人は自己中心になりがちなものです。19日付ブログ「大友健の雑記帳」に書かれた〈残念です、誤解と曲解〉は、私達が被災者支援に活動していることが、あるブログから批判されたことについて思いを書いてます。
様々な意見として賛同するものがあれば、批判に同調する意見もあると思います。人はそれぞれ考え方が違いますから、言い方や書き方で相手に違う受け取り方や考え方が生じてくる。(コメントもたくさんあります)
しかし人は自分中心にものを見られなくなる。例えば、我が家の庭に小さな畑があり、野菜を植えようとすると狭いなと思うし、草取りをしようと思えば広いなと感じる。
長年付き添った夫婦でさえ考え方が違うと思いませんか。お互いを理解することもあれば、些細なことで批判し大げんかになることさえあるのです。
でも、これは残念ですと言うしかない出来事があったことをお聞きした。今回の大震災で避難者がある議員から「こだ~、ばがめらいっからわがんねんだ」
地震で家具が倒れ停電し復旧することも出来ず、津波のため避難指示が出た地区の方に浴びせられた言葉です。避難指示の通り総合体育館に避難した一週間後です。
夜は避難所で過ごし日中は自宅で家の後片付けをしていたら、ある議員が訪ねてきて「避難所に避難しているのか」と質問されたあと「こだ~、ばがめらいっからわがんねんだ」
確かに家は津波の被害がなく、浸水することもなかったそうです。しかし、電気も水道もなく余震で不安な毎日を過ごし、市からは避難指示の後、避難解除の連絡も来ていない状況でした。
ある議員が震災に対し自分中心に考えれば、避難所には水や食糧があり被害が少ないのに避難していることが我慢できなかったのか。被災者から反論され、ある議員はそこそこに帰って行ったとのこと。
部分的にしか見られない議員、私は理解できない。