マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

ラ・ムー京終店のおろしで味わう合鴨にぎり寿司

2019年01月31日 09時42分05秒 | あれこれテイクアウト
2カ月ぶりの診察が終わって会計支払いを済ませた時間帯は午後12時40分。

血液検査はコレステロール検査もあるから朝食抜きを指示されていた。

お腹が減って、もうペコペコ状態を通りこしている。

家のご指示で買い物もある。それも済ませてやっと昼食にありつけた時間帯は午後1時40分。

こういう時間帯になってしまう日って割合あるからお腹も慣れたもの・・でもない。

蓋を開けて箸で摘まむ。

口の中へ放り込んだおろしで味わう合鴨にぎり寿司。

以前も食べたことがあるにぎり寿司は寿司飯ではない。

普通に炊いたようなご飯の味であるが、やや固め。

柔らかめに炊いたご飯では味わいがどうなるのか、想像つかない。

保存するなら18度以下の表示があるにぎり寿司。

もちろん合鴨の味もするが、決め手はダイコンおろし。

それはダイコンの味は感じない。

ダイコンではなくソースジュレ。

どうやら原材料はタマネギ。

味に強烈なインパクトがあるタマネギおろしソースのジュレである。

濃い目の味が口のなかで溶けていく。

これが旨いんだな。

税込みで239円に注文をつけるのは辛いが合鴨スライスの厚み。

もうちょっとだけ厚くしてほしいと思った。

(H29.10.31 SB932SH撮影)

0.5mg増やしたワーファリンの効果

2019年01月30日 12時22分44秒 | むびょうそくさい
8月に受診した際に伝えられたワーファリン錠の微増勧告である。

ワーファリンの効き目を数値で現わしているPT―INRがある。

2月の値は1.33。5月は1.43。

8月が1.41であった。

PT-INRは1.5以上が望ましい。

長期間に亘って状況を観察してきたが兆しはみられないことから0.5mgも増量を告げられた。

もちろん通告だけでなく、服用処方箋も、である。

この日の血液検査はコレステロール検査もあるので朝食抜きの指示がでていた。

病院に着いてすぐさま駆け上がる採血受付場。

駆け上がると云ってもエスカレーターである。

電車乗り場に百貨店どころか近大は至るところでエスカレーター設備がある。

車椅子を持ちこんで転げてしまった事故のニュースもあるが、駆け上がりも人身事故を引き起こす。

街のエスカレーターは危険行動を取らないように安全を計っていると思うが、病院はどうなんだろう。

数年間も通っている病院施設を利用しているが、初めて気づいた安全管理である。

今日はそのことに触れまい。

先を急ぐのは採血である。

いつもなら順番待ちでごった返すのであるが、時間帯が午前10時。

混雑がなかったのでスムーズに進んでいく。

採血本数はいつも通りの4本。

ちがいがあるのか、ないのか・・。

次の検査は心電図検査。

検査待ちの患者さんが多かったせいもあって15分待ちになった。

心電図検査を終わって循環器内科の受付をする。

そこで計測するいつもの血圧測定。

着いた直後の血圧と脈拍に違いがある。

9時51分の測定値は血圧が151-79。

脈拍は60拍だ。

安静状態であれば40拍もないが、ここまで急ぎ足できたからいい感じである。

10時28の測定値は血圧が130-74。

脈拍は50拍だ。

血圧は正常値に戻った。

脈拍も正常値範囲内。

日常がこのような値であれば嬉しいのであるが・・・。

さて、ここからが長い待ち時間。

予定では血液検査が終わってから1時間半後の11時半であるが、呼ばれることはなく・・。

どうやらこの日も新患さんがおられたようで後ろへ後ろへと伸びていく。

結局、呼び出しに名前が挙がった時間帯は午後11時55分。

内診室に入ってそこでも待った10分間。

診察時間はあっという間に終わる。

この日の診察は・・特に問題なし。

2カ月間の体重は増えもせん、減りもせん状態。

とうぜんながら浮腫み症状はまったくない。

おふくろの入院や長雨が続いたこともあって、自宅周辺を歩くリハビリ運動は滞っている。

取材にでかけることはほとんどないが、買い物は常に、という日々であったが、しんどさも苦しさもなかった2カ月間である。

本日の心電図結果を診られた)循環器内科医師。

p波がはっきりくっきり。

老眼鏡の私でさえ鮮明に描かれたp波の「山」がはっきり見える。

前回の診察結果のp波は酷かった。

高さもないp波に「就寝中は停波しているかも」と脅されたが、今回の波形は、まったくもって安心レベル。

医師とともに喜びあう。

気になっていたのはヘモグロビン値である。

5月16日の結果は13.0。

8月は10.0。

今回の値は14.3。

微妙に上がったり、下がったりであるが、許容範囲内に戻った。

そう、あれから2カ月間の排便に大きな出血が見られなかったことが要因である。

どばっとではなくちょびちょびであっても、きばりはせずにお尻に任せるようにして排便すれが出血をともなくことはない。

断言はし辛いが、それしか方法がないのである。

そのためにも服用している軟便薬は碑一日に3回。

尤も毎朝に飲んでいる調製豆乳のおかげもある。

ちなみに気になっていた1.5以上が望ましいPT-INRの結果である。

2月の値は1.33。

5月は1.43。

8月が1.41であったPT-INRの今月結果は1.69。

バンザーイである。

もう一つ気にしておかないといけないのが、脳性ナトリウム利尿ペプチドの略であるBNP。

心臓の負担度がわかるBNPは値が高いほど心臓が良くない状態。

2月の値は75.48。

5月は92.5。

8月が102.3であったが、今月結果は78.9。

やっほーである。

62.8だった平成28年11月の値にはまだ到達していないが、歓びの値である。

そして、もう一つの値はγ-GTPだ。

2月の値は158。

前回、5月の値は89。

8月が46であったが、今回の結果は85。

ちょっと飲みすぎたのかな。

お腹がポコッと突っ張っているのは、そのせいもあるだろう。

状態が良いと判断されて処方箋・量は継続された。

(H29.10.31 SB932SH撮影)

リハビリ道具が歩行器になった

2019年01月29日 10時13分05秒 | むびょうそくさい(おかん編)
朝飯も昼飯も食べてベッドに仰向くになってリラックスモードになっていた28日。

突然であるが、背中に痛みを感じた。

不安があったから午後3時に予定していたリハビリ運動は1時間遅らせて午後4時から始まった。

装着に時間がかかって離床も遅くなってしまった。

かーさんを迎える時間は過ぎていたが、やむなし。

遅れても構わないからといわれていたので、甘えたが・・・これがおかんむりの原因になった。

で、翌日に聞いた水平棒支え歩きの回数は三回も往復したという。

順調にリハビリしているので安心した日だった。

29日、朝飯を食べてからベッドで寝ていたらそのままぐっすり。

よう寝られた、と目を覚ましたおふくろの顔はシャキとしていた。

二度目の起床時間は午前11時過ぎ。

しばらくは近況報告をする。

昼食の準備が調えば、配膳する職員が病室にお迎え。

車椅子移りがスムーズにできるようになってきた。

患者さんと向かいあう共有ルームへ行く間は自力ではまだまだ、である。

向かいの隣も患者さん。話しかけてくる患者さんもおれば、黙々と食事をする人も。

そのような状況であるが、いろんな顔ぶれもあれば、大きな窓ガラスの向こうは外の景色が見える。

それが気持ちいいといっていそいそと出かける、ではなく、車椅子押してもらうのだ。

食後に行われた午後3時のリハビリ運動。

水平棒支え歩きは今日も往復三回もできた。

しんどくないからとても気持ちが良かったと携帯電話で伝えてきた。

30日は月曜日。

午前中は機械浴。

洗髪も一人でできるようになった。

機械浴では12分間浸かったので身体も気持ちもサッパリしたと云う。

そして午後のリハビリ運動。

リハビリフロアーから廊下までの長い距離に歩行器利用のリハビリ運動。

初の歩行器であっても慣れるのは早い。

調子が良いからと、片道3回も歩けたのが嬉しい。

ただ、Kリハビリ理学療法士が家族に尋ねた斜視。

左目が斜視の可能性があるようだと伝えてくれたが、斜視症状は初めて知るもの。

云われるまではまったく気づかない斜視はいつごおろか、と問われても、わかりません、としか言いようがない。

何故にそれを聞かれるのか、といえば、斜視が目眩の原因であるかもしれない、ということだ。

(H29.10.28~30 記)

味のきぬやの冷凍海鮮かき揚げ蕎麦

2019年01月28日 09時37分10秒 | あれこれインスタント
イカ、エビ、タマネギ、ニンジン、ジャガイモにインゲンマメ。

6種の具材で作った味のきぬやの冷凍海鮮かき揚げは山陽マルナカで売っていたのかな。

たしか税抜き98円の2枚入りで売っていたような記憶がある。

かき揚げの天ぷらは大好き。

家でもそうである一番人気。

昨今は筒揚げのかき揚げもあるのが嬉しくて我が家ではうどん、そばの熱々麺もあるが、一番は丼である。

冷凍であればいつでも欲しくなったときに食べられる。

しかもこの冷凍食品は厚さがないから、冷凍庫を占有しない。

いつかは、と思っていたが、すぐに我が家の食卓に登場した。

開封しようとしたかーさんが云った。

これって原産地が中国になっていると・・。

そこは見ていなかったが、塩分含有量が0.4gであったから買っておいたのだ。

うどんの乾麺がなく、この日はそばの乾麺。

どっちでもいいのである。

出汁はいつも重宝している白だし。

うどんであってもそばであっても美味しくいただける。

さて、冷凍のかき揚げのお味である。



不味くはないがなんとなく粉が多かったのでは、と思ったくらいのネチッと感があるかき揚げ。

イカやタマネギの食感が良い。

ニンジンの色もインゲンマメの色もある。

もちろん味もあるが、中国産ではねっと云いたくなるが、そこは無視してそばが喉に吸い込まれていく。

かき揚げの油が美味いのである。

するする入っていくそばはかき揚げとともに吸い込まれてツルツル。

一枚が50円にも満たない価格にこの味。

もう一度、食べたくなってしまう私が怖い。

(H29.10.28 SB932SH撮影)

一歩、一歩の成果が励みになるリハビリ運動

2019年01月27日 09時47分59秒 | むびょうそくさい(おかん編)
今日も来てや、の要望に毎度、毎日に出向く病室。

この日の顔もさっぱりしていたが、こんなんあったんやで、という感じで話し出す腹痛騒動。

お腹が痛くなって苦痛だったコルセットを看護士さんにお願いして外してもらった。

背中からコルセットが押さえているのか、それともお腹がくっついているのか・・・。

ゴムが緩いパンツ型おむつが押さえているのか、それともこれまで何度も着ているバジャマのゴムがキツイのか。

浣腸をしてもらったらスッキリしたと話す。

このときの状態を診ていたM看護士が云うには、昨晩からやや固めのおかいさんに替えてからも完食したという晩御飯。

朝はお腹が張っていたが食べきれずにいた。

お腹がパンパンになって痛くなった。

ここらあたりがキリキリ痛んだ。

そういう状態を診た看護師さんは、食事の量と消化の関係と判断されて浣腸をしたという。

そういうわけでスッキリした顔になっていた。

スッキリしたお腹に昼食は美味しく食べられたという。

この日の午後3時がリハビリ開始。

まずは足揉み。

「食べやんと筋肉がつかへんから頑張らな」、と気合を入れるリハビリ担当のK理学療法士の声にガンバルおふくろ。

そのころ丁度に始まったじーんせーい、ワンツーワンツーの音楽が拡がる共有コーナーに集まった車椅子患者の集団体操である。

3時20分、車椅子移りをしようとしたが、お腹が痛いと訴えた。

その件に関しては後述するが、外していたコルセットの再装着である。

理学療法士がぼそっと口に出した言葉。

朝に訴えたおふくろの要望に外したコルセットが緩めなくてもいいような箇所も外していた。

お腹の部分だけで良かったものの、肩当て、背中当ての部分も緩めて外した。

見かけは変わりないが、いわばバラバラの状態になっていたコルセットは全面的な調整を要する状態。

おふくろの体形に採寸して作ったコルセットの調整部分を手直しする。

箇所ほとんどであるから調整時間がけっこうかかる。

調整する理学療法士が云った。

このコルセットは寝ているときは外しても構わないということである。

許可は主治医からあったそうだ。

ようやくコルセットを装着して離床。

手すりに身体を支えて立つのであるが、怖さがあるのか、すっと立ち上がらない。

「しっかり立つ」の声がかかれば、すっと立った。

おふくろがキムタクそっくりだというK理学療法士の声に難なく立った。

なんとできて血圧を測る。

特に問題はない値である。

ようやく出発する車椅子。

廊下に出たとたんに要求する排便。

廊下には数か所のトイレがある。

おむつはしているが洋式トイレでしたいと云う。

看護士さんが診ましょうか、と云われても選んだのはKさん。

それだけ信頼しているKさんもトイレに入って状況を診る。

時間はかかったが、難なくできて、これまで嫌がっていた洗浄シャワーもするようになった。

介助なく始末できたのが嬉しいが、それで綺麗に取れるわけでもなく、療法士の手を借りてお尻拭き。

午後4時、4階までは車椅子移動。

窓から若草山が見える理学療法室でリハビリ運動。

コワゴワもなく動きも早くなって水平棒に手を添えて歩く歩行運動。

時間はあっという間の一挙に往復する。

ただ、歩き方を見ていたら、膝は上がっていない。

どちらかと云えばすり足のように見える。

動きがいいので、もう一回しましょうかと、云われたが、これでいい、だ。

4階に戻ってきて病室に、と思っていたがそうではなかった。

車椅子でこのまま居たいというのである。

そうであれば、ナースステーション前の共用ルームに何人かおられる患者さんが座っている席に行こうか、といえば、そうしてという。

初回の介護認定調査のときにはノーと云っていた集団の中。

これじゃあかんと思って頑張ってみようと思ったのか・・。

でもなく、病室よりも明るい共用ルームの方が心が晴れ晴れになると思ったのである。

自ら言い出して、決まった席につく。

共用ルームには四人掛けのテーブルが数台ある。

そのテーブルには名札を貼っている。

つまりは指定席。

患者さんどうしが会話ができる仕組みになっている。

夕食はどうやらここで食事をするらしい。

馴染んでくれたら嬉しいおふくろに手を振って離れたときにY看護士が伝えた低温火傷。

原因は両腰、2カ所に当てている「ゆたぽん」である。

当てていた「ゆたぽん」は、寝返り、起き上がりに身体を動かす。

その際にズレてしまった「ゆたぽん」が肌身に当たっていたので、低温火傷の症状がでているから注意してください、という。

その言葉は看護士さんにそっくり返す。

おふくろは云われたことは素直に応じるので、そう云ってあげてくださいと、返した。

(H29.10.27 SB932SH撮影)

介護再認定調査員聞取りもあれば今後の治療計画の面談も

2019年01月26日 09時55分31秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この日は予約の要件が2件もある。

一つは入院している病室でおふくろの身体状況を現認調査。

もう一つは主治医による今後の治療計画の面談である。

2件とも重要な事項である。

時間的経緯を見ながら直接関係するもの以外もここにメモする本日の記録である。

毎日は病室のベッドに居るおふくろの状態伺い。

同室に市内長安寺町に住むNさんがおられる。

この部屋で3カ月も治療に専念してきたが、晴れて退院することになった。

それまでに渡しておきたい写真がある。

平成27年2月1日に撮らせてもらった長安寺町の大とんどである。

その日にお会いした自治会長らは一年任期。

ついつい差し上げるのを失念していた。

尤も、長期間に亘って私も入院・手術していたからではあるが・・。

その日は92歳になるNさんの旦那さんの顔は見なかった。

先だっては病室に奥さんを向かいに来ていた。

週に一度は許可を得て一時帰宅。

その迎えに来られていた旦那さんは7年前にお会いしたときよりも軽やかになっていると思った。

月に何べんかはゴルフ通い。

若いもんの要求に断るのも難しくて・・と、云っていたN家が所有する畑でするとんどの写真。

ありがとう、預かって当時の自治会長に渡しておくと、云ってくれたのが嬉しい。

さて、おふくろの身体状況である。

本日の午前中は週2回の入浴デー。

離床リハビリも兼ねて車椅子に乗って浴室に移してもらったという。

浴室にあるそのまま身体ごと入浴できる車椅子に乗り換える。

湯船は徐々に湯が増えていく。

お湯足しというのだろうか。

身体はそのままの位置でお湯の高さがあがって、やがて肩まで浸かる。

お湯に浸かるのは何日ぶりになるのだろうか。

おふくろが居住する部屋にある浴槽が高いこともあっていつのころか浸かることはなくなった。

8月に発症した痛み。

解消できて自宅に戻ったときもお風呂に浸かることはなかった。

なかったというよりも高さがある浴槽を跨ぐことができないからである。

そうであるだけにとても嬉しかったという。

自分でできるところは自分でする。

身体はまだまだ洗えないが、洗顔はできる。

石鹸をつけた手でごしごし思う存分、自分の力加減で洗える。

これもできるようになって入浴から戻ってきたおふくろの顔は綺麗サッパリしていた。

その入浴に立ち会ってくれた看護研修生のOさんはとても喜んでくれた。

食事もほぼ完食するようになって、毎日の食事に配膳されるおかいさん改め、ご飯を要求するまで回復してきた。

そういった状況にまで回復してきたので居住する地域の診療所である畠中医院に電話で伝える。

処方してもらっていた内服薬は、現在入院している田北病院に移管された。

薬の監理は病院の配下にある。

退院するまでそうなるだろう。

そういった時間を過ごして病室に来られた大和郡山市介護福祉課に属する調査員のOさんは今回の介護認定調査で2回目。

前回は我が家に身を寄せていたので我が家の部屋で切帰路地調査。

今回は入院先のベッドにいる状態で聞き取りとなった。

介護再認定を手配してくださったのは大阪市住之江区地域包括支援センターのBさん。

初期は私が大阪市認定事務センターに申請した。

申請は受理されて調査員を派遣する。

当時は身を寄せていた地区は奈良県大和郡山市だったので、今回と同様に大和郡山市介護福祉課に派遣要請されて調査員が来られた。

今回は再認定。

私の手を離れて、地域包括支援センターが直接、再認定の申請をされる。

そのことはBさんから聞いていた。

それから数日後。

10月16日に私の携帯電話が鳴った。

発信者は大和郡山市介護福祉課。

担当の職員が26日でよろしいでしょうか、という連絡であった。

その日の調査時間が決まれば、ナースステーションに伝えておく。

つまりは調査している最中に診療が重なって調査に影響を与えないようにするである。

尤も、それだけでなく、医療側から見てのおふくろの身体状況である。

本人の思い、勘違いは事実でない。

第三者からの視点を聞き取りすることによって整合性をとるのである。

ベッドに座ったままの聞き取り調査。

前回の9月7日以降の本日までの経緯を伝えて問診に入る。

前回もしているので重複事項は避けて、現況を掴むその後の状況の身体、心身具合は、前回も「介護保険認定調査票」の問診項目に沿って聞取りされた。

1.身体機能・起居動作(麻痺等の有無/拘縮/寝返り/起き上がり/座位保持/両足立位保持/歩行/立ち上がり/片足立位保持/洗身/爪切り/視力/聴力//)、

2.生活機能(移乗/移動/嚥下(えんした)/食事摂取/排尿/排便/口腔清潔/洗顔/整髪/上衣着脱/下衣着脱/外出頻度)、

3.認知機能(意思伝達/毎日課の理解/生年月日・年齢・氏名記憶/短期記憶/現在の季節/現在の場所/徘徊/外出帰還)、

4.精神・行動障がい(被害的物品盗難/作り話/泣き笑い感情不安定/昼夜逆転/しつこい同一話し/大声/介護抵抗/落ち着き/目が離せない/不要物収集癖/物品損壊衣服破り/酷い物忘れ/独り言独り笑い/自分勝手行動/話がバラバラ)、

5.社会生活への適応(薬の内服/金銭管理/日常の意思決定/集団不適応/買い物/簡単な調理)、

6.過去14日間に受けた特別な医療(処理内容/特別対応)、

7.日常自立度(寝たきり度/日常生活自立度)である。

こう云った項目すべてを現認調査された次は主たる受持ち看護士のTさんが補足するヒアリングに移る。

前回は1時間半もかかったが、今回は初期の経緯、家族構成などは割愛されたが、それでも1時間20分。

尤も看護士さんのヒアリングもあってのことだ。

ひと通り終えて、かーさんが気になっていた睡眠薬である。

この三日間は睡眠薬を飲まされたと云っていた。

二日間はそのおかげもあってぐっすり眠れたが、3日目は何回か夜中に目が覚めたと話していた。

私の入院体験のことであるが、睡眠薬の服用は患者さんに何も伝えずにそうすることはない。

そのハズであるが・・。

心配になって尋ねた看護士Tさんの回答は睡眠薬ではなく、目眩を訴えているので安定剤は投与しているが、睡眠薬といえるほどの眠り薬ではない、という。

20日に行われたCTスキャナー検査の結果はどないもなってなかったが、軽い目眩が起こっていると訴えるおふくろは、また起こるかもしれないという精神的な面で、そう感じている可能性が考えられる。

処方され服用している薬はどうやら抗目まい剤のようだ。

不定愁訴を訴えるおふくろの目眩に関しては上手く伝達されていないように感じた。

そのころ病室に来られた口腔ケア担当者。

先日に置いていた口腔処置同意書の件を尋ねられた。

その件はシートをもってナースステーションに預けたので、そちらで聞いてくださいと伝える。

連携が上手くできてなかったようだ。

午後4時の予定であった主治医面談は外来患者の関係で遅れていると師長さんが伝えてくれた。

終ってナースステーションに来られる時間帯が読めない。

待っている間もリハビリ運動が始まる。

主たるリハビリ担当の理学療法士はKさんであるが、この日は主治医面談に立ち会うために、通常のリハビリ運動を理学療法士はAさんに交替してもらっていた。

看護士さんも難儀するコルセット位置調整は専門家領域。

背中にコルセットが当たるらしく、痛いを連発していたが、調整をしてもらったら痛みは解消した。

AさんはKさんがお休みの関係で昨日の25日もリハビリ運動をしてくれたそうだ。

前日は平行棒を両手で支えて10歩も歩けたそうだ。

足膝屈伸運動などのリハビリ後の車椅子移りはベッドの手すりで身体を支えて難なく自力でいけたという。

見ることができなかった身体具合を伝えてくださって一安心。

少しずつ改善しているのが嬉しい。

午後5時、ようやく始まった主治医からの診療状況の説明。

骨折治療よりも目眩症状が何処まで落ち着くか、それが課題になってきたな、と云われる。

歩けるようになってもらう退院を目指すが、先だって診断書を書いてもらった市営住宅の1階への転居も早めて欲しいしな、とも云われる。

4階までの階段の上り下りができるように、なっ、と云った視線の先に立っていたリハビリ担当の理学療法士はKさんに向けて、リハビリは頑張ってもらうしかないな、と云った。

それもこれも満足できるような身体になりたいのはおふくろの心情も同じだ。

食事も、睡眠も、排尿排便がスムーズになるのがまずは専決事項。

そうなりゃ、ついこの前は勧められて見たたった30分のテレビ視聴も気持ちよく見られるようになるだろう。

また、明日は来るね、と云って病室を出た1階廊下ですれ違う女性の顔。

ほぼ10年ぶりにお会いした女性は大和郡山市社会福祉協議会ボランティアビューローのMさん。

市民交流館勤務時代にたいへんお世話になった人だ。

ボランティアとは・・を教えてもらった先生でもある。

何故にここに、と聞いたら実姉が当院に入院しているという。

お姉さんは大腿骨骨折になって入院した。

その期間中にベッドが落ちて違う部位も骨折した。

2度の骨折治療に鉄板が体内に。

大阪に独り住まいだった姉さんを住まいする九条駅近くに引っ越してもらった。

近くにいる方が介抱・介助支援に動きやすい。

今また、圧迫骨折になって3度目の入院。介助するのにビューローは8月に辞めたというMさんはバリバリ元気。

10年前とまったく同じ動きに、誠心込めた介助支援も見習わなければ、と思った。

(H29.10.26 記)

東鳴川町春日神社・座の宵宮

2019年01月25日 09時57分06秒 | 奈良市(東部)へ
座の行事のことを教えてもらってからずいぶん年月が経過してしまった。

祭事の場は奈良市東鳴川町に鎮座する春日神社・社務所である。

行事のことを話してくださったのは、同市の柳生町におられる石田武士宮司。

さまざまな地域に出仕される宮司。

兼社が多い関係もあるから秋祭りをはじめとして祈年祭や新嘗祭の時季は集中することから宮司に出仕していただく日程、時間を調整される。

東鳴川町のお供えに特徴がある。

主に宵宮の御供であるが、本祭にも特殊なお供えがあると聞いた年は平成21年であったが、東鳴川町を訪れたのは翌年の平成22年3月19日だった。

それからご無沙汰すること8年間。

再び訪れたのが先月の9月24日だった。

再訪のきっかけになったのは同月の19日である。

南山城村高尾の調査後に表敬訪問した際に話してくださった東鳴川町の御供。

座中が食する三品のお重盛りである。

背中を押してもらって一週間後に訪れた東鳴川町。

村神主こと座一老;・宮総代を務めるOさんに出会えたのもいい機会だった。

座の在り方、行事の状況や御供など、詳しく教えていただいた。

宵宮は午後7時より始まる。

それまでに御供などの準備を調えるOさんを筆頭に当家(※当夜とも)のIさんらが動く。

当社で行われる祭事のお供えは予め、である。

午後6時、社殿に納めた御供を先に拝見したく早めに訪れた。

指定された駐車場は毎月の第一日曜日に公開されている東鳴川町の不空羂索観音坐像を拝見見学者用。

数台で満車になる駐車場であるが、期日が重ならなければ、ということで停めさてもらった。

尤も宵宮であれば時間帯は重なることはない。

一老の了解をいただいて拝見した御供。

夕の光が射しこんで美しさが映える。

中央に2段重ねの鏡餅。

右手は果物盛りの上にのせた五菜。葉付き大根に人参(若しくは生姜)、葉付き牛蒡、生椎茸、昆布の5品は奉書に包んでモチ藁で括っておく。

そこに漆の木で作った一膳の箸も添える。

左手は円盤のような形に仕立てたシラモチ。

大皿に盛っている。

手前下に供えた2品。

一つは座一老が大切に育ててきた根、稲籾付きの三品種。

早稲に中生、晩稲である。

それぞれを1束ずつ揃えて奉書に包む。

紅白の水引で括った稲御供である。

その手前にあるのが生鯖。

お神酒1本を供えて座中を待つ。



座中より先に着いていた二老、当家たちとともに拝見した鍵。

古くから伝わる海老錠をよく見れば刻印があった。



みなも一緒になって拝見した刻印文字は「寛文十三年(1673)二月三日」。

裏に「イヌノトシヨリ 一老 久兵衛」。



「イヌノトシヨリ」と判断したが、どうも腑に落ちない表現である。

一つ考えられるのが「戌」の年である。

寛文十三年は「子」の年であるが、3年前の寛文十年が「戌」の年。

一老が就任した年が「戌」の年。

つまり「戌の年より務めた」と、判断するのも一つの考え方であるが・・・。

いずれにして、刻印から年代を溯ること、346年前からずっと使い続けてきた海老錠の歴史に感動するのである。

一同が揃ったところで宵宮の神事が始まった。



祭主は当神社行事の御供などを教えてくださった柳生の石田武士宮司。

厳かに祝詞を奏上される。

神事を終えたら御供を下げて社務所の下座に並べる。



これより始まるのは座の直会である。

一老の乾杯の音頭に下げたお神酒を飲み干す。

そして座の食事が始まる。

座食は3品。

重箱に詰めた調理の品々は酒の肴。



棒状に切った牛蒡もあればササガキ牛蒡に胡麻振りした酢牛蒡。

醤油味で煮込んだコンニャク。



形は三角に捻りコンニャク。

もう一品が青野菜のおひたし。



今夜は胡麻和えの白菜。



上座の宮司、一老、二老から順にお重を廻される。



お重盛りの肴はめいめいが箸でつまんで小皿に盛っていただく。

貴方もどうぞいただいてくださいとご相伴に与る。



煮込みコンニャク、たたき牛蒡、白菜のおひたしはいずれも家庭の味。

優しい味付けがとても美味しい。

白菜のおひたしは底になるほど味がしゅんでいて、味は濃く感じる。

これら三種のご馳走は当家が当番する。

翌日の祭りの膳も当家の勤めになるという。

座食が始まってから10分後。

当番の人が動いた。

御供下げした大皿のシラモチを炊事場に移動する。



コンロに網焼き。

大きなシラモチは下に敷いていたバランの葉とともにコンロで焼く。



焦げ目がついたら裏返してまたも焼く。

シラモチはお米を挽いてすり潰したものを水かお湯で練って作ったもの。

現在はお米でなくできあがりの上新粉を使用しているようだ。

これをシトギと呼ぶ。

いくつかの県内行事例に見られるシトギである。

しかもバランの葉にのせて焼いて食べる事例はままある。

一つは奈良市柳生町山脇で行われている山の口講の山の神行事

もう一つは旧五ケ谷村の一村になる奈良市興隆寺町八坂神社で行われる祈年祭である。

もう一つの事例は奈良市佐紀町・亀畑佐紀神社の宵宮祭

バランの葉はあるが、焼くことなくシトギそのものを少しずつ割って食べる。



シトギの味は米そのもの味がする。

バランの葉とともに焼いた場合は香ばしくて味が濃くなる。



焼け焦げたシラモチはパリパリのカリカリ焼き。

箸で突っついて割ろうとするが、手に負えないから手で千切ってわける。



表面はパリパリのカリカリだが内側は柔らかい。

ひと摘まみごとに分け合っていただく。



直会は1時間ほど。



ほどよく飲んで座食を味わった直会も終われば一老は神事の場を清めるに塩と酒を撒いていた。

(H29.10. 8 EOS40D撮影)

魚輝水産住之江店の本格肉かすうどん

2019年01月24日 09時45分26秒 | 食事が主な周辺をお散歩
前月の9月10日魚輝住之江店で食べたときの商品名は本格かす肉うどんだった。

価格は税抜きで580円成りである。

ところが本日拝見したメニューの価格は税抜きで590円。

アップした差額は10円。

それもあるが、商品名も替わって「肉かすうどん」から「かす肉うどん」になっていた。

考えてみれば「肉かす」よりも「かす肉」の方がイイヤスイネーミングで、納得もできる。

9月のメニュー写真は10月も同じもの。

写真が違っておれば突っ込んでいるが、同じ商品としておこう。

ぐだぐだと、これ以上、云うつもりはまったくない。

とにかく美味しいのである。

ただ、大きな違いが表面になる。

出汁に脂が浮いていないのである。

まぁ、それだけの違いなんであるが、とにかく美味い。

美味い、のセリフしかでてこない。

コシのある麺は以前と同じ。

食べても、食べてもなかなか減ってくれない。

器は小さく見えるけど、麺の量も白髪ネギに青ネギがたっぷり。

振りかけたたっぷりのカツオ節が麺の上で踊っている。

どれもこれも甘めの出汁と馴染んで、ツルツルと喉の奥へ吸い込まれていく。

肝心かなめの脂かす。

いやぁもう、むちゃ美味いんだな。

でっかい塊の脂かすは半分程度に歯で噛んで喰い話す。

噛めばどっと口の中に拡がる上質の脂。

たまりません。

また、行きたくなってしまう格肉かすうどんの味の魅力に引き込まれていく私の口が怖い。

正直申し上げてほんまにクセになってしまうのが怖い。

(H29.10.25 SB932SH撮影)

代理人受取もあれば公共光熱費の停止も

2019年01月23日 08時46分49秒 | むびょうそくさい(おかん編)
前日の24日に届いた大阪・住之江区役所からの通知は窓口サービス課・住民登録グループの担当職員のTからだ

通知カードについてのお知らせである。

文面は「・・・このたび通知カード再交付のお手続きに伴い通知カードを送付させていただきましたが、区役所に返戻されております。つきましては誠にお手数ですが、下記の必要なものを持参いただき、お受け取りに来られますようお願い致します」とある。

必要なものの指示は「この「お知らせ(通知カードについて」の文書に受け取りに来られる方の本人確認書類である。

顔写真入り運転免許証であれば1点。

健康保険証であれば、他に年金手帳とか銀行キャッシュカードもしくは通帳のいずれか1点。

つまりは顔写真がなければ特定できないから、もう一枚の証明できるもので整合をとろうとしているわけだ。

送り日は平成29年10月19日。

おふくろ宛てに知らせる文書である。

この件は送り日の三日前になる10月16日に遡る。

当日、不在扱いで返送された通知カードが戻された。

それを受け取りたく出かけた区役所で応対した担当職員の回答は、再発送できない、本人が受け取れない場合は、委任状を持参せよ、であった。

別に通知カードなんてものは急いで入手する必要性もない。

ないが、通知が届いているなら、他の所用もあるから、委任状を作ってでかけようということになっただけだ。

私の意思はほっとけ、であった。

おふくろが無事に退院して車に乗れるようになったら、委任状なんてものは必要ない。

むしろ、窓口サービス課・住民登録グループがきちんと保管されることは身をもって確かめたかった。

ただそれだけだ。

窓口は違うがもう一つの委任状も準備していた。

相談する窓口は窓口サービス課の保険年金グループである。

知りたいのは後期高齢者医療制度における医療限度適用・標準負担額減額認定書の交付条件である。

朝、出かけしなに区役所に電話をして云われた回答は、「75歳以上で非課税世帯等でない方は、特に必要はありません」だった。

保険年金グループ職員が云うには、「必要ないものは申請されても受け付けない」ということだ。

念のために申請者のおふくろの収入状況を調べてもらったら、非課税世帯ではなかったわけだ。

年金収入しかないおふくろの生活。

暮らしぶりは質素だが、収入額が限度ラインぎりぎりで越えていたということだ。

で、話しは、通知カード受領に戻そう。

窓口に申し出て、このお知らせ通知に件を伝える。

それならば整理番号シートをもって待ってください、だ。

しばらくすれば番号を呼ばれた。

受け付ける若い女性に、これこれかくかくしかじか、と伝える経過状況に、この通知をもって来ました、といった。

さらに付け加えていった委任事由である。

その件については、ここ住之江区役所に来ることが一文で理解できる入院先発行の「入院治療計画書」である。

なるほどと理解された職員は、わかりましたのでお返ししますと云われたが、むしろこの書類(コピー控え)があるから委任事由になるので、通知された担当職員も理解されと思いますので、提出させていただきますと手渡す。

そうして受理されようとする一件書類に受け取り者確認は私の免許証である。

提示したら受け取ってコピーをされる。

区役所でなくても、どこでもそうするコピー。

いろんなところに申請してきたが、皆、ちゃんと個人情報保護管理をしているのだろう、と思いたい。

一連の書類を受け取った職員は後方に座る上位者に確認をとっている。

これもまた、10月3日に出かけて解約した信用組合での光景。

受け取る度に後方の上位者に書類をみてもらっていた状況とまったく同じだ。

直接の窓口で受理されるのは一般的事例。

特殊であれば、必ずと言っていいほど上位者に確認をとる。

素晴らしいシステムであるが、その間はいつも待たされる。

どうやら受理されたようで、ソファで待っていてくださいだ。

しばらく経って郵送されたまんまの封書が私の手元に渡された。

中身を確認します、といえば、郵便ですから・・・ですって。

もし、手違いで間違ったものであれば、と思って開封しかけたときに、そういう別の担当職員。

その後に判明したら、どう言いわけするつもりなのだろうか。

区役所所用を終えて一時的不在状態になっているおふくろの住居の所用。

一つは1階にある郵便とか新聞などの受けポスト。

一週間も経てば、またクズ紙が溢れている。

郵便物は転送届けをしているから漏れはないが、どうにもこうにも投函チラシが多すぎる。

蓋とか扉にガムテープでも貼ってやろうか、と思うが・・・。

どっさりあるチラシから有効な書類を選び出す。

今回、見つけたのは電気使用量のお知らせだ。

使用期間は9月15日から10月16日まで。

使用量は80KWh。

請求金額は1784円だ。

我が家に身を寄せた9月28日からはゼロとは云わないが、僅かな使用料になっている。

室内でおふくろが髪をとかすヘヤーブラシとか植木鉢などの水やり。

今回は注意しておきたい部屋に通じるポストの確認である。

個別に住民通知をしなければならない件は部屋に通じるポスト。

何かが入っていると見た書類は大阪市水道局お客さまセンターが発行する「水道の使用確認についてのお願い」である。

発行日付けは10月25日。

今日のことである。

そのお知らせは「・・使用場所における水道につきまして、使用水量が「0(※ゼロ)」になっております。水道を利用していないにも関わらず、中止のお届けを忘れてしまっている状態ですと、基本料金(1カ月0m 1512円)が発生しております。つきましては、今後の水道の使用の有無について、お手数ですが、連絡・・云々」とある。

報告者は検診業務を受託している業者である。

ちなみに別表の明細である「水道使用料等のお知らせ」に、上水道料金が1445円、下水道使用料は857円が記載されていた。

帰宅してからかーさんが水道局に電話をして停めてもらった。

停めてもらっても基本料は発生するが、半額になるそうだ。

それならば、電気もガスも停めたら・・と思ったが、いつ何時、居住地にくる場合が発生するかもしれない。

電気がなければ暗くてなんも見えない、どころか冷蔵庫の中身は・・・。

ガスもそうだと思って停止通知はやめた、という。

が、である。

水道は停止したからトイレをすることができなくなった。

ありゃりゃ、である。

(H29.10.25 SB932SH撮影)

嬉しいリハビリ姿を見る

2019年01月22日 08時39分24秒 | むびょうそくさい(おかん編)
20日も21日の午後も、そして22日の朝食も目眩を発症したが、嘔吐はなかったと話すおふくろ。

調子はよろしく体調も良い。

翌日の23日は定例の月曜風呂。

介護してくださる二人がベッドごと運んで病室にやってきた。

そのときの姿がぐったり。

目も開けられない症状だったから心配した。

目を開けずに伝えた言葉はか細い声で「喉はカラカラ」だった。

専用のストロー付きボトルを手渡せば口元にストローを・・であるが、お茶を吸い込む力が足らずに液体のお茶が口に入らない。

カラカラ状態は解決しないと思って病室に用意していたのど飴を口に入れてやる。

舌でころころ動かして唾液が出だす。

そのうちに潤った口の中。

大きな声で伝えられるようになった。

一時は心配したが、喉の潤いを取り戻せば元気な姿に戻ってくる。

開いた口から出た入浴時の様子に目眩。

少しはあったようだが、嘔吐まではいかない。

気分的なこともあるのだろうか。

その証拠に23日の昼食はガッチリマンデー。

ではなく、何事もなかったかのような顔で、がっちり完食した。

嬉しい姿はいつ何時・・・というような心配は常に抱えているが、希望をもった。

病室からの携帯電話もない、というのはえーことであるが、顔を見るまでは安心できない。

そう思って、翌日の24日は神戸から見舞いにやってくる実弟夫婦と落ち合う。

先について病室で見たおふくろの顔はハリがある。

声もすこぶる元気な状況に、気持ちが晴れやかになる。

この日の昼食も完食して、起き上がり体勢で到着を待っていた。

昨日の晩からぐっすり眠って気がついたら朝の7時。

看護士さんに起こされて気がつく始末。

眠りから覚めて、ぱっと目が開く。

そのままの調子で昼間の完食が嬉しかったが、なんでそんなに寝ることができたと聞けば、要望はしていないが、睡眠薬を服用したという。

研修生のOさんが云うには、寝付は悪く、ちょっとの目眩の訴えに、少しの睡眠時間しかとれていないことがわかって飲ませることにしたという。

功を奏してぐっすり身体を休めたおふくろも気分は上々、である。

道理、である。

二泊三日で自宅に戻っていた長安寺町に住むNさんは小さく切った富有柿に丸々1個の富有柿をくれはったという。

切った富有柿は早速よばれた。

とても美味しかったと喜んでいた。

本日、我が家も昨日に買った豊水梨をもってきたが、N家で栽培された富有柿に軍配だ。

今日の目的は2通の委任状である。

おふくろが私に託する委任の仕事は住民票がある大阪・住之江区役所に受け取る再交付個人情報通知カードの受け取り。

もう1通は限度額適用認定証交付申請に受け取るおふくろの認定書である。

予め作っておいた自筆欄に氏名を書いてもらうが、両手が震えて文字には見えない名前が書かれる。

何度か練習もしたが、「田」の字が流れて「甲」になる。

「中」は「由」でもないような文字になる。

そんな自筆サインに受け付ける人は、再度来てくださいというだろう。

名前が書けなきゃどうするのだ。こういう親をもつ子どもは多いと思うが、代筆するしかない。

そう、思うのである。

この記事を読まれたかたは頷かれるのか、それとも何やってんだ、というのか・・・。

そんな明日の所用のことをしていたときに、病室にひょっこりと顔を見せた実弟夫婦とは2週間ぶりのご対面。

以前は寝たきりだったが、この日は起き上がっている状況にびっくり。

本格的なリハビリはまだまだ。

ベッドから離れる訓練はこれまでたったの1回。

その後に発症した目眩に嘔吐でずっと来てきたが、ようやく第一歩を踏み始めたばかり、である。

神戸から直行で近鉄電車に乗ってやってきた近鉄奈良駅。

下りておふくろ見舞いに食べさせてあげたい果物三つに搗きたてのヨモギ餅をもってきてくれた。

なんでも奈良の駅に立つのは初めて。

駅から下りて南に向かう東向き商店街を抜けたら、三条通り。超有名な、テレビで何度も紹介される高速餅搗きの中谷堂。

土産に搗きたてのヨモギ餅をもってきてくれた。

さらに南下して果物店で上等の梨、柿、林檎はおふくろが食べたがっている果物がありがたい。

話していた時間帯。

突然に痛い、を云いだすおふくろ。

背中のコルセットの位置にズレがある。

肩の部分が大きく開いている。

座っている間に身体がずるずると沈んでガードする箇所がズレた。

その加減で骨折した辺りが神経を逆なで、する。

コルセットの位置を若干動かす。

タオルやクッションの位置も調整する。

なんとか痛みは解消されたが、きちんとした方が良いだろう。

予定していた時間になかなかやってこないKリハビリ理学療法士。

このままではいつ来られるのか・・諦めて見舞いの二人を見送って戻った病室に・・いた。

午後3時半に始まった離床リハビリ。

ベッドからスリスリと腰を動かす。

お尻を持ち上げてはスリスリ動く。

右手はベッドの手すりが支え。

力を入れて腰を動かす。

両足はベッドの外。

もう少し、動かしての声に応えて足を投げ出すところまでできた。

ここまでできたらリハビリ理学療法士。

持ちこんでいる新品の軽装靴を履かせてもらう。

こればっかりはまだ自由のきかない身体状態。

脱ぐのはラクにいけるが履くのが難しい。

新品だけに余裕の伸びがないこともあるが・・。

ここまできたら次は自力で立ち上がることができるか、だ。

右手はベッドの手すり。

左手は車椅子の袖。

そこに両手を置いて支えに力を頼って・・・立った。

もちろん、その間はリハビリ理学療法士がおふくろの身体を抱える支援もあってのことだ。

足を少しずつ回転させて後向きになった。

そこで、ゆっくり、そっと、腰を下ろしたら、座れた。

背中の痛みはまったくない。

しんどいこともない、というおふくろは車椅子に乗ることができた。

そこで計る血圧測定。

特に異状は認められない数値である。

ベッドからの離床はなんなくできたのが嬉しい。

車椅子に乗ってからの行先は4階の理学療法室。

さまざまなリハビリ道具が揃っているその部屋でリハビリ運動をする。

10月17日以来の2回目のリハビリ道具は手摺り平行棒。

前回はどういう具合でされたのか存知しないが、説明は聞いている。

この日のリハビリ運動に立ち会ってもらっていいですよと承諾されたので後をついていく。

初めて拝見する4階の理学療法室は広い。

しかも、外の景観が見える気持ちの良い部屋である。

手摺り平行棒の角に近づける車椅子。

一段、二段も下げた平行棒の位置調整。

患者さんの身長に合わせて調整する。

座っていた車椅子から立ち上がったおふくろ。

エイっていうかけ声もなくすっと立った。

両手で平行棒を手すり代わりに身体を支える。

立ちあがれば直ちに血圧を測定する。

測り終われば、そろりと腰を下ろしながら車椅子に座る。

そこでも血圧測定。

測定値はいずれも平穏で、120以下の値に安心する。

これが100以下に下落するとなれば、即刻取りやめになる。

120前後であるなら平穏な状態なのだ。

そしてもう一度、手すりに両手を支えて立ち上がる。

手すりに支えながら、足踏みをする。

背中はピンと伸ばして真っすぐな姿勢で立つ。

そして足踏みをする。

右足の力が弱いと診断された。

足の力の状態がわかれば、車椅子に座って、またもや血圧を測る。

一動作ごとに測定されて本日はこれまで。

病室に戻ったのは午後4時。

往復車椅子の移動も含めてリハビリ運動は一挙にレベルを上げない。

少しずつ、足の動きを診て筋肉の具合を確かめるのである。

足の踏み込みが弱いのは、お尻の筋肉落ち。

今後のリハビリ運動は筋肉力を高めることになる。

ベッドに戻ってきたら車椅子から身体を自力で動かして移す。

ベッドの手すりに右手を添えて支える。

その次はお尻をベッドにのせる。

その次は、右ひじをベッドにあてながら、身体を落としていく。

そして、横になる。

つまりは右手で身体を支えるのではなく、肘で支えるのである。

手で支えた場合に起こりやすい状況は、手の骨折、或いは負荷がかかって腕が折れることもある。

それを避けるために身体を支える第一の法則は肘当てである。

身体を左右に動かして装着しているコルセットの位置を調整する。

大きな調整はリハビリ担当のK理学療法士にしてもらう。

がっちり力強く、支えた身体をあげてコルセットを下げる。

パジャマの生地をもって下げる。

コルセットをあげる。

これも自力でできるようになれば良い。

そうして体制を調えたらベッドに仰向け。

これより始まるリハビリ運動は足のふくらはぎなどの筋肉揉み。

膝の曲げ伸ばし運動もしてもらう。

この運動を毎日してもらっていたからいとも簡単に立ち上がることができたのだ。

車椅子に乗り移るのが、怖くて移れなかったこともあった。

一週間前のことである。

心配していた筋肉の衰えは若干あるものの、十分な動きをしてくれた。

しかも、膝で支えて横たわる訓練も毎日してきた。

おふくろ本人の動きが早いのにはびっくりするほどだ。

1時間余りのリハビリ運動をしてきたが、疲れもなく、目眩もないというのが嬉しい。

ベッドでお尻筋肉アップもしてもらって気分は上々。

今後の目標は・・と云っておふくろに指示をするリハビリ理学療法士。

来週初めには、車椅子へ自力移動して、ナースステーション前の共用ルームで皆と一緒に美味しく食べるようにしましょう、と云えば、そうしたいという。

頑張る姿が一つ筋の光明を照らす日であった。

(H29.10.24 SB932SH撮影)