マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

のり弁当キャンペーン

2012年08月31日 08時09分14秒 | あれこれテイクアウト
テレビで盛んに宣伝しているとかーさんが云っていた「ほっかほっか亭」のキャンペーン。

なんでも、のり弁当にカラアゲが二つもついてくるという。

そんな話を聞いていた後日のこと。

映し出された映像は女性ボクサーの姿。

これがそのキャンペーンだったのだ。

この日の弁当はのり弁と決めて出勤した。

仕事を終えて小林町を通る。

大和中央道沿いにある「ほっかほっか亭」の幟にはそれがなかったが、ドアに貼ってあった。

よくよく見れば本日で終了だ。

21日からこの日までとは知らなかった。

実にラッキーなキャンペーン終了日。

この場で食べるわけにはいかない。

帰り道は自転車で25分。

帰路がそんなに遠いとは・・・。

支度を調えて蓋を取る。

ドドーンと大きめのカラアゲが乗っかっている。

いつもの花かつをと特製だし醤油ごはん。

有明海苔も変わらず。

これだけでパクパクと食欲がすすむ。

白身魚のフライと竹輪の天ぷらは除けておく。

そうでないと本来の米の味が味わえない。

「ほっかほっか亭」のご飯は石川県、富山県、群馬県産。

奈良のお米でないのが残念だが、美味いのである。

買った伝票にはのり弁当キャンペーンが290円とある。

お得でありがたい価格に箸がすすむ。

4カ月ぶりののり弁当に満足する。

今度のキャンペーンが楽しみだけど、香物がシバ漬けになっていた。

(H24. 6.17 SB932SH撮影)
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大塩農休日の虫送り

2012年08月30日 06時40分15秒 | 山添村へ
虫送りをしていると知った山添村の大塩。

その日を決めるのは八柱神社の植付日待ちである。

神事も直会も例祭とおりの作法だった。

その日から一週間後に行われた大塩の虫送り。

予め神野寺の住職に祈祷してもらった「奉修穣苗秘法害虫退散五穀成就攸」のお札を清水川に流す。

そこは木津川の最上流。

虫(お札)を送る川境は月ケ瀬の月瀬である。

北の方にある大きなカキの樹木が立つ地が月瀬だという二人のドウゲ。

この日の行事は二人だけで行われる。

草むらが生い茂る清水川。

橋の上からそっと離したお札は川に浮かぶ。

かつては西波多と北野を結ぶ広域道と大塩の辻であった。

そこも橋が掛かっていた。

カンサカ(神坂)の下の川だという橋は板橋。

道をかさ上げしたことから川へ降りる道が消えた。

仕方なくこの橋辺りから流すようになったという。



お札を流すだけで虫を送ったことになるという虫送り。

「松明がなくともこれで田んぼには虫がおらんようになった」と話す二人。

草むらが生い茂っているので流すお札は見えにくい。

ちなみに祈祷されたお札は4枚ある。

一枚はこうして虫送りしたお札だ。

残る2枚は二人のドウゲが授かる。

仏壇や玄関に奉っておくそうだ。

もう一枚は観音寺に納められるという。

(H24. 6.24 EOS40D撮影)
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久安寺素盞嗚神社植付け休みの御湯

2012年08月29日 06時45分48秒 | 平群町へ
村の田植えのすべてが終われば植付け休み。

平群町久安寺の村では「植付け休み」とも云うし、「ケツケ」とも。

或いは「サナブリや」とも云う人もいる。

とはいっても、村で稲作をしているのはたかだか数軒。

ほとんどが菊栽培農家だそうだ。

作物を作っても「イノシシがみんな食うてしまう」という。

美味いイモはイノシシの餌食。

イノシシは可愛いという人もいるので仕留めることもできないという。

最近はアライグマも出没する久安寺の村。

お米の作付は家人が食べるだけの分量をしていると話す。

昨今は平群の菊で知られる久安寺の菊栽培。

付近の信貴畑とともに切花の菊花(小菊)栽培をする畑が広がる。

その地を南北に貫く広域農道は「フラワーロード」と呼ばれている。

町の花にも指定されているのが菊なのだ。

栽培の歴史は、明治時代末期に始まったという。

確か明治32年だったと聞いたような気がする。

昭和50年代後半からの栽培は小菊に移った。

盛んに栽培されるようになったのは30年ぐらい前らしい。

そのような村ではあるが、「ケツケ(毛付け)はしやんとな」といって植付け休みの祭典を素盞嗚神社で行っている。

この日は農休みの日である。

畑仕事の一切をせずに農休み。

そうでなければ村の行事に集まることは難しいと話す総代。

老若男女、大勢の村人たちが素盞嗚神社にやってきた。

神社は広域道路から見えない。

一旦は谷に下って再び急坂を登る。

そこに鎮座するのが素盞嗚神社だ。

本殿前の境内に設えた斎場は注連縄を張った四方の竹で囲っている。

厳かな神事の場である。

中央には古いお釜がある。

珍しい形の三本脚で支えられた湯釜だ。

脚にはそれぞれ獣面が彫刻されている鑄物製。

獣面は獅子或いは人の顔のようにも見える。

10年ほど前までは一本の脚がとれていた。

なんとか支えながら遣ってきた湯釜の脚。

知り合いのとある工業所で修理してもらったそうだ。

湯釜を修理した際に取り付けられた羽。

形は羽釜になった。

その湯釜に刻印が見られる。

「牛頭天王宮元文三戌年(1738)八月吉日 和州平群久安寺邑長生院住持本住比丘氏子中」の記銘だ。

およそ270年前の代物である。

村人はその刻銘に気がつかずに遣ってきた湯釜に驚く。

刻印された寺院は「長生院」。

境内にひっそりと佇むお堂がそれだという。

「比丘」の名が示すように安寿さんがおられたそうだ。

史料によれば『神社の神宮寺の真言宗摂州東成郡今里村妙法寺末長生院は、かつて薬師堂と呼ばれたが、明治七年に廃寺となった』とある。

また、素盞嗚神社の境内社は春日社(地元民は小宮と呼ぶ)で、文化二年(1805)と天保六年(1835)の記銘が見られる石灯籠があるそうだ。

植付け休みの祭典に集まったのは村人50人。

集落の軒数と同じのようだ。

この日に行われるのは御湯である。

神職の姿はなく、三郷町の巫女さんが神事を勤められる。

村人は拝殿に登るが入りきれない。



外から見守る祭典は神楽の舞。

始めに鈴の舞で、次が剣の舞だ。

神楽を終えれば一人、一人に鈴と剣で祓ってくださる。

「祓いたまえー 清めたまえー」とお祓い清めるありがたい作法だ。

こうして神事は斎場に移って御湯の神事となる。

湯釜は既に沸いていたが、さらに雑木をくべられた。

ポン、ポンと柏手を打って、かしこみ申すと神さんに告げる。

最初にキリヌサを撒く。

そして、お神酒を投入して御幣でゆっくりとかき回す。

御幣と鈴を手にして右や左に舞う。



次に笹を両手にもって湯に浸ける。

もうもうと立ちあがる湯気。

大きな動作でシャバシャバすれば湯が立ちあげる。

東の伊勢神宮の天照皇大明神、南の談山神社の多武峰大権現、西の住吉大社の住吉大明神、北は春日若宮大明神の四柱の神々の名を告げて呼びおこす。

再び笹をシャバシャバする御湯の作法は実にダイナミックである。

そして同じく、東、南、西、北の四方に向かって「この屋敷に送りそうろう 治めそうろう 御なおれ」と告げられた。

鈴を持って再び神楽の舞。

シャンシャンと鈴の音がする。



履物を履いて境内にいる村人の前にゆく。

「交通安全、家内安全、水難盗難、身体健勝、祓いたまえ、清めたまえ」と鈴を振って祓う。

氏子たち一人ずつ順に祓い清めて神事を終えた。

笹の葉で飛び散らした御湯は清めの湯。まさにオハライの御湯である。

(H24. 6.23 EOS40D撮影)
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室生小原の田の虫送り

2012年08月28日 08時09分20秒 | 宇陀市(旧室生村)へ
平成17年19年に訪れた室生小原田の虫送り。

そのときの極楽寺の扉は閉められていた。

久しぶりに再訪した室生小原。

いつものように村の人たちは手製の松明を持ってやってくる。

以前は閉じられていた扉が開放されている。

信仰が厚くなったのだという。

その極楽寺の廊下には田の虫送りで用いられる太鼓や鉦、数珠が置かれていた。

太鼓は室生無山の住民の名が墨書されている。

昭和32年2月吉日とある寄進日だ。

明治32年に焼失した極楽寺はのちに再建されたが無住寺。

それまでは住職もおられて虫送りの祈祷もされていた。

昭和32年に寄進された太鼓の存在はお寺の存在を示すのではないだろうかと思ったが、その経緯を知る人はいない。

その後の状況は存知しないが、なんらかの行事が行われていたと思われる。

その寺の名は推定約300年余りの古木桜の名称になった。

美しい姿の枝垂れ桜を見にくる人も多くなった。

平成18年、19年に拝見したときにはその名はなかった。

それ以降に「小原極楽桜」と名付けられたそうだ。

田の虫送りが始まる前に打つ太鼓。

「ドン、ドン、ドンドドドン」の太鼓の音色は小原の里に広がりゆき渡る。

その呼出太鼓の響きが届いたのであろう、あちらこちらから松明を抱えた人たちがやってくる。

鉦の音色も届くというが、この年は打たれなかった。

その鉦は三本の脚がある。

置いて叩く鉦の形だが、年号や記銘は見られない。

田の虫送りは数珠繰りから始まる。

松明に火を移すトンドに火を点けた横で輪になった人たち。

子供が主役の数珠繰りだ。

村の子供は10人ほど。

子供が居る家は少ないが、兄妹の家が多いからそれぐらいだという。

平成17年に訪れた田の虫送りのときもそれぐらいだった。

あれから7年も経過する。

子供は成長して巣立っていった。

新生児が育ってこの日に至る小原の子供たち。

7人の子供に親も加わって数珠繰りする。

鉦が打たれてカーン、カーン。

その音頭に合わせて数珠繰りをする「なんまいだ」念仏の虫祈祷。

数珠玉が手前にくれば上にあげて頭を下げる。

子供たちも大人を見習ってそうする。

珠本来は33回繰るのだが、この年は13回となった。

虫を祈祷する意味にもある数珠繰りはこうして終えた。



そして松明に火を点ける。

昨今の松明は簡略化されて丸太の竹が一本。

そこには油を染み込ませた布を巻き付けている。

子供にとっては丁度いい長さの松明だ。



昔ながらの松明と最近の松明。

その炎は明らかに異なる。

煤が発生する点においても違っている。

先頭を行くのは村の役員が勤める鉦叩きと太鼓打ち。

オーコに担がれた太鼓は相当な重さ。

他所では軽トラで運ぶようになったが、小原では今でもオーコ担ぎ。



肩が食い込みながらも田の虫送りに巡行する。

「キン、キン、キンキキキン」と打つ鉦の音に合わせて太鼓は「ドン、ドン、ドンドドドン」。

高台にある極楽寺から下ってきた一行。

後続には火を移した松明の行列が続く。

鉦と太鼓の音が小原の里を巡っていく。

かつては「おーい おーい たのむしおくり おーくった」と囃しながら行列を組んでいた。

その田の虫送りの唄を知る人は多くない。

田の虫送りの唄はと問えば「おーい おーい ほ-たるこい あっちのみーずは あーまいぞ」と歌い出す男性もいるが・・。

確かに小原の里を流れる笠間川にはゲンジボタルが生息する。

田植えが終わって稲作を荒らす虫を追い払う田の虫送り。

青々とした小原の田んぼの虫を追っていく。

「他所と比べたら小原は虫が少ない」と話す村人。

そういえば翳した松明に虫の姿は見られない。

「小原はヒルもいないな」と続けて話す。

余談だが、大和郡山の旧村で聞いた話では「田植えの際にヒルが何十匹もあがってきた」と云っていた。

当時は手植えだった。

悩まされていた田んぼのヒルはいつしか消えた。

今ではまったく見ることもないという。

小原は田んぼの回りを電柵で囲っている。

虫、ヒルでもない害獣除けだ。

それは夜にやってくる。

夕方になれば電源を入れる。

柵にあたればビリビリする電柵。

以前に寄せてもらったときはしていなかったが、田んぼのすべてに亘って張り巡らせている。

およそ15分の巡行。

出発時点では陽が落ちる寸前だ。

田の虫送りを終えるころは薄暗くなっていた。



小原の虫を送った松明はトンド場で燃やされる。

トンド場の松明は山のように盛りあがった。

昔は松明の束も太くて長かったから、もっと高く積み上げられたという。

松明は乾かしたもので作りあげる。

刈ったシバ(竹)を束にする。

中には油(トウユ)を染み込ませた布を入れてハリガネで縛っておいた男性。

一週間前にそれをしていた。

十分に染み込んだ松明はよく燃えるという。

かつての松明は松のジンがつきものだった。

それゆえ「松明だというのだ」と話す男性。

割木、シバなどで松明を作っていたという。

丸竹のままのものもある。

竹が焼ければ爆ぜる音がでる。

この年はその本数が少なかったのか、ポンと一回鳴っただけだった。

(H24. 6.20 EOS40D撮影)
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原因はマカフィ

2012年08月27日 19時11分58秒 | つうしん
いつものように電源をあげてインターネットを開くが正常な状態にならない。

当然ながらメールもそうなる。

ときおりこんな症状がでることがある。

そんな場合はモデムやルータを電源オフ/オンで正常になる。

この日の朝はそうならんかった。

出かけなきゃならんから対応は翌日に任せた。

十津川から戻った晩も同じ事象が発生している。

なんらかの問題が起きていることには違いない。

翌月曜は仕事だ。

それを終えて席についた。

異常事象に変化はなく継続している

ネットのページが表示できない画面に接続問題の診断がある。

それをクリックすればXP用のネットワーク診断を開始した。

接続はラインもワイヤレスにおいても診断した。

結果は同じでモデムやルータには問題はない。

最終的に出てきたのは『インターネットサービス(ISP)に問合せてください[診断ログを表示します]をクリックして詳細な情報を表示してください』とある。

そのメッセージに従えばブロバイダになる。

当家のプロバイダはKCNだ。

長年に亘って利用している。

担当者が電話口に出た。

24日の夜間までは支障なく使えていた。

25日の朝になれば前述した状況になった旨を伝えた。

担当者は、その日は朝から問合せする人が多くいて大騒動になっていたという。

問合せする人の事象はすべてが同じ。

25日の朝からネットが利用できなくなったというのだ。

それは20日が第一波だった。

25日は第二波だったという多数の問合せ。

原因はマカフィが8月18日に配信した定義ファイルを適用したことにある。

アップデートは自動だ。

それゆえ更新意識はない。

そのマカフィが示すあるページにその対処方法が記載されている。

メールにおいても発信しているそうだ。

その対応をするにはインターネットが立ちあがっていなければできない。

立ち上げるにはセーフティモードで立ち上げなくてはならない。

以前にトラぶった際にも立ち上げたセーフティモード。

24日に殺到した問い合わせにもその旨を伝えられるKCN担当者。

だが、パソコンネット利用者の多くがその機能を知らない。

自宅訪問する件数も多くあったという。

難儀なことだ。

マカフィが原因かどうかネットワーク接続状況を確認する。

ネットワークプロトコルはすべてにおいて正常だった。

パソコンの電源を一旦落として再度立ち上げる。

そのとき直後に「F8」を押し続ける。

カチカチカチカチ・・・。

そうすればセーフティモードになる。

拡張オプションメニューの画面に移って「セーフティモードとネットワーク」を選ぶ。

そうして実行していけば立ち上がるセーフティモード。

その状態でインターネットが繋がった。

マカフィの【重要なお知らせ】を探しだす。

その指示は本日に担当者が発見した内容だそうだ。

[現象1、3]はまさにその通りの状況である。

回避するには2通りの回避策が書かれてあるというがセーフティモードの画面では判り難い。

一つは「セーフティモードとネットワーク」で起動してからマカフィ・バーチャルテクニシャンを実行する。

その対応ができなければもう一つの回避策。

それはマカフィを再インストールとある。

そこまではしたくない回避策。

親切にも担当者は画面を見ながら一つ一つ指示を与えてくれる。

マカフィ・バーチャルテクニシャンが出力されれば第一関門の突破だ。

「ようこそ」・・「次へ」・・・「ファイルダウンロード」・・「次へ」・・・「セキュリティの警告」・・・「実行」・・・「バーチャルテクニシャン」・・・「同意」・・・「インストール」・・・「完了」・・・「ようこそ」・・・「次へ」だ。

「バーチャルテクニシャン」の実行はなかなか終了しない。

アプリケーションスキャンはセキュリティセンターでコンポーネントスキャンが実行されるが終わる見込みはない。

もしかとすれば内在するファイルすべてを検証しているのではないだろうか。

そうであれば10時間はかかる。

毎週一度のファイルスキャンと同じであればだ。

10時間も付きあってもらうには申しわけない。

当方から申し出て一旦電話を切ることにした。

待つこと十数分間。

KCN担当者から電話がかかってきた。

丁度そのときに終わったコンポーネントスキャン。

影響を与えないと思われる問題は検出されたが「次へ」をクリックすると「システム再起動の適用」画面が出力された。

担当者ともどもほっとする瞬間だ。

再起動した結果は上々。

ラインもワイヤレスも問題なく接続されてインターネットが動いた。

逐一指示してくださった彼女を「女神のようです」と伝えたら笑っていた。

電子メールも立ち上げた。

一回の接続は失敗したが2回目は問題がでなかった。

受け取ったメールのなかにマカフィからのメッセージがあった。

問題事象の対応は2時間もかかった。

原因はマカフィの配信されたファイルにあるトラブル。

どれほどの人が影響を受けたのだろうか。

(H24. 8.25 事象発生)
(H24. 8.26 事象継続)
(H24. 8.27 事象対応)
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中谷の閏年庚申

2012年08月24日 08時13分01秒 | 楽しみにしておこうっと
旧暦閏年の庚申講を取材させていただいたお礼に立ち寄った芹井。

講中のNさんが云うには、旧暦閏年の庚申講が和田辺りにもあったそうだ。

付近を通りがかった際に見た塔婆とゴクダイ、花立て。

ゴクダイの形は芹井とは異なる四角い形だったという。

月日が経過しているから葉付きの杉の木の塔婆は朽ちているかもしれないという。

その場はどこなのか。

Nさんが云うには右カーブする手前の旧道に入ったところだという。

その話を手がかりに探した庚申石塔は、翌年の2月に聞いた和田住民の話によれば中谷の庚申であった。

塔婆の文字は雨に打たれて僅かに判読できたのは梵字が五文字で「奉供養青面金剛○○難○○○○家内安全祈攸」だった。

(H24. 6.17 EOS40D撮影)
(H25. 2.23 追記補正)
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大塩八柱神社植付日待ち

2012年08月23日 06時46分26秒 | 山添村へ
6月20日頃には田植えも終えて農休み。

その日は農作業をしてはならいないという山添村の大塩。

その日を決めるのは「植付日待ち」である。

八柱神社の年中行事の一つになる。

村人が来る前は年番の二人のドウゲは忙しい。

肴当番が作られた料理を配膳する。

いつもながらの折敷(おしき)に箸で摘まんで一つずつ載せる膳だ。

膳は肴当番が作られたすべてを盛ることはない。

残すのが作法で、肴当番に戻すという。



その頃には神事が始まった。

村神主、神社役員が本殿に向かって祈る植付け神事は田植えが無事に終えたと氏神さんに報告する行事である。

大塩の田植えは一か月前に終わっていた。

早生に代わった山間の田植え。

植付日待ちを実態に合わしてはどうかと意見もでている。

この日は午前中が道の清掃をしていた。

疲れがでたのか、参拝者は役員たちをいれて10人ほど。

いつものようにドウゲが差し出すお神酒を受ける。

肴の膳とともに1時間半ほどの会食だ。

始めに農休みの日を決められる。

昨年とほぼ同じような日にちを選んでみんなの前に申し出る。

実施日は了承を得て決定された農休みの日。

神野山にある神野寺の住職によって予め祈祷されたお札を川に流す。

これを虫送りだという。

天理市の山田や室生流域では田の虫送りといって火を点けた松明で虫を送っていく。

大塩の虫送りには松明は登場しない。

害虫退散五穀成就を願ったお札を川に流すだけだ。



例祭どおりのテゴク(手御供)でいただくセキハンで締められた八柱神社の祭神は神産日神、高御産日神、玉積産日神、生産日神、足産日神、大宮売神、御食津神、事代主神、建甕木槌神、伊波比主命、天児屋根命、比売神、素盞嗚命の神々である。

また、境内には「享保十年(1725)五月 八王子神社」の刻印が見られた燈籠もある。

昨年の9月11日に訪れたときのことだ。

数日前に大風が吹き荒れた。

その影響を受けてご神木が倒れた。

拝殿や社務所・参籠所に向けて倒れていった。

本殿を避けて倒れたからまだ良かったという。

倒木は拝殿の屋根角から社務所の屋根を破壊した。

ご神木の一部は空洞になっていた。

いつかはこうなるであろうと話していた。

そこに大風が発生したのである。

もう一本も倒れかけている。


(H23. 9.11 EOS40D撮影)

すべてを伐採して建てなおされた。

なんとか秋のマツリに間に合ったという。

その記録は参籠所に掲げられている。

この日に聞いた大塩の行事。

いつもお世話になっているY氏が語った。

5月に田植えをした。

その日は植え初め。

これをミトマツリと呼んでいる。

ツキノカズのダンゴを田んぼに持っていって供える。

ツキノカズノダンゴは閏年であっても12個だ。

フキダワラをどっさり作ってお盆の上に並べる。

野山に咲くツツジの花を添えるという。

フキダワラは香りが良い食べ物だと話す。

大塩には「ゲー」があるという。

「ゲー」はおそらく「夏」のことであろう。

墓の講の集まりで、お堂の前やらを掃除する。

「生きている神さんを祀る」という「ゲー」。

昔は8月10日であったが、現在は第一日曜日。

親睦会の集まりでもあるという。

昨年の夏にも訪れた大塩。

観音寺に集まってくる夏講は、掛軸を掲げて弘法大師坐像前で十三仏のお念仏を唱えていた。

Y氏が話す10軒で営む墓の講の「ゲー」とは異なるそうだ。

(H24. 6.17 EOS40D撮影)
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北白木虫の祈祷

2012年08月22日 06時39分24秒 | 桜井市へ
村の人たちが松明を持って田の虫送りをする地域は限られている。

県内では天理市の山田町や室生の笠間川流域の地域や都祁の小倉では今でも行われている行事だ。

山添村で唯一行われている切幡もある。

虫を送るのは松明の火がつきものと思っていたが、そうではない。

虫を殺生して供養する寺行事もある。

祈祷されたお札を地区の境界に挿しておく。

それで虫を送ったということになる。

また、念仏を唱えて虫を供養するだけの行事もある。

虫送りの行事は地区の在り方によって、実にさまざまで、多彩な様相を示す。

山間にあたる桜井市の北白木では虫の祈祷と称して太鼓と鉦鼓が打ち鳴らされる。

田植えを終えた前月の25日には神社に集まって植付祭を営んでいた。

その日はエンドウのマメゴハンを供えていた。

料理はパック詰めだったという。

梅雨入りした直後のこの日は台風の影響を受けてだろうか、本降りになった。

雨が降っても降らなくても虫の祈祷が行われる北白木。

地区14軒の人たちは集会所に集まってきた。

以前は自前の弁当を持参しての営みであったが、手間がかかるからとパック詰め料理に代わった。

そのような状況になろうが、風呂敷に包んで持ってきた家のマメゴハンは本尊に供える。

ローソクに火を灯しての会食である。

それぞれのお重に詰められたマメゴハン。

炊き立ての豆の香りがこの場に漂う。

旬のもんだからというからエンドウマメ。

塩加減がほどよい味のマメゴハンだ。

村のことなど談笑しながら1時間半ほどは会食の場となる。

籠りと同じような様相は村のコミュニテイ時間である。

明日の晩は伊勢講の営み。

すき焼きで会食される。

その連絡もされる今宵の会食。



焼きシャケや自家製の漬けものなどもおすそわけ。

塩、味醂に出汁も入れて漬けこんだ漬けものはタマリ漬けのようで、パリパリしてとても美味しい。

いつもそうだが、白木の手料理は美味しくいただく。

その間の当番さん(ニンソクと呼ぶ)は食事を摂ることもなく接待に追われる。

そうして始まった虫の祈祷。

斎壇に供えられたマメゴハンは下げられる。

おもむろに取りだした太鼓と鉦。

大きめの鉦鼓を叩く人は本尊の前に立つ。

太鼓は移動することなく廊下に置いたまま打つ。



その太鼓と鉦鼓を打ちながら「ヤイト・・ヤイト・・」と唱える。

全員が揃って唱えることなく、数人の声。「ヤイト・・ヤイト・・」の唱和を打ち消すように太鼓と鉦鼓の音色が会所に響き渡る。

十回ほど唱えて虫の祈祷を終えた。

稲を食い荒らす害虫を退治して焼いてしまおうという「ヤイト」の唱和は祈祷、或いは供養の意味もある。

打たった鉦鼓の大きさは直径30cm。

厚さは8cmぐらいだ。

それには「和州○(添か)上郡小白木小切施主凡人 元禄十七甲申天二月十九日 京大○(住か)西村左近宗春作」と刻印銘が見られる。

元禄十七年(1704)に寄進された鉦鼓は300年以上も虫の祈祷で遣われ続けてきた。

作者は「西村左近宗春」だ。

江戸中期(から後期)にかけて活躍した名匠である。

「西村左近宗春作」の銘名で思い出したのが、法蓮町会所で行われた阿弥陀講の数珠繰りの鉦。

法蓮ではかつて「アマヨロコビ」の際にも打っていた鉦には「法蓮村會所 京大仏住 西村左近宗春作」とあった。

遠く離れた法蓮と北白木が一本の線に繋がった。

経緯はまったく判っていないが、歴史を物語る両地域の鉦鼓の存在。

調べてみれば県外各地に「西村左近宗春作」の鉦があるらしい。

宝永八年(1711)、享保十五年(1730)、寛政十一年(1799)に亘る年代期。

京の仏具師であった西村左近宗春(寛永;1624~かも)の作鉦を拝見できた虫の祈祷。

かつては牛の角を赤く染めて連れてきたという。

(H24. 6.16 EOS40D撮影)
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花挿し虫除け

2012年08月21日 06時40分25秒 | 大和郡山市へ
苗代の花挿しを見つけた翌月13日。

山田原コニュニティセンター付近を通過していたときだ。

この辺りは田植え作業の真っ最中。

数軒の農家の人たちが忙しく機械で田植えをしている。

通過中だったので話しを聞く機会を逃したが、畦付近にエブリが目に入った。

花を挿していた苗床から運び出す婦人もいた。

車中から頭を下げる。

そうだ、一か月前に見つけた苗代の花挿しを聞かねばならない。

今日の機会を逃せば来年になってしまう。

仕事を終えて再びやってきた。

その1時間前までは機械で代掻きをされていた。

その田んぼもおそらく田植えをされるであろうと思っていた。

到着したときはまだ始まっていなかったが、苗床を一つ一つ代掻きをされた田んぼに移されていた。

どういうことだろうと思い尋ねてみた。

そのまま放置しておけば苗は乾いてしまう。

それゆえに田に戻されたのだ。

さて、苗代の花挿しのことだ。

お聞きすれば農業を勤めていた父親がしていたから続けているという花挿しだという。

花を挿すというだけで名はない。

豊作を祈る花はこうして継承していると話す婦人。

ご主人とともに田植えの作業をしておられたのだ。

ちなみにイロバナと呼ぶのは仏壇に供える花だという。

この地は山田原。矢田町に属する。

この辺りの区域分けがどこに線があるのか難しい。

矢田町の北側は矢田坐久志玉比古神社が鎮座する辺り。

横山、東村、北村、中村などなど。

南の端がここ山田原辺り。

南北2kmも亘る広大な地域である。

その間には矢田山町や泉原町があるだけに判らなかった矢田町エリア。

番地が少し違うだけでとんでもない地に行ってしまう郵便屋さん、宅配便泣かせの悩ましきエリアだと思った。

(H24. 6.13 SB932SH撮影)
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田中町甲斐神社の行事

2012年08月20日 07時39分17秒 | 大和郡山市へ
帰り道はあっちこっちと気ままに自転車を漕ぐ。

小南では田植えをしていた家が3軒あった。

苗代で育てた苗を運び出す軽トラ。

そろそろ行かねばと用意しだした元自治員長。

田植え機を動かしてきた。

機械は年にいっぺんしか使わないという奥さん。

トラクターは何度も稼働するが、稲刈り機も田植え機も年に一度だけ。

借りることも考えられるがどことも忙しい時期だけにとてもじゃないけど、と話す。

その田植え機も10年目。

動かし始めたらキーキーと音がしたそうだ。

小南の神社行事は度々取材している。

大判になった写真は拝殿に掲げているとTさんは云う。

ありがたいことだ。自治員長を10年も勤めた。

その足で田中町を通り掛けたときだ。

ギューインの音が聞こえたY家。

奥さんや手伝いともどもなにやら作業をしている。

丸切りした竹をせっせと洗っている。

東京の神社から依頼された竹の杓子作り。

一年間で4000個も作っているという。

杓子は2種類。

底があるのと無いのが2種類。

なぜに・・・。

その神社は子授けの神社だという。

子供がいらん人は底無しで、欲しい人は底有り。

間竹を伐採して伐り出す。

それを一つ一つ丸伐りにする。

節が有るのが底有りに使う。

柄を通す穴を開けて奇麗にする。

柄はベルトグラインダーで削って奇麗にする。

手元のほうは平面にする。

そこに神社名の判を押すという。

この日は緊急で50個の要請があって作業をしていると話す。

いい機会だから、気になっていた「さなぶり」を尋ねてみた。

その言葉は聞いたことがあるが甲斐神社の行事には見当たらない。

行事は見られないが、おそらく6月半ばの農休みのことだろうと云う。

その日は一切の農作業をしてはならん日だという。

甲斐神社の行事はお田植祭だけではなく数々の年中行事がある。

自治員長時代に参照していた資料を拝見した。

湯花神事が四つもある年中行事。

資料には湯花神事と書かれているが「湯焚き」と呼んでいる。

3月の春祭りのお田植祭り、7月には代々とも呼ぶ夏祭り、8月は七日盆とも呼ぶ祖霊祭、9月の八朔、10月の秋祭りの宵宮だ。

五つあったのだが春祭りは止められたようだ。

湯焚きは巫女によって行われる。

三郷でもなく若槻でもない。

小泉神社宮司の奥さんの妹さんだそうだ。

その娘さんは橿原市の葛本町に嫁入りされた。

旦那さんは神職になられた。

その神職がお田植祭において神事をされるのだ。

それはともかく湯焚き神事には二人の男が給仕を勤める。

以前は4人だったそうだ。

歳の順から下っていって勤める4人。

中学生まで下ってしまったことから2人に改定されて、今は大学生の年代。

四つの湯焚き給仕を勤めた年の秋祭りに自治員長によって慰労される。

大、中、小の盃に入れた酒を飲む儀式とされる。

どうやら三三九度の儀式のようである。

それが村入りの儀式。

年齢的に考えれば元服の式典と思われる。

2月は節分行事。

額田部や新木で行われている豆交換がある。

予めイリ豆を拝殿に撒いておく。

そこに参拝する氏子は持ってきたイリ豆を撒く。

そして撒かれてあるイリ豆をたばって帰る。

これを繰り返す氏子参拝の節分豆。

大和ではこうした節分の有り方が少なくない。

8月7日は祖霊祭。

七日盆と呼ぶ行事だ。

七日は盆入り。

念仏は唱えることがないが、どことなく気になる行事であると話せば、返ってきたのは弁当喰い。

祭礼を終えた夕刻に自宅でこしらえた弁当を持っていく。

拝殿でゴザを敷いて各家が食べるという。

どことなく、「ヤマモリ」とか「むかしよみや」のように思える風習である。

9月の八朔では祭典後に秋祭りの御幣作りの日が決定される。

自治員長、氏子総代らの3本の御幣を作る。

その御幣は持ち帰って家に奉る。

その御幣の板は厚め。

家を新築とか建て替える場合の長押(なげし)に使うという大切な御幣の板となるのだ。

祭典はいずれも一老(鎌で畦草刈り)、二老(畦鋤)、三老(鍬耕し)、四老(大豆の畦撒き)、五老(籾種撒き)の五人だ。

お田植祭の作法を勤める。

ちなみに座老たちの所作の後で神楽を舞うのは稚児が演じる巫女神楽である。

神事で舞う巫女のお神楽も同じ稚児である。

大和郡山の行事取材はまたもや増えていく。

いつになったら終えるのだろうか。

(H24. 6.11 SB932SH撮影)
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