マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

丹生谷のあこうさん

2015年12月31日 09時37分56秒 | 高取町へ
高取町丹生谷に赤穂講の存在があると聞いてやってきた。

伝えられた人物は村人のN氏。

平成22年2月20日に勤務していた市施設の市民交流館に来られた人だ。

話しを伺えば高取町イベントでなにかと活躍されている人だった。

男性とは以前にお会いしたことがある。

毎年4月初めの日曜日に行われる村行事の御田祭がある。

祭事の場は船倉弁天神社である。

訪れたのは平成19年4月1日だった。

このときはお話することもなかった。

村役として参列されていた男性がひょっこりと市民交流館に来られたのだ。

後日、何度かメールでやり取りしたことがある。

取材してときの写真を探してみれば、御田祭に参ったなかの一人だった。

メールに添付して送った。

そのこともあって執筆中だった産経新聞連載中の「やまと彩祭」記事内容を検証してもらった。

ありがたいことである。

その後、男性とは年賀状で近況を伝えていた。

今年の年初に届いた年賀状に書いてあった文言に驚いた。

ビジネスマン時代、それも中途入社したころの若い時代。

上司であったK氏は同卿であると書いていたのだ。

通知に腰を透かした。

まさかの展開である。

K氏はかーさんもよく存じている。

ほぼ入社が一緒だった。

社内旅行に写っていたK氏とこういう関係があったとかーさんに伝えたらこれもまたびっくりしていた。

K氏は何年か前からホームページをアップしている。

近年、生まれ故郷の丹生谷の歴史文化を調べて書き記している。

N氏とともに調べられた事実関係を執筆・公開されている。

奇妙な出会いに丹生谷の民俗を取材することにした。

今回の取材行事は「あこうさん」と呼ばれる行事だ。

「あこうさん」は新暦三月二の午の日に行われる講中の行事である。

早朝から集まった人たちは餅つき機で御供餅を搗く。



場は因光寺境内に建つ清九郎会館(平成4年1月5日竣工)。

大和の清九郎と知られる妙好人(篤信者)の遺品などを保管展示(要予約)されている。

延宝六年(1678)、丹生谷近隣地の矢田(現谷田村)で生誕した清九郎。

貧農だった幼児のころに丹生谷村(墓標が建つ鉾立村説がある)に移り住んだ。

父が早くに亡くなり、母一人、子一人の暮らしを真面目に働いた清九郎は母に仕える無類の母親孝行者。

親孝行は高取城主の耳に届いた。

褒美に米五俵を与えられたが、「子供が親に仕えるのは当たり前」と云って断り辞退した。

清九郎の意思に感銘を受けた城主は、領内の山の木のシバを自由に刈り取る特権を与えた。

詳しいことを語る言葉を持ち合わせていない。

さまざまな人が訪問記などをブログ等でアップされているので、そちらを参考にしていただきたい。

かつては講中のヤド家で行われてきた「あこうさん」は清九郎会館の場を借りて餅搗きなどをする。

到着した時間帯は餅搗きを終えてヨモギモチを作っていた。

朝8時から作業を始めたという。

近所で摘んできた新鮮なヨモギは炭酸を入れて湯掻く。

いわゆるアクトリである。

すり鉢で潰して一旦は蒸し器の上に置いて温めておく。

餅はウルチ(粳)米のコメコを混ぜたモチ、というかダンゴ。

機械で搗くときに混ぜて作る。

昔はコゴメを挽いてカラウスで搗いた。

クズマイ(屑米)にモチゴメ半分を混ぜて作ったアラレモチもあった。

美味しかったが、悪ゴメと云われたコゴメのモチは硬さがあったという。

御供モチ、ヨモギモチの原材料になるモチゴメは七升。

四臼も搗いたという。



搗きあがった熱々のヨモギモチは手で千切って素早く丸める。

キナコや小豆餡を塗してできあがり。



「テショ」或は「オテショ」と呼ぶ小皿に盛る。

「テショ」は高取町、明日香村の高市郡でそう云っているという。

他地域もそういうかもしれない大和言葉の一つであろう

テーブルに置いて講中がよばれる。

ヨモギモチは「ヨゴミモチ」とも呼んでいた。

「タナカラボタモチやねん」というのはアンツケ餅の方で、キナコモチはその姿のまま通りのキナコモチと呼んでいる。

本来はモチゴメに潰したウルチ米を混ぜていた。

これを「半殺し」と呼んでいた。

コメコ半分、モチゴメ半分で搗いたモチは舌触りが良い。

噛んだときの食感が良いと話す。

赤穂講はかつて30軒の営みだった。

昔はもっと多くて40軒もあったという赤穂講は年老いて辞退する家が多くなり今では9軒になった。

3年ぐらい前まではイロゴハンを炊いて食べていた。

イロゴハンの具材はアゲ、ゴボウ、ニンジン。

米は一升。

コブ出汁でひたひた。

一合の醤油を混ぜて炊いた。

ジャコも入れていたというから出来上がってからパラパラを落としたのであろう。

夜は下げた御供のシイタケなど味付けした具を入れたちらし寿司もあったという。

作っていた当番は二人。

オマツリトーヤ(当家)にモチツキトーヤ(当家)の二人だったそうだ。

作ることをやめたイロゴハン。

その替わりにヨモギモチ作りと思ったが、そうではなかった。

御供モチ作りの合間に作っていた。

ヨモギの餡子があれば作る。

これらがなければ作らない、ということだ。

いずれにしても手間がかかるイロゴハンは講中の人数が少なくなり昨年が最後になったという。



右横におられるご主人は宮総代。

船倉弁天神社の御田祭に出仕される。

宮総代が云うには、男の厄年になれば明日香村の岡寺に参ったという。

24歳のときに参った記憶があるという三月二の午の日である。

ヨモギモチをよばれて一息つける赤穂講の人たち。

食事を済ませたテーブルを綺麗にして並べる。

そこに置いた木の札。

御田祭とも呼ばれている船倉弁天神社の弁天さんがある。

今年も4月初めの日曜日。

村人の名前を書いた木の札は護摩木。



健康祈願、家内安全などを祈祷する護摩木は一本、一本手書きする。

宮総代はともかく赤穂講の人たちは村行事のボランティア活動だと話す。

コーヒーも呼ばれて一服する。

護摩木が準備できたら「あこうさん」に供える御膳を調整する。



ダイコン・ニンジン・アスパラに一枚のスルメを立てて三方に載せる。



コーヤに巻きコンブも載せた御膳は三つ。

いわゆる立て御膳である。



赤穂稲荷大明神や春日神社境内社の高光(たかみつ)神社。

地元では「たかみつさん」と呼んでいる稲荷社である。

もう一つは供えることはないが「ハツオジサン」のお供えだという。

御供は他にもある。

鏡餅やアゲ、生タマゴ、カマボコにアズキゴハンである。

アズキゴハンはセキハンとも云っていた。



先を尖らせた三角のムスビであるが、写真では判り難い。

御供はすべてが三つかと思えばそうではない。

なぜだか鯛だけは二つである。

御供に果物もある。

盛りはリンゴにキヨミオレンジ。



バナナや栗饅頭もある。

この日は雨天。

本来なら「アサギヤマ」と呼ばれる山の上に鎮座する赤穂稲荷大明神に参るのだが山は傾斜地。

ぬかるんだ山道は登ることもできないから清九郎会館内で行われた。



最近作られた赤色の幟旗を立てる。

ローソクに火を灯して御供前に導師が座る。

講中も席について三巻の般若心経を唱える。



雨天で参ることができなかった高取町丹生谷の「あこうさん」の祭事場は数週間前に住民の案内で鎮座地を教えてもらっていた。

数年前に新しく建てた鳥居がある「アサギヤマ」に鎮座する赤穂稲荷大明神に歴史を示すものはないものかと案内人とともに探してみた。

「大正十二年四月 奉献 喜多村チヲ」の刻印があった狛犬。

一方の狛犬は「大正十四年八月 大阪□□」だった。

10年ぐらいまでは三月二の午の日の「あこうさん」の御供横に100本ぐらいの「ハタアメ」も供えていた。

吉野ストアに注文していた「ハタアメ」。

五色だったか、一色だったか、ハタの色は覚えていないそうだ。

いつしか「ハタアメ」を貰いに来る子供が少なくなった。

「たぶんハタアメに興味をもたなくなったので来なくなった」ともいう。

貰いに来る子がいなければ供えることもないだろうとやめたようだ。

その「ハタアメ」は赤穂稲荷大明神より西に400m歩いた御所市の戸毛(とうげ)にある「いろは製菓」で買っていたそうだ。

「あこうさん」は火の神さんだとおばあさんから云い伝えられてきた。

代々だったらしく、その昔からの云い伝え。

「あこうさん」は家を守ってくれるからとおばあさんが話していたそうだ。

高い場所から丹生谷集落を見下ろす「あこうさん」。

村を火災から守ってくれると信じられてきた。

「うちの村は大きな火事は起こったことがない」という講中。

赤穂講が村を守っているような話しである。

一年に一度の講中の行事。

人数は少なくなったが、今後も続けていきたいと話していた。

あこうさんのお参りは春日神社境内社である稲荷社の高光神社にも出向く。

今では参ることのない小字ハツヲ(八尾寺)に鎮座する「ハツオジ」も案内してくださった。

正徳三年癸巳(1713)九月に遷された春日神社の元社地と伝わる「ハツオジ」はおそらくスサノオ神を祀る「八王子社」であったかもしれない。

なお、清九郎会館にはいくつかの版木が残されている。

「あこうさん」を終えて管理人らとともに拝見する。

一つは「妙好人 大和の清九郎 毎月卄七日 御本山へ薪献上」、「五月卄七日 木津川の大水渡れる奇蹟の圖」の文字で清九郎が薪を担いで木津川を渡る姿が描かれている。

版木は比較的新しい。

版木横に「浮元堂蔵版」とあるが版元の所在地は掴めない。

この版木には「超世の悲願聞きし上り 我等は生死の凡夫かは 有漏の穢身はかはらねど 心は浄土ょすみあそぶ」が彫られていた。

信心される人に配られたのであろうか。

もう一つは「清九郎簾追躰」の文字がある版木。

藤弦で編んだと思われる四角い部屋に座する人物を表現している。

何者だろうか。

もしかとして清九郎の帰宅を待つ母親であろうか。

版木はもう一枚ある。

「□□□□ 蓮如上人御旧□跡 □清九郎旧地 和州高市郡丹生谷村 崑崙山圓光寺」だった。

これら二枚ともやや古いように思えた。

版木は大量に刷って頒布するもの。

何を目的に彫られたのか、持ち合わせる手がかりはない。

<※ あこうさんを充てる漢字は「赤穂」さん。神社名が「赤穂稲荷神社」。推定であるが、可能性として考えられるのは兵庫県の赤穂藩から脱藩し移り住んだ人たちの在地であったかも知れない。>

(H27. 3.19 EOS40D撮影)
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画像編集ソフト対応

2015年12月30日 09時31分33秒 | つうしん
16日、保管していたキャノンズームブラウザーをインストールする。

画像の選別を印すこともできるし、文字挿入もできるありがたいソフトである。

インストールは簡単。

時間も手間もあまりかからない。

立ち上がって起動した。

どうもおかしい。

文字挿入するファンクションが見あたらないのだ。バージョン番号は5.1。

これまで使っていたのは上位のバージョンだろうと思ってネット検索した。

結果は思ったとおり。

バージョンはEXの6だった。

ネットにあったバージョンアップ画面からダウンロードしてインストールした。

文字挿入のファンクションがあった。

ほっとするが、画像選別印しが五つになっていた。

さらにアップしていたのだ。

この日はアドベのフォトショップエレメントをインストールした。

随分前に買っておいたパッケージ製品。

デジタル画像を編集するソフトであるが使い難かったので利用しなくなっていた。

デジカメ達人が行方不明になったことから使わざるを得なくなった。

WINに付属されているツールにペイントがある。

画像編集ソフトをもっていない知人にはこれを勧めている。

画像を縮小するなど簡単な処理は編集できるが手の込んだことはできない。

久しぶりではあるが、いっそのこと、フォトショップエレメント2.0に切り替えてみることにしたがメニューが判り難い。

画像を縮小するのは何だ。探してみてたどり着いた「イメージ」。

ここにあった「サイズ変更」で縮小してみる。

回転させるのもここだった。

左右逆転に反転させることもできる。

(H27. 3.16 記)
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石川町涅槃の観音講

2015年12月29日 09時38分52秒 | 大和郡山市へ
大和郡山市の石川町。十数人の婦人たちが営む観音講がある。

3月の彼岸、8月の十日盆や9月・12月の彼岸も参る観音堂。

昭和63年10月2日に改築竣工した。

営みの日はお堂を綺麗に清掃される。

障子のさんも、回廊も濡れ雑巾で埃をぬぐう。

この日は涅槃さん。



大きな掛軸を掲げているのは当番さんの役目。

婦人の出里は天理市藤井のH家。

親父さんは行事取材にお会いしている。

まさかの出合い。

行事取材に行けばこういう縁繋がりは度々遭遇する。

観音堂内に座った講中。



当番の人が導師をつとめて般若心経を三巻唱える。



それを終えて涅槃さんに向かって念仏を十遍唱える。

営みを終えたらお堂を退席する。

電燈を消したら涅槃図が眩しく浮かび上がった。

解放していた窓は外の灯り。



まるでバックライトに照らされたようだった。

涅槃さんが終われば婦人たち楽しみのヨバレ。

手作りのいなり寿司やちらし寿司で歓談。



その時間が婦人たちの寛ぎ。

話題はいつものように・・・である。

石川町には観音講以外に別の念仏講もあるらしい。

20戸もある念仏講は南の地区。

どうやら、北が観音講になるようだ。

南の念仏講には十一面観音菩薩の掛図があるという。

当番の人の名を書き記された文書もあるらしい。

これらは講箱に納めて持ち廻るようだ。

ちなみに観音講が所有する涅槃図は当番の人が預かって一年間も保管する。

かつて自宅で葬儀していた時代は葬儀、満中陰まで亡くなった家で掲げていたようだ。

(H27. 3.15 EOS40D撮影)
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御懐石の膳

2015年12月28日 08時15分01秒 | ぽつりと
朝一に電源をあげたパソコン。

なぜだかゲートウエイの文字が表示したまま動かない。

この日の葬儀は急がねばならないから諦めて電源を切って出かけた。

葬儀場は大阪・富田林市市営の葬儀場。

平成26年1月、母屋のおばちゃんの葬儀が行われた場である。

近くまで来ているのにさんざん彷徨った場は覚えているがどの道を行ったかまたもや失念。

頼りはカーナビゲーション。

葬儀場の地をセットして大阪・住之江に向かう。

いつものことだが阪神高速道路は長田辺りから混みだす。

仕事に出かける車でいつも渋滞する。

環状線に合流する辺りでやっと解放されて住之江へ。

おふくろを載せて出発だ。

堺市内中央を抜けて金岡経由で美原を目指す。

案内するカーナビゲーションは途中で右折れを伝える。

リルートを無視して東へまっしぐら。

三原JCで思い出しながら道を曲がる。

ここからが難儀した。

カーナビゲーションが案内する道が判らなくなっていた。

思っていた景観がまったく違うのだ。

ここら辺りは街になっていた。

立ち並ぶ工場やお店で方角が判らない。

こうなりゃ案内どおりに走らざるを得ない。

どこをどう曲がったのがさっぱり判らない土地。

どうやら309号線のようだ。

案内されるままに車を走らせる。

先は千早赤阪。このまま行けば違うと言い出したおふくろ。

そりゃそうだが道案内はそうなっている。

木材団地を抜けて新家・川西南。石川を跨ぐ橋を越えたら板持南。

見覚えがある景観だ。

この道路は河南赤坂バイパス。

昔はこんな道はなかったがもうすぐだ。

佐備を通過してたどり着いた葬儀場にいち早く到着していたいとこたちが待っていた。

一年ぶりの顔合わせだ。

亡くなったのは彼方(おちかた)のおばちゃん。

享年98歳。

久しぶり見る顔は遺影写真。

昨年のマツリに撮ったものだという。

錦織にある母屋近くの融通念仏宗の極楽寺住職が念仏を申される。

葬儀を終えてお棺に納めたおばちゃんに花飾り。

あまりの多さに花畑に包まれるようだった。

ご出棺は葬儀場奥にある火葬場へ男性が運ぶ。

最後のお別れに焼香をする。

骨揚げまでの待ち時間。

いとこが頼んでおいた膳につく。

おふくろの家や私の家に電話をしたが留守番電話。

どこか旅行へでも、と思っていたようだ。

たしか携帯電話の番号は知っているはずなんだが・・。



膳の料理は喪主が頼んでいた「御懐石」。

この料理は料理・仕出しもしている紅焔(こうえん)。

喪主の実家である彼方にある。

骨揚げを済ませて初七日法要。

宴の場は転じて法要の場となる。

四十九日は4月半ば。

錦織の甘山(つじやま)墓地に埋葬する。

子供の頃は母親に連れられてお盆に出かけていた。

母屋に集まったいとこは十数人。

高校生ぐらいまではいつも集まっていた。

軽トラに乗って畑の野菜を取りに行く。

運んだスイカを落として真っ赤に割れたこともあった。

母屋の叔父に連れられて石川へ鮎取り。

竹の棒で追い込んで手で掴んで取っていた。

懐かしい子供の頃は今でも思い出す。

早めに終わった葬儀に集まったいとこたち。

おふくろも連れてお茶にしようということになった。



目指す喫茶店は甘山墓地向かいにあるカフェテラス蘭館。

ケーキが売り物らしい。

(H27. 3.13 SB932SH撮影)
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遠望・明石大橋

2015年12月27日 09時07分11秒 | もっと遠くへ
魚の棚の海岸沿いを走る。

国道より南側は明石海峡。

向こう側に淡路島が見えるが霞んでいた。

もっと近くに寄って大橋を見たいと言い出した家人。

そうなれば国道2号線を東に向かって走るしかない。

JR神戸線の大蔵谷駅前の交差点を折れる。

大蔵谷ということは大蔵海岸である。

海岸には駐車場があるらしいが通り過ぎた。

もっと寄りたいというのでさらに東進する。

海岸は途切れて駐車場は見当たらない。

明石海峡を跨ぐ大橋が通り過ぎていく。

ここら辺りから混みだした国道2号線。

舞子海岸付近であるが駐車場が見当たらない。

仕方なくコンビニに留めてUターンして先ほど通った大蔵海岸にあるタイムズ駐車場(30分・200円)に停める。

ここは明石大蔵海岸の龍の湯。

駐車場はほぼ満杯。

天然温泉の入浴客の車であろうか。

家族の目的はここから明石大橋を眺めることだ。



海岸に施設された段に腰かけて日向ぼっこ。

カメラを持った私は海岸縁に降りていく。

岸辺に深い緑色で染めているのは藻であろうか。

磯を飛び交う鳥がいたが小体は判らなかった。



もしかとすればコアジサシであったかもしれない。

海岸は砂浜。

向こうのほうからドラムを叩く音が聞こえてくる。

家族連れと思われる子供たちが凧を揚げていた。



海風に乗って高く揚がる。

大蔵海岸は古来より白砂青松で名高い海岸だった。

大蔵海岸で思い出すのが平成13年12月の砂浜陥没事故である。

その付近は今でも事故に遭遇しないようにフェンスで囲っているようだ。

有馬と明石を楽しんだプチ家族旅行。

住之江経由ではあるが走行距離は往復で253kmだった。

(H27. 3.12 EOS40D撮影)
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明石・魚の棚

2015年12月26日 15時18分34秒 | もっと遠くへ
有馬から明石・魚の棚を目指す。

これまでだったらペーパー地図を頼りに走っていた。

今ではカーナビゲーションに案内されて車を走らせる。

とにかく示す有料道路を走っておよそ1時間。

快適な走りだったがどこをどう走ったかまったく記憶がない。

カーナビゲーションに頼ればそうなるのだ。

有馬より南下して案内されるまま着いたのはJR明石駅。

魚の棚はもうすぐだ。

鍛冶屋町の通り左手には駐車場があったが値段表示は見えなかった。

その向かい側が魚の棚商店街。

そこを通り過ぎて信号を左折れ。

すぐ近くにタイムズパーキングがあった。

最大で1000円のDHパーキング相生町は30分・200円だったか。

お安いほうだと思う。

駐車場より少し歩いたら魚の棚。

べんてん通りもあったがにぎわいが見られる主商店街を銀座通りから入った。

魚の棚は「うおのたな」が訛った「うおんたな」。

いかなご新子のくぎ煮の季節ともなれば多くのニュースで取り上げられる。



新子をまとめて買ったお客さんは家の味付けでくぎ煮を作る。

親戚筋に送る家が多いようだ。



拝見した新子のイカナゴ売り。

1kg千円のイカナゴに行列ができるほどになる。



商品化したくぎ煮は100g売りで700円だった。



魚の棚の特徴は15店舗もある魚屋さん・海産物のお店だけでなく珍味・惣菜店もある。



店舗数は13店。



カマボコ・天ぷら店は6店舗。

食事処は40店舗あまり。

魚の棚で食べたい料理はどこにするか。

格安の海鮮丼を食べ買ったが持ち帰り・立ち食い専門店の「どんまる」だった。

「ゆあ~ず」というお店もあったが見落とした。

明石焼と呼ばれる玉子焼きを売る店が多い。

銀座通り寄りに「たこ磯」、「よこ井」、「かねひで」、「あかし多幸」、「ギャラリーであい」、「とり居」、「よし川」などだ。



明淡通りを抜けた向こう側にも1軒あった。

「たこ磯」、「あかし多幸」は行列店。

店内もいっぱいだった。

「よこ井」は明石焼元祖とされる伝説の横井清太郎レシピを唯一引き継ぐ名店。

ここも満席だった。

北へ北へと商店街をひと通り見てきた。

どこかで食べなければと思った。

目に入ったのは立て看板。



「なにはともあれ赤井英和」写真が貼ってあった。

「ドッキリ!ハッキリ!」とか「魔法のレストラン」などが取材に来ていたという看板だ。

これに目が移って入店した。

玉子焼きは10個で550円。

魚の棚でいちばん安いのがうたい文句。

入店して席につくなり「店内撮影禁止」だと云われた。

お店の指示は従いましょう、である。

玉子焼きは斜めになった板の上に盛っている。

出汁につけて食べるのが一般的。

ソースもあったので半分はこれにした。

出汁にミツバがないと云いだしたのはおふくろ。

これがなければ玉子焼きではないというのだ。

私もかーさんもそう思う。

お金を支払う際に尋ねた「傾いた板」。

なぜにこのような形であるのか知りたくて尋ねたが、返ってきた答えは「知らない」である。

おまけに「教えてください」という。

その話を聞いていたお客さん。

昔からそうだという。

答えにならない答え。

お店を出た直後におふくろがぽつりと云った「油臭い」。

喉にへばりついてなんとかしてほしいと云った。

私もかーさんもそう思っていた「とり居」の玉子焼き。

テレビ取材の看板は本物だとしても味は偽りだったと思った。



玉子焼きを食べる前に味見していたちりめんはおふくろの大好物。



買ったお店は「大黒屋商店」だ。

生タコ干しを売っていた店がある。



タコのおもちゃが引き立てるが買わなかった。

帰りの道中は今夜の食事のお買い物。

丸丸一尾を天ぷらで揚げた焼きあなごがある。

千円以上もするって云ったかーさん。

そんなことはないと云いだす私。

行きしなに見ていたお店がある。

そこの焼きあなごは700円のびっくりあなご天。



傍にはスーパージャンボと銘打った600円のあなご天もある。

あなごの大きさ・重さの違いだという店員さん。

すぐに揚げたてが出てくると云われて数秒間待つ。

頭から尻尾までの揚げたてあなご天は秤で量る。

家族二人で食べるには一尾で十分だ。



美味しそうに見えた1パック450円のタコ天も注文したら2個サービスしてくれた白川南店。

明日は葬儀に出かける。

ところが紳士靴がない。

一年前に履いていた紳士靴は靴底がパコパコになっていた。

次男が履きたいと云ったのでボンドで貼り付けた。

が、歩いているうちに壊れて捨てた。

紳士靴は帰宅してから我が家に近い靴屋で買おうと思っていた。

魚の棚商店街はなにも魚屋さんや玉子焼き店ばかりでない。

いろんなお店があるのだ。

商店街を歩いていたら目に入った靴。

数は少ないが店内に並べていた。



そこにあったのが紳士靴。

値段は税込みで1,080円。

履き心地を試したかったのでお店のご主人に申し出たら「どうぞ」である。

ぴったりサイズを探し出してくれて履いてみた。

足が包まれるような感触の履き心地が気にいって買った店はD.S催事館。

ほとんどの商品が百円均一の商品。

カバンや財布、帽子、食器、台所用品などの生活用品を所狭しに並べている。

D.Sはデイスカウント・ショップの略称だろうと思った。



もうひとつの今夜の食事にと思って買ったタコ、イカ、貝煮。

1パックで3千円の店もあれば2千円も。

量によって値段がつけられているようだ。

どのお店だったのか覚えてないが屋台で売っていた。

行きしなに味見をしていて是非買いたいとおもっていた煮もの。

いちばん少ないパックを求めたが、800円だったかそれとも500円だったかさっぱり覚えていない。

帰宅してよばれた天ぷらと海鮮煮。

美味すぎるほど美味しかった。

とても満足したお買い物。

次回も来れたらそうする。

戻りの商店街をそぞろ歩く。



行列ができていた「たこ磯」の棚に積み上げられた板で答えが判った。

斜め板の玉子焼き板は片方の脚がない。

これを交互に積めば体積は約半分。



場所をとらない工夫の板であったのだ。

油で塗れた口をなんとかしたくて麺処のお店を探す。

蕎麦を食べたいと云ったおふくろ。

要望に応えて店を探すが見当たらない。

観光案内所に立ち寄った。

一息休憩できる処はトイレもある。

魚の棚商店街のこころつかいに助かる。

入手した商店街のパンフレットにはそれぞれのお店を示している。

老眼では少し見にくいが目を凝らして探してみる。

一軒、一軒探すには時間がかかるほど多い魚の棚のお店。

通りがかったどこだかの店員さんに尋ねてみる。

ここから僅かな距離にある麺処。

さきほど歩いた処であるが木曜日は閉店だった梅杏。

木曜日は休みのようだ。

諦めて南下した。



銀座通りに面した処にあった甘味処。

明石市本町1丁目にある「子午せん人丸」が経営する「茶菓席おはいり」は2階にある。

茶そば・笹おこわ・わらび餅を盛ったおはいり膳は720円。

茶餅・笹おこわ・あんみつのひととき膳も720円。

突然食べたくなった甘味である。



680円の白玉入りミルククリーム金時を注文する私。

ほんまはシャーベットを食べたかったが季節外れで申し受け不可だった。

おふくろは口をさっぱりしたく550円のわらび餅を注文した。

かーさんはおはいり膳だったように思えるが運ばれたのは茶そばでもなく塩味の茶餅だった。



金時餡子団子もあるフルーツあんみつもある。

どうやら聞き違ったようだが、「茶菓席おはいり」の甘味は大満足した。

11時59分に停めて出庫したのは14時31分。

長時間滞在した駐車料金は800円だった。

(H27. 3.12 SB932SH撮影)
(H27. 3.12 EOS40D撮影)
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有馬の朝食

2015年12月25日 09時50分46秒 | もっと遠くへ
これまでのダイヤモンド有馬温泉ソサエティの朝食は定食だった。

いつも同じメニューでは飽きてくる。



ところが今年はバイキングになっていた。

これならお好みのメニューが選べられる。

家族が選んでいた時間帯はテーブルで待つ。

泊まっていた宿泊客もバイキングを楽しんでいるかのように選別していた。

レストランには外を眺められるテラス席もある。

落ち着いた雰囲気でよばれていたお客さんが立ち去った。

もしかとすればそこへ移動することができるのでは・・と思って尋ねてみれば「空いておれば」である。

万よく空いたテラス席。



案内されて移動した。

レストランの灯りよりも、開放感があるこちらが断然にいい。

食事もおいしくいただける。

昨夜は酒を飲みすぎた。

喉が渇いてしょうがない。

バイキングこと朝食ビュッフェには果実もあるしジュースもある。

呑み助が朝からジュースをごくごく飲んだ。



さっぱりしたお味噌汁もお代わりだ。

地元の食材を使用した健康食がうたい文句。

身体のリセットに和洋の調理料理に満足するが、プレート一枚では載せきれない。



ダイヤモンド有馬温泉ソサェテイの支払いは一泊二日で9,787円。

一人はオーナー無料招待客なので無料。

クレジットカード支払いで済ました。

内訳はオーナー無料券で0円。

エキストラチャージ・メイト代が3,000円。

朝食ビュッフェが1食1,620円で3人分の4,860円。

入湯税は一人150円の3人で450円。

消費税は691円だがサービス料は786円もした。

単純計算してみれば一人当たり3千円だった。

(H27. 3.12 EOS40D撮影)
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有馬の夜

2015年12月24日 08時25分10秒 | もっと遠くへ
この日の朝は格別の冷え込み。

田んぼに溜まった雨水は氷っていた。

前日も前々日も雪が舞う日だった。

それより数週間は春の訪れを予感するほど暖かい日だった。

スタッドレスタイヤはもう要らないと思ってノーマルタイヤに履き替えていた。

有馬温泉はどちらかといえば山間地。

雪が積もったら登ることもできない。

それが心配だった。

前日買っておいたおふくろのためのペーパーを車に積み込んで大阪・住之江に向かう。

午前中は仕事だった。

遅めの昼食を済ませて出発する。

第二阪奈道路・阪神高速道路を利用して走る。

着いた時間はジャスト15時。

住民が植えていたお花が開いていた。

白い花も咲いていた。

それは梅でもなくヒガンザクラ。

香はしない。

家族3人が向かう先は兵庫県神戸市北区の有馬温泉。

阪神高速道路を経て中国自動車道を爽快に走る。

途中で雪がちらついたが積もる雪ではない。

例年なら西宮ICで降りるがカーナビゲーションの指示は手前の西宮山口ICで降りよという。

そのほうが近いのかもしれない。

カーナビゲーションが伝える通りに走っていく。

指示されるままに走ったら有馬電鉄の有馬温泉駅に着いた。

便利な時代になったものだと感心する。

泊まるホテルで飲食する夜食の買い出しは通り過ぎていた。

有馬川沿いに戻って松栄橋を渡る。

すぐ近くにあるスーパーは万代。

2年前に来たときよりも駐車場が広くなっていた。

買い出しを済ませて宿泊するダイヤモンド有馬温泉ソサエティを目指す。

何度も来ているから迷わない。

着いた時間は17時半。

走行距離はおよそ100kmだ。

買い物時間を除けば1時間ぐらいで着く高速道路利用である。

夕暮れどきの有馬温泉。

夕陽が差し込む。

泊まり部屋の廊下の南に光が差し込んでいた。

突然思い立ってカメラを手にする。

非常口はガラス窓。

そこから見える有馬温泉の一部。

湯けむりがあがっていた。

向こうにある山影、雲間に隠れたに夕陽が落ちていく。

窓ガラスは黒い線が入っている。

レンズに触れないように撮ってみるが・・・。



けっこーな数のシャッターを押していたが思うような映像は得られない。

部屋に戻って落ち着く。

馴染みのお茶請けは有馬温泉名物銘菓。



金泉焼に黒豆煎餅餅だ。

酸っぱくない梅干しもいただいて一息つく。

ソサエティはゆったり寛げる温泉がある。

銀泉の温泉でひと風呂浴びてようやく夜の食事。



買いだした食べ物を広げてみる。

今回の食事は10貫のにぎり寿司(460円)、国産さば棒寿司(598円)、まぐろにぎり寿司(240円)、焼きさば棒寿司(398円)、釜ゆでするめいか(284円)、あんかけ茄子肉はさみ天ぷら(180円)、いんげん胡麻和え(189円)、具だくさんごった煮(298円)、台湾産びん長まぐろお造り(387円)、サラダ3点セット(379円)、白菜のお新香(127円)に京風だしまき。



ゴマゴボウ(146円)やアジのフライもある。



ついつい買ってしまった家族3人の夜食はちょっと多かったかな。

喉越しいい発泡酒ですっかり酔いかげん。

ごきげんな夜はこうして更けていった。

寝床についたのは夜11時前。

おふくろの携帯電話が鳴った。

こんな時間に誰が電話をするのか。

もしかとすれば・・・と思った。

かけてきたのはいとこのきみちゃん。

彼方のおばちゃんが亡くなったというのだ。

明日はお通夜で翌日はお葬式。

お通夜は無理だが葬式は出ると伝えて眠りにつく。

(H27. 3.11 EOS40D撮影)
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続きの設定対応

2015年12月23日 10時08分40秒 | つうしん
この日も完全な休日。

ノートパソコンの設定作業を続ける。

相変わらずHDDが消える事象が発生する。

不思議な事象である。

3台繋げて動いていたが、ふとした拍子にそうなる。

1台ずつ順番に繋げてみる。

おかしくはない。

一旦取り出したUSBを再度繋げる。

すると、今まで繋がっていたHDDが消えるのだ。

もしかとすればゲートウエイNE512-F14Dの接続は個数制限があるのか・・と思った。

そんなことはありえない。

判らないときはメーカーに問合せだ。

ネットでも相談窓口があるが、文字で表現するには難しい事象。

電話で伝えるほうが早い。

そう思って電話を架けるがなかなか繋がらない。

というよりも何番を押せばいいのだ、である。

リカバリー、それとも無償の番号。

困ったときにプッシュする番号が判らない。

もう一度架けなおす。

繋がるに何分かかったことか。

電話のベルが鳴った。

繋がったには違いないが「只今込み合っています」ばかりが続く。

こうして待った電話口に出た担当者は早口。

事象を伝えたら「こうしてください、あーしてください」だ。

理解がなかなかできない対応の仕方。

素人にも判りやすく丁寧に伝えてくださいと云ったら、ゆっくりと一つずつの作業を話し始めた。

それでいいのだ。

繋がっていたHDD/USBを外す。

一つずつの確認だから時間がかかる。

繋げていた7ポートのUSBハブを外す。

ノートパソコンにあるUSBに直接差し込む。

問題なく認識する。

パソコンもHDDも問題はない。

担当者曰く、繋げたUSBハブに問題があるといわれた。

これまで使っていた4ポートのUSBハブではなんの異常もなく接続できる。

メーカーとしての対応はそこまでだ。

電話を切ってから考えた。

新しく買ったサンワサプライのUSB-HUB255SVに問題があるのでは・・・。

そういえばこの装置には付属品に電源コードがあった。

買ったときに話していたジョーシン富雄南イオンタウン店の店員さんの言葉。

接続数が増えればパワーが足らなくなる。

その際には電源コードを繋げてパワーアップする必要がある・・だ。

あらためて電源コードを繋げて一つずつHDDやUSBを繋げてみる。

繋げたときには音がでる。

エクスプローラをクリックしてデバイス状況をみる。

それぞれ消えることなくデータを開けられる。

これまで使っていた筐体型のHDDも繋げた。

3台繋げても消えない。

4台目、5台目、6台目を繋げても消えなかった。

USB-HUB255SVの箱に書いてあった「セルフパワー/バスパワー ACアダプタ付き」の意味がやっと判った。

安定した電源を供給することでハンディ型のHDDが動作するのであった。

次の設定作業はプリンターの接続だ。

プリンターはキャノン製のMG6230。

データは無線LANで送る仕様だ。

CDをセットしてインストールする。

インストールは順調に動いたが、プリンタードライバーのセットとなるとエラーが出る。

エラーの内容は現在出力している印札物を停止せよ、である。

印刷は一切していないにも関わらず出力されるメッセージにオロオロする。

判らなくなったらキャノンの相談室のサポートに頼るしかない。

サポートの電話番号をネットで調べて電話をする。

キャノンは電話口に出るのが早い。

待たせることなく出てきた女性の声。

マイクロソフトもゲートウエイも男性だった。

声の質から若い人だと思った。

キャノンの女性は柔らかい声で伝える。

プリンター型番、OSを伝えたらMG6230はWIN7までの対応でWIN8.1は対応していないという。

それを解消するには対応するバージョンのダウンロードである。

スキャン対応もあるバージョンは伝えられたネットから選び出す。

クリックしたダウンロードインストールは何事もなく終えた。

ドライバーがセットできれば試し印刷。

まずは無線LANの設定だ。

プリンターのメニュー(AOSSを長押し)を選んで無線LANのヘッドにあるボタンを長押しする。

感知されて認識した。

適当なワードリストを選んで出力する。

問題なく動作した。

記録していたID/パスワードリストも出力する。

これは大切な書類。

今までこういうこともしなかった。

手元に残すことがこれほど重要だと初認識したのである。

表計算ソフトのStarSuite6.0はCDからのインストール。

順調に終えてこれまで使っていたファイルをアップする。

問題もなく開く。

次は筆ぐるめだ。

これもStarSuite同様にパッケージで買ったもの。

CDよりインストールした。

住所データはバックアップしていた。

それを探し出して筆ぐるめで復元する。

復元できた住所を確認すれば随分前の平成17年ものだった。

そういえばそれ以降はバックアップしていないことに気がついた。

受け取った年賀状から復元するしかないと諦めた。

HP製作用に買っていたホームページビルダーもインストールする。

HPは容量がいっぱいになったことや指定アドレスがブロバイダ変更で使えなくなっていたが、ウエブアートは利用している。

それだけでも使いたくインストールした。

デジカメ達人とラベルプロデユーサーは保管していたCDが行方不明で対応できない。

デジカメ達人は諦めて後日にパッケージ製品のフォトショップエレメントに切り替える。

ラベルプロデユーサーはどうするかである。

これはネットに無料ソフトがあった。

これよりダウンロードインストールする。

この日の対応はここまでだ。

(H27. 3.10 記)
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大和郡山の盆梅展

2015年12月22日 08時27分49秒 | 大和郡山市へ
パソコンのデータ復旧はまだだったが気分転換。

ひょんなことから期限切れ一日前の招待状をもらってやってきた大和郡山市の盆梅展。

今年で12回目。

受付の人曰く、今回は始まってから二番目に多いという。



会場は櫓屋内。

前日までは高かった気温もこの日は一挙に5度も下がった。



散り初めになっていた盆梅展は梅の香も漂っていないが華やかさはまだ残っていた。

孫さんを連れていた男性。

4年ぶりの出会いである。

私よりいくつか年上の男性曰く、倒れるまで駐車場の管理人を勤めると話していた。

気合いはぜーん、ぜん変わっていないご仁に元気をもらう。



入口・出口の扉が開いている会場。

冷たい風が通り抜ける。



寒いから早く出たいという連れ合いの声をよそにライトに照らされた盆梅の影絵で遊んでいた。



この日は快晴。



外の空気は気持ちいいが風は強かった。

開けた車のドアが強風に煽られて勝手に閉まる。



櫓前にも咲いていた梅の花。

香りを嗅ごうにも風で流れてさっぱり感じないが天の光を浴びて綺麗だった。

(H27. 3.10 EOS40D撮影)
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