マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

発信者不明の年賀状

2017年09月28日 09時27分52秒 | メモしとこっ!
宛先がなければ発信者に戻されるが、宛先が正しければ届く。

届くには届いたが、発信者もなければ裏面の挨拶文もない、真っ白な賀状では対処できない。

それにしても、だ。

真っ白な賀状は清浄な意味合いを伝えたいのだろうか。

それともあぶり出し・・・・・・。

そう書き込みをしたFBにコメントが入る。

同じようなことをしでかした人もおれば、同一人物に2枚も送ったとか・・・。

空白のまま排出してしまうことは稀どころかまあまあある我が家のプリンター。

ときおりスリップして空白紙が排出されるから要注意である。

そういうことがあるから裏面は宛先を再確認してただしく印刷したか確かめる。

今年は特に注意した。

その症状は2枚もあった。

白紙であれば再印刷する。

間違ったものを印刷していたらボツにする。

知人がコメントした切手バージョンの違い。

始めて知ったバージョンにバージョン別に揃えてみた。

知人によればキティちゃんのりぼんをあしらったデザインは若い女性が多いらしい。

我が家はどうか。

調べてみれば4枚ある。

3枚が60歳前後で、残る1枚は70歳半。

当て嵌まらない。

その後、知人がコメントを発信してくれた。

投稿した画像を見られて宛名の漢字がどうやら「私では・・・」と。

(H29. 1. 1 SB932SH撮影)
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初の顔合わせ宴に鉄板焼きの梅の家

2017年08月26日 09時26分30秒 | メモしとこっ!
創業は50年前になるらしいお好み焼き・鉄板焼きがある。

お店の名前は梅の家

奈良市内でも老舗になるらしいお店は奈良市法蓮町にある。

なみんけん」の初顔合わせでもあった打合せにシモケシではないがどぶろくをいただいて意気揚々と入店した梅の家。



ここまで心臓リハビリを兼ねて自宅から徒歩で来た。

もっともここ法蓮町まで徒歩でいけるわけもなく途中は近鉄電車利用だ。

我が家を出て近鉄九条駅までの距離は1.7km。

これにかかる時間はまあまあ。

なぜか30分以上もかかってしまった。

急げば呼吸が乱れる。

ドクドクする脈は計測すればたいしたことはないと思うが・・。

駅から電車を乗り継いで近鉄奈良駅まで。

そこから夜の宴に利用する食事処までは1.7km。

これもまたまあまあの距離であるが、心臓が軽やかに動いているのかしんどさは感じない。

感じないが速度は遅い。

この間に歩いた歩数は1420+3002歩=4422歩。

それはともかく今夜の宴はコース料理らしい。

単品も充実しているが、なにがなになのか覚えられずじまい。

頼まれたコースは知らないが、会費は一人頭で4千円。

梅の家のコースは上から一人前6千円のフイレ鉄板ボリュームコース。

次がミデイアムコースの5千円。

その下にあるサーロイン鉄板コースで4千円。

さらにくだって3千5百円のローススライスコース。

いずれも酒代はそこに入っていないから、単品の組み合わせで注文したのであろう。

これはピン甘ケータイ撮りの画像。



大きくぶつ切りしたコンニャクに豆腐とともにお肉で焼いたもの。

刻みネギがパラパラあるから、商品名はどうやらネギすじこん玉。

お値段は900円。

今夜の宴は4人ぐらいで食べるようだ。

お味は、ま、旨い。

次に配膳されたのはなんかの焼き肉に切れ目を入れたイカ。



モヤシとキャベツ盛りに載せてでてきた。

実は宴の会場で焼いているわけではなく、店内で調理された料理が宴の鉄板に運ばれるのだが、商品名がわからない。

これに海老、ホタテにブタとかあれば梅の家焼きだが、肉とイカだけならデラックスかな。

で、あれば千円。

肉肉しいほど肉の味が前面に飛び出す。

イカはまま旨い。

またもや運ばれた商品。

なんと鉄板プレートごと運ばれた。



串に挿しているからバーベキューかな。

串挿しではない横並び一列の丸いのはホタテでもなく厚めに切ったナガイモのスライス切りであろうか。

手前の串に挿しているのは鶏肉、豚肉、ホタテに太ネギなのであろうか。

商品名はさっぱりわからんが、旨い。

最後に登場した商品は見た目でわかるお好み焼きと焼きそば。



どちらも豚肉が入っていたような・・・。

で、あればどちらも6百円。

ビールはたっぷりいただいた宴にカンパイ。

宴も終わって解散。

帰りもとぼとぼ歩きで近鉄奈良駅まで。

西大寺駅で乗り換えて九条駅で降りたら自宅までの1.8kmの歩き。

帰り合計の万歩計は1414+2865歩=4279歩。

行き帰りの総計は8701歩。

携帯電話の万歩計が示す総距離は5.8km。

歩行時間はなんとなんとの1時間30分であった。

(H28.12.25 SB932SH撮影)
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私がとらえた大和の民俗―住―打上の宴in旬味和膳季乃庄

2017年08月17日 08時52分31秒 | メモしとこっ!
平成28年10月29日から12月11日まで開催していた奈良県立民俗博物館企画展の「私がとらえた大和の民俗」写真展

今回で6回目になったテーマは「住」。

手ごわいテーマにカメラマンの実力を発揮する。

今夜は打上の宴。

会場は博物館がある大和郡山市内。

近鉄郡山駅東側を下りて徒歩1分間の地にある旬味和膳の季乃庄だ。

かつて季乃庄は駅前バスローターリーにある西友ビル5階であった。

西友の撤退に伴い移転した旬味和膳季乃庄。

昨年も打上の宴があったが、私は心臓病2度目の入院の身であった。

それから1年後の現在は、といえば完全復帰することなく無難な生活を送っている。

尤も運転許可がでているので専らは相も変わらずの民俗取材に奔走している。

ただ、身体が動いていなければ脈拍は40拍まで届かない低脈拍だ。

そういう状態であっても生きている。

いただいた命は大事にしたい。

生活改善はしようがないが、リハビリ運動をすれば60脈拍前後になる。

つまりは動いておればまったく問題はないということで自宅にいるときは歩行訓練をしている。

季乃庄は我が家から直線距離にして数キロメートル。

ゆっくり駅まで歩いておよそ40分。

帰りは夜遅くなり運行するバスは走っていない。

日曜ダイヤの最終便は午後7時38分。

宴がいくら早く終わってもとてもじゃ間に合わない。

帰りはタクシーと決め込んで自宅を午後5時半に出た。

季乃庄に着いたのは午後6時7分。

まあそんなもんだと思った歩行数は3180歩だった。

会場の季乃庄はいつも予約客の案内をされている。

おっと、ここにも間違いがある「民俗」。

こういうミステークはブログ等でも散見する。

自動ドアに手を触れて入れば先客が座っていた。

いつも皆さん、早いことである。

宴の場は2階。

店員さんに案内されて階段を登る。

すでに人数分の膳の一部が並べていた。



先付けはメヒカリの酢漬けでろうか。

乾杯を合図にいただくスモークはハムなのか。

なんとかそうではないような味覚音痴である。

テーブルに配られた写真展会場でご記入いただいたお手紙。

これまではしたこともないノートに14人もの方々が感想を伝えてくれる。

JNPに所属するMさんが代表を務めるクラブの写真展は度々出向く。

拝見させていただいた写真にいろいろと意見してきた。

Mさんはネットを見ることもない。

写真家なら展示しているでしょ。

そういう場合は展示案内をしてくれたら是非行ってみたいと云っていた。

その声をいただいて葉書を送った。

私がとらえた大和の民俗―住―のポスターを縮小して葉書に印刷。

葉書は申しわけないが年賀はがきの未使用分。

何年か前の未使用だから2円切手を足して投函した。

毎年、送らせてもらっている知人・友人のすべてではないが、近況報告も兼ねて送付した。

解説を担当する日も記して送った。

届いた人は目を白黒されたかも知れない。

そのMさんは12月9日に来てくださっていた。

ありがたいことであるが、写真の批評は次回にお会いするときに聞きたいものだ。

写真展に参加されている鹿谷勲さんをよくご存じのMさんもコメントをしてくださっている。

私が解説日を担当する日に来館されていたことは学芸員から聞いていたので存じていた。

案内状を送ったので気にかけて来館してくださったと思う。

もう一人は大和郡山市の文化財審議官をされている長田光男先生だ。

長田先生も鹿谷勲さんのことは存じている。

嬉しい便りに写真家も。

「ムチ」を打たれた思いになったというSさん。

皆さん方、それぞれの温かい詞は今後の励みになる。

なかでも一番のお気に入りは解説当番をしていたときに訪れていた子供さん。

その日はとにかく多い来館者で溢れていた。

足をとめて見てくださる人や顔見知りの人たちに大きな声で話していた。

うんうんと頷く二人の女児はいつのまにか席についてノートに書いていた。

一生懸命な姿に何を感動してくれたのか、とても気になっていた。

「人のきょかをとって・・・人が写っているとそれだけで心があかるくなります・・・」と書き込んでくれたY・Sちゃんは花マークまで書いてくれた。

妹だと思われる女児も「風景をとっただけでもきれいでこころがあたたまるけど人が入るともっといい写真になるなと思った・・・カメラ目線もいいけど自然体が・・・」に猫ちゃんマーク。

涙が出るくらいに素直な女児の詞がとても嬉しい。

閲覧者は大人が大多数だが、大人にも子供にもわかるように解説させてもらった結果を書いてくれた。

この場を借りてほんまにありがとうを伝えたい。

さて、宴の料理である。

飲み放題のコース会席は4千円。

お造りは小さいが5品盛り。



舌平目のパリパり天ぷらに陶板焼き。



豚バラ肉がちょっとに厚揚げ、エリンギ、カボチャ、ピーマン、タマネギ、モヤシは味噌タレで食べる。

美味しい料理に生ビールはぐいぐい。



一時間後に配膳された白身魚の蒸し料理。

野菜はとうぜんながらの温野菜。

これはポン酢でいただく。

ビールはまたもやぐいぐいで4杯目。

縁もたけなわに時間を忘れる。

このまま解散したら次回はどうなるのか。

ここから始まった議論に活発な意見が寄せられる。

するか、しないのか。

継続するのか、6回目で終わりにするのか・・・。

写真家たちの声は続けたい、である。

1回目を始めたときだ。

当時、担当していた鹿谷勲さんはこういった。

「写真家一人が3点の写真をとらえる。10人が出展すれば30枚。何回か開催することで、60点、90点、120点・・・。集大成すればすばらしい民俗写真集になる。それに向けて・・」と云っていた。

そうありたいと、ここまできた。

テーマがあればあるほどさらにそれぞれのカメラマン目線でとらえた大和の民俗が描写される。

特にこの3年間は「食」、「衣」に「住」だった。

奥は深い民俗は手ごたえがあると感じるようになった写真家たち。

気持ちは続けたい、である。

で、あれば次回テーマは・・・。

私は思っていたテーマを発した。

未だ病に悩まされている心臓病。完全復帰ではないが、死も感じたこともある。再び「生」を授かったと思っている。

ならば、と思った「生」は却下された。

Nさんが云ったのは「水」。

Sさんが云ったのは「生業・仕事」。

私は職人としたいが、範囲が狭められる。

議論は時間切れで延長戦はなし。

さてさてどうなることやら。

ここで解散となってタクシーに乗る。

丁度、午後9時40分。

長い時間であったが有意義だった。

数日後、見ていたテレビは日本のチカラ。

漆掻き研修生の思いや活動の放映を主人公に国産漆は2%になっている状況を伝えていた。

98%は中国産。

劣化は国産よりも早く文化庁は文化財保護に国産漆に全面切り替えたという。

そうだ、「塗」があったんだ。宴の場で出た「色」は却下されたことを思い出した。

ピンときた極めつけの「染」も含めて、塗る・染める民俗だ。

やりがいがある民俗写真の取り組みに拳がぐっと挙がったが・・・。

(H28.12.11 SB932SH撮影)
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文化の日に出かける第68回正倉院展in奈良国立博物館

2017年07月05日 09時46分35秒 | メモしとこっ!
この日に行われる年中行事は多数ある。

さすがの文化の日、と思いきや村々で行われている行事に関連性はまったくない。

文化の日は昭和23年に公布・施行された国民の祝日の一つ。

それまでの昭和22年までは明治節として明治天皇の生誕日を祝う日であった11月3日。

生誕とはなんら関係のない文化の日になった。

特異日の日ともいわれている祝日文化の日は晴れの日が多い。

統計によれば翌日の11月4日とか5日のほうが多いようだが・・・。

いずれであっても晴れの日は「ハレ」の日。

気分も抑揚するが、心の中は消沈気味で出かける気は消えた。

カメラレンズの故障もあって撮る気が起こらない。

そこへもって念願日だった村の行事は宮司とトヤの都合で日延べした。

そんなこともあって朝からのんびりしようと思っていたら思いがけないプレゼントがあった。

ご近所の方がもってきてくれた「第68回正倉院展」の招待券。

なければ一般の特別観覧料金がいる。

税込みの1100円である。

待ち行列が少なくなる時間帯を選んで出かけた。

休日、祝日の日の奈良市内、特に奈良公園辺りを通過する車路は混み合って渋滞に巻き込まれると聞いたことがある。

たぶんにそうなるであろうと覚悟を決めてかーさんとともに出かけた。

混みだしたのは県庁前の道路。

真ん中のラインは特に混んでいた。

左右のレーンは僅かながらも動いているが、センターラインはとにかくひどい。

ほとんど動きもしない。

このセンタータインは展示する奈良国立博物館の真ん前を通る。

向かい側は氷室神社。

東に行けば四つ辻。

北に東大寺南大門。

東の奥は春日大社の駐車場。

大型の団体バスが何台も並んで止まっているように見える。

この辺りから盛大に流れる音楽が聞こえてきた。

なんでも県庁前で披露されている音楽祭のようだ。

息子に電話したかーさん。

その音楽祭に学生時代の友人がバンド出演しているので聞きに行ったのである。

奈良第芸術祭の関連イベントのようだ。

そのことがあって昨夜、というか深夜に帰ってきた。

急遽のことである。

車はなんとか停められたようだが、こちらは苦戦する。

方向、進路を急展開し県営の高畑駐車場を目指す。

ここが満車であったら・・・の心配をヨソになんとか数台を受け入れてくれた。

駐車料金は前払いの丸一日の千円、営業時間は朝の8時半から午後の5時までだが、出庫は24時間営業。

奈良公園に近い駐車場は気兼ねなく利用できるので長時間滞在の観光客にとってはありがたい存在のように思える。

ここより歩いて10分にある奈良国立博物館。

すでに長蛇の列が待ち受けていた。

そこへ並ぼうとしたが、どうやら違う。

団体観覧券・奈良博パスポートなどの団体入場エリアだった。

そこからぐるっと裏側に廻ればテントを張った場がある。



入場列の最後尾を示す札を持つ職員が立つ。

たしかこの辺りだったと思う。

正倉院展を拝見するのは今回で2回目。

前回は平成18年11月2日だった。

このときももらった招待券で拝見した。

たしか新聞販売所の人からもらったものだと思う。

このときは一人で観覧した。

並んだ場所はほとんど同じだったことを覚えている。

この日のアナウンスは30分から40分待ち。

前回は1時間の待ち行列だったように記憶する。

それにしても前回はこのような案内があったのだろうか。



「この列は、観覧券・招待券・引換券・クーポン券をお持ちの方の列です」とある。

待ち行列の列は正しいが、それ以外の人って並んでいるのだろうか。

徐々に少しずつの速度で行列は進んでいく。

館に近づいてもまだまだの長蛇。

ここで入場できるのか・・ではない。

さらに三つ折れの行列がある。



やっと館に近づいたという感触にガラス窓を見れば音声ガイドの案内立て看板。

貸出料金は税込の540円。

解説があれば理解しやすいと思うが、見るのも精一杯の観覧にゆっくりする余裕はないがこの辺りから行列の足が止まった。



それから何分経過したのか判らないがぞろぞろと動き出す。

考えてみれば団体さんの入館である。

三つ折れの最終レーンに目についたミュージアムショップの営業時間。

朝の9時はわかるが、夜の8時まである。

へぇ、である。

奈良国立博物館の開館時間は午後の5時までだが、ミュージアムショップは午後8時まで。

これは正倉院展会期中のさらなる特別対応に開館時間の延長があるようだ。

奈良国立博物館のHPを探してみたが「延長」日はいつなのか判らない。

探して、探してあった延長日は「展覧会カレンダー」にあった。

黄色やオレンジ色のマークはほぼ毎週の金曜日、土曜日だった。

午後2時20分から30分後の午後2時50分。

長い行列を経てようやく入館する。



館内は大勢の人たちで展示物に群がっていた。

展示物を見るには近寄らなければ見られない。

ふっと隙間が空く。

そこへそっと移動する。

ルーペというか目が老眼なものだから大きな文字は読めても小さな展示物はまったく見えない。

飾りがどんなんになっているかまったく実物が見えない。

それを拡大した写真で見るしかない。

観覧者の一部では遠眼鏡で見ている人がおられた。

これは良いだろな。

今回の展示でイチバンの印象に残ったのは大きな幡の残欠である。

他に銀平脱龍船墨斗、唐草文鈴、牙櫛、撥鏤飛鳥形などだ。

前回に観覧したものは特別な意味があった。

展示物の唯一の印象は私の名前(眞人)が古文書にあったことだ。

その文字を見つけたときは感動したものだ。

以前に勤めていた情報処理会社。

若い時、まだ二十歳代だったころに人生の先輩でもある嘱託員のSさんが云った言葉は今でも思い出す。

「田中くんの名前は日本書紀にも載っているぐらいの由緒ある名前だよ」と云われていた。

まさに、その通りに見つかったが、古文書がなんだったかメモってもいなかった。

今回もメモっていないから記憶から消えていくだろう、と思った。

館内滞在時間はトイレ利用もいれておよそ50分。

それにしても外国の人の姿はまったく見なかったように思える。

(H28.11. 3 SB932SH撮影)
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揃いも揃ったえーかげんな案内にえーかげんにせぇといいたい

2017年07月02日 08時38分42秒 | メモしとこっ!
どいつもこいつもなっていない道先案内人の対応。

言いたくもない、とんでも案内に立ち往生した。

言いたくもないのだが今後の対応が素晴らしい形になってくれると期待を込めて書くことにした。

場所は橿原市の今井町だ。

まちづくり団体が主導してさまざまな展覧会やイベントを開催する『はならあと』のサテライトエリア。

橿原市の今井町は『はならあと ぷらす』。

公募作家の10組と地域連携プロジェクトの4企画による展覧会を美しい町並みとともに楽しんでもらうという趣向である。

知人の作家さんが展示すると案内状が届いたので車を走らせた。

今井町の会場は点在している。

その会場に行くには車で、と考えていた。

駐車場はどこにあるのか。

ネットをぐぐってみた『はならあと』。

10月22日~10月31日までの期間で展示時間は朝の10時から午後の4時までだ。

「※会期中、インフォメーション(今井まちづくりセンター)にて、アンケートをご記入の方に「 今井まちなみ交流センター 華甍」の駐車無料券をお渡しします。」と表記しているが、駐車場はどこなのか。

その頁の一番下に会場マップがあった。

その右下に描いてあった今井交流センター「華甍」に吹き出し文字で「インフォメーション(今井まちづくりセンター)にて、アンケートをご記入の方に「今井まちなみ交流センター 華甍」の駐車無料券をお渡しします」とある。

その駐車場に行けばアンケ-ト記入があって。

提出することで無料駐車券をくれるのだろうか。

普通、そんなことはあり得ないが、書いてある文字を読めば、駐車場の処に案内人が無料駐車券を渡してくれるように思えた。

その駐車場のアドレスは書いていないからカーナビゲーションにセットはできない。

あとで判ったのだが、インフォメーション(今井まちづくりセンター)は会場の一角であった。

『はならあと』の頁をめくりにめくってアドレスが見つかった。

今井町1-10-9(重要文化財の旧米谷家住宅)をカーナビゲーションにセットして走った。

ある程度まで走ってなぜか教えるカーナビゲーションは畝傍を示す。

このままいけば遠ざかる一方。

入力しなおして戻る。

今井町はとにかく狭い。

昔の寺内町の様相をとどめている極めて稀に残った重要伝統的建造物地区。

何度か訪れているから記憶にある。

狭い街路をカーナビゲーションが指示する通りに到着した場所は民家だった。

その民家前には一般の駐車場があった。

『はならあと』が案内する「今井まちなみ交流センター 華甍」の駐車場ではない。

どこに向かえばいいのかその民家に置いてあった『はならあと ぷらす』マップ。

方角が判らないので街行く人に尋ねた。

その男性は黄色いようなジャケットを着ていた。

たぶんに案内してくれるだろうと思って声をかけた。

指定される駐車場はどう行けば良いのか・・。

こう行って、ああ行ってである。

男性が続けていった。

駐車するにはここへ行って駐車無料券をもらってからにしてください、という。

それなら先にそういうことを云うべし、であろう。

始めて訪れる人はなにをどうしていいのかオロオロする対応の伝え方だ。

そこへ行けばもらえるということでまたもや道案内。

ここをこう行って、あそこを曲がって・・・。

車を停めるにはお寺がある処に若干停められる場所があるから大丈夫と云われた。

大丈夫といわれてもアンケートを書いている時間に通行する車があれば迷惑になるだろうに・・。

そういったが、短時間だから行けます、という。

ぐぐっと廻ってそこに行った。

膨らみ部分はこれかどうか判らないが、すぐ向こうにインフォメーション(今井まちづくりセンター)らしきものがある。

無料駐車券はここで良いのかと聞けば、そうだという。

車はここへ停めてもいいのかと云えば、通行する車はないから、構わないという。

そういう通りにした。無料駐車券をもらうにはアンケートを、と云われて記入していたら、通行する車がクラクション。

予想していたことが発生した。

ここへ停めてくださいと云った和服姿の女性の案内にイライラする。

アンケート記入、車の移動、どちらを優先すればいいのか・・受付をしていた別の和服女性に云えば、車を移動してくださいだ。

当然だろう。

通り過ぎる車は2台。

なんとかせーよ、と言いたげな運転手の顔が見えた。

記入場所に戻って継続する。

すべてを記入したら、これは交換券なので無料駐車券と交換してください、という。

えっ、である。案内はどうなっているんだ。

そんなことはどこにも書いていなかった。

この場所を案内した男性もそういうシステムになっていることを伝えていない。

私はいったいどうしたらいいのだ。

車を駐車場に停めずに次の行先を指示する2番目に登場した和服姿の女性は云った。

駐車場に停めて、ここ今井まちづくりセンターに戻ってもらって、ここをこうして次の通りにある反対側の場所を示して・・・。

なんでそんなに大回りをしなければならないのか・・・。

女性がいうにはいろんな展示会場を見てもらうように案内している、という。

そんなアホな、である。

この時の時間帯は午後3時を過ぎていた。

迫ってくる展示時間。

駐車場は停めなきゃならんのに大回りをせよ、という大胆な案内にあきれかえってモノも云えないが、そういうわけにはいかない。

あんた何を考えてまんねんやっ、である。

先に無料駐車券に交換しておけば、残り時間を気にしなくとも安心して拝見できるでしょうに。

イライラに切れそう・・。

切れそうどころか爆発させたのは何回目。

指定された駐車場はタイムパーキング。

駐車カードを手にして知人が展示する会場に向かった。

無料駐車券を発行する時間帯は午後の5時まで。

展示会場の締め時間より遅い。

余裕時間は十分に確保できる。

そう判断できたから展示を見ることにしたのだが、こんなことも『はならあと ぷらす』の頁には書いてあったのだろうか・・・。



到着した時間は午後4時20分。

会場で知人をお会いした。

積もる話しに時間の経過が早い。

もうしわけないが、退出時間は午後4時を過ぎた15分だった。

展示会場を出ようとしたときに1番目に応対した和服女性がいた。

交換場所はどこかと聞けば、一緒に連れていってあげる、という。

それなら安心できる。

そう思って付いていったが、そこは午後5時までだからゆっくり・・・、と思ったが、その女性は午後4時半で閉まる、という。

時間がないし、その件はどうでもいいから、急いでください、という。

そうなんだ、無料駐車の交換券に書いてあった午後5時までじゃあなく、4時半が正しいのだ、と思った。

そこは『はならあと ぷらす』のマップにあった「景観支援センター(橿原市生涯学習部今井町並保存整備事務所)」であるが、交換して無料駐車券を発行するとはちっとも書いていない。

いったいここの案内はどうなっているのだ。

しかも、だ。ガイドマップの表記についてこうしておけばいいのではと伝えたら、私らなんぼ言っても聞いてくれないとグチまで零す始末。

この人もアンケートに書いて・・・、と云ったことに愕然とした。

和服女性は私を施設にここです、といって戻っていった。

職員は意図を掴んで無料駐車券を手渡すが、どう使用するのか説明をしない。

なんと無頓着のことか。

私が7年半も務めた施設でも同じように無料駐車券を手渡していたが、必ず一言を添えて伝えていた。

「お手持ちの駐車券を出口の機械に挿入して、次に無料駐車券を入れてください」、と伝えていた。

始めて利用する人は使い方も始めて。

機械に挿入することすら始めてという人も少なくない。

手渡したときにだいたいの人は不安そうな顔をする。

そのときに添えてあげる詞でどれほど救われるか。

たまに、無料駐車券を入れたらよろしいですね、という人もおられる。

そこで伝えるのは入庫するときに時間が判らなかったら、アカンでしょと伝える。

勤めていた施設で手渡す無料駐車券は2種類あった。

施設の利用時間に応じて2時間券か、30分券になる。

入庫したときの時間は駐車券に印字してある。

施設の利用はそれだけでも判断できる。

つまりは無駄な無料駐車券を遣わせないためにある。

そういうこともあって、入庫した時間が判らないと駐車場のシステムが成り立たんでしょ、というわけだ。

これらの説明は利用者に勉強していただくためにもしていた。

施設にとってではなく、利用者のためを、と思って説明していた。

それがサービスだと思っている。

単に券を渡す、のではなく、利用者の気持ちにそって優しく話してあげるのをモットーにしてきた。

おかげさんで仕事を離れた5年も経った今でも町ですれ違うときの私に声をかけてくれる人もいる。

昨日もそういう人に出会った。

ありがたいことだと思っている。

えーかげんな案内がリピータどころか、二度とその人は今井町に来なくなるだろう。

私はそう思ったことを事務室から出てきた上司にも伝えた。

展示会場に来られた男性にこういった経緯を話したら、アンケートに書けばよかったのに、という。

それは書いても無駄とは言い難いが、受け取った人、読んだ人は真剣に取り組まない。

頭のなかに若干の記憶は残るが、いずれは消えていく。

アンケートは絶えず人の見えるところに貼りだすのが効果的だ、と思っている。

大手のスーパーではクレームアンケートを入口付近で張り出しているケースがある。

で、そこには会社としてこのような対応をさせていただきました、とある。

それを読めば、会社の姿勢がよくわかる。

従業員の姿勢も判る。

挨拶だけではなく真心のこもった対応がリピータを呼び込む。

そんな今井町にしていきたいと云った上司。

研修も教育もしていきたいと云ったが、あえて否定した。

その対応は机上教育でしょ、である。

観光客という客は100人おれば100人とも異なる理由をもってここへ来たわけだ。

目的も思いも皆違う多様性がある。

教育・研修はありきたり。

マニュアル通りの対応では想定どおりにいかない。

100人とも違うのだから対応は100。

いや、100以上の対応が求められる。

それを習得するには無理がある。

早期に身につけなければ客は2度と来ない。

チャンスは客と直に応対するときに発揮しなければならない。

実践型の研修が必要だ。

研修と云わずに、案内する人は自ら進んで町行く人に声をかける。

かけるのはだれでもいいということではない。

動き、表情をみれば困っているかどうかすぐ判る。

例えば観光マップをもってウロウロしているか、あっちやこっちを見ている人だ。

行先が見えないとか、行き方が判らないとか・・・。

声をかけてもらうだけで救われるのである。

サラリーマン時代の十数年間。

毎年入社する新人研修に携わっていた

。間作った手引きやレジメは翌年には使わなかった。

入社する新人の反応が毎年違うのである。

人が替われば研修方法も替える。

おかげさんでその十数年間に関わった新人さんに教えられたと今でも感謝している。

そういうことではないでしょうか、と云えば、その通りと返された。

是非とも今後の今井町を見ていただきたい。

物理的施設の充実ではなく、ソフト面の向上を考えていきたいと話してくれた。

導入部の案内でリピータが増えてば今井町もさらなる発展をする。

職員の思いは私の思いと同じ。

その状態になるよう陰ながら応援することを誓い合って今井町を離れた。

振り返って再見した『はならあと』の頁にサポーターカテゴリがある。

サポーターは開催期間中の受付や作品の見守りに来場者の誘導、説明、ガイドブックの販売など。

今井町会場を案内するまちづくり団体は「今井町町並み保存会」。

市の外郭団体なのか、NPO団体なのか存じないが、駐車場および無料駐車券の発行に関して案内がぞんざいであったことが残念に思えて仕方がない。

そんなことがあってようやく知人の作家さんがお披露目していた会場に着いた。



玄関口の向こうに染物の暖簾がある。

これは作家さんの染めであろう。

雰囲気が素敵で吸い込まれるように入っていく。

もっと近づけば思った通りの暖簾。



玄関表に掛けて迎えるのも良かろうと思うと、そのときは思ったが帰宅して映像見れば、裏でないとできない効果があると知ったのだ。

さすが、である。

座敷に数点の作品を展示している。

藍染を主体にした作品は光を巧妙にあてることで不思議な空間を映し出す。



赤は赤なりの温かさ。

青は青で静寂さを醸し出す。

ぐだぐだあったここまでの辿り着くプロセスがすうっと消えていった。

良い作品に出合えてほんま、良かった。

(H28.10.24 SB932SH撮影)
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奇遇に繋がる妙な縁

2017年05月24日 09時03分28秒 | メモしとこっ!
それぞれがそれぞれに奇遇な出会い。

関係者は仮にAさん、Bさん、Cさんとしよう。

AさんとBさんは同郷であるが年齢は離れていた。

Aさんは生まれ育ちも、今も高取町住まい。

Bさんの現在のお住まいは東京・川崎市であるが、故郷は同町で生まれて育った。

年の差は云十歳。

年齢的に離れている関係で遊ぶこともなかったし、つきあいもなかった。

Bさんの故郷は高取町。

生まれ育った地域の歴史文化を知り、記録したいと考えて訪れた。

特に意識されていたのは「大和の清九郎」である。

清九郎が生まれたのは矢田(谷田)。

その後に移り住んだのが故郷の丹生谷であった。

その直前の3年間は鉾立住まいだった。

それを以って文政元年に僧・仰誓(ごうせい)が書き記した著『妙好人傳』に「大和國吉野郡鉾立村に清九郎と云ふ人あり云々・・・」とあることから、後年もなお、清九郎と云えば“鉾立”が成立したようだ。

Bさんが先代から聞いていたのは丹生谷。

そうであるならば一村を尊重するのではなく大きくとらえて“大和”の清九郎とされたのは先々代の喜多村得身氏。

地元から輩出された偉人・清九郎を誇りに郷土史として清九郎の事跡を纏められた。

清九郎に関係する道具などは寄進されて保存されている。

清九郎のことを調べるとともに丹生谷の史跡、歴史、文化など故郷を知る案内人がAさんだった。

CさんがAさんと出会ったのは大和郡山市の施設であった。

そのときの出会いはブログにしたためた。

その記事にも書いたが、AさんがBさんの関係をCさんに伝えたのは年賀状である。

3人のそれぞれの関係が輪になって繋がったのである。

その後はFBやメール等で情報交換していた。

Bさんが奈良に訪れる。

Cさんにその件を伝えたのはAさん。

日にちは限定されたこの日である。

3人揃って会えることになった。

わざわざ足を運んでくれた近鉄郡山駅に大集合。

二人は電車でやってきた。

駅舎内を渡る踏切がある。

走り去った急行は西大寺に向かった。

通過すれば遮断機があがる。

そこに立っていた二人の顔が見える。

Aさんとは平成27年5月以来。

その後は電話等で情報連携していた。

Bさんとは・・・実に30云年ぶり。

ビジネスマン時代の会社の東京支店長だったころにお会いしている。

それ以来だけに私の現状顔は認知されていない。

FBに貼ってあったプロフィール写真では判らないと云っていたBさんのために公開した写真は30歳代のビジネスマン姿。

これなら判ると伝えていた。

奇遇な出会いを経た3人が初めて揃う場は近鉄郡山駅からJR郡山駅まで続く商店街の一角。

かーさんが推奨した喫茶店はaran cafe(アランカフェ)。



かつては画廊だった。

喫茶店であっても入ることはない。

入店して時間を過ごすのがもったいないのである。

もったいないのは金額ではなく時間である。

たとえ1分でも5分間であってももったいない。

その時間は有効に使いたい。

金にならない今の仕事は先を急ぐ。

取材したものは写真だけでなく文章起こしがある。

これに時間を割きたい。

自宅でどっぷりつかって執筆したい。

そう、思うからなおさら時間が欲しいのである。

二人が寛いでいただける喫茶店はどこにするか。

Bさんは午後6時までに奈良市内に向かわねばならない。

近鉄郡山駅で迎えてウロウロするわけにはいかない。

観光案内する時間もない。

そう、考えて駅に最も近い喫茶店がaran caféである。

積もる話しもあるが、第一に聞きたい病後の状況。

それぞれがそれぞれに具合は良くなかった。

今では元気になったが、病は年相応にやってくる。

生前にやるべきことはそれぞれある。

話題が尽きない短時間の出合いに感謝して二人を見送った。

お土産に持ってきてくださっていた川崎大師名物の堂本製菓㈱の大師巻

かーさんは一口を食べるなり、美味しいを連発する。

すぐさま私もよばれていたが、ほんまに美味しい煎餅に感動する。

そのありがたいお土産を持ってきてくださったBさんと関係があったのがかーさんと呼んでいる家内である。

親会社に勤めていた二人は同じ職場だった。

かーさんが持っている写真に若かりし頃のBさんが写っている。

もちろんであるが、かーさんも若い。

その話しもしたかったが、会社時代のことはAさんと関係がない。

いつか再びお会いしたときには昔の会社員時代の話しもしてみようか。

(H28. 9.27 SB932SH撮影)
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在庫があった『奈良大和路の年中行事』

2016年12月06日 08時22分08秒 | メモしとこっ!
喜久屋書店大和郡山店のⅠさんに2009年(平成21年)発刊の著書『奈良大和路の年中行事』を開店当時に置いてもらったと礼を伝えたら当店舗よりも奈良目当ての観光客が多い奈良駅の店のほ方が良いとアドバイスされる。

石田店長はかつてJR奈良駅店に勤務していた。

そのころに置いてあった著書が記憶にあると云う。

現店長は知らないがいただいた名刺を伝えておくので、店長に棚置きのお願いをした方が良いのという。

大和郡山店はフアミリーが多い。

滅多なことでは地域誌は売れない。

むしろ観光客が多い店舗に置くべしというアドバイス。

大和郡山店は棚数も坪数も広い。

逆にJR奈良駅店の棚数は少なく坪数は狭い。

棚数は少ないが奈良の本であれば確実に手にとってもらえる。

そちら方が良いと云ってくださった。

念のためにと判断されて大和郡山店の在庫状況を調べてくれた。

これまで15冊も売れて現在はたった一冊の在庫に驚かれた。

仕入れは2014年(平成26年)。

当時の仕入れは16冊。

その後に売れた冊数が15冊だった。

最後に売れた年は2016年(平成28年)。

つい最近のことである。

奈良の中心部にでかけることはあってもJR奈良駅までは行く用事が見いだせない。

キッカケを作ろうと思っていたが日にちが経過するだけだ。

待っていても仕方がないのでお願い目的に家を出た。

行先はJR旧駅舎の真ん前。

右側にあるビエラ奈良の2階にあるという。

JR奈良駅高架下に建ったビエラ奈良のグランドオープンは平成22年の10月。

翌年の平成23年3月には店舗数が一挙に増えて16テナント。

奈良駅。近くにコインパーキングぐらいはあるだろうと思って走らせる。

駅手前の数十メートルの処にあったパーキングは30分で100円。

駅前にしては利用料金が格安だ。

お願いする案件はそれぐらいで終わるだろう。

ところが目指す喜久屋書店のJR奈良駅店が見つからない。

奈良駅の構内にあるのだろうか。

そういえば数年前にJR奈良駅は大きく変容した。

そのことは知っているが、現実感が伴っていなかった。

移設されたかつてのJR奈良駅舎は場所が移っていた。

ここであれば書店の場所を教えてくれるだろう。

そう思ってドアを押した。

すぐ右手にあった受付は手荷物の受付。

観光案内に尋ねる人も多いと思う旧舎はまさに奈良市総合観光案内所

平成21年7月にオープンしていた。

そりゃ知らなんだ、である。

そのことを知らずに出かけた私にかーさんが云った。

百均ショップのセリアもあったでしょ、である。

そんなことはともかく喜久屋書店に出かけた目的は平成21年10月に京都淡交社より発刊した著書の『奈良大和路の年中行事』の取り扱い願いである。

十日ほど前、購買したかった本の発注に手配をしてくださった店員さんが連絡をしておきますと云ってくれたことだ。

連携をしてもらったのはいいが、JR奈良駅前店の担当者とは面識がない。

面識がないのに取り扱ってもらうという厚かましさは持ち合わせていない。

お願いは丁重にする。



そう思って女性店員さんに声をかけたらどうやら伝わっていたようだ。

この日は代表の人は不在。

もう一人の店員を呼びますと云って案内する。

応対してくださったのはNさん。

大和郡山店のⅠさんからはその日の5月17日に連絡が届いていたという。

速やかに連携してくださっていたことに驚く、というか、さすがの喜久屋書店さんだと思ったのだ。

組織がきちんとしていることは渋滞ない顧客サービスができている。

そう思ったのだ。

Nさんの口ぶりでは既に出版社の発注をしているようだ。

手元はまだ届いていないと思って持参していた著書を手渡す。

ぱらぱらと頁を捲る。

圧倒される行事写真に驚かれるが、奈良の行事は東大寺二月堂の修二会ぐらいしか存じていないと・・・。

この本で奈良のことを知りたくなったと話すNさんに提供することにした。

尤もそのつもりで来た本日のお願いである。

ちなみに郷土史関係は入口付近にもあるし奥の書架棚にもある。

今は古事記の流行り。

特設コーナーにぎっしりと並んでいた。

(H28. 5.17 記)
(H28. 5.26 SB932SH撮影)
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落し物はナンデスカ

2016年11月29日 08時21分20秒 | メモしとこっ!
2月より治療を再開して早や3カ月。

毎週、水曜日は歯医者さん通い。

この日もリハビリ運動を兼ねて自宅より歯医者さんまで歩き。

片道ジャストの1kmを15分かけて歩く。

予約してある日が大雨でもない限り、徒歩通院である。

歩きの道はいつも同じだ。

県立病院の新築工事を左に見て北へ向かう。

奈良市七条西町の住宅街を抜ける。

不思議な場所にある地蔵さんの前を通る。

毎日、庭の手入れをされているⅠさんに挨拶をして下る道。

自動車の往来が多い道。

そこに何かが落ちている。

黄色いサイフのように見えたモノが落ちていた。

車であれば気がつかないモノである。

ふと、通り過ぎようとしたが、何故か気になる真新しいモノ。

戻って拾い上げたら写真がある免許証だった。

年配の女性の顔写真に名前があった。

免許証だけに住所もある。

番地はどこか判らないが地元住所。

なにかのかげんで落としたのであろう。

広げてみれば紙幣を挟んでいた。

たしか近くに駐在所があったはずだ。

そこは歯医者さんからまだ向こう。

300m先にある。

歯医者さん経由で向かってみるかと思ったが、見つけた場所にパーマ屋さんがある。

もしかとして、だ。お客さんが出入りの際に落としたのではないか。

そう思って玄関を開けた。

パーマをあてているお客さんが一人。

「ここで拾ったんですが、店主はられますか」と声をかけた。

しばらくすれば顔をだした店主にその名を告げたらお客さんの一人だという。

ただ、免許証写真に写っている年配婦人ではなく、若婦人のようだ。

開業以来ずっと来店されるその人の家に電話を架けたら間違いないという。

すぐにそちらへ参るということでしばらく待つ。

待っている間に話しかけるマーパ仕掛り中の婦人が云った。

「バッグを何個も持っていたとき一個をよく忘れるのです」という。

財布ではなくバッグである。

店主も云った。

「これまで5回も財布をおとしてことがあるのですが、いずれも無事に戻ってきました」と話す。

そんな落とし物話しをしていたら落し主家の若婦人が顔だした。

免許証入れをみたとたんに「これです」。

「良かったですね」と云って手渡したら、「おばあちゃんの送りを急いでいるので、お礼もできませんが・・・」と云って車に乗って走っていった。

私がどこの誰べえであるのか聞きもせずに、である。

(H28. 5.11 SB932SH撮影)
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利便性が良い街

2016年11月03日 09時27分01秒 | メモしとこっ!
おふくろが一人住まいしている大阪市営住宅。

生まれ故郷の市営住宅は戦後に建った戦災罹災者向けの木造住宅だった。

大阪と堺の間を流れる大河は一級河川の大和川。

源流は奈良県にある。

市営住宅はその川の北側に位置することから大和川住宅と呼ばれている。

私が結婚したころはまだ木造住宅だった。

数年間をかけて建て替える計画があった。

そのころに結婚した。

新居はここではなく3畳と6畳二間の文化住宅だった。

叔父叔母が経営する文化住宅に一年間ほど住まいした。

建替えた大和川住宅は5階建ての集団型鉄筋コンクリート造りになった。

管理開始年度は昭和49年。

新築できたてのときに入居した。

そういう約束だった建替えやむない住民優先事業に乗っかった。

当時は自家用車も乗っていた。

駐車場は割り当てられた住宅内の道路だ。

通行を妨げない道幅を確保しつつ住居者のマイカーに対応する。

区割りは白線で引いただけの場である。

暮らした数年後に現在住まいする奈良県に引っ越したが、おふくろは気がねない一人住まいが良いと云ってここに住んでいる。

住まいは別居という形であるが子供が小さいころは家族が泊まり。

狭い部屋だったが温かみがある環境下にあった。

そのころから気になりだした駐車場である。

住民は割り当てがあるが、お客さん用の駐車場はごく僅か。

幾度となく里帰りする家族は増えていったが駐車場の数は増えることはなかった。

住宅内に僅かな空きスペースがあった。

泊まりのときはそこに停めたがいつしか煩くなった。

住宅外には流行りのタイムパーキングもない。

住民に迷惑をかけず、しかも安心して停められる場はない。

用事が済むまでは車内で待機せざるを得なかった。

その時点では空いている場に停めて待っていた。

だが、本来の利用者が戻って来られたら場を移動する。

厄介な住宅の駐車スペースが一変していた。

案内看板をみれば駐車場の有料化である。

徐々に段階を経て工事が進んでいる。

これなら安心。

心置きなく停めることができる。

大和川住宅の南側は大和川の堤防がある。

川を隔てた向こう側は堺市の鉄砲町。

数年前から大工事していたダイセル堺工場の跡地。

ダイセルは大日本セルロイド株式会社の略称。

ダイセル株式会社の商号になったのは昭和41年だった。

中学生から高校生になるころだ。

その後の昭和57年8月に爆発事故が発生板。

一人住んでいたおふくろは大地震が起きたと思えるぐらいの揺れに天井に吊るしていた電灯が落下したのにびっくりした。

平成19年、阪神高速道路大和川線の予定地になり工場閉鎖。

それから9年後に開店した大型スーパー。

イオンスタイル堺鉄砲町の誕生である。

物珍しさもあって開店した当初に歩いてでかけたおふくろ。

近距離であるのに時間がかかったという。

住宅から歩きは近いようで遠い。

住宅からでかけてスーパーへ行く買い物客は自転車。

今までみたこともない大量の住民が往来する。

車から拝見した感じでは若い婦人。

子供用の椅子がある自転車ばかり。

利便性があると判れば暮らしやすい。

木造住宅地で育った子供の頃。

遊び場はご近所。

住宅地内もあるが、砂場が多かった大和川も多かった。

筏代わりの畳を浮かべて遊んだこともある。

泳いだこともある大和川は天然の鰻もいた。

多くの稚魚が遡上していたことを覚えている。

それはともかく本料理なにわの和食を食べた帰り道の寄り道に立ち寄るイオンスタイル堺鉄砲町。



平成28年3月19日がグランドオープンだ。

イオングループであるなら売っているものは同じと思っているがそうではない。

何割がたは同じであるが、ちょこちょこ違う。

大和郡山のイオンモールや富雄南のイオンタウンで買い物をすることがあるからだいたいが判る。

が、である。

さすがに堺の鉄砲町。

岸和田にしか売っていないB級グルメがある。

「かしみん焼き」だ。

「かしわ(ヒネ鶏)のみんち(ミンチ肉)焼き」を短くした商品名。

かしわ入りの洋食焼きである。

これが食べたかったとかーさんに伝えたら欲しくないような顔をした。

残念、であるが、「かしみん」を売っているのは海側の町である。

いろいろ見ては買いたくなる商品がとにかく多い。

じっと我慢で店を出た。

(H28. 4.30 SB932SH撮影)
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大柳生・吐山・篠原「大和の太鼓踊り」の講演と体験ワークショップin奈良県立図書情報館

2016年09月27日 10時08分25秒 | メモしとこっ!
忘れないように書き込んでおこうと思った講演会と体験ワークショップがある。

奈良県立図書情報館で行われた一日限りのイベント。

奈良県内の大柳生・吐山・篠原で行われている「大和の太鼓踊り」をテーマに開催された。

このイベントを知ったのはたまたま登場したFBのイベント紹介である。

どういう関係からこれが登場したかは判らないが、主催に「奈良の文化遺産を活かした総合地域活性化事業実行委員会」がある。

この実行委員会の存在は存じていない。

いつできあがったものかも判らないし、何をしているのかも判らない団体である。

ここに並列表記した(事務局)に「奈良県教育委員会事務局文化財保存課」の課名がある。

記されていた電話番号も課の番号である。

イベントタイトルからでも判る大和の伝統的な民俗行事の太鼓踊り。

大柳生は奈良市東部山間にある大柳生。

吐山は旧都祁村にあった現奈良市都祁吐山町。

篠原は旧大塔村の篠原。

現在は吸収合併した五條市内の大塔町篠原である。

イベントチラシに「県内では45もの祭りや行事が、国や県の無形民俗文化財に指定されています。今回は、“太鼓踊り“をテーマに3地域を取り上げました。”頭“と”体“を使って地域と文化財を知る、感じる、つなぐ、きっかけになればと思います」と書いてあった。

第一部は“広く知る“に「大和の太鼓踊り~風流踊りという芸能~」をテーマに元京都学園大学准教授の青盛透氏が語る基調講演がある。

第一部のもう一つに”それぞれを知る“がある。

前述したキーワードに挙げている大柳生・吐山・篠原、各地域の太鼓踊り映像で観て地域の人から話しを聞く、である。

第二部は各地域の太鼓踊りを教わって一緒に体感してもらおうというプログラムだ。

協力に大柳生町自治会、吐山太鼓踊り保存会、篠原おどり保存会のみなさんが登場する。

共催は奈良県立図書情報館。

今回のイベント資料に太鼓踊りや奈良県の指定無形民俗文化財に関連する図書館所蔵リストが配布された。

研究者にとっては調べる手がかりになりそうなリストであるが、ここでは省く。

到着したときはすでに講演会が始まっていた。

後方にビデオ収録していた二人は顔馴染み。

頭を下げて静かに席につく。

そこで気がついた筆記用具。

メモを残すに必須アイテムが要る。

ボールペンを忘れたことに気がついたが、遅し、である。

頭の中に映像や語りを残そうと思っていたが、帰宅して数か月も経過すれば真っ白。

残ったのはケータイ電話で撮った体験ワークショップの様相である。

篠原おどりは講演会会場。

持ち込まれた太鼓とバチがある。

そこには艶やかに舞う女性陣が使う扇だ。

太鼓は10張。



その中に古くから使われてきた太鼓がある。

じっくり拝見する余裕はない。

太鼓を打つ人は床に座る。

後方には扇を手にして舞う。

篠原踊りの艶やかさはここにあるが、太鼓を打つまでの体験だけに太鼓役は座って打つ。

足の振り付けはないが、長老が唄う篠原踊りの唄が哀愁を帯びていた。



その場に居た人物はどこかでお見かけしたことがある。

名前が思い出せない。

もしかとすればと思って声をかけたら川上村東川在住のMさんだった。

実に9年ぶり。

平成18年9月18日に訪れた烏川神社の豊穣祭の千本杵以来である。

千本杵で餅を搗く際に唄われていたご仁である。

「めでた めでたの 豊穣の祭り ソリャー豊穣の祭り イョー みなの幸せ ソリャー祈りましょ おもしろや」とおめでたい言葉が連なる伊勢音頭の囃し歌だった。

この場に来られていたのはたぶんにご招待。

東川には大きな祝いごとにしか登場しない太鼓踊りがある。

私が取材した日は平成17年11月13日

東川では古典太鼓踊りと称していた。

太鼓踊りのつながり関係で来館していたのであった。

9年ぶりにお会いしたMさんとは年賀状でやり取りをしていた。

その賀状に書いてあった川上村のビッグイベント。

話しを聞いて納得した土蔵生誕百年祭である。

体験ワークショップは篠原だけでなく大柳生もある。



踊り演舞は場所をとる。

他地域に影響を与えることなく一室離れた場で行われた。

自治会長自らが演じる足腰。

イチ、ニー、サーン、シーと数えながら跳びながら移動する。

太鼓を胸に付けての踊りはそれが慣れてからだ。

もう一つの団体は館の外庭だ。

チャンチャチャチャンの鉦の音にドン、ドンと打つ太鼓。

足さばきは身体ごと左右に動く。

シデ振りと太鼓打ちは中央で行われる。



民俗行事を丹念に追いかけて写真を撮っているTさんも体験していた。

ところで青盛透氏の講演語りである。

メモがないからまったく思いだせない。

配布された資料を紐解く。

と云っても書き写している間に思いだせると思って書きだした。

資料のタイトルはコラム②の「“風流”と“風流踊り”」である。

前年の平成27年11月3日に取材した行事がある。

それは奈良県ではなく京都府南山城村で長く伝承されてきた田山の花踊りである。

現地で拝見した踊りは奈良県内の太鼓踊りとは異なるものだと確信した。

主に三重県に伝わる太鼓踊りは服装も所作も異なる。

敢えていうなら奈良市月ヶ瀬の石打で行われている太鼓踊りが近いと思っていた。

石打は三重県寄りに近い地域。影響を受けたことは当然であろう。

田山の花踊りを調べるに、一般公開されているネットを駆使して探した。

見つかったのは「三重県インターネット放送局」が公開している三重県内の伝統行事である。

そのすべてではないが、一部にカンコ踊りとかを解説していた断片的な報告書が添付されていた。

執筆者にこの日語りをする青盛透氏や植木行宣氏、鬼頭秀明氏、長谷川嘉和氏らの名がある。

取材地によっては㈱CNインターボイス社がまとめた報告書もある。

これらは「平成22年度ふるさと文化再興事業地域伝統文化伝承事業」の報告書の一編である。

地域的な伝承はコラム②にも書かれているから読んで欲しいし、県内で民俗行事を写真でとらえている写真家は特に拝読して欲しいと思うのだ。

質問した内容はメモも捕っていないのでまったく思いだせないが、青盛透氏の回答は「女装は間違いなく風流である」と云ったことだけが記憶にある。

“風流”は“ふうりゅう”でなく、“ふりゅう”と呼ぶ。

コラム②によれば「貴人に下賜(かし)された装束や道具の豪奢な飾りの意味があり、そこから趣向を凝らした造り物、仮装行列、また、それに伴う歌や踊りの意味として用いられた。

大治四年(1129)六月十四日条にある『長秋記』。

美麗な飾りの意味であり、芸能そのものではなかった」。

「鎌倉期、平等院で催された延年風流に大がかりな造り物があった。院政期からか鎌倉期の祭礼に、山鳥の毛をつけた笠を被り、装束を着たきょうの町民や郊外村民が領主や貴人宅を訪れて歌舞を演じていた」。

寛喜二年(1203)七月七日条の『名月記』である。

このころの風流は「歌や舞が伴う囃子物。芸能風流はプロの集団ではなく素人の手による芸能であった」。

室町期、さらに広がる風流は正月の松囃子、盆の念仏風流、雨乞い風流、・・・季節の行事、信仰とは関係なくあらゆるものに付随するもになった。

戦国期には歌謡小唄を組み合わせた踊り唄も。

唐織物の小袖で衣装を統一した踊りが登場したことを書いているのは大栄元年(1521)七月十四日条にある『春日社司祐維記』だそうだ。

風流踊りに特化したものが女装。

京都、奈良、大坂などの都市部に流行。

これがいわゆる“風流踊り”であると氏が伝える。

こうして講演や体験ワークショップを書き残していたら、ふと思いだした。

青盛氏に質問した内容が頭の中に湧いてきた。

京都府南山城村の「田山の花踊り」に登場する「唄付」である。

唄付は「フクメン」の女装化であった。

(H28. 3.26 SB932SH撮影)
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