マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

箸中のシシ肉はご馳走肉

2019年12月31日 07時22分38秒 | もらいもの・おくりもの
急な雨降りによって時間帯を繰り上げた箸中のコンピラサン行事は拝見できなかったが、そのすぐ近くにある家に訪れたい。

その目的もあったから箸中にやってきた。

訪問先は昨年の7月に行われた箸中のノグチサン行事を撮らせてもらった当家のK家である。

訪ねた家に婦人がおられた。

ノグチサンの当家を務めた孫さんの祖母にあたる人だ。

1年前に撮らせてもらった写真は38枚。

いずれも2L判にプリントしたもの。

お渡ししたらすごく喜んでくれはった。

「あんた、野菜作ってるか」、と云われた。

昔は家の小さな庭で作っていたこともあると云いかけたが、やめた。

「それやったら採れたての野菜持って帰って」と云いながら大きな袋に詰めてくださる。

野菜はいろんな種類がある。

これも、あれもと玄関に置いてあった数々の野菜。

袋が足らんようになって追加する。

その間に電話を架けて呼び出し。

連絡先は畑に居る旦那さん。

「サンドマメ、なんでもえーから摘んで家まで持って来て・・」と伝えた。

旦那さんは畑好き。

いつも畑でなにかを作っているという。

「鶏もおって卵を生んでくれるのだが、餌代が高こうつくから割りが合わんねん。スーパーで買ったほうが安くつくんやけど・・・」と、まあ愚痴っぽさも軽いノリで話す奥さん、畑仕事はむいてないらしく行ったことがないようだ。

とにかく詰めてくれた野菜の量は半端じゃないほどにある。

甘くて美味しいというトマトもあれば大量のプチトマトも。

栗の味がするカボチャ。

甘いトウガラシに黄色マッカ。

切ったら中身が赤い色だという芋。

インカのめざめと思っていたが、どうやらアンデスレッドかレッドムーン

そうこうしているうちにサンドマメを採った畑から戻ってきた旦那さん。

お顔を見て思い出した。

ノグチサンに来られていた旦那さんは、孫さんに蛇の作り方を教えていたよねと云ったら、笑顔になった。

ちなみに奥さんが云うにはサンドマメは縦に包丁を入れて天ぷらにしたら美味しいと云っていた。

こんなに綺麗に撮ってもらってすごく嬉しい、今晩はずっと見ているだろうと喜んでくれた。

もらったのは野菜だけでなく肉塊も。

見てすぐにわかったシシ肉。

旦那さんは年間に60頭の猪を狩猟する猟師さんだった。

こんなに大きな塊をもらうのは久しぶり。

持ち帰って冷蔵庫に入れようとしても納まりきれない。

数時間は室内に置いて柔らかくする。

室温に放置しておけば包丁も入る。

そう判断したかーさんは夜になって三つに等分して冷凍庫に収納した。

それから二日後の晩食はご馳走になって盛られた。



でっかいシシ肉はぶつ切り。

塩コショウして焼く。

野菜ももらったものばかりと云いたいが、たまたまあった茄子にモヤシも。

これが美味いんだな。

久しぶりに味わうシシ肉が口の中でジュワ。

肉汁の味がたまらない。

ぶつ切りのシシ肉は柔らかいから噛めばジュワ。

稀にスジもある。

その部分はさすがに噛み切れない。

すべて食べきることができなかったシシ肉は明日に持ち越し。

5等分にしてときゃ良かったと思った。

その後の月末。

カナダから一時的に戻っていた息子と食をともにする晩飯に焼肉として登場した。

堅い肉は少しあるが、ほとんどが柔らかい肉。

甘くて美味しいシシ肉がジュワー。

肉そのもの味に堪能していた。

(H30. 7. 9 SB932SH撮影)
(H30. 7.11 SB932SH撮影)

狩野ジャパンの和風だしざるラーメン

2019年12月30日 08時25分56秒 | あれこれインスタント
この日も狩野ジャパンのざるラーメン。

先月の6月27日に買物したスーパートライアルの宝来店に売っていたざるラーメンは2種。

一つは「ゆず風味」。

もう一つが「和風だし」である。

ゆず風味」は三日前に食べた。

あっさり風味がのどを潤す。

冷麺より食べやすいし、喉越しが良い。

立て続けに昼飯の食卓を攻めるざるラーメン。

消費期限が迫っていると思い込んだかーさんが決めたざるラーメン。

私も食べたかったので合意する本日の昼飯に前夜に少し残ったお好み焼きもある。



お好み焼きソースもマヨネーズもたっぷり落としていただく。

冷たいざるラーメンより、先に食べておきたい熱々のお好み焼き。

お腹もぐうぐう云っていたのでペロペロと食べた。

こいつは残り物を焼いてできたもの。

もう一皿は私の食べ残し。

レンジでチンした完全残り物にこれまたソースもマヨネーズもたっぷり。

お好み焼きってソースとマヨネーズで食べるもんやったっけ。

食べつくしたらざるラーメン。

漬け出汁は「ゆず風味」から「和風だし」。

「柚子」がないだけなのか、「ゆず風味」とほとんど変わりのない味の「和風だし」。

これもまたさっぱり感。

コクのある味が実に良い。

麺はコシのある細麺。

出汁に絡めた麺がつるつると喉に吸い込まれる。

出汁に薬味は刻みネギ。

今回は温泉玉子を落とした出汁で食べた。

これが美味いんだな。

一方、麺には刻み海苔。

風味が増すから麺と一緒に出汁漬けして食べる。

つるつる、つるつると喉に吸い込まれる美味しさ。

出汁も思いきり漬けて麺以上に出汁をすする。

この美味さ。

また食べたくなる。

(H30. 7. 9 SB932SH撮影)

奈良学とのであい・山里に行き交う職人たち-天理市福住永井清繁画帳から-in奈良県立図書情報館

2019年12月29日 10時16分57秒 | 民俗を観る
写真家のKさんがFBで伝えていた画帳展示会である。

展示ポスターにあるキャプションに「文部科学省平成29年度私立大学研究ブランディング事業採択/帝塚山プラットフォームの構築による学術的「奈良学」研究の推進」とある事業の一環であろう。

要は素晴らしい事業採択であれば、文部科学省が支援補助金を出すみである。

つい最近、事件報道されたキーワードが「文部科学省私立大学研究ブランディング事業採択」。

その事業を悪用し事件を起こしたのは東京の某大学に文部科学省の役員だった。

真面目に事業をしている大学にとってはえらい迷惑な事件であった。

アプローチは帝塚山大学文学部日本文化学科現代生活学部居住空間デデザイン学科。

今回の展示一役買って出たグループであるが、私が注目しているのは故永井清繁氏が70歳のころから記憶を手繰って思い出したように描いてきた天理市福住の民俗である。

初めて画帳を拝見したのは生誕の地の天理市福住。

福住公民館で行われていた展示作品の一枚、一枚に感動の連続だった。

今回展示される作品展は、福住展示とはまた違って職人の仕事をテーマに繰り広げる画帳展。

職人の姿もまた民俗である。

かつて、されていた当時の姿をまた画帳で見せてくれる。

気がついたら最終日であった。

この機会を逃したらもう見ることは不可能だろう。

そう思って弾む心を抑えつつ車を走らせた。

展示会場は奈良県立図書情報館

展示作品一切は撮影禁止である。

以前、同館で展示していた私の写真作品であるにも関わらず断られたことがある。

著作権者であろうが、それはダメというから厄介な展示施設と認識している。

平成28年10月28日。

作品は同じ県立の奈良県立民俗博物館の事業である第5回「私がとらえた大和の民俗―衣―」写真展のサテライト展示。

いわば巡回展のような形態であるが、図書情報館も奈良県立。

同じ県であるのに撮影禁ズである。

4月10日に拝見した第3回山の辺の道“奈良道”写真展にも撮影禁ズ。

うち一枚は入選した私の写真さえ、記録も撮れない図書情報館の展示にはいささか面倒なことである。

撮影できなければ目で記憶するしかない。

しかし、だ。

30枚もある作品のすべてを記憶するには到底無理である。

貴重な民俗を今に伝える作品は、どうか、ご本の形で出版してくださいとアンケートに書いてお願いしたが・・・。

作者である明治38年生まれの永井清繁さんはすでに故人。

80歳のころにそれまで暮らしてきた情景を思い出しながら描いたという画帳である。

つまりは絵画の現場でスケッチしたわけではなく、すべてが記憶で描いていたというから、真似のできないすごい能力をお持ちだったようである。

一枚、一枚をじっくり鑑賞していたときである。

数人のご婦人たちがお話されているのが自然と耳に入る。

どうやら地元の人たちに説明と、いうか、生前の永井清繁さんをよくご存じだったのか、素晴らしい画帳をどういう具合にして描いていたか、感心しておられた。

話しぶりから永井さんに近しい家族さんのようだ。

感動する画帳作者の家族さんとの出会いにお声をかけさせていただいた。

伺えばなんと永井清繁さんの娘さんのSさんだった。

Sさんが話してくれた製作当時の父親の姿。

70歳を迎えた昭和50年代である。

生活文化どころか世の中の潮流。

急速に変化する状況に子どもたちや孫さんに福住の昔の生活はこうだったんだよと伝えたい思いから絵を描き始めたという。

私はてっきり永井清繁さんが暮らしていた時代を描いていたものだと思っていた。

70歳になられた永井清繁さんが自身の記憶を辿り、その記憶の情景を思い出し描いた、という画帳。

鉛筆で下書き、自宅に戻ってすぐさま絵付け。

毛筆を用いて顔彩で彩色する日本画の手法で描かれた絵の素晴らしさ。

背景も人物も当時の姿のまんまを描いたのだろう。

嫁入り、出産などの人生儀礼に、正月、お盆、亥の子などの年中行事。

地元氏神さんを祭る氷室神社の秋祭り大行列に農作業、山仕事、茶製造などの生業。

桶屋、鋳掛け屋などの職人の姿もあれば村議会から小学校の様子に衣服、髪型などの絵もある。

永井清繁さんは呉服屋さんを営んでいたこともあって衣服のち密さには以前に拝見した福住公民館展示を思い出す。

当時の絵に説明文も付記していたのは、まさに子孫に伝えたい、今では見ることのない福住の暮らしである。

Sさんは、前日の7月7日に「父を語る―思い出すままに―」をテーマに特別講演をされた。

そのときの資料がありますから、送ってあげますと云ってくれた。

後日に届いた資料は、今展示のチラシパンフだった。

そのチラシに氷室神社・秋祭りの縁日・売り子の姿とか木こり作業の「さき山し」の絵を添えていた。

また、裏面には木挽き、さき山し、こうや(※染物の紺屋)、かごや、小間物や、魚や、露店(※よみせ)などもある。

数事例であるが、頭で記憶のできなかった画帳映像の一部が蘇る。

この場を借りて厚く御礼申し上げる次第である。

※ その後のその後である。

展示の日から数えること9カ月後である。

アンケートにも書かせていただいた出版希望。

民俗詩誌としても十分に活用できる記録図絵。

お願いが通じたのか、平成31年3月31日付けで天理大学出版会から出版された『奈良の山里の生活図誌』画・解説は永井清繁。

著者は天理大学高田照世氏。

価格は私にとって高額であるが、価値のある本誌は急ぎ求めるに至った。



映像は我が家の藪庭に咲いていたカサブランカ。

(H30. 7. 8 SB932SH撮影)

山城町・北河原の春日神社

2019年12月28日 10時14分37秒 | もっと遠くへ(京都編)
さて、いごもり祭が始まる前の時間帯である。

涌出宮に向かう道中に寄り道。

宮司も祭礼に勤めると聞いていた同町隣村の北河原に鎮座する春日神社に立ち寄った。

祭祀の時間帯はいつされるのかわからないが、鎮座地がどこであるのか知っておきたくて立ち寄った。

当社の注連縄は三本房仕立て。

鳥居と社殿前扉に架けていた。

(H30. 2.18 SB932SH撮影)

山城町綺田・綺原神社の勧請縄

2019年12月27日 09時59分41秒 | もっと遠くへ(京都編)
木津川市山城町・棚倉涌出宮で行われるいごもり祭(居籠祭)を拝見していた。

午前中の後半から午後にかけて行われる七度半(しったはん)の呼び出しの取材させてもらったお家がある。

呼び遣い役を送迎する車の尻について廻った村巡り。

涌出宮へ戻る際にも車の追っかけ。

村の道に印のようなものはない。

記憶が鮮明なうちに覚えておこうと思って車を走らせた。

あの筋、この筋であろうと、記憶を辿る走行路。

印はないがどことなくここら辺りと思ってハンドルをきったら、そこにあった古川座総本家。

次回に訪れることがあれば間違いなく行けるだろう。

そこから東に向かおうとした里道。

その先にあるのは踏切である。

JR西日本・奈良線である。

棚倉涌出宮もまた奈良線。

駅舎は棚倉駅になる。

その棚倉駅から北上。数km先、目の前にあった踏切。

里道は狭いが軽自動車であれば難なく通過できると信じて渡り切った。

そこはさらに細くなった里道。抜けるのがたいへん。

細心の注意をはらいながらおそるおそる動かすが、いつどこで車と遭遇するのかヒヤヒヤものだった。

集落を抜けて視野が広がる地。

鬱蒼とした鎮守の森が目に入った。

鳥居向かい側の広地に停車してみる神社の様相。

近寄った鳥居に刻印があった。

「式内 綺田座健伊那太比賣神社」とある。

銅製の変額に「綺原神社」とある。

鳥居に架けてある注連縄は一般的な形式であるが、市販のものでなく手編みである。



手水鉢傍に立ててあった由来書きに「ここに鎮座されます。綺原神社(かんばらじんじゃ)は“大日本史”、“日本書記”、“延喜式”にも綺原座健伊那太比賣神社(かんばらにますたて(※かんばらにますたけ)いなだひめじんじゃ)として記述されており、祭神は“タテ(※タケ)イナダヒメ”とされ、“タテ(※タケ)”は健康、“イナダ”は稲田で、達者に農事にいそしめるよう祈願されたものだと考えられます。ここの地名“綺田(かばた)”は、その昔、紙織(かむはた)、または、神織(かむはた)とも呼ばれ、神に献ずる衣服を織る技術者および養蚕技術者を祀った社とも言われており、綺氏一族(秦氏一族)の創起だと言われております。現在は、菅原道真公を祭神とする天神社および八王子社併せ、おまつりしております」とあった。

なお、”健”は、いわゆる“たける”の呼び名。例えば“ヤマトタケルノミコト”を充てる“倭建命”から自ずと判断されるから、※印に補完表記しておく。

手水で清めて参拝。

石段を登っていくときに見上げた向こう側に菅原道真公の神使いである牛像が見える。



ふと見上げたそこに勧請縄が目に入った。

左右に建つ「奉納 式重塔」に架けてある。

「式重塔」とはどういう意味をもっているのだろうか。



勧請縄に吊った樹木の下がりの数は12。

一年の月数を現わしているようだ。

もっと近づいてみれば幣もあるが、竹製の弓・矢がある。



この形は、涌出宮居籠祭・勧請縄取換の儀で見た弓・矢と同じだ。

ならば古川座の人たちが作って奉納したのであろう。

社務所、境内にはどなたもおられない。

いつ、どこで作って奉納されたのか。

平成22年度・京都府ふるさと文化再興事業推進実行委員会が企画(事務局は京都府立山城郷土資料館)、文化庁の委託事業としてDVDに記録映像化した『重要無形民俗文化財 京都府木津川市・涌出宮の宮座行事』がある。

宮司から手渡され、一時期借用していたDVD記録映像によれば、朝に座中が集まって勧請縄や弓、矢を作るようだ。

作業場は、座中の当屋家の前庭である。

当屋制度があるように思えたテロップである。

「古川座では、涌出宮と地元の綺原(かんばら)神社に奉納する二本の勧請縄を作る」とあった。

また「二本の勧請縄は、長さが違うだけで飾りつけは同じで、しきびのさがりを作る」とある。

樹木の下がりは、しきび。

つまりはしきみ(※樒)であった。

作業映像を見る限り、弓・矢は予め当屋が作っているように思える。

続くテロップは「一本の勧請縄に、12房のしきびのさがりを吊るし、「24枚の紙垂(しで)を取り付け」、しのぶ竹で作った「弓に4本の矢をセットした飾りを2組吊るし」、水引で括った弓・矢を取り付ける。

できあがった勧請縄のうち、一本は綺原(かんばら)神社に運んで、「式重塔」に架ける。

架け終わったころに氏子たちが早速の参拝に、ようお詣りやす、と迎えていた。

もう一本は、涌出宮に運び、膳の料理とともに、大松明製作中の与力座の一老に手渡していた。

できるなら、翌年の勧請縄作り、ならびに勧請縄架けは拝見したいものだ。

(H30. 2.18 EOS40D撮影)
(H30. 2.18 SB932SH撮影)

セミが鳴いた日

2019年12月26日 09時47分04秒 | 自然観察会(番外編)
セミセミセミセミセミセミ・・・・・。

朝起きたら、晴れ間が覗いて青空が広がっていた。

白い雲がぷかぷか・・。

昼ごろともなれば、気温は一挙に上昇してセミが鳴いた。

三日前、台風7号は上陸しなかった。

日本海に出て消滅。

温帯低気圧になったが、その台風崩れの影響で広島・岡山・愛媛など西日本各地に岐阜県中部が大きな被害を被った。

翌朝も鳴いたクマゼミ。

これから夏本番に向かって次々と地中から飛び出してくれるだろう。

う思っていたら近畿の梅雨が明けたと報じていた。

ところが午後は一転して空は真っ暗。

一部の地域に大雨警報の発令。急変はいつ起こるやもしれない。

毎日が被害状況を伝える報道。

その後の10日、気象庁は「平成30年7月豪雨」と命名した。

(H30. 7. 8 SB932SH撮影)

狩野ジャパンのゆず風味ざるラーメン

2019年12月25日 10時08分02秒 | あれこれインスタント
狩野ジャパンが製造販売するざるラーメンは2品種。

「ゆず風味」と「和風だし」である。

先月の6月27日に買物したスーパートライアルの宝来店に売っていた。

価格はとても安くて2袋入りで税抜き88円。

カップ麺より安いざるラーメンに飛びついた。

冷蔵庫に納まっていた2品は賞味期限の順に並べている。

先に選んだのは「ゆず風味」であるが、狩野ジャパンは聞き始め、見始め。

どこの会社かと思って所在地を見れば、長崎県の大村市だった。

以前、食べたことのある格安ざるラーメンも地方産。

どこで売っていたのか覚えていないが、製品は袋の映像だけが残っている。



和風かつおぶし一番だしざるラーメンは「麺処小川屋」とあった。

これもまた一般的大手のスーパーで見ることのない袋生麺食品である。

この商品を食べた味はどうだったのか。

あっさり味であるが、とても美味しかったのだ。

枕崎産かつお節でとっただし汁に漬けて食べた麺が美味かった。

あっさり味であるが、実に美味い。

調べてみれば麺処小川屋も九州産地。

長崎県島原市にある製造販売会社である。

この日に食べたのは、数週間前に買っておいた狩野ジャパンのゆず風味ざるラーメン。

さて、お味はどうだろうか。

生麺を茹でる。

適用は2~3分であるが、好みに合わせて短く、或いは長く茹でて冷水で洗って〆る。

添えつけの液体スープは60mlの冷水で薄めて食べる。

そのままでも美味しそうだが、この日は特別に刻みに温泉玉子を落とした。

麺を盛ったところにそっとのせたサクランボ。

スーパーサンデイ宝来店で売っていた格安サクランボはなんと山形県産の佐藤錦。

これがむちゃ甘い。

さっぱりした気分にしてくれたサクランボが器に映える。

刻み海苔をパラパラ落としていただく。



冷たくてさっぱり感が嬉しい夏食のざるラーメン。

ついこの前は濃厚な魚介スープで食べたまるちゃんのつけ麺

毎回、同じ味では飽いてくる。

コクのある味の次はさっぱり味がお勧め。

麺にたっぷり浸けてずるずるいただくざるラーメン。

れが美味いんだなぁ。

たまらんから箸が止まらない。

まるちゃんは極太麺であるが、狩野ジャパンのゆず風味ざるラーメンは細麺。

コシのあるストレート麺であるがスープに絡みやすい麺。

ざるラーメンを美味さがわかるのは出汁スープの味で決まる。

前半は惜しみ気味に浸けて食べるが、後半はたっぷり。

しかも温泉玉子の味とも絡まって美味いやんか。

チャーシュー、メンマを推奨されるが、これが良い。

で、“ゆず風味”である。

かーさんは香りがしたというが、私はまったく感じなかった。鈍感なのかな。

(H30. 7. 6 SB932SH撮影)

歯の治療帰りの昼食は2度目のあきんどスシロー北加賀屋店

2019年12月24日 09時30分09秒 | 食事が主な周辺をお散歩
テレビで盛んにコマーシャルを流していたあきんどスシロー創業祭・フアイナル

3貫盛りがたったの税抜き180円売り。

なんとそこには100円盛りもある。

180円売りは天然えびの3貫盛りにサーモン3貫盛りが。

100円盛りが貝の3貫盛りに光ものの3貫盛り。

それが食べたくて歯医者帰りに立ち寄ったあきんどスシロー北加賀屋店。

メニューのどこを見てもそれがない。

それもそのはず6月15日から始まったキャンペーンの3貫盛りは7月1日が最後だった。

キャンペーンを報じていたテレビコマーシャルの映像が脳裏に焼き付けられただけで終わってしまった。

じゃぁ、と思って店内のあらゆるところに掲示していた税抜き90円キャンペーンに目が行く。

持ち帰り除く一皿100円のお寿司ぜーんぶの値下げキャンペーン。

これを食べてみたいと思ったが、時季はまだだった。

5日間限定を打って出たキャンペーンは7月9日から13日まで。

本日、未着のキャンペーンにがっくりくりくりした。

スシローの食事処は北加賀屋店。

西成区北津守のくら寿司に同じ区の南津守にあるかっぱ寿司に続いて見つかる寿司ロードにある。

5月31日以来の1カ月ぶりの入店を決めたのは、前回同様の雨天対応である。

歯医者で治療をするおふくろを送迎する我が家の車。

軽の箱バンである。

要介護2の身に必要な足踏み台を乗り降りの都度、乗降ドアに寄せる。

乗るときも、降りるときも一段高い位置にあれば乗り降りしやすい。

この日は台風崩れの大雨。風も強いが、歯医者は休んでいない。

これくらいの状態では休みはないが、乗り降りする度に雨が背中に点々・・。

傘をさして雨を避けているが、どうしても濡れてしまう。その状態にならない回転寿司店があきんどスシロー北加賀屋店だった。

建物は2階建て。

1階部分が空洞。

そこに十数台の車が停められる。

雨に濡れることなく乗り降りできるが、2階に上るには建物外にある鉄製の階段しかない。

この構造に我慢ならないが、雨しのぎだけでも助かるならとやってきた。

階段の欄干にしがみついて登るおふくろ。

ここまで改善したものだと感心する。

席について早速注文するタッチパネル。

座った状態でタッチできるのが嬉しい。

かっぱ寿司もくら寿司も位置が高い。

腰をあげないと見えない位置にあるタッチパネルにはほとほと嫌になる。



その点はスシローの高さが丁度いいのだが、いかんせん、タッチがタッチでなく、強く押さないと反応しない。

その点については、3社とも実際は“タッチ”パネルではない。

私は4月に右手親指を損傷した。

徐脈心不全の関係もあってか、親指は痺れたままの状態に陥った。

テレビのリモコンも押せない痺れ感に難義している。

タブレット端末のタッチはなんら苦痛もなくサラサラ動く。

回転寿司チェーン店のタッチパネルは強く押さないと反応しない。

親指が不自由なので他の指で押さざるを得ない。

どうか、タブレット端末のようなサラサラ動くパネルにしてほしいと思うのだが・・・。

さて、注文である。

これまで何度も歯医者帰りに立ち寄って回転寿司をよばれてきた。

今回で8回目になったおふくろの希望はいつも同じの定番になってきた。



まずは、かけうどん。



次は大好物のまぐろにぎりを連発。



まぐろとびんちょう2種盛り、漬けまぐろに鉄火巻きである。



どれも美味しいといってパクパク食べるおふくろの顔は満足顔。

かーさんはいつもの通りに流れる回転寿司を手にする。

こっちは何にするべぇか。

あきんどスシローに美味しくいただけるユッケ軍艦巻きがある。



私にとっては極上の味。

美味いねぇ。



それと同時に注文した本日の海鮮漬け軍艦巻きも同時に到着する。

この度、はじめて体験する味である。

見た目はズケでない。



魚もなんだかわからない。

食感はよくてもズケでないから物足りないが、味はまずまず。

なんとなくアジ魚のような気がした。

アジと云えばメニューにあった国産天然トロあじ。



流れるレーンに今月の太鼓判とある。

光り具合が気になって注文した。

その際に同時注文したのが焼き鯖。

この手は初めて食べる寿司ネタである。



本日席の「紺色」マークの舟に乗って流れてきた。

印しは確かに紺色であるが、赤が目立って見分けがつけにくい。

紫、緑、黄・・他にもいろいろな色はあるが。

他席の人たちが注文したものと見分けがつきにくいから間違って取ってしまいそうになる。

到着の少し前にアナウンスはあるが、来るまでずっと見てなくてはならない。

これが難儀である。

いつやってくるのか、わからないから、食べることに集中できないのだ。

注文システムを替えたようだ。

これはいかんであるが、味はよぅなった。



むちゃ美味かったのが国産天然トロあじ。

トロトロの食感につるっと口に入っていったにぎり。

こんなに美味い魚を食べたのは何十年ぶりになるのだろうか。

一般的にトロ味を味わえるのは腹身。

鮪も鮭も鰤もみな同じ腹身。

ところがスシローのアジは魚全体がトロ味食感。

鯵特有の感覚もない。

これが気に入ったが、どこの漁港であがったのだろうか。

もう一つの絶品は焼き鯖。



思ったよりも厚みのある焼き鯖。

しっとり感に濃い味。

鯖に脂がのっているからむちゃ美味い。

れもまた、続けてもう一品と云いたいが、他にも気になる料理がある。

おふくろが美味いと何度も口にだして云うものだから、スシローの麺類を食べたくなった。

麺類メニューは回転寿司チェーン店、それぞれに力を入れているサイドメニュー。



おふくろが食べたかけうどんや天ぷらうどんとかは各社ともあるが、ラーメン系は避けていた。

値段的に避けていたが、先々月、先月に食べたラーメンが美味かったので、これはと思うメニューに飛びつくようになった。



えっ、と思ってタッチ注文した麺類は復活した夏季限定のぶっかけカレーうどん。

丸亀製麺とかの麺屋で必ず注文するぶかっけうどんが回転寿司にあった。

しかもカレーである。

カレー色はやや黒い。

これに惹きつかれるが、たっぷりコーン色が素敵だと思ってタッチした。

アナウンスがあった回転レーンに目が行く。

そこに流れてきた黒い椀に蓋がない。

かけうどんには蓋があったが、ぶっかけカレーうどんにはない。

オープン仕様で運ばれてきたぶっかけカレーうどんが冷たいのだろう。

だから蓋がないんだと思ったが、違っていた。

温かいのである。

かーさんが云った。

カレーがあるから温かいんでしょ、である。

ごもっともなことだが、それならなぜに蓋がないのか、である。



ぶっかけカレーうどんは4色。

黒色はカレー。

黄色のコーンに緑色の刻みネギ。

そして白色のうどん麺である。

たっぷり盛っていたカレーを中心にコーン、刻みネギとともに混ぜ混ぜする。



箸で掬ってがつっつりいただくぶっかけカレーうどんは美味すぎる。

ニンジン、肉がコクをつける黒カレーは辛くもあり、甘くもある。

尤も甘いのはコーンが一石を投じているからだ。

ネギの食感は感じないが、これは美味い。

美味い、旨いを連発する絶品味のぶっかけカレーうどんは病みつきになる。

美味いのはカレーうどんだけじゃない。

おふくろが、ここスシローが一番だと云った鉄火巻き。



他店舗と大きな違いがあるという。

それは形状である。

他店舗と見比べたら一目瞭然。

若干のミニサイズ。

それもあるが形は棒状でなく、端っこをちょこっと摘まんでいるような具合である。

海苔も鮪も旨みのある味。確かに形は違うし、味に食感も・・。

他店舗の鉄火巻きは堅さがある。

形も、歯ごたえも固さがあるが、スシローは口当たりがいいのである。

おふくろが一番と主張するのが理解できる旨さである。

そんな話をしていたおふくろが選んだ〆の一品は特ネタ中トロまぐろ。



これまで食べた鮪のなかでピカ一の美味しさだったと顔が膨らんだ。

一方、私が最後に食べた活あわびの肝軍艦。

あわび肝の軍艦ってはじめて。



試しと思って頼んだが、肝の味はしなかった。

海の、いや磯の香りのない鮑は・・鮑じゃない。

これで〆とはいえなくなったので、タッチして頼んだ一品はなんこつの唐揚げ。

塩まったく無用のなんこつの唐揚げはビールが欲しくなるほどの旨さがある。

かーさんも箸で摘まんで食べたら、むちゃ美味しいという。

下味がしっかりついたカリコリ食感のなんこつの唐揚げに箸がとまらない。

どれだけ美味しいか、撮っておこうと思ったがバッテリー切れ。

映像は残らなかったが、味の記憶はしっかり留めておいた。

特ネタ中トロまぐろが〆にしていたおふくろ。

なすびがあるよと伝えたら欲しいという。

スシローのなすびは2種類。

なすトマトバジルか黒門伊勢屋のわさびなす。

どっちにすると聞けば、わさびなす。

運ばれたわさびなすを食べたおふくろ。

これ、もう要らんと・・。

口に合わんかった残りわさびなすはもったいないから私が食べた。

確かにこれは要らん。

日本酒があればいいと思うが、これは私にも口が合わない独特の味。

山葵なんてものは一切ない薬品に漬けたわさびなすであろう。

そう思えて仕方ない。

おふくろが食べたかったのはごく普通のなすびの漬物である。

5月18日から始まった8週連続で食べ続けてきた回転寿司。

支払い金額は税込みの3100円。

これまで食べたなかでトップ支払いに躍り上がった。

一人あたまに換算すれば千円。

よっぽどお腹が減っていたか、上等もんを頼み過ぎたかのいずれかであるが、定食でもそれぐらいの値段なんてザラであるから、お腹いっぱい味わえて満足できるなら、それでいいんじゃない。



おふくろがにこっと笑ってご馳走さんと、云ってくれたのが嬉しかった。

(H30. 7. 5 SB932SH撮影)

南岡誠宏定年記念写真展『ホ!』そして『いってらっしゃーい』inPhotoGallery臺燈舎

2019年12月23日 10時10分59秒 | しゃしん
卒業した高校の7期生卒が彼だった。

その彼も65歳。

今年中に定年を迎える年齢になった。

写真が大好きで若いときから本社日本生命の写真クラブに入って学んでいた。

そのころの私はカメラに興味をもつものの、クラブに入る気は起らなかった。

のめり込むことのない私は4期生卒。

三つ離れているからもうすぐ68歳になるという計算だが、まだまだ。半年以上も経過を要するただいま67歳である。

彼の作風は風景写真。

前回の渋谷良一・南岡誠宏の二人展もベースは風景であった。

映像のとらえ方は、どう変化しているのか、それも見たいが、65歳を迎えた彼の動向を感じたく、大阪・中央区南船場の会場に向かう。

前回は神戸・三ノ宮での展示会であったが、今回は生駒山を越えた大阪市内のど真ん中。

車移動で行くか、電車で行くか。

停める駐車場の料金体系によっては長い滞在時間にぼったくられる。

そう思って、地元利用の駅前駐車場に設定した。

駅は25年間も通勤に利用していた近鉄電車橿原線の九条駅。

半年ほど前にできた地道駐車場がある。

一日24時間停めてもたったの400円。

駅に歩いて1分もかからない地にあるのでずいぶんと助かる。

チケットを購入してフロントに示して置いておく。それだけである。

近鉄九条駅から西大寺駅乗り換えで難波まで。

大阪メトロ地下鉄御堂筋線に乗り換えて心斎橋駅で下車。

パソコンで出力した臺燈舎行きのマップを頼りに歩く。

地下鉄は出た改札口で決まる。

そこがどこであるのかまったくわかっていない。

改札口に居た駅員さんに目印になる建物を告げた。

その建物は東急ハンズ。

あそこならあっちの方角。

そう云われても地下街ではまったくわかっていない方角オンチ。

大丸横の階段を登って地上に出てみればわかるという。

出てみればなるほどである。

そこから御堂筋を北に数百メートル。

長堀通りに出て東へ向かう。立ち止まってはペーパーマップと見比べる。

あと何本かの筋を左折れして北上。



マップに書いてあった1階にあるタイ料理レストランが到着地点。



無事に着いて3階にあがったらそこに臺燈舎があった。



会場には彼の知人が展示写真を見ていた。

男性一人、二人組の女性に撮った写真の解説をしていた。

会話の内容から写真家ではなさそうに思えた。

拝見した写真は北海道の美瑛や福島の景観が多くあるような気がする。



モノクロでとらえた4枚組は私的にはスキな映像。

美瑛も1枚が印象的。

どれも人が、或いは道具があるから惹かれるのだろう。

写真はいずれもコンパクトにまとめた形。

これもまたいいね!である。

久しぶりに話す彼との会話。

そこへ一人男性が汗をかきながらやってきた。

話しの内容からビジネスマン。

それも・・・・まさかの、平成14年10月まで勤めていた会社の社員のSくんだった。

なんでも私もよく存じている6歳下の同僚たちの名前で知ったへぇーそうだったんだ。

彼が去ったあとは同僚だった人たちの話題に写真談義。

気がついてみれば2時間半も滞在していた。

午後3時に着いて場を離れたのは午後5時半。

これだけの時間を駐車していたら目ん玉が飛び出るほどの料金請求が発生する。

電車で来たのは正解だと思ったが、長堀通りにある地下駐車場の平日利用の当日最大料金は1100円。

しかもクレジットカード支払いが可能。

へぇーそうだったんだ。

帰りはここでゆっくりコーヒーを飲んでくださいと云われてもらったドリンクチケット券がある。



240円までのコーヒーを利用できるお店は長堀通りの地下街にあるセルフ制の「KIEFEL COFFEE」長堀店

彼が飛び込んで頼んだ特別に作ってもらったKIEFEL・COFFEEのドリンクチケット券である。

展示に来ていただいたお客さんすべてにお礼のサービスである。

枚数は聞かなかったが相当な枚数。

240円×枚数=すべてを買い取ったのである。

使わなければ彼の厚意を無駄にしてしまう。



帰宅は遅くなるが、優しい気持ちをいただくことにした。

(H30. 7. 3 SB932SH撮影)

山城町涌出宮居籠祭の禁忌神事

2019年12月22日 10時05分28秒 | もっと遠くへ(京都編)
午後に始まる涌出宮居籠祭の饗応の儀(あえのぎ)までの数時間は、関連する神事ごとが行われる周辺調査に費やす。

神事の最中は、誰も見てはならぬ、他見を許さない非公開の神事に「森廻し神事(みややまど)」、「野塚神事」、「御供炊き神事」、「四ツ塚神事」がある。

意を決して、「森廻し」の場を探した人がいる。

この日に初めてお会いしたKさんが宮司と面会をされていた。

手には、「森廻し」など、禁忌神事の場所を明示した地図を持っていた。

Kさんは、その地図を頼りに出かけた時間は夕刻を過ぎていた。

暗闇に見える範囲で登ったそこに・・・。

そのときの探訪記は「京都ブログ」に載せている。

地図に書いていた森廻し神事場のルート。

大まかな地図だけにルート探しは困難だった。

涌出宮を出てはじめに立ち寄る「山の神」。

次が「谷山不動」。

不動尊のある谷山ということであろうか。

次は「光明山」。

近場ではなさそうな”山”道を行くのだろう。

戻ってくる道もたぶんに山道。

着いた処が「城山」とあるから、山から山への旅路であろう。

不動川を渡って名称のない⑥の地。

そこから、再び不動川渡り。

北に向けて歩くルートに「しへい屋敷」とある。

地図ルートによれば⑨~⑪。3カ所になにかがあるようだ。

また、棚倉駅の西に東に⑦と⑧。

これらもまた名称が記されていない。

番号だけで手がかりの名称がなければそこはどういう処さえわからない地図であるが、右に書いてあるキャプションで少しはわかる。

資料地図にキャプションがある。

「15日の野塚は神社より線路を渡った西の方角の小川のほとり」とある。

目印は“小川”であるが、西側は新興住宅地に。

調査報告書が発刊された以降に住宅開発。

野神の場所も移動している可能性も考えられる。

「16日は、これよりやや神社寄りの駅にあたる田の中」。

そこら辺りは、今や田んぼの姿さえ見えない地に見つけることは難しい。

「17日は、神社の東方の方角の柿の木の所にある」。

これもまた難しい柿の木が植生する地である。

一旦は涌出宮を離れて綺田の食事処で昼飯を摂っていた。

その食事前と食事後に探していた「四ツ塚神事」と「野塚神事」の場である。

「森廻し神事」、「四ツ塚神事」の場は、平成29年の3月20日に行われた「女座」行事が終わったあとに宮司自ら案内して教えてもらっていた。

遠く離れた場以外の涌出宮の本殿周辺にある場である。

いずれも、その場に立ててあった榊幣で神事の場がわかる。



1カ所は、すぐ近くに布袋像がある場。

映像は前日の17日に撮ったものだが、翌日の18日にはお供えしたと思われる黒塗りの折敷があった。



そこにあった丸い形の石は何であろうか。

不思議な丸石である。

前年に拝見していた森廻りの場。

同じような様相にある神事の場をまた見ていた。

鬱蒼とした樹勢に囲まれる場にそれぞれ砂盛りを施している。



その手前に張った注連縄は結界であるから一歩たりとも侵入してはならん場。

幣を括りつけた榊が示す神聖な処。

当地が「四ツ塚神事」の場である。

竹で支えていたが何らかの動きがあったのか、斜めになっていた。

車も走る一本道に石標が建之されている。



「内式 和岐座天乃夫岐賣神社」とあり、他の面には「北 蟹満寺十丁 高倉宮十五丁 筒井浄妙塚十五丁」に「東 北吉野 神堂寺廿町」とあるからここもまた神域であろう。

この「四ツ塚神事」の場、というか通りにもう一つ。



大樹の幹に幣が置いてあった。

これは「四ツ塚神事」でなく「森廻し神事」の一つ。

11カ所あるうちの一つである。

なお、この年の森廻し役を務めたのは古老のYさんと若手のKさんのお二人。

暗闇に行われる秘儀を担ったそうだ。

さて、「野塚神事」の場である。

菊約さんが手にする地図を拝見するまでは手がかりまったくなし。

与力座の人であれば当然にご存知の場。

その件について七度半の呼び遣い役に送迎されていたNさんに話題を投げたら教えてくださった。

場は2カ所あるという、そこは棚倉駅の西側。

線路の向こう側にあるが、地図を書いてもわかりにくいから案内してあげましょうと車で送ってくださった。

かつては田んぼが一面に広がる地だった。

こんもりした段丘のような地であったが、住宅開発の折りに段丘は崩され平たんな地になった。

建築された住宅地は縦横一角がわかりやすいが、元々あった野神の地がすっぽりその地に収めるには角地利用と相成った。

そして野神の地とわかるように大きな岩で碑を建てた。

大きな文字で彫った「いごもり祭 野神」の碑。



黒っぽい方の碑には前年度、いやもっと前のものとも思われる竹串に挿した幣があり、その前に今年のいごもり祭の幣があったが、横になっていた。

竹串を挿す地は硬い。

以前の幣を取っ払いたくなかったのだろう。

やむを得ずの判断にそうしたと推定したのだが・・・。

もう一つの碑にはその痕跡すら見られない。



野神の神事は一度に2カ所とも、ではなく日にちを分けているのだろう。

その野神の地に祭る祭具が、前日に拝見したマグワ(※馬鍬をマングワ或いはマンガンなどと呼ぶ地域もある)にカラスキ、スキ、クワのミニチュア農具。

人目につかない深夜に行われる野神の神事は秘儀。

決して見ることさえ許されない秘儀であるが、終わったあとに見つけた人は持ち帰っても良しとされている。

そういえば、18日の朝である。

本殿、末社などに野菜盛り神饌を供えていた時間帯に奉っていたミニチュア農具。

三方に盛っていた農具は午後の祭典には消えていた。

おそらく供えてしばらくしてから宮司が下げたのであろう。

その農具はその日の深夜の野神神事に祭られるのだろうか。

Nさんが案内してくれた場はもう一つある。

棚倉駅北側の線路を渡って東側である。

あそこがそうだという地には野神の碑はない。



植生されている植木の傍がそうである、というが、岩、若しくは大石などのような印しそのものもない。

植木の幹辺りにある大石がそうであるのか断定できるわけでもない。

17日の朝に拝見したミニチュア農具は3体。拝見した場もまた3カ所。

それぞれに奉られるようだが、手にした人は我黙して語らずのようだ・・。

また、この他にもかつては坊があった山の高台にもある、といっていたのは、地図に示された「城山」若しくは「谷山不動」であろうか。

秘儀の場はもう一つある。

中谷宮司が見せてくださったその場所は居籠舎。

この日の深夜に行われる「御供炊き神事」の場である。



四脚門の勧請縄を取り換え際に古い方の縄から取り出したヤブニッキの葉付きの枝。

コウジブタ2枚に盛ったヤブニッキは火種に使う。

香ばしいという爽やかなニッキの匂いが居籠舎に充満する、という。

なんとも言えないその香りに包まれる中に行われる「御供炊き神事」。

中央に据えているのが竈である。黒く煤けた竈は年代物であろう。

左右側に配した道具は、いごもり祭の歴史を数えてきた歴史的な桶。



桶周りに「□別相楽郡平尾村氏神 涌出森神用具 文化十三丙子年(1816)十二月新調 神主 □□代」とあった。

数えてみれば200年前からずっと使い続けてきた桶もまた涌出宮の歴史を語る。

「御供炊き神事」は秘儀。

決して見ることのできない禁忌の神事であるが、平成19年7月に著者印南敏秀氏によって発刊された『京文化と生活技術―食・職・農と博物館―』によれば、それは鳥占(とりうら)であるそうだ。

いごもり祭の最期を〆る神事。

つまり2日間(※かつては3日間)行われてきたいごもり祭の成否を占う儀礼。

古くは鳥占であったろう、と記されている。



垢離をとった御供炊きが炊いた御供を、古川座の一老が、樫の葉にのせて四ツ塚に供える。

夜明けに供えた塚の御供を確かめにいく。

もし、御供が消えていたならば、いごもり祭の明け、つまり終わりである。

その明けに一老は太鼓を打ち鳴らして、 “いごもり祭は無事に終えた”と村人たちに告げる太鼓打ち、である。

仮に、御供が残っておれば、神への祈願が通じなかったことになり、祈祷日待ちとなる。

古くは、そうであれば、はじめからいごもり祭をやり直したそうだ。

それほど四ツ塚の占いは大切なものであった。



鳥占は、卜占(ぼくせん)の一種でもあるが、棚倉涌出宮・四ツ塚の場合は年占(としうら)であろうか。

年頭に山に入り、捕らえた鳥の腹中に残っている穀物の有無をもって、その年の吉凶を占う。

鳥によって行われる吉凶を占う鳥占であるが、野や里に住む鳥獣の可能性も拭えない。

奈良県行事に「狐の施行」行事がある。

これまで数例を拝見、取材記録してきた事例であるが、山中に入って狐が好むアブラアゲメシを供える地域があった。

山中を歩き回って、獣がいそうな処に御供を供える。

時間をかけて相当な距離を歩く行軍のような感じでもあるが、数か所の地域で見た供えた跡。

供えて1時間足らずの時間帯に再び拝見したその場に供えた御供はすっかり消えていた。

鳥獣が食べたということであるが、「狐の施行」は、その字のごとく、山に住む鳥獣に施しである。

施行は、寒の入りから寒中において行われる。



つまり食べ物が少なくなった時季、山に住む鳥獣に施しておこうという民間信仰であるが、「狐の施行」は鳥占でなく、あくまで鳥獣に施すものである。

(H29. 3.20 EOS40D撮影)
(H30. 2.17、18 EOS40D撮影)