♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■神の愛に触れよう

2006年06月22日 | Weblog


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。 福井 誠です。今日は聖書の中のエペソ人への手紙から読んでみましょう。

無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(エペソ人への手紙 4章31 節、32節)

 (あんな人とはもう二度と口を聞きたくない、絶交だ。) そんなふうに憤ったことは無いでしょうか? 憤りの感情をうまく処理することは大変難しいものです。聖書が、捨て去るようにと勧めていても、ハイ分りましたとはなかなかいかないものですね。どうしたら良いものでしょう。

 そういう場合、誰か信頼できる人に自分の憤りの感情を良く聞いてもらうことが一つの方法でふるように思います。しかしそれは気持ちの吐き出しにはなりますが、完全な解決にはなりません。いつまでも火種がくすぶり残ります。どうしたら良いものでしょう。

 聖書は言います。「神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」と。大切な点は、キリストの赦しに倣う事を考えるよりも、キリストがどのように赦してくださったかを良く考えることです。

 私たちと、キリストと共にいた人たちの聖書の読み方は少し違います。私たちはこのことばをただのお勧めに捉えてしまいがちです。しかし彼らはまずこのことばに、イエスがどのように自分たちを赦してくれたか、十字架上で肉を裂き、血を流し、激しく苦しまれたその姿をまぶたに浮かべたことでしょう。イエスの赦しの愛を深く思い起こし、その愛にかたくなな心を溶かされて、互いに赦し合いなさいということばを素直に受けとめていく気持ちにさせられていったはずです。

 彼らと同じように私たちも人を赦そうと心掛ける前に、まず自分がどのようにしてイエスに赦され愛されたかを思い巡らしてみてはどうでしょうか。イエスの大きな愛を考えていると、一人の人間に対して激しく憤り、憎んでいる自分が何ともちっぽけな存在に思えてくるでしょう。神様の大きな愛に触れると、憤りは自然に捨て去れる気持ちになってくるものです。

 あなたも教会に通ってこの神様の大きな愛に触れて新しい人生を歩んでみませんか?
 
 (PBA制作「世の光」2006.06.22放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。




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■知恵者中の知恵者

2006年06月21日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。さ、今日の世の光はまず皆さまからのお便りの紹介です。長崎県長崎市にお住まいの、樋口さんから戴きました。

 久しぶりにお便りします。教会で耳にしましたが、世の光の放送、この地方では聞けなくなるかもしれないという話しでしたが、どうなんですか。羽鳥先生はじめ諸先生の声が聞けなくなる。放送を続けられますようにお祈りします。今の僕はイエス様におんぶにだっこの状態です。イエス様にうんと甘えています。これが人間だったら、いい加減にしろと言われる所です。今僕は酸素を離せない状態です。呼吸困難になり、痰が取れないと病院へ行って吸引してもらいます。僕は金魚鉢の中の金魚のよう。イエス・キリストの声が聞けなくなると困ります。

・・・と戴きました。樋口さん、御安心ください。教会の皆さんの御熱心により、世の光の放送を継続できるようになりました。御心配かけて御免なさいね。

 さあ、今日の神の知恵のことばです。今日は箴言30章24節のことばです。
この地上には小さいものが四つある。しかし、それは知恵者中の知恵者だ。

 この後に地上で最も小さいものが四つ挙げられ、どうしてその四つのものが知恵者中の知恵者であるかが書いてあります。

 第一に、蟻です。一番力のないものですが夏の内に冬のために食べ物を集め、貯えます。  第二に、岩だぬきも何の攻撃力もない類いですが、誰も侵入できない岩の中に巣を作ります。 第三は、いなごも小さく、潰したら一ひねりの動物ですが、大群を作って行動する。この行動には誰も勝てない。 第四に、やもりですが、細い手に吸板があって、王の宮殿の中にも住みます。

 この四つの小さなもの一つ一つ全部が神の御手の中に身を寄せているのですねえ。神の御元に身を寄せるとどんな力のない弱いものも神の力に守られるのです。

 今日の神の知恵のことば。
この地上には小さいものが四つある。しかし、それは知恵者中の知恵者だ。」箴言30章24節のことばです。

それではまた聞いてください。

 (PBA制作「世の光」2006.06.21放送でのお話しより)

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■的外れが罪

2006年06月20日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 まあ牧師をしていますといろんな方にお目にかかります。その中にはやはり教会に抵抗を感じている方や、聖書のことばそのものに抵抗を感じている人もいるようです。そのことばの一つは、「罪」ということばですねえ。牧師が講壇から「あなたは罪人です。」なんて説教すると、「冗談じゃないよ。私は人様から後ろ指を指されるようなことなんてしていない!」って反発される方もいます。どうも「罪」とか「罪人」ということばを誤解している方が多いようです。

 聖書で言う罪とは、もともとは「的外れ」という意味なんですね。的を射ようとしても、ずれてますから的に当らないという訳です。

 例えば電車のレールが平行でなくずれてしまっていたらどうでしょう。もちろん脱線してしまいますね。それと同じように、人間は本来の状態からずれてしまっているので、そのままでは脱線してしまう電車のようですよと言う訳です。

 私たちの心をちょっと覗いてみてください。あなたは今日、心に平安がありますか? 本来人は愛し愛されるべき存在ですよね。愛に生きるという姿は正常な姿です。でもそれがずれていたらどうでしょう。そこには憎しみが憎しみを生み、分裂が始まります。そして大きな痛みを持つようになるんです。また生きる意味が分らなければ人生には当然空しさが出てきます。でも本来人は神様に創造されたものですから、生かされているだけで存在そのものに意味があるし価値があるんです。でもずれが生じていると自分なんて価値がないって勝手に見積もってしまうんですねえ。

 聖書は、人が神様に背を向けているということは人間の根本的なずれであり的外れの原因になっているんだと言うんです。実はそれを罪と聖書は教えてるんですねえ。ちょうど子どもが親から離れて迷子になってしまった時、大きな不安を抱えてしまいます。同じように天地を創造された神様から離れてしまう時、私たちは言い知れぬ不安や空しさ、そしてしまいには神様への反発さえも生み出してしまうという訳です。これは放っておけないですよねえ。

 心にある罪の解決のために一体どうすれば良いのでしょう。このずれを解決される方のもとに行くべきですねえ。聖書のことばをお聞きください。
罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」( ローマ人への手紙 6章23節 )

 イエス・キリストにこそ罪の解決があるんです。


 (PBA制作「世の光」2006.06.20放送でのお話しより )

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■神によるリサイクル

2006年06月19日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 えー、私は最近引っ越しをしましてですね、そしてもったいない時代に過ごしたものですから、あれはもったいない、これももったいないと、なかなか捨てるのが難しいんですねえ。そんな時にまあ資源ゴミという制度がありますねえ、それからリサイクルの所へ持っていくと何とか生かしてくれるというのでですねえそれをまあ最大限に活用させてもらった訳なんですけれども。

 私は思ったんですね、神様ってお方はリサイクルの名手ではないか。普通の人から見たらこれはもうダメだな、これは役に立たないと思うような者であっても、神様はそれをリサイクルしてもう一度有用な者として生かしてくださることができるというですね。

 えー、エレミヤというその預言者に神様がおっしゃったことがあるんですけれども、陶器師が器物を作ってですね、そしてウーンと気に入らないような状態になった時にそれをもう一回練り直してそして気に入るような器にこう作り変えているその様子を見せながら、お前たちの国をもあなたの民族をもそのように私はしてあげるんだよというふうに神様がおっしゃったそのことを思うんですけれども。

 私たちは自分で自分を簡単に諦めてしまったり、人をあの人はもう駄目だと思ってしまったりするようなことがありますけども、神様のもとに行く時に、神様は私たちの間違いを正してくださってそして間違いを赦してくださって、そしてキリストの復活の力によってですねえ私たちの人生をも新しい復活の人生へと導いてくださって、そして本当に自分みたいな者は生きててもしょうがないと思ってたような者であっても有用な人生として生かしてくださることがおできになるということですねえ。

 イギリスの詩人でロングフェローという人がありますけれども、その人の詩に『建築師』というのがあって、
 「 世の中に無用のものや卑しいものは一つもない
   すべてのものは適所に置かれたならば最上のものとなり
   殆ど無用のごとく見えるものでも 他のものに力を与えると共にその支えともなる
   私たちの建築師に供給するために 時の中には材料が一杯になっている      」
ということばがあるんですけれども。

 神様こそはみごとな建築師で、無用のものや卑しいものはひとつもない、必ずどこかにあてはまる。生きる道はあるのだというふうに神様はおっしゃってくださっている。本当に神様にある時に私の人生は無用ではない、有用となるということを本当に知ることが出来ることは幸いだなとそう思います。

 ( PBA制作「世の光」2006.06.19放送でのお話しより)


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■わたしはすでに世に勝った

2006年06月17日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。羽鳥 明です。さあ今日の世の光は皆様からお寄せいただく「心に残る聖書のことば」の御紹介です。東京都江戸川区にお住まいの野口さんからは新約聖書ヨハネの福音書16章33節のことばをお寄せいただきました。お読みしましょう。

 「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」 (・・・イエス・キリストのことばですねえ。)

 私が聖書とプロテタントの信仰を知ったのは、本田弘慈先生との出会い、聖書の学びがあったおかげです。信じることができて感激しています。これからも信仰生活を継続ができるように祈ってがんばります。

・・・と戴きました。野口さんの信仰のきっかけは第一に本田弘慈先生との出会いだったのですねえ。本田弘慈先生は私の先輩であり、親友でもありました。私のラジオ伝道などお助けいただいたりしました。ユーモア一杯で単純率直な信仰一点ばりの指導者。「霊に燃え主に仕えなさい」と、いつも励ましてくれました。第二に野口さんの信仰の励みになったのは、本田先生が紹介してくださったこのヨハネ伝16章33節のことばだったのですねえ。この聖書のことば、イエス・キリストのことばはいつも私の心を離れず常に私を励ましてくれています。私たちがいつも常に私を励ましてくれています。私たちがいつも心が平安でいられますようこの約束のことばを語ってくださったのです。主イエス・キリストがくださったこの平安こそは私たち(の)生きる力です。人生には次から次へと試練・困難の連続です。しかし私たちは勇敢であり得ます。なぜならイエス・キリストはすべての艱難の背後にあってサタンの力・罪の力に打ち勝って、私たちに勝利を与えてくださるからです。

 野口さんの心に残る聖書のことば。
あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」新約聖書ヨハネの福音書16章33節、イエス・キリストのことばですね。

 それではまた聞いてください。

 ( PBA制作「世の光」06.06.17放送のお話しより)

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■民族の壁を破る力

2006年06月16日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気ですか? 安海靖郎(あつみ・やすお)です。

 今日は、民族の壁を破る力ということについてお話しします。

 民族の問題。世界中の戦争、紛争、内乱、争い、その殆どにこの民族問題がありますねえ。日本の中にも、無いように見えますけれども、あるのではないでしょうか。

 先日、神奈川県の川崎で60年に渡って牧師をしてこられた李 仁夏(イ・インハ)さんのお話しを伺う機会があました。李(イ)さんは、御自分も韓国生まれで、川崎のコリアンタウンと呼ばれる地域に住んで60年間牧師をしながら地域の在留外国人のために尽してこられました。何と、保育園から高齢者の施設に至るまでを作りあげ、また、役所をも動かして作った熟年者の施設には民族の壁を超えた素晴らしい交流活動があります。60人の保育園には6ヶ国の異なる民族の子どもたちが仲良く一緒に遊んでいる姿は印象に残りました。

 この李さんは、御自分が戦争中の苦い・痛い経験から、何とかしてこの民族の壁を、自分では乗り越えられない、でもイエス・キリストの十字架の愛と赦し、それを知って自分自身が変えられた。そんな経験から人のために民族を越えた働きをと尽してこられたというのです。

 実は私もそんな民族の壁を越える力・喜びを少しく経験しました。インドネシアで17年宣教師をしておりました。その内、ボルネオ島の西カリマンタンで10年奉仕しました。ポンテアナクという大きな町でそこの教会の牧師をするように依頼されました。この町はかつて戦争中1500人以上の人が日本軍に虐殺された地として有名です。15人の役員さんの内、3人はお父さんが日本軍に殺されたという方たちでした。でもこの3人は私達に一番良くしてくれたんです。陰になり日向になり私達を助け愛してくれました。まさにキリストの愛と赦しの力を抜きにしては考えられませんでした。「敵をも愛せ」と言ってその通り為したあのイエス・キリストの十字架の愛と力です。人と人との間の壁、民族の壁、それを越える力はまさにこの神の愛、キリストの愛の力にあると実感致しました。

 
  (PBA制作「世の光」2006.06.16放送でのお話しより )


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■神に近づこう

2006年06月15日 | Weblog


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。 福井 誠です。今日は聖書の中のヘブル人への手紙から読んでみましょう。

 「私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。」(ヘブル人への手紙 10章22節)

 「神に近づこうではありませんか」、目に見えない神に近づきましょうと勧められています。それは、「心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ」たからだと言います。どういうことでしょうか。

 昔、イスラエルでは罪の赦しのために動物がいけにえとしてささげられていました。人間の心のけがれ・罪はいのちをもって償わなければならないと考えたからです。そのような慣習を皆さんはどう思われるでしょう。

 何もそこまで重く考えなくてもと思われるでしょうか。確かに胸に手を当てて考えてみれば自分がそれほど立派な人間ではないということが分る。けれどもまあ人並に罪人であって、動物のいのちを絶って償うほどではない、と考えてしまうのではないでしょうか。

 しかし、ユダヤ人はそのようには考えませんでした。というのも彼らは自分たちの心を見られる神様を非常にきよい存在として考えたからです。まったくきよい神様の目から見れば、人間の心は果てしない暗闇であり、邪悪そのものです。邪悪の塊である人間がまずきよめられることなくして神様に近づくことなど赦されないし、神様の祝福を受けることもできないと考えた訳です。

 神様の限りないきよさを良く考えないので私たちは人間の心の罪の深さを軽く考えてしまいがちです。人間が心の中で犯す罪は、神の目には実に悲しむべきもの、神の忌み嫌われるものなのです。

 しかし神はその罪を責めたてている訳ではありません。聖書は言います。あなたはもう心にイエス・キリストの血の注ぎを受けてきよめられていると。神様に近づき神様の祝福を受けるため必要なことはすでになされているのです。イエス・キリストの犠牲のために、もはや神様があなたを忌み嫌い拒否されるようなことはありません。あなたに必要なのは、その事実を信仰をもって受け入れて神様に近づくことなのです。教会へ行ってあなたに祝福を用意しておられる神様をぜひ知っていただきたいのです。
 
 (PBA制作「世の光」2006.06.15放送でのお話しより)

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■人を恐れるとわなにかかる

2006年06月14日 | Weblog


 世の光の時間です。お元気でしょうか? 羽鳥 明です。さ、今日の世の光は皆さまのお寄せくださるお便りの紹介です。静岡県浜松市にお住まいの、まぶちさんから戴きました。

 おかれた所で美しく咲きたいと、いつも願っています。榊原先生に祈って戴きました。羽鳥先生のお声に励まされました。グループで優しく受けとめてくださった安海先生。涙を一杯流して参加させていただいたPBAの夏のキャンプが遠い昔のように感じます。一つの小さな出会いが御手の中でとてつもなく大きくその人を変えていくことを感じます。

 ・・・と戴きました。まぶちさん、今年もどうぞまた軽井沢でのサマーキャンプにお出掛けください。ありがとうございました。

 さ、今日の神の知恵のことばです。今日は旧約聖書箴言の29章25節のことば。お読みしましょう。
 「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。

 不安・恐れは人をしばしば力強く縛る力です。将来への不安、他の人から来る不安、コントロールを失った不安、人の人生はこんな恐れに満ちています。この不安・恐れから人を解放するのは、主イエス・キリストを信頼するという信仰のフォーカス(※焦点合わせ)です。信じる意志の力をこのお方に集中することこそ解放への道です。人を恐れると不安という罠にかかるのです。主イエス・キリストはあなたのことを全部御存知です。あなたのことを心配していてくださいます。あなたを救うために十字架にかかり、あなたの身代わりになって死んでくださったお方です。死からよみがえっていつもあなたと共にあり、いつも何でもあなたを助け救ってくださる、あなたにとって完全な救い主です。こんなお方に全力を集中して信頼してごらんなさい。不安・恐れから解放されて安心を得ます。信じる力、祈る力、愛する力を与えられます。神様は私たちに完全な知恵のアドバイズ(※助言)をくださって言われます。

 今日の神の知恵のことば。
人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。」旧約聖書箴言29章25節のことばです。

それではまた聞いてください。

 (PBA制作「世の光」2006.06.14放送でのお話しより)

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■出会いの言葉

2006年06月13日 | Weblog


 お元気でお過ごしですか。世の光の時間です。関根弘興(せきねひろおき)です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 ま、「人生は出会いで決まる」とよく言いますが、これはユダヤ人哲学者マルチン・ブーバーのことばです。ま、確かに考えてみますと私たちの人生は、この出会いというものによって殆ど決められていますよね。私がこうして生きている・存在しているということの中に、私の両親がどこかで出会わなければ今の私の存在はありませんよね。

 人生を振り返ると、様々な出会いがああ人生を導いているのだなあということがよく分ります。もちろん良い大切な出会いもあれば、また逆もありますよね。あああの時にあんな人と出会わなければこんなことにならなかったのに・・・。いかがでしょう。あなたの傍らにいる人を見ながらそんなことを考えていませんよね? いやーもう後悔していますよこの出会いを、なんてこともですね、実は人生には時にはあるものです。

 多くの人との出会いが人生を決めていくように、また多くの語られたことばがあなたの人生を変えていくということもまた事実です。人生になど夢も希望もないのだと常に語りかけられたらどうでしょう。明るい未来を誰が描くことができるでしょうか。お前になんて価値はない、駄目な存在だ、と語り続けられたらどうでしょう。どうして自分の存在に自信を持つことができるでしょう。人は何を語られて生きていくか、実はこのことがとても大切なんです。

 聖書の中に、こんな有名なことばがあります。マタイの福音書4章4節。
イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』・・・」

 実は聖書は、人は生きていくということはパン・食べ物だけではない、と言うんですね。あなたに語りかけてくださる神様のことばによって人は本当に生きていくことができるんだと聖書は教えるんです。

 聖書の神様はあなたに何を語りかけていますか? 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。」(イザヤ書43章4節)と神様は語っているんです。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのもとに来なさい。わたしがあなたを休ませる。」(マタイの福音書11章28節参照)と語りかけているんです。「わたしは・・・あなたを離れず、・・・、あなたを捨てない。」(ヘブル人への手紙13章5節)(と)語りかけているんですねえ。

 そんな語りかけを私たちが受けていったならば私たちの人生は必ず変わっていくのです。そして聖書はその語りかけてくださることばそのものがイエス・キリスト御自身でもあると教えるんです。イエス様の語りかけに応えて生きていきませんか?


 (PBA制作「世の光」2006.06.13放送でのお話しより )

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■遅熟児だけど

2006年06月12日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 えー、だれでもまあ落第生と言われるのはあんまり嬉しくないことですけれども、あのー、童話作家として知られる坪田譲治(1890~1982)という方は、中学の入試で2回、高校入試で1回、大学の進級試験で3回、計6回の落第経験者なんだそうですねえ。で、この方が63歳の時に新聞のコラムに書いておられたんですけれども、えー、「ユックリと勉強して、ユックリと恋愛して、ユックリと年をとっていくことである。人生の楽しみ、自ずからその中にありである」なんて書いておられたですねえ。

 ゆっくりと言えば、遠藤周作氏はですね、その著書の『落第坊主の履歴書』という中で、「幼年時代と少年時代と私はかなり遅熟児」(えー、未熟児ではなくて遅熟児、遅れるですね)、というふうに自分のことを紹介しているんですね。で、これはまあ遅熟児ってのはその遠藤周作さんの造語のようですけども、つまりゆっくりと育っていったということなんだと思いますね。何か小学校1年生の時は、反対のことばで、熱いの反対は何だと言われたらイツアと言って、固いの反対は(と言われたら)イタカと言ったとかですね、朝顔の種を播いて水をやれば芽が出てやがて花が咲くと言われたんで毎日雨の日でも水をやってたとかですね、まあいろんなエピソードがあるようなんですけれども。その遠藤周作氏が、あとがきの中に、「遅熟児の私だが成長して何とか物を考えて、この社会で生活できるようになったのだから、同じようなお子さんをお持ちのお母さんも安心してくださってよいのではないか。」とうようなことを書いていますね。

 まあこれらの話しを聞きますとね、私もかつて人生の落第生と思いこんでいたものですけれども、慰められる感じがします。まあ負け惜しみではありませんですけれども、一度も挫折の経験もなくってトントン拍子に万事うまくいっているという人生が果たして幸せかどうか分りませんよねえ。ある人は落第なんて心を豊かにする心のひだのようなものというふうに言ってましたけど、同感ですねえ。

 聖書を見ましてもですねえ、アブラハムとかモーセとかダビデとかエリヤとか、そしてパウロというようないわゆる偉大なリーダーたちはみんな挫折経験者だったんですね。聖書の中に、「絶望してしまうことはない。倒されても打ちのめされはしない。いつもイエスの復活のいのちを体験している。」というふうにパウロは第二コリント(4章8節、9節参照)で言ってますけども、本当にその通り復活の主によって生きることができるんだと思いたいですねえ。

 ( PBA制作「世の光」2006.06.12放送でのお話しより)


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