マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

別所町の貰い花

2015年03月31日 08時17分30秒 | 我が家の花
花植え作業をされた別所町。



花ポットが余ったからといただいたピンクのランタナとハイビスカスが我が家の庭に咲いた。

朝に咲いたハイビスカスの色は赤色に近い。



昼過ぎになればややオレンジ色に変化したハイビスカスは夕方に萎んだ。

一日花だったのだ。

その後も一輪、一輪咲いてくれたが・・・・。

細長いラッパのようになった花開きの朝。

花びらは広がることなく昼間にポツリと落ちる。

どこかおかしい。



その点、ランタナの花持ちは長い。

夕方であろうが、翌日も広がるように咲いている。

(H26. 8.28 EOS40D撮影)
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丹治の地蔵盆

2015年03月30日 07時31分05秒 | 吉野町へ
最近はニュースでも取りあげられるようになった吉野町丹治のどろん子祭り。

今年は6回目になる。

どろチャリ、どろん子フラッグの競技もあればどろんこすべり台もしていると云うどろん子祭り。

団体のカメラマンも来て賑わっているそうだが「着替える子供を撮っている者がおってどなったこともある」と中二区の区長さんが話していた。

いやはや困ったことである。

この日は丹治の地蔵盆。

野菜の造りものや御膳、シンコダンゴ御供もあると知って訪れた。

早めに着いて聞取りをしようと思っていたが14時ころでは上第一、中垣内ともに誰もおられない。

街道を下って金龍寺角地にある中二区の木戸口地蔵尊へ。

雨が降ると判断して午前中にテントを立てたそうだ。

にわかに黒い雲に覆われて雨が降り出した。

本降りである。



中二区の木戸口地蔵さんの前には上から、4、4、6、8個の提灯を吊った「ダイガク」のような形を立てていた。

以前はそのような形態ではなく、地蔵さん周りを囲むように提灯を吊るしていたという。

かつて丹治の神社のマツリに高張提灯をかたげてオワタリをしていた。

ヨミヤにも高張提灯を掲げていたが、古座・新座の宮座行事と重なり、忙しくなった。

そのころから若い者もおらんようになった。

担ぐ人がいなくなった。

そういった事情があってやめたオワタリ提灯。

高張提灯の形式を継承した地蔵盆に掲げるようになったという提灯立て。

今から、6、7年前から金龍寺側と道路隔てた反対側に立てるようにしたと話す。

この日は雨天。

ビニールカバーを被せて調えた。

日が暮れた頃、提灯に灯りが灯った。

宮座行事の詳しいことは聞きそびれたが、今では両座を纏めてひとつの座にしたようだ。

丹治の地蔵盆のお供えは野菜の造り物だけでなく、串に挿したシンコダンゴ盛りもある。

近年は手間のかかるダンゴ作りはお店に注文するようになった。

盛りもしなくなった垣内・組もある。

今では挿すこともなく餅屋で作ってもらったダンゴを供えるようにした中二区の木戸口地蔵尊。

つい最近まで使っていたというシンコダンゴを串に挿す太い藁束と御供桶を倉庫に残していた。



桶の裏側に「地蔵尊御供桶 明治三拾三年旧八月」と墨書された記銘があった。

今ではシンコダンゴを挿すこともない中二区。

餅屋で作ってもらったダンゴを供えるようにしたと云う。



シンコダンゴは赤、緑の色粉を塗ったものだ。

昔からそういう形だったようであるがラップで包んでいるので判り難い。

しばらくすればどこからともなくやってきたおばあさんが置いていったダンゴ。



ラップ包みであるが、よくよく見ればドロイモ(サトイモ)と思われるイモに餡を塗している御供はイモボタであろう。

90歳のおばあさんはいつもそうしていると区長らが話していた。

奈良県の郷土料理の一つに挙げられるイモモチは東吉野村の鷲家で拝見したことがある。

史料によれば吉野町の他、下市町、天川村、野迫川村、下北山村などの吉野郡地方ではイモボタと呼んでいるようだ。

15時ころともなれば廻り当番のトヤ家がお供えをされる。

前日に家族とともに作っておいた野菜の造りものは流行りのふなっしーと吉野町アイドルのマスコットキャラクターのピンクルだ。

胸に「吉」の文字まである。串に挿すことなく乗せているだけの造りもの。



動かす際には注意を要する。そろりそろりと供えていた。

ジャガイモ、パプリカ、ズッキーニで目はナスビで作ったピンクルは親父さんの手作り。

ふなっしーは娘さんが作ったそうだ。

材料はウリ、水ナス、イトカボチャにピーマン。



表情が愛くるしい。

トヤさんが云うには、日程・行事名は知らないが国栖で夜中に家を回ってお菓子を貰う行事があると話していた。

御膳はのちほど持ってくると云われたが丹治では中二区以外に数カ所で行われている。

一時的にどしゃぶりとなっていたが、上ではやや小雨。

テント、提灯などの飾り付けの作業をしていたた上第一隣組に着いたのは15時だ。

トヤの人はサラリーマン。

気をもんではいるものの造りものは間に合わず野菜盛りにしたと云う。

かつては当地でも御供桶があって串に挿したシンコダンゴもしていたと云う。

一旦は失礼して下の垣内に移動した時間帯は15時半。

一カ所は上三組・中一組合同の中垣内の地蔵盆である。



ヒバの葉で作った屋根を設えたヤカタ納めの地蔵さんに供えた造りものは、またもやふなっしーだ。

ソーメンカボチャ、メロンマッカ、赤いパプリカでこしらえたと云う。



両端には紅白の餅を供えていた。

ここでもかつては串に挿した色粉塗りをしたシンコダンゴであった。

型に入れたダンゴは蒸して吊るしていたが、今では皿に置いた杉の葉に盛っている。

屋根葺きはヒノキ材。

お皿はなぜに杉の葉であるのか。

答えは簡単。

ヒノキであればダンゴがくっつくのである。

中垣内の地の北手にある山は「シロヤマ」と呼ぶ山城があったそうだ。

弘法大師が通ったとされる山道を歩く人物。

ちょん髷を結った侍が不審者であるかどうか、見張っていたと云う歴史的な街道である。

ここより南へ20mの地にも地蔵盆が行われている。

上二組・上三組合同の中垣内である。

こちらの造りものは映画「アナと雪の女王」に共演するオラフ。

映画を観たことはないが、今にも動き出しそうな表情のオラフはダイコン、ジャガイモ、タマネギで作った。

ニンジンの赤い鼻が決めてである。



手の材料は何だろうか。

左横にあるのは発泡スチロールで現した雪ダルマ。

なぜかダイコンの葉があった。

ここも屋根材はヒバである。



かつて藁束に串挿しのシンコダンゴを供えていた御供桶はお供えの飾り台に転用していた。

シンコダンゴはモチに替ったものの杉の葉を敷いて盛っていた。



御供はパンやお菓子にバナナもある。



丁度そのころやってきたお菓子貰いの子供たち。

オラフはここにいるよと云ってみたものの気がつかなかったようだ。



時間は16時半を過ぎていた。

県道を挟んだ向こう側でもしていると教えてくださった向丹治(むこうたんじ)の集落。

作業場のような場に地蔵さんを祭っていると云う。

向丹治ではきちんとした祭壇を組んでいた。

午前中出かけた桜団地の近くの赤土が採れる地の里道。

そこに安置されている地蔵さんはこの日だけここに移動していると云う。

一年のうち、この日だけは向丹治の垣内に下りてくる地蔵さん。

雨風にあたっては気の毒だとヤカタを作ろうとしたが「入れたらアカンと云われて断念した」そうだが、アカン理由は何であったのか判らないと話す。

この地蔵さんは眼病に効くとかで、聞きつけた人がお参りしている姿をときおり見かけるそうだ。

20年ほど前のことだ。「一週間ほど出かけはった。警察に捜索願を出して、探してみれば近くの山の中にいてはったから元の場所に戻ってもらった」と云う。



参考までに村の人が記録された写真を載せておく。



そのような逸話がある地蔵さんの祭壇には両脇の竹製の花立てがある。

さまざまなイロバナを飾っていた。

ヤカタ奥には串挿しのシンコダンゴを供えていた。



ここでは今でも健在の御供桶もあった。

お供えには生御膳もある。



垣内によっては飯盛り、汁椀、採れたての野菜盛りもあれば調理御膳の場合もある。

他所でも見られた野菜造りのふなっしーもある。



全体は黄マッカであるが、胴体内部はウリで周りにキュウリを詰めたそうだ。

手はバナナ、目はショウガ、足はトウモロコシ、ネクタイ・口がニンジン。

手がこんだ造りである。

これで3体目のふなっしー。

今年いちばんの人気はひっぱりだこである。

このころの時間帯は17時。

雨がざんざん降ってきた。

奈良県北部や平坦では警報が出たそうだ。

丹治の雨量はざんざんだったが少しはマシな降り。



小雨になったころを見計らってやってきた親子連れの子供たち。

次から次へと参拝されていた。

お参りを済ませたらお菓子・飲もの。



いずれを選んでも構わなく、2品をもらって次の地蔵さんへ巡っていった。

稀には一人でやってくる男の子もいる。



賽銭を入れて手を合わせていた。

そこへやってきた団体の親子連れ。



お父さんは赤ちゃんを前抱っこしていた。

昨今のおんぶは背中後ろではなく前抱っこ。

最近は背中おんぶは見かけたことがない。

時代も大きく変容している。

御膳も供えたころだと判断して小雨になった丹治を行ったり来たりする。

17時50分に戻った上第一隣組。



ここでもベビーカーを押す親子連れの参拝者が何組か来ていた。

祝儀と思われる御供袋が増えていた。



お供えは各戸がされたと思われるブドウ、バラ寿司、みたらしだんごなどがある。



シンコダンゴをやめて御供餅の盛りやトヤが話していた野菜盛りの御膳もあった。

赤、緑、黄色の色粉をあしらったパック詰めの花型シンコダンゴも供えていた。



テントを設えていた垣内住民も手を合わす地蔵盆巡り。

3人並んでお参りする子供たちもいた。



先に参った地蔵さんで貰ったお菓子を辻で食べていた子供たちだが作法はきちんとしている。

中垣内の2カ所も取材の礼をしたいが下の木戸口地蔵に向かった。

戻ってきた時間は18時20分。

この日の地蔵巡りは身体が限界だと言いだした。



丹治の地蔵巡りは小降りの参拝であるが、途絶えることはない。

高張提灯にローソクを灯していた。



夕闇の灯りの雰囲気が風情を醸し出す。

ふなっしーもピンクルもしっくりおさまっている後方に御膳があった。



3時間前はなかった御膳を見届けて5カ所巡りをした丹治をあとにしたが他に4カ所もある。

ワセダと呼ばれる地、吉野神宮駅踏切南の地、水分神社付近の民家、貯木場である。

18時を過ぎた時間帯。

金龍寺の住職がそれぞれの地蔵さん出向いて12体あるという地蔵さんに法要をされると聞いていたが、丹治の滞在時間は5時間。

体力の限界を感じて断念した。

金龍寺の御膳はもっとすごいと聞いていたが訪れる時間を確保することはできなかった。

全容は来年に持ち越しである。

(H26. 8.24 EOS40D撮影)
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斑鳩西里東垣内の地蔵盆

2015年03月29日 07時35分54秒 | 斑鳩町へ
斑鳩町西里の地蔵盆は東垣内でも行われていると聞いた。

地蔵さんの場所は法隆寺西南の角地である。

歩いていけばどことなく鉦の音が聞こえてきたが、どなたもおられない。

付近を探してみればそこより南へ40m。

食事処建物下の駐車場であった。

雨がいつ降ってもおかしくないこの日。

雨を避けて屋根を借りたこの場に移したそうだ。

般若心経を三巻唱えて数珠繰りが始まりだした。

昨年に聞いた件を伝えて撮影を承諾していただいた。

東垣内は15戸ぐらい。

集まった人たちは婦人や子供たちだ。

ゴザを敷いた場に丸く座って数珠を繰る。

「なっまいだ なんまいだ」のお念仏を唱える数珠繰りは23回。

子供が数取りをしていた。



大きな数珠を束ねて背中をさする身体堅固。

大人も子供もしてくださる。

お供えはオニギリとパンにお菓子である。

お下がりをもらって解散した時間帯は真っ暗になっていた。

(H26. 8.23 EOS40D撮影)
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斑鳩西里中垣内の地蔵盆

2015年03月28日 09時05分26秒 | 斑鳩町へ
昨年、斑鳩町西里の廻り地蔵さんの地蔵会の際に伺った西里の地蔵盆。

前日の23日に垣内単位で地蔵盆が行われていると婦人が話していた。

この日は雨が降りそうな気配だった。

訪れた地は中垣内。

西里の集落は古い家も建っているが、新築・改築された家も多く、旧村のような景観はごく僅かのように思えた。

門屋前にはどことも懐かしい赤色の防火バケツを置いていた。

集落中央には火伏せの神さんである愛宕さんの石塔がある。

総会で決まった二人が正月明けに京都の愛宕神社に参ってお札をもらってくる代参があるようだ。

どの家も防火バケツを置くようにしたのは、集落で火事は起こしてはならないという地域全体を守る防火活動の一貫である。

地蔵尊は訪ねた家の門屋前。

家人の話しによれば、台座ごと盗まれて付近の畑に捨てられていたという。

ところが後日に見つかった地蔵尊は下半身と台座だけだった。

門屋前に安置する石仏の地蔵さんは上半身が見られない。

欠損はしていても地蔵さん。

朝、夕、欠かさず水差しの水は入れ替えていると云うご婦人は家の花を飾っていた。



この日の花はコウヤマキ、ケトなどだ。

中垣内の地蔵盆は3軒で営まれている。

この年は直近に親戚筋が亡くなったことから服忌で参加できずに2軒で行われた。

本来ならオムスビを供えるのであるが、門屋の婦人宅もなんやらあって忙しく、コンビニで買ってきたオムスビを供えることにした。



近くに住んでいる孫家族もやってきて、隣家の奥さんもそろって一巻の般若心経を唱える。

地蔵盆の営みはそれで終わり。

おばあちゃんが元気だったころは通りすがる子供や大人の人に供えたオニギリをあげていたと云う。

門屋の旦那さんが西垣内の住民に地蔵盆をいているかどうか電話をかけて確かめてくださった。

結果といえば、1時間前に終わっていたそうだ。

そこでは軒数も多く数珠繰りをしていたようだと伝えられた。

(H26. 8.23 SB932SH)
(H26. 8.23 EOS40D撮影)
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小泉町市場西垣内の楠地蔵尊

2015年03月27日 07時48分48秒 | 大和郡山市へ
毎月23日は朝8時からお勤めをしている大和郡山市小泉町・市場西垣内の婦人たち。

年寄り9人のお勤めの場は富雄川に架かる小泉橋すぐ近くの楠地蔵尊。

毎月の当番を決めて朝、夕に花を添えている。

この日の朝もお勤め。

安養寺の住職の都合もあって一時間早められた。

着いたときには地蔵尊法要後のお稲荷さんを祀っている一本松大明神に唱える般若心経。

始めに「稲荷祝詞」を奏上していた。

毎月しているからいつでも会えると云っていたが、機会を逃して一年後の再会。

一つ年齢があがったが、元気な姿はかわりない。

この日は16時に再び集まって数珠繰りをする。

着いたときにはすでに終えて数珠で肩をなでる身体堅固をしていた様子を車越しに拝見して通り過ぎた。

(H26. 8.23 SB932SH撮影)
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九条水込地蔵尊の地蔵盆

2015年03月26日 08時45分46秒 | 大和郡山市へ
地元に住んで30数年を越えた。

かつて通勤していた時代には毎日歩いていた通り道。

そこには地蔵さんが安置されている。

気にはかかっているもののこれまでどなたとも遭遇したことがない地蔵さん。

付近に住む住民の話によれば道を下った近鉄電車・九条駅近くの人がときおり来るらしい。

婦人だと思えるその人はお花を飾っているようだと聞いていた。

我が家から歩いて600m。

地蔵さんが安置されている向こう側は九条墓地だ。

転居した当時は街灯もなく真っ暗な道だった。

墓の前を通るときは懐中電灯で足元を照らしながら帰っていた。

今では街灯も設置されていから笑い話である。

当時勤めていた社内の若いもんから「ケモノ道やな」と云われていた。

この日は大和郡山市内のあちこちで地蔵盆が行われている。

住む地域の城村・旧村主水山では夜7時。

今では新興住宅に住む人も加わって西国ご詠歌を唱えている。

大和郡山市内でこの日に地蔵盆が行われている地域がある。

どの場でどのような形でされているのか調べなくてはならない。

これまでの調査では8月地蔵盆が行われている市内地域は39カ所。

7月地蔵盆では22カ所。

おそらくはもっとあるのかも知れない。

調査に出かけたこの日。城下町に出かけようとした際である。

九条墓地の地蔵さんに草むしりをしていた老婦人がおられた。

その人に伺えば、朝10時から地蔵さんの法要をされると云うのだ。

30うん年間、永い間待っていた地蔵盆の様相を拝見するにまたとないチャンス到来の緊急取材である。

参られる人たちは九条町の尼講。

10人ぐらいだそうだ。

下った九条町から歩いて600mであるが「老人用乳母車を押してきますんや」と云う。

尼講は高齢者。坂道を登ることも困難である。

家人に頼んで車に乗せてもらってやってくる婦人もいる。

地蔵さんにブドウ、ゼリー、お菓子を供えて僧侶を待つ。

僧侶は九条墓地内にある極楽寺の女性住職であった。

並べて安置している地蔵さんに火を点けたローソクや線香を立てる。

拍子木を打って般若心経を三巻唱える。

通りがかったおじいちゃんとお孫さんたち。

車から降りて手を合わしていた。

水込め地蔵尊の名がある地蔵さんの地は地下に水路があるという。

この付近の田んぼに溜めた水を送っていたと話す尼講の人たち。

先代から聞いている話しによれば、大正年間よりもっと前からこうして参っていると云うのだ。

ここより西側はお山のような感じである。

小字名は山ノ口。

湧き出る水は東側にある九条村の田んぼを潤っていたと想定される。



暑い日差しを避けて傘をさす尼講は8人。

汗が流れ落ちる真夏のお参りだ。

般若心経を終えた講中は極楽寺に向かう。

お堂にあがって再び般若心経を三巻唱える。

九条墓地は九条村の総墓であるが、豆腐町、塩町などの城下町や隣村の奈良市石木町に住む人もいるようだ。

柳澤藩の家来衆が墓参りをしていたとも・・・。

行基さんの千百年祭にあたる幕末には供養碑が建之されたという極楽寺。

本尊は鎌倉時代初期の作とされる木造阿弥陀如来立像(造立当時、添下郡西九条村安国寺)。

やや小寸であるが右脇も木造阿弥陀如来立像を安置している。

左脇仏は木造地蔵立像で、その横にはなぜかスリランカの金銅仏も安置していた。

現在の住職は浄土宗。

その前は曹洞宗。

それより以前は大念仏宗派と僧侶が替るたびに宗派も替るというので、「おそらく先代、或いはその前の僧侶が買ってきたものではないでしょうか」と僧侶は話す。



ローソクを灯して住職のお勤めは般若心経を三巻。

尼講も心経を唱えていた。

尼講たちが住んでいる九条町は植槻八幡神社の氏子圏。

かつてオンダ祭でたばった松苗を苗代に立てていた場を拝見したことがある。

松苗を立てていた家は尼講の家だったのだ。

(H26. 8.23 EOS40D撮影)
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思いを届ける郵便ポスト

2015年03月25日 07時27分26秒 | 大和郡山市へ
さまざまな思いを運ぶポストマンのお仕事があってのことだ。

今ではメールで済ませる時代。

ハガキ・封書で思いを届けるのが郵便ポスト。

家に届くほとんどはダイレクトメールである。

平成14年10月24日に訪れた十津川村。

玉置山を車で登った際に遭遇した郵便屋さん。

十津川の山々を背景に村落を走って配達する姿を見たものの一瞬で通り過ぎた。

シャッター押す間もなく・・であった。

はっきりと覚えていないがその年に郵便写真のコンテストがあった。

撮っておれば応募していたかもしれない。

それからというものは郵便配達員やポストも意識するようになったが、風情がある民家がなかなか見つからない。

(H26. 8.22 SB932SH撮影)
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春日の風ノ祈祷

2015年03月24日 09時55分17秒 | 山添村へ
山添村春日の春日神社で行われている年中行事は数多くある。

申祭りをはじめに、オトナマツリアタゴサンコンピラサントヨリ。「トヨリ」を充てる漢字は「当寄り」。

春日若宮神社の祭り当番の役目を決める儀式である。

平成21年10月4日に取材したことがある。

未だ木の宮さんは知らずにいる春日の行事は山の神も拝見したことがあるがこの日行われた風ノ祈祷も始めてだ。

春日神社・直会殿で行われる風ノ祈祷を聞いたのは10年前だ。

神社に参るわけではなく、直会殿で榊の葉をちぎって両肩後方に投げる祓い清めの儀である。

その場で般若心経を唱えると聞いていた。

知人の写真家が伝えてくれた風ノ祈祷の在り方。

般若心経を終えた村人らは6カ所に別れて祈祷した竹の札をそれぞれの垣内の地に立てると話していた。

おそらくは村を囲むように立てるのだろうと推測していた。

知人は一カ所に付いていったそうだ。

そのような話しを聞いてから数年間も経っていた。

是非とも拝見したいと思って出かけた春日の直会殿。

顔馴染みの氏子たちが集まっていた。

春日の不動院の住職に予め祈祷してもらったお札は半切りにした竹に貼っていた。

願文は「奉読誦慈救咒大字中安全風雨順和五穀成就祈攸」である。

読誦することによって村を雨風から守り五穀成就を祈るということであろう。

祈祷札の竹は8本手渡したのにお札は7枚で返ってきたと話す。

本来は8本である。

1本は直会殿に納めて残る7本を各垣内の氏子が持ち帰り、持ち場の地に立てると云う。

12時ころより始まった直会殿の寄りあいは「日待ち」である。

席について会食する前は村の報告や相談ごとを話しあう。

グランドゴルフ、観月祭、コンピラサンの会食内容や回数を協議する。

結論が出たところで区長らが供えたお神酒を下げる。



そしてドウゲが酒を注ぎ回る。

「ドウゲ」は行事の下支え役。

充てる漢字は「堂請」である。

ドウゲは二人一組で家廻りの順で毎月交替する。

月初めのサヘイ(朔幣)もあれば、行事の月も、である。

「日待ち」の会食は2時間。

延々と飲み続けていた。

ドウゲは忙しく酒を継ぎ回る。

酒杯が空になれば酒を注ぐ。

ドウゲは休むこともできない下支え。

パック膳の料理を口にする時間もとれないと云う。

風ノ祈祷が始まったのは14時だった。



上座は長老と区長、両側に年齢順で座につく。

上座に置かれたのが祈祷されたお札である。

ドウゲから手渡された榊を受け取った長老・区長が始めに一枚の葉っぱを千切って肩後方に投げる。

もう一方の肩もそうする。身を清める作法である。

この作法はオトナマツリのときと同じである。



上座から順に廻された榊を受け取った氏子はそれぞれが作法をして順送り。

下座についたドウゲも同じく作法をされるが、右、左、どちらが先になっても構わないようだ。



かつて宮守を勤めたドウゲ。

作法をされて手を合わしていた。

それから始まる般若心経は10巻。



前半に五巻を唱えてひと息をつける。

わずかな時間の小休止を挟んで後半の五巻を唱える。



前半はドウゲが上座に進み出て、榊の葉を一巻唱えるごとに一枚の葉をお札に落としていた。

「唱える巻数を数えているのだ」と話していた。

後半は上座の長老に五枚の葉を渡して下がるドウゲ。

数取り役は長老に替ったのだ。



こうして儀式を終えたらお札は各垣内の5人が受け取って解散する。

2本の祈祷札を預かった寺総代に同行させてもらって祈祷札立てを撮らせてもらう。

春日の戸数は48戸。

市場、西岡、山脇、海老浦(えびら)、呼出(よんで)の5垣内に分かれている。

同行させていただく寺総代は市場在住。

一旦、自宅へ戻って槌を軽トラに積みこんで出発する。

向かう先は名阪国道トンネルを越えた地である。

その場にはこれまで立てた祈祷札が並んでいた。

寺総代の話によれば「何本か溜まっていけばトンドで燃やす」と云っていた。

朽ちた祈祷札の竹を抜いて傍に置く。



そして新しく祈祷札を打ちこんでいく。

向こう側に白っぽいものが見えるのは走行中のトラック。

そこが名阪国道である。



寺総代にくっついていかなければ判らなかった祈祷札を立てる場。

地図だけではとてもじゃないが見つからない場である。

その場は大字遅瀬との境界になる。

もう一カ所は大字大西との境界地。



草がぼうぼうに生えていた。

これもまた見つけることが困難な場である市場西。

この他にある村の境界地は大字菅生や山辺高分校グランド付近、コンピラサンからさらに奥へ行ったトンド場の大門があるそうだ。

山添小学校より北側の山脇垣内に2か所、学校より下った大字広代との境界だと云う。



この写真の向こう側のようであるが、この日の取材は地に馴染みがなく断念した。

村の境界に風の祈祷札を立てる地域が他所にもある。

山添村・大塩、奈良市月ヶ瀬・月瀬、天理市・西井戸堂の在り方を拝見したことがある。

探してみればもっとあるのではないだろうか。



祈祷札立てを撮らせてもらった寺総代の玄関にはヤカタがあった。

御所市や五條市で拝見した祈祷札のヤカタは春日にもあったのだ。

(H26. 8.21 EOS40D撮影)
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明星ラーメン紀行青森煮干中華そば

2015年03月23日 07時31分29秒 | あれこれインスタント
天理のビッグ・エクストラ店で特売していた明星ラーメン紀行煮干中華そば。

こんなラーメンが発売されたんだ。

試しに買っておいたラーメンは車中食。

風ノ祈祷が始まるまでは直会殿で会食される氏子たちはパック詰め料理で酒を飲む。

日待ちの会食であるが、私は簡単料理のカップ麺。

持ってきたポットからお湯を注いで4分間待つ。

買ったラーメン紀行は青森編。

全国各地のご当地ラーメンの一つだ。

第3弾というだけに他種もあるそうだが、売っていなかった。

蓋を開ければぷうんと煮干しの香りが飛びだした。

煮干しを出汁にしたラーメンを食べたことはあるが、やたらと魚臭い。

青森煮干中華そばはそうでもなく優しい香りの素朴な味である。

麺は細麺。

香味野菜の旨みが効いた醤油味。

これもまた、あっさりしている。

食べる前には添付してあったあと入れ調味料を垂らす。

メーカーによれば焼干風味のオイルだそうだ。

具材は薄べったいチャーシューやメンマに斜め切りのネギが入っている。

なぜか「麩」がある。

カップラーメンに「麩」が入っているのはこれだけでは、と思ったが、メンマやネギも含めて中国産。

原材料の明示はカップに書いておいてほしいと願うばかりだ。

(H26. 8.21 SB932SH撮影)
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東佐味弥勒寺千灯供養

2015年03月22日 09時01分58秒 | 御所市へ
4月に行われた峰山百体観音祭は時間的に間に合わず拝見できなかったが、寺総代らから御所市東佐味の弥勒寺で千本灯明が行われると聞いていた。

同寺でかつて8月13日に東佐味の六斎講による六斎念仏が行われていた。

講中はお一人であるため現在は中断している。

お寺さんや寺総代らに話しを伺いたく早めに出かけた。

到着した時間帯は寺総代や村役員たちが本堂前や弁天さん、地蔵石仏、墓石などにローソクを立てていた。

千本灯明というだけに多いローソクの本数。

いったいいくらであるのか尋ねてみた。

使用したローソクの箱は空っぽだ。

箱には20本入りと書いてあった。

このローソク箱を数えてみれば60箱にもなる。

単純計算してみれば1200本。

風でローソクの火が消えないようにすべてのローソクは紙で巻いていた。

役員たちは手分けして作業した。

「けっこうな時間がかかった」と云うのに納得する。

この日の寺行事は千灯供養。

始めに施餓鬼供養が行われる。

この日は14時に行われたようだ。

しばらく間をおいて19時より千灯供養が行われる。

千灯供養は巡拝する地蔵菩薩や弁天さんに紅白の御供餅を供えていた。

2斗も搗いた御供餅。

木桶の内部にいっぱい詰まっている。

その上にはセンベイのような形の「テンゴク」と呼ぶ餅も供えている。

こうした御供餅を予め供えておいて始まった千灯供養。

まずは本堂にあがった住職が本尊に向かって法要を営まれる。

お堂には数人の婦人らが上がっていた。

手を合わせてご真言を唱えている。

弥勒寺は高野山真言宗派である。



本尊法要は18時40分ころより始められて数分間の法要が行われる。

その間に何人かの村人たちが参拝に来られる。

「誰でもいいから」と云って鐘楼を撞く。

総代も鐘を撞いていた。



やってきたご婦人も撞けば連れてきた子供も撞く。

いわゆる呼び出しの鐘撞き。

これより千灯供養が始めるという村人への合図である。



鐘の音色を聞いた村人たちはぞろぞろとやってきて、本堂前庭に立てたローソクに火を点けていく。

ローソク立ては前庭だけでなく地蔵菩薩の前にも立ててある。



そこにもローソクに火を点ける。

村人はあっちこっち、と火点けに移動する。

葛城山系に陽が落ちて夜に移る寸前の地蔵法要である。



地蔵菩薩の石仏は高野山開創1200記念の大法会奉修供、弥勒寺改築の際に亡くなられた物故者の追善法要の為に造立したそうだ。

檀家たちは我が家の墓地にもそれぞれローソクを灯していく。



その間も住職は地蔵菩薩に向かって法要をされる。

暮れていく夕闇に灯したローソクの灯りが幻想的になってきた。



子供連れの家族もやってきてローソクの火点け。

水平にすれば火が消える、立てれば蝋が落ちてやけどをする。

始まる前に注意事項を述べた住職が話した通りに火を点けるが、子供たちは遊びのつもりもあってかトーチにする子もいた。



地蔵さんに法要をした住職は本堂本尊、弁天さんにも弔いの供養念仏をされる。



そのころともなれば婦人たちが住職の後列について並んでいた。



ぐるりと境内墓地を巡って再び地蔵さんに参る。

これを3回繰り返すのであるが、この夜はサービスがあったのか4回も巡った。

巡礼或いは巡拝のような千灯供養の在り方のように思えたが、墓石の前で拝む人は見られなかった。

ちなみにこの辺りで行われている施餓鬼は弥勒寺が最後だと云う。

千灯供養も〆になるのでは・・と思った。

1時間20分も保つというローソクの火。

30分も経てば消えているローソクもあった。

紙で巻いていたことから風に煽られて燃え方が早かったようだ。

ぞろぞろ住職についていく檀家たち。その数は多く、子供もついていく。

伸びた行列は20数人にもなった。

「千灯供養の巡礼は昔からこういう感じだった」と寺総代らが話していた。

こうして千灯供養を終えたら「ゴクマキ」に転じる。

供えた餅を撒く場合は「ゴクマキ」。

供えずに単に餅を撒く場合は「モチマキ」と呼ぶが、そういうことも知らないのは見かけしか知ろうとしない町の人。

誤解する人も多いので敢えてここで書かせていただく。

弥勒寺では争いに巻き込まれないように配慮して先に小さな子供にお菓子を手渡し。

狭い境内前庭にひしめくように座った村人たち。



夜のゴクマキをとらえるのは難しい。

(H26. 8.20 EOS40D撮影)
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