マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

柳町東開運地蔵数珠繰り

2008年09月30日 07時56分05秒 | 大和郡山市へ
大和郡山市内で数多く行われる地蔵盆。

そのうちのひとつに柳町東自治会で守れられている開運地蔵尊がある。

テントを張って子供の名前が記された奉納提灯をぶら下げている。

ここは鰻掘から流れる紺屋川の橋の上。

昭和37年ころの下水道工事で今の地に移設されたお地蔵さん。

柳町東は郡山城外堀の南外側、柳町の東裏に位置する田地であったことから柳の裏タンボと呼ばれた地。

遊郭だった洞泉寺町や岡町に近い。

何十年も前のことだが朝から長襦袢着た遊郭で働く女性を見たという。

洞泉寺は芸を売り岡町は身を売っていたと話されるご婦人方。

供えられた御膳はおぜんと称し五つの器に盛られている。

白飯椀、豆とキュウリのおひたし椀、ニンジン・カボチャ・シイタケ・コンニャク・コ-ヤドウフの五品椀、漬け物椀、ワカメ・シイタケが入ったニューメンの汁もの椀にハクセンコウとモチを置いている。

今日は朝から雨降りで心配された雨はなんとかもって法要が始まる。

僧侶は新木町の萬福寺。

なむあむとお経を唱える。

席に座った子どもらは神妙な顔つき。

法要を終えると数珠繰りだ。

お地蔵さんの前に目いっぱい広がってぐるぐると時計回りに繰っていく。

大きな親玉がきたら頭を下げて拝むんだよと話す住職。

高校受験を迎える子どものために合格できますようによろしゅう頼んますと開運を祈った人もいた。

(H20. 8.23 Kiss Digtal N撮影)

幸町両池地蔵御膳

2008年09月29日 07時02分06秒 | 楽しみにしておこうっと
木屋ノ口自治会で教えていただいた隣町の幸町。

ここでも地蔵盆が行われている。

両池地蔵尊と名付けられたお地蔵さん。

かって掘りの名残だった北、南池があったが時代の趨勢で埋め立て住宅地になっている。

その池の名称から名付けられたと考えられるお地蔵さん。

その昔、市内で大火が発生し、火の勢いすさまじく広がったが地蔵さんの前で止まったというありがたいお地蔵さん。

戦中には焼夷弾がぼんぼん落ちたけど助かったのはこの地蔵さんのおかげじゃと話す八十歳のご婦人。

戦時中にはお米を供出して地蔵さんの前に子どもを寄せて食べさせ寒施行をしたと懐古された。

御膳はアズキの赤飯椀、麩の吸い物椀、シイタケ・サツマイモ・コンニャク・ニンジン・クリ・レンコンの炊きもの椀、汁もの椀に今年はブドウの果物椀が置かれる。

今日、15時からは春岳院からご住職を迎えて数珠繰り。

夕刻19時からは西国三十三ヶ所のご詠歌を受け継がれた町内の人らが集まるというが他所に行かねばならないので楽しみは残しておきましょう。

(H20. 8.23 Kiss Digtal N撮影)

木屋ノ口出世地蔵法要

2008年09月28日 07時42分56秒 | 大和郡山市へ
大和郡山市内で数多く行われる地蔵盆。

そのうちのひとつに北郡山町木屋ノ口自治会で守られている出世地蔵尊がある。

奈良掘の東側で隣町の塩町で醤油醸造であった豪商駒井家は「木屋」を屋号としていたことから、この木屋への出入り口として呼ばれていた木屋ノ口。

テントを張って子供の名前が記された奉納提灯をぶら下げる。

お地蔵さんの前にはお膳と呼ばれる御膳が供えられる。

アズキの赤飯椀、菜のおひたし椀、カボチャの炊きもの椀、ニューメンの汁もの椀にナスビとキュウリの漬け物椀が置かれる。

明日は赤飯が白米飯に替わる。

昔、お地蔵さんからご利益を授かったと地域外のお方が毎年お供えを届けてくださるんじゃと嬉しそうに会長はおっしゃる。

15時過ぎ、九条町の光傳寺から僧侶を迎えて法要が始まる。

なむあみだーと、お経があげられると手を合わせて拝む。

この出世地蔵尊は数年後に立ち退きとなる。

西方にある近鉄橿原線の踏切道では絶えず交通渋滞が発生している。

これを解消する地下道工事によってお地蔵さんは移設の対象となったが移転先はまだ決まっていない。

当日の夕刻19時からは西国三十三ヶ所のご詠歌を受け継がれた町内の導師が来られるというがブッキングを避けるため来年の楽しみとしておきましょう。

(H20. 8.23 Kiss Digtal N撮影)

塩町日の丸地蔵御膳

2008年09月27日 07時35分59秒 | 楽しみにしておこうっと
大和郡山市の地蔵盆の数多くは8月に行われている。

特に市内中心部は町内毎に祀られたお地蔵さんがあり、どことも23日(翌日の24日も行われている地域もある)に行われる。

昨年に御膳が供えられていると聞いた塩町のお地蔵さんは日ノ丸地蔵と呼ばれる。

祠の横には日の丸を立てる基礎があった。

建て替えのため土地を整備したらそこからお地蔵さんが現れた。

国旗掲揚した跡だったことから戦前以前に埋められていたと考えられるお地蔵さんは掘り出されて日ノ丸地蔵と呼ばれるようになったという。

供えられている御膳はおぜんと称し五つの器に盛られている。

アズキの赤飯椀、ヒジキと豆の煮びたし椀、ニンジン・カボチャ・シイタケの煮物椀、豆の煮物椀、ニューメンの汁もの椀に果物の椀は精進料理が並ぶ。

今日は16時からスイカ割りで19時子供花火。

24日には春岳院からご住職が来られて数珠繰りが行われる。

来年の楽しみに残しておきましょう。

時代の趨勢でしょうか子供の健やかな成長を祈る地蔵盆がここ数年のあいだに消えていった地域がある。

少子化、費用の点に加えて○○○○を唱える人たちによってやむなく中断を余儀なくされた地域がある、と堺町のYさんは嘆いていたとおっしゃるがまだまだ数多くあるようだ。

引き続き地元の調査に努めたい。

(H20. 8.23 Kiss Digtal N撮影)