マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

ヒルホテルサンピア伊賀の法要膳

2016年08月04日 09時01分29秒 | ぽつりと
お寺より移動して四十九日法要の膳をよばれる。

場所は何年か前にも泊まったことがある「ヒルホテルサンピア伊賀」だ。

叔父さんの三十三回忌にお寺さんで法要。

平成21年11月8日のときも利用した会席の場である。

なお、宿泊したのは同年の12月31日から明くる年の正月元旦だ。

今回の会席の場には九品寺住職も同席する。

お通夜に葬儀のときもそうだった。

甥っ子二人の計らいは信仰心。

毎月のお勤めもあそうだが、会席の場にも尽くされる。

最初に出された前菜。

黄色い椀に柿を模した椀の二品。

美味しいが右の料理は心臓負担がある塩分量が多し、である。



造りもの、煮物、菜の和え物もあればシンジョの椀もある。

どれもこれも美味しくいただくサンピア伊賀の懐石膳に分厚く切った牛肉が出てきた。



野菜も盛った牛肉は伊賀牛ではないが、国産牛ですと会席担当者が伝えてくれた。

間違ってもここで伊賀牛ですといえば、偽装になる。

偽装はもってのほかなのだ。

その国産牛をバターで脂を敷いた石で焼く。

火の勢いがついてジュージュー。

シオ・コショウではなくタレに浸けていただく。

口の中で溶けるように消えていった国産牛。

感動するぐらいに、とても美味しいのだ。



2匹のエビの天ぷらは揚げたてほくほく。

プリプリ感がたまらない。

ナスビやシシトウもできたての揚げたて。

サクサク感が嬉しい。



食は大いにすすんで白ご飯はパクパク。



最後に出たデザートも完食した。

(H27.11.12 SB932SH撮影)
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四十九日法要in伊賀市守田の九品寺

2016年08月04日 08時35分53秒 | ぽつりと
叔母のふーちゃんが亡くなって四十九日を迎えた。

仏さんになったふーちゃんの遺骨は先に亡くなっている叔父さんの墓石に入る。

集まった親族は葬儀と同じ参列者。

数えて全員の8人だ。

9月29日の葬儀を終えて一か月以上。

四十九日の法要は先祖代々の墓石がある三重県伊賀市守田にある天台真盛宗袖合山九品寺だ。

生前、先祖供養に度々訪れたことがあるお寺さん。

始めてきた頃はいつだったか覚えていないが、古い寺院だと思っていた。

平成11年に本堂は建て替えられて美しくなった。

天井から吊り下げていた嫁入りの籠も綺麗になった。

建て替えられるまでの本堂にも安置していた中将姫座像がある。

奈良県葛城の當麻寺は中将姫が一夜にして織ったとされる當麻曼荼羅図で名高いお寺である。

実は、伊賀の九品寺には厨子に納められた中将姫座像があるのだ。



台座に「理岳清信居士十七回忌菩提のために黄金一枚を以って造る 寛保元年(1741)文月(旧七月)中旬 當麻寺に於て 弘実」の文字があるそうだ。

寺伝によれば、本木像は當麻寺安置像とよく似ているという。

が、なんとなく顔相が違うように思える。

本堂を離れ、墓地門の傍らに小堂がある。

格子窓から拝見した仏像は釈迦如来涅槃像である。



「九品寺の寝釈迦さん」と親しみを込めた名で呼ばれる涅槃の姿である。

幾度も同寺を訪れていたが、格子窓を覗くこともなかった。

これまで奈良大和の行事取材で涅槃を表現した数々の掛軸を拝観したことがある。

大きな涅槃寝像は今回の法要で始めて知った。

住職による四十九日法要は本堂で行われた。

次がお骨入れだ。

墓石を動かして内部に納めたお骨。

塗りのお骨いれであれば風化しない。

素焼きのお骨いれでないと・・と話す住職。

塗りのお骨入れから取り出したお骨は布で包まっていた。

その状態で納めて水焼香。

墓石に三度、菩提の塔婆に一度の水をシキビに浸けてかける。

その墓石から少し離れた場に先祖代々の墓がある。

古いものだと昔から云われていたが、じっくり眺めることもなかった墓石の年号。



江戸時代のものでわりあい明確だった年号は文化元年(1804)、天保二年辛卯(1831)、寛政六年(1794)、宝暦五年亥(1755)である。

他にも文化、文政(1818~)に天明年間(1789~)もある。

宝暦五年の墓石が先祖代々の最古。

今から261年も前のことだ。

先代住職は分家である私を十六代目と云っていた。

仮に一代が20年として単純計算すれば320年で最古の宝暦年と一致しない。

過去帳はあっても墓石はある時代に寄せられたそうだ。

ほとんどが無縁仏になろうとしていた先祖の墓石群。

「散在したものもあった」と、当時話してくれた先代住職の言葉を思いだす。

(H27.11.12 SB932SH撮影)
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リッチな会葬の膳

2016年06月07日 08時36分14秒 | ぽつりと
享年87歳のふーちゃんを送る斎場は大阪市福島区にあるロイヤルシティホール野田。

通夜の晩は我が家で一夜を過ごしたおかんも乗せて車を走らせる。

前日に走った道路は記憶に新しい。

難なく駐車場に着く。

葬儀の斎場、祭壇の逆方向にあった写真群。



若いときの姿はまるで女優さん。

婿入りした旦那と並んだ写真もある。

戦災者が移住した市営住宅はすぐに判る。

我が家の住まいは住之江の大和川住宅。

同じく戦災者が移住した市営住宅だ。

横に並べた板壁が象徴的。

玄関口で判った地上げ前の様相は同じだった。

淀川が氾濫しそうになるということで数年後には数十センチも家屋ごと上げた地上げだった。

当時の写真はモノクロだが、子供が生まれ育った何十年後の姿はカラー写真。

これらの写真はDVD化されて葬儀会場に映し出される。

ふーちゃんは親父といとこにあたる。

おおばあさんの子供は男女二人。

兄貴がふーちゃんの親父さんで娘は私の親父の母親だった。

親父には弟も居た。

家に残された写真に親父が出征する時と思われる写真がある。

その写真は三人の他、おおばあさん、祖母、ふーちゃんの父親も写っていた。

場は柏里でもない。

戦災で焼ける前の瓦町の呉服問屋であったろう。

今となっては誰も生きていない戦中時代の写真にふーちゃんはモンペを履いていた。

僧侶はお通夜に法要してくださった三重県伊賀上野の九品寺住職。

住職が云うには比叡山天台宗の分かれの宗の真盛宗(しんせいしゅう)である。

通夜は一人僧侶であったが、葬儀は三人僧侶で営まれる。

焼香は喪主から始まって止め焼香で終える。

関西特有の止め焼香は指名された私が務めた。

棺桶の中のふーちゃんを見送って霊柩車に納める。

それを先頭に喪主が乗ったタクシーに次いで大阪北斎場に向かう。

カーナビゲーションに場を入力する間もなく出発した。

あみだ池筋、中津駅前、城北公園通、天神橋筋を経て長柄西にある市営北斎場に着く。

一同、焼香をして見送る。

骨あげまでの時間帯は葬儀の会食。

ロイヤルシティホール野田へ戻っていただく料理にお品書きがある。



前菜は季節の六品盛り。

お造りは中トロ鮪、イクラ、あおり烏賊、赤海老、あしらえ一式。



前夜の通夜料理もいただいた「季彩菜」(SHIINA)の料理はとても美味い。

特に中トロ鮪は絶品だった。

造り盛りにある透明な糸コンニャクのように見える添え物が気になった。

食感はプチプチ感だ。

初めて口にするこれはなんであろうか。

配膳していた女性職員に尋ねたら料理長に聞くとのこと。

その答えはビードロの名がある海藻だった。

海藻だというが実態はそうではない。

昆布等のぬるぬる成分を摘出する。

ぬるぬるはフコイダンと呼ばれる成分で、水を配合して麺状に形成したものをビードロというようだ。

サラダにも合うというビードロは近くのスーパーで売っているのだろうか。

一度、探してみようと思った。

焼き物はカジキと茄子のバジルソース掛け。

ヤングコーンに刻み野菜を盛りこんでいる。

小鍋は鱧の山椒鍋。玉ねぎ、牛蒡、キャベツとともに煮立てる。

レンゲで出汁つゆを掬って椀に入れる。

煮あがった具材も入れる。

これがまた美味いのである。

出汁が利いているのは判るが何だろうか。

揚げ物は海老の天ぷら、海老の湯葉巻き、鱧の紅梅揚げ、南京。

揚げたてを梅塩に付けて食べるのだが、塩分調整している身体には毒だ。

梅塩を付けなくとも天ぷらそのものが美味しいのである。

特に美味かったのは海老の湯葉巻きと鱧の紅梅揚げだ。

酢の物は〆鯖、白木耳とヒジキ、土佐酢ジュレになた豆の花だ。

木耳そのものには味はない。

酢に漬けていただく。

シャキシャキ感がたまらない木耳の食感である。



蒸し物は雲丹の茶碗蒸しに銀餡掛けだ。

真黄色に染まった茶碗蒸しは初めて見る。

とろとろの食感に雲丹の香りがどっとやってくる。

特別な味に酔いしれる。

飯物は新潟産こしひかりに玉蜀黍(とうもろこし)を混ぜたご飯だ。

甘い玉蜀黍に何故かバター味を感じる。

椀物は木の子つみれに順才、三つ葉を浮かした清汁仕立て汁椀だ。

すまし汁を食べるころはお腹がいっぱいになっていた。

これほどのボリューム感がある骨あげ待ちの料理に胃袋が驚いている。

これまで列席した葬儀食はパック詰め料理だった。

これがフツーだと思っていた。

まるでデイナーのように配膳される料理は初もの体験。



ラストを締めくくるデザートもある。

アシェットデセル、チョコレートケーキ、マンゴーゼリー、黄桃紅茶ジュレに食べごろのメロンであった。



ご飯につきものの香の物の3種盛りもあったが、これもまた塩分調整している身であるゆえ箸をつけるわけにはいかなかった。

そういえば配膳された料理のなかに麺類があった。

おもてなしの一貫として冷やし煮こごり素麺の一品もあった。

これを仕上げと書いてあったが、配膳途中に出てきた。

食べ終わったころの時間帯は骨あげになる。

再び大阪北斎場に向かう。

サイバシで拾う故人の骨。

病に伏したときは骨が黒くなると信じてきたが見つからない。

葬儀屋さんの話しによれば、それは俗説というのである。

病気であっても骨は綺麗な色。

染まっているのは棺桶に入れた花などが焼けた色だという。

そして再び戻ったロイヤルシティホール野田。

これより始まるのは初七日。

住職が弔う念仏は切り上げ法要の追善法要。

冥途に・・向かって供養された。

こうして喪主は四十九日までの毎日に冥福を祈る。

(H27. 9.29 SB932SH撮影)
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十六夜の通夜

2016年06月07日 08時22分34秒 | ぽつりと
旧暦八月十四日。

彼岸明けのこの日の夕方に電話が鳴った。

架けてきたのは甥っ子の貴ちゃんだ。

一週前に見舞ったふーちゃんが入院していた病院で亡くなったという。

大腸がんを患っていたが、痛がることもなく眠り着くように静かに心音が途絶えたと伝える。

一週間前、声を架けて名前を呼んだら頷いた。

聞こえていたと思われる。

医師の診断によれば五分五分。

どっちに転げるか判らない状況であった。

体力は保たれるか。大腸がんを患ったことが発覚したのはほぼ一年前。

おそらく一年ももたないだろうと通告されていたようだ。

電話があった二日後がお通夜。

満月で光り輝く十六夜の日である。

通夜の会場は大阪市福島区にあるロイヤルシティホール野田。

株式会社ベルコが運営する葬儀会館である。

おふくろを迎える地は大阪市住之江区。

AKGコーポレーションから配車された代車で出かける。

見舞いに出かけたとこも代車だった。

住之江までは特に支障もなく走行する。

さてさて困ったのは葬儀会館がある地点である。

代車に搭載されているカーナビゲーションはやや古い。

会館の電話番号は受け付けない。

古いカーナビゲーションには登録されていない。

住所番地を入力するが、これもまた末端番地がない。

ここら辺りだと見当をつけて阪神高速道路を走る。

予め見ていたパソコンマップでは福島で降りれば良いと思っていた。

なんとなく不安であった。

それが的中して淀川の橋を渡りきって塚本で下りる。

柏里・野里の通りを抜けて淀川大橋を曲がる。

道中にあった柏里は我が家と同様に戦災にあった人たちのための市営住宅。

今では高層建ての住宅地で60年前の面影はひとつもない。

野里へ通じる通りを西南へ走っていた。

ここは大正金属があった処だという。

現地は思いだせないが親父が働いていた勤務先だ。

親父はそこで経理を担当していた。

それはともかくカーナビゲーションに入力した番地を手掛かりに梅田へ向けて走る。

野田駅近くまで行けばロイヤルシティホール野田の建物が見つかった。

警備員に誘導されて駐車場に車を停める。

エレベータに乗って案内される白と黒いドレス姿の職員さん。

エレガントな感じに受けた。

通された室内は親族集合室。

挨拶を済ませて通夜の会場に行く。

亡くなったふーちゃんはエンバーミングされて霊安室に納められた。

この日はお通夜。

葬儀フロアーに移送され、寝棺は真正面。

周りを囲む祭壇の洋風花が咲き誇っていた。

ふと気がついたものがある。

小豆餡餅、赤飯、ジュースにコーヒー豆など。

そこには揚げたて出来たて天ぷらがある。

パックに詰めた天ぷらは惣菜屋さんで買ったものだろう。

これは二人の息子が特別に供えたふーちゃんが好きだった食べ物だ。

こんな仕掛けは初めてだ。

二人の心遣いに感動する。

お通夜に出仕された僧侶は伊賀上野の九品寺の住職だ。

ふーちゃんよりも先に逝ってしまった旦那さんのイチローさんの墓がある。

九品寺には代々の墓もある。

先祖供養に何度か訪れたことがある。

息子は当時の城主の武将家来だった15代目。

分家である私は16代目だと聞いているが、特別なことは何もしてない。

享年87歳で逝ったふーちゃんを弔うお通夜はマクラ念仏に通夜回向だ。

お供えに好きだった熱々のコーヒーを手向ける。

こういうセレモニーも初めてだ。

セレモニーは続きがある。

お供えをした右側に白いバラで飾った花壇がある。

そこは少しだけ空間があった。

そこに喪主、参列者一人、一人が白いバラの花で埋める。

すべて揃えて86本。

満年齢の本数だったバラの花は故人に捧げた。

通夜の儀式が終われば別室に案内された。

お通夜の夜にいただく会食は丸テーブル。

喪主、親族一同が揃って食事をする。

丸テーブル席は椅子席。

これまで何度かお通夜に出かけたことがあるが、いずれも畳席だった。

和室にいただく通夜の会食は酒の肴のおつまみ程度の軽食だった。

これが洋風ともなれば感じ方がまったく違う。



寿司盛りは丸桶ではなく四角い盆皿だ。

料理すべてが洋風の通夜膳料理はおいしくいただいた。

ホウの葉に包んだ味噌和えの鶏肉もあった。

どれもこれも美味しい料理は「季彩菜」(SHIINA)のもてなし料理。

初、初づくしの十六夜通夜だった。

(H27. 9.28 SB932SH撮影)
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旧大阪厚生年金病院の独立行政法人地域医療機能推進機構大阪病院へ行く

2016年06月07日 08時11分25秒 | ぽつりと
叔母が入院している病院を探す。

昨年までは大阪厚生年金病院と呼ばれていた。

場所はといえば大阪市の福島区。

中之島からすぐ近くになるが、道路事情もさることながら市街地区域。

たぶんに彷徨うことになると思っていた。

車は先々日に借用した代車。

故障修理に日数がかかるということであてがってもらった。

慣れない車で大阪市内を走るのは気が重い。

運転走行に神経を集中しなければならないし、病院を探さなければならない。

この日は仕事休みだった。

午後におふくろを迎える。

朝はゆっくりしたい。

いつもの時間どおりにいただく家の朝食。

そこに電話が架かったと携帯電話を持ってきた次男。

送り主は相方の送迎ドライバーだった。

なにかが起った、と思って電話する。

慌てふためく声が聞こえる。

どうやら出勤途中の車道で事故に遭遇したようだ。

怪我はなかったが、警察の事故調査や保険会社手配で仕事先に向かうことはできなくなった。

ドライバーの交替要請である。

緊急なお願いに支度を調える。

慣れない代車を走らせて代行出勤する。

仕事が終わって自宅に戻った時間帯は午後1時。

かーさんが買ってきたのり弁当をがっつりいただく。

落ち着いたところで出発だ。

病院へ向かう道は前夜に調べていた。

ある程度は理解している。

福島辺りで降りる阪神高速道路。

出口を抜けたら市街地。

車道、信号、電車道、街が詰まっているように見えたネットマップ。

プリントしておいたが、だ。

よくよく見れば代車にカーナビゲーションが付いていた。

情報はたぶんに古いと思うが利用する価値はあるだろうと思って病院の電話番号をセットして地点登録する。

まずはおふくろが住む大阪市住之江区に行く。

急ぐときには高速道路。

第二阪奈道路に入って料金所。

支払いはETCでなく普通車の現金払い。

故障してなければETCクレジットの軽自動車運賃。お安くなる。

生駒山下を通るトンネルを抜けたら東大阪。

直進する水走から阪神高速道路へ。

ここでも現金払い。阪神高速道路は軽自動車であっても普通自動車扱い。

ところがだ。ETCなら割引がある。

現金払いはなにごとに置いても特典はない。

住之江でおふくろを乗せたら再び阪神高速道路。

出口はネットで見ていた福島。

ここら辺りだろうと車を走らせていた。

ふと、あそこではと思ったが、ときすでに遅しである。

淀川を越えて柏里に出る。

ここは叔母の住む街。

昔、親父が働いていた大正金属はここらあたりだったとおふくろが云う。

幼少のころに記憶にある大正金属。

事務服姿だった親父の姿を思いだした。

カーナビゲーションが案内する独立行政法人地域医療機能推進機構大阪病院所在地は福島区の福島。

ナビゲーションが案内する通りに走る。

途中でなんとなく違うような気がした。

それもそのはず、ナビゲーションは180度戻れと表示する。

ここら辺りだろうと思って病院を探すが見つからない。

表示するナビゲーション映像には玉川小学校がある。

すぐ近くである。

なにやら工事をしている処にでた。

話しを聞けば駐車場工事。

学校帰りの子供たちを誘導する男性に問うた病院。

ここではなくあっちに回った反対側だという。

充てにできないナビゲーションは諦めて、プリントしておいた印刷物で付近を探すが、その反対側が判らない。

方角が判らなくなった。

あっちへと云われた通りに車を走らせるが、電車が通る高架に出る。

そこは先ほど通ってきた道。

ぐるりと一周した。

信号付近にガソリンスタンドがある。

車を降りて周囲に建つビル群を見上げる。

そこにあった「大阪病院」。

あそこだ、と思うが道が判らない。

スタンドに居られた人に尋ねるが正確な情報は得られなかった。

ビルが近くに見える場所まで走らせたら、またもや駐車場工事中。

ここは迷路か。

警備していた人に道を尋ねる。

そこを右に曲がって二つある信号の二つ目を右折れ。

そこからしばらく走ってあみだ池筋の道にでる。

信号を右折れしたらすぐ判るという。

それに従った走行をすれば右に見つかった。

が、である。

病院の駐車場は工事中で停める場所はない。

近くの民間業者が運営するタイムパーキングの地図を大きく貼りだしていた。

すぐ傍だ。

ぐるりと回って停める。

ようやく着いた病院は平成27年5月に開業した独立行政法人地域医療機能推進機構大阪病院。

新築である。

これまでは新築されるまでは大阪厚生年金病院。

入口道路にある標識は「大阪厚生年金病院前」とあった。

病院は新しくなって名は替わったが、道路標識は馴染みのある名が残されていた。

住之江を出発してから1時間半後。

ようやく着いた。総合案内の受付嬢に伝えた面会。

それなら入院センターで問い合わせてくださいという。

そこにいた事務員に入院患者の名を告げたらエレベータまで案内してくれた。

病棟階は外科。

セキュリテイゲートを抜けてまたもや病棟の受付。

名前を書けば面会番号が付与された首吊りプレートが手渡される。

介護士だと思う女性が病室まで誘導する。

さっさと歩く介護士の速度についていけないおふくろを私。

案内する速度は面会者に合わせるのが当然だろと思っていたら、後ろを振り向いた。

おふくろの足音で気がついたのだ。

病棟の造りは狭苦しくない。

むしろ広々としたゆったり開放感だ。

こういう間取りの病院は初めてだ。

大部屋ベッドもゆったり感。

締め切られたような感じはまったくない。

四角いベースでなく斜め。

この配置が室内を明るくしているのだと思った。

叔母が寝ていたベッド。

付き添いに息子の甥っ子がいた。

母親想いの息子は毎日付き添い。

介護センターでお世話になっていたときはそこまでついていない。

昨年末に発症した大腸がん。

再発する恐れもあるといわれたが手術に耐えた。

季節は流れて春には介護センターのお世話になっていたが、私が入院する直前に再発した。

探し見つけた病院がJCHO大阪病院だった。

抗生剤、点滴処方をしてきたが、86歳の叔母の身体に挿す針位置が見つからない。

医師の話しによれば首から点滴をする予定にあるという。

横たえていた叔母の姿は数年前に見たときよりもさらに老婆になっていた。

美人だった叔母の姿をとらえた写真からは想定できない姿だ。



病室から遠くを眺める。

中之島のビル群の向こう側。

つんと突き出たビルはあべのハルカスになるという。

それから一週間経った。

9月25日の夕刻に静かに眠るように逝ったと息子の貴久から電話があった。

(H27. 9.18 SB932SH撮影)
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南加納の四十九日弔い観音講

2016年06月03日 08時19分32秒 | ぽつりと
天理の病院に入院しているときに判った訃報。

河南町に住む叔父が80歳で亡くなったとおふくろが伝えてくれたが、どうすることもできない。

葬儀は身内だけの家族葬で行われたと聞く。

退院直前におふくろが伝えた四十九日の法要の日程。

そのころであれば、リハビリで身体も動けて参列することもできるだろうと判断して是非とも行くと伝言していた。

この日は朝から生憎の雨。

奈良よりも大阪のほうがよく降っている。

カーナビゲーションにセットした大阪府南部の河南町。

カーナビゲーションが案内する通りに車を走らせる。

大和中央道よりまほろばIC。

そこからは西名阪高速道路。

降りる処は藤井寺ICだ。

外環状線などからは地道。

案内されるがままに車を走らせる。

貴志から富田林に入れば見慣れた道にでる。

そこからほど遠くない地が河南町の南加納。

平成22年11月22日には貴重な村行事の「ゐのこ(いのこ)」を取材した地である。

それ以降も度々訪れる。

おふくろを迎えに出かけて住之江に送る送迎者になる。

叔父は何度も手術に耐えてきた。

仏さんになった今では見ることも挨拶もできないが、とにかく法要に向かう。

勝手知ったる家はすぐそこだ。

遺影を掲げた祭壇に遺骨もある。

しばらくすれば連絡を受けたいとこたちがやってきた。

おふくろはいとこが駅まで出かけて迎えていた。

お住っさんは門徒。

同家も門徒。

初めての葬儀にてんやわんやだったらしい。

お住っさんが始めに言った。

「長丁場になるので足は崩してください」、だ。

まず一時間はかかるだろうと思ったが、それを遙かに超えたほぼ2時間。

穴も掘って塔婆も用意しておいた墓地法要。

連携がうまくできていなくて親族が参る形になった。

それから2時間後には村の観音講は仏前に座ってご詠歌を唱える。

それまでに済ませておきたいパックの膳。

この日は雨で墓行きができなかった数人と別れて早めの膳をよばれる。

蓋を開けて広げた膳の品数は今までみたことがないぐらいに多い。

南河内郡太子町・懐食吉田の会席膳は私の舌とよく合う味付け。

なにもかも美味い。

一品、一品の量が多くて時間がかかる。

半分ほど食べたころは墓参りを済ませた一行が戻ってきた。

お慌ててよばれる会席御膳。

食べ終わってばたばたと座布団などを並べる。

観音講は30人ぐらい。

いとこのねえちゃんからは、一定の年齢になれば村の観音講に入って西国三十三番のご詠歌を唱えると聞いていた。

私より10歳上のねえちゃんは講中の一人。

弔いの場には参列することはできない。

この日の導師は5人。

おりんや小さな鉦を座布団の前に置く。

これより始まった。



撞木を叩いて鉦を鳴らす。

同時にご詠歌を唱える。

西国三十三番御詠歌は23番辺りで小休止。

家人が配るお茶をよばれる。

続きは24番から。

番外があったかどうか不明だが、この日は「帰命頂禮ありがたや 中陰和讃の心得は ・・・」から始まる中陰和讃が唱えられる。

中陰和讃は南加納特有の詞章がある和讃らしい。

1時間ほどで四十九日の弔いご詠歌済ませて家に戻っていく。

この日の観音講は27人。

うち4人が男性だ。

奈良県内の事例では見かけたことがない組織である。

(H27. 9. 6 SB932SH撮影)
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ガス工事跡の本舗装

2016年05月15日 08時39分55秒 | ぽつりと
大阪ガス導管事業部から通知があった。

ガス工事跡の舗装を直すための道路工事である。

場所はといえば我が家の真ん前だ。

通知にある番地は横隣であるが実際は我が家の前である。

工事日は前日であったが天候不順の雨風。

強い横風が吹く雨天日。

そうであれば翌日になると案内されていた。

この日の朝8時半過ぎに呼び出しホンが鳴る。

工事を請け負った土木会社の人だ。

工事開始を伝えられて始まった。

仮アスファルトを剥がす機械が動き出す。

喧しいのは当然である。

通行道路の半分ほどを残して剥がしていた。

我が家の駐車場から車を発進するにはちょいと難しい。

この日は県立民俗博物館に出かける予定をしていた。

夏場に展示される暮らしの民俗企画展の掲示写真の相談だ。

前日に依頼された画像を洗い出して整備していた。

その画像を見ていただくことにしていた。

しばらくは出発することはできない。

工事が始まった1時間後には本舗装に移っていた。

これならなんとか出発できる。

そう思ってガードマンに誘導されながら発進した。

打合せを終えて戻った時間帯は12時。



本舗装は終わっていた。

道路からガス漏れが発生したのは平成25年12月4日のことであった。

緊急工事をされて道路は「仮 ホソウ」になった。

その後の12月11日にも緊急工事があった。

ガス漏れの場所はもう一か所あったのだ。

仮舗装状態はいつまで続くのか。

すっかり馴染んでいた道路は本舗装されることなくそのままだった先月の5月27日にはまたもやの緊急工事。

仮舗装を剥がして導管部を工事された。

再び続く仮舗装。

ずっとそのままになると思っていたところに本舗装の通知があったのだ。

実に19カ月ぶりの本舗装。

道路は綺麗になった。

(H27. 7. 2 SB932SH撮影)
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ガス漏れ検知に緊急工事

2016年04月07日 08時37分06秒 | ぽつりと
仕事を終えて自宅に居るかーさんに連絡する。

いつものことである。

この日の返事はプラスアルファがあった。

帰宅しても我が家の駐車場に車は停められないという。

何故、と聞けば我が家の前の道路は工事の最中で停める状態ではないという。

工事は緊急だった。

なんでも大阪ガス職員がガス漏れを検知したといい、早急に手配されて緊急工事が始まったというのだ。

道路の下からガス漏れが発生したのは平成25年12月4日のことである。

緊急なガス漏れ対応工事をされて道路は「仮 ホソウ」。

その後の12月11日にも緊急工事があった。

それからずっとそのままであった。ガス漏れがまったく感知しない状況を確認していたのだ。

それは一か月どころか1年以上も対応されていた。

完全な状態を確認できなければ道路は元に戻す本舗装には移らない。

すっかり忘れていた1年6カ月である。

検査の結果、ガス漏れを検知した。

身体で感じる臭いはない。

検知器具が感じるということだ。

道路に穴を掘ることおよそ1m半。



夕方には工事が終わって再び「仮 ホソウ」が示された。

(H27. 5.27 SB932SH撮影)
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御懐石の膳

2015年12月28日 08時15分01秒 | ぽつりと
朝一に電源をあげたパソコン。

なぜだかゲートウエイの文字が表示したまま動かない。

この日の葬儀は急がねばならないから諦めて電源を切って出かけた。

葬儀場は大阪・富田林市市営の葬儀場。

平成26年1月、母屋のおばちゃんの葬儀が行われた場である。

近くまで来ているのにさんざん彷徨った場は覚えているがどの道を行ったかまたもや失念。

頼りはカーナビゲーション。

葬儀場の地をセットして大阪・住之江に向かう。

いつものことだが阪神高速道路は長田辺りから混みだす。

仕事に出かける車でいつも渋滞する。

環状線に合流する辺りでやっと解放されて住之江へ。

おふくろを載せて出発だ。

堺市内中央を抜けて金岡経由で美原を目指す。

案内するカーナビゲーションは途中で右折れを伝える。

リルートを無視して東へまっしぐら。

三原JCで思い出しながら道を曲がる。

ここからが難儀した。

カーナビゲーションが案内する道が判らなくなっていた。

思っていた景観がまったく違うのだ。

ここら辺りは街になっていた。

立ち並ぶ工場やお店で方角が判らない。

こうなりゃ案内どおりに走らざるを得ない。

どこをどう曲がったのがさっぱり判らない土地。

どうやら309号線のようだ。

案内されるままに車を走らせる。

先は千早赤阪。このまま行けば違うと言い出したおふくろ。

そりゃそうだが道案内はそうなっている。

木材団地を抜けて新家・川西南。石川を跨ぐ橋を越えたら板持南。

見覚えがある景観だ。

この道路は河南赤坂バイパス。

昔はこんな道はなかったがもうすぐだ。

佐備を通過してたどり着いた葬儀場にいち早く到着していたいとこたちが待っていた。

一年ぶりの顔合わせだ。

亡くなったのは彼方(おちかた)のおばちゃん。

享年98歳。

久しぶり見る顔は遺影写真。

昨年のマツリに撮ったものだという。

錦織にある母屋近くの融通念仏宗の極楽寺住職が念仏を申される。

葬儀を終えてお棺に納めたおばちゃんに花飾り。

あまりの多さに花畑に包まれるようだった。

ご出棺は葬儀場奥にある火葬場へ男性が運ぶ。

最後のお別れに焼香をする。

骨揚げまでの待ち時間。

いとこが頼んでおいた膳につく。

おふくろの家や私の家に電話をしたが留守番電話。

どこか旅行へでも、と思っていたようだ。

たしか携帯電話の番号は知っているはずなんだが・・。



膳の料理は喪主が頼んでいた「御懐石」。

この料理は料理・仕出しもしている紅焔(こうえん)。

喪主の実家である彼方にある。

骨揚げを済ませて初七日法要。

宴の場は転じて法要の場となる。

四十九日は4月半ば。

錦織の甘山(つじやま)墓地に埋葬する。

子供の頃は母親に連れられてお盆に出かけていた。

母屋に集まったいとこは十数人。

高校生ぐらいまではいつも集まっていた。

軽トラに乗って畑の野菜を取りに行く。

運んだスイカを落として真っ赤に割れたこともあった。

母屋の叔父に連れられて石川へ鮎取り。

竹の棒で追い込んで手で掴んで取っていた。

懐かしい子供の頃は今でも思い出す。

早めに終わった葬儀に集まったいとこたち。

おふくろも連れてお茶にしようということになった。



目指す喫茶店は甘山墓地向かいにあるカフェテラス蘭館。

ケーキが売り物らしい。

(H27. 3.13 SB932SH撮影)
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混雑状況で受付打ちきる確定申告会場

2015年11月26日 09時43分12秒 | ぽつりと
二日前に確定申告すべき資料を整備した。

予定では混雑状況を考えて24日辺りにしようと考えていたが、急遽この日にすることにした。

予約していた歯医者さんが急用で診療できなくなった。

空きが発生したこの日。

仕事を終えて帰宅した自宅でカキアゲ丼をいただいた。



最近、我が家で好評のカキアゲ丼。

あっという間にたいらげて一服してから出かける。

ここ数年の確定申告会場は奈良県立図書情報館。

出かけやすい処にあるから行きやすい。

いつも通りに駐車場ゲートを潜って奥にある会場受付に向かう。

着いた時間は午後3時前。

例年にやってくる時間帯だが異変を感じた。

会場の扉の前に大勢の人たちが集まっていた。

並んでいるわけでもなく群衆のような塊になっている。

職員に詰め寄っている人もいる。

何事が起ったのか。

職員の説明によればこの日の受付は終了したというのだ。

扉の前にはその旨書かれた立て看板もある。

確定申告の受付時間は9時半から午後4時まで。

午前中は人が溢れるくらいに多いが、午後はそれほどでもない。

昨年も同じ時間の午後3時に着いた。

椅子に座っている人数は十数人だった。

これぐらいの時間であれば待つ時間はさほど気にならない。

そう思ってこの日も午後3時。

受付は混雑していたことから2時半に終了していたのだ。

職員が伝える。

「確定申告のお知らせ」通知には注釈が書いてあると云う。

それにはたしかに「※ 混雑状況により早めに受付を終了させていただく場合があります」と書いてあった。

見落としていたのだ。

申告に来ていた人が云った。

「市民だよりにはそんなことは書いていない」と言い切る。

大和郡山市広報誌「つながり」にも書いてあった同文の「混雑状況により早めに受付を終了させていただく場合があります」。

各会場の注意事項にある。

ところが奈良市の市民だより・インターネット版(テキストのみ)にはこれっぽちも書いていない注意事項。

喰いついた奈良市市民のいうとおりだったが、PDF版には同文の「混雑状況により早めに受付を終了させていただく場合があります」と書いてある。

この日の騒ぎ。

告知している文を読まなかった人は何を云おうが出なおしてもらうしかないが、駐車場を潜って会場まで足を運んで始めて知る受付終了。

どうか駐車場前に掲示していただきたいと伝えて帰宅した。

前日は受付終了を早められたことから、この日は2時間繰り上げて出かけた確定申告会場。



駐車場に車を停めたときにかかった電話。

県立民俗博物館からの承諾を得て発信された童夢社。

小学校等の図書館などに配布する教育図書を発刊している出版社だ。

伝統的な行事を伝える本を製作している。

それに掲載する写真の使用許諾である。

担当者が願う写真は私のHPを拝見した。

写真はどうやら平成22年に開催された「大和郡山の祭りと行事」展で水口まつりの様相を伝える写真だ。

いまどきの教師は稲作りをしたこともないだろう。

ましてや農家が豊作を祈る水口まつりは知らないだろう。

それを伝える教育図書出版社の使命は大きい。

速攻で使用を許諾した。

駐車場に入ってから約10数分。

それから受付会場に入った。

時間は午後1時半。

手渡された受付番号札は557だった。

朝9時半から始められて557番目。

前年は2月24日だった。

受付された時間は午後3時直前。

番号札は443だった。

200人以上も差がある受付人数。

前日もそれぐらいに多かったのであろうと思うが、2時間繰り上げても557番目だ。

会場ではたくさんの申告者が椅子に腰かけていた。

申告者を呼びだす番号は420番。

100人以上も順番を待っている。

その間に案内されるアナウンスは、「当会場では相続税や株譲渡はしていません」だ。

もうひとつあったアナウンス。

医療費の領収書は整理されて医療費を計算してください、である。

自宅で整備せずにやってくる人も多い。

別途用意されたテーブルで計算する人はわりあい多かった。

次々と呼びだされる受付番号。

呼びだしても現れない人もいる。

どうやら相続・譲渡対象者のようで不在。

次の番号、次の番号への場合が多く感じる。

毎年、確定申告に来ているがこういう人は多いのである。

待つこと1時間。

番号を呼び出された。

持参した資料を点検される。

今回の医療費控除はしない。

合計が10万円未満になったこともある、現実面でいえば控除する税がないのだ。

提出しても無駄なことと思っているが、生命保険料控除などの書類は持参した。

国民健康保険は証明する書類がない。

支払った合計額を記入するだけである。

来年は65歳に到達する。

そうとなれば発生する介護保険料。

公的年金から天引きされるらしい。

扶養者、扶養親族の名前・生年月日も記入する資料の整備票になぜかどきどきする。

家族であるにも拘わらず名前の漢字が出てこないのだ。

生年月日もしかりである。

書類の点検は10分ほどで終えた。

次はe-taxパソコン入力待ち。

30人ほど順番を待っている。

入力は慣れた人が行うのが最も早い。

慣れない人が画面を見ながら操作・入力をするには出力される画面の文字を判読しなければならない。

それに時間がかかるのだ。

今回も操作担当者にお願いして横に立つ。

対応は実に早い。

こうして全件を入力し終わって完了。

還付金額が自動的に出力される。

計算された結果は源泉徴収額と同額だ。

そうなると思っていた確定申告。

所得合計は前年より10万円も下がっていた。

勤務している送迎ドライバーの賃金体系が変わったからだが、還付金は2千円増えた。

なぜだか判らない。

すべてを終えて駐車場を出た時間は午後3時25分。

2時間以上も滞在して料金は100円だった。

今年の確定申告ではないが、昨年末に何十年も掛けていた介護保険を解約した。

介護は不要と判断したかーさん。

解約保険金が必要となったために解約した。

その支払い通知書が保険会社よりこの日申告を終えたあとに送られてきた。

100万円越えは所得税法にしたがって「解約払戻金の支払調書」が送付される。

手続きをするのは来年の確定申告だ。

忘れないようにその書類も保管しておく。

所得が決まったこの年の確定申告。

6月に通知される市民税、県民税が気にかかる。

通知が来たのはそれから4カ月後の6月11日に届いた。

年額12700円だった

(H27. 2.18 SB932SH撮影)
(H27. 2.19 SB932SH撮影)
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