ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「詩篇49編」

2016-07-29 16:58:48 | 聖書
今、旧約聖書は「歴代史下」を読んでいます。
ソロモン王がエルサレム神殿を建て、亡くなった後、イスラエルは南北に分裂します。
ここには北王国イスラエルが滅び、南王国ユダも滅びるまでが描かれているようです。
新約聖書は「ルカによる福音書」の、イエスが捕えられ十字架に付けられる所を読んでいます。 
信仰薄き私は自分の十字架を背負ってイエスのみ跡をたどっているでしょうか?
ただただ聖書を読み、祈り、礼拝に集い、神様にしがみついています。

今日は詩篇49遍も読みました。心に深く響く詩でした。

「詩編」49編

   諸国の民よ、これを聞け この世に住む者は皆、耳を傾けよ
   人の子らはすべて 豊かな人も貧しい人も。
   わたしの口は知恵を語り わたしの心は英知を思う。
   わたしは格言に耳を傾け 竪琴を奏でて謎を解く。

   災いのふりかかる日 わたしを追う者の悪意に囲まれるときにも
   どうして恐れることがあろうか 財宝を頼みとし、富の力を誇る者を。
   神に対して、人は兄弟をも贖いえない。
   神に身代金を払うことはできない。
   魂を贖う値は高く とこしえに、払い終えることはない。
   人は永遠に生きようか。 墓穴を見ずにすむであろうか。
   人が見ることは 知恵ある者も死に 無知な者、愚かな者と共に滅び
   財宝を他人に遺さねばならないということ。
   自分の名を付けた地所を持っていても 
   その土の底だけが彼らのとこしえの家 代々に彼らが住まう所。

   人間は栄華のうちにとどまることはできない。 屠られる獣に等しい。
   
   これが自分の力に頼る者の道 自分の口の言葉に満足する者の行く末。
   陰府に置かれた羊の群れ 死が彼らを飼う。
   朝になれば正しい人がその上を踏んで行き 誇り高かったその姿を陰府がむしばむ。
   しかし、神はわたしの魂を贖い 陰府の手から取り上げてくださる。
   人に富が増し、その家に名誉が加わるときも あなたは恐れることはない。
   死ぬときは、何ひとつ携えて行くことができず 
   名誉が彼の後を追って墓に下るわけでもない。
   命のある間に、その魂が祝福され 幸福を人がたたえても 
   彼は父祖の列に帰り 永遠に光を見ることはない
   
   人間は栄華のうちに悟りを得ることはない。 屠られる獣に等しい。


美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
7月31日(日)は土肥研一先生が説教で、御言葉を解き明かしてくださいます。
若き伝道者、土肥先生の(多分)歯切れの良いきっぱりとしたメッセージ、楽しみです。
教会は初めて、というかたもどうぞ是非お出かけください。


  
  川のカルガモ雛は大分大きくなっていました。
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