ゆうゆうの教会便り

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「エゼキエル書」

2014-06-11 22:49:38 | 今日の聖句
今日の聖句は「エゼキエル書」 1章4節~10節です。
わたしが見ていると、北の方から激しい風が大いなる雲を巻き起こし、火を発し、周囲に光を放ちながら吹いてくるではないか。
その中、つまりその火の中には、琥珀金の輝きのようなものがあった。 またその中には、四つの生き物の姿があった。
その有様は、こうであった。 彼らは人間のようなものであった。 それぞれが四つの顔を持ち、四つの翼を持っていた。
脚はまっすぐで、足の裏は子牛の足の裏に似ており、磨いた青銅が輝くように光を放っていた。 
また、翼の下には四つの方向に人間の手があった。 四つともそれぞれの顔と翼を持っていた。 翼は互いに触れ合っていた。
それらは移動するとき向きを変えず、それぞれの顔の向いている方向に進んだ。
その顔は人間の顔のようであり、四つとも右に獅子の顔、左に牛の顔、そして四つとも後ろには鷲の顔を持っていた。


「エゼキエル書」を読むと言ってから何日も経ちましたが、ようやく今日になって第一章を読めました。
何やらせわしなく、夜、聖書を読もうとすると猛烈に眠くなって、ずっとサボっていました。 
「エゼキエル書」については「聖書事典」も読みました。
分かりやすい解説ではありますが、少々長いので、より簡単な Wipedia の解説をここに載せます。

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エゼキエル書は旧約聖書の書物の一つで、48章からなる。
『イザヤ書』『エレミヤ書』とともに、旧約聖書中の三大預言書を構成する。48章からなる。

著者は預言者エゼキエルに帰せられている。
彼は預言者エレミヤよりやや年下であり、エレミヤがほぼエルサレムで預言活動を行ったのに対し、バビロンの地において
捕囚民の精神的指導者として預言活動を行ったと考えられる。

他の預言書と比較して、はるかに整然と構成されているように見えるが、この構成が預言者自身によるのか、
それとも後代の編集者によるのかが問題とされている。
ギリシア語訳はヘブライ語テクストよりやや短いので、ある程度の編集過程を経ていることはほぼ確実である。

エゼキエルの出自・年代
おそらくエルサレムのザドク系祭司の家系出身である。
これは彼がエリート階層に属したことを意味している。
バビロニアは基本的に、征服した諸国の指導的地位にある人々を捕囚として他の地方に移住させたが、
エゼキエルは紀元前597年の第1回バビロン捕囚においてヨヤキン(エホヤキン)王とともに捕囚とされたと考えられる。

エゼキエル書の内容
・エゼキエルは、紀元前597年にイスラエルの民らと共にバビロンに捕囚されたが、その後、捕囚された者たちに
 悔い改めと希望をもたらすために、神に召された。
•エゼキエルが召された頃は、ユダヤの王国はまだ完全に絶えておらず、王と多くの民が自分の土地に住んでいた。
 しかし、多くのイスラエル人は預言者の指導を拒否し、預言者に敬意を払うこともなかった。
 数年のうちに、神殿も城壁も破壊され、エルサレムの町は焼かれ、多くの民がバビロンに捕囚され、
 残った者はエジプトに避難するなどして世界中に離散した。
 その結果、約束の地からイスラエル人は追われ、ユダヤの王国は滅亡した。
 このことは神がイスラエルを守ることができなかったから起こったのではなく、イスラエルを救うことが
 できたのにもかかわらず、神自身がイスラエルの中の邪悪に対し、その当然の結果がもたらされることを
 選んだから起こったのだという内容が記載されている。
•エゼキエル書には神の怒りと共に、悔い改めて神に立ち帰る者には回復が与えられるという希望も書かれている。

************************************* 以上、Wikipekia より

1章は今日の聖句のように、エゼキエルが見た幻?(神の顕現に出会う)について書かれています。
それらは移動するとき向きを変えず、それぞれ顔の向いている方向に進んだ
「ヨハネ黙示録」にもこんな記述があったような気がしますが、向きを変えずに顔の向いている方に移動できるって
とっても不思議です。  ・・・・・・相変わらず、妙な所ばかり気にしながらの、聖書の読み方です。 (^^;)

左近先生の「聖書を学ぶ会」第一回で、聖書は証言集である、預言者などの証言を集めて、最初は「口伝の家」などで
命を懸けて大切に守り伝え、そのうち、羊皮紙やパピルスの巻物になっていった、と習いました。
大変な思いが込められた書物です。 大切な思いを込めて読みたいと思います。



新緑の桜に止まる<スズメの子>です。


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