マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

高取町寺崎のとんど

2011年02月28日 08時43分43秒 | 高取町へ
茅原の大とんどと称されている県内でもっとも代表的な御所市吉祥草寺の左義長。

逆立ちした円錐形が特徴的だ。

その流れがあるのかどうか判らないが形状が似たとんどの地域がある。

茅原よりも小ぶりで行われている同市の稲宿(いなど)。

高取町でも同型のとんどが行われている。

寺崎のとんどは19時に火が点いた。

村の人が群がるように集まっている。

火種は提灯に入れて持ち帰る人も居る。

佐田や越の人の話しによれば与楽(ようらく)もそうであるという。

分布はどこまで広がっているのだろうか。

この時期の調査対象でもある。

(H23. 1.14 EOS40D撮影)
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越の行事

2011年02月27日 08時36分20秒 | 楽しみにしておこうっと
明日香村越(こし)に鎮座する許世都比古命(こせつひこのみこと)神社の氏子は28軒。

以前は30軒だったそうだ。

一年間つとめたトーヤはとんどの日で役目を終える。

毎年10月8日は宮送り。

夕方にトーヤは伊勢音頭を謡いながら神社に向かう。

拝殿で高砂などを謡ってトーヤ引き渡しの儀式が行われる。

その際には錫杯で酒をいただく。

三段重ねの杯は真ん中の杯を選ぶことになっている。

仲の良いようにということである。

儀式を終えると新トーヤの家へお渡りをする。

そのトーヤ、軒数が28軒だから28年にいっぺん回ってくる。

そうとう長い期間を待たなければならない。

11月の最初の亥の日にはイノコまつりが行われる。

境内社の弁才天さんの前に集まって食事をする。

おモチはあるが料理はパック詰め料理に代わったそうだ。

夕方というから照明下でされるのであろう。

(H23. 1.14 EOS40D撮影)
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明日香村越のとんど

2011年02月26日 07時38分37秒 | 明日香村へ
年神さんを祭った注連縄などの正月飾りはとんどで燃やして天に帰ってもらう。

村々や地域ごとに行われている行事である。

小正月の14日の夕刻から15日の朝にかけて行われる地域が多い。

が、サラリーマン農家になったこともあって休日に移行される地域が増えつつある。

代表的なのはとてつもない大きなとんどが有名な御所市吉祥草寺がある。

茅原の大とんどと称されている。

とんどの形や大きさは地域により様々である。

その御所から東部にあたる高取町や明日香村でも同じように14日の夕刻にされている。

高取町の佐田に居たときだった。

真っ赤な火が天を焦がすような勢いで燃え上がった。

距離はほど遠くないが真っ暗な時間帯となった今は場所を断定することはできない。

同時間だった。

今度はポンポンというかバンバンというか竹が破裂する音が聞こえだした。

その音は山を越えた辺りからだったが火の手は見られない。

けたたましく鳴る音に混じって消防車のサイレンが聞こえだした。

どうやらその方向に向かっているようだ。

追跡していけばとんどの火が目に入った。

そこは明日香村の越(こし)だった。

小高い丘の広場で燃えているとんどの火。

住民たちも集まっている。

十数人の人たちがかたまってやってきた。

「誰かが火事やと思って消防車を呼んだんだって」と口を揃えて総代ら先着陣に伝えている。

都会育ちの人であろうか、とんどの風習を知らない人なのか判らないが、その音と火から家が焼けているように見えたらしい。

そんなことにも動じない総代や住民たちはとんどの火に群がった。



とんどの火はその総代が神事を行ったローソクの火を移して点けられる。

三方にお神酒徳利、スルメを載せてローソクに火を灯す。

神社祭式に則り拝む。

とんどに火を点ける方向は縁起の良いアキの方角でこの年は南南東だった。



その傍らでは小さなとんどで燃やしている。

服忌の家では大きなとんどに加わらない。

ハレのとんどに遠慮して行っているのだという。

群がった人たちは炭火となった火を持ち帰る。

火起し器に入れる人も多い。

この日のために使っている現役の道具だという。

この火種は大切に持ち帰って「くどさん」と呼ぶ竈の火点けにする。

とはいっても現代はガスコンロに変わったから神棚のローソクへの火移しである。

コンロになったが今夜はぜんざい、明朝はアズキ粥を作っていると話す婦人たち。

アズキには違いないので赤飯にしている家もある。

それが炊けたらカシの葉を裏返してアズキ粥を乗せる。

皿のようにするカシの葉。

高取町の佐田でも聞いたことがある。

カシの葉のアズキ粥は家の玄関とか裏口に供えるそうだ。

断定はできないが小正月の神さんに供えるものではないだろうか。

(H23. 1.14 EOS40D撮影)
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北白木のオコナイ

2011年02月25日 07時35分02秒 | 桜井市へ
正月初めに行われている行事にオコナイがある。

大寺などでされている修正会にあたる行事が村々に広まり今日まで継承されてきたオコナイ。

国家安寧や五穀豊穣を願う祈りであるが、村となれば地区の安全祈願になるわけだ。

それは「おこなひ」と表記されてきた。

桜井市北白木でも正月始めに五穀豊穣を祈って村人が公民館にやってきた。

元はお寺(安楽寺)であったのだろう仏像を祀っている。

当番の人が作った松苗を供えて拝む。

灯明に火を点けて手を合わせるが、お経もなくオコナイはあっという間に終わった。



松苗は3、4本仕立ての松にモチワラ2束を縛り付けている。

そこには半紙で包んだ洗い米を紅白のこよりで括っている。

本尊の前に供えた松苗は食事を済ませたあと家に持ち帰る。



それまでは食事会。正月初めの行事だけにおせちと豆腐入りのイモ汁だ。

中身はといえば柔らかく煮たサトイモが丸ごと入っている。

家庭の味がする手作りのおせち料理を肴に酒を飲む。

これが白木の流儀。

いつものように和やかなムードに包まれた。

持ち帰った松苗は5月のかかりに再びお目見えする。

それは田植えをするときだ。

植え初めはたばった松苗を田んぼに挿してからだ。

花を一緒に挿しておく。

「気のもんやけど、昔からそうしているから」と話す五穀豊穣を祈る農家の行事である。

植え初めは「さびらき」と呼んでいる白木。

早苗がすくすくと育ってほしいという言葉でもある。

数軒になったようだが、そのときにお米をパラパラと入れたフキの葉を丸めたタワラも供える家があるという。

ワラ紐で括るなど仕様からすればそれはフキダワラであろう。

県内では絶滅寸前の豊作を祈る作法である。

その日は煎った豆をお米に入れて炊いた。

コガシのごはんは神棚に供える。

おにぎりにしてきな粉をまぶして食べた。

「このごろはしゃーへんようになったわ」と婦人たちは話す。

(H23. 1.14 EOS40D撮影)
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藤井三十八神社乱声

2011年02月24日 08時52分44秒 | 天理市へ
天理市藤井ではこの1月に乱声が2回行われる。

先日の6日には東福寺で行われた。

「ランジョー ランジョー」と掛け声に合わせてお寺の回廊をネコヤナギで叩いていた。

11日はこれが三十八神社になる。

この前と同じように祈祷のお札を作ってきた宮座6人衆の宮本さん。

先ほどまで当番の家で作っていたのだ。

神社の名を記して牛玉宝印と墨書する。

それに朱印を押してある。

形式は同じだが名称も朱印も違っている。

2種類あるのだ。

それを神社の祭壇に供えて始まった乱声。

当番の人はお寺にある太鼓を打ち鳴らした。

「ランジョー ランジョー」と掛け声に合わせて神社の縁を叩く。

この日はネコヤナギの木が6本。

両手で叩くから3人だ。

これを3回繰り返す。

1回あたりの太鼓叩きは10打ち程度。

その間、声たかだかに繰り返す「ランジョー」。

ドンドン、バチバチの連打が数十秒。

もう一回、もう一回と3回の乱声すべてが終わるには2分もかからない。

短い時間だったが村から悪病を追い出したのであろう。

それを終えた当番の人はお札をキモイリの人にお願いして配ってもらう。

村の用事や集金をするキモイリの人。

そのついでに各家に配ってもらうのだ。

明後日は鬼打ちの日

鬼を射止めた矢に二つのお札を挿して苗代に供える。

それは5月初めのころだ。

魔除けの矢とお札は強い呪力をもって稲を守ってくれる。

豊作を願う行事はこうして正月に行われているのだ。

(H23. 1.11 EOS40D撮影)
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額井のとんど

2011年02月23日 07時35分03秒 | 宇陀市榛原へ
十八神社で正月行事の祈年祭を終えた氏子たち。

数時間の休息をした後は恒例となっている村の行事であるとんどを行う。

日が暮れる前に設えていたとんどの場にやってきた。

気温は再び下がってマイナス1度となった。

額井のとんど場は上出と下出の2カ所にある。

上出は神社から見下ろす田んぼの中だ。

そろそろ始めようかと火を点けた。



上昇風に煽られて焼けた竹の葉が巻き上がる。

地区の人たちはモチを持ってきた。

それをとんどで焼いて食べるのだ。

竹の先を割ってモチを挟む。

そういう人は少なくなったと頭屋の家人が話す。



ポンポンと竹の焼ける音が聞こえ、上出のとんどが燃えさかっているころには下出でも地区の人がやってきた。

その音は数百メートル下りた下出地区まで聞こえないが火を点ける時間よりも早く来た住民。

「誰が点けても構わないのだ」と言ってワラ火を点けた。



火を点ける人、方向も特段決まっていないそうだ。

煙が上がって竹のはぜる音を聞いて集まってきた人たち。

「おめでとうさん」と正月の挨拶をしている。



モチを持ってくるのは当然だがなにやらお手製のモチを焼くアミを手にしている。

工夫して作ったモチアミはそれぞれが特有の形をしている。

ある人は25年も使っているという。

年代物のモノから丸型、角型のモチアミには長い棒に取り付けている。

手に持ってとんどで焼く。

短ければ熱い火には寄れない。

その道具は年々改良しているそうだ。



モチが焼ければ口にする。

燃えたワラや竹の香りが染みこんだモチはほくほくして美味い。

数人の人が焼けたモチをちぎってはとんどに投げ込んでいる。

「ブトのくち ハミのくち」と言って投げている。

無病息災を祈るまじないとされる「ブトのくち」。

「ブト」は「ブヨ」で刺す悪い虫。

「ハミ」はマムシの別名で咬む動物。

農作業をする際の天敵みたいなものだから、刺されんよう、咬まれんようにするのだという。

そういえば下出のとんど場は昼間に五穀豊穣を祈って掛けたカンジョウツナの真下。

「ブトのくち」も豊作を願うまじない。

いずれにしても農業における大切な行事である。



とんどが燃えた火。その火は家に持って帰る。

火が点いた竹や炭のようになった火種を大事そうに持ち帰る。

コンロが「くどさん」であった時代はそれの火種にした。

今はガスの火が直接点くから「あみださん」や「神棚」のローソクに火を移しているそうだ。

(H23. 1.10 EOS40D撮影)
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岩屋の山の神クラタテ

2011年02月22日 08時49分42秒 | 山添村へ
1月7日に行われた山添村岩屋の山の神。

11月7日は山の神の清掃の日だった。

それから2ヶ月後、早朝にそこへ参る。

カギヒキをして小石を入れたタワラをぶら下げる。

特徴的なのはカギヒキを水平に置くことだ。

各地のカギヒキでは木の上から吊している。

それが岩屋では横置き。

どういう意味があるのだろうかと思えばここ中出では木でなく竹林。

枝に引っかけることができない竹ゆえに横置き、なのであろう。

その前の地面にはずらりと並んだクラタテ。

三日前に供えられた半紙や弊はすでに風で飛ばされているものもある。

コウジミカンの行列は実に壮観だ。

残されたクラタテには米粒やクリ実も散見する。

岩屋の山の神は他に4カ所も(5カ所とも)あるそうだ。



辻の下も上(ツバキの木)も同じようにクラタテやカギヒキ、タワラが見られたが中出と違って木にぶら下がっていた。

(H23. 1.10 EOS40D撮影)
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額井十八神社祈年祭

2011年02月21日 08時46分39秒 | 宇陀市榛原へ
額井のカンジョウツナカケを終えた氏子たち十八(いそは)神社で神事を行う。

白衣の陣羽織を着用するのは6人の氏子総代と新旧の頭屋の4人。

略した衣装はそれでも構わないと宮司の了承を得たもの。

拝殿には氏子たち全員が入った。

祭壇下には両家の頭屋が一年間分霊を祀るヤカタや注連縄が置かれた。

祓えの儀、祝詞奏上、献饌など賑々しく神事が執り行われる祈年祭。

新年を祝い年の初めに五穀豊穣を祈る「としごいのまつり」である。

神事を終えた一同は社務所に登って席に着く。

上座には宮司、総代に旧頭屋。

周囲を囲むのは氏子たちだ。

総代が新年の挨拶を述べて儀式が始まった。

この日まで分霊を祀ってきた旧頭屋はお役目を終えて新頭屋に受け渡しをするのだ。

お神酒と椀を持って下座に登場するのが新頭屋の二人。

神職や総代、旧頭屋の持つ椀に酒を注ぐ。



まずは神職と総代が酒を飲み干した。

今度は旧頭屋に注ぐ。

二人も同時に酒を飲み干した。

お役目ご苦労さまの意がある酒だ。

これがオトウワタシである。

今度は酒椀を左右に座る旧頭屋へ、そして席順に座った人が酒杯を次々と順に回して飲む「回し飲み」が始まった。



一口飲んでは椀を綺麗にして次へ回す。

少しずつ減っていく杯の酒量。

新頭屋2人は末席に着いた。

そして回ってきた酒杯が最後に飲む役目。

このときの酒は残さず飲み干すことになっている。

これをオトウケという。

(H23. 1.10 EOS40D撮影)
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額井のカンジョウツナカケ

2011年02月20日 08時48分29秒 | 宇陀市榛原へ
今冬は度々寒波が襲ってくる。正月前はドカ雪だった山間部。

一昨年のカンジョウツナカケの日はもっと降ったという宇陀市榛原区の額井。

昨夜から今朝まで降ったがそのときよりはまだ少ないこの日。

急坂を登る車は四輪駆動でなければ額井岳山麓に鎮座する十八(いそは)神社には着けない。

特に下出の人にとってはそうである。

気温はマイナス2度。

早朝から集まった29軒の氏子たちは上出と下出の人たちだ。

社務所の前では竹を細く切って串を作っている。

弊を付ければそれは「外の神さん」。

10本ずつ作って29束。

それは氏子さんの数でもある。

青竹1本を丸ごとにしたのはカンジョウツナの中央に据える大弊用だ。

下部には半紙に包んだ五穀を入れる。



社務所内部では大勢の氏子たちが作業をしている。

「ネコジメ」と呼ばれる注連縄や長いカンジョウツナ、「七五三」の注連縄などだ。

男たちは力強くカンジョウツナを撚っている。

長さは22ヒロにするそうだ。

1ヒロは両手を広げた長さ。

人によってまちまちだがおよそ38メートル。

かつてはもっと長かった。

ツナを張るのは下出にあるケヤキの木とポール。

昔は一方がスギだったが消滅した。

その位置を示す場所には大石がある。

それを跨ぐのは拡張された道路道。

道路の真上を通すには日常生活に差し支える場合もあるということから跨ぐことを止めた。

そう、額井では道切りのカンジョウなのである。

氏子総代の一人が言うには「勧請とは神仏のおいでを願う意であって、その分霊を他の地に祀ることである」と話す。

カンジョウツナを掛けるその地は五穀豊穣を願う苗代の水口にあたるそうだ。

太い注連縄はもっと力が居るという。

ギュギュウと捻る注連縄。

ぶら下げるワラも通して4本作られる。

新頭屋の2人と神社に供えるものだ。



一方ではご婦人たちもツナ作りをしている。

カンジョウツナの房を取り付ける細いツナだ。

手慣れた作業は生産量が高い。

「サンバイコを作ってたらから」と笑顔をふりまきながら作業をしている。

そのころ長い丸太の竹を社務所前に設置した。



竹にぶら下げていくのが房でそれぞれが4本の足。

合計で12本もある。

それは月の数だといってうるう年は13本になる。

下がりの房には横に葉付きのサカキを3本通す。

それは1対になっている。

紙垂れを取り付け下部の足にはこれもサカキ。

少し小さめのものだ。

これらの作業をする役割は特に決まってはない。

毎年していることだ、得意分野に動く。

自然のなりゆきみたいなものだと氏子の一人は話したその手はツナを撚った際にできたマメを見せる。

その間、2組の頭屋家族は炊事場が忙しい。

一服の休憩にお茶出しにツナ掛けや祭礼を終えたあとの食事準備などにかかりきり。

正月に供えられたお下がりのモチも焼いている。

砂糖醤油をつけた餅は香ばしくも美味しい。

2時間かかったツナ作り。

出来上がったら掛けに行く。



そこにはケヤキとポールの間に鋼線が張られている。

それを降ろしてカンジョウツナを取り付ける。

中央の御幣位置を調整して房も取り付けた。

それぞれが落ちないように結束バンドで止められた。

グルグルとハンドルを回せば空中に浮き上がった。



ポールがなかった時代は「せーの せーの」と掛け声を合わせて引っ張ったそうだ。

一本のツナとなったカンジョウツナは青空にとけ込んだ。

後方の標高812メートルの額井岳はくっきりと稜線を描く。



秀麗な山は大和富士とも呼ばれている。

およそ50年前には山に登って雨乞いをしたと話す氏子総代。

中学生か高校生のときやったという。

ダケ(岳)の神さんに願うため岳のぼりをした。

火を点けた松明を先頭に山を登っていった。

鉦や太鼓を叩いて登った。

山の広場でとんどをした。

5月ころだったか、雨乞いをして下りてきたとたんに雨が降ったことを覚えていると話す。

台詞は特になかったそうだ。

(H23. 1.10 EOS40D撮影)
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車町蛭子神社のえびす祭

2011年02月19日 08時55分10秒 | 大和郡山市へ
エビスさんが見事に鯛を釣り上げた姿を描写しているお符は商売繁盛のご利益があるとされる。

平成10年に社務所内に移設された蛭子大神を祀る大和郡山市車町の蛭子神社は古式の姿を止める。

オソナエには扇型に作られた昆布も見られる。

そのお札といえば左書きに「大和郡山 車町鎮座」の文字が見られる。

一枚ずつ版木で刷られた大切なお符である。

この日は隣町にある塩町でもえびす祭が行われている。

多くの参拝者は白玉だんごが入った振る舞いぜんざいに舌鼓。

一方の車町では甘酒が振る舞われている。

塩町ほどでもないが商売繁盛を願う参拝者は途切れることもない車町。

かつては塩町、柳町の三社であったえびす祭。

当時はそうとう賑わったのだと受付している人たちがいう。



それを証明するかのような当時のポスターが社務所に残されている。

残念ながら開催年を示すものはなかったがそうとう古いものには違いない。

「1月10日 郡山の十日戎」とある。

そこには「岡町芸姑宝恵籠(ほえかご)行列 正午より全町ねりあるく 富日全町商店 薬園神社境内にて芸姑総出演奉納舞いあり 一せい特賞大売出し」 主催は郡山産業会 後援は郡山町役場だ。

宝恵籠に乗る芸姑姿が古の状況を映し出す。

これには郡山町役場と書かれている。

大和郡山が市制になったのは昭和29年。

それまでは郡山町だった。



サンデー郡山の記事によれば昭和27年の塩町十日戎の記事には選り抜きの美姑を乗せた宝恵籠5台が出たとある。

久しぶりで本格的な宝恵籠が出たもので、車町、薬園宮の戎さんも十日戎のお祭りで多数の参拝者で賑わったとある。

その後の昭和31年には子ども会の宝恵籠になっている。

昭和32年には市内六社から集められたお嬢さん、坊ちゃんになったようだ。

その当時は三社十日戎。

当番の町が毎年変わるようでこの年は塩町だった。

記事の内容からすればこのポスターは昭和27年か28年のものであろう。

(H23. 1. 9 SB932SH撮影)
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