大和郡山市内の旧村の件を調べていた前月のことだ。
旧村のことは昭和41年に発刊された『大和郡山市史』を拝読するに限る。
柳澤文庫専門委員会が調査し編集された市史である。
6年ほど前に拝見したことがある市史は多くの民俗のことも語られている貴重な史料。
13日、14日の両日に亘って調べていた。
そのなかに「八月朔日節句の御湯」があった。
それは美濃庄町山王(権現)神社で行われていた行事である。
御湯が書かれているだけに早期の確認が必要だと思った。
美濃庄町にはその山王(権現)神社と大将軍神社がある。
場所は数百メートルも離れている。
旧村で二社を祀る処は多くない。
これまでにも何度か下見に行ったことがあるが、村人の姿は見られない。
この日に訪れた山王(権現)神社。
ひとっこ一人も姿がない。
仕方なく集落を歩いたが・・・。
やむを得ずとある家を通りがかった。
もしかと思い声を掛けた。
ワンワンと吠える番犬。
不審者と思ってか、吠える、吠える。
家の中から現れたご婦人。
調査趣旨を伝えてお尋ねしたが、御湯のことは聞いたことがないと話す。
ご婦人は法貴寺が出里。
当地に鎮座するいけにますあさぎりきはたひめじんじゃ(池坐朝霧黄幡比賣神社)の名をすらすらという。
一般的には池坐神社と呼ばれているのがすらすらとだ。
子供のときに乗っていたダンジリ。
コンンコンチキチと鉦を叩いていたと話す。
そのダンジリの現在はお蔵の中。
曳行することなく蔵に納められている。
一言、「ヤマモリ」と伝えれば、弁当持って食べていたと思いだされた。
「あんたよう知ってはんな」と云われた。
同神社では今でもオンダ祭が行われている。
そんな話題をすれば懐かしいと返ってきたN婦人の話によれば、山王(権現)神社には十人衆で司っているという。
ということは宮座が現存しているのだ。
そうであればO家を尋ねてはどうかという。
O家は美濃庄で10軒もあるという。
あるO家を訪ねたが、西の方のO家であるという。
あっちこっち訪ねてようやく辿りついたO家。
なんでも最近になって十人衆になったそうだ。
行事のことは入ったばかりで詳しくは判らないという婦人。
御湯は聞いたことがないが、毎月の第一日曜は月次祭を営んでいるそうだ。
十人衆は長老制度。
勤めができなくなったときや引退を申しでるまで勤めているという。
一老は出屋敷に住んでいるという。
10月のマツリは15日であったが、昨今の事情で体育の日の前日に移行したそうだ。
ちなみに山王(権現)神社が鎮座する処は小美濃(こみの)と呼び、北方の大将軍神社がある処は大美濃(おおみの)と呼ぶらしい。
それぞれの神社ごとに祭礼が行われているようである。
(H24. 8. 1 SB932SH撮影)
旧村のことは昭和41年に発刊された『大和郡山市史』を拝読するに限る。
柳澤文庫専門委員会が調査し編集された市史である。
6年ほど前に拝見したことがある市史は多くの民俗のことも語られている貴重な史料。
13日、14日の両日に亘って調べていた。
そのなかに「八月朔日節句の御湯」があった。
それは美濃庄町山王(権現)神社で行われていた行事である。
御湯が書かれているだけに早期の確認が必要だと思った。
美濃庄町にはその山王(権現)神社と大将軍神社がある。
場所は数百メートルも離れている。
旧村で二社を祀る処は多くない。
これまでにも何度か下見に行ったことがあるが、村人の姿は見られない。
この日に訪れた山王(権現)神社。
ひとっこ一人も姿がない。
仕方なく集落を歩いたが・・・。
やむを得ずとある家を通りがかった。
もしかと思い声を掛けた。
ワンワンと吠える番犬。
不審者と思ってか、吠える、吠える。
家の中から現れたご婦人。
調査趣旨を伝えてお尋ねしたが、御湯のことは聞いたことがないと話す。
ご婦人は法貴寺が出里。
当地に鎮座するいけにますあさぎりきはたひめじんじゃ(池坐朝霧黄幡比賣神社)の名をすらすらという。
一般的には池坐神社と呼ばれているのがすらすらとだ。
子供のときに乗っていたダンジリ。
コンンコンチキチと鉦を叩いていたと話す。
そのダンジリの現在はお蔵の中。
曳行することなく蔵に納められている。
一言、「ヤマモリ」と伝えれば、弁当持って食べていたと思いだされた。
「あんたよう知ってはんな」と云われた。
同神社では今でもオンダ祭が行われている。
そんな話題をすれば懐かしいと返ってきたN婦人の話によれば、山王(権現)神社には十人衆で司っているという。
ということは宮座が現存しているのだ。
そうであればO家を尋ねてはどうかという。
O家は美濃庄で10軒もあるという。
あるO家を訪ねたが、西の方のO家であるという。
あっちこっち訪ねてようやく辿りついたO家。
なんでも最近になって十人衆になったそうだ。
行事のことは入ったばかりで詳しくは判らないという婦人。
御湯は聞いたことがないが、毎月の第一日曜は月次祭を営んでいるそうだ。
十人衆は長老制度。
勤めができなくなったときや引退を申しでるまで勤めているという。
一老は出屋敷に住んでいるという。
10月のマツリは15日であったが、昨今の事情で体育の日の前日に移行したそうだ。
ちなみに山王(権現)神社が鎮座する処は小美濃(こみの)と呼び、北方の大将軍神社がある処は大美濃(おおみの)と呼ぶらしい。
それぞれの神社ごとに祭礼が行われているようである。
(H24. 8. 1 SB932SH撮影)