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巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

楠 正行(まさつら)墓の楠

2007-02-19 | 大阪府

 


大阪市内の東方、奈良県との境にある生駒山系北端の大阪側麓に位置する四条畷市。


楠 正行は、あの楠正成の長男、正成を大楠公と呼ぶのに対して、正行は小楠公と呼ばれ親しまれている。



四條畷の戦いで弟の正時とともに討ち死にした正行の供養塚はこの四条畷市の中心街、JR の四条畷駅のすぐ近くにあって、ここからまっすぐ東の方に伸びた参道奥には四條畷神社があって祭神として祀られている。



この地野表示板には正行は「この地で戦死、葬られた所である」としているが墓所は京都にもあり、定かではないとか??。



その後誰かが碑の近くに2本の楠を植え、それが合体して現在のような姿になったと言われています。



墓所には立派な門があって周りを石柵で囲んでいるため、柵外より見るしかなく、そばまで近づくことは出来なかった。



樹齢約550年、幹の周り12mにおよぶ大木に成長し、大阪府の文化財に指定されております。
また、楠の木は四条畷の「市の木」にも指定しされています。





 小楠公墓碑から東に十分ほど行くと、正行の家臣・和田賢秀の墓がある。堅い主従関係を結ばれ、正行の死後も戦い続けたといわれています。



ここにもやっぱり大きな楠の木があって枝いっぱいに葉を広げている。



撮影2006.12.3


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若宮神社の椎

2007-01-19 | 大阪府

 


「若宮神社の椎」がある能勢の地には巨木が多い。


この地を訪れる人は必ず「野間の大ケヤキ」を訪れ、その巨大さに感嘆の声を上げるに違いない。


もちろん僕もその1人だが、ほかにもこの地に巨木が多いのであちこちと訪ねて回った。



そのうち一番気の毒な巨木がこの「若宮神社の椎」の巨木。


倉垣天満宮の近くにあって、付近には新しい住宅なども立ち並び路上からは一段低くなった境内へはどこから入ればよかったのか参道も分からずじまいでした。



境内のすぐ脇に資材置き場のような空き地があって、この椎の巨木の真裏から先ずご対面という事になりました。


写真のように、ひどい痛みようで、主幹は途中で無くなりかなり上部まで大きな洞が口を開けています。


主枝から伸びた何本かの枝に葉をつけているのが痛々しく見える。



大阪府の指定天然記念物に指定されており、資料によると樹齢は400~500年、幹周りは約5m。


境内から見る主幹は節くれだってその枯淡さに趣はあるけど、大きな鉄の支えに助けられて何とか倒れずにいるのが余計に痛々しい。


撮影2006.8.18


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旭神社の巨木

2007-01-07 | 大阪府

 


 この神社は非常に見つかりにくいところに在って、車で行くには大変でした。


住宅密集地地の細い道路奥の一角にあって、普通車ではかなりきついが、神社についてしまえば境内は広く駐車に困ることはない。



境内は、さすがに住宅密集地にあるためなのか、鎮守の森という雰囲気はなく、あっけらかんとした空間の広がる境内に数本の巨木だけが目に付きます。



旭神社は、古来から治水雨乞いの神として信仰を集め、祈雨祈願所として知られた処で、付近には古代寺院の加美正覚寺跡もあり、創建の年月は明らかでないが、縁起により天平5年(733年)頃と推測される古社です。



拝殿の前には 樹齢400年と言われる公孫樹の巨木が聳えています。


幹は三本立ちで巨木というにはちょっと頼りない気がしますが大阪府の天然記念物に指定されています。



拝殿左側には石の鳥居と、石柵に囲まれたクスの巨木が聳えている。




樹齢600年以上、幹周り5m内外と、これも巨木いうには、ちょっと頼りない気がする。




もう1本は椋の巨木で樹齢約300年、これも石柵に囲まれて大切されている。


この住宅密集地にあって、これだけの巨木を守り続けることは、大変ではないかと心配になる。


撮影2006.10.28


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玉祖神社(たまおやじんじゃ)の楠

2006-12-30 | 大阪府

玉祖神社は生駒山系の西側(大阪側)八尾市の麓に有る古い神社で和銅3年(710年)周防国の玉祖神社から分霊を勧請したとされ、 

この神社の西の平地一帯には玉作一族の集落や工房があったと推定されている。

八尾市は、いわゆる河内の中心的な土地柄で、河内音頭や、今東光の本などで全国的にも知られているところです。

玉祖神社への道は非常に狭い集落の道を抜けて行きますが、神社には車の停めるスペースがシッカリ確保されています。



大楠は神社参道石段の前段をあがった右手の所にあって、地上わずかの所で幹が三本に分かれています。

(幹周り8.5m、樹高20.6mで、斜面に立つ姿が良く、絵にも成りやすい楠です。

この楠の根元は、注連縄の掛けられた陽石を包みこんでいて、あたかもそれが男女の和合のように見えることから、夫婦の揉め事や男女の仲を取り持つ大楠として信仰されているようです。

平地を見下ろす丘陵地に有るこの楠から見える街の姿は、年々歳々変わってきただろうと思わされるように、神社の前ではその日も道路工事が行われていた。

撮影2006.10.28

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石神社(いわじんじゃ)の楠

2006-12-28 | 大阪府

 

国道25号線、柏原市役所近くの安堂交差点で170号線に入り、陸橋を越えて400mほど先の太平寺交差点で右に折れると、巨大なクスの樹冠が見える。

神社入り口の石段横に大楠が聳えていて、境内いっぱいにその見事な樹冠を広げている。

石神社(いわじんじゃ)は、生駒山系南西端の森に鎮まっている延喜式内社だが、境内には奈良時代の名刹であった智識寺東塔の礎石があり、この智識寺の鎮守だったとも考えられている。

礎石の柱穴の直径が122センチもあり、現在は神社の手洗い石として使用されていますが、この智識寺には、その昔天平12年聖武天皇が智識寺の廬舎那仏を参拝され、これが機縁となって東大寺の大仏建立を発願されたという話は有名です。

境内は、余り広くないが、常に何台かの車が駐車してるようで、真近まで車を乗り付けているのでくすの根元辺りにでも傷をつけないかとちょっと心配ではあります。

樹齢700~800年、樹高26.4m、目通り幹周6.41mと記された大楠で、ほとんど傷も無く、木肌の綺麗な巨樹です。

まさしく神木としての威厳のある姿ですが、開けっぴろげな河内の風土のせいか、とても親しみの持てる巨木です。

撮影2,006.10.28

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杭全(くまた)神社の楠.他

2006-12-25 | 大阪府

 


杭全(くまた)神社、この字は京都人の僕にはまったく馴染が無く、どうにも読むことが出来なかった。


神社付近の交差点の表示板でやっとそれが「くまた」と読む事が解った時には、つっかえていた物が一気に落ちた。


国道25号線平野小学校の1つ東よりの信号左横に、この神社の大きな石鳥居が聳えている。



車のままで鳥居をくぐって参道を進むと、やがてこんもりとした楠が天を覆っているのが見える。


楠の巨木は石囲いに囲まれ、正面には石の鳥居がしつらえられ、小さな祠も据えられ間違いなく神木で有るのがわかる。



神の宿る樹そのもので、幹周り9.42m、樹高16.5m、その幹を目の前にする限り、樹齢約1000年と言ったところ??。


何か特別な、いわれでも有るかと掲示板等を探してみるが、まったくなんの表示も無く拍子抜けの感がぬぐえない。



樹木医が入って治療を施した形跡があって、樹勢も旺盛、そのどっしりした根元の巨大さは見事です。


幹の巨大さにしてはずんぐりむっくりに、横に大きく広がった楠です。



杭全(くまた)神社の森は大阪の市内にあって、緑を多く残した鎮守の森で、本殿左横にも「たらちね公孫樹」と呼ばれる公孫樹の巨木が有る。



樹齢約700年、幹周りはおおよそ5m、公孫樹の古木に見られる樹瘤も垂れ下がっていて、「おちち」の神様として信仰を集めていると言ううことです。


撮影2006.10.28


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住吉大社の巨樹ー③

2006-12-23 | 大阪府

 


住吉大社第一本殿のちょうど裏側に、楠くん社 (なんくんしゃ)と言う末社があって二本の巨楠が聳えている。



そのうち1本は「1000年楠」と呼ばれているもので、江戸時代、人々はこの楠の神秘的な霊力に祈りを捧げていたようです。


その後、根元に設けられていた社にお稲荷さんを祭るようになったといわれています。



その名で示すとおり正に、この楠自身が神そのものとして、うやまれ 信仰の対象と成っていた楠の巨木です。



千年楠の樹高は18.5m、目通り幹周り9.8m、樹齢1000年と推定されています。




表の小さな鳥居越しに見ると巨大な根張りと単木の巨大な幹が立派な樹であるが、裏側は空洞になっており、ここに神殿が組み込まれています。



もう一本の楠は「夫婦楠」と呼ばれているもので、目通り幹周り7.9m、樹高は20m、樹齢は800年とされています。



二本の楠の合体木だと言われていて「夫婦楠」の名前がついているものです。


やっぱり、関西圏の巨木といわれている物には楠が多い。


撮影2006.10.28


 


 


住吉大社の巨樹‐2

2006-12-21 | 大阪府

 

住吉大社の第一本宮の左手に有る小さな門から奥に入って行くと、直にこの巨大な楠の白い幹が見えてくる。

この巨木も前回紹介した楠と同じように痛々しい姿で、主幹は高さ5m位まででなくなり、枝幹一本を残し白骨化して枯れている。

正面には石の鳥居と、特別な日のためにか、仮屋根の様な建物があり、その奥に白骨化して裂け目の入った巨大な幹と根張りが見える。

根元の洞には榊と、お神酒が供されていて、今も信仰の対象として生て居る。

この楠は住吉大社の末社、楠くん社の第3楠と呼ばれている物で、樹高12m、目通り幹周り5.8m。

見たとおりの老骨巨体、気の毒なほど痛々しいが樹木医も入って手入れがされている様で、急には、まったくの枯れ木になってしまう事は無い様に見えました。

撮影2006.10.28

 


住吉大社の巨木ー1

2006-12-19 | 大阪府

 


関西人で住吉大社の名前を知らない人はないと思うほどに有名な神社です。



毎年、初詣ニュースでは、その賑わい振りがTVの映像で流され続けている。


ここには楠の大木が多いと聞いてちょっと一走り、路面電車の走る、大社正面の鳥居を過ぎてすぐ神社の大きな駐車場がある。



TV映像でお馴染みの太鼓橋を渡ると、正面が楼門になっているが、橋の右畔に殆ど白骨化した楠の巨木が有る。


表皮の一部分を残して、ほぼ枯死状態ですが、その残った表皮部分より一本の枝を伸ばしていてかろうじて生きているのだと確認できる余りにも痛々しいすがたです。



この楠についての資料はまったく有りません、ちゃんと注連縄も巻かれていて神木には違いないと思います。



朱い楼門を入ると右手前方にはカイズカイブキの巨木が聳えています。




大阪府の保存樹に指定されており、幹周り2.9m、樹高10.5mと表示されており、注連縄が巻かれており、藁裾には、いっぱいのおみくじが結ばれています。



カイズカイブキとしてはひょろ長く感じる樹姿でした。


撮影2006.10.28


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壷井八幡宮のくす

2006-12-16 | 大阪府

 

 ここを訪れたのは、大阪と奈良の県境にある歴史の山、二上山を訪ねた際、ここまで来たのだからと寄ってみる事にした。

二上山から大阪方面に下っていき、南阪奈道路の羽曳野東インター前の道路西進し、低い丘を越すと右前方に大きな鎮守の杜が見えてひときわ大きな楠木の聳えているのが見えて、それと解る。

壷井の地は、河内源氏発祥の地で、この神社は、源義時が創建したと伝えられる由緒を持っている。

正面の急な長い石段を登りきって、大きないしの鳥居をくぐると巨大な楠の根元が見える。

境内に聳える「壷井八幡宮のくす」は、樹齢800年、樹高25m、目通り幹周7.25mと記された立派な大楠で、尋常でない根元の広がりと特徴のある枝振りに印象が残る。周囲の植え込み等も含めた景観は素晴らしく、この樹は「大阪みどり百選」にも選ばれている。

 

撮影2006.10.14

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倉垣天満宮の公孫樹

2006-11-20 | 大阪府

 

大阪の北端の地は、山間部の素朴さがまだまだ残る山里で、見るべき巨木も多い。

この辺り、京都からは出かけにくい土地で道路のアクセスも良くなく、人にたずね尋ねて、ここ倉垣天満宮へ訪れた。

前々回、紹介の野間の大ケヤキからさらに北上、倉垣の歌垣小学校隣にこの神社があった。

清掃の行き届いた参道から、境内の左手に巨大な公孫樹の聳えているのが目に入る。

この天満宮がこの地に鎮座した天正12年(1584年)には、すでに「翠枝千歳なりき」と言われた美しい銀杏の巨木であったらしい。

樹齢400年、樹高22m、目通り幹周9.0m、僕が訪れた8月の半ばには枝一杯に真っ青な葉で天空を遮っていて

樹盛は旺盛、秋の黄葉の見事さを想像させるに十分過ぎる境内と樹姿であった。

 

昭和13年、(1938)大阪府天然記念物指定

撮影2006.8.18

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野間の大ケヤキ

2006-11-09 | 大阪府

大阪府の最北端,能勢の地は、京都の山城域に住む僕にとってはかなりなじみの薄い土地でした。

大阪の河内地域とは境を接する山城なのですが北摂はこちらから見ればちょっとした異郷の地に違いなく、何処をどう走って行こうが片道約1時間半はたっぷり懸かってしまう。

名神の茨木インターから、ひたすら、亀岡街道をひた走り豊能町の役場のある余野までたどり着く、そこから、能勢の妙見さんとして名高い山を一山越えると能勢町野間の里に入る。

野間に入れば、一目瞭然、この大きな樹が目に入らないわけもなく、又誰に聞いてもすぐに教えてくれるはず、妙見山より下ってきた道そのまま進めばこの大ケヤキの横を走ることになる。

8月の大ケヤキ

10月末の大ケヤキ

きれいに整備された駐車場も準備されていて、その奥には小さいながらもケヤキ資料館まで設置されていて、至れり尽くせり状態です。

さすがに大きい、ケヤキでは全国四位、西日本最大の巨木だと言われていて、樹齢1000年以上、樹高30m、目通り幹周14mと記されています。

この樹は、元々この地に有った「蟻無宮神社」の神木であったが、神社は明治45年に野間神社へ合祀され、この樹だけが残されたと伝えられている、因みに祭神は紀の貫之であったと言う。

昔はこの樹の芽吹きで作物の豊凶を占ったといわれ、また、この境内の砂を持ち帰り畑や屋敷に撒けば蟻が退散すると言われていました。

一時期、樹勢に衰弱が見られたが、最近ではすっかり元気を取り戻し大切に守られている事が誰の眼にも疑うことなく伝わって来る巨木です。

尚、この樹は新日本名木百選にも選ばれている。

撮影2006.9.18/10.21

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国指定天然記念物 所在地:大阪府豊能郡能勢町野間稲地


門真市 三島神社の薫蓋樟

2006-06-11 | 大阪府

驚き桃の樹山椒の樹じゃなくって、楠木。

大阪、奈良、滋賀、三重に近い京都に住む僕にとって門真市はそう遠くないところです。

三ッ島神社は、旧の昔ながらの住宅と新興住宅が混在一体となったところで、境内もそう広くなく

こじんまりした神社である。

薫蓋樟とは、新緑のころに緑の蓋を掛けた様に美しい様からそうよばれていて、国の天然記念物に指定、また大阪緑の100選の第一位に選ばれ、門真市の「市の樹」に楠が選定されている。

その姿は、まったく驚きの質量感で、見るものを圧倒する。

目通り、12.5m、樹高約30m、樹齢少なくとも1000年以上・・・・。

まるで巨大な人工のモニュメントの様でもあり、この圧倒的な自然の存在感は他に比べるものが無い。

小さな社務所や、拝殿はこの巨大な楠に完全に覆い尽くされる様に建っている。

毎年、四斗樽の酒を根元にばら撒いて肥料にする慣例があったらしく、その影響では無いだろうが、

根元に樹瘤がおおく、写真を見た誰かがゾウさんの楠木といっていた。

撮影2006.6. 4