♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■救いがこの家に来ました / 大嶋重徳

2013年11月26日 | Weblog
2013/11/26放送

 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか、大嶋重徳です。ルカの福音19章にはザアカイという人が出てきます。ザアカイに、「今日あなたの家に泊まることにしてあるから」(5節参照)と言われたイエス様をザアカイは大喜びで家に向かえ入れました。そこでイエス様が何を語られ何をなされたのかを聖書は何も語りません。しかしその日ザアカイの人生が変わったことを聖書は明らかにします。

 8節。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」(新共同訳聖書)

 ここでザアカイは自分にだまし取った者があると言うのです。自分の罪を自覚したことばを口にするのです。町の中で幾ら罪人と言われても認めようとしなかったザアカイ。そのザアカイがだまし取ったものがあると認めることができたのは、イエス様が、罪人と町で呼ばれたザアカイの家に行き、そのことで周囲からどう言われようが一緒にいてくださる愛を(ザアカイが)受け取ったからです。ザアカイに、一緒にいたいと食事をし、ザアカイの家に泊まろうとされているイエス様の愛に出会った時、ザアカイは今までだまし取ったものがあると認めることが怖くなくなったのです。そして築き上げてきた財産も惜しいとは思わなくなりました。そして自分のことだけを考えていた人生から貧しい人のことも考える生き方に向きが変わったのです。

 聖書には「悔い改め」ということばがあります。悔い改めとは方向転換という意味です。生き方の向きを変えるという意味があります。この後イエス様は「今日救いがこの家を訪れた」と言われました。イエス様が「救いが訪れた」と言われたのは、「この家」つまりザアカイの家でした。彼の生きている所に救いが訪れたのです。信仰を持つということは自分の人生から逃げ出すことではありません。生きている場所でイエス様に向かって向きを定めるのです。自分の生きている場所にしっかりと足を下ろして神様のことばである聖書で自分の歩みを絶えず点検していくのです。

 私はザアカイがこのことばの後、取税人を辞めたとは思いません。彼は今度は誠実をもって自分の仕事である税金を集め始めたと思います。自分の部下にもきっとそのように語り始めたでしょう。それが彼の悔い改めの方向でした。

 今朝ラジオ聞いてるあなたの台所で、運転中のその車の中で、家族と過ごすその場所で、救いが訪れるとはどういうことでしょうか。向きを変えて今日を始めていきたいと思います。

 ( PBA制作「世の光」2013.11.26放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


****** このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。



 

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