ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

試練に耐える信仰

2016-03-18 13:58:24 | 今日の聖句
「ペトロの手紙一」が書かれたのは、今日の聖句のように、この手紙の読者たちが迫害に
出会っていることの暗示から、紀元後90年の迫害が行われた頃と思われるそうです。
「聖書事典」の「迫害」の項には『紀元後64年、皇帝ネロは自らが引き起こしたローマの大火の
責任をキリスト者に転嫁し、大規模なキリスト者迫害を展開した。
その後ドミティアヌス(後81-96年)、ディオクレティアヌス(後284-305年)などの治下では
キリスト者への迫害は熾烈をきわめた。』という記述があります。
「ペトロの手紙一」を受け取ったキリスト者たちはローマ皇帝ドミティアヌスの時代の
厳しい迫害の下にあったのですね。

今日の聖句は「ペトロの手紙一」4章12節~19節です。
愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふるかかる火のような試練を、何か思いがけない
ことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。むしろ、キリストの苦しみにあずかれば
あずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。
あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。
栄光の霊、すなわち神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。
あなたがたのうちだれも、人殺し、泥棒、悪者、あるいは、他人に干渉する者として、苦しみを
受けることがないようにしなさい。しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、決して
恥じてはなりません。むしろ、キリスト者の名で呼ばれることで、神をあがめなさい。
今こそ、神の家から裁きが始まる時です。わたしたちがまず裁きを受けるのだとすれば、
神の福音に従わない者たちの行く末は、いったい、どんなものになるだろうか。
「正しい人がやっと救われるのなら、不信人な人や罪深い人はどうなるのか」と言われているとおりです。
だから、神の御心によって苦しみを受ける人は、善い行いをし続けて、真実であられる創造主に
自分の魂をゆだねなさい。


心弱く怖がりの私は、今の時代の日本でクリスチャンでいられることに感謝しています。
江戸時代のキリシタンやクリスチャンを迫害していた時代のローマのクリスチャン、また、現在でも
種々な宗教が混在する中にあってクリスチャンだと表明することが難しい地域もあります。
どんな状況でも「真実であられる創造主に自分の魂をゆだねる」ことが私にはできるでしょうか。
私の信仰は試練に耐えられるでしょうか、自信ありません。
『我らを試みに遭わせず悪より救い出したまえ』 深刻な思いで祈ります。


梅に<メジロ>です。 梅に鶯の図は殆ど見られません。

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