ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

逃れの町

2013-10-04 21:53:14 | 今日の聖句
「ヨシュア記」20章1節~6節
主はヨシュアに仰せになった。
「イスラエルの人々に告げなさい。 モーセを通して告げておいた逃れの町を定め、意図してでなく、過って
人を殺した者がそこに逃げ込めるようにしなさい。 そこは、血の復讐をする者からの逃れの場所になる。
これらの町のいずれかに逃げ込む場合、その人は町の門の入り口に立ち、その町の長老たちの聞いている前で
そのわけを申し立てねばならない。 彼らが彼を町に受け入れるなら、彼は場所を与えられ、共に住むことが許される。
たとえ血の復讐をするものが追って来ても、殺害者を引き渡してはならない。
彼がその隣人を殺したのは、意図的なものではなく、以前からの恨みによるものでもなかったからである。
彼は、共同体の前に出て裁きを受けるまでの期間、あるいはその時の大祭司が死ぬまで、町にとどまらねばならない。
殺害者はその後、自分の家、自分が逃げ出してきた町に帰ることができる。


主の仰せに従ってイスラエルの人々は、ナフタリの山地ではガリラヤのケデシュ、エフライム山地のシケム、
ユダの産地でヘブロン、ヨルダン川の向こう側では、ルベン族に属するベツェル、ガド族に属するラモト、
マナセ族に属するゴランを逃れの町に定めました。

21章は嗣業の地を分け与えられなかったレビ人たちに各部族から「レビ人の町」が与えられる町の記述です。
レビ人はイスラエル各部族が受け取った嗣業の土地の中からいくつかの町々とその放牧地を与えられたわけです。
レビ人の子孫たちにはたくさんの町が各部族から与えられましたが・・・・

記述によると、祭司アロンの子孫に与えられた町の一つには、殺害者の逃れの町ヘブロンとその放牧地。
ケハトの子孫であるレビ人にはエフライムの山地にある逃れの町のシケム
レビ人の一氏族であるゲルションの子孫には逃れの町のゴランと逃れの町のガリラヤのケデシュ
その他のレビ人、メラリの人々に氏族ごとに与えられた町の中には殺害者の逃れの町ベツェルと同じく
逃れの町のラモト、が含まれています。


つまり「殺害者の逃れの町」はすべて祭司を職業とする(?)神殿や直接神に仕えるレビ人が住む町
だったということのようです。



<オナガ>の幼鳥二羽がなにやら餌をつついている様子。


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何故かはわかりませんが、幸せだったはずの子供の頃から私は死を意識していました。
死によって自分の存在が永遠の無に帰すということ、死によって自覚がなくなること、が
強烈な恐怖となっていました。
必ず死ぬという存在として自分が生まれたことが悔しく理不尽なこととしか思えませんでした。
必ず死ぬ存在の自分が何のために生きているのか、ほとんど投げやりな気持ちでした。
大人になるまでも、大人になってからも、楽しい時も苦しい時も気持ちの先には空しさがありました。
洗礼を受けても神様の福音は私には本当には届いていなかったのでしょう。
今、齢を重ねて、再び神様の御許に戻ってきました。
ようやく自分が生きていてもよいのだ、と実感できる毎日を過ごさせていただいています。
この平安をただただ心から感謝しています。
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