マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

大紀水産街のみなと・サービス券でよばれる寿司盛り

2017年08月31日 09時13分18秒 | あれこれテイクアウト
平成24年平成25年も8月のお盆のときもあったが、最近は年に一度のサービス券になった鮮度がごちそうの「街のみなと」の名で知られる大紀水産からのありがたい贈り物状。

来店しなきゃ貰えない500円のサービス券。

来店するには必須の引換券が届け状についている。

以前は一枚ものの分離した引換券であったが、今は切り取り線から外さなきゃならない街のみなと食卓豊漁カード会員様の案内状だ。

届け状はでっかい代物。

これをお店に持っていけば困惑するだろう。

それはともかくいつ、行くか、である。

サービス券を利用させてもらうお買い物はお昼のご飯。

贅沢に美味しい大紀生産のお寿司に惣菜ものなど。

ここ数年間はいつもそうしている。

お目当てのお寿司は3年前までよく食べていた税抜き500円の寿司盛り詰である。

にぎり寿司に巻き寿司もある寿司盛りの旨いこと。

といかく水産ネタが美味いのである。

寿司飯も巻き海苔ももちろん美味しい。

いまどきこんな美味いもんがごひゃくえーん。

今では見ることもないが・・・。

ひょっとしたら売っているかもと期待半分で出かける。

切取っていた引換券はかーさんが持っていった。

それを店の前で受け取る。

入店しようとしたが、えらいこっちゃである。

そう、食卓豊漁カードを忘れていた。

停めていた車に戻って足早でのUターン。

店内は買い物客でにぎわっていた。

マグロのたたき売り、ではなく解体ショーをしていた店員さんの声が響いていた。

こちらの目当てはマグロではなくお寿司である。

期待していた寿司盛りはなかった。

仕方がなく他の商品を探してみる。

いろんなネタのお寿司があるが、これに決めた。

一つは税抜き580円のサーモンづくし盛り合わせ。



にぎりも巻きの五つずつ。

二人で分けるには調整を要する個数である。

これだけでは物足りない。

マグロもウナギもイカもタコも外して税抜き380円の海鮮巻。

これで合計価格が960円。

会員サービス券は千円分。

8%の税を入れたら千円は超えるが、もう一声。

惣菜売り場にあった海鮮かき揚げは280円。

これを買い物かごに入れた。

とても美味しそうに見えた茹でタコもかごに入れたが、安くておおきい380円の腹身ハマチに切り替えた。

他にも切り身5枚の塩秋鮭。

税抜き500円だから一枚が百円である。

これで晩のおかずは十分である。

支払う前に引換券を店員さんに渡して、2枚の500円割引サービス券に換えてもらっていた。

レジに並ぶ買い物客は行列。

何人かの人に続いて清算する。

それから店内外で売っていた乾物関係の品物も漁ってみる。

100円の伊予名産の松山あげに辛子明太子入りしそわかめ。

ご飯のお伴に最適である。

これらを手にして支払おうとしたがキャッシュレジがなくなっていた。

昨年はあったが今年はない。

またもや長いレジ待ち行列に並ぶことになった。

さっきよりは人が増えている。

それがわかっておればいっぺんに済ますのであるのだが・・。

あと一組というレジ順。

前の買い物客が届け状を持ってサービスしてくれと店員さんに詰め寄る。

何か勘違いしているように思えた人。

届け状を見た上司の店員さん。

切取り線の跡があるのを見た。

これは切り離した証拠。

引換券でなければサービスは受けられない。

だだをこねたかどうか知らないが、これでサービスしろというのはゴネしかない。

断るのは当然でしょ、である。

こんなことがあったが、この日の昼ご飯は美味しくいただく。

サーモンは国産だったか覚えてないがとにかくジューシー。

久しぶりに旨さを感じるサーモンの味に感動する。

海鮮巻も美味しい。

ありがたい大紀水産街のみなとのサービスに大満足した。

これまでの大紀水産の味わいを辿ってみよう。

平成24年の年末もあれば、平成25年の1月のお盆や年末の時期を外したときもあったサービス券時代もありがたくいただいた。

サービス券の恩恵はその他の年も多々利用させてもらった。

ちなみに前年の平成27年12月の味わいはこれだ。

で、これ以外に買っていた今夜のおかず。

一つは竹で作った舟に盛った海鮮かき揚げ。

昨今、見かけなくなった竹の舟が懐かしい。

いまどきの器といえば発泡スチロール。

スーパーでは必ずのそれだ。

味気もない発泡スチロールでなく竹の舟。

タコ焼きもこうでなくちゃ美味しさが伝わらない、と思っている。

で、味は・・。

うーん。

唸ってしまう海鮮かき揚げ。

でかさはとてつもない。

これを半分に割ってもなお大きい。

私はいつもウスターソースで食べる。

カラッと揚がった天ぷらは塩胡椒ではなくソースである。

少し垂らして天ぷらが染みたときがもっとも美味い。

かけすぎてもダメだ。駄々辛いソースでは天ぷらの味を損ねる。

適度な量が味わいを増すのであるが、これはびくともしなかった。

問題はそれでなく具材である。

赤い色はエビと思っていたがニンジンだった。

黄色いのはサツマイモ。

それもでっかいのである。

ときおり口に当たるのがイカ。

たぶんにモンゴイカ。

結構な噛み応えのあるイカは満足するが、海鮮の海鮮はイカだけだった。

もう一品は、長崎県産天然はまちお造り用である。

何年か前から正月に肩身のブリを買うことにした。

肩身を背と腹に分離する。

どちらが美味いかといえば断然に腹。

脂がのった腹身の味、食感に満足する。

ハマチは大きくなって脂がのるブリになる。

若干の脂があるハマチは昔から大好物だった。

ところが最近の造りは旨くないのである。

でも、である。

腹身であれば美味しさは確保できると思って生タコをやめてこっちにしたが、失敗だった。

一口、二口は感じなかったが、何切れか食べるうちに臭みを感じるようになった。

ハマチは養殖の方が美味いことに気がついた。

何年か前にそのことに気がついた。

それ以来すっかり忘れていた。

(H28.12. 3 SB932SH撮影)
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山陽マルナカマックスバリュー富雄南店のたまごとじカツ丼

2017年08月30日 09時33分22秒 | あれこれテイクアウト
朝早くから行って来た五ケ谷米谷町の取材。

直会は遠慮して我が家の買い物に急ぐ。

自宅に戻って直ちに出かけたスーパーは車で2分もかからない地にある。

なにかと便利な富雄南のイオンタウン。

ここはいろんな店がある。

電気店に百均店。

眼鏡屋もあれば衣服にDIYも。

この日は前庭植え替えの園芸植物も買った。

買い物はそれだけでなく家庭の食料も、である。

発泡酒が不足すれば買いにいく場合もある。

この日は木曜日。

玉子が安い日である。

それを目当てに出かける山陽マルナカマックスバリュー富雄南店。

午後は急ぎに入って民俗調査。

東山間に向かう前に腹ごしらえ。

すぐに食べられるものと云えば弁当である。

商品棚に書いてあったPOP。

お買い得の弁当は税抜き298円のたまごとじカツ丼。

豚肉は主要原産地がポーランドの三元豚のロース豚カツ。

以前も買ったことはあるように思える。

探してみれば平成26年の12月

開店カ月のお試し買い食いだった。

味は美味い方であったが柔らかさなかったような記憶がある。

で、今回のたまごとじカツ丼はどうだか。

カツは依然と同様の厚さがある。

淡白な味に玉子とじのタレが染みて美味しい。

美味しいと思ったのはどちらかといえば玉子とじのタレである。

とろとろ、ふくよかなとじ方はお好み。

前回に食べたロース豚カツも玉子とじがあったが、堅めである。

美味さがご飯に浸透していない。

浸透していたのはタレである。

タレだけならやや出汁醤油感がある。

ところが今回の玉子とじはふくよかさが根本的に違う。

これの方が勝ったように感じたのは私だけか・・。

(H28.12. 1 SB932SH撮影)
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松尾・H家の正月準備

2017年08月29日 09時31分25秒 | 山添村へ
6日後に行われる家の正月行事を取材させていただくH家に立ち寄る。

今夏のお盆のときにお願いしていた家の正月行事はイタダキサン。

あらためてご挨拶というわけで訪れた。

Hさんはお家の裏山に登って伐りだしの真っ最中だった。

正月の飾り付けに必要な木材は松やシキビにフクラシの木などがある。



松はチンチロが付いたものでないとおさまらない。

フクラシの木は芽出たい木。



正月に飾るのは赤い実がついているものだ。

神社の門松にフクラシを添える地域もあるが、H家では自宅に、である。

豪華で大層な門松ではないが決まりもの。

集まる樹木はセンリョウにユズリハ、ウラジロもある。

ユズリハは代々継ぐという意味は全国的。

センリョウも祝いごと。

フクラシが赤い実ならセンリョウは黄色い実。



お正月の晴れやかになる。

先日に空いた時間を利用して予め作っておいた七、五、三の下がりがある注連縄もある。



輪っか作りの細いワジメ注連縄は23本も作った。



ユズリハ、ウラジロを取り付けて玄関、小屋など家廻りに神棚、仏壇までも飾るだけにそれだけの数が要る。

これらは31日の大晦日に飾り付ける。

お正月の準備を調えてお正月を迎える。

来年もよろしくお願いしますとお声をかけて失礼した。

Hさんから、これ持って帰りと云われてもらった赤と黄色のセンリョウをブルーベリージャムの瓶に飾った。



チンチロの松も添えたら一層、良うなった。

ところで夏のころに聞いていた話しでは息子さん夫婦も来られてイタダキサンをすると聞いていたが、家族旅行が決まったのでそちらで正月を過ごすそうだ。

(H28.12.26 EOS40D撮影)
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下笠間の売りものの角結びカケダイ

2017年08月28日 09時45分14秒 | 民俗あれこれ(売る編)
当月の1月に下ごしらえをしてベランダ干し。

日にちも経っていたからカラカラに乾いていたカケダイ。

それからの寒風に晒してさらにカラカラ干し。

年末近くになれば売り物にするための角結びをすると聞いて再訪した。

カケダイを作って売り出すお店は宇陀市室生下笠間の宮崎商店。

同商店でカケダイを作って販売していると知ったのは、この年に行われた虫送りの日だった。

入店したお店の神棚に吊るしてあったカケダイを見て驚いたものだった。

作るところ、干すところなどの作業場面を記録させていただきたいと取材をお願いしていた。

同商店をはじめて知ったのはそれよりもずっと前。

平成17年の6月16日だった。

虫送り行事のことについて情報を得たく入店したお店であった。

玄関ドアガラスに何かしかの印があったが、気にもとめなかったのでそれが何だったのか、まったく記憶にない。

朧気ながら脳裏にあるのはお札だったような気がする。

それから県内各地でさまざまな民俗行事を取材するようになってからはお札が目に入ればついつい写真に記録する癖がついた。

商店に着いたときのご主人は畑から引いてきたダイコンを洗っていた。

3本とも見事な形に育ったダイコン。

悩ましい姿のダイコン足だけではなく、仏手のように見えるダイコンもある。

見ていて飽きないダイコンの姿に思わずシャッターを押す。

作業する場はベランダ下にある小屋である。

案内されるご夫婦についていく途中に拝見した干し物。



皮を剥いて半割りした種付きの柿である。

渋柿もこうしておけば美味しくなる。



隣の籠は熟しの柿に蜜柑。



家でできたこれらは家で食べるもん。

商売には出していない。

売り物にしているのは階下の作業場にある棒ダラである。



何日間も水に浸していた棒ダラである。

今年は5尾を買って製品化している。

お客さんに売るものもあるが、我が家の正月に食べるものもある。

カラカラ状態の棒ダラを購入したら、とにかく水溜めに漬け込んでもどす。



棒ダラは炊き方が難しいという。

一日たっぷり時間をかけて炊く。

味付けは本だしにコブ(昆布)を使う。

箸で突っついて柔らかくなってから味付けする。

棒ダラの仕入れ先は奈良県中央卸売市場。

北海道で捕れたタラは11月ころにここで乾燥させる。

タラは10本、11本、12本入りで売っている。

近頃は棒ダラも高くなった。

だいたいが半身で買う。

上等もんであれば半身で8千円。

一尾であれば1万3千円にもなるという。

棒ダラは家で炊いてコブ(昆布)巻きにする。

10cmぐらいの長さに切って昆布を巻いて作る個数は100個。

棒ダラとカズノコさえあれば正月三日間を暮らせるとご主人はいう。

正月用に作る一品はもう一つある。

魚のエイである。

これもまた卸売市場から仕入れる。

その量は50kgにもなる。

仕入れたエイの内臓を取る。

タワシでこすって取り除いた内臓部を綺麗にする。

昔はそうしていたが、今は内臓処理をしたものを入手しているという。

エイを食べるのは正月。

煮凝りも欲しいから作る。

この煮凝りがたまらなく好きなお客さんもおれば、アツアツご飯にのせて食べたらとても美味しいという人も。

そういう人にも応えてあげたいから毎年作ってきた。

昔は匂いがキツく臭かった。

いわゆるアンモニア臭である。

ヌルヌルしているエイは塩を塗して揉む。

よく揉んでヌルヌルを取る。

そして水洗い。

それから甘辛く味付けして鍋で炊く。

甘辛いではあるが、どっちかといえば辛いエイの味。

調理されたエイはお店で販売する。

そのような正月用の調理商品作りを交えながら作業をされるご主人。



ベランダで干していたカケダイを降ろす。

カケダイは2尾で1セット。

この1セットを「ひとかけ」と呼ぶ。

売るときもそうだが、「ひとかけ」と云えば2尾の1セットである。

以前は竹の竿を水平に立てた「ハサ」に干していた。

イヌワラをエラから口へ通してツノムスビ(角結び)。

ツノムスビにすれば藁縄は緩まない。

「わしらはどこでも、いつでもツノムスビや」という。正月飾りの門松はオン松(雄松)とメン松(雌松)揃って一式。

門松を立てる心棒に杭を打ち込んで松を固定する。

そのときもツノムスビをしているという。

だいたいが12月28日にしている門松飾り。

ご近所のⅠさんは注連縄を作る。

御幣はご主人と決まっているようだ。

「こんな結びは若いもんはできんやろな」という。

そのⅠさんの家にあったのがカケダイだった。

拝見したのは平成22年1月4日である。

見て撮ってくれてかまわんよと云われて撮らせてもらった。

丁度そのころの28日、29日にお客さんがカケダイを買いにくる。

の有無確認に電話がしょっちゅう鳴る。

まだか、まだか、と催促する人もいるらしい。

カケダイにする魚は真鯛だった。

それは昔の話し。

今はニュージーランド産の冷凍レンコダイ。

11月のかかりに仕入れた。

エラを抜き取って内臓も取る。

塩を内蔵に詰め込んで漬物樽に漬け込む。

樽底に置いて並べる。

塩もして置いて並べる。

何層にもなったという塩漬けである。

10日ほど経てば水が湧いてくる。

湧いた水はほかして樽に移す。

その樽でもう一度塩漬けにする。

その場合のカケダイの置き方は表面から裏面に替える。

つまりは両面とも塩漬けするようなものだが、実は出してみればわかるのだが、塩漬けしていた裏面はまだ赤身状態なのだ。

干す前の作業もずいぶんと手間をかけていたことを知るのである。

表も裏も塩漬けしてようやく樽から出す。

それから干す作業に入る。

干す日に冷たい風がないとなかなかできない。

寒いだけではできない。

風が吹かないとカケダイができあがらないのである。

カケダイにツノムスビ(角結び)をする縄は市販のロープである。

その縄をエラから口に通すのであるが、なかなか上手いこと通らない。

そこで登場するのが竹で作った通しの道具である。



節目がある先端は先を尖らす。

手で押し込む側は二つに割っている。

割った部分にロープの先を挟む。



挟んだロープが外れないように指で割いた竹を抑えながら通す。

かつては竹でなく金属製のハサンバリだった。

炭焼きの道具にそれがあったらしい。

金属製よりも竹製の方が柔らかいから手に馴染む。

1尾に通したロープの長さをとる。

ツノムスビができる長さに合わせて鋏を入れて切る。

もう1尾のカケダイにもロープを通す。

同じようにエラから口へと通して腹合わせ。



ロープの位置を調整してモチワラを取り出す。

2尾のエラの中に食い込むように揃える。



親父さんもこうしていたが、なぜにそうするのか聞いていない。

型崩れを防止しているのか、それとも飾りなのか・・・わからないまま続けているという。

モチワラ挟みが済めば、本格的にツノムスビをする。



カケダイに回すようにロープを締める。

ぐっと締め付ける。



一方のロープは逆に回して二本のロープを綺麗に揃える。

ぐっと締めて弧を描くようにロープを回す。



さらに締めてもう一本をくるりと回して締める。

結び目ができてさらにぐっと締めつける。



ロープの端をもって、これもまた円を描くようにロープ締め。

言葉ではなかなか説明し難いツノムスビである。



注連縄もカケダイもツノムスビも、本来ならモチワラである。

モチワラは茎が長いし、粘りもあって結いやすいといいながら作業を進める。

余った端っこは鋏で切る。

これでできあがりだが、最後にエラ挟みのモチワラを切る。



2尾のエラを中心にはみ出たモチワラを切る。

ほど良い長さがバランスをとる。

今までみたなかではどうやらカケダイの端から少しでるくらいが丁度いいように思える。

昔は40カケ(ひとかけの40倍分)も作っていた。

それだけ需要があったということだ。

どこの家でもそうだが、長年続けてこられた家の風習も先代がいなくなれば代を継ぐことは稀である。

今年は8カケになってしまったという。

山添村岩屋に住んでいたFさんもカケダイを作っていたという。

同じように竹を割ってエラ通しをしていたそうだが、竹割りは半割りか四つ割りだった。

Fさんが作っていたもっと大きなカケダイだったが、鯛ではなかったようだ。

それは食べるカケダイ。

カラカラに干したカケダイは下笠間のⅠ家のように恵比寿・大黒さんに供えるものだが、食べる場合は5月のモミマキのころ。

一尾のカケダイを水出しする。

時間をかけて塩漬けしたカケダイの塩分除去。

きっちり塩抜きして食べていた。

今では食べることもなくなってきたからレンコダイも小さくしたようだ。

(H28.12.26 EOS40D撮影)
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地域の夜回り警備

2017年08月27日 08時47分47秒 | 民俗あれこれ(消防編)
拍子木打って、「火の用心、マッチ一本火事のもと。焼き肉焼いても家焼くな・・・」はない、と思うが・・・。

ところで「火の用心」の詞は江戸時代。

享保元年(1716)の「岩淵夜話」に「一筆申す 火の用心 おせん痩さすな 馬肥やせ かしく」があるようだ。

地元の夜警情景の記録をしたいと思っていたが、当日は風雨厳しく中断されたようだ。

「火の用心、カチカチ・・・」の声も聞こえてこなかった夜であった。

その夜の前日である。



立ち寄った墓地に「火の用心」の立札があった。

ローソク、線香の消し忘れを喚起しているのか、それとも不審火・・・を喚起しているのだろうか。

いずれにしても火事は怖い。

この年の12月22日に発生した新潟県糸魚川市で発生した大規模火災。

ラーメン屋店主の火の不始末。

中華鍋に具材を入れて、コンロに火を点けたまま店を離れた。

離れてからどれぐらいで出火したのか存知しないが・・。

鍋でもフライパンであっても、またお風呂の空焚きであっても時間が経過するとともに発火する。

そういった実験は注意喚起のためにもテレビで放映することがある。

昔、昔のことだが、我が家でもおばあさんが鍋を焦がしたことがある。

焦がすだけであったのが幸いだ。

私が子どものころだったから、随分前のことであるが、そのときに教わったことが「火は怖い」である。

奈良県立民俗博物館で写真展を開催された。

今年のテーマは「住」である。

私が出展したテーマ作品は「火廼要慎(ひのようじん)」。

3枚組で発表した。

住まいする建物が焼けてしまったらすべてが消える。

金では買えない大切なものがいっぱい消える。

火事になるより泥棒に入られるほうがマシだと云う人もおられるようだが・・・。

火災保険に入っていて何らかの保障はあるが、これまで生活してきたものは戻らない。

火事は怖い。

一軒の不始末によって起こされる類焼、延焼に手の打ちようがない。

「マッチ一本・・火事のもと・・」、カチカチ。

(H28.12.24 SB932SH撮影)
(H28.12.26 SB932SH撮影)
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初の顔合わせ宴に鉄板焼きの梅の家

2017年08月26日 09時26分30秒 | メモしとこっ!
創業は50年前になるらしいお好み焼き・鉄板焼きがある。

お店の名前は梅の家

奈良市内でも老舗になるらしいお店は奈良市法蓮町にある。

なみんけん」の初顔合わせでもあった打合せにシモケシではないがどぶろくをいただいて意気揚々と入店した梅の家。



ここまで心臓リハビリを兼ねて自宅から徒歩で来た。

もっともここ法蓮町まで徒歩でいけるわけもなく途中は近鉄電車利用だ。

我が家を出て近鉄九条駅までの距離は1.7km。

これにかかる時間はまあまあ。

なぜか30分以上もかかってしまった。

急げば呼吸が乱れる。

ドクドクする脈は計測すればたいしたことはないと思うが・・。

駅から電車を乗り継いで近鉄奈良駅まで。

そこから夜の宴に利用する食事処までは1.7km。

これもまたまあまあの距離であるが、心臓が軽やかに動いているのかしんどさは感じない。

感じないが速度は遅い。

この間に歩いた歩数は1420+3002歩=4422歩。

それはともかく今夜の宴はコース料理らしい。

単品も充実しているが、なにがなになのか覚えられずじまい。

頼まれたコースは知らないが、会費は一人頭で4千円。

梅の家のコースは上から一人前6千円のフイレ鉄板ボリュームコース。

次がミデイアムコースの5千円。

その下にあるサーロイン鉄板コースで4千円。

さらにくだって3千5百円のローススライスコース。

いずれも酒代はそこに入っていないから、単品の組み合わせで注文したのであろう。

これはピン甘ケータイ撮りの画像。



大きくぶつ切りしたコンニャクに豆腐とともにお肉で焼いたもの。

刻みネギがパラパラあるから、商品名はどうやらネギすじこん玉。

お値段は900円。

今夜の宴は4人ぐらいで食べるようだ。

お味は、ま、旨い。

次に配膳されたのはなんかの焼き肉に切れ目を入れたイカ。



モヤシとキャベツ盛りに載せてでてきた。

実は宴の会場で焼いているわけではなく、店内で調理された料理が宴の鉄板に運ばれるのだが、商品名がわからない。

これに海老、ホタテにブタとかあれば梅の家焼きだが、肉とイカだけならデラックスかな。

で、あれば千円。

肉肉しいほど肉の味が前面に飛び出す。

イカはまま旨い。

またもや運ばれた商品。

なんと鉄板プレートごと運ばれた。



串に挿しているからバーベキューかな。

串挿しではない横並び一列の丸いのはホタテでもなく厚めに切ったナガイモのスライス切りであろうか。

手前の串に挿しているのは鶏肉、豚肉、ホタテに太ネギなのであろうか。

商品名はさっぱりわからんが、旨い。

最後に登場した商品は見た目でわかるお好み焼きと焼きそば。



どちらも豚肉が入っていたような・・・。

で、あればどちらも6百円。

ビールはたっぷりいただいた宴にカンパイ。

宴も終わって解散。

帰りもとぼとぼ歩きで近鉄奈良駅まで。

西大寺駅で乗り換えて九条駅で降りたら自宅までの1.8kmの歩き。

帰り合計の万歩計は1414+2865歩=4279歩。

行き帰りの総計は8701歩。

携帯電話の万歩計が示す総距離は5.8km。

歩行時間はなんとなんとの1時間30分であった。

(H28.12.25 SB932SH撮影)
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北大河原本郷のコンニャク作り

2017年08月25日 09時29分32秒 | もっと遠くへ(京都編)
南山城村北大河原・本郷の山の神が行われたのは今月の12月10日だった。

子どもたちが村の各戸を巡ってお米代集め。

何十軒も巡っているなかのお家にコンニャクを成形する木製の型枠があった。

そのお家のご婦人はそこにできたてのコンニャクを入れて作ると云っていた。

よろしければ作り方を学びたく、取材させてもらえないかその場でお願いしたら承諾してくださった。

コンニャク作りは地元の婦人たちが何人か集まって作る。

コンニャク作り場は京都府相楽郡南山城村北大河原本郷にある本郷コミュニテイーセンター内の調理場である。

この日に集まった婦人たちは元婦人会OBの老人会メンバーになるそうだ。

仲の良い数人が集まった有志の人たちである。

有志婦人は“大人もワクワク体験事業「手作りコンニャク教室」を開いている。

教室の案内に材料と作り方を書いている。

材料は成形の型枠台一枚で作るコンニャク枚数が12個分の量が書いてある。

蒟蒻玉(芋)を煮て皮を剥いた中身の重さは1kg。

人肌ぬるま湯は芋の3倍の3リットルに粉の炭酸ソーダが大さじ3杯の16g。

これはぬるま湯1カップで溶く。

ここに注意書きがある。

薬(炭酸ソーダの他)によって量(重さ)が違うので購入するときは薬局に尋ねる。

蒟蒻芋1kgに対して石灰なら大さじ15杯。

結晶の炭酸ナトリウムなら大さじ1杯だ。

他にも無水炭酸ソーダなどいろいろ使われる、というから会でどの薬を使うか選択しなくてはならない。

作り方のはじめは蒟蒻芋を綺麗に洗って、皮のまま煮る。

ちなみに蒟蒻芋は3年もの。

Kさんがタネイモから育てた蒟蒻玉。

畑で作った自家栽培の蒟蒻芋である。

タネイモの大きさによって2年でコンニャク作りに適する場合もあるらしい。

また、自家栽培だけにデキ不出来によっては店屋で調達するときもあるようだ。

次に煮あがった蒟蒻芋の皮を剥くが、丸々の形で剥くのではなく、半切り状態にしてから皮を剥く。

茹でた蒟蒻芋はさいの目切りして袋詰め。

量を計って1kg単位に用意した袋に詰めておく。

皮剥きは前日までに分量を量って用意しておく。

1kgにならない場合は、重さを計って、その量に応じた炭酸ソーダ・湯量を計算して作る、というから、目分量ではコンニャクにならんらしく、計量が大切なことがここでわかる。

教室の作り方資料に手を加えて以下の順に作り方を記しておく。



茹でて皮を剥いた蒟蒻芋を潰すにはミキサーを使う。

3リッターの人肌ぬるま湯を鍋にかけておく。

さいの目切りの蒟蒻芋をミキサーに入れてぬるま湯を注ぐ。

蒟蒻芋が潰れてぐちゅぐちゅになるよう、ミキサーにかける。

潰れた蒟蒻芋はドロドロ。

これを大きめのボウルに移す。

完全な潰れでないほうが良いようだ。

手造りコンニャクの食感はここで決まるような感じがする。

噛み応え、舌触りにコンニャク本来の味がここで決まる。



はじめはヘラなどの道具でかき混ぜる。

ボウルは金属でなくてもプラスチックでも構わない。

混ぜても飛び出さないような大きさを選ぶ。



ボウルに入れたドロドロ芋を手で練る。

練り方は人それぞれ。

手ですくように手前に引いてぐっと前に圧す。

そんな感じのように見えたこね作業は力が要る。

力を込めて混ぜて、混ぜて・・・。

その速度は決して遅くない。

見た目以上に素早い作業である。

ぐっと押し出すには手のひらの付け根部分だ。

資料にはこねているドロドロ芋が容器(ボウル)から離れるようになるまで、しっかりとこねるとある。

また、よくこねると、きめの細かいコンニャクができるとあるが・・・。



ほぼできあがった状態になれば、炭酸ソーダなどの薬(今回は石灰)を計量した水で溶く。

お椀に溶いた石灰水は白濁。



スプ-ンで量を調節しながらこねたコンニャクにトロトロ落として混ぜる。

まんべんなく混ぜてダマにならないようにしっかりとこねる。

そうすることで、こねた蒟蒻は時間が経つにつれ凝固していく。

成形の型枠はコンニャクを入れる前に水に濡らしておく。

こうしておかないと型枠からコンニャクを外しにくくなる。

ボウルのコンニャクを型枠に落とし込んで手で広げる。



こねたコンニャクは凝固が進む。

柔らかいうちに手で型枠いっぱいに詰め込むように力を入れて広げる。

この場合は水を一切使ってはならない。

水分がコンニャクの隙間に混ざってしまうからだ。

手のひらで広げるように伸ばして、伸ばして・・。

ときには力を込めて平手でぺったん、ぺったん。

空気を抜くための作業の音はぺったん、ぺったん。動作が早ければパタ、パタ音だ。



特に気にしなくてはならない箇所は型枠の角の四隅。

隅に隙間ができないよう、念入りに詰め込む。

型枠すりきれまで、滑らかになるよう平らにする。

そこまで詰めたら表面を水で濡らして整える。

ここまでくれば一安心。

しばらくすればこねたコンニャクが凝固状態になる。

固まり具合を確かめて包丁を入れる。

包丁道具はOさん自前の手作り。

薄めの金属片を手で持てるように木片を嵌めている。

その包丁で筋目をつける。



コンニャクは柔らかいが、先につけるのは筋目。

型枠には12枚切りになるよう縦横それぞれの枠に溝を切っている。

型枠の大きさは横幅が75cm。

縦が20cm。

溝切りしたコンニャクの長さは10.5cm。

溝切りの印しは2種理。

「×」印は6切り。

「|」印の数は5である。

今回は一枚で12枚作ったから「|」印を採用したそうだ。

なお、厚さを計ってみれば3cmだった。

2種類の分離印があるから定型のコンニャクに揃えることができる。

30cm程度の木片に当てて包丁でやや深めの筋目をつける。

長めの包丁で横一直線。

そして縦線も入れる。



そして斜め角度に立てて、押し込むように切る。

ずばっとではなく、包丁の長さで切っていく。

すべてが分離できたら型枠の底に入るように包丁を入れてすくうような感じで取り上げる。



取り上げるコンニャクの大きさよりも包丁が大きいわけがここでわかった。

型枠から剥がしにくいこともある。

その場合はそこにヘラでも当てて取り外す。

12枚切りができたら沸騰した湯が入っている大鍋につけて茹でる。

茹で時間は30分。

しっかりとした凝固状態こするには30分の茹で時間が要る。

多少の差はあったとしてもざっと30分。

投入したときの時計を覚えていないと30分経ったかどうかわからなくなる。



これ、もうできているかな、といえば、あのとき時計の針はあそこやったから大丈夫や、と云って大鍋から引き上げた。

こうしてできあがったコンニャクは水に浸けて冷ます。



勢いよく出る水は蛇口を開けたままだ。

こうしておかないと熱いコンニャクは冷めない。



時間は決まっていないが、コンニャクが冷たくなるまで水に浸しておく。

できあがったコンニャクは家から持ってきたバケツに移して完成だ。

段取りが良いから昼過ぎに作業を終えた。

今回使用した原材料の蒟蒻玉は14個。

皮の分量も考えて少し多いめに準備したという。

手間をかけて作ったコンニャク。

「ぎょうさん作りはったけど、早く食べないと、あきませんね」と云えば、「保存さえ上手くしておけば日持ちします」とのことだ。

コンニャクの保存はバケツのままで構わない。

家の軒下に置いて冷たい水に浸けておく。

ときおり新しい水に入れ替える。

そうして繰り返しておけば正月料理になる。

今夜は造りにして食べるという婦人たちにお礼を述べて引き上げた。

取材を終えたご婦人たちから作りたてのコンニャクをいただいた。

一枚は今夜の我が家のおかずの一品。

いただくのは当初通りのコンニャクのお造り。

今夜に喰うから「コンニャク」が訛って「コンヤク」。

つまりは洒落の「今夜に喰う」である。

手造りのコンニャクは洒落ではなく、とにかく旨い。

我が家は辛子味噌が定番。

かーさんが手造りした辛子味噌をたっぷりつけていただく。

あれぇ、どことなくこれまで食べた手造りコンニャクとちと違う。

さらっとしているし、味も甘く感じる。

コンニャクは独特の匂いがするが、これは作っているときからはまったく嫌みがない香りが漂っていた。

調理場を一旦離れて再び入ったときの香りに心が穏やかになるような香りだった。

コンニャクの味もそういう感じである。

手造り特有のザラツキ感は少ないが、歯ごたえがある。

噛み応えがあると云ったほうが良いのかもしれない。

とにかく箸が止まらない辛子味噌でいただくコンニャクの造り。

調理場で作業していた婦人が云った。

造りは山葵だよねと・・。

その言葉を思い出して我が家もそうした。

残り1/3になったところで食べる山葵醤油。

旨いと思わず声が漏れた。

最初から山葵醤油であったなら旨さに気がつかない。

そう、思うのである。

辛子酢味噌に慣れた口をより一層に引き立てた山葵醤油にバンザイする。

朝になってふと思った。

辛子だけならどんな味になるだろうか、である。

(H28.12.23 EOS40D撮影)
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米谷町のくるみ餅

2017年08月24日 09時06分12秒 | 奈良市(旧五ケ谷村)へ
本来であれば、だいたいが12月22日にしている奈良市米谷町のイノコのくるみ餅。

前夜までに作っておくクルミモチは前日ぐらいに村神主が家で作る。

昔は石臼で青豆を挽いた。

作業がたいへんなので、この年は東北地方で名高い「ずんだ豆」を特別に注文して取り寄せた。

家に器械で搗いたモチをずんだ豆で包む。

包む前にしなければならないのがモチのオーブン焼き。

若干の焦げ目をつけるということである。

ミキサーで挽いたずんだ豆であってもクルミモチ。

包むようにするからクルミモチ。

砂糖を塗して少しは甘めにという作り方にする。

事前に立ち寄った村神主の奥さんがそう云っていた。

参考までに県内事例に亥の子のクルミモチを見かけることは多いが、たいがいが東山中である。

奈良市米谷町の白山比咩神社行事に宮座十一人衆が参集する座の四大行事がある。

2月22日の田楽飯、5月から6月にかけての筍飯、10月の松茸飯、12月22日のくるみ餅である。

安政六年に記された『宮本定式之事』によればくるみ餅の座行事は「例年霜月廿二日 算用ノ会一会なり 宮藪年貢才四郎より常の京舛に七升五合請取 その外ニ宮本よりつねのますニ壱升五合たし合九升拾壱人の飯代に神主江渡へし以上」とあることから、一年間を締めくくる決算日でもあった。

めいめいがいつもの通りに本社殿に向かって拝礼。

チンジサンの名で呼ばれている鎮守社に神武天皇遥拝所を参拝して参籠所に籠る。

くるみ餅座を始めるにあたって村神主が挨拶をされる。



座行事を手伝う佐多人(助侈人とも)は上座からの順にお神酒を注いでいく。

村神主から見て左の席についた一老、次に右の席の座中順に沿って注いでいく。

そして乾杯の音頭が発声されてお神酒をいただく。



各席にはパック詰め料理の膳が配られているが、座にパック膳以外の生蛸の造り、サバのキズシや三種盛りの漬物皿もある。



パック膳は給仕する佐多人にもあるが、給仕に忙しく、席につく時間もとれない。



ゆっくり食べることもできない座の給仕に務めていた。

炊事場ではモチ焼き器が稼動する。

モチ焼き器はオーブン。

前日に搗いた白餅は器械搗き。



真っ白な餅をオーブンに入れて数分間。

焦げ目をつける目的のオーブン焼きである。



焦げ目がついたところで停止して大鍋で炊いていたずんだ豆に漬け込んでできあがり。

できたてのクルミモチは早速、座に運ばれる。

はじめに1個のクルミモチ。



あまりの美味しさにおかわりを注文する座中も多い。

2回目は2個にしてくれと要望されるほどに美味しい。

一口食べてくださいと村神主の奥さんから云われて口にしたずんだ豆のクルミモチの味はとても旨い。



甘くて美味しいクルミモチはとろける味。

ずんだ豆だけに、食感は少しザラっとしているが、大鍋で炊きなおしたから豆も溶けるような感じであった。

なお、座の〆にハマグリの貝汁があったことを付記しておく。

(H28.12.20 EOS40D撮影)
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木津川市山城町綺田の砂撒き民俗採訪

2017年08月23日 08時55分44秒 | もっと遠くへ(京都編)
昼食を済ませた午後の時間帯も砂撒きの調査である。

一カ所目の調査地は昼食を摂ったよし家がある木津川市山城町の綺田(かばた)。

アテはないが、集落付近にいる人を探してみる。

小字垣内はどこであるのかわからないが、車道に沿って自転車を押している婦人がいた。

高齢なのでもしかとすればご存じかもと声をかけたが答えはなかった。

後に調べてみればそこは小字北村か平後のようだ。

そこから北に少し出る。

畑で農作業されていた男性がいる。

その人の話しによれば砂撒きは魔除けだという。

上の高倉神社の氏子であると云った男性は、ここは上(かみ)と下(しも)があり、下の神社は綺原神社になるそうだ。

上と下は仲たがい。

8月1日は下に八朔行事があり、龍の尻尾にあたる地。

そこは頭の方になる西の方角の狛田。

木津川を越えるのか、越えないのか。

判然とせず行き詰まり。

小字柏谷在住の男性が上の高倉神社の方角を指さしてくれた。

車で向かう道は西へまっすぐだ。



着いた上の高倉神社に参拝したら境内を清掃している男性がいた。

お声をかけると高倉神社元七人衆のMさん。

砂撒きの件を尋ねたら、以前はしていたそうだ。

正月前に砂はジグザグに撒いていた。

撒いていた川の砂が採れなくなった。

道もアスファルト舗装になった。

若い人はいやがるが、正月、神社に参るときに欠かせない砂の道であるが、年寄りはけつまずくとかの意見があっていつしか廃れて、しなくなったが12月31日の大晦日は大勢の参拝者がお参りにくる。

綺田の村戸数はおよそ70戸。

全戸がモチゴメで作ったオカガミ(鏡餅)をもってきて供える。

これをオカガミ料という。

お供えする時間帯はおよそであるが、朝から昼ころにかけてだ。

夜の9時ともなれば参拝者振る舞いの年越し鏡割り酒がでる。

鏡割りしたお酒は枡酒に注がれていただく。

翌日は元旦。

その日にお参りする氏子は「トシダマ」と呼んでいるそうだ。

また、12月13日はコトハジメ。

御幣はその日にするという。

そう話すMさんは神社の村神主や村総代も務めた人。

宮守は十人衆。

一年ずつ繰り上がって6年目に村神主を務めるそうだから、実際は七人衆であるかもしれない。

そう話してくれたMさんの肩書は桃山陵墓監区似仁王墓陵墓守部(しゅぶ)。

つまりはれっきとした宮内庁より委嘱された職員である。

以仁王(もちひとおう)は平安時代末期の後白河天皇の第三皇子。

高倉神社に祀られており、後世の村の人が神社境内に葬ったとされる。

清掃されていたのは王墓の方だったのだ。

Mさんは代々続く守部。

つまりは王墓の墓守である。

Mさんは3代目。

12月23日は宮内庁職員が巡回にくる。

京都府京田辺市薪里ノ内の酬恩庵一休寺に来て京都府相楽郡和束町王墓参拝後に綺田にやってこられる「以仁王(もちひとおう)墓」の巡拝。

その際、王墓の南方にある筒井浄妙塚(墓とも)にも参られるそうだ。



筒井浄妙塚は以仁王墓の倍塚。

両墓とも宮内庁の監理である。

ちなみに筒井浄妙は似仁王が挙兵した際に、王側についた僧兵。

平家方を討ち取ったとされる。

その浄妙塚に7月1日に参拝される行事があるらしい。

京都の祇園社とどのような関係にあるのか判然としないが、なんでも祇園祭りの関係者が浄妙塚に参詣されるようだ。

浄妙塚に参ってから高倉神社の参詣になるようだ。

機会があれば、是非とも取材してみたい一件であるが、宮内庁の取材許可はどうすればいいのだろうか。

(H28.12.18 EOS40D撮影)
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上狛の砂撒きの民俗採訪

2017年08月22日 09時28分57秒 | もっと遠くへ(京都編)
砂撒き調査に同行していた写真家のKさんが持っていた調査報告資料がある。

それによれば京都府の南部地域に地区の数軒で砂撒きをしていた報告である。

今でもそのような習俗は行われているのか、もし、あればどこのお家なのか、それを確かめにきた木津川市山城町の上狛。

上狛といえば、退院直後に訪れた京都府立山城郷土資料館である。

その当時の企画展は「踊る!南山城-おかげ踊り・花踊り・精霊踊り-」

中でも印象的だったのが、上狛で行われてきたお盆のときに行われる精霊(しょうらい)踊りである。

地区の自治会ごとに集まる集団は揃って新盆の家の庭(たぶんにカド)で躍る。

上狛の精霊踊りの展示は人形さんに着せていた、ひときわ目立つ白装束だった。

拝見したときの文字記録はこう書いていた。

「上狛は環濠集落。精霊踊りはナモデ踊り、ジンヤク踊りがあるようだ。8月14日、新盆のタナマツリは地区の人たちが新盆の家を訪問して供養の踊りを披露する精霊踊りをする。家中に入ることなくカドで躍るように思えた。振りは小さいが、次の新盆家に向かう道中でも躍っている映像があった。上狛は泉、野日代(のびだい)、小仲小路(こなしょうじ)、五つ郷(角・城・御堂・磯・殿前垣内?か)、林からなる。かつては隣村椿井の椿井南、椿井北、神童子(じんどうじ)、北河原や平尾の北平尾、東平尾、大平尾および鹿背山にもあった精霊踊り。神童子、椿井は大正期、上狛は昭和21年、平尾は昭和28年に発生した南山城水害を最後に途絶えた。ただ五つ郷だけは踊りを復活されて現在に至っている。当時の精霊踊りは踊り子のカンコ打ち、シンボウ打ち、音頭取り、太鼓打ち、鉦叩き、シカ持ち、ガワなどで構成されていたが、奈良県内でみられる念仏は踊りでもなく六斎鉦を打ちならし念仏を唱える様式だ。違いがあることが判った上狛の精霊踊り。できる限り拝見したいものだ。」である。

精霊踊りを取材するには代表者にお会いしてからと思っていたが、どこにお住まいなのか、手がかりはまったくなかった。

そのような思いをもって訪れた上狛の中心部を走る。

ここら辺りでどなたか、と思ったところに男性が現われた。

とにかく尋ねてみなければと思ってお声をかけさせてもらう。

砂撒きの現況を話してくださる男性は木津川市山城町上狛乾町在住京都府文化財保護指導員だった。

なんと、なんとの奇遇に京都府立山城郷土資料館もよく出かけているという。

で、あればA学芸員は・・と、聞けばずいぶんと世話になり、地元上狛の精霊踊りも調査されたというのだ。

ここで民俗を共有するAさんにお会いするとはまったくの奇遇である。

Aさんは精霊踊保存会の副会長も務めておられる。

来夏の行事取材をお願いしたのは言うまでもない。

8月14日は巡行がある。

五つの踊りはあるが、今では数曲になってしまったそうだ。

踊り子は聞き間違いでなければ老人会。

で、ここ上狛へ来た目的の砂撒きである。

実は数年前まではA家も砂撒きをしていたというのだ。

砂は川に出かけて採取したもの。

奇麗な砂だった。

12個の丸い円を描くように砂を撒く。

12個というのは12カ月。

一年を無事に過ごせますように、という願いである。

その砂撒きは歳神さんが通る道やと云っていた。

元旦は開けるときに呪文を唱えるらしい。

「ハキゾメ」の名がある習俗があった。

家の玄関を開けて箒で掃く。

掃いて家に迎える歳神さん。

話しの状況から山添村菅生で行われている「フクマル」の「フク(福)」を迎える在り方と同じようなものだと思った。

藁で眼鏡の形のような丸い形の注連縄を結っていた。

結うのは作業場だった。

町からお札のような絵の門松が配られていたが、今はしていない。

親父さんがまだ生きていた生前のころは砂を家のカドニワに撒いていたが、20年ほど前にやめた。

そのわけは家の新築。

新築することによってカドニワの形態が砂撒きに相応しくなくなりやめた、というA家には東大寺に関係する古文書があるという。

時代年は1580年らしく、その年であれば和暦でいうと天正八年。

いつかは拝見したいものだ。

こうした話題を提供してくださったAさん。

今でも砂撒きをしている家を紹介してくださった。

道筋を教えてもらって県道に出る。



そこから見る景観はわかりやすい環濠集落。

濠のすぐ傍に建つ農小屋に風情に感動してシャッターを押す。

教えてくださったO家はすぐにわかったが、生憎の不在。

諦めて付近を歩いてみる。

しばらく歩けば干しものをしている家があった。

撮らせてもらうには許可が要るだろうと思って呼び鈴を押す。

家から出てこられた婦人に許可取りの干しもの。



竹製のザルに干していたのは赤トウガラシ。

白い方はワリボシだという。

ワリボシはカラカラに乾いているが、原材料はダイコンである。

ワリボシダイコンはこうして干していると紹介してくれたのがこういう状態である。

まるで生きたイカの足のように見えるワリボシダイコン。

ハンガー利用で干しているのがなんとも愛嬌を感じる。



干したばかりの状態も見せてくださるO婦人の話しに浮かれて、これもまたシャッターを押す。

ダイコンは四角い状態に切断する。

それは端っこを残して簾型のように包丁で切る。

切ったときはそれほど感動的ではないが、時間が経つにつれて乾燥する。

乾燥すればチリチリになる。



それがまるでイカかタコの足のように見えた。

平成29年3月18日に放映されたNHK番組の「ええこと選」がある。

その日の特集地域は「豊岡 いいもの作っています」だった。

豊岡といえばコウノトリで名高い兵庫県の豊岡市。

市内を巡る出演者の一人が気づいた軒下に干した白い物体。

その家の婦人が云うには、それは「タコ足」。

薄めに短冊切りにしたダイコンはほぼ四辺形。

それを五つ、六つに細く切る。それはまるでタコの足のようにぶら下がっていた。

そうしておけば早く乾くと話していた。

で、なぜに「ワリボシ」なのか。

これもまた教えてくださった婦人の話しによれば、短冊切りは割り箸の細さできるからだという。

割り箸の細さで切ったダイコンを干す。

略して「割り干し」である。

ちなみにキリボシダイコンは端っこを残さない細きり。

切って干すからキリボシダイコンというわけだ。

また、ダイコンをオロシガネで細切りにするのは「ダイコンをつく」というそうだ。

豊岡市内から離れる奥深い集落で見つけた干しものは、この日にたまたま訪れた上狛のお家も同じように干していた。

ザルを吊るして干していたのは赤トウガラシ。



一面、真っ赤に染まった赤トウガラシが美しい。

手前にあるのはオタフク豆だろうか、聞きそびれていた。

ちなみに干しものを見せてくれたO家もかつては砂撒きをしていたという。

O家の砂撒きの形は梯子状。

線路の形というか、中央に井桁の梯子を描いて、その両端に月の数の丸い形に砂を撒く。

それに加えて「おめでとう」の文字に象った砂も撒いていたそうだ。

ちなみにO婦人が教えてくれたすぐ近くの家も砂撒きをしているようだ。

その家はH家。

婦人の話しによれば宇治城陽の砂を使っているようだという。

そのお家も訪ねてみたが不在であった。

(H28.12.18 EOS40D撮影)
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