マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

楢原駒形大重神社秋祭り

2011年11月30日 06時42分12秒 | 御所市へ
夏祭りにススキ提灯が繰りだされている御所市楢原(ならはら)の駒形大重(こまがたおおじゅう)神社。

秋祭りにおいても神社に献燈されるのだ。

上から2個、4個、6個の提灯が下げられている葛城の笛吹神社の十二振り提灯や五條東阿田の八幡神社のスズキ提灯のような形であったが数は異なる。

上から2、4、4の10個もあれば2、4の6個というものである。

御所の鴨都波神社で献燈されるススキ提灯は高さ4、5メートルもある10個の提灯。

その数が同じの御所の高鴨神社の寿々伎提灯がある。

提灯の呼び名は異なるが、いずれも村内の垣内から担いで参拝される献燈行事であり金剛山や葛城山系の麓に属する村々では数多く行われている。

その献燈が行われる数時間前の楢原駒形大重神社。

総代や石川、山中西、川添、道場(どうじょう)、植垣内(うえがいと)、市場城垣内、島ノ上(しまのうえ)、風呂(ふろ)、馬場中島(ばばなかじま)、園之池(そうのいけ)、田口(たぐち)の楢原14ケ垣内の役員たちが集まってくる。

境内にはススキ提灯を立てる杭を打ち、拝殿前には提灯を飾った。

杭は12本立てる。

一斉に揃えばそこにずらりと並ぶそうだ。

拝殿にもずらりと並ぶ膳がある。

ジャガイモ、ニンジン、麩の三種の御供は板に串挿したもの。

その数といえばおよそ150枚。



各垣内を合わせたすべての戸数だという。

それぞれに供えられた村人の名が記された札が付けられている。

実に壮観な様相である。

この御供は末社の琴平神社、市杵島神社、八幡神社、春日神社、神明神社にも供えられる。



拝殿に並ぶ形式の御供に似た行事がある。

チンポンカンポン祭で名高い葛城の柿本神社である。

また、奈良市都祁の来迎寺のイシキの御膳も、である。

どことなく仏事的な要素が見られる御供の前に座った役員たち。



神饌を供えて始まった秋祭りの神事。

祓えの儀、祝詞奏上など厳かに行われる。

それを済ませた人たちは参籠所で会食となる。

献燈されるまでの時間はそこで歓談のひとときを迎える。

(H23.10.16 EOS40D撮影)
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馬司杵築神社の祭りの音色

2011年11月29日 08時38分01秒 | 大和郡山市へ
お渡りは大きな御幣を持つ礼服姿の自治会長を先頭に宮司、巫女。次に十人衆が並ぶ。

その後ろは総代ら役員が続く行列だ。

先ほど到着した太鼓台と神楽提灯とともに町内を練り歩く。

出発の際に発声された「トリオイの唄」。

行列が行われる最中もそれが発声される。

一老が発声する「オォーーー」に続いてお渡りの人たちは「オーー」と唱和する。

それは辻などでときおり発声される。

話によれば鶏を追うように発声をするのだという。

ゆっくりと練り歩くお渡りの後ろでは「よーいそれっ」と掛け声をかける法被姿の子供たちの声が聞こえる。

ドン、ドンと太鼓を打つ音に混じって聞こえる掛け声だ。

太鼓台や神楽提灯を曳く子供の声がより一層雰囲気を盛り上げる祭りの音色が町内に響き渡る。



その姿を一目見ようと巡行道中に現れる町内の人たち。

お礼をする姿も見られる。

10数分ほどかけて神社に辿りついた。



後続の太鼓台や神楽提灯も宮入りを済ませると秋祭りの神事が始まる。

本殿と拝殿の間に座った宮司、巫女、自治会長、一老、総代に曳行代表者。

氏子たちも拝殿で座って神事を見守る。

祓いの儀、献饌(三社)、祝詞奏上のあとに巫女神楽が奉納された。

厳かに舞う神楽は浦安の舞。



そのあとには参拝者一人ずつ鈴を振って祓われる。

地元の人たちはこれをその音色から「シャンコシャンコ」と呼んでいるありがたい鈴祓いである。

子孫繁栄、五穀豊穣を願った神事を終えればモチが配られて祭りを終えた。

お渡りをしていた人たちは祭りをまだ終えない。

土地改良区の2階会場に場を移して始まった直会があるのだ。

会場いっぱい広がって座に着く。

宮司と巫女がお酒を注ぎまわるのだ。

カワラケを持つ人たち。

そこに注ぐ金色の長柄の調子。

宮司は巫女に、巫女は宮司。



次いで自治会長へと注ぐお神酒。

まことに珍しい光景の一献の儀である。

労いの挨拶をされて乾杯をしたあとはパック詰め料理を食して1時間ほどは語らいの場。

こうしてようやく祭りを終えた一同は散会して戻っていった。

(H23.10.16 EOS40D撮影)
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馬司杵築神社の祭り姿

2011年11月28日 06時43分19秒 | 大和郡山市へ
自治会長の家に集まった杵築神社の十人衆。

7月8月の地蔵盆で世話をされていた長老たちだ。

大和郡山市馬司町に鎮座する杵築神社はかつて牛頭天王と呼ばれていたようだ。

その名を刻む手水鉢。

年代は見られなかったがまぎれもなく素戔嗚尊を祭神とされるのであろう。

それゆえ祇園祭りと思える夏祭り(6月下旬)がある。

それは巫女さんが湯を飛ばす御湯である。

また、天保三年(1832)六月に建之された燈籠も見られる神社である。

秋祭りにはその神社へお渡りをする十人衆はソウ(充てる字は素襖であろう)と呼ばれる衣装に着替える。

白衣に着替えて帯を締める。

祭典で神楽を舞う巫女さんにも着付けを手伝ってもらってソウに着替えた。

烏帽子を被ってシャクを持つ十人衆。

年に一度の晴れ舞台の姿になった。

ソウと呼んでいる装束は色柄、形から言えば狩衣(かりぎぬ)だ。

元々は素襖(ソウ)であったかも知れないが、それを知る人はいない。

尤も宮司の話によれば先代宮司の発案で昭和40年代に始められたそうで神主と同じ衣装である。

そういうことからトーヤ制度があったとも思われる。

秋祭りの日は16日であったが、現在は村人が集まりやすい日曜日に行われている杵築神社のお渡り

出発する頃には町内を巡行していた子供たちが曳く蒲団太鼓が到着した。



かつては襷掛けの宮入り衣装の大人一人が中に入ってドン、ドン、ドンと太鼓を叩いていた。

その音に合わせて伊勢音頭で囃した。

太鼓台といえば30人ぐらいで担いでいた。

オーコに肩をあてて担いでいたのは30年前ぐらいだという。

現在は曳行する形態に代わったが祭り囃子に変わりない。

もう一つ曳行していた神楽提灯。



上から2個、次の段は4個でその下は6個。

下の段は4個で合計16個の提灯台。

回りに紅白の襷が掛けられ頂点に御幣が挿されている。

これは子供が担いでいたという。

その形態とよく似ていたのが市内小南町の小南神社の秋祭りの提灯がある。

もっともこれは下の段が6個で合計18個だった。

池ノ内町の八幡神社の神楽提灯も似ているがそれは下の段がなく10個であった。

数に違いがあるもののいずれも神楽提灯と呼ばれている。

(H23.10.16 EOS40D撮影)
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馬司杵築神社の宵宮

2011年11月27日 09時04分03秒 | 大和郡山市へ
明日の祭りに際して前夜は宵宮。

大和郡山市の馬司町では杵築神社の拝殿で参拝する氏子たちを祓い清めるお神楽が行われている。

その境内ではテントを張った夜店が大賑わいだ。

お酒もあるし数々の食べ物でお腹もいっぱい。

正面はカラオケ大会の舞台が設営されている。

雨天にも関わらず大勢の人が宵宮に集まった村の祭り。

次々と登場する謡い手に拍手喝さい。

そんな状況においてやってくる参拝者。

氏神さんに参って手を合わす。

健康でありたいと願う参拝者は地元若槻の巫女さん。

神さんに向かって神楽を舞ったあとは参拝者を鈴で清めている。

そんな場とはお構いなしの子供たち。



賑やかな宵宮はこうして夜が更けていく。

(H23.10.15 EOS40D撮影)
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松尾当家の祝い唄

2011年11月26日 07時44分58秒 | 山添村へ
奉納を終えた要人たちは再び当家の家に戻っていく。

そこでは弓張り提灯と幣を付けた笹を持つ二人の親戚と長老が待っていた。

一人ずつ笹を受け取る要人たち。

整列をすれば長老が「あーきのくーにの いつくしまの べんざいてん」と囃せば皆は「あーきのくーにの いーつくしまの べんざいてん」と唱和する。

次の台詞は「ねじろのやなぎ あらわれにけり」。

その次が「げにも そよそよ いざや おがまん」と唱和する。



家に上がるまでこの目出度い台詞を唱和しながら練り歩く。

「ウタヨミ」と呼ばれている所作である。

こうしてようやく家に辿りついた要人たち。

縁側から座敷に上がっていく。

中央にはお米、小豆に紙片を盛った膳が置かれている。



そして始まった福の種撒き。

笹を手にして振りながら一同はそれを中心に右回りをする。

「福の神ごーざった」と長老が発声すれば要人たちは「福の神ごーざった」と唱和する。

「福の種を撒きましょう」と言えば皆は「福の種を撒きましょう」と唱和する。

「何の種を撒きましょう」、「福の種を撒きましょう」と目出度い台詞を囃子ながら時計回りに三べん回る。



「あー めでたいな」を入れてと「何の種を撒きましょう」、「福の種を撒きましょう」と手にしたお米とアズキを座敷に振りまく。

五穀豊穣の目出度い台詞が当家に響き渡った。

そういった所作を繰り返すこと三周。

「そりゃあ めでたいな めでたいな」と囃して祝う当家の座敷。

最後に「おめでとうございます」。

笛が吹かれてドンドンドンと太鼓、鼓の鳴らし締めで終えた。

隣村の室津や桐山でも同じような所作がある。

その唄を当家さんは「イワイコミ」と呼んでいる。

祝いの唄を歌いながら上がり込んでくるからその名がついたのかどうか判らないが、その呼び名でなく「オドリコミ」と呼ばれているのは室津と桐山。

また、菅生では伊勢代参の人たちが戻ってきたら「ヤマ」を立てた講家のヤド。

そこで祝宴している最中に披露されていた菅生の「おかげ踊り」のときも「オドリコミ」と呼んでいる。

呼び名に違いはあるもののいずれも目出度い祝いの唄を言うのだろう。

祝いのお米とアズキに紙片と笹の葉が散らかった座敷は福の種で一面広がった。

その場を奇麗に方付けられたら慰労の場に転じる。

当家の座敷はご馳走の皿がずらりと並ぶ。

祭りを果たした要人の席はパック詰め料理が配膳された。

慰労を込めた盛りつけだ。

酒を配るのは当家の親戚筋。



お酒がはいって歓談は盛り上がる。

そのとき突然に大きな塩焼き鯛を持った大皿を持つ親戚が登場した。

膳盛りの最中に行われるダイビキ(大引)である。


<ダイビキ写真は当家の東辰弥氏提供>

大魚の鯛を大皿に盛った器を掲げて宴の真ん中を歩く親戚筋。

皿を持って左右にゆらりゆらりと振るように前に出る。

要人たちは手を叩いて謡いをする。

「あれわいせー これわいせー」と手拍子で囃子たてる目出度い場に行われるダイビキであった。

(H23.10.15 EOS40D撮影)
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松尾の奉納ジンパイ

2011年11月25日 08時19分00秒 | 山添村へ
前日の宵宮と同様に出発前に稽古をする。

同じ作法をするのだが座る位置が異なる。

横一列になって並ぶ要人たち。

当家、ヒワヒワ、ガシャガシャ、笛、太鼓、鼓の順である。

この順は、お渡りやジンパイとも替ることなく体制は崩さない。

出発前の練習とされる稽古はジンパイとは呼ばない。

「神さんの前でするからジンパイ(神拝)なのだ」という指導役の長老は3年前に勤められた。

それは「人身御供からきた神事芸能だ」と話す。

その話によれば、かつて「若い娘さんを殺してしまった それが弓と矢になった それゆえにヒワヒワと呼ぶ弓は祭りのすべてを終えて最後に捨てる」のだという。

まずは宵宮と同じく遠瀛(おおつ)神社でジンパイ。



カヤの木の石、松尾の水神さん、辻のカヤの木に峰寺の水神さんへの巡拝だが、当家が持つ大御幣は上げたり下さげたりする。

この日の雨は大粒となったが作法は変らない。

傘を持って行われるジンパイであった。



そして六所神社に到着した一行。

宵宮と違って先頭を歩くのはモチを入れた八寸の重箱をオーコで担ぐ御供担ぎ。

当家の親戚筋だ。



一同は呼吸も揃ってお渡りをしていく要人たちはすぐさま本殿には向かわない。

石段も昇らずに長屋へと向かうが、御供担ぎは石段を登っていき神さんに供える。



要人たちのジンパイを一目見ようと集まった村人たち。

当家から用意されたお菓子にモチやミカンが配られる。

手にした人たちの笑顔が優しい。

配るのは峯寺の組頭。

「祭りの下支えや」と言って配っていく。



要人たちは長屋に登って「みなさまご苦労さんです これよりジンパイ(神拝)をさせていただきます」と挨拶の向上を述べる。

宵宮と同様に村方氏子衆の歓迎を受けて宵宮と同じ5品盛りの肴とお酒の場となった。

それを終えて村方氏子衆にジンパイを披露される。

集まっていた村人たちにもジンパイが披露されたあとは峯寺の神さんに奉納される。

鳥居から潜っていくには長屋から下なければならない。

奉納する前には村人へ。

それが終われば神さんへとなるわけだ。

石段を登ってきた一行は本殿左側に入る。

そこには小さな石がある。

それを中心に時計回りでぐるぐる回る要人たち。



大御幣は上下に振りながら三べん回ってジンパイをする。

それを終えて拝殿に上がる。

宵宮ではそこでジンパイをされたが本祭ではせずにさらに神殿へと進む。

神殿と拝殿の間の玉砂利に菰を敷いた場で横一列になって参拝をする。

ゆっくりと6回されるジンパイ。



それを終えて当家は振られた大御幣は神殿に納められた。

奉納を終えた要人たちは再び長屋に移った。

そこで始まったのは宵宮で見られなかったヒワヒワ、ガシャガシャ、鼓の三役のジンパイ披露である。

神さんに奉納されたあとは村方氏子衆にもそれがなされたのだ。



三役が広げた扇を手にして煽ぐのは「埃を払って扇で清める 次は寄せるように扇で煽ぐ」と話す松尾の長老。

そのような所作であった三役が勤めるジンパイ。

宵宮では神さんの前で、本祭は村役に対してであった。

長屋を降りてもう一度ジンパイがされた。

村人への披露である。

こうしてすべてのジンパイの奉納神事を終えると弓持ちは鳥居下の付近に立つ。

そしてヒワヒワと呼ばれた弓を曲げて放つ。

射るように曲げた弓は前方の山に向かって放たれたのである。



以前に拝見した峰寺のジンパイではそれを伺うことを知らなかった。

それも宵宮であっただけに本祭は拝見していない。

的野は未だ拝見していない。

三カ大字でされている祭りの形式が異なるのか、確かめるには2年続けて拝見しなければならない。

(H23.10.15 EOS40D撮影)
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松尾の要人

2011年11月24日 06時41分56秒 | 山添村へ
松尾の要人(ようじん)と呼ばれる舞人は予め決められていた祭典控の順番帳に記載された8人である。

9月に大字役員総代が集まる遠瀛(おおつ)神社のコモリの日に今年の要人と当家を決めたそうだ。

万が一、穢れがあれば遠慮してもらって次回に回ってもらう。

穢れがあるからと2年もあけることだったが、現在は祭りから祭りの一年間としている。

祭りの年の当家は10月初めには家の神さんを迎えておく。

座敷の前庭若しくは門前に青竹を立て紙垂れ注連縄を張った家が当家だ。

宵宮の日の朝に同家へ訪問する要人たちは和服姿。

「本日はおめでとうございます」と挨拶をすれば「お忙しい処、おひま取りしてご苦労さん」と受け入れる。

年長順で決められる要人の役割。

特に笛吹きが肝心であるだけにそれを考慮しながら役割が決められる。

お渡りの先頭は当家で御幣を持つ。

ヒワヒワと呼ばれる弓役、ガシャガシャと呼ばれるササラ役、太鼓役、笛吹き役、鼓役が続く。

「ピ、ピ、ヒゥー、ヘ、ホ」と音階は決まっているが、文字では判り難い音符だ。

音色となる「ピッ、ピッ」は上の穴を開けて吹く。

「ヒゥー」は真ん中の穴を開けて吹く。

全部の穴を塞ぐ「ヘッ」。

逆に全部開ける「ホッ」というわけだ。

これを二人の奏者が呼吸を合わせて吹くのである。

宵宮の日には何度もそれを繰り返してジンパイ(神拝)をされてきた笛吹き。

その音に合わせて太鼓と鼓を打つ二人。

ガシャガシャも手を動かすがそれの音は消されて聞こえない。

ヒワヒワは両手で曲げるように繰るがそれも音は出ない。

この日も雨が降り続く。

当家の家では集まった要人たちが朝から大御幣を作っていく。

御幣切りの寸法は決まっている。

白、赤、白を重ねた三枚の奉紙を切っていく。

割合太めの竹が3本。

麻の緒で縛って奉書で巻く。

それを水引きで括る。

幣を両側に取り付けた御幣。



三枚の日ノ丸扇を括りつけてできあがった。

「これができないとメシも喰えん」と笑う。

なお、御幣作りで残った赤紙は烏帽子に付ける。

これは祭りを終えたときに峰寺の総代に差し出すのだ。



それをもって無事に奉納を終えた証しとしているというが、外すことが困難になったことから実際は予め用意したものを差し出している。

作業を済ませて一旦は昼食をとる。

座敷で談をとる要人たち。

そろそろ行く時間になったと言って装束に着替えた。

その衣装を納めている箱には墨書がみられる。

表面が「六所宮祭用装束箱」で、裏面には「干時文政元年(1818)六月吉祥出来 宮年寄・・・云々」とある。

宮年寄りの名には松尾村が二人、的野と峯寺が一人ずつで二人の世話人が記されている。

(H23.10.15 EOS40D撮影)
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ネット回線切替に伴い無線LANを再設定

2011年11月23日 06時45分09秒 | つうしん
ネット回線の切替が無料キャンペーン中だと言ってセールスがやってきた先月。

話を聞けば固定電話回線を使っているADSLには影響なく切替えができるという。

電話番号もそのままだ。

固定電話は利用しなくとも基本料がかかる。

携帯電話はよく使うようになったがADSLを利用しているだけに固定電話はなくすわけにはいかない。

それが理由ですべてのセールスを断っていた。

不用意に切り替えてしまってネットが使えなくなればとんでもないと思っていたからだ。

その切換えは基本料が不要になるというおいしい話。

つまり現在使っている回線をネットブロバイダ利用しているKCN一本にするというわけだ。

それじゃあ固定電話の契約はどうなるんかといえば中止の扱いだという。

契約はそのままで基本料が不要になれば無駄な年間維持費が削減できる。

KCN回線の利用料はまったく変わりなく通信状況も変化しない。

動画は見ないから今までと替えなくともいいのだ。

という突然のセールスに乗ってしまって回線を切替えすることに決断した。

その工事は10月初めになると言ってからいっこうに連絡がない。

騙されたのかと思っていた。が、契約書はここにある。

何らかの手続きが遅れているのであろうとかーさんが電話をした。

何でも担当が替ってうまく伝わっていなかったようだ。

電話で確認をとっている日にユーザーズガイドが郵送されてきた。

入れ違いだったようだ。

そうして始まった回線切換え工事。

壁に穴を開けて奥の部屋に白い回線が敷かれた。

終わってみればモデムが二つ追加されていた。

一つは電話回線用でもう一つがネット用だった。

特に問題なくネットが開かれた。

あとは固定電話の回線中止。2週間後になるらしい。

それが済めば今まで使っていたモデムは不要となり撤去する。

買い取りしていたモデムは随分と使った。

元をとったのでよかろうと思うが今度のモデムはレンタルしかない。

月額に負担がかかるがそれしかないのでは仕方がない。

この日の工事はもう一つある。

それは無線LANの再設定だ。

誤って無線接続がおかしくなってから数カ月経つ。

仕方なくLINEで繋いでいた。

いつかは元通りにしたい。が、セキュリテイキー、ネットワークキー、パスワードがどうのこうの。

さっぱり設定方法がわからなくなってしまった。

しかもマニュアルがどこかへ消えてしまっているだけに初期設定に戻すこともできない。

そのことを突然来たセールスに話したところ有料で再設定をするという。

この機会を逃すわけにはいかない。

3000円ほどなので手を打った。

それがこの日の夕方に技術者が来る。

山添の取材を終えて大急ぎで帰った。

到着時間前にはすでに再設定を始められていた。

セキュリテイキーはとてつもない32桁の長い番号。

パスワードは、といえばそれが不明。

すっかり忘れてしまったのだ。

これかもと思ったパスワードは撥ねつけられた。

記憶の中にあるいくつかのパスワードのなかでこれかと思われる8桁の番号を投入すればズバリ当たった。

そうして入り込めた無線LAN設定。

改めてキーをチェンジしなければならないと新キーを設定した。

それは32桁から13桁への無線セキュリテイキー。

場合によってはネットワークキーともいうようだ。

これが私の頭を困らせていたのだ。

先ほど入れた8桁はルータパスワード。

なにがなんだかさっぱり判らん。

もう一つの12桁の番号もある。

それは無線LAN機器の固有番号だそうだ。

これをSSIDと呼ぶそうだ。

2台目のパソコンを無線LANで接続する場合には必須となる。

これらのキーは整理して忘れないようにメモしておこう。

その再設定は有料だと聞いていたがお金は不要だという。

なんとこれも無料キャンペーン中だったが後日送られてきた明細には切り替え手数料が書かれてあった。

(H23.10.14 記)
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峰寺六所神社の宵宮ジンパイ

2011年11月22日 08時13分14秒 | 山添村へ
こうして松尾の五か所巡拝を終えると峰寺の六所神社へと渡っていくのであった。

それぞれの道具を鳴らしながら神社に到着すれば鳥居下で横一列になってジンパイ。

清めの手水をしてもう一回。

そして石段を登る。

拝殿の前で拝礼をするとともにジンパイをする。

そして三カ大字の村方氏子衆が集まっている長屋(会所とも)へあがる。

菰を敷いた席に座って頭を下げる。



「お参りさせていただきました」と挨拶し口上を述べる。

それからは肴とお酒が運ばれる。

肴の料理はカラアゲ、カマボコ、コーヤドーフ、コンブ巻きに大きな豆の五種。



酒を飲むなどしばらくは慰労の時間。

それが済めば一同は立って「ご馳走さまでした これよりジンパイ(神拝)をさせていただきます」とジンパイを披露する。

これも神事における一連作法であって三カ大字の祭りごとの儀式なのある。

こうして村役に披露をされたあとの一行は拝殿に上がっていった。

中央を空けて着座した要人たちは神拝の儀式に移った。

拝殿に座る要人位置は決まっている。

神さん側から見た順に右から当家、ヒワヒワ、二人のササラで、左側は太鼓、二人の笛、鼓となる。

当家の家で行われた稽古が発揮されて厳かにヒワヒワ、ガシャガシャ、鼓の三役は心を込めて奉納の所作をする。



こうして宵宮の役目を終えた要人たちは再び当家にあがった。

当家からは慰労を込めて盛りつけられた食事をする。

酒を配るのは当家の親戚筋。

お酒がはいって歓談は盛り上がる。

(H23.10.14 EOS40D撮影)
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松尾の神さんの巡拝

2011年11月21日 06時45分51秒 | 山添村へ
弓を持つ当家を先頭にヒワヒワと呼ばれる弓役、ガシャガシャと呼ばれるササラ役、太鼓役、笛吹き役、鼓役が参った一番最初は松尾の氏神さん。

遠瀛(おおつ)神社と呼ばれている。

そこでは横一列になって拝殿前で行われたジンパイ。

「ピ、ピ、ヒゥ」の合図に全員が持つ道具を三回鳴らす。

それは2回繰り返された。

次に向う先は神社から下った途中の道沿い。

山の方に向かって同じ所作をする。

そこは八ケ峰忠魂碑の方向であってカヤの木の石を拝んでいるという。

その次は松尾堤防辺り。

ワショ川(ハセ川とも)と呼ばれる水神さんに向かってジンパイをする。

かつてはそこに祠(現在は神社の末社)があったそうだ。

もう少し下れば道路辻に着く。

かつてあったカシの木のほうに向かってジンパイをする。

さらに下った場所と言えば布目ダムに架かる橋の上。



そこから布目川の上流に向かって同じ所作をされる。

そこも水神さんだという。

この日は雨が降っていた松尾の神さんとされる五か所巡りの参拝。

傘をさしながらの巡拝は中断することもなく進められた。

(H23.10.14 EOS40D撮影)
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