Credo, quia absurdum.

旧「Mani_Mani」。ちょっと改名気分でしたので。主に映画、音楽、本について。ときどき日記。

「自生の夢」飛浩隆

2018-11-19 02:18:49 | book
自生の夢
クリエーター情報なし
河出書房新社


ディック、レム、ストルガツキーあたりをベースに
このところグレッグ・イーガン、テッド・チャン、ケン・リュウって感じであるのだが、
飛浩隆をこの列に並べるべきであったと完全認識した本作。

ということで、ハイレベルな短編ひとつひとつの魅力を紹介したいところではあるが、
何しろ本当にハイレベルなんです。
多層的というか、複数のモチーフが複数のレベルで潜み
響きあい、フィクションからメタフィクションへ、さらにメタレベルへ、と
変奏され共鳴して動いていくという感じなんで、
それらの仕組みをひとつひとつひもといていったりするととてつもない時間と体力を要するんですよ。

なのでここは諦めておく。
最近は諦めることが多い。
その多層的ダイナミック変奏曲をその動きのままに感じられるよう小説にしているんであるから、
それをそのまま感じ取るのが一番良い体験なのだと思うし。
と言い訳しているわけですが、実際これらの小説は優れた音楽と同じ。
論理も情緒も何もかも感覚の表層を通じて全体験として伝えられる。
そういう作品。


とりあえず特に表題作「自生の夢」については、
言語とは思考とは存在とは意識とはとかの
とめどない問題が噴き出してくるんだけれども、
一旦は冒頭の記述を読んで、「ああこれはアレじゃないか・・・・」と天を仰ぐわけです。

「ミツバチのささやき」からこれだけの物語につなげていくのはすごいことだし
なぜ映画の引用なのか、等の疑問にも作品全体で当面の答えを含ませているのも感動的なんですよ。

当然というか「フランケンシュタイン」の持つ問題軸も入り込んでくるのよ。
さらには「白鯨」とか。

引用が面白いということでなく、引用がなぜ行われるかがある意味ではこの物語の骨子の一つでもあるわけ。

で、とりあえずはエリセのDVDボックスを引っ張り出してきて
観るわけです。観ずにはおれないのです。
観るよね〜

で小説中の言語的?災禍が「イマジカ」と呼び習わされているのが
もう最高に可笑しいじゃないですか(笑)



あとは「はるかな響き」
これも素晴らしい。
著者によるあとがきでも触れられてはいないのであまり意識する必要がないのかもしれないが、
これは「2001年宇宙の旅」(の映画)についての優れた解釈でもあり、
むしろそういう観点を映画に与えたということが大変に面白いことなんじゃないかしら。
クラークは怒るかもしれんけど。
アレを観てこういう背景を広げていけるのはホントすごいことだ。


てことで、同時代にこんな作家がいて本当によかったわ。
またこれをネイティヴで読めるというのもラッキーだわ!






コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「イット・フォローズ」デヴ... | トップ | 「ロシュフォールの恋人たち... »

コメントを投稿