マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

東京漫遊食べ見て歩き②

2020年11月26日 11時13分51秒 | もっと遠くへ(東京編)
ぐっすり眠れた台東区雷門にあるザ・ゲートホテル雷門

目覚めはすっきり。

東側の窓にお日さんが当たってぬくぬく。

いつもなら前日の夕刊新聞に今朝に配達される朝刊新聞を読んで目を覚ます。

そのうちにもよおして洗顔、トイレから朝食に行きつくコースであるが、リズムに乗れない。

目覚めはすっきりしたが排便がスッキリしない。

チェックアウトは午前9時15分。

部屋の開閉とエレベータに乗るためのホテルカードを返却するだけだ。

朝の眺望が気持ち良い13階。

ロビーにはたくさんの泊り客がいた。



いずれも外国の方々。

そういえば、エレベータの途中に乗り込んできた人も外国人女性。

思わず「ハロー」が口に出た。

昨夜と同じ位置から撮った東京スカイツリー。



真っ青な大空に直立する快晴の日。

前夜に見た景観も素敵だが、晴々爽やかな朝も良い。

眼下は昨夜と同じインバウンドの人たちがぞろぞろ歩いている。

すでに雷門の前に群がる人たち。

記念の写真を撮っていることだろう。

本日の行程は・・・浅草から東京スカイツリー。

特定の何を見るつもりもない。

その場に来た、というだけでいい。

主たる目的地は築地場外市場巡り。

題して「お上りさん見て歩き」の行脚である。

9時20分、ホテルを出たすぐ近くに見た昨夜の行列店は浅草牛かつ



安くてボリューミーな肉が美味いらしい。

9時27分、朝ラーは諦めたが、念のためと思って地下街。

東京メトロ線具合がまったくわかってないから地下街はどこにあるやら・・。

ここを下ったら地下街に行けるやもと思って階段を下りかけた、そこにあった「銀座浅草駅」。



昔懐かしい風情を醸し出すこれは提灯飾り。

PIXTA画像サイトに見つかった。

Mサイズ版のプリペイド価格が1944円。

へっ、であるが、インバウンドの人たちも、ここを行き交う日本人も気づかないようだ。

地下行き階段をこのまま下っていけばどこに着くのか。

アテにした地下街はなさそうに思えて地上を歩く。

目指す目的地は東京スカイツリー。

先に見かけた隅田川の欄干。

駅からすぐ近くにある隅田川。

架かる吾妻橋を渡ろうとしたその直後に見た和船。

隅田川に浮かんでいた船宿あみ清屋形船である。



桜咲く季節なら昼間の周遊コース。

夜は飲食しながら都会の夜景を楽しむ人が多いだろうな。

乗船場の和船は停泊中。

そうこうしているうちに向こうの方から走ってきた洋船。

速度は速い。

もうすぐ吾妻橋の下を通り抜ける船も撮っておこうと思って橋中央を少し外れた位置で待った。

この船も観光船であるが速度は速い。

雰囲気をゆっくり味わいたい場合は和船だろうな。



ちなみにこの船は東京都観光汽船・東京湾クルーズの水上バス・竜馬。

乗船場は吾妻橋すぐ近くにあるらしい。

吾妻橋を渡り切ったところに建つアサヒ飲料グループ゚本社。



ネットで大評判になっていたオブジェの金のうんこ(※金運)を見上げたが、この角度ではうんこに見えない。

本社から2筋目辺りの辻を曲がって方角替え。

少し歩くだけで風景は一変する。

墨田区吾妻橋辺りは下町風景。



遠望する東京スカイツリーは歩けば歩くほどに近くなる。

少しずつ変化する下町風景を前景に取り込んで撮る東京スカイツリー。



見上げたお家は丁度洗濯物を干していた。

9時53分、ずっと近くに見えていた東京スカイツリーは遠かった。

荷物を抱えた30分歩き。

肩に腕がパンパンになった。

数カ月前に東京見物をしていたかーさんは東京スカイツリーの経験者。

別に眺めたくもないし、かかる料金もあるが、日曜日の長蛇の行列に並ぶだけでも時間がもったいないと判断してスカイツリー見物は外からだけに・・。

朝ラーを諦めて、朝うどんでも、と食事処を求めて東京ソラマチ内をうろうろ探す。

10時7分、見つかった食事処は東京ソラマチのフードコート。

蕎麦、焼肉、タイ料理、築地海鮮、たこ焼き、鶏料理、中華、うどん、ラーメン、ベーカリーにスイーツ。

一通り見て廻ってどれにするか。

決まった遅めの朝食はうどんにたこ焼き

朝ラー転じて、モーニングうどんである。

うどん店舗は宮武讃岐うどん

たこ焼き屋さんは築地銀だこ

食事を済ませてどこに行く。

その前に買っておいたいお土産の品定め。

東京ソラマチ1階の土産物コーナーで探す間に見た外のイベント。



すみだ春の街歩きイベント刀剣博物館の刀剣研師が実演していた。

11時23分、ついさっき食べたばかりなのにもう昼時間。

地下鉄に乗って下車。

歩いて築地場外市場のコースを考えたら丁度いい腹具合になりそうだ。

東京ソラマチから直接、築地場外市場へ行くにはどうするか。

予め調べていたかーさんがいう地下鉄は都営浅草線押上スカイツリー前駅。

少し離れた向こう側になる。

そこで見納めの東京スカイツリーを見上げて一枚。



東京ソラマチと東京スカイツリーの背比べを撮っていた。

地下鉄に乗車した時間は午前11時30分。



路線図を見て乗換駅、下車駅を確認する。

築地場外市場の最寄り駅は築地市場駅。

乗換駅は都営大江戸線の大門駅である。

慣れない地の乗り換えは迷ってしまうことになる。

時間を浪費する可能性は高い。

そう判断して下車駅は大門駅手前の東銀座駅。

そこからそれほど遠くないところに築地場外市場があるはずだ。

下車した東銀座駅からとぼとぼ歩いたら信号待ち。



そこでチラシを配る女性がいた。

鮨処つきじやを案内するチラシ配りに聞いた築地場外市場。

なんと、信号を渡ったそこです、という。

お店は多数ある。

築地市場は平成30年10月6日に幕を下ろして5日後の10月11日に豊洲市場に移転したが、食べ処の築地場外市場は旧地にまんまあるらしい。

今でもインバウンドのお客さんで賑わっているとニュースが伝えていた。

そこです、と言われてもその角だけでは・・。

チラシの裏面に詳しくお店の場所を案内する地図がある。

それを見ながら、歩いていってください、と言われるが・・・。

到着時間は12時ちょうど。

新大橋通りのもんぜき通りに並ぶ店。

食事をしているお客さんは多い。

ここからは散策がてらに見て歩きの場外市場巡りである。



立ち食いすし処おかめに鮪専門店又こい家。



寿司一番向かいにある越前かに職人甲羅組。



専用車で売る串鮪ステーキとんぼや。



ピンからキリまでいろいろある築地どんぶり市場。



ここもピンキリだが、いろいろありそうな海鮮問屋つきじかん乃。



奥にも食べ処があるつきじかん乃。



つきじかん乃を通り抜けた筋にあった喜代村まぐろ2号店。



次も鮪の頭があるマグロの多喜商店。



美味しそうに焼いていた100円焼売を売る関根商店。



店員さんが撮るなら蓋を取ってあげるよと言ってくれた。

たまご焼き丸武は2店舗。



いずれもテリー伊藤の顔写真を掲示。



片方のお店に行列ができていた超がつくくらいの有名店。



これより2カ月経った令和元年6月7日のニュース報道。

不法残留で就労資格のない中国人の男女2人を働かせていた、と警視庁荏原署はテリー伊藤の兄にあたる社長を、入管難民法違反(不法就労助長)容疑で書類送検した、と伝えていた。

カキ小屋築地食堂も実演販売。

焼きの匂いに釣られて買い食いする人で狭い通路を塞いでいる。

食事処はここと決めた虎杖別館にある築地虎杖裏店

表店もあるようだが、経営者が違うのではと思って避けて裏店に。

ここで食べた海鮮ひつま丼は感動もんの味だった。

時間は午後1時。

帰りの新幹線時間が気になるから築地場外市場を離れる。

目指す駅は東京メトロ日比谷線築地駅。

新大橋通りに沿って歩いたら大きな建物が目に入った。

浄土真宗派の築地本願寺である。



白い雲に真っ青な空が映える築地本願寺の建物。

寺院の造りはどことなく異国を感じる。

築地駅から東京駅。

午後1時40分、地上に出たらそこに鉄骨レンガ造りの東京駅丸の内駅舎があった。



大正3年12月15日に竣工、20日に開業した。

設計はかの有名な辰野金吾氏(大正8年3月64歳没)。

奈良県に今でも存在する建物に奈良ホテルがある。

平成15年に国指定の重要文化財に指定された鉄骨レンガ造りの東京駅丸の内駅舎

新幹線に乗車する時間までたっぷり楽しむ。



写真は北ドームから北ウイング。

しばらくしてから気づいたのだが、これを駅正面の中央口と勘違いしていた。

現在の姿は戦後の昭和22年に復興された丸の内駅舎であるが、恒久的保存・後世の修理に改造された部分を原型に戻すという復原工事に免振化構造を施した。

平成19年5月20日に起工式、復元工事に着手。

平成24年10月1日に復原工事が完了しグランドオープンした。

駅前の広場の整備はそれからで、歩行者空間の整備や交通広場などが全面供給となったのは平成29年12月7日。

つい最近のことである。



東京駅丸の内駅舎の向こう側に林立するビル群。

昼間の光景も素敵だが、夜景はもっと人気があるようだ。

天気が良いから駅前広場のベンチでうたた寝。

さらさら吹く風がとても気持ち良から建物内部まで気がいかない。

ずっとこのままで、と思っていたが、時間帯は午後2時半。

新幹線の出発時間まで残り2時間を有効的にと思って腰を上げた。

駅前広場からすぐ近く。

東京駅傍にある新しくできたJPタワーKITTEへ移動する。



建物内部に入って見上げた天井の鉄骨模様に1階フロアに一息つける人間模様を見る。



歩き疲れてへとへと。

ゆっくり身体を休める4階で一息つける。

座った処はリーデイングスタイルブック&カフェ。

お茶する店内は身動きしにくい満員状態。



座った席から見る外の景色と合わさる裸電球にサッシが織りなす陰影模様が面白い。



JPタワーKITTE屋上に登って東京駅を拝見する。



新幹線以外の線路にいろんな路線の列車がやってくる。

電車が好きな男の子。

母親に連れてもらって、あれは〇〇。



これは□□・・などと飽きることなく自慢していた。

線路から外れた道路に大型観光バスが停車中。

蛇腹屋根を広げたハトバス。



車内清掃を終えたらすぐに走っていった。

屋上から下りてきて拝見した東京旧郵便局長室。



再現された室内であるが、歴史を語ってくれそうな木造部屋の佇まいがなんとも素敵。



ラストの1枚は下りの新幹線車内からとらえた富士山の姿で漫遊記を〆る。



さて、本日の歩行距離は、午前9時~10時までが2631歩。

10時から1時間が1260歩。

以下、11時~1335歩。12時~845歩。13時~1163歩。14時~642歩。15時~851歩。

16時~1125歩の合計が10163歩だった。

(H31. 3.24 SB932SH撮影)
(H31. 3.24 EOS7D撮影)

東京漫遊食べ見て歩き①

2020年11月23日 13時11分46秒 | もっと遠くへ(東京編)
東京行きが決まったのは今月初めの3月2日

長男がこの人だと顔を合わせてくださったフイアンセ。

東京から初めての奈良入り。

そして京都観光を楽しんだ2人が東京に戻った数日後に決まった日、時間、場所。

その日に親同士が初めて出会う顔合わせは本日であるが、以外の時間帯はフリー。

翌日の24日は帰路につくまでフリー。

東京観光巡りにはとバスでもと、考えてみたが、どうなんだろうか。

頭に描いた行先は築地場外市場。

例えばヒルナンデス!でも紹介される東京の美味しさを味わえる食事処は憧れ。

出かけることもないが、いつかはと思っていたテレビが放映する美味しい処に美味いものあり。

どことなく彷徨うわけにもいかないし、さりとて決め手に欠ける東京情報。

ネットでぐぐってみても目が廻るだけで、ポイントが定まらない。

築地市場は豊洲市場に移ったが、今でも食事処がいっぱいありそうな築地場外市場なら、その場で、ここだと決めることができそうだ。

メインは決まったが、さてさて両日はどこへ・・・。

自宅からの交通機関は近鉄橿原線から京都線。

JR東京行きの新幹線に乗車する発車時間は10時56分ののぞみ12号の6号車。

東京着時間は午後1時13分。

切符はネットで買ったわけでもなく、旅行代理店でもない。



近鉄郡山駅前にある金券ショップで買った割安券をもってJR大和小泉駅で交換した指定席券である。



乗車時間を決めたのは顔合わせの会場時間である午後3時を遡って調整した。

東京に着いてからは山手線に乗り換えて長男が住み替えた巣鴨に向かう。

巣鴨で少しの時間が確保できる。

そこ巣鴨に何があるのか、長男が教えてくれたとげぬき地蔵に決まった。

顔合わせは午後6時過ぎまでかかるだろう。

宿泊先も長男が手配してくれた。

そこは外国人がいっぱいの淺草。

夜ごはんもあるが、少しでも見ておきたい浅草の光景。

近くに東京スカイツリーがあるというから、いいね、である。

東京観光お上りさんコースはこうして決まった本日の漫遊先である。

朝に自宅を車で出発する。

行先は東京でなく近鉄九条駅西側にあるスパーク奈良九条駅前。

丸一日の駐車料金は400円。

丸々二日間なら600円。

一般的な計算では800円になろうが、ここは600円。

ありがたく利用できる前払い駐車場料金システムが嬉しい。

近鉄九条駅から乗車した列車は近鉄西大寺駅で京都行の快速急行に乗り換える。

近鉄京都駅の改札口からすぐ前にある新幹線改札口へ。

まずはトイレ休憩。



乗り降りする人たちでいっぱいになった構内。

トイレの数が少ないのか行列待ち。

どこでもそうだが、女性はたいへんだといつもそう思う。

車中で食べる弁当を買った京都駅グランドキヨスク。

ここも大勢の人たちでごったがえしていた。

早く行かないと、というかーさん。

そんなに慌てなくても指定席。

極端に云えば最後列であっても十分間に合うのに急ぎたいプラットホーム。



のぞみ12号がすーっと入ってきた。

それから2時間と少し。

東京駅に着いたら山手線に乗り換えする。

どこをどう行けばさっぱりわかっていないからかーさんが指図する通りに足を運ぶ。

巣鴨駅に着いた時間帯は午後1時45分ころ。

階段を登り切ったところにあるトイレに急行。

移動する度に見つけたトイレで用を足しておくのは利尿剤服用の関係。

旅先で服用する常備薬は本日の昼、夜に翌日の朝、昼の2日分。

どれもこれも大事な処方箋を忘れてしまえばとんでもないことが起こってしまう。

それはともかく改札口を出たところに長男が待っていた。

重たい荷物は貸金庫、でなく貸しロッカー・・でもなくタイムパーキングに停めた長男の車が置き場。

駅からすぐ近くにあった駐車場は15分利用で100円。

1時間で400円だからとてもお安いパーキング。

東京都23区内にこのようなお安いところがあるとは・・。

信号待ちに見た向こう側。



駅前北口から見た光景であるが、どことなく不思議さを感じた。

信号を渡り切るまでにわかったそれは太陽光パネル。

大通りは白山通りの名がある国道17号線(旧中山道/江戸時代の五街道のうち一つ)。

道に沿った町並みは商店街。

巣鴨駅前商店街ソーラーアーケード

平成18年に全面設置された商店街整備事業に毎日発電。

地元では「巣鴨駅前商店街太陽電池発電所」と呼んでいるようだ。

太陽光パネル下の通りを歩いて気がつく買い物客や地元民の姿。

若い人以上に多く見られた高齢者。



服装品や小物を売る店を見てわかった高齢者の行き交う町。

女性だけでなく男性も辻ごとにたむろする情景を見た。

ネットによれば別名に“おばあちゃんの原宿”と書いていたブログもあった。

都会の百均ショップに買い物する姿も見て取れる。

尤も、“おばあちゃんの原宿”と書いているのは私的なブログもあるが、公的機関の豊島区役所がどうどうと発信しているから驚いた。

逆に、“おばあちゃんの原宿”と揶揄する巣鴨の町に若者が注目しているというブログ記事もある。

“おばあちゃんの原宿”をキーワードに検索してみれば現在を生き抜く“民俗”も垣間見る。

しばらく歩いたところで辻立ち姿の托鉢僧侶を見かけたが・・・。

場所は真言宗豊山派の眞性寺(※豊山派総本山は奈良県桜井にある長谷寺)前の角地。



江戸六地蔵尊を示す石塔がある。

詳しくは巣鴨地蔵通り商店街HPの「江戸六地蔵尊 眞性寺」を参照されたい。



そこより少し歩いたら巣鴨地蔵通商店街に着く。



目が行ったのは支柱に貼っていた「庚申塚」。



豊島区最古の史蹟という庚申塚は、安藤広重が描く浮世絵に名所として紹介しているようだ。

案内に「昔懐かしいチンチン電車(※都電荒川線)も走っています。お帰りにご利用ください」とある。

にぎわい通りのような情景を見せる巣鴨地蔵通り商店街に有名な塩大福を売る店があると教えてくれる長男。



手前にあったお店は「開運 塩大福」を売っている「東京すがも園」。

しばらく通りを歩いていると向かい側にも「塩大福」の文字が・・。



こちらのお店は「元祖 塩大福」を売る「みずの」。

企業概要によれば、創業は昭和12年。

昭和38年に塩大福を発売したとある。

一方、東京すがも園のHPにある塩大福。

当初は“腹太餅”あるいは“うずら餅”の名称だった。

時代は元禄年間(1688~1704)、また、明和年間(1764~1772)。

辻商いの屋台売りが安永年間(1772~1781)のころとも「なれば名は“餅饅頭”に。その後の寛政年間(1789~1801)ころに名は“大福餅”へ。そのころの大福餅が、塩味のつぶし餡から砂糖のこし餡に移った」とあった。

歴史的な変遷を記す創業80有余年という「東京すがも園(閉店)」に対して、「みずの」は先代の龍吉が“名物を作り、町起こしをしたい”と一念発起。

二代目の三郎が千葉県の九十九里浜で製塩をしていた経験を生かして龍吉の出身地に伝わる「塩あんびん餅」をヒントに、独自風味の大福餅を創りあげた三郎が名付けした、とある。

ちなみに塩大福を売る店はもう1店舗あるようだ。

創業が明治40年の「伊勢屋」。

機会があれば、3店舗がそれぞれの味を生み出す塩大福の味比べをしてみたいものであるが、うち「みずの」の塩大福を長男が買ってくれた。

もっちゃり感ある塩大福の味は素朴な味でもなく、さすがの味。

ぺろりと食べてしまうほどに美味かった。

餅よりも海鮮寿司を提供する回転寿司海鮮三崎港のネタが気になる。



老舗だろうと思える店構えの茶舗山年園を見ながら先に進んだところに明かりが灯っていた。



とげぬき地蔵尊高岩寺の信徒会館前に立ててあった大型のこけしを模した行燈

青森県津軽にお住いの森勇一さんが制作されたこけし灯籠とある。

会館内にこけしを展示していると案内しているが、興味あるのは巣鴨・高岩寺の様相を伝える「写真歳時記」。

時間があれば拝見したいが・・。

その先は、とげぬき地蔵尊で名高い慶長元年(1596)に創建された曹洞宗寺院の高岩寺(こうがんじ)

創建当時は江戸湯島であったが、明治24年(1891)に現在地の巣鴨に移った。

午後2時の参拝者。

活気溢れる巣鴨地蔵通り商店街のお店行きは参拝を済ませてからであろう。



山門を潜ったらまずは手水を取ってお清め。

1束50円のお線香を購入して火点け。

本堂正面にある大きな香炉に投入。



そして、線香の煙を患部は病気平癒の願掛け。

本堂左側の行列は洗い観音。

これもまた病気治癒を願う、自身が気にかける患部に水を流して洗えば治ると信ぜられた。

その右に建つ地蔵菩薩立像もあるが、とげぬき地蔵尊と呼ばれるのはご本尊である。



境内に屋台で露店売りをしている人がいる。

近くに寄ってわかった屋台売りはドライフルーツを売っている井原商店。

さんざし、マンゴパイン、マンゴー、ドライいちご、あんず、白いちじく、クランベリー、クコの実などなど。

とげぬき地蔵尊は本尊延命地蔵菩薩。

本堂に上って手を合わせる。



寺縁起略記によれば「江戸時代、武士の田付又四郎の妻が病に苦しみ、死に瀕していた。又四郎が、夢枕に立った地蔵菩薩のお告げにしたがい、地蔵の姿を印した紙1万枚を川に流すと、その効験あってか妻の病が回復したという。これが寺で配布している「御影(※みえい)」の始まりであるとされる。その後、毛利家の女中が針を誤飲した際、地蔵菩薩の御影を飲み込んだところ、針を吐き出すことができ、吐き出した御影に針が刺さっていたという伝承もあり、“とげぬき地蔵”の通称はこれに由来する」とある。

参拝を済ませて戻ってきた通りに待ち構えていた取材陣。



業務用録画機を肩に担いでいたカメラマンにマイクロフォンをもつインタビュアーにデイレクターも。

通りかかる人に突然取材しようとしていた取材クルーはNHKエンタープライズ。

腕章の色具合でわかってしまう。

実は、取材クルーは2月21日に参拝、金五万円を献納していた。



隣は「開運 塩大福」を売る「東京すがも園」だ。

NHKエンタープライズがインタビュー待ちする位置から数百メートルも歩かんうちに声をかけられた。

もう一つのテレビ局である。

こちらの取材陣は業務用録画機カメラマンが不在。

マイクロフォンをもつインタビュアーにデイレクターの2人組はBS朝日の取材クルー。

先に歩いてさっさと行ってしまった家人から離された私にインタビューを受ける時間がない。

申しわけないが、「奈良から来ました」と伝えたら驚いていた。

巣鴨地蔵通り商店街の途中に建つ小屋。

何やら白い物体がちらちら見える。



何があるのかと思って近づいたら、それはでっかいお尻だった。

「お尻を触れば結ばれる。優しく触れば世話いらん」とある「すがもんのおしり」って何なん。

なんでもお尻を触れば恋愛成就のご利益があるらしい「すがもんのおしり」は商店街の公式キャラクターだった。

午後2時半、駐車場に戻って出発する。

目的地は文京区関口にあるホテル椿山荘。

待ち合わせ時間ぎりぎりに到着した。

これより始まる両家の顔合わせホテル椿山荘内にある木春堂(もくしゅんどう)。

会席料理をいただきながら愉しく、そして陽気に歓談させてもらった。

場を離れて長男が住む巣鴨に戻ってきた。

夜の巣鴨に訪ねる居住地である。

午後6時半から1時間。

部屋でゆっくり寛がせてもらった次は、予約してくれた台東区雷門にあるザ・ゲートホテル雷門。



当初予定では電車を乗り換えて行くつもりにしていたが、ありがたく車で送ってもらった。

ザ・ゲートホテルに到着した時間帯は午後7時40分。

午後8時までにチェックインしてくださいと言われていたから、無事に着いてほっとする。

ホテルのフロントは13階。



このフロアーから見る浅草界隈。

東京お上りさんの憧れは東京スカイツリー。



室内照明が映ったガラス窓から見える東京スカイツリー。

左眼下に見えるのが浅草・浅草寺の雷門。

雷門通りと思われる地に見えるレトロビルヂングもある。

方角を90度移したら浅草寺に五重塔が見えた。

今夜も明日も拝観する時間がない浅草寺は13階から拝ませてもらうことになった。

ホテル宿泊代は前払い。

ネットで申し込みしたら1割引であるが、全額を負担してくれたのは長男。

ありがたく受け入れる。

支払いを済ませたら雷門へ出かける。

今夜に食べる買い出し作戦。

浅草新仲見世商店街に好みのメニューを見つけていた。

そこに行けば何かが見つかると思って下りた浅草寺の雷門前。



午後8時ころであっても賑やかさは少しも衰えていないように思えた。

インバウンドにやってくるさまざまな外国の人たち。

テレビ報道で見ることはあっても実情を見ることはない。

テレビ映像は切り取り。

その一部分を紹介して放映する。

尤も、私どものようなカメラマンも同じ部類。

全体像を撮ることはあるが、作品的に紹介するのは切り取り映像。

周囲に本来の姿が見え隠れする。

夜8時の淺草観光に日本人の姿はない。

隅から隅まで見ているわけでないから見落としていることもあるが、その大勢さに圧倒される。

雷門をバックに撮る人たち。



夜8時はすべての商店がシャッターを下ろした浅草新仲見世商店街を歩く。

何を求めているのだろうか、白けた照明にたむろ歩きをするインバウンド

不思議地帯に迷い込んだ錯覚感に陥る。

ちなみにどなたも背景に撮っている雷門は、10年に一度は貼り替え、新調されて吊り替える。

大きな提灯を製作している会社は京都・四条にある創業が享保十五年の高橋提燈㈱。

昭和35年、松下電器産業(現パナソニック㈱)の生みの親である松下幸之助氏が、雷門を寄進奉納したことがはじまり。

当時の貫主にお願いされて実現した雷門の復興事業である。



その空気感を避けて大通りに出てシュッとした東京スカイツリーにワクワクする1泊2日のお上りさんになっていた。

来年の2020年は東京オリンピックが開催される。



東京スカイツリーのLEDライテイングもまた愉し、である。

お上りさん気分に満喫していて、すっかり忘れていた今夜の買い出し。

長男がスマホで探してくれたが、直接お店の人に尋ねた方が早い。

そう思ってそこにあったお店に飛び込み営業・・ではなく聞き取り調査。

「持ち帰りはできますか」である。

「汁もの以外なら」の回答に口にした「唐揚げ」・・。

どうぞ、お店に入ってもらって注文ということで、メニュー探し。

その間にも続々と入店する観光客。



お店を開店しているだけで入店する人多し、である。

一方、SNSなどに紹介されている食事処は行列ができていた。

ちなみに朝ラー、である。

ホテルの予約に朝食は組まれていなかった。

尤もホテルの朝食は卵料理にサラダ付きで2160円。

バイキング料理かどうか知らないが、食べたくなったのは朝ラー。

つまり、朝からラーメン。

ホテルの部屋で探そうと思っていた近くのラーメン屋。

なんと持ち帰り食を注文していたときわ食堂の左隣にラーメン屋が・・。

らぁめん花月嵐は手ごろなメニュー。

そこにしようと思ってはみたものの、開店時間が午前11時。

こりゃダメだが、らーめん弁慶は朝7時からしているようだ。

ちなみにこの日の歩行数は6116歩。

距離はそんなになかったということだ。

(H31. 3. 8 SB932SH撮影)
(H31. 3.23 SB932SH撮影)
(H31. 3.23 EOS7D撮影)

帰りの土産

2011年07月06日 06時38分48秒 | もっと遠くへ(東京編)
行きも帰りも新幹線。

寿司を食べたらどうしても口が水分を欲しがる。

電車の中でも販売しているっていうことでスジャータアイスクリーム270円をたのんだ。

こりゃいけますがな。



そんなこととは関係なく家に着くころは夜7時ころ。

帰宅途中にスーパーはない。

帰ったらすぐにでも食べられるようにと品川駅で土産も含めて晩飯を買いあさった。

品川駅構内のEsuteで買った海老カツ弁当690円。



美味そうだからと二つも買った。

同じく品川駅のAtreで買ったTkごはんに良く合うSOZAIセットは850円。

足らないからと桜島どりのさっくり唐揚げは197gで630円。



いずれも油もんが入っているが惣菜もあるのでこれらにした。

写真を撮る前に家人が食べてしまったので一部が胃袋に入ってしまっているが・・・。

ついでの土産にと買ったロールケーキ。

東京のロールケーキやから美味いやろと思って買ったがそうではなかったフルーツロール1050円。



保冷剤がいるっていうもんだから入れてもらったがそれは210円もした。

東京だからって全てが美味いわけじゃないことを知った。

ほんまの土産はふるや古賀音庵の東京胡麻の味840円。

味はどうやったんだろう。

そうこうしているうちに京都駅に着いた。

そこからは近鉄線で西大寺駅までだ。

この駅構内には「駅ナカショッピングモール」がある。

デリ惣菜のお店やスイーツ、コスメまであるちゅうんで立ち寄った。

駅構内はずいぶんと変わったもんだ。

ビジネス帰りも観光客も利用できそうなモールはちょっとした買い物には便利なように思えた。

(H23. 5.29 SB932SH撮影)
(H23. 5.29 EOS40D撮影)

恵比寿ガーデンプレイスに寿司屋はあるのか

2011年07月05日 08時37分47秒 | もっと遠くへ(東京編)
東京へ行ったついでに観光もと思うのがオノボリさん。

さあてどこへ行くか。

お台場へ行けば芸能人に会えるかもしれないと思うが・・・。

お台場はペリー艦隊が開国を迫った非常事態に備えて品川沖に砲台を築いた人工の島。

我が国初の海上砲台だそうだ。

その原型が残されているお台場。

それは地名となって観光できる場所だが雨天ともなると観光し辛い。

東京タワーもオノボリさん向きである今流行りの建築中東京スカイツリーへと思ったが場所が遠いように思えた。

それに登れるわけじゃなく周辺からその様子が見えるだけだ。

一見の価値があるかのようだが雨中では難がある。

雨にも濡れずに東京の一つを楽しむというわけで式場があった恵比寿にした。

恵比寿といえばビールだ。

昼の番組を見ているとときおりそこが出てくる。

出てくるのはビールではなくて出演している芸能人が食べ歩きをしていたその地だ。

先日もイタリアンの食事処を紹介していた。

会えるかもしれない・・・なんて思うのはオノボリミーハー。

そこだったら昼食もふんだんにあるだろう。

恵比寿駅から動く歩道がある。

いけども、いけども動く歩道の橋渡し。

スカイウォークちゅうそうだ。

「人と文化が自由に往き交う開かれた街」とあるが文化的要素は特段感じられない。

都市景観の100選を受賞しているというが単なるビル街のように思えた恵比寿ガーデンプレイス。

レンガ色のビルが特色なんだろうか。



歴史的には日本麦酒醸造(のちに日本麦酒からサッポロビールで初代社長は馬越恭平氏)が明治20年(1887年)に設立した製造工場だった。

ビール輸送用として建設された駅名は恵比寿駅だった。

それが町名になりいつしか地名として定着した「恵比寿」の街。

都市化が進み工場移転を余儀なくされて閉鎖したのが昭和63年(1988年)。

その跡地を再開発されてできたのが恵比寿ガーデンプレイスとなるわけだ。



この敷地内正面にあるのがビヤステーション恵比寿。

中身は変わったが建物は再開発するまで営業されていたそうだ。

この日も雨は降り続いていた。



さてさてどうするかと歩いていけばなにやら記念館がある。

それはエビスビール記念館だった。

入館料が無料となれば行くしかないだろう。

ここはエビスビール生誕を記念して平成22年(2010年)2月にオープンしたばかり。

訪れた時間はちょうど開館時間直後だった。

ミュージアムショップにはいろんなグッズが販売されている。

手軽に買えるモノはないかいなと並べられた商品に目を落とす。

気にいったのがケータイ電話にも貼れるうつし金蒔絵500円だ。

手頃な金額で土産にもなるうつし絵。

シールを外してそれをこする。

インスタントの蒔絵は他では売っていないレアなエビスサンを選んだ。

それはともかく正面にはどでかいモノがある。



銅色に輝く美しい仕込釜は昭和62年(1987年)まで工場で使われていたそうだ。

その後ろのコミュニケーションステージでは10数名の人たちが乾杯をしている。

ビールの試食かいなと思っていたらそうではなかった。



来館当日に予約したエビスツアーの人たちだったのだ。

500円の参加料金を払えばエビスギャラリーの解説にビール2杯の試飲がついてくる。

生ビール二杯で500円は割安すぎる。

ツマミも付いて2種類のエビスビールの飲み比べができるツアーに次々と申し込みをされる。

ツアーでないと貴重な資料や映像を映し出すギャラリーを拝観できないのか、というわけでなく見るだけなら誰でも無料だ。

ツアー参加者は恵比寿の歴史の解説付きだが・・・それを知らずにくっついて聞いていた。

当時の生活文化も知ることができるツアーはなかなかのもん。

残念ながら雰囲気に酔いしれてメモすることをすっかり忘れていたので記憶を辿って・・・。

ドイツビールにこだわったエビスビール。

本場のビール職人こと製造技師を招いて作られた。



日本初となるビヤホールが銀座8丁目にオープンした。

ビールの良さを知ってもらいための直営店だったそうだ。

氷室(ひむろ)で冷やしたビール10銭で販売したところまたたくまに評判が広がり盛況になった。

その様子を再現する映像は立体模型。



明治時代の服装のなかには夏目漱石もいたらしい。

当時のツマミは大根のスライスだった。

醤油をつけて食べたようだが普及しなかったようだ。



ビールの大衆化は大正7年に第一次世界大戦が終わったのちの西洋都市化、衣食住も大きく変化した時代。

洋服、洋食文化が広がりサラリーマン層にビール愛飲が拡大した。

「瓶ビールの王冠のギザギザは何個あったでしょうか」のクエッションするツアーコミュニケーター。

最後はコマーシャルで人気となった第三の男の主題歌。

手回しオルゴールが奏でる。

そうこうしているうちに昼時になった。

プレイス内にはいろんなレストランがあるが油もんが多い。

ビール党にはもってこいなのだが二人連れではそうはいかない。

恵比寿の街をぶらぶらしていると寿司屋の看板が目に入った。

本日のサービス品のコハダ79円、サービストロ99円の破格な値段につられて入店した「廻る元祖寿司」店。



店長らしい大将がその場で握ってくれる。

それも美味いが130円皿の鯛、ゲソ、サーモン・・・なども鮮度がいいし少なめのシャリとマッチしている。

瓶ビールも飲んで3000円。

レストラン街よりもこっちを選んで正解だった

(H23. 5.28 SB932SH撮影)

宿泊マンションの食事

2011年07月04日 07時37分52秒 | もっと遠くへ(東京編)
結婚式の前日から宿泊しようとしていたが二日間もその部屋で寝泊まりするにはむさくるしいと式後の夜だけにしたマンションは東大田区にある。

大田区と言えば監査業務で訪問していたビルがあるところだ。

しかも前夜に泊っていたのが蒲田駅西側のビジネスホテルだ。

安価で朝食付きのホテルは狭いが居心地は良かった。

そこから出て駅東側にでる。

大田区役所の東側にあるビルの周辺環境は今でも覚えている。

ホテルの周辺こそ住宅街のようだった。

その辺りかなと思っていたがそうではなかった長男が住んでいるマンションは馬込。

落ち着きのある雰囲気だと知ったのは翌朝だった。

式場まで迎えに来てくれたが朝から何も食べていないという。

そう、寝ぱっなしだったのだ。

レストランで食事をしたいと思うが私の我がままで晩飯を買いに行くことにした。

スーパーはないちゅうんで通り路のコンビニを探す。

腹が減ったらどうしようもないちゅうんでコンビニ店舗で夜食の買い出しである。

風呂上りに飲みたいのはアルコール。

必須のアイテムは缶ビール2本にチューハイにした。

翌朝のメシも要るだろうとカレーパンやバターブレッドに蒸しパンも買った。

じゃぁ、夜食はといえば・・・ヤマサ醤油の具たっぷり焼きうどん398円、ゴボウサラダ118円、紀文ゴマダレトウフソウメンフウは198円、トマト仕立てのチキンカレーは498円、ニッシンヒルゼンヤキソバ195円とした。

なにが美味かったといえばトウフソウメンフウだった。

ゴマダレの味に喉越しよろしい麺が朝の目覚めをすっきりしてくれた。

(H23. 5.29 SB932SH撮影)

一路東京へ

2011年07月02日 06時37分34秒 | もっと遠くへ(東京編)
東京へ出かけるのは何年ぶりだろうか。

ビジネスマン時代の監査業務以来のこと。

もちろん新幹線に乗って出張していたのだ。

もちろんというのは飛行機がコワいからだ。

地面に足がついていないとどうも・・・。

近鉄電車、新幹線の切符はかーさんが手配してくれたがちょうど昼飯時間は車中内となる。

車中で駅弁を買うのもいいが量は少なく選べないので京都駅構内にあるお店で買った。

あれも食べたいこれも食べたい弁当に目移りがする。

結局選んだのは古都みやび店の近江牛巻寿司1000円にした。

かーさんは対面の店でサンドイッチを買った。

新幹線が到着するまではにわか鉄っちゃんになってしまった。

流線形の新幹線が到着するたびに子供に戻る。

いずれもカモノハシのように見えるN700系らしい。

初代こだまの0型ならまだしも何型なのかまったくわかっていないから鉄っちゃんにはなれないが乗ったひかり号は一路東京へ。

とはいっても品川で降りる。



かーさんは長男が住まいするときにも行ったので2回目。

さっさと駅に向かって恵比寿駅行きのプラットフォームへ。

エスカレータは節電対策で下りだけが動いていた。

駅構内の明かりもその対策がされていた。

薄暗いといえばそうだが昼間では点けることもない明るさだ。

結婚式といえば式場。



そんな会場を探して雨中の恵比寿の町を歩いたがそれらしき建物はない。

ビルの名前にそれらしきものがあった。

そうして雨の中を彷徨って辿り着いたのがカーディナスチャコールグリル。

姪っ子の結婚式がここで式典される。

(H23. 5.28 SB932SH撮影)