マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

ようやく見えてきた栗野のお垢離取り

2019年10月31日 10時11分21秒 | 宇陀市(旧大宇陀町)へ
平成28年の5月29日、調べていた大宇陀栗野のお垢離取り

いつにされるのかわからないものだから、翌週の6月5日も訪れた。

その前の5月15日も調べにきていた。

平成29年の5月8日も訪れて調べてみたが・・。

かつての話題提供をしてくださるが、実施日がとんとわからない。

話してくださったお垢離取り。

全容は見えないが、想像するイメージは見えてきた。

聞き取り調査に来てからこの年で3年目。

実際に、今でもお垢離取りをされている方に出合いたいが、そんなに上手く出会えることはないだろう。

縁を求めてやってきた3年目の栗野の地。

どなたかお会いできればと思って当地を散策した。

火の見櫓から少し南に下ったところに数軒の家がある。

声が聞こえるお家に足が自然と動く。

そこにおられた娘さんと父親に尋ねた栗野のお垢離取り。

村から通知が届いた連絡文書に書いてあった日程は6月上旬の日曜日。

一週目か、二週目なのか。実施時間も書いていない通知文だった。

親子で話してくださった下垣内のNさん。

子供のころの記憶によれば、葉っぱにご飯を盛って供えていたそうだ。

70戸からなる栗野に庚申講はあるが、離脱する家もある。

また、解散した別の講もある、という。

講の営みは当番家で行っていた。

当番の廻りは講中の順。

講中を迎える接待が大層になっていた。

現在は数組の講があるらしい。

話してくださったN家は、農家ではないから、垢離取りは86歳になる隠居のN家が詳しいようだ。

家はそこだ、というから訪ねてみたが不在だった。

本人は不在だったが、庭にすごく素敵な山野草鉢がいっぱいあった。



その美しさに見惚れてしばらくは佇んでいたいイワチドリ



すいぶん前であるが、私もイワチドリを鉢栽培していた。

環境が合わなかったのか、一年ぽっきりだっただけに、蘇る美しさは映像に記憶させてもらった。

そのNさんが、北の方からとぼとぼと歩いてくる。

平成28年の5月15日、神社前を歩いていたNさんである。

2年前にお会いしたときと同じように杖をついて歩いていた。

覚えてはるかな、と思って声をかけたが、「聞こえない」という。

後でわかったが、2年間の経過にずいぶんと耳が遠くになったそうだ。

「お垢離取りってなんですか」と云われたときはショックだった。

逆に言えば、2年前に話してくれた体験談が、実に貴重なもの、と思えるのだ。

Nさんの件は断念。

次はどこに・・。

車道から見える中腹の高台に民家が見える。

なんとなくお家におられるような気配を感じて立ち寄った。

広地に車を停めさせてもらって声をかける。

たしか人影が見えたと思うのに返答はない。

山に登ってしまったのか。

呼び鈴を押せば若い女性が玄関に出てこられた。

お垢離取りの件を尋ねたら、義理のお母さんが詳しい、という。

たしかそこらへんにおったはずだ、というから待っていたら、ひょっこりお顔が見えたFさんに教えを乞う。

出里は隣村の菟田野であるが、垢離取りなんぞはなく、嫁入りしたとき聞かされて驚いたものだった、という。

それから長年に亘ってしてきた垢離取りを「田休みのお垢離取り」と呼んでいる。

中出垣内に住むN家は農家さんだからこそ、すっと口に出る「田休みのお垢離取り」である。

かつては、鳥居を潜って岩神社との間を往復する。

その回数は33回。

垢離取りは、神社に自生する榊の葉、或いは家にある木の葉を33枚摘んでもってくる。

その葉は、神社北裏に流れる小川の水に漬ける。

水に浸した葉を手にして鳥居を潜り、岩神社・社殿に向けて葉についた水滴を飛ばす。

清らかな水で祓い清める作法がお垢離取り。

33回も繰り返すお垢離取り。

いつしか体力的にもしんどくなり短縮することにした。

本来なら、一人で33回も繰り返す作法であるが、しんどくなったら、例えば連れてきた二人の子どもに、或いは孫にも手伝ってもらう。

33回の垢離取り回数を子どもや孫に分担してもらうワケだ。

3人ですれば垢離取り回数は11回でアガリになる、という。

昔は、田植えが終わったそれぞれの家単位でしていた田休みの垢離取り。

F家は田植えを終えたあくる日か、二日ぐらい経った日に垢離取りをしていた。

水で清めた葉をもって神さん参りして、その年の豊作を願っていたのである。

垢離取りには、お神酒と洗い米も持っていった。水に浸けた葉っぱ。

清めたあとに洗い米を盛ってお神酒とともに供えていた、という。

葉に洗米を盛って供える、その場所は社殿下にある一対の花立ての間の祭壇である。

垢離取りの時間は、特に決まっていない。

村の人が揃って一斉に参ることもなく、めいめいが順次参拝する。

F家は朝の7時ころからしている、という。

できれば、F家のあり方を撮らせてもらえばありがたいが、恥ずかしいから、とやんわりお断り・・・。

「岩神社は女の神さんやから」と、いうFさん。

「女は構うことができないので神社行事のすべては男でしていた」が、今の時代そういうわけにもいかなくなった、とも。

岩神社の年中行事に夏祭りと秋祭りに亥の子祭りがある。

栗野の垣内は下垣内に中出垣内。

上垣内にハリガタニ垣内(針ケ谷)垣内の4垣内が廻る当番垣内。

ただ、ハリガタニ垣内の軒数は他の垣内と比べてとても少ない6軒垣内。

その垣内でトーヤ家を選んで祭りを営んできたが、軒数の多い下垣内は軒数分けした2年間の営み。

平成30年の今年であれば秋祭りと亥の子祭りの2回連続の当たりである。

また、中出垣内も軒数が多く、来年の平成31年の夏祭りと秋祭りに当たるそうだ。

(H30. 5.27 SB932SH撮影)

かけうどんが美味い無添くら寿司なんば元町店に再来

2019年10月30日 10時34分36秒 | 食事が主な周辺をお散歩
大都会で食事をするには駐車場費用がかかる。

そこまでして旨いもんを喰いたいとは思わない。

その点、全国チェーン展開しているような大手の食事処には駐車場がある。

ただ、やはりというか大都会にはそんなスペースさえ確保することはできない。

有名ホテルであれば駐車場は必須。

食事もできる駐車場はあるが、ホテル食事は高額。

しかも定食しかないのが一般的。

そこまでして行きたくはない。

大都会からちょっと外れるだけで駐車場設備があるチェーン店がみつかる。

おふくろの好みはうどん。

美味しいと、つい先週に来店したくら寿司もかけうどんに目がうるうる。

私も食べたいとかーさんもそういう。

ならば、大都会外れのほぼ大国町辺りにある無添くら寿司なんば元町店である。

駐車場はタイムズくら寿司なんば元町店。

提携している無添くら寿司なんば元町店の利用者は90分以内が無料になる。

それぐらいの時間幅があればゆっくり寛いで美味しいお寿司をよばれることができる。

タイムズ駐車場に停めて入店する。

ここは身体不自由な人や乳母車の人たちが利用できるエレベータがある。

杖利用のおふくろも助かるエレベータである。

入店してすぐさまタッチする席取り発券機。

午後1時前ならビジネスマンの回転が終ったころであろう。

たしかにそうだがさまざまなグループに家族連れが多い。

平日の木曜日であっても人気のくら寿司フアンが多いのだろう。

発券したから5分も経たない時間帯に番号が呼び出された。

ごった返しの満席だった状態から一挙に退席。

テーブルを片づける時間も集中していたのだろう。

番号呼びは止まらない。

回転が丁度よかった時間帯だった。

テーブル席に座って一番に注文する一杯が130円のかけうどん。

出汁が美味しかったからと、前回のおふくろは2杯も食べた。

だが、この日は治療していた口の奥がヒリヒリして熱さを感じやすくなっていた。

冷たいものの場合は過敏症っていうけど、熱さも過敏症。

あんばい口を開けられないから美味しものも美味しく感じないという。

なんとか冷まして口に入れて食べていたおふくろであった。

その間にいつもの通りレーンに流れるお寿司を手にする。

欲しい、食べたいと思ったところに流れるわけだからチャンスに強いかーさんもこれは美味いと云ったかけうどん。

まぐろが大好きなおふくろの注文は鉄火巻き。

やはり巻きの海苔が堅いという。

これはほんまに上等もんかな。

もう一つは熟成まぐろのにぎり。

注文する度に特別レーンで運ばれる皿を取ってテーブルに配る。

私も食べたいネタがある。

この日に選んだ基準は醤油ドレッシング石澤印しのある品物。

まずは海鮮細巻き。

次に海鮮ユッケの軍艦巻きをパネル注文。

うどんも頼みたいがあとで。

さて2品である。

最初に届いた海鮮細巻き。



海鮮が何なのかさっぱりわからない。

色具合でもわからんし、食べてみてもわからん海鮮細巻きは食をそそらない。

海苔は細巻き同様の固めであるが、味はまぁまぁ。

醤油ドレッシングの味わいはまったく感じないが、ただただ美味しいのである。

次に食べた海鮮ユッケの軍艦巻き。

盛っているユッケを見て、これはしゃぶしゃぶ肉と思い込んだ。

これが海鮮なら、洒落とるなと食べたが・・。

肉ではなく海鮮。

不思議の軍艦巻きであるが、味は美味い。



これも醤油ドレッシング石澤の効用であろう。

くら寿司の寿司が美味くなった。

そう、おふくろも云うが、私もそう思う。

昔のくら寿司は寿司飯がぬくぬくで気持ち悪かっら。

こんなん寿司と違うと子供までそっぽを向いたくら寿司であるが、我が家ではどうやら復活の兆し、である。

ただ、気になるのは寿司ネタの色具合である。

注文するパネル表示の寿司ネタは鮮やか色。

とても美味そうに見えるが、実物はあかん。

一息ついたところで注文した冷やしちく天うどん。



うどん麺が見えないくらいに盛ったかつお節に刻みネギ。

中央にどでーんとのせているちく天。

いわゆるちくわの天ぷらである。

存在はでかいが、お味はどうか。

冷やしちく天うどんに1個の卵がついてくる。

卵はにぬきか生卵か。



割ってうどん鉢に落としたら温泉玉子だった。

なるほど、そういう手があったか。

さて出汁である。

冷やしちく天うどんはどちかと云えばぶっかけうどんである。

うどん麺はかけうどんで食べてもコシがある麺。

ぶっかけであればさらにコシが強いと思っていたが、それほどの差異は感じない食感。

温泉玉子をぐちゃっと混ぜて食べる。

こりゃぁ、旨いと云いたいが、そこまでいかない味。

旨みがないのかな。ちく天は揚げたて。

サクサク食べるちく天自身に味もあるし、サクサク感も美味しいが、旨みがない。

出汁だけの勝負であればかけうどんが勝つ。

ずるずる食べきれない冷やしちく天うどん。

次回からは注文を外して、かけうどんに戻すが、一日経って重大なことがわかった。

これまで食べていたぶっかけうどんはチェーン店の麺屋専門店。

どのチェーン店であってもぶっかけうどんに生のおろし生姜をぶっこんで食べていた。

そう、旨さは生のおろし生姜にある、と思いだした。

くら寿司さん、どうか小袋入りの生のおろし生姜を揃えてください、と願う。

本日の注文はここまで、と思っていたが、タッチでめくるメニューに、これって何というのが現れた。



品物は極旨鮭皮軍艦。

やみつきの旨さ!の謳い文句がある軍艦巻き。

どんな味であるのか、これまで見たことのない商品。

細かく刻んだ鮭の皮を油で揚げたもの。

たぶんに食感はカリカリ。

まさか巻きに寿司飯はないだろうと思って食べたら若干口に残る飯。

これって寿司なのといいたくなる味。

カリコリカリコリ口の中でなかなか噛み砕けない。

パリパリ感でもないし、柔らかくもない食感。

鮭の味はどこにもないが、食感が面白くて、鮭の肴・・・ではなく酒の肴にぴったし。

マヨネーズは魚臭さを取り除くためであろう。

むしろ私の口に合うのは鮭でなく鶏皮。

こちらの方が皮に脂身があって香ばしくなる。

カリカリに揚げた鶏皮軍艦。

是非、市場に出してほしいとこれもまた願う。

最後は見て楽しむくら寿司。



レーンを流れていた魚介ユッケは見るだけでジュルジュルの旨さが喉にジュワー。

会計は3人で2203円。

一人当たり740円でごちそうさん。

食べた皿をくらポン。

本日は3回チャレンジしてすべてが残念だった。

(H30. 5.24 SB932SH撮影)

1時間もかけて食べていたら2倍以上の費用を要する都会のランチ

2019年10月29日 08時53分24秒 | 食事が主な周辺をお散歩
先週から始まったふくろの歯の治療。

大阪市内の中央区伏見町にある林歯科に向かう。

この日も西名阪高速道から長居公園通りを走る。

住之江についておふくろを乗せる。

林歯科まではおよそ35分。

歯医者さんの近くにある料理店を探していた。

同町にある淀屋橋よし田である。

何故に探しているのか。

それは前日に放送された関西テレビのよーいドン!である。

コーナー番組の本日のおすすめさん。

一日に3店舗若しくは3品を紹介している中に海鮮丼が登場した。

1080円で提供するお店は「淀屋橋よし田」。



なんと林歯科がある通りに面していた。

おふくろは予約時間までに診察受付。

そして治療するまでの待ち時間は淀屋橋伏見町界隈を巡回する。

お昼どきのサラリーマンはどこで食事するか、である。

お昼の鐘が鳴ればあちこちのビルからでてくる会社員は弁当買いが圧倒的。

以前も食べたことはあるが早めに作っているから冷めている。

美味しく作られている料理屋さんのお弁当はやはり作りたてと思うが、相当な量を作られるから、熱々感はそもそも無理。

店内で注文したお気に入りの料理をいただくのが一番であるが、食事をするためにはコインパーキングに停めなくてはならない。

周辺でもっとも安いと思われる駐車場は30分間で300円。

隣の駐車場は30分間で400円。

1時間も停めれば600円、800円。

1時間半も停めたら900円、1200円。

差額はさらに広がる。

もっとえげつない駐車場は15分間で400円。

1時間止めたら1600円。

これこそえげつない。

そんなところに停めてまで食べたくもない。

何周かしているうちに淀屋橋よし田の立て看板に異変があった。

堂々と揚げた「5月23日放送よーいドン!にて放送されました!」文言。

当店は午前11時半が開店時間だった。

林歯科の前にも美味しそうな料理店がある。

おふくろが大好きなうどんのセットメニューが数種類もあるとは・・。

4度の通院で初めてしった向かい側にある食事処。

地下にあるお店に吸い込まれるように降りていく仕事人たち。

表に掲げている立て看板を見てから降りていく人もおれば、見ずに、という人も。

お店は「淀屋橋ふしみの和がや」とある。

本日の日替わりランチは800円。

うどんセットは700円の温玉入り鶏丼・うどんセットに800円の牛スタミナ丼・うどんセット、870円の和がや海鮮丼・うどんセット、990円の炙りサーモンとイクラの親子丼・うどんセットがある。

うどん不要の単品丼だけであればどれもこれも50円安いだけ。

うどんを食べるなら50円増しということけど、そんな選びする人っているの?と云いたい。

仮におふくろが食べたいといえば車は駐車場。

30分以内で食べることが無理なおふくろの身体状況を考えれば最低でも1時間の駐車時間。

この辺りで一番低額な駐車場であれば600円。

そこが満車なら800円コース。

700円の温玉入り鶏丼・うどんセットより高くつく。

あほらしなる都会の駐車場利用のラインチタイムである。



ここら辺りで食べられる人はビジネス人しかないだろ。

ちなみに林歯科の利用者。

送迎車も含まれるから利用してくださいと、医院から伝えられてはいるが、車の車高が駐車場の基準に合わないので断られた。

長い物差しで測ってもらったら20cmもオーバー。

我が家の車は軽箱バンのスズキエブリイジョインターボ。

ハイルーフ仕様の車高は1.895cm。

2mにも満たないのに入庫ができない困った駐車場。

外車もあかんと門番の人が云っていた。

(H30. 5.24 SB932SH撮影)

雨がしとしと降れば・・🎶 セッコク/デンドロビウム

2019年10月28日 10時29分42秒 | 我が家の花
雨がしとしと降れば・・🎶 つい、カメラを取り出して撮りたくなる中庭に咲く白い花。

今日はしとしと雨なら、一週間前の23日もしとしと雨だった。

中庭側にある縁側は屋内。

そこから身を、いや、腕と手を伸ばして撮る白い花はセッコク。

もう一つはダルマ花の名で呼んでいるデンドロビウム。



セッコクもまたデンドロビウムの仲間である。

(H30. 5.23 EOS7D撮影)

下永東城・F家の魔除けの宝扇立て

2019年10月27日 06時43分17秒 | 河合町
5月19日は奈良市五条町の唐招提寺で「うちわまき」行事が行われる。

かつては鼓楼下に自由に並んで、というか、群れるような大勢の人たちに包まれたなかで行われるうちわまきだった。

その団扇は魔除けの宝扇と呼ばれる枚数限定の団扇である。

争奪戦に手を伸ばしたらすっと手の中に入ったことがある。

ありがたい魔除けの宝扇は我が家の宝物。

その宝扇を毎年求める農家さんがおられる。

十年ほど前までは自由さがあった。

手を伸ばせば一枚。

うちわまきは何度も鼓楼から撒かれるので立っていたらまたもや手にする。

ポケット7に入らないから宝扇の竹軸部分を腰バンドに挟んでし続けたらお寺さんに注意されたこともあったとか・・。

いつしか危険性があると判断されて先着券、外れなしの1回撒き当たりに鼓楼下に並ぶ人数が50人。

撒く宝扇も50枚。

入手した人からロープ張り場外に出ていかねばならないから争奪戦にならず、である。

今から16年前のこと。

唐招提寺に出かけて撮らせてもらったうちわまき。

鼓楼下に群がる人の手が伸びる状態を撮り込んだ。

今では見ることのない平成14年5月19日の状態である。

翌年の平成15年も訪れて撮った写真は著書の『奈良大和路の年中行事』に掲載した。

懐かしい映像であるが、今では・・ということしか伝えられなくなった。

5月12日に訪れた川西町下永・東城(ひがしんじょ)。

一つ見つかればそこらじゅうにもあった苗代の水口まつり。

なんと8カ所もあった。

これほどの水口まつりがあるとはつゆ知らず。

実はずいぶん前に下永の苗代状況を見に来たことがある。

意識的に見て廻ったのは唐招提寺の宝扇があると教わっていたからだ。

教えてくれたのは奈良女子大教授の武藤康弘さんである。

平成24年6月10日
に聴講した「歴史の視座から見た大和の農耕儀礼」講座に紹介された下永の苗代に立てている魔除けの宝扇である。

つい先月の4月3日。写真家野本暉房さんの写真展並びに著書『神饌・供えるこころ』発刊記念の宴に招かれた会場で久しぶりにお会いした。

あの下永の宝扇は・・との問いに、未だ拝見できていなくて、と答えるしかなかった。

実は、宝扇も気にはなっていたが、先に拝見しておきたかったごーさん札の版木である。

その件もご存じだった武藤康弘教授。

版木そのものは中央に「白米寺」を配置して右に「牛玉」。

左に「寶印」の文字であるが、ごーさん護符にして摺っているのは右にある「牛玉」の文字だけである。

いつからそうされているのか伝わっていないからどうもわからない。

しかも版木に「下長 奉キシン井ケノ坊 矢田門大工正清 己酉十二月日」の刻み文字はあるが、肝心かなめの年号が刻まれていない。

それはともかく今年の1月4日に訪れて松苗にこの護符を巻いて供えていた六人衆の姿を撮らせてもらった。

その松苗・護符はいずれの苗代にもイロバナとともに立てていた。

その付近に鍬を持つ男性に尋ねたら、うちでもしているという。

連休中された苗代作りに立てた松苗・護符は奥さんがしているという。

その男性はFさん。

十年ほど前に村の人を通じて我が家に来られた。

なんでも武藤康弘教授が近くで耳にした魔除けの宝扇を立てる人が村におられると紹介されてやってきたそうだ。

教授が学生に教えている科目に苗代の水口まつりがある。

学生が提出する論文にその宝扇を立てていることを載せてあげたく、訪れたそうだ。

その論文は藤本愛さんが論じた2008-10出版の「オンダ行事と伝承地の稲作農事暦」であろうか。

藤本愛さんも学生時代から存じているが、Fさんが云うには学生さんは三重県出身だったという。

で、あれば論文云々という件は別人である。

それはともかく、一週間前の12日に訪れた際に話してくれたFさんは唐招提寺に出かけて魔除けの宝扇を手に入れてから苗代に立てると話していた。

うちわまきは午後3時から始まる。

先着400名であれば朝早くからでかけなくてはならない。

それを避けで抽選若しくは一般購入になるのか、この日は土曜日だけに大勢になるからどうしようかと云っていた。

入手は一年中売っている一枚千円もあるが・・。

いずれにしても行事が終わるのは午後4時。

それから家に戻られてすぐにされるのか、それとも翌朝に・・。

いずれであっても伺いたく下永に向かった。

午後4時の状況にはかわりなく、まだお戻りになられていないと判断して西城(にしんじょ)方面も探してみるが宝扇はみることがなかった。

時間はまだ早い、それとも翌日であろうか。

家人が居られたらそのことが明白になると思って呼び鈴を押した。

屋内から呼び鈴に気づかれたFさんが出てこられた。

戻ってきたばかりでちょっと一服されていたが、来られたのなら立てましょうと云って苗代田に向かわれる。

ご無理をいって申しわけなく思うが・・。

苗代田は水に浸かっている状態。

周りの田んぼはまだ荒起こしをしていないが、ジュクジュク地。

足元がずぶずぶならないように足を運んで松苗・護符にイロバナがある処に立てた。

魔除けの宝扇に由来がある。

うちわまきの正式行事名は中興忌梵網会。

唐招提寺21代目僧侶であった覚盛(かくじょう)上人の命日は5月19日。

営む中興忌梵網会は中興の高僧である大悲菩薩覚盛上人の高徳を偲ぶ法会である。

「ある夏の日、覚盛上人の体に蚊が止まりました。弟子たちが蚊を叩こうとすると、師はこれを制し、『殺生はいけない。蚊に血を与えるのも菩薩の行である』と仏の道を示したそうです。慈悲深く、清廉な人柄の師を慕う弟子は多く、亡くなられたとき、法華寺〔ほっけじ〕の尼僧が『せめてこれで蚊を追い払ってください』と手作りのうちわを供えました。以来、命日にはうちわが供えられるようになったと伝えられている、と執事の石田太一さんが話される。

その威徳のある団扇は魔除けの団扇と呼ばれている。

蚊も殺さずに追い払う魔除けの宝扇の力によって田畑を荒らす虫を追いやる。

その考えもあって育ってきた苗代に育つ稲苗を虫から守るのに立てるまじないだというFさんはその故事にあやかってこの年も宝扇を立てた。

ところで魔除けの宝扇に巻物に梵語がある。

「千手千眼観音菩薩と鳥須沙摩明王(うっさまみょうおう)」のご真意を梵字で記しているそうだが、ご真意はいかなる内容であろうか・・・。

ちなみに本日のうちわまきに行かれたFさん。

渋滞でもあればと思って奥さんとともに電車で出かけたという。

引いた抽選籤は赤色と緑色。

その緑色が当たりだったそうだ。

見事に引き当てて入手した宝扇であるが、もう1本ある。

その1本は入手できない場合に備えて実費購入したという。

抽選で当たった宝扇はこうして苗代田に立てた。



もう1本はそろそろ戻ってくる母親にあげるために、という。

寒冷紗を被せて育ててきた稲苗。

網目の一部が破れているのはカラスの足によるものらしい。

少しの穴であったが徐々に大きくなった。

2週間後には下永のノガミ行事である「キョウ」がある。

今年は当番年に当たっている地区。

その行事が終われば田植えを始める。

荒起こしもそろそろせんなあかんと云われるFさん。

苗代に並べたトレーの枚数は50枚ほど。

念のための20枚はJAから一枚800円で購入する。

苗代育苗も品種は同じヒノヒカリ。

家族が食べる分量を耕している。

(H30. 5.19 EOS7D撮影)

安堵町・案山子アートが巨大化

2019年10月26日 07時08分20秒 | 安堵町へ
1カ月ぶりのこの日も立ち寄った奈良県生駒郡の安堵町。

入館した安堵町歴史民俗資料館。

企画展展示している「安堵のいま・むかし~辻本忠夫氏スケッチ画より~」の学芸員トークを聴講したく訪れた。

子供の遊びに“テンチャン遊び”とか“バイかち合い”に“べった(ん)勝負”もあるが撮影不可。

野辺送りの葬送行列に如来様までもが登場していたとは・・。

しかも、である。

スケッチ画を書き遺した辻本忠夫氏の息子さんも来られて、生前の親父さんの言動実態を話す。

当時の生体験話しまで話してくださったのが嬉しい。

安堵町といえば、数年前から案山子アートが評判になっている。

さらに今年の4月末。

高さ12mにもおよぶ聖徳太子モニュメント立像が登場したと除幕式オープンセレモニー。

新聞、テレビ報道がわんさか。

前回訪問の4月13日から1カ月も経った本日の状況は・・・。



セレモニー後も大勢の人が、と思っていたが、閑散というか、人の姿さえ見ない。

午後1時前の訪問時間帯。

苗代は2カ所。

周辺にあったからイロバナの有無を確かめたが、農家さんには習俗がないようだ。

その間に南側の広場に車が1台。

ドアも開けずに数分経ってどこかへ去って行った。

それから道路路側帯に近寄せた車が1台。

これもまた1分ほど。

ドアも開けずに降りようともせず場を離れていった。

なんか、寂しいなと感じた。

ただ、その場所がわからず、やたらと安堵町歴史民俗資料館に問い合わせ電話がかかっていると耳に挟んだ。

(H30. 5.19 SB932SH撮影)

企画展安堵のいま・むかし~辻本忠夫氏スケッチ画より~学芸員ギャラリートークin安堵町歴史民俗資料館

2019年10月25日 09時34分46秒 | 民俗を聴く
先月の4月13日に訪れた安堵町歴史民俗資料館。

私にとって第一に関心があるのは企画展の「安堵のいま・むかし~辻本忠夫氏スケッチ画より~」作品展示である。

一か月も経っていたら展示されていた作品がどんなものを描いていたのか、すっかり抜けてしまった。

映像は見るだけでは記憶に残り難い。

例えば画を見てどなたかとワイガヤしていれば記憶に残ることがある。

印象は喋り、聞くことによって頭の中に残像となりやすい。

そう、思うのであるが、残念ながら展示物の一切が撮影禁ズである。

記憶をより残すには、画を見て、そのときの印象を文字で残すしかない。

そう思っていたが、前月のメモ録はほぼ皆無に近い。

館内で配布されていた資料に関連行事として「展示ギャラリー・トーク」スケジュールがあった。

1回目の4月22日はすでに終わっている。

次回は、この日訪れた5月19日。



この日は奈良県立民俗博物館でも同時間帯に国際博物館の日の記念講演会がある。

残念ながら1本に絞らざるを得ない。

菖蒲は咲いていたが、時季は遅かった。

今年の花の咲き具合は例年よりも一週間くらい早い。

そんな情景を見ていたところに三重ナンバーの黄色い軽自動車が資料館の玄関前に停めて一人の女性を降ろした。

軽自動車はバックした。

ガシャンと勢いのある音がした。

チェーンで連鎖していた駐車場留めのチャーンがぶっ飛んでいた。

金属支柱と支柱の間にすっぽり軽自動車の後ろが嵌ってチェーンがぶっ飛んだ。

前を行こうとする車。

おっかな運転で向かいの家の塀に当たりそう。

大声で怒鳴ったが、耳が遠いのかハンドルが逆向き・・。

パニック状態になっているように思える動作。

何度も指南して前方を来た道にむけた途端に走り出した。

おーい、と声をかけても走り去る黄色い軽自動車。

壊したことさえ認知せずに逃げた。

ぶつかった衝撃はあったろう。

ならば、運転席から降りて後方の当たったところを見るのがフツー。

降りもせずに三重に行ったのかどうか、知らないが、同乗してきて降りた女性もただおろおろするだけでなんの詫びもない。

耳が遠いというから説明してあげても、私が何をと思うような顔できょとんとする高齢者。

その場にやってきたその婦人の連れ合いと思われる女性は・・・もうえーかげんにせー、である。

施設は損害を被った。

修繕は直ちにできるものではないが、一応の応急措置的なことは伝えておく。

そんなトラブルがギャラリートーク前にあったことを付記しておく。

そのトラブルに関係する高齢女性もトークの場にいた。

ここへ来た目的はそれにあるらしい。

他にも何人かが来られて合計8人が聴講するギャラリートークはU学芸員の解説。

そつなく綺麗にまとめられて持ち時間の30分間をこなす。

さすがだと思った。

解説は展示順にそった1章から8章まで。

同村の富本憲吉氏(※人間国宝の第一号)と懇意にしていた辻本忠夫氏が描いた展示スケッチ画などを示しながら解説される。

辻本忠夫氏は西安堵が出身地。

生業は農家。

農業作業の合間に住まいする安堵町の情景などを写生・デッサンしていたそうだ。

その枚数はそうとうな量になるらしい。

氏が残したスケッチ画は家族が大切に保管していたから、こうして私たちも拝見できるのは実にありがたいものでご家族に感謝せねばならないと思った。

画帳は大きなものでなくポケットに入るようなB6版ぐらいであろうか。

さっと取り出して濃い鉛筆でデッサンする。

色付けは自宅に戻ってからしていたと考えられる。

安堵町は環濠集落。

富本憲吉家もそうだが、家を外からの攻撃から守る構造。

役目はどうなのかわからなかったが、「からたち」の木があったとスケッチ画に描かれている。

2章は昔の娯楽。

蓄音機、テンチャン遊び、ばいがち合ひ、べったの勝負を描く情景は、子どもたちの服装からおそらく大正時代から昭和初期のころのように思える。

さて、テンチャン遊び・・とは。

いわゆるお手玉のようだが、不思議な呼び名である。

ばいがち合ひ・・とは。

“ばい”遊びをしている情景から、私の年代でも体験のある一般的呼び名のベイゴマ遊び。

私の住む地域ではべいと呼ばずにバイである。

バイするで、と言っていたことを思い出す。

バイはバイガイ(貝)の形とそっくりに作られた鉄製のコマである。

だから、バイと呼ぶ。

順当な呼び名であるが、世間ではべいごまのようなが・・。

べったの勝負とは・・。

大阪生まれの大阪育ちの私らはべったでなくべったんであった。

東京人がメンコと呼んでいたようだが、それは形も違う。

ぺったんでもなくべったんである。

3章は安堵町の一大産地であった梨果実の生産である。

明治時代初年に京都・山城の国から持ち帰った梨の木を植栽して育てたら、地区土壌に合ったのか、豊作、豊年。

当時のマニュアルであろうと思われる「大和梨栽培大要」を展示していた。

梨は甘い。

蜜が濃いから年中に亘る防虫策が難しかった。

そこで辻本忠夫氏が考案した防虫の機械。

大型鉄製の噴霧器である。

原薬の硫酸を撒くときにはレインコートが必要不可欠だった。

かぶっていないと身体が毒されるから危険を伴った防虫だった。

また、新聞紙も防虫に役立ったという。

何故に新聞紙であるのか。

その答えは印刷インキである。

インキ自身が防虫になるということは、どこかの場でも聞いたような気がする。

ただ、インク材は昔と今とでは違っているので、昔は効果があったが、現在は期待できないと思う。

梨の市場は飽波神社の前がそうだった。

個人蔵の出荷帳も展示されているが、そのなかに書いてあるらしい。

梨栽培は戦争激化に伴って、食糧増産の稲作に移った。

栽培していた梨の木は燃料。

木炭自動車が走る時代だったから、その燃料にしたのであろう。

最後の1本を伐採し終わったときに終戦を迎えた。

原木の1本でも残っておれば、復活も可能と思われるが、元の梨栽培畑にはなりようがないほど地域の変容ぶりに無理がある。



映像は資料館内で栽培していた苺の露地もの。

えー実、えー色具合だ。

スケッチ画キャプションに「カブロ取り」がある。

「カブ口取り」の可能性もあるが、一体何であろうか。

当日聴講していた女性が質問されてもわからない詞である。

4章は懐かしの風景。

富雄川ドンドンキャプション。

これもまた何がドンドン。

スケッチ画から流れる川に段差をつけて流れを緩やかにする工夫であろうか。

かつて大和川が蛇行していたと思えるスケッチ画がある。

この章では過去と現在を対比できるように、スケッチ画された場所を最近映像の写真で紹介していた。

蛇行はしばし洪水を引き起こして周辺は地区が水ツキになった。

河川工事した結果は一直線の川。

逆に一挙に流れて王寺の方では、そこらじゅうの川から流れて集中するからときおり冠水することもある。

昨年の秋に発生した冠水は大阪に流れる出口の一極集中型災害であろう。

ちなみにゼンリン地図でも広げてほしい。

川は一直線になったが、地区の境界線は昔と同じ。

川西町吐田の一部住民は現在の大和川北に住むことから大和川に架かる橋を渡って南にある学校に通っていたと、当日聴講されていた地区の校長先生が話していた。

このあたりは水ツキがあったことは大和郡山市の額田部町に住む高齢者が話していたことを思い出した。

護岸工事される前の大和川の土手に萱が自生していたという。

採取した萱は編んで人が滑るお尻に敷いて土手を滑走していたそうだ。

上流の川西町・下永付近でも護岸工事をされた。

コンクリート護岸の隙間から生えてきた萱。

もしかとすれば真菰草かもしれない。

萱と真菰の大きな違いは葉の幅もあるが、見分けがわかりやすいのは根に近い部分の軸。

赤みがあるはず。菰草であれば、6月に行われる地区の伝統行事の「キョウ」に登場するジャジャウマ作りに用いられるはずだが・・。

どうなんだろうか。

地理的には東安堵よりそう遠くない地に大和郡山市の椎木町がある。

ここでは年に一度。

春日大社の若宮おん祭に寄進奉納される菰編みを作っている。

下永と同様に菰は畑で栽培する。

つまり、生息地は川でなく畑であった。

余談なことだが、ふと思い出した。

スケッチ画のキャプションに川堀りがある。

下永ではこれを“ツユハリ”と呼んでいたと解説される。

“ツユハリ”はどちらかといえば集落にある水路の清掃。

田圃に水を入れる水路も含めて地域が管轄する水路であるから清掃をする。

大和川は国交省の管轄。

その場合も“ツユハリ”と呼ぶのだろうか。

ふと、疑問をもった。

ちなみにツユハリは田植え前に行われる村人総出の作業。

旧村のほとんどは5月末の日曜にしているようだ。

小字橋本に建つ「すてんしゃう」道標。

道路改修の折にやや埋没。

見えなくもない「すてんしゃう」の刻印。

思わず“天王寺ステンション“を思い出した。

今では「すてんしょん」なる詞を発したら笑われるかもしれないが、れっきとした明治時代、まだ和訳が広まっていない時代にステーションが訛った表現である。

そのすてんしょん表現は近畿一円。

ところが関東では「すてーしょん」。

東北、北海道に九州になれば「ていしゃば」あるいは「てんしゃば」。

近畿でも伊勢辺りでは「てんしょば」になるからおもしろいものだ。

5章の天理軽便鉄道。

風景画の描き方に密度がでるようになった。

精細で色彩も鮮やかな画もある。

単なるスケッチ画ではなく、じっくり腰を据えて描いたと思われる写生画もある。

法隆寺自動車学校開校や西安堵側・架構橋工事中の名阪国道は時代の変革を切りとったスケッチ画。

状況が刻々と変化する安堵町を記録している。

6章の行事と祭礼。

中でも特筆すべき画がある。

2枚、連続のパノラマ状態で拝見できる野辺送り。

キャプションに丁蝋燭、丁鉦、長播、燈籠、生花、如来様、仝供、伴僧、導師、仝供、長柄、家族がある行列する葬送のスケッチ画。

今ではまったく見ることのない貴重な民俗画。

しかも、野辺送りに箱に収めた融通念仏・如来さんまで送ってくれるというありがたい葬送。

東安堵は融通念仏宗檀家。

これまで六斎念仏講がお盆に忙しく檀家参りに鉦打ちする姿を撮らせていただいたこともある。

ただ、スケッチ画の如来さんについては大阪・平野の本山大念仏寺ではなく、地区お寺にある分仏のようである。

節分の歳越(としこし)晩の父親は枡に盛った大豆を撒きながら「福はうちー 鬼はそとー」と払っていた家の習俗画もある。

そのトシコシを家で体験していたという男性が話してくれた。

学芸員も校長先生も地区で観光案内をしている人も驚きのその男性は辻本忠夫氏の次男さんだった。

今は大阪・八尾の山本に住んでいるが、近鉄山本駅にたまたま目に入ったポスターに、えっと思ったそうだ。

何の画か説明はなかった画風でわかった父親のスケッチ画がポスターにあったから、駅員に頼んでもらったという。

スケッチ画に父親のサインもあったから判明の根拠もあるが、生家で描いていたそうとうな枚数を見ているものだから画風でわかったという。

この日のギャラリートークがあるとはまったく知らずにいたという。

実はこの日に集まりがあった。

その場に兄さんがおられて展示のことを聞いて、兄嫁とともに足を運んだそうだ。

子供のころの生活体験を生々しく話してくださる辻本忠夫氏の次男さんの出会いに感謝である。

ところでそのポスター。

なんでも奈良県立民俗博物館に寄贈しているようだ。

父親は梨栽培もしていた。

生産、出荷に忙しい毎日。

出荷に運んだ先は大阪・堺。

木の車の大八車に載せて運んだ。

夜中に安堵町を出発して堺で下ろしたら、一目散に戻って安堂町でまた荷出しをする。

王寺町にある低い峠を越えて再び堺へ。

片道だけでも30kmもある安堵町-堺間。

自動車で運搬してもそうとうな時間がかかる。

昔の人は偉かったと思う。

次男さんは昭和14年生まれ。

現役バリバリにさまざまな活動をしてはるそうだ。

ちなみに天理軽便鉄道安堵駅のスケッチ画である。

背景の山々の状況から法隆寺向こうにある山であろうとか教えてくださる校長先生。

駅舎は時代によって建物に変化があったそうだ。

話題を展示作品の6章に戻そう。

今では見られない飽波神社の秋祭りの情景がある。

馬が何頭かいる画のタイトルは競馬(くらべうま)である。



いつころに廃れたのか存知しないが、奈良県内で今でも競馬の行事をしている地域はない。

あれば、貴重な行事になるのだが・・・。

ちなみに8章にお米ができるまでの一枚に刈りぬけがある。

キャプションに稲の収穫に赤飯を炊いた。

その赤飯を椀に盛って箕にのせる。

そこに稲刈りに用いた鎌を供えている画である。

今では見ることのない安堵町農家の習俗は、鎌に感謝する鎌納めのカリヌケ儀式であるが、大和郡山市の田中町で取材したことがある。

神社行事の際にたまたま話題になったカリヌケは今でもしていると話してくださって取材させてもらった貴重な一枚である。

もう一枚もお米の生産。

節目に行っていた一つにさなぶりがあった。

田植え終わりの農日の祝日。

植えた苗に餅を供えて一日休みとキャプションがあった。

学芸員トークは予定の30分間で終えたが、次男さんの体験談とか地域の歴史風土に詳しい校長先生や観光案内の女性の話題提供もあって盛り上がった。

実に有意義な時間を過ごせたことに感謝申しあげる。

回顧話題に思い出した写真集がある。

東京・樹林社発刊の『なつかしきあの日、あの時 大和高田市・御所市・香芝市・葛城市・上牧町・王寺町・広陵町・河合町編』。

本日トークのU学芸員も執筆者の一人に名前を連ねていた。

実は、私も樹林社のお世話になったことがある。

ひょんな出会いからコラム執筆をすることになった『大和郡山・天理今昔写真集』。

掲載写真の鑑定もお願いされた写真集であるが、私自身が撮った写真はない。

(H30. 5.19 SB932SH影)

無添くら寿司なんば元町店で遅めの昼食

2019年10月24日 10時14分04秒 | 食事が主な周辺をお散歩
歯痛で急遽でかけることになった。

痛みを訴えているのはおふくろである。

電話があったのは前日の17日。

これくらいの痛さは我慢できるし、明日になれば・・の声に、何いうてるのん、だ。

痛みを知ってもらいたいから電話を架ける。

心中はその痛さが辛いということだ。

朝の9時に自宅を出て大阪・住之江に着いておふくろを乗せる。

目指すは大阪・北浜によりも南にある市内中央区伏見町にある林歯科。

圧迫骨折の治療を経て数カ月ぶりに治療中だった歯に何度か通って本歯を嵌めてようやく終えた。

平成30年1月31日のことである。

そのときに伝えられた次回の診察は4月半ば。

特に日程を指定されることがなかったので、何かが起きてからと・・。

それが起きたのが前日。

痛みは前からどうもあったようだが、本日の治療を終えて云ったおふくろ。

毎度、奈良から来てもらって、大阪・中央区まで行ってもらうのがもうしわけないと我慢していたという。

何を云ってんだといいたい。

それはともかく本日の診察の際にわかったことは痛みがあった部位に膿がたまっていたということだ。

本日を含めてあと3回。

毎週の治療に来てくださいと伝えられた。

自宅にヘルパーさんがきてもらうのは週2回。

リハビリ兼ねた通所サービス通いも週2回。

自宅よりすごく近い所にある施設。

担当してもらった住之江地域包括支援センターの担当者やケアマネジャーからも云われるのが、できるなら、ずっと毎日を自宅で過ごすだけでなく、外に出ることを・・・。

そのチャンスがやってきた。

ただ、私の車に乗って遠くまででかけるだけだが、気分転換になる。

それが大事なのである。

本日の治療が終わったのは午後12時半。

朝早く起きたからお腹がぐうぐう。

昼の食事処はここにしようと車中で伝えていたくるくる寿司。

うどんが大好きなおふくろの思いを察して口にしていた無添くら寿司。

食事処は大国町付近にある大阪・浪速区敷津町東。

無添くら寿司のなんば元町店である。

難波の三叉路からすぐ近くにある店舗は有料駐車場内。

90分までは無料になるシステムであるが、支払いレジで駐車カードを手渡さないと機能を果たせない。

店舗入り口まで階段かと思えばエレベーターも設備していた。

介護の身であるおふくろも助かるエレベーターだ。

待ち時間ほぼゼロで案内されたテーブル席。

くるくる回る寿司に反応を示すかーさん。

おふくろの希望が第一と考えてメニュー画面をタッチした。

天かすはあかんねんけどと云いつつもかけうどんを注文する。

税抜き価格がたったの130円のかけうどん。

以前もこれを食べていたおふくろ。

天かすのことは一切云ってなかったけど・・・。

回転レーンを流れてくる回転寿司。

私は今でも使い難いと思っている寿司皿取り。

なんとかできて口にするかーさん。

私といえば回転寿司には目もくれずメニューボードにタッチしていた。



マグロユッケの軍艦巻き、鉄火巻き、イカゲソ天寿司、海老天、スリーミーカレーコロッケ・・。

かけうどんはおふくろの注文と同時に2杯を注文していた。

次から次へと特急レーンで運ばれる注文の品々。

忙しくて食べる間もないくらいに到着する。

その都度にケータイで撮っているからなおさらだ。

今回してみたいことは130円のかけうどんに100円皿の海老天である。

海老天は2尾。

以前も食べたことがあるが、むちゃ美味い。

ぷりぷり海老天の美味しいこと。

塩も天つゆも無用の海老天。

揚げた油が美味いのか、たまらん魅力がある海老天。

くら寿司のサイドメニューに280円のえび天うどんがある。

注文してみたいが、先に食べてみたいかけうどんにプラスしてのせてみたい海老天うどん。

味はどんなんだろうか。

期待するからワクワク。

その間に撮っていくケータイ映像。



海老天単体の映像はこれだ。

かけうどんは蓋をとっぱらってこの状態。



何度も食べているから旨さは頭と舌が覚えている。

そんな私の胸中とは関係なく、天かすを蓋にどけてうどんをすするおふくろ。

とっても美味しいという。

麺はコシがあるし喉越しも。

特に美味しいのはうどん出汁。

私も食べてみたが、これまで感じていた粉っぽさが消えた。

出汁を液状にしたのだろうか。

とにかく粉っぽさがまったく感じない。

私と云えば、何をするか。

かけうどんにどーんと2尾の海老天を綺麗に並べるだけだ。



見た目も大事な2品を合体させて作った海老天うどんである。

ただ、のせただけなのに上品、いや、極上とまではいかないが、食欲をそそる姿になった。

出汁をすう。

うどん麺を口にする。

海老天をほうばる。

どれもこれも美味い。

海老天は出汁に浸かってもプリプリ感がある。

旨みのある海老天に乾杯である。

どなたかが、お得な裏技に280円のえび天うどんを230円で食べる方法なんちゅうブログを公開していた。

その人が書いているように、280円のえび天うどんの違いである。

その280円のえび天うどんはずぶっと出汁に沈んで運ばれる。

ところはこの日に私がした行為は食べる直前に入れたという時間差だけだ。

浸かりはしたもののずぶずぶ感はない。

つまりはこちらの方が美味しいどころか揚げた衣のサクサク感も味わえる。

しかも揚げたてだからホクホク。

本日はその点を強調したくアップさせていただいたが、ブログをアップされたその人がいう違いは天かすにあると断言された。

いずれにしてもどちらも旨いことには違いないが、では値段の差っていったい何なのと云いたい。

ところであきんどスシローにもかけうどんがあるらしい。

それもくら寿司と同額の130円。

こりゃもう食べ比べするしかないでしょ。

ところでかっぱ寿司にもかけうどんがあるようだが単価は150円だよな。

目的を達成したら、お馴染みの私が大すきなお寿司をいただく。

この日の一番目に口にした鉄火巻き。

食べていたらおふくろも食べたいというからタッチパネルで注文。

味は美味しいけど巻いた海苔が堅め。

治療中の歯でも食べられると云ったが、もっと優しくしてほしいと思う高齢者向けの海苔を希望したい。

その食感は私もそう思っている。

巻きが美味いのに魅力が半滅する。

少しでもいいから堅めを除けてほしい。



次はイカゲソ天寿司。

生イカのゲソにぎりがないのになぜかくら寿司にはイカゲソ天寿司のにぎりである。

生であれば食べたいというかーさんにおふくろ。

私も同じことをいいたいが、ほくほく揚げたてのイカゲソ天をのせたにぎり寿司が気に入っている。

プリプリ感は海老天であるが、イカゲソ天にはそれでなくしゃっきり感と云えばいいのかな。



次に口にしたのはマグロのユッケ軍艦巻き。

あのとろろ芋がのったマグロユッケではない。

玉子の黄身は半茹で。

タレ漬けのマグロユッケの軍艦巻きもうまいが、とろろ芋が食べたかった。

えっ、下に隠れているって・・。そんなことはない。

とろろ芋であれば、あのじゅわとろねばとろでわかる。

本体を崩してはいないからわからないが、もしかとして・・・ちょっとだけだったのかも。

次はにぎりでなくコロッケ。



くら寿司推奨のコロッケはスリーミーカレーコロッケ。

揚げたてほくほくサクサクのカレーコロッケは一応美味い。

カレーそのものも旨さもあるのだろうが、私が食べたかったのは奈良・王寺店で食べたことのある黒毛和牛牛すじスリーミーコロッケ

この味、この口触りが抜群に旨い黒毛和牛牛すじスリーミーコロッケを味わいたかった。

なぜになんば元町店に置いていないんだ。

ないとわかれば入店しない。

入店してからタッチパネルを開ける。

ざっと一巡して見つからなければ出るしかない。

どうか、入店前からわかる情報を提示してほしいのだ。

お店独自であればなおさらである。

くら寿司のメニューに西日本エリアはあるが、そこにもない黒毛和牛牛すじスリーミーコロッケ。

裏メニューと云われればそれまでだが・・・。

お腹はこれで充分だが、気持ちはどこかに不安が残る。

そうだ、大切な一品を忘れていた。

タッチパネルメニューを繰ってみたら見つかった石澤シュフ特製のドレッシングがかかった魚介ユッケである。



本日の魚介はカツオ。

トロトロ玉子を箸で潰してちょっと混ぜ。

これが美味いんだなぁ。

これで満足感たっぷりしたけど、逆に破裂しそうなお腹のでっぷり。

なんとかならんやろか。

浮腫みが出ていないから膨満状態でもない。

ほんのちょっとしかたべていないのに、この苦しみ。

ところが、おふくろといえば、もう1杯を願われる。

出汁がとっても美味しからともう1杯注文したかけうどんも完食。

92歳にもなって食欲旺盛にどうなっているんだ。

ふと気がついたかーさん。

この穴って今気がついたけど・・・。

なんせこんなことしたことない。

お皿を5枚投入したらカウントしてくれて支払い額が自動的に計算される。

そんなことはないと思うが、いまいちわかりにくいその投入口。

店員さんが皿の枚数を数える前に投入したらあかんと思って呼び出し。

答えはどっちでよろしいということだ。

そんなら遊ぼうということで17枚も投入。

3回もあったチャンスに全部外れではなく当りが1個。

棚の上に設置してあるくらぽんスイッチオンしたらガラポンと同じような感覚で出てきた。

開けてみればよくわからないシール。

孫もいないから、どうするべ、である。

最後に愉しませてくれたくら寿司。

レジ支払いをしようとしたら、味を覚えた石澤シュフ創作のドレッシングを売っていた。

瓶入りではなく袋入りで350円。



一度は我が家で試したくなって購入した。

〆て合計金額は税込み2937円。

ドレッシングを入れずに計算したら一人当たり862円。

つい先日に食べたトライアルの寿司盛りとほぼ同額。

寿司の美味さは断然にトライアルの「鯛将のお寿司」勝ち。

ゆったりお店で寛がしてくれたくら寿司にも乾杯したい。

ところでくら寿司には奇妙なメニューがある。

寿司屋が提供するカレーである。

その名は「すしやのシャリカレー」。

なんかいなと思える名前でわかったシャリ。

シャリとは飯である。

で、あればシャリは酢飯。

つまりは酢飯にカレーをぶっかけて食べる。

ただ、それだけで何が面白いのと云いたい。

カレーに寿司飯だけなら寿司屋の寿司ではない。

それを見事に覆した寿司屋がある。

東京にあるヨコハマシャリランカカレーというお店である。

その名の通り、カレー販売店であるが、夜はカレーで昼に業態転換した寿司屋の顔になる。

友達2人で商売始めたお店は横浜中華街にあるそうだ。

ブログなどで紹介されているシャリランカカレーは凄い。

見た目は特に凄い。

何故にこの店を揚げるのかと云えば、もっと凄いのをテレビ番組で紹介していたからだ。

番組はモヤモヤさま~ず2。

「横浜周辺~福田アナがチャイナドレスで大暴れ~」の週に公開されたスリランカモルデイブの鰹節出汁で作った“酢めしで食べる不思議カレー”であった。

食べ終わってからさま~ずが言った投げかけ。

逆に、カレー寿司はしないのですか、であった。

例えばにぎりとか軍艦巻きで、ということだ。

できるが、したことがないという2人の店主。

では、やってみましょうと、特別のお試しにぎりは軍艦巻きに思わず反応したさま~ずが言った。

盛り付けが綺麗だった。

おしゃれと言ったのは福田アナ。

ネタ、具材はシャリランカカレーを流用したものらしい。

カレーの味はもちろんするが、お魚感のあるお寿司になった。

これは美味いの連発。

急な頼みにできあがったクオリテイに驚いていた。

この商品、三村さんと大竹さんが考案したと言って出しましょう。

しかも大竹がシャリランカカレーの根本にあるモルデイブの鰹節の食がジャリジャリするからと云っていたのでネーミングは「ジャリランカカレー」になったが、それではわかり難いから、今後はもっと商品開発をされる見込みを込めて「ジャリランカカレー軍艦巻き」にしてはどうだろうか。

この番組を拝見してくら寿司さんももっと頑張らな、と思ったまで・・。

食事を済ませたらおふくろ願いの買物。

ちっちゃいローソクに半分くらいの長さの線香買い。

地下鉄住之江駅近くにあるオスカータワーの3階に百均店があるというからそこを目指して車を走らせる。

で、コースは玉出で右折れの西行き。

通り道で先に見つかった百均店。

そこで用を済ませてもう一つの買物。

仏花の買い求めも済ませて着いた大和川団地の1階からはよく見える場所にいっぱい生えているピンク色の花。

今でも咲いている向こう側にある棟の下にヒルザキツキミソウ。

その花よりもちょっと小さ目のピンク色の花がいっぱい。

なんの花か、調べてみたらユウゲショウのようだ。

ピンク色に囲まれている小っちゃな、小っちゃな白い花が見つかる。



雑草ではなくヒメコバンソウ。

自然観察会で知った一種、山野草でもある。

(H30. 5.18 SB932SH撮影)

イオンモール大和郡山の喜久屋書店は奈良本が充実

2019年10月23日 09時57分59秒 | 民俗の掲載・著作
久しぶりに本屋に出かけた。

蔵書がとても多くある喜久屋書店はイオンモール大和郡山にある。

いつも通りにエスカレーターを利用して2階に上ったら、お店がない。

あれぇ。私の記憶がどないかなってるぅ、と思った。

・・・そのフロアはスポーツタカハシになっていたから驚きである。

喜久屋書店はイオンモール大和郡山を撤退したのか・・そんなことはあり得ない。

フロア毎に設置している店舗案内のマップがある。

同じ2階であったが、場所はほぼ中央寄り。

南の端にあった書店は移転していた。

店員さんに聞けば2年前に場所が替わったというが、実は平成28年7月15日にモール内店舗の大規模リニューアルに移っていた。

そりゃ知らなんだ、である。

喜久屋書店は平成28年の5月以降、来店することはなかった。

読みたい本がないということもあるが、病いに手術

そして長期間に亘ったリハビリ運動していた空白の2年間。

探したい本はレジ付近にある端末で店員さんが操作される。

そのすぐ横にあった本棚は「奈良の本」ばかりを並べた棚。

数えきれないほどの「奈良の本」は数百冊、いやもっとかも。

ありがたいことに、今でも著書『奈良大和路の年中行事』を棚に埋めてくれているのがありがたく、厚く御礼申し上げる次第だ。

(H30. 5.17 SB932SH撮影)

アートな造形

2019年10月22日 09時05分23秒 | しゃしん
パソコンの壁紙に設定したくなったアートな造形。

それともケータイの待ち受け画面。

いやいやFBのカバー映像に・・。

それより全紙、全倍に拡大プリントに・・と、思ったりもするが・・・。

実は、と種明かし。

この映像は美味しい甘酢漬けの二十日大根。

山の辺の道の有人販売所で売っていた二十日大根。

1袋が100円。

売れ残ってはアレだからと思ったのか、盛んに攻勢をかける売り子は高齢の婦人。

有人販売所前の畑で栽培した二十日大根を売りに出していた。

紅い色に白い肌の二十日大根が美しく、そして美味そうに見えた。

それを察した婦人が云った。

三つで200円の売り値に手を打った代物。

スライスは私の思っていた薄さではなかったが、パックに詰めたその姿に思わずシャッターを切る。

美味しさよりもアートな情景が勝っていた。

(H30. 5.16 SB932SH撮影)