マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

下笠間・T家のカドマツリ

2017年09月26日 08時53分09秒 | 宇陀市室生へ
Ⅰ家の隣家になるT家も立ち寄ってみる。

T家もオンボサンを立てているが、奥さんはカドマツリと呼んでいた。

Ⅰ家もT家も伊勢講の講中。

平成21年の12月13日に訪れて、6軒で営みをされていた伊勢講を取材させてもらったことがある。

T家はそのときの送りのヤド家だった。

ご主人は正月のお酒を飲み過ぎて寝ているらしい。

久しぶりなので、お声をかけたいが、かけることもできなくて奥さんにお願いするカドマツリのお話し。

Ⅰ家と同じように3本立て。



オン松、メン松に雄のカシの木を立てる。

雄カシの木の本数は家の男の人数でもあるし、おれば2本だということも。

逆に男が居なければ1本にするという。

このカシの木は家によって異なるようだ。

ホウソの木をする家もあれば、葉の無いクヌギの家もある。

また、雌カシの木をする家もあるというから多種多様のようだ。

三本通しの注連縄を張っているところもカシの木の巻き付け方も、太めの注連縄もある。

昔の松は5段であったという。

段は徐々に減っていって3段。

それから今日の2段になったそうだ。

近所の家では1段で先っちょだけの家もあるらしい。

太めの注連縄には蛭子さんのタイを架けたというからカケダイであろうか。

家のエビスサンに供えているのは生のカケダイという。

生のカケダイは初めて聞くが、当初は、ということであろうか。

串にさしているというから特徴的ではあるが、拝見はできなかった。

干したカケダイはと話題は続く。

そのカケダイは魚屋さんで買う。

昔は桶を担いで村に売りに来た行商から買っていたという。

カケダイの昔。

田籾を蒔いたときのミトマツリ(水口祭り)に食べた。

時期が来て、田植えをする日(植え初め)にも食べた。

その都度に食べたというから2尾だった。

そう、カケダイは2尾の一対腹合わせが特徴なのである。

話しをしてくれた食べる時期は農作の節目。

田植え初めにフキダワラをこしらえていたという。

拝見はできなかった床の間に供える正月祝いの鏡餅の膳は餅にクシガキ、トコロイモ、クリ、コウジミカン、お頭付きタツクリに昆布を供える。

この7品目は家のいろんな処に供える。

雑煮もお神酒も供える元日。

昔の正月は二日間の朝、晩にお節を食べる。

ヒル(昼)はヌキみたいなものだったという。

ちなみにコウジミカンは村に行商に来ていた売り子さんから買っていたという。

今では売りにくることはないから、購入するのは難しいようだ。

ちなみに「オンボサン」の呼び名を聞いたことがある。

平成24年の11月23日に訪れた山添村大塩のKさんが話した「オンボサン」である。

「正月の雑煮を炊く火点けはフクマルの火。雑煮はカシライモ(頭芋)。キナコに塗して食べる。カシの木はヒバシにする」と云っていた。

そのカシの木のことを「オンボサン」と呼んでいたことを思い出した。

その証言に感じる「カシの木」である。

オンボサンではないが、オンボダケの表現があったのは曽爾村の伊賀見。

平成3年11月に発刊された中田太造著の『大和の村落共同体と伝承文化』の記事である。

伊賀見のトンドはかつて1月15日の朝だった。

伊勢湾台風襲来による被害があった。

川原に生えていた竹が消えて取りやめになったが、そのトンド組の芯に真竹を立てる。

これをオンボダケと呼んでいた。

また、このオンボダケに書初めした書を括り付けて、灰が高く昇ると手が上がるといって喜んでいた。

燃えて最後にアキの方角に倒すオンボダケ。

割って持ち帰り、味噌樽の上にのせて置けば味噌の味が落ちないとあった。

こうした民俗事例から判断するに、「オンボ」とは心棒。

例えば家長も家の心棒。

重要な位置についている諸々に威厳さをもって「オンボ」と称したのかもしれない。

(H29. 1. 1 EOS40D撮影)
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下笠間・I家のオンボさん

2017年09月25日 09時34分14秒 | 宇陀市室生へ
正月行事の在り方もさまざま。県内各地を渡り歩いて調査していたが、午前中いっぱいの時間まで。

「うちの家の正月は何時になったら始めるんや」の声が取材地まで届きそうな気配がする。

できる限りのことだが、同行する写真家のKさんに観ていただきたい民俗事例がある。

山添村松尾のイタダキから天理市福住や室生小原のカンマツリもそうであるが、室生に来たなら下笠間と思って足を伸ばす。

下笠間にはこれまで幾度となくお家の民俗を撮らせてもらったお家がある。

その家は正月の膳はあるし、竃にもお供えをする。

エビスダイコクさんにはカケダイも吊るしている。

もう一つは県内事例で他所には見られないオンボさんの門松立てがある。

元日の朝から突然の訪問に驚かれることだろう。

お年賀も準備した表敬訪問である。

実は気になっていたのがご夫婦のお身体だ。

前年の平成28年5月21日に訪問したときの奥さんは腰痛で難儀しておられた。

その後の状態は克服されているかもしれない。

ご主人はお元気な様子だったが気になる年齢である。

今年もオンボさんの門松を立てておられたのでほっと安心した。

I家のオンボさんを拝見したのは平成25年の12月31日

慌ただしい大晦日の日に取材させてもらった。

オンボさんの存在を初めて知ったのはその年の1月11日だった。

オン松、メン松にカシの木の三本を立てる。

注連縄を張って、カシの木には長くなった注連縄をぐるぐる巻き。

ウラジロにユズリハもあれば、幣もある。

なんとなく注連飾りの発展型のようにも思えるが、「オンボ」さんとは一体何ぞえ、である。

オンボさんの祭り方は、今もかわらないので平成25年取材の記事を参考にしていただきたい。

オンボさんを先に拝見して表の玄関から声をかける。

屋内から聞こえてくる奥さんの声。

扉を開けたら玉手箱、ではなく私であるから驚かれたことであろう。

年賀の挨拶をさせていただいて玄関に入る。

ご主人は奥の居間で寛いでいたが、身体を壊されていた。

交通事故に遭われて手術もした。

気力も衰えていながらも炬燵から出ようとされたので、無理しやんといて、と思わず静止した。

なんとも、辛い正月の顔合わせになってしまった。

奥さんの腰痛も治ることはないという。

不自由な身になってもお家の正月飾りをしているご夫婦にただただ頭が下がる思いだ。

奥さんは昔も今もよく話してくださる。



「戌亥の井戸の若水をいただく。薬を飲むときは朝に飲め。若水に注連縄に餅とコウジミカンを供える。家の神さんにも仏さんの水にも井戸の若水。すべての椀に入れる」という。

Ⅰ家に立ち寄る際に必ずといっていいほど竃を拝見させていただく。

今でも現役であるが、そこにある大鍋の蓋にたいがいの場合にお供えをおましている。

節目、節目に竃の神さんに捧げる御供であるが、この日は当然ながらの鏡餅。

三段重ねの鏡餅は暮れの28日に家で搗く。

例年そうしているⅠ家である。



「いつもニコニコ仲睦まじく」の10個の干柿を串挿ししたクシガキにトコロイモ、ゴマメ。オンボさんと同じようにウラジロに輪〆の注連縄で奉っている。

これらを丸盆に載せている。

その隣にも丸盆。

いつの時代も湯飲みを三杯置いている三宝荒神さんのお正月である。

奥さんがいうには「三宝荒神さんはすべてが三つ。餅もトコロイモもコウジミカンもクリも皆三つ」である。

そこへもってもう一つのお供えは元日と十五日のお酒である。

イタダキの正月の膳は床の間。

療養中のご主人がおられる居間は遠慮して、ダイコクサン(大黒)とエビスサン(蛭子)のお供えを拝見する。

これは必ず見ておかないといけないカケダイ。



年末にカケダイを作って販売している宮崎商店さんのカケダイとの比較である。

宮崎さんに聞いて始めて知ったⅠ家のカケダイは商店で買ったものではない、ということだ。

それを再確認したくて撮らせてもらった。

造りはよく似ているが、なんとなく違う雰囲気をもつが、ツノムスビ(角結び)は同じ結びのようだ。

後方に吊っている注連縄はたぶんにご主人が作られたものであろう。

どことなく違うのは藁の形作りである。

カケダイの鯛はたぶんに真鯛。



横にある赤い色の幟旗に三重県の「名張八日市蛭子祭」の白抜き文字。

2月8日は「えべっさん」の祭りで大賑わいする祭りの日に買ってきたもの。

奥さん曰く「カケダイは昨年のもの。

名張で売っていたものを買ってきた」というから間違いない。

ちなみにダイコクサン(大黒)とエビスサン(蛭子)のお供えはカケダイだけでなく下にもある。



コウジミカンにクシガキにトコロイモ。

餅は2枚である。

傍にはトーフとズイキの煮物も添えていた。

(H29. 1. 1 EOS40D撮影)
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下笠間の売りものの角結びカケダイ

2017年08月28日 09時45分14秒 | 宇陀市室生へ
当月の1月に下ごしらえをしてベランダ干し。

日にちも経っていたからカラカラに乾いていたカケダイ。

それからの寒風に晒してさらにカラカラ干し。

年末近くになれば売り物にするための角結びをすると聞いて再訪した。

カケダイを作って売り出すお店は宇陀市室生下笠間の宮崎商店。

同商店でカケダイを作って販売していると知ったのは、この年に行われた虫送りの日だった。

入店したお店の神棚に吊るしてあったカケダイを見て驚いたものだった。

作るところ、干すところなどの作業場面を記録させていただきたいと取材をお願いしていた。

同商店をはじめて知ったのはそれよりもずっと前。

平成17年の6月16日だった。

虫送り行事のことについて情報を得たく入店したお店であった。

玄関ドアガラスに何かしかの印があったが、気にもとめなかったのでそれが何だったのか、まったく記憶にない。

朧気ながら脳裏にあるのはお札だったような気がする。

それから県内各地でさまざまな民俗行事を取材するようになってからはお札が目に入ればついつい写真に記録する癖がついた。

商店に着いたときのご主人は畑から引いてきたダイコンを洗っていた。

3本とも見事な形に育ったダイコン。

悩ましい姿のダイコン足だけではなく、仏手のように見えるダイコンもある。

見ていて飽きないダイコンの姿に思わずシャッターを押す。

作業する場はベランダ下にある小屋である。

案内されるご夫婦についていく途中に拝見した干し物。



皮を剥いて半割りした種付きの柿である。

渋柿もこうしておけば美味しくなる。



隣の籠は熟しの柿に蜜柑。



家でできたこれらは家で食べるもん。

商売には出していない。

売り物にしているのは階下の作業場にある棒ダラである。



何日間も水に浸していた棒ダラである。

今年は5尾を買って製品化している。

お客さんに売るものもあるが、我が家の正月に食べるものもある。

カラカラ状態の棒ダラを購入したら、とにかく水溜めに漬け込んでもどす。



棒ダラは炊き方が難しいという。

一日たっぷり時間をかけて炊く。

味付けは本だしにコブ(昆布)を使う。

箸で突っついて柔らかくなってから味付けする。

棒ダラの仕入れ先は奈良県中央卸売市場。

北海道で捕れたタラは11月ころにここで乾燥させる。

タラは10本、11本、12本入りで売っている。

近頃は棒ダラも高くなった。

だいたいが半身で買う。

上等もんであれば半身で8千円。

一尾であれば1万3千円にもなるという。

棒ダラは家で炊いてコブ(昆布)巻きにする。

10cmぐらいの長さに切って昆布を巻いて作る個数は100個。

棒ダラとカズノコさえあれば正月三日間を暮らせるとご主人はいう。

正月用に作る一品はもう一つある。

魚のエイである。

これもまた卸売市場から仕入れる。

その量は50kgにもなる。

仕入れたエイの内臓を取る。

タワシでこすって取り除いた内臓部を綺麗にする。

昔はそうしていたが、今は内臓処理をしたものを入手しているという。

エイを食べるのは正月。

煮凝りも欲しいから作る。

この煮凝りがたまらなく好きなお客さんもおれば、アツアツご飯にのせて食べたらとても美味しいという人も。

そういう人にも応えてあげたいから毎年作ってきた。

昔は匂いがキツく臭かった。

いわゆるアンモニア臭である。

ヌルヌルしているエイは塩を塗して揉む。

よく揉んでヌルヌルを取る。

そして水洗い。

それから甘辛く味付けして鍋で炊く。

甘辛いではあるが、どっちかといえば辛いエイの味。

調理されたエイはお店で販売する。

そのような正月用の調理商品作りを交えながら作業をされるご主人。



ベランダで干していたカケダイを降ろす。

カケダイは2尾で1セット。

この1セットを「ひとかけ」と呼ぶ。

売るときもそうだが、「ひとかけ」と云えば2尾の1セットである。

以前は竹の竿を水平に立てた「ハサ」に干していた。

イヌワラをエラから口へ通してツノムスビ(角結び)。

ツノムスビにすれば藁縄は緩まない。

「わしらはどこでも、いつでもツノムスビや」という。正月飾りの門松はオン松(雄松)とメン松(雌松)揃って一式。

門松を立てる心棒に杭を打ち込んで松を固定する。

そのときもツノムスビをしているという。

だいたいが12月28日にしている門松飾り。

ご近所のⅠさんは注連縄を作る。

御幣はご主人と決まっているようだ。

「こんな結びは若いもんはできんやろな」という。

そのⅠさんの家にあったのがカケダイだった。

拝見したのは平成22年1月4日である。

見て撮ってくれてかまわんよと云われて撮らせてもらった。

丁度そのころの28日、29日にお客さんがカケダイを買いにくる。

の有無確認に電話がしょっちゅう鳴る。

まだか、まだか、と催促する人もいるらしい。

カケダイにする魚は真鯛だった。

それは昔の話し。

今はニュージーランド産の冷凍レンコダイ。

11月のかかりに仕入れた。

エラを抜き取って内臓も取る。

塩を内蔵に詰め込んで漬物樽に漬け込む。

樽底に置いて並べる。

塩もして置いて並べる。

何層にもなったという塩漬けである。

10日ほど経てば水が湧いてくる。

湧いた水はほかして樽に移す。

その樽でもう一度塩漬けにする。

その場合のカケダイの置き方は表面から裏面に替える。

つまりは両面とも塩漬けするようなものだが、実は出してみればわかるのだが、塩漬けしていた裏面はまだ赤身状態なのだ。

干す前の作業もずいぶんと手間をかけていたことを知るのである。

表も裏も塩漬けしてようやく樽から出す。

それから干す作業に入る。

干す日に冷たい風がないとなかなかできない。

寒いだけではできない。

風が吹かないとカケダイができあがらないのである。

カケダイにツノムスビ(角結び)をする縄は市販のロープである。

その縄をエラから口に通すのであるが、なかなか上手いこと通らない。

そこで登場するのが竹で作った通しの道具である。



節目がある先端は先を尖らす。

手で押し込む側は二つに割っている。

割った部分にロープの先を挟む。



挟んだロープが外れないように指で割いた竹を抑えながら通す。

かつては竹でなく金属製のハサンバリだった。

炭焼きの道具にそれがあったらしい。

金属製よりも竹製の方が柔らかいから手に馴染む。

1尾に通したロープの長さをとる。

ツノムスビができる長さに合わせて鋏を入れて切る。

もう1尾のカケダイにもロープを通す。

同じようにエラから口へと通して腹合わせ。



ロープの位置を調整してモチワラを取り出す。

2尾のエラの中に食い込むように揃える。



親父さんもこうしていたが、なぜにそうするのか聞いていない。

型崩れを防止しているのか、それとも飾りなのか・・・わからないまま続けているという。

モチワラ挟みが済めば、本格的にツノムスビをする。



カケダイに回すようにロープを締める。

ぐっと締め付ける。



一方のロープは逆に回して二本のロープを綺麗に揃える。

ぐっと締めて弧を描くようにロープを回す。



さらに締めてもう一本をくるりと回して締める。

結び目ができてさらにぐっと締めつける。



ロープの端をもって、これもまた円を描くようにロープ締め。

言葉ではなかなか説明し難いツノムスビである。



注連縄もカケダイもツノムスビも、本来ならモチワラである。

モチワラは茎が長いし、粘りもあって結いやすいといいながら作業を進める。

余った端っこは鋏で切る。

これでできあがりだが、最後にエラ挟みのモチワラを切る。



2尾のエラを中心にはみ出たモチワラを切る。

ほど良い長さがバランスをとる。

今までみたなかではどうやらカケダイの端から少しでるくらいが丁度いいように思える。

昔は40カケ(ひとかけの40倍分)も作っていた。

それだけ需要があったということだ。

どこの家でもそうだが、長年続けてこられた家の風習も先代がいなくなれば代を継ぐことは稀である。

今年は8カケになってしまったという。

山添村岩屋に住んでいたFさんもカケダイを作っていたという。

同じように竹を割ってエラ通しをしていたそうだが、竹割りは半割りか四つ割りだった。

Fさんが作っていたもっと大きなカケダイだったが、鯛ではなかったようだ。

それは食べるカケダイ。

カラカラに干したカケダイは下笠間のⅠ家のように恵比寿・大黒さんに供えるものだが、食べる場合は5月のモミマキのころ。

一尾のカケダイを水出しする。

時間をかけて塩漬けしたカケダイの塩分除去。

きっちり塩抜きして食べていた。

今では食べることもなくなってきたからレンコダイも小さくしたようだ。

(H28.12.26 EOS40D撮影)
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下笠間の売りものカケダイ干し

2017年08月08日 08時34分50秒 | 宇陀市室生へ
半年前の6月19日ことだ。

虫送り取材に訪れた宇陀市室生下笠間に入店したお店にカケダイと巡り会った。

カケダイは干したもの。

腹合わせした2尾の干し鯛は太い藁をエラから口に通して吊っていた。

その姿は同地に住むⅠ家で拝見したことがある。

写真を見れば腹合わせというよりも口合わせのように見えるカケダイに驚いたものだった。

ダイコクサン(大黒さん)、エビスサン(恵比須さん)の神棚に供えていた民家のカケダイと同じように吊っていた。

6月に店主から伺っていたのはこのカケダイは手造りであることだ。

12月になれば寒くなる。

尤も今年はすでに何度かの木枯らしがやってきた。

やってきたものの天気は良くなったり雨が降ったりであった。

そんな日々であるが、もしやと思って訪問した。

お店におられたのは店主の奥さん。

話しによればたった今、出かけたという。

なにかと忙しい店主のようだが、今年はベランダで干していると云われたので、ご無理を云って上がらせてもらった。

なんも掃除をしていないのでと申し訳なさそうに話されるが、ありのままの状態が民俗そのもの。

それで良いのである。

ベランダは古くもなくどちらかと云えば最近の造り。

ベランダ床も家壁も真新しい。



金属竿にナイロンロープでぶら下げたカケダイがずらりと並ぶ。

壮観な姿に思わず生唾を飲む。

これこそ民俗の姿に感動してシャッターを押す。

大小あるが、それぞれの鯛は腹合わせ。

こうして干すには事前の作業がある。

中卸しに頼んで仕入れた生鯛は腹だしをして塩漬けにする。

漬物樽に仕込んで塩漬け。

何日もかけて漬けこんだ鯛を取り出して紐で吊るす。

塩漬けした鯛は尻尾から汁を垂らす。

昨年にしたときはそれに気づくのが遅れた。

垂れた塩漬け鯛の汁が一滴、二滴。

ぽたぽたとベランダ床に落下した。

布巾でふき取ってもなかなか取れない。

汁痕は生魚の匂いが残るからなかなか取れなかった。

それまでは庭というか地面に立てた竿に吊るしていた。

垂れた汁は地面に埋もれるから痕も匂いもない。

そのつもりで仕掛けたらそういうことになった。

反省された今年は下に発泡スチロール箱を据えた。

距離があれば垂れた汁の跳ね返りが辺りに飛ぶ。

これもやっかいと考えて黒いゴミ袋を箱下に仕掛けた。

端っこを紐で括って竿に結ぶ。

こうして出来上がったカケダイの干し場。

拍手したいぐらいの方法であるが、寒風が吹かないとデキがよくないらしい。

今年の天気は実に難しいという。

2尾でワンセットのカケダイはこの場に10セットも吊るした。

購入する人は高齢者ばかり。

正月の歳神さんを迎える在り方は80歳以上でないと誰もしないだろう。

それ以下であればたぶんに関心がないだろうが、いつまで続けられるや、と云った奥さんは注文がある限りという。

注文は予めする人もおれば突然にやってきて買っていく人もあるらしい。

逆に注文されていて来なかった場合もあるという。

忘れてはったのか、それとも・・・。

家人医引き継ぐものがない高齢者であればいつしか途絶えることになるだろう。

ちなみに購入者はここ下笠間で数軒。

隣村の山添村毛原や岩屋の人も引き合いがある。

何度か訪れる民俗行事取材の際に一度聞いてみたいカケダイの風習。

ところで買っていく人によっては田植え前にカンカンに干したカケダイは塩出しして食べているという。

うちの旦那さんの誕生日に売り物のカケダイをたっぷり水に浸けて塩出し、焼いて食べたのはご主人であるという。

買ったある人が云った。

塩出ししなかっても猫は食べる。

病気になると思ったが、猫は喜んであっという間にたいらげたそうだ。

ところでカケダイを作って売っているのはこのお店だけでなく県外の三重県にあるという。

県外と云ってもここよりそれほど遠くない名張市にあるらしいが、お店はわからないようだ。

の名張市に年に一度のハマグリ売りにも店主が行っているという。

2月8日のえべっさんの日。

安くて美味しいと評判のハマグリ売りは市がたつほどの賑わい。

機会があれば出かけてみたい。

話題が尽きない下笠間のカケダイ話し。

話しが長引いて夕方5時の村内通知の鐘の音が聞こえる。

その数秒前には私の携帯電話が同時刻の合図をする。

その音は・・といえばウグイスの鳴き声。

かつて仕事をしていた関係で設定していた。

館の利用者に悟られないように設定していたウグイスは患者さんを送迎していた時間帯にも鳴いた。

昼の時間になればそのときも・・・。

車の外やろか、ウグイス、あれぇ、である。

5時の時報から少しずつ脱線してしまった。

12月に入ったこの日辺りの日の入りが一番早い時期であると天気予報士がテレビで伝えていた。

そのことを聞くまでは一番早いのは冬至の日だと思っていた。

実はそうではなかったことを知るのである。

この日の奈良市の日の入り時刻は午後4時46分。

ここ数週間はとにかく日が暮れるのが早くなったと思っていた。

自宅におれば雨戸を閉める時間が早くなるのである。

夕方5時の前。

辺りはもう真っ暗。

雨が降る日はもっと暗い印象があるから、ついつい雨戸を締めてしまう。

テレビが伝えた本日の日の入り時刻がそれを物語る。

ただ、その予報によれば11月28日から12月11日の期間がそうであるようだ。

(H28.12. 1 EOS40D撮影)
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室生染田・野鍛冶師の発注受け農具

2017年07月16日 07時01分24秒 | 宇陀市室生へ
野鍛冶作業の行程の実際を見せてくださったあとは注文順に並べた発注者農具の解説である。

この画像にはないが鉄製のタケノコ掘り道具もあった。

9月17日に訪れたときはそれもあった。

2カ月も経てばできあがり。

その代わりではないが、注文農具も入れ替わり。

DIYの店で売られているような製品もあれば昔からずっと使用してきた農家さんの農具もある。

鉄の部分は再生されて綺麗にみえるが、柄の部分は長年に亘って使ってきた風合いがある。

話しは戻るが鉄製のタケノコ掘りの道具は「テコ」である。

翌年に水口まつり取材に訪れる天理市の中之庄町の3人の農家さんの農具があった。

また同市別所町にも10数軒のタケノコ掘り農家があるらしい。

タケノコ掘りの時期は集中するから注文も集中するようだ。

タケノコ掘りの農具はすべてが鉄製のものもあれば、土に食いこめるテコ部分だけが鉄製の農具もある。

その場合の柄には差し込み口がある。

長さでいえばだいたいが20cm。

柄の長さは120cmになるそうだ。

ところで野鍛冶師は奥さんともどもテレビ出演したことがある。

平成28年10月1日に放映された番組はNHK放送の「ええトコ―体よろこぶ健やか旅-奈良県宇陀市―」だった。

そのおかげで農具の注文がすごく増えたという。

もう一品は草引き道具。



大手の花しょうぶ園で大量の注文があった。

前回訪れた際に一本をくださった草引き道具はとても使い易い。

翌年の春の雑草刈りに活躍してくれた。

また、隣に建てた蔵は農具の収蔵庫。



数は少ないが民具の私設博物館のようである。

(H28.11.11 EOS40D撮影)
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室生染田フイゴの祭り

2017年07月15日 10時08分45秒 | 宇陀市室生へ
2カ月前の平成28年9月17日

室生染田の田んぼで偶然に出会った田主さんは野鍛冶師。

毎度ではないが、何かと出会うときがある。

この日は退院してから9カ月目。

久しぶりに顔を合わす話の弾みに写真家Kさんの願いを叶えたくてフイゴの祭りの再取材。

これまで2回も取材させてもらっている。

1回目は平成18年11月8日

2回目は平成23年11月8日だった。

2回目に至る前年の平成22年。

その年の毎週水曜日に発刊される産経新聞の奈良版の連載。

奈良支局の依頼で始まった奈良県の伝統的な民俗を紹介するコーナーを受け持った。

連載は一年間。

シリーズタイトルは「やまと彩祭」であった。

執筆にあたって毎週、毎週の奈良の民俗をどういうものを季節に合わせて計画した。

意識したのはできうる限り、貴重な県内事例を伝えたい、である。

それより一年前の平成21年は人生にとって初の著書である『奈良大和路の年中行事』の刊行である。

編集・出版は京都の淡交社。

裏千家で名高い出版社である。

奈良支局から依頼されたときにすぐさま頭に描いたのは著書では紹介できなかった民俗行事である。

表現も新聞記事らしくしようと思って毎週の発行に合わせる行事を計画した。

そのひとつに挙げたのが宇陀市室生染田で行われているフイゴの祭りだ。

野鍛冶師がフイゴに感謝する記事を書きたい。

そう思って描いたのは大昔から今にも続く農耕の在り方である。

農具、民具は寄贈された民俗博物館などにカタチとして残される。

カタチで残された文化的所産物は有形文化財。

民俗文化財は衣食住、生業、信仰、年中行事などに関する風俗慣習、民俗芸能、民俗技術など、人々が日常生活の中で生み出し継承してきたモノモノ。
有形は「モノ」として残されるが、無形はいわば「流れ」。

固定化されたモノでもない。

時代、文化の興隆衰退によって変革する。

有形もそうであるが、無形分野を形で残すには写真、動画、文字・・などしかない。

私にできるのはそれしかないと思ってしたためた。

48年前。

私が卒業した高校は大阪府立東住吉工業高等学校。

選択した科は第二機械科である。

第一機械化は鋳物関係。

第二機械化は旋盤関係。

大きくわけるとそんな感じだ。

卒業してからずいぶんと日が経つが、体験したことは身体が覚えている。

機械科だからこそ同じ鉄を扱う鍛冶仕事を気にかけたい。

記事化に選んだ理由は機械科卒であるからだが、執筆する記事に誤りや食い違いがあってはならない。

したためた原案をもって染田の野鍛冶師さんにみてもらった。

大まかにいえば問題はなかったが・・・若干の指摘を修正し、記事になった。

平成22年11月7日に発刊された新聞記事は新聞社の校閲もあって読みやすく、わかりやすくしていただいた。

元原稿は手元に残している。

公開された記事と読み比べてみれば恥ずかしくも思う文である。

恥ずかしくもあるが、ここにそのままの原文を残しておく。

「弥生時代はより安定した生活を営むため水稲耕作が広まった。農耕具が木製から鉄器文化に移ったことが普及の一因で、それは小国家のクニの始まりであった。稲作鉄道具は荒地を開拓するのに適し、より広大な土地を耕すことで文化水準が一挙に高まった。その鉄農耕具に携わる生業、戦後まもない時期までは野鍛冶が村の花形だった。生活文化が変わり、農業生産は効率的な農機具に移っていった。今ではその普及によって、その姿を見ることが少なくなった。所狭しにさまざまな鍛冶師の道具が並んでいる。」

「鍛冶屋の仕事場は火床(ひどこ)。火を起こすフイゴや金床、金槌、ハサミ道具、万力、ボール盤、円砥石がある。ベルトハンマーが回転する槌(つち)打ち機械が動き、松炭でまったりと焼けた鋼(はがね)を取り付けた野鍬の先を叩きつけるハンマーの音。親爺さんから二代目を継いだ室生染田の野鍛冶職人は今でも現役。クワ・ナタ・カマなどを修理する野鍛冶仕事に精を出す。(※)焼けた鋼や炭の色で目利きするその姿は巧みの技師だ。四方に飛び散った火花は清廉で、真っ直ぐな線を描く鉄一筋の伝統技が生きている。

奈良県では戦後間もない頃、野鍛冶を営んでいた鍛冶屋は約2在所ごとに一軒というからそうとう多数あったそうだ。それが現在は僅か数軒になった。その鍛冶屋が信仰する祭りがフイゴ祭。新暦の11月8日に行われている。一日ゆっくりフイゴを休ませて、フイゴとともに一年の労をねぎらい鍛冶仕事に感謝する日だ。

田畑を耕す鍬や鎌は農業を営む人にとっては欠かせない大切な道具。鍛冶屋はそれを作り出したり、打ち直して機能を長持ちさせる職業で、農家とは密接な関係にある。」

「鍛冶屋にとってなくてはならない道具がフイゴ。火を起こし、風を送る。鉄工所を営む鍛冶屋はフイゴの前に神棚を用意して、里、山、海の幸の他に7品の神饌を供えた。フイゴを神のように見立てて「一年間、鍛冶仕事で家族を支えていただいたお礼と次の一年も商売繁盛になりますよう」手を合わせ感謝の気持ちを込めて祈願する。仕事場の四方や道具に洗米、塩、お神酒を撒いて、神式に則り2礼、2拝、1礼で拝んだ。」で締めた。

掲載された新聞記事文は無駄をそぎ落として読みやすくなっているのがよくわかる。

フイゴの祭りは昔も今も変わらずに続けてきた。

神饌を並べてローソクに火を点ける。

その前にあるのが野鍛冶師の仕事場。



フイゴ道具がある火床を祭る祝詞は神式に則り、「かけまくも十一月八日は、鍛冶職人のふいご祭りとして、ふいごの神様、火床の神様、金床の神様、もろもろ道具の神様。昨年十一月八日より本日まで、火難と災難なく平穏な一年を過ごさせていただき、誠にありがとうございました。また、本日より来年の十一月八日まで、火難なく大難を小難、小難無難にお守りくださることと、一家の商売繁盛と家内安全を賜りますよう御祈願申し上げます」を述べた。

ところで今回の取材である。

願っていた写真家のKさんは急遽入った仕事の関係でやむなく断念。

それとは関係なくもう一人の客人が取材に来るという。

現れた客人は本物の新聞記者であった。

記者は朝日新聞社の古澤範英氏。

FBでのトモダチの一人になる古澤氏は現役記者。

後日の11月27日に発行された記事を読ませていただいたら、さすがに構成が上手いなと思った。

しかもだ。朝日新聞はデジタル化されてネットでは動画も拝見できる。

シンプルな纏め方に、カン、カン、というか、トン、トン・・・一日千回。

坦々としている情景がとても素敵だと思った。

同じような表現はここではできない。

と、いうよりも、野鍛冶師が新聞記者に説明しながら野鍛冶をしている行程を撮ることに専念した。

記録した160枚余りの写真を選別。

この写真は産経新聞に取り上げることのなかった(※)印の<参考 工程概略>に沿って公開することにした。

1.炉とも呼ばれる火床(ひどこ)の火起こし。



  火起こしの燃料であるコークス(昔は松炭)を入れて着火する。



2.鍬の磨り減った部分に軟鉄を補充し火床で焼き金床の上でハンマーを打ち、平らにする。



3.ハガネを鍬先の幅に切断して取り付ける。

4.取り付ける接合剤は鉄鑞(てつろう)粉。

  鉄鑞は硼砂(ほうしゃ)やホウ酸、ヤスリ粉が用いられる。

5.火床(ひどこ)から焼けた鍬を取り出して、ハンマーで叩くと火花が散る。

  この火花は鉄鑞粉が焼けて飛び散っている証しで一回だけ発生する大火花(1,000℃)。

  この工程を<仮付け>という。

6.更に鍬を焼いてハンマーで叩く。



  これを<沸かし付け(本付け 1,200℃)>という。

7.もう一度同じ工程を踏んでハンマーで叩き鍬の形を整える。

  これを<のし打ち>といい、6回ほど繰り返す。

8.冷ました鍬をグラインダーとヤスリで仕上げる。





9.鍬の先を火床で焼き、水槽の中に入れ急冷する。(焼き入れ行程 800℃)



10.粘りを与えるため鍬先の鋼の部分を火にあてる。(焼き戻し行程)



11.ラッカーで色付けをした後、鍬に柄を付ける。(完成)



(H28.11.11 EOS40D撮影)
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野鍛冶師の商売道具

2017年05月17日 08時42分21秒 | 宇陀市室生へ
山添村の吉田から再び旧都祁村の小倉に着く。

そこからどこへ行く。

そうするかもなにも決めていない。

これといった行事はあるにはあるが、飛びつくほどの興味をみせなかった。

刻々と過ぎていく時間は旅行く村々の景観を眺めながら帰路につく。

小倉から室生の下笠間に出る。

そこからは川沿いに遡っていく。

小原から染田、多田、無山を経て旧都祁村の吐山、白石に出るコースを選んだ。

心地いい風が金色に染めた稲穂を揺らす。

通りがかった稲田は稲刈りを始めていた。

早稲であれば早い所で8月末の地域もあるが、だいたいが9月初旬から中旬までだ。

バインダーが忙しく動き回っていた。

この時期はまだまだ暑さが残る。

ほっかむりを被って稲刈りをしている男性はひょっとして・・・と思って車を停めてみる。

しばらく見ていた稲刈り作業。

この田んぼの持ち主は知っている。

平成22年5月8日に取材した田の作業がある。

育苗した苗を植えていく作業である。

親父さんは水田を均して息子さんは田植え機を操作して植えていく。

その場より家近くの田んぼでは昔にしていた手植えの田植えを・・。

その田植え初めに12本のカヤを水田に挿してフキダワラを供える。

そこには正月初めに祈祷したオコナイのネコヤナギを立てる。

これを「ウエゾメ」と呼ぶ。

「ウエゾメ」を充てる漢字は「植え初め」である。

親父さんは野鍛冶師。

11月8日に鍛冶屋さんの祭りであるフイゴの祭りを取材させてもらったことがある。

平成18年に続いて平成23年も伺ったことがある。

その野鍛冶屋さんとは旧都祁村の藺生町と小山戸町の造営事業でお会いしたことがある。

藺生町葛神社の造営は平成27年の10月11日

その一週間後の10月18日は小山戸都祁山口神社も出合った。

婚姻関係にある両村で出合うとは思ってもみなかった。

ところは代わってまたもやお会いしたことがある。

その年の12月13日だった。

まさかと思ったがそこは私が入院していた病院だった。

鍛冶屋さんも入院であったが退院直前のであった。

奇遇といえば奇遇な出会いであった。

その後の私は週一ペースで通院している身。

不完全な状態ではあるが、元気な姿になったことを伝えたい。

そう思って稲刈りしていた稔りの田に向かって歩いていた。

そのうちに気づかれた野鍛冶屋さん。

奥さんや息子さんにちょっと家に戻ると告げて招かれる。



作業場の前にはいつもと同じように順番待ちの農具が並んでいる。

注文は農繁期にくる。

こんな道具は見たことがないだろうと紹介してくれた鉄製の棒。

先端は直角に付いている鉄棒がある。

曲げたものではなく溶接でくっつけたものだろう。

これは何に使う農具なのかといえばタケノコ掘りとくる。

特殊な注文だったそうだ。

テレビなどで紹介されるタケノコ掘りの道具とはちょっと構造が違うが、いずれもテコを利用して掘る道具には違いない。

その横に立ててあった農具がある。

なんとなく構造は違うが同じタケノコ掘りのように思えた道具に注文主の名前が書いてある。

まあ、なんと、である。



存じている奈良市窪之庄在住の男性である。

平成24年6月5日に田植え作業を撮らせてもらった男性だった。

出会いというものはほんまに奇遇である。

ちなみにタケノコ掘りの道具は唐鍬と呼ぶ地域もあるようだ。

最近はこういう手のものも注文を受ける場合もあると動き出した。

腰を屈めて何をするのかと思えば雑草取りである。



室生の地にある広大なやすらぎの花園がある。

そこから受けた大量の注文。

一本あるからと云ってくれた。

後日というか後月の後月。

雑草が我が家の庭にもはびこる時期がくる。

だいたいが4月半ば辺りから目につくようになる。

5月辺りともなれば目を覆いたくなる。

放置すればするほど雑草刈りは難儀するから早めに北側の庭の雑草刈りにこの日貰った道具を使う。

丸い刃の先から根の部分に入れて土ごと掘り返すように刈る。

特に根っこの部分を当てて刈れば効果的。

ざっくり上がってくる雑草は手で掴んでゴミ袋行き。

とにかく使い易い野鍛冶師の道具だったことをここで報告しておこう。



尤も汗を拭きながら説明をしてくれる野鍛冶屋さんは元気である。



フイゴの祭りはこの場ですると説明してくださる。

この日、ともに行動していた写真家のKさんは是非とも取材させて欲しいと願われた。

今冬になるが、楽しみが一つ増えた。

(H28. 9.17 EOS40D撮影)
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下笠間の売りものカケダイ

2017年01月03日 09時36分51秒 | 宇陀市室生へ
I家を出てからも高台と登っていった。

時間帯は夕闇。

石垣に囲まれた情景を撮りたくてここに来た。

“住”をテーマに撮っておきたい石垣構えの民家である。

そこから街道に出る。

ふと気になった民家がある。

立ち寄った民家は村の売店だ。

随分昔のことだ。

何年だったか記憶にないが行事のことを尋ねたことがあるお店である。

ガラス戸を開けて入店した。

目の高さより上に・・。

商売繁盛のシンボルでもある招き猫がある棚に、である。



そこに吊るしてあった魚は鯛だ。

それも生きた鯛でもなく生鯛でもない。

干した鯛は腹合わせに2尾。

太い荒縄でエラ通し。

輪っかにした部分で引っかけて吊るしている形はまぎれもないカケダイである。

カケダイは先ほど表敬訪問したI家にもあった。

それとほぼ同じではないかと思ったできぶり。

それをカケダイと云っていたのがI家家の奥さん。

拝見したのは平成22年1月4日である。

見て撮ってくれてかまわんよと云われて撮らせてもらった。

やや下からのアンダー撮影なので比較し辛いがカケダイの様相がよくわかる。

このカケダイがこのお店で売っている。

この日は6月。

残り物であるのか聞きそびれたが、店舗にある招き猫を置いてあった棚に吊るしていた。

店主がいうにはカケダイは売りもの。

11月も過ぎた12月。

寒さが厳しくなったころに店で作っているという。

何枚作っているのか、これも聞かなかったが需要があるから供給する。

鯛の内臓を取り出して庭先で干す。

いわゆる寒干しである。

カラカラに乾けばできあがり。

その情景は是非とも撮らせていただきたい。

店主にそう告げて店を出た。

(H28. 6.19 EOS40D撮影)
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下笠間の虫送り

2017年01月02日 09時16分02秒 | 宇陀市室生へ
経過良好だがなんともいえない脈拍である。

相も変わらず安静状態であれば40拍前後。

身体を動かせば50拍を超える。

超えることは良いのだが激しい運動はできない。

民俗行事の取材は復活したものの動きが少ない行事を選んでいる。

そうはいっても出かけて状況を知ることも必要だが、お世話になった村の人に顔出しも必要だと思っている。

これまで幾度となく伺っている宇陀市室生の下笠間。

近隣の取材であっても時間があれば車を停めて顔をだす民家がある。

そうしたいと思って出かけたが、この日の行事は火を点けた松明を村境の場まで練って送っていくのだが、お渡りと同様についていくことは避けたい。

そう判断してこれまで拝見してきた場より少し離れて村から見ればどうなるのか、一度は見ておきたいと思って出発直前にやってきた。

村の集落は出発するトンド場よりも高台にある。

道路に面した場にも家々があるが、ほとんどが高台である。

そこから眺めたい下笠間の虫送り。

九頭神社裏から行きかけたが、目に入ったのは村の消防車である。

赤い色で塗装された車両は3台。

うち2台が消防車である。

今か、今かと出動時間を待っている。

そこを通り抜けていった自転車乗りの男性。

先に枯れた杉の葉を詰め込んだ竹製の松明を肩から担いで走っていった。

それを追いかけるかのように出発した村の消防団には消防道具などを管理している倉庫のような建物がある。

造り構造はどの村にいっても同じような形である。

内部に火消し道具があった。

奈良県立民俗博物館の企画展に「私がとらえた大和の民俗」がある。

平成28年のテーマは“住”である。

そのテーマを受けて私が挙げたテーマは「火の用心」だ。

「火の用心」に欠かせない初期消火活動がある。

それは住んでいる地域の在り方である。

10月の展示には発表するが、火の用心のお札や消防バケツなどを紹介するつもりで情報やデータを整備しつつある。

なかでも火消し道具も紹介したいと考えていた。

地域を火災から守ることも大切だが、火の手が上がれば消防団の登場。



消防車は当然であるが、火消し道具も重要だ。

ここに居た機会は逃さず写真に納めておいた。

あんばい見ている時間もないので撮るだけにしたが、これはなんだろうか。

代表的道具の「とび口」は形で判るが桟に架けている他の道具は見たことがない。



輪っかのような形をもつ道具はどういう場合に使うのか。

それも知りたいものだ。

そろそろ出発時間が迫ってくる。

高台に向けて歩きだした。

そこへ走ってきた自動車。

運転手のお顔はわかる。

その人も私がわかったようで車を停めてご挨拶。

久しぶりにお会いした春覚寺住職のSさんだった。

これより直行していたのは虫送りの先頭役を務める僧侶。

住職がいなければ虫送りは始まらない。

ご苦労さまですと云って見送った。



街道に松明をもっていく家族連れもおられる。

小さな子供が大きな松明を持っている。

いざ、出陣である。



高台からは親父さんかお爺さんについていこうとして下っていった子供たち。

松明をもつまでにはもう少しの成長を要するようだ。

とんど場には続々と村の人たちが集まってきた。

下笠間の山々に霞がでてきた。

じっとりした湿度が高い日である。



オヒカリに松明を寄せて火を移す。

枯れた杉葉に火が点いてメラメラと燃えだした竹で編んだ松明。

それぞれがそれぞれの松明を持って出発した。

松明の煙が上昇する。

霞と煙の二重奏だ。

その場には消防団員の姿もある。

火の手が上がれば危険状態。

火が枯れ草などに移らないようにその場で監視している。



後続につく太鼓打ちも出発した。

松明の火をとらえるカメラマンたちは絶好の場所でシャッターを押す。

そして、ついていく。

虫送りをする人数はとにかく多い下笠間の人たち。



老若男女に子供たちも。

長くなった行列は松明の火が点、点・・。

それと同時に煙も上昇して周囲に広がっていく。

火点け時間は午後7時。

最後尾につく人たちが出発したのは3分後だった。

すべての人が虫送りに出発すれば火の始末。

消防団の出番に消防車。



団員は倉庫から持ってきたと思われる「とび口」を手にしていた。

毎年、こうして虫送りする村の情景を見ている婦人がいる。

玄関前にある椅子に座ってずっと見ている。

毎年が楽しみだというIさんは足腰を痛めた。

前月の5月21日に訪れたときにそう話していた。

その後も変わらずの状態であるにも関わらず、お茶でも飲んでいけというが今夜は遠慮。

不自由な身体で世話してもらうのが申しわけない。

そう思って遠慮した。

(H28. 6.19 EOS40D撮影)
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下笠間米寿祝いのテハン

2015年11月21日 09時13分48秒 | 宇陀市室生へ
室生在住の知りあいの家を訪ねた。

入った玄関扉上に数枚の「手形」が貼ってあった。

80うん歳の奥さんがいうには米寿祝いの「テハン(手版)」。

女性は右手で男性は左手の手形を押す。

かつては数え年88歳にしていたが、意見が出て満年齢になった。

1月20日は村の初常会。

そのときに配られる祝いの印し。

100歳の百寿には朱塗りの「テハン」になるという。

米寿祝いにオボン(盆)、チョウシ(銚子)、メシジャクシ(飯杓子)<一般的にはシャモジ(杓文字)>などが配られた。

村の各戸や親戚中に配っていたが、廃止したと云う。

祝いの品は違うが大和郡山市・長安寺町や田原本町・八田では砂糖を二袋ずつ村各戸に配るという風習がある。

今ではしていないが桜井市の小夫嵩方では箸だったと聞く。

米寿の祝いの品も調査しなければ・・・と思った。

(H27. 2.15 EOS40D撮影)
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