いて寒い。

金剛山も鳥見山も今年初の冠雪。

寒さが身に染みる。

毎度、僅かな時間が発生する送迎の合間。

いわゆる待機のときである。

都合、停車して送迎時間を調整する。

さぁて、食べるか。

二つのおかずパンは前日の帰り道に立ち寄ったビッグ・エクストラ天理店内にあるパン屋さん(パン工場)で買っておいた。

ビッグ・エクストラは度々出かける我が家の食材購入店。

安くて美味しいものがいっぱいある。

特に野菜の値段がすごい。

もっとすごいのはコロッケだ。

肉味、カレー味、すき焼き味、カボチャ味などなど十種類ほどのコロッケすべてが税抜き37円。

一度、食べてみたいと思って買ったコロッケ。

これといった特徴はないが、コロッケに違いない味だ。

それはともかく出入り口付近にあるパン屋さんは未だ買ったことがない。

この日が初めてだ。

いろんな菓子パンが並んでいる。

が、私の目当ては100円パン。

だいたいが150円前後に菓子パンには目がいかない。

商品棚を見渡してみれば、あった。

この日の100円サービスパンは3種類。

どれにするか迷うこともない。

選んだのは大きな菓子パン二つ。

一つはマーガリン、もう一つがシュガーだ。

一日寝かせて持ち込んだ菓子パンは11時に食べた。

時間はそれほどなく噛みしめる余裕もなく口に放り込む。

なんせ大きい菓子パンがなかなか減らない。

それどころが水分補給を要する、と思ったが、ミルクの持ち合わせもない。

いつも持参するペットボトルのお茶を飲んで胃袋に詰め込む。

味はどうかといえば、パンそのもの。

中心部に僅かな味がするだけだった。

午後1時過ぎに仕事を終えてかーさんが同乗する。

目指すは天理の病院だ。

受付を済ませた時間は丁度の一時間前。

ごたがいが最近の身体状況を伝えておく。

きっちり一時間後の午後2時45分。

検査医師の呼び出しがあった。

見慣れた待合室は入院中にときどき検査した部屋だった。

この奥にある部屋が恐怖の検査部屋。

始めにしびれ薬をもってきた。

ゼリー状の柔らかい液体がスポイドから口に入れられる。

ぽっとスマートに入れられたしびれ薬はブルーベリーのような味がする。

ごっくんと喉は通さない状態で5分間待つ。

しびれ薬が効いてきた。

では、お部屋に入りくださいと案内される。

カッターシャツは着たままで横になる。

徐々に思いだしてきた恐怖のカメラ飲み込み。

それを口から入れる前にまたもやしびれ薬の投入だ。

大きな口を開けて喉に落としたスポイド液。

数か月前にした状況を鮮明に思いだした。

心臓側を下にして横になる。

唾液、よだれが出ても飲み込まない。

受け皿を口元に添えるだけだ。

硬めのマウスピースは口、というよりも歯でがっちり嵌める。

胃カメラのような器具が目の前に現れる。

マウスピースに入れたカメラは喉元まで到達する。

「ごっくんしてください」と云われるが喉が動かない。

何度か「ごっくん」するも、喉が開かないのだ。

開かない場合はカメラを戻される。

何度かのトライに「ごっくん」の声に合わせて「ごっくん」と心に念じれば喉の奥に入っていった。

胸の中心部辺りだろうか、カメラがあることが判る。

痛みも感じる。

しびれ薬は喉だけである。

だから判るカメラの動き。

動くたびに吐き気をもよおす。

「ぐぇ、ぐぇ」というか「おぇ、おぇ」というか・・・堪らず嗚咽がでる。

何回か繰り返すうちに落ち着く。

画面を視ていた医師が告げる。

もう少し下、もう少し上・・・。

カメラはその都度動く。

動けば嗚咽の連続だ。

よだれは出ぱなっし。

鼻汁も出ぱなっし。

涙も出ぱなっし。

ビショビショのビチョビチョ濡れだ。

カメラが上下、左右に動かしたときは何度も嗚咽。

頭のなかで数えていた1、2、3、4、5・・・。

100まで行ったら1から数えなおし。

一体どれくらいの時間が経過しているのだろうか。

検査は上手く行っていますと云われても何時終わるのか、である。

苦しい状況が長く続けば続くほど辛いのだ。

終わりますの言葉を聞いたとたんに力が抜ける。

実際に身体から抜けたのはカメラであるが・・・。

起き上った診察ベッドのよだれ受け敷きシーツはビショビショ。

ビチョビチョの顔は集めのテイッシュペーパーで拭きとる。

何枚も使う。

口の中は検査が終わっても唾液がでてくる。

これは飲み込むわけにはいかない。

うぇっと流しに垂らして流す。

検査時間はきっちり30分間。

入院中は50分もかかった。

そのときはまだ手術前。

心臓下に横になるのはもっと辛かった呼吸困難。

息を吸い込むことができなかった。

今は手術をしたからそういう辛い症状はない。

違いがあるのはそれだけだ。

入院中の主治医だった循環器医師も途中で立ち会ったそうだ。

今回の検査では特に異常は認められない。

血塊も見られなかったそうだ。

ただ、2週間後になったカテーテル処置は実際にやってみて異常をしめす電気信号回路が多数ある場合もあるらしい。

その時の処置時間は4、5時間にもなると伝えられた。

患部麻酔をすると思うが長時間の処置は眠っていたい。

検査を終えて1時間は唾液を飲み込んではならない。

水は飲まないし、嗽もしない。

しびれ薬が切れるのは喉に投入してから1時間後である。

それまでずっと我慢の子である。

それが過ぎてから飲む飲料水。

違和感はなかった。

しばらくすれば、ぼやーっとしていた頭、

身体もすっきりした。

その後の数時間は辛かった検査さえも忘れていた。

(H27.11.27 SB932SH撮影)
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心臓リハビリ終えたら心臓エコー

2016年07月23日 23時06分52秒 | むびょうそくさい
2週間前の診療で決まったカテーテル処置の方向性。

12月に入った2週目に入院・処置が行われる。

処置をする際の決め手になる検査はこの日が1回目。

明日の検査はもっと詳しい。

なんせ胃カメラのような器具を飲み込んで心臓を看るのである。

今日の検査日は予め決めていた心臓リハビリに合された。

リハビリが終わって直ちに該当するフロアに向かうのである。

それまではいつもの通りの心臓リハビリケーション。

場所は5階にある。

退院してから今回のリハビリで6回目になる。

慣れたものだ。

リハビリは3週間おきぐらいが丁度いいと思っている。

リハビリ当日に予約しておく次回の日程。

リハビリ療法士はそれに対して特に問題視はしない。

一か月間では間が空きすぎる。

2週間間隔では早すぎる、という考えは私の判断だ。

5階についたらすぐさま問診票に書く。

血圧、体重に問診。

そして次回の予約だ。

私の場合は、問診票にない項目も記載している。

それは脈拍数値である。

この日の心臓エコー検査もそれに係る。

入院・処置は脈拍異常を処置するのである。

提出しておけば何かと参考になるかも知れないと思って毎回記入している。

上半身の衣服や下着を捲り上げて携行心電図を身体にセットする。

始めに行われる準備体操前の脈拍は100拍。

しばらくして落ち着けば85~88拍ぐらいまでになるが、準備体操やスクワットをすれば元の木阿弥の脈拍数値。

根本的な治療は12月に入った2週目に期待する。

そして、いつもの自転車エルゴメーターのペダル漕ぎ。

血圧計を腕に装着して開始する。

動きだした血圧計が測った数値は113-73。

特に問題はみられないが脈拍は103拍。

何とかならんもんだろか。

今回のワークは40。

前回もそうだった。

57辺りの回転数を維持しながらペダルを漕ぐ。

最初の出足はややキツいと感じたが、数分も経たないうちに落ち着いた。

感じる値は「楽」である。

リハビリを終えて向かった先は4階。

受付を済ませて十数分後に呼び出し。

検査室に案内される。

この日の検査は心臓超音波検査。

略して心エコーだ。

身体に装着した器具は何度も体験している。

もしかとして造影カテーテルと思っていたが、そうではなかったので一安心。

心もち余裕がある。

医師が身体にあてる超音波検出器具。

撫でるように心臓辺りを検査する。

十数分過ぎたころだったか、医師が発した言葉。

「勢いよく鼻をすすってください」と云う。

鼻をすする行為は、老若男女問わず、誰でもしている。

呼吸がしにくい人では無理があるかもしれないが、健全な人であれば力をいれなくとも、すすることができる。

検査を終えた医師にすする目的を教えてもらった。

すする行為は血管を膨らませる。

膨らませることで血管の状態が見やすくなる、ということだ。

一つ、賢くなったと思った検査時間は20分。

これまでの検査の中ではイチバンの早さだった。

明日の検査は口内に麻酔薬を投入する。

胃カメラのような器具を心臓まで詰めていく。

とにかく喉を通らなければ検査にならない。

これが辛いのである。

麻酔薬の効き目が切れるのはおよそ1時間後。

遅い人であれば2時間後には復帰するそうだ。

(H27.11.26 SB932SH撮影)
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