♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■ひしがれた心 / 羽鳥頼和

2013年11月09日 | Weblog
2013/11/9放送

 世の光の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。

 今日は旧約聖書箴言18章14節の「人の心は病苦をも忍ぶ。しかし、ひしがれた心にだれが耐えるだろうか。」ということばからお話ししたいと思います。

 「人の心は病苦をも忍ぶ。」と語られています。確かにそうだと思います。この聖書のことばを読んで私は乙武洋匡(おとたけ・ひろただ)さんのことを思い出しました。乙武さんは先天性四肢切断という障害のために生まれつき手足がありません。そんな乙武さんは著書『五体不満足』で「障害は不便です。しかし、不幸ではありません。」と語っています。乙武さんは明るく積極的に生きています。執筆後、結婚しお子さんも与えられました。スポーツライターとして働き、その後小学校の先生にもなりました。

 「人の心は病苦をも忍ぶ。」 強い心はその人の人生を素晴らしいものにします。しかしその事と共に聖書はこう言います。「ひしがれた心にだれが耐えるだろうか。」 ひしがれた心とはどんな心でしょう。「ひしがれる」とは「ひしゃげる、つぶれる」とか「押しつぶされる」という意味があります。そのような心とは絶望と失望に支配されてしまう状態です。

 ひしがれた心とは例えばこんな心ではないでしょうか。生きる目的意味を見失ってしまった心、愛を見失い孤独で寂しい心、悪いことに心を支配されその罪責感に押しつぶされてしまった心などではないでしょうか。

 私たちの心はひしがれた心になりやすいと思います。そして一旦そのような心になると絶望と失望の奈落の底に落ち込んでしまい、そこから這い上がることができないのです。

 どうすれば強い心持つことができるのでしょう。詩篇10篇17節に、「主よ、あなたは貧しい者の願いを聞いてくださいました。あなたは彼らの心を強くしてくださいます。」とあるように、神様が私たちの心を強くしてくださいます。神様に強くされた心はどんなことがあってもひしがれた心にはなりません。

 神様は私たちを愛し、イエス・キリストによって罪を赦し、生きる目的を教えてくださいます。神様は言われます。「雄々しくあれ。心を強くせよ。」(詩篇 27篇14節、31篇24節)


(PBA制作「世の光」2013.11.9放送でのお話より )
 
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