吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

阿蘇の山岳仏教 古坊中 麓坊中 No495

2018-08-30 22:26:08 | 神霊界考察
阿蘇山の信仰について『阿蘇神界と火山神 No397』
『熊本霊ライン基点の御坊山の鯰と阿蘇国造神社の鯰 No361』等でいくらか述べているが、
阿蘇山の山岳仏教については不勉強でよく知らないでいた。
今回里山ギャラリーで「肥後の山岳信仰 阿蘇山と池辺寺〜龍伝説の残る山岳寺院〜」展示が
あったので観てきたのだが
その展示物の中になんと赤く塗られた乙護法小童子像があった。

 乙護法堂記載古文書  阿蘇に祀られていた乙護法童子

背振山だけでなく阿蘇山でも乙護法の祭祀が為されていたという事だ。
古い時代には例年1/28に阿蘇山上で乙護法祭が祭祀されていたというし
阿蘇山大峯修行も『大聖乙天童阿蘇大峯修業』と呼ばれていたという。

もはや記憶には残っていないのだがこのブログを検索で振り返ると
『二十一日祈願と忌服 No272』の記事の通り
2011年の6月1日から震災厄除21日祈願をしているが
これは『熊本霊ラインと熊本大災害 対策検討篇 No265』で示した通り
2008年より2010年まで益城で震災厄除をして布田川断層に対して成果を感じたので
場所を変えて今度は立田山断層に対しての祈願ということだった。

熊本大震災は2016年の4月14日に起こったのだが結構離れているはずの阿蘇でも
被害が大きかった。
歯切れが悪い書き方しか出来ないがこれには乙護法の祭祀が
廃れたことが関係していると思われる。
歯切れの悪さはそもそも地震の発生の因果にも関与が感じれれるからだ。
私もその御神名すら知らなかった。

世界各地の宗教遺跡が帰還される神霊のために
建造されているのではないかという仮説があるが
少なくとも帰還された乙護法神霊は祭祀の風化に少なからず影響された可能性がある。

いろいろと調べてみると阿蘇の山岳宗教は現在は西巌殿寺に残されている。
ここで「阿蘇山観音まつり」が行われているのだが
残念なことに近年乙護法の祭祀は大々的にされていないものと思われる。
祭りは毎年4月13日に行われるそうだがその次の日に祟られてしまった。
熊本大震災が2016年の4月14日に起こった。
特筆すべきは2016年4月13日にミャンマーのマンダレー地方で
M6.9の地震が起こっていることだ。
熊本の2回の地震は6.5と7.3で平均が6.9になる。
まるで倍返しである。

私がこのブログで記載している呉音霊や呉音神と乙護法童子は
同じ神霊ではないと思われるが
呉系姫氏の渡来以降での日本の姫氏の呉音霊祭祀に付随して
渡来してきた神霊だと思われる。
慈恵大師円仁感得の赤山明神との類似性を感じさせる。
現在は魔多羅神と同様に障礙神としての性質が強いが
徐々に落ち着いていただきたいものである。























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48 コメント

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楠木神 (さくら)
2019-11-04 23:42:06
熊野の楠木神、気になりますね。
何かお達しがないと、関われないと思っていました。
越智山大谷寺にて、奥様から、「あなたはきっと、和歌山よ。紀ノ國、紀氏と縁が在る」と言われてしまいました。
とうとう、他人に言われてしまいました(-.-)
この一言で、はいせ様のサポート頑張ろうかなぁと思っています。私は出しゃばる気はないのですが、楠木神に縁のある人でないと出来ないと思っています。
ある程度の知識と能力がありましても、神縁がなければお呼びがかからないという事を、知りました。

はっきりと他人に指摘され、、、私の場合は姫氏でなく、紀氏、丹、越智族(これは四分の一の血筋)、海人族系統に強いということにしておきます。大名草彦や、武内宿禰、白山姫など、、日羅公の八尾のお寺は樟本神社なのですね。
八尾のスサノヲ神も楠木の神木であり、常世岐姫神社も楠木で、その常世岐姫関連で回った場所は、牛頭天王ですね。楠木正成の楠木家縁のある場所にも、かなりの確率で行くことになりましたが、、、この楠木正成の御縁は、どちらかと言うと、私の父方のような感じでいます。
※今までコメントに書いてきた場所のみの記載にしています。

最初、比賈許曽神社に行きました時に、松下幸之助氏のことが思い浮かびました。小林一三氏も関係しただろうと踏んでいます。土佐稲荷神社で岩崎弥太郎氏のことも書きましたが、もしかすると、同じなのかもしれないです。大阪市内には、肥後橋と言う地名もあるのです。
山王権現曼荼羅の実物を見る機会がありましたので、
まずは山王権現を紐解くように、、、と思っています。3332



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熊野とクスノキ (はいせ)
2019-10-19 22:47:42
台風19号の甚大な被害に心が痛みます。お見舞い申しあげると共に、1日もはやく日常を取り戻せることをお祈り申し上げます。

自分の中に色々と葛藤もありますが、一人ひとりが今後、日本をどういう国にしたいのかと真摯に問われているように感じます。

台風一過後帰省して、藤枝市の若一王子神社の楠木とご縁結びに行って来ました。実家で話題に出たのが、大井川上流にある牛尾地区の明月というりんご。牛尾地区の鎮守社は熊野神社でここにも大楠があるようです。
その後、名古屋に用事があり、偶然泥江縣神社にご参拝。こちらは「昇龍見返り楠」という楠木がご神木。由緒書きには「祭礼日は、神輿が傘鉾を従え、丸の内一丁目の白山社へ渡御・・・」とありました。私もそれに倣って白山社へもご参拝。狛犬が海獣のように見えました。

熊野那智大社には胎内くぐりの樟。藤白神社の楠木群。藤白神社は父方祖母の旧姓が「鈴木」だったこともあり妙に気になっています。
京都東山区新熊野神社の大楠。同じく京都下京区若一神社の楠木。
あと気になったのは、三重県度会町久具都比売神社の楠木。百神はくぐつの神ともいいますし。
伊勢神宮の月夜見宮にも立派な楠木がありますね。こちらの楠木の写真はいつも不思議な虹や光が写ります。

月夜見宮がでてきたので・・・、河内長野に青賀原神社があり、こちらでは丹生大明神は天照大神の弟神である月読之尊と伝えられています。この丹生大明神は、空海が泉州槇尾寺に向かい下里谷の茅原を通行中に頭九つの大蛇が出現した時、黒雲の中から白と黒の犬を連れた狩人として現れ、矢の先が千筋に分かれる弓で大蛇を退治した。空海はこの狩人に『汝は何人ぞ』と聞けば、『我は一宇金輪(仏頂尊)なり、空海宗祖の御命を助けるため丹生大明神に化身し出現した』という。(抜粋:下里村丹生大明神・九頭神山由来記 要約)
今年の春に同じ河内長野の女人高野で有名な天野山金剛寺にご参詣。道を隔てて丹生高野大名神社が祀られていました。

阿蘇山の噴火が気になっています。本日は火映も見えており、宇土半島の付根あたりに地震もあったので注意しています。草千里の方から阿蘇上空にオリオン座が横たわっていて3つ星が上方向に一直線に並んでいるのも何度かライブカメラで見ました。
こちらの記事を拝読すると乙護法童子が阿蘇でもひっそり信仰されていたようですが、確かに背振山や霧島ほど大々的ではないですね。
そういえば、書寫山圓教寺奥の院開山堂の右側面の蟇股には、「迦陵頻伽」が彫られてるそうです。
同じく、座間市の護王姫明神社近くの星谷寺では本堂に迦陵頻伽が描かれており、日蓮ゆかりの円教寺もあります。

同じところをグルグルまわっている様でもどかしい・・・。螺旋みたく少しでも進んでいればいいのですが。
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おみくじ (さくら)
2019-05-04 18:23:07
すみません。<(_ _)>
市電の駅名、水道橋と書いていますが、
訂正です。水道町です。地名を間違えて、申し訳ございません。

八大龍王神とのご縁で書いていると思うのですが、
3番目の.娑伽羅(サーガラ、しゃがら - सागर Sāgara) さんは、最近は箕面の如意谷、白島(はくしま)に痕跡を発見し、能勢、真如(神呪)寺、醍醐寺。雷山にも痕跡があり。

4番目の.和修吉(ヴァースキ、わしゅきつ - वासुकि Vāsuki)さんは、阿蘇山、摂津、三井寺、白山、福井などでしょうか。

菅原道真さん、つまり大自在天神信仰、雷神。
金色姫って、蚕の伝説ですが、金色なので、雷神や、金属神、たたら神とも関係あると思います。

熊本手取神社の事を書きましたが、「手取」の由来を調べていました。「菅原神社」の扁額という事を知り、「菅原神社」で検索をかけていて、
「山崎菅原神社」がヒットし、熊本城近くであり、加藤清正公の像の側に所在するのです。
当社が創建された年については諸説ありますが、一説には延久2年(1070)3月のある夜、菊池肥後守則隆公(菊池氏の初代)の霊夢に菅原道眞公が現れ、託宣によって筑前國太宰府安楽寺天満宮(現在の太宰府天満宮)より肥後國詫磨郡白川のほとり南領森本(もりのもと)に勧請されたとあります。

菊池則隆さんの霊夢で創建されたということが、気になり、ちょっと、何か特徴がないかと、調べますと、
「イチハラヒロコ」の恋みくじと言うのが、書かれています。それで、「イチハラヒロコ」さんなるものを調べますと、現代美術家らしく、、この恋御籤がこちらにもあることがわかりました。
「六甲八幡神社」です。六甲、ろっこう、ろこ、か、、と思いながら。
それで、早速、おみくじを引いてきました。

26番「いやなら辞めたら」

( `ー´)ノ、、、(-_-;)頑張ります






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吉田一氣 (さくら様への返信)
2019-04-14 01:43:00
藤崎宮のお話は興味深いですね。
確かに水道町からはかなり離れていて不便なところにあります。
藤崎宮には私自身はめったに参拝しないですね。
近々ご挨拶に行ってきますね。
味噌天神は崇敬社なのでよく参拝しています。
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訂正です (さくら)
2019-04-13 23:55:47
本当に、私が無知で申し訳ないです。
藤崎宮の宮司さんとずっと、書いてきましたが、、
良く調べますと、神職さんだと思います。
神社において、袴を召した方は全て宮司さんだと思っていました。
色々と職階があるようです。
大変失礼いたしました。5844
返信する
藤崎宮の不思議10 (さくら)
2019-03-31 11:08:51
宝石のような雨、甘露の法雨、、しとしと、しっとり。
穀物の豊穣。水の女神。
透明な階段、丸く円の半分の形。
其の橋は、虹の架け橋。7色の虹の色彩グラデーションを歩いて楽しむ。
虹を繋げている。蒼く静寂な世界。
花は小粒で色が濃い。翠の森。橙の温泉と磐。
古い凍てついたものが、少しでも心安らかになるように願っています。

味酒氏の続きです

【名称】天原山安楽寺太宰府天満宮 検校坊墓所
【所在場所】三条1丁目
【文化遺産情報】天原山安樂寺(太宰府天満宮)の社家、味酒安行の子孫「検校坊」の墓所。検校坊は太宰府天満宮を創始した味酒安行の次男を始祖とする宮司(みやじ)で、本殿の宿直を勤め、更衣祭などの役職を担っていた。

※天原山なんですね。(あまはら)だと思うのです。
天才、阿倍仲麻呂、伝説の兄好根、猪名麻呂から随分と調べました。
ユスラ梅と櫻で、私は李白と仲麻呂の事を再確認します。
「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」
安楽寺は宝満山の麓になります。宝満山の別名、三笠山です。
道真公の遺体を京都に運ばずに、宝満山の麓に廟を建てたということは、、
阿倍仲麻呂の歌の本当の意味を知っていたのでしょう。
道真公の想いを汲み取った、味酒さん、、

太宰府天満宮の池、、太閤橋。「心」という書体。
池だけは、絶対に行ってねと駐車場のおじさんからの伝達でした。
「大宰府は、初めて?」
と聞かれて、
「はい、何も知りません。」

現在、過去、未来。
現在から未来への場所に、志賀神社があり、次に向かうのは志賀海神社でぴったりだと思ったのです。
厳密にいうと、
香椎宮に参拝してから、志賀海神社に行きました。

確か、太宰府天満宮の宮司さん
「西高辻」さんは志賀海神社も兼任していたような、、あの大宰府天満宮の志賀神社は志賀海神社からの分社です。
ここで、大阪住吉大社の元地、大海神社の志賀神社も同じ構造なんでしょうね。








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訂正です (さくら)
2019-03-30 23:52:41
上記のコメント
京都の蚕の社の元地は、「壱岐」だと書いていますが、
読み直しますと、「対馬」でした。
訂正です。

藤崎宮、日田社に祀られている
鬼蔵大生永弘
鬼藍大天永興
鬼大天永季
三毛入野神
老松神
についても調べてみます。

あと、三光宮の祭神も訂正です
正解 大巳貴神 少彦名神
特に中風の病とかいてあります。
確か、大国主神と書いた覚えがあります。⇐これは間違いです。
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藤崎宮の不思議9 (さくら)
2019-03-30 23:21:44
壱岐真根子の娘・豊子姫の子
であった味酒安行(うまさけ やすゆき)

壱岐真根子さんとは
http://shrine.top/archives/48
織旗神社
宗像の先に鐘崎という漁港に織幡神社があります。

宗像大菩薩御縁起』によると、神功皇后の三韓征伐に際して、宗大臣(ムナカタの神)が他の諸將とともに從軍し、大いに奮戦して武勲を輝したという、その時、宗大臣は〈御手長〉を”捧げ来り”、これに武内大臣(武内宿禰)の”織り持て”る”赤白二流の旗”を付けて、軍の前陣で”御手長を振り下げ””振り上げ”して敵を翻弄し、最後にこの<御手長>を”息(オキノ)御嶋に立て置きたまえり”とある。この”息御嶋”は宗像の”沖ノ島”に他ならない。そして〈御手長〉については、「異国征伐御旗杆也」とあり、これが 壱岐島の「天手長男神社」「天手長比売神社」(式内・名神大社)の〈天手長〉に由來するであろ。(『住吉大社ノ史』上巻)尚、沖ノ島で発見の金銅製龍頭、旗幟類の竿頭を飾る具一対は、様式上6世紀中頃とされるが、上述の「御旗杆」との関蓮で検討の要があろう。そして武内大臣がこの「御旗杆」に付けられた「赤白ニ流之旗」を織つたので”織旗”の名字を得た。

主祭神として、中座に武内宿禰、西座に住吉大神(住吉三神)、東座に志賀大神(綿津見三神)を祀り、天照皇大神・宗像大神・香椎大神・八幡大神・壹岐真根子臣を配祀する。
古くから武内宿禰を主神としているが、元来は武内大臣が織つたという幡を納めた社であろう。

ここ織幡神社の宮司さんは、壱岐さんで、真根子の子孫と言われていました。(数年前まで)私が訪ねたとき、直接応対していただきました。                              また、真根子命が祀られているところが、福岡市の下山門(しもやまと)の壱岐神社、久留米の高良山の高良大社 第一の摂社、真根子社、(現在建て替え中)佐賀県武雄市若木町、伏屍神社、そして、ここ鐘崎の織幡神社ということは、この範囲が古代において壱岐氏族の海神族の活動範囲と言えるのではないかといえる。

宗像大社の摂社に「松尾神社」があります。京都の松尾大社はこの宗像の松尾神社を分祀されたといわれています。

※そうなのです。
実は、京都松尾大社に一人で来いと呼ばれて行くと、色々神秘現象があり、その後坐摩神社に行くことになるのですが、坐摩行宮でも宮司さんらしき人からのサポートはありました。あの時も、色々とお話しました。

その直後に友人も松尾大社の月読神社で不思議体験をするのです。
※私は月読神社は参拝していません。
偶々二人で、松尾の不思議話してて(私は坐摩の件は友人には話していない)、上賀茂神社の社家の方から、鞍馬寺に関する宣託みたいなのを伝えられていました。
その松尾の不思議友人とは、出雲大社での私の体験とほぼ一緒であり、私はもっと、酷く体に異変が起きましたけど、、スサの社での出来事になります。

その後友人は、思い立ったかのように「壱岐」に行くのです。びっくりしました。
どうも、松尾大社近くの月読神社は元は、壱岐らしいので行ったというのです。
そうなん??
「壱岐」なの?とその時は思っていましたが、私もこの記事のコメント欄に京都の蚕の社は、元地は「壱岐」だと夢での導きでのコメント残しているのです。
高千穂蛇の夢とか、連続して夢を見ていました。

この藤崎宮に行くことも、友人も突然「壱岐」に行ったしなぁと思い出していました。



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藤崎宮の不思議8 (さくら)
2019-03-29 15:47:29
熊本観光案内所にて、藤崎宮に行き方を詳しく聞きました。その時に、一番歩かなくてよい方法でバスと乗車時間など調べて頂きました。観光所に行く前に、シャトルバスの運転手さんと、二人きりの会話です。

・運転手さん「昨日は、奈良の方とお話しが盛り上がりましたね。今日はどちらにいかれるのですか?」
・私「今から、藤崎宮に行く予定なんです。藤崎宮って知ってます?」(池辺寺の事を散々知らないと言われたため)
・運転手さん「去年の祭りの際に馬の騒動で大変でした。裁判にまでなったみたいですね。ええ、御祭りに参加したことがありますので、知ってますよ。三号線沿いですね。熊本城まで、歩くのです。距離と団体が80
だったかな、、ありますからね。派手な御祭りです。」
・私「熊本城まで歩くのですか??歩けるのね。」
・運転手さん「アーケードなどの近くも歩くのです。朝から、夕方まで時間がかかりますね。」


熊本市電の駅に「味噌天神」とあるので、時間があれば「味噌天神」に行きたいと考えていました。駅の名前が味噌天神だから、きっと、お社は駅近で歩かなくていいと読んだのです。熊本市電は、青と赤に色がわかれていて、AとBがあるみたいですが、、
藤崎宮は、市電最寄り駅「水道橋」から一キロほど歩くのです。「味噌天神」の為に熊本市電にしました。
御祭りで、熊本城まで歩くのやったら、最寄り駅から歩けるでしょう。

市電に乗りながら、熊本城とか、アーケードとか、チェックしていました。
「水道橋」で降りて、さっぱりわからない。東西南北。
白川のそばに位置してるから、、川はどこ??
すぐ、人に聞きます。地図を見せて、今どこ?
藤崎宮に行きたいと言ったら、道路の向きに地図を移動させて、この道を真っ直ぐ行けば良いと教えてくれました。てくてく、一本道なので大丈夫。
一キロやけど、遠いなぁ、、
「味噌天神」は諦めよう。
藤崎宮に着き、宮司さんとお話しをして、真直ぐに帰ります。
カラシレンコンのお話しで、「味噌」の話になったから、本当は味噌天神に行った方が良いけど、、
赤とか青とか、AとかBと書かれていて、この路線ではなかったので、乗り換えたりややこしいのではないか、、見知らぬ土地で、私の能力では味噌天神にたどりつけないかもしれない。そのかわり、藤崎宮の元地の熊本城に寄ってみよう。
※運転手さんとの会話で、御祭りで熊本城まで歩くのと、宮司さんがあの御祭りは元の地に帰るための御祭りだと教えてくれたからです。

水道橋で、市電に乗ります。その時も、AかBなのか近くの人に確認して、これに乗ればいい?熊本城に一番近いのはどの停車場など?熊本城広いのです。
市電に、乗っていると、気になる神社があります。
「あれ」は気になるわ、、本当は参拝した方がいいんやけど、、「手取」って書いてある。
家に帰ってから、ネットで検索しよう。

偶々、手取扇状地と末松廃寺という資料を読みます。
https://www.fmn1.jp/staffblog/2018/10/25/80/
これは、石川県白山の近くの手取川と道君首名公の関連のお話しなんです。
この手取と関係ないと思うのですが、あの神社「手取」だったのを思い出し、調べろという事かと

手取天満宮の由緒
http://www16.plala.or.jp/tetorijinja/rekisi.html
肥後藩士平井勘右衛門正恒さんの夢に出てきたみたいで、夢を叶えるとか、、、

はい・・恐れ入ります(≧▽≦)
道君さんの味噌天神と被って、菅原道真さんの天満宮の由緒でした。手取川が石川というのと、白山で、、
菅原さんの武内宿禰さんの末裔話とも被って、、
武内様、参りました<(_ _)>






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藤崎宮の不思議7 (さくら)
2019-03-29 13:25:45
宮司さんの口から、牛と菅原道真さんと太宰府天満宮のお話しがでました。
また、これ、何故に菅原さん?
と不思議に思いましたが、、

大宰府天満宮に高良社があり、武内宿禰さんが祀られているのです。私、偶々大宰府に行った時も、どちらかというと摂社ばかり参拝したのです。牛の像のところで写真を撮りました。ウソと言う鳥もいました。麒麟もありました。ウソかえ神事とか調べたと思います。でも、確かにここに高良社があると思ったのです。すっかり忘れていました(-.-)
宮司さんの牛にひかれて、、、のお話しは、このことを教えてくれていたのです。
=====
大宰府天満宮の由緒

由緒書などによれば、朝廷で右大臣として活躍していた菅原道真公が、昌泰4年(901年)に政敵であった左大臣・藤原時平の讒言によって謀反の罪を得て 大宰府に左遷されることになり、延喜3年(903年)2月25日に大宰府政庁の南館(現在の榎社)で薨去したとされます。

道真公の死後、門弟であった味酒安行(うまさけやすゆき)が遺体を牛車に乗せて進んでいたところ、牛が臥して動かなくなったことから、これを道真公の御心によるものであろうと捉えて この地に埋葬することになり、延喜5年(905年)に墓所の上に祀廟(しびょう)が創建され、延喜19年(919年)には勅命によって社殿も建立されたそうです。

その後、道真公の無実が証明されると「天満大自在天神(てんまだいじざいてんじん)」という神号を贈られ、以来「天神さま」と崇められるようになったとされています。
========
牛を引いていた、門弟の味酒さん
味→「うま」になっているのです。
この名前に「お酒」がつきます。
そして、武内宿禰の末裔の方だそうです。

味酒安行公という方は、道真公の門弟であり、道真公が京を追われた時に、一緒に付いて下られた方々のうちの一人だったのです。道真公の幼いお子様を連れて、後を追われたそうで、道真公亡き後、そしてお子様も早世されて、その後現在に至るまで道真公の廟である太宰府天満宮をお守りされている家系なのでございます。

太宰府天満宮はその前身が安楽寺というお寺だったので、味酒家は神道よりも仏教にゆかりが深いとのことでもあり、味酒家の先祖は武内宿禰で、その九世孫の味酒首浄成氏は空海に学問を伝授したと言われる、そうそうたる家系でいらっしゃるのでありました


一応、道真さんと牛の逸話

・承和12年(845年)乙牛6月25日(丑年)に道真公は生誕した
・貞観元年(859年)己卯月2月乙丑、元服の夜に白牛が角を挫いて死ぬ夢を見た道真公は牛を画き、酒を供えて尊拝した
・寛平5年(893年)癸丑9月、茸狩りの宴の際に道真公の前に敬う様子の小牛が現れたので、喜んで館に連れ帰った
・道真公が太宰府に向かう途中で時平の刺客に襲われた際、都で育てた牛が飛び出て刺客の腹を突き刺して助けたという
・道真公の神号「天満大自在天神」における「大自在天神」は、仏教において白牛に乗るとされている
・道真公の神号「日本太政威徳天」は密教の大威徳明王に由来し、牛に騎乗する姿で表現されている
・天満宮でおなじみの臥牛像に諸病平癒の力があると考えられたのは、道真公が牛車を引く牛を可愛がったことに由来する








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藤崎宮の不思議6 (さくら)
2019-03-26 10:30:42
出羽三山のところの解説で、
丑のことがありました。クリスタル ハート様より抜粋

・開祖蜂子皇子が、湯殿山を開いたのが丑歳丑月丑日。
・三山の全容が牛のうずくまった姿に似て臥牛山(がぎゅうざん)とよばれる。
・月山の残雪が牛のまだら模様に見える頃が、農作業の始まりの目安となった。
・江戸大火の際、羽黒の神牛が風向きを変え、庄内藩江戸屋敷を救った。

羽黒山の伊氐波神様って、海神の娘の玉依姫命という説もあり、そうなると祓川の水神は眷属の龍神かな?(水神はだいたい龍系ですけど)
頭の中で、伊勢神宮・内宮の瀧祭神と祓川神社が、ピッキーンと「=」で結ばれたのだ。

※羽黒山が聖観音で伊氐波神様って、初耳だとは思っていたのです。出羽三山は行ったことが無いのです。羽黒権現に八咫烏の逸話があったのが、、能勢と一緒だし、賀茂御祖神社だし、熊野三山もでしょう。「いでわ」の神様って、出羽の語源かなぁ。羽がついているので、鳥と関係あるのかな、このクリスタルさんは、迦陵頻伽の声に導かれているそうです。

伊勢の瀧祭神と一緒?玉依姫?
とりあえず、丑歳丑月丑日というのが、、京都貴船神社、玉依姫祭神の牛鬼さんだった。多田さんの関係で、志多羅神とか、御手洗場で「ハハカの木」とか「菊池さんの連れ」とか、「多羅の木」と色々と有ります。最近はたらたらと多羅ばかりが目につきます。
「まこも」についても、能勢の「呮根神社」を調べていて、杵についても、瓊瓊杵尊の逸話があり、「まこも」を敷いて迎えたとか、、「呮根神社」は紀氏の名草部からで武内宿禰の子孫らしいので、私に武内さんが守護に出てきたのかと思うのです。でも、私の高校時代からずっと、見守っていたのかと思います。
天孫降臨神話だし、「まこも」が出雲大社の重要な神事に必要とかいてあったり、、
池辺寺で、杵がでてくるので、関係あるのかと調べ直していました。
滋賀の日吉大社の摂社になる唐崎神社の「みたらし祭」での茅の輪が「まこも」であり、
北岡神社の厠神が、みたらし神だという啓示を受けて、厠神の絵の稲穂のようなものが「まこも」だろうと勝手に思っています。

あと、北岡神社は祇園で牛頭さんなんですが、
山鹿市に「犬子ひょうたん」というのを見つけ、、
またこれ、、何か意味があるのだろうと探っていました。「大宮神社」の祇園祭です。
http://oomiyajinja.p2.weblife.me/oomiyajinjyatoha/keidaimap.html

菅原さんとお酒と味噌と辛氏蓮根について次回記載します。
返信する
藤崎宮の不思議5 (さくら)
2019-03-25 23:51:27
宮司さんとの会話より

・出羽三山→八咫烏、三本足の霊烏に導かれる。修験道の開祖役小角より、古い信仰。つまり、古修験道。

:羽黒山-・聖観世音菩薩(仏)・伊氐波神(産土神)・稲倉御魂命(穀物神)

: 月 山-・阿弥陀如来(仏)・月読神(農耕神)

:湯殿山-・大日如来(仏)・大山祇神(山の神)・大己貴命(建国神) ・少彦名命(医薬神)

出羽三山を開き、羽黒派古修験道の開祖である能除仙は深いベールに包まれた人である。社殿に伝わる古記録では、能除は『般若心経』の「能除一切苦」の文を誦えて衆生の病や苦悩を能く除かれたことから能除仙と呼ばれ、大師・太子とも称された。またそれとは別に参仏理大臣(みふりのおとど)と記されたものもあり、意味は不明であるがその読み方から神霊に奉仕する巫とする見方もあった。
======
宮司、、「出羽三山は現在、過去、未来の3つを表していますよ。」
私、、「ふーん。そうなんですか?」ここから、心の声・・・なんで、急に出羽三山???きっと、過去、現在、未来って、日月星の事でないのかなぁ。国常立尊も関係あるのでは。
=======

武内宿禰さんが金縛りから救ってくれたお話しをして、
ここに武内社があったので、吃驚した。そして、六所宮としても祀られているし、九曜紋だし、どうしてどうして??と質問攻め。

熊本のカラシレンコンは九曜紋を表している。
本当は細川家の門外不出の秘伝です。
黄色で、九曜紋に似てるでしょう。明治になってから?一般的に出回るようになった、、、
私、、「辛子だけで、出来てるの?あまり美味しくないんだけど、、九曜紋としてつくられたのですか。」
宮司、、「あれは、甘く味噌も練り込んでいるはずです。お酒の好きな方は、カラシレンコンもお好きなようですよ。
しかし、不思議なことで、武内宿禰さんとご縁があるのですねぇ。長寿の神様で、高良大社とかで祀られていますね。
僕の先代か、もう一つ前の先代かで似たようなお話しがあって、やはり遠方から、夢の指示で祈祷を受けに来られた方がいらっしゃいました。
だから、僕は貴女のお話しを信じますし、このようなお話しが出来てとても嬉しく思います。僕の好きな神様は、天神さまで、菅原道真さんは未だに大宰府天満宮のところで、眠っています。昔、お寺だったのです。牛が動かなくなって、、」
私、「9月に大宰府に行きました。その時に、池の説明を受けました。太閤橋があって、クスノキの大木が沢山あって、古くて、立派なところだと思いました。そうですか、菅原さんあそこで、眠っているのですね・・・」





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御崎さんとの和合 (さくら)
2019-03-18 19:56:18
以前も、関東方面を助けるために封印をぶち破りました。まだ、フラグは立ったままですが、、、
氷川さんやから、規模が大きくてなかなか難しい。ゆっくり対処しているつもりです。

リュウグウへのタッチダウンを試みると、熊本御神霊査察旅行を決行しました。ほんと、自腹で、、ついでに、その後の体調不良もひどくて、参りました。
御崎さんは、秋元神社の御祭神と一緒。諸塚山奥社。
素戔嗚尊で封印しているのでしょう。
三光・産交バス。
高千穂事件。藤崎宮の祭りでの馬の醜聞。裁判にまでなっている。菊池電鉄の脱線。

私が熊本に出向いたのは、十字の強化の為に訪れたつもりですので、、
結果的に、ひふみよ和合でしょう。
うまくいくといいですね。こちら遠くから、上手く強化された熊本霊ラインが作動するように祈っています。
私が行動はしていますが、頼まれてやっているだけですので、私の力ではありません。聖徳太子、武内宿禰、天台宗、道君さん、神功皇后。。アイコンでなく、生きた御神霊として思いをくみ取り動いてみました。
それは、吉田様が真摯にブログで神霊界の源流を書いているので、その一環としてのことです。





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藤崎宮の不思議 復習 (さくら)
2019-03-17 19:25:57
色々と藤崎宮の事を調べ直していました。
宮司さんと、御崎社(スサノヲ尊)の前で30分ぐらい立ち話でした。
藤崎の崎だよなぁ、、御崎社、、、どうして、御崎社のところだったのだろう。
神功皇后が出雲神の「遠津山岬多良斯神」だとしたら、
ここにも、名前に「御崎」→「岬」が入っているのです。

それで、藤崎宮について書かれているサイトを読んでいました。
戸原様のが詳しく書かれていました
http://www.y-tohara.com/hachi-fujisaki.html
、旧社地が和名抄にいう“宮前郷”にあること、古墳の上にあったことなどから、藤崎宮勧請以前から宮(神名不明の地主神)があったと思われ、事実、古図によれば本殿の右側に「御崎殿」との社名が記されているという。
 なお、現藤崎宮社殿の脇にも「御崎社」があり、地主神を祀ると説明されている。

※御崎社が本来の地主神で、素戔嗚神みたいなんです、、元々、出雲の神様を祀っていた?

今、当社は神社となっているが、元々は“宮寺”という特殊形態をもって創建された神社で、正平12年(1357)の古文書(八旛藤崎宮造営注文)には「藤崎宮寺」とあり、その神宮寺とみられる「弥勒寺・勝成寺・妙楽寺」との三ヶ寺が記されているという。

※不思議なんですが、お寺に縁があるようで、それも、弥勒が入っています。藤崎宮の女性の像は王冠をかぶっているのです。

祭神について
 今の祭神は、中央・第一殿に応神天皇(八幡神)、右・第二殿に住吉大神、左・第三殿に神功皇后を祀っている。50年前には、第二殿には仲哀天皇を祀っていたように思うが、記憶間違いかもしれない(筆者は昔、氏子であった)。

※仲哀天皇のお話しをちらっと宮司さんとしましたので、この筆者のいう第二殿に昔祀られていたというのは、「あり」だと思います。荒人社は、橘さんが祀られているようです。

藤崎宮の元地、熊本城の一画は熊本霊ラインがばっちり通っています。熊本城の八大龍王神祭祀の痕跡を探しておられたと思いますが、どうも元地が怪しい気がします。クスノキ群があるようです。今は、九州財務省の管轄になっているようです。

あと、別記事「御手洗神とは何者か?」で菊池電鉄について書かれていますが、此の脱線事故は、
https://response.jp/article/2019/01/10/317873.html
丁度、熊本電鉄藤崎線のことだったのですよね。
丁度、私が藤崎宮で手を洗う時に、菊池さん間違い電話でしたし、、ほんと、わかりやすいのです(^^)





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藤崎宮の不思議4 (さくら)
2019-03-17 10:06:40
あまり詳しく宮司さんとの会話を書くと、宮司さんに迷惑がかかるかもしれないので、これぐらいにしておきます。
武内宿禰公が、私と藤崎宮の宮司さんの御縁を繋いでくれたということです。
会話の中に、大阪の住吉大社の事が話題に上がり、お互いの身内話になります。住吉大社で、私の京都大学人脈が絡むのです。そして、熊本に行く前日に武内宿禰公に息長帯比を護ると言われましたが、、
住吉大社のお話しが宮司さんの口から出たときに、、あー、やっぱり武内さん、、、わざわざ事前に色々知らせてくれたのね。
私は、自分の産土神が住吉神社だとかは話してませんでした。琵琶湖の藤崎龍神に行くことになったのも、元々息長さんに縁が在るから行くことを決めました。
しかし、熊本で大阪の住吉大社の名前がでると思わなかったのです。話ながら、、まいったなぁ。
ま、いつものこと、、、
こんなことしていると、知らないところで、サポートが入るようになっているようです。あとは、役行者小角、空海、せいこしょさんのお話しになります。

三光宮があり、少彦名神と大国主神が祀られていました。
相撲発祥の地と書かれており、鬼と名前のついた人たちが祀られていました。吉田司家も近いのです。
荒人社があり、「あらひと」ですので、、
多分、ツヌガアラヒトさんだと思います。
本殿は地震で何もなかったようですが、周りの摂社の灯篭がまだ、ほとんど倒れていました。
熊本城も、復興途中ですが、、着実に工事が進んでおり、また勇姿なお城を観に行けたら良いなぁと思いました。


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藤崎宮の不思議3 (さくら)
2019-03-16 20:52:35
上記のコメントは「藤崎宮の不思議2」としておきます。

私「では、タクシーを3時に横に付けてください。」
時間がきたので、下に降りると、先ほどの案内の方が
「タクシーが来てます。」と扉を開けてくれました。
私「運転手さんに、いけべてらの話した?」
案内の方「いや、まだしてないです」
タクシーに乗り込み、「いけべ寺までお願いします」
運転手さん「聞いたことないです。何か、住所か電話番号か何かないですか?」
私「そんなに、マイナーなお寺なのですか?」仕方ない、とスマホでHPを見せました。ちへんじって書いてあるのです。
「ごめん、、池でなく、ちへんじです」
運転手さんが、会社に無線で「池辺寺」の案内をナビに送信してもらい、無事に向かう事になりました。
車中は、運転手さんとの会話です。
産興バスで京都、大阪の夜行バスの運転手だった、、
熊本地震のお話し。二回目の夜中が本当に怖かったと。最近も揺れていて、怖いんだと言っていました。あとは、肥後弁でよくわからないまま、相槌だけは打っておきました。こんな狭い道、、も難なく通り抜け、山の名前も全て教えてくれて、、、内心変わったお客さんだと思っていたと思います。
そのまま、宿に戻り、次の出会いがあるのですが、、
次の出会いで、京都大学受験のお話しになります。

そろそろ、藤崎宮の不思議にいきましょう。
熊本観光案内所にて、藤崎宮の行き方を詳しくききます。市電の一日乗車券で行くことにしました。
市電に乗りながら、初めて、熊本市内を見ます。広い、広すぎる、、
これは、歩いてアーケードとか無理やわ。
藤崎宮だけ行って、すぐ帰ろう、、
しかし、最寄り駅から1キロは歩くのよねぇ。
御祭りでは、藤崎宮から熊本城まで踊りながら練り歩くらしいです。

そして、なんとか無事藤崎宮に着き、丁度手を洗おうとしたところで、、私の携帯が鳴りました。
「はい」と電話に出ると、
熊本のイントネーションの声で「きくちさんのお連れさまでしょうか?」
私、「きくち?」なんて意味深な、、、「多分、違います」

なんで、私の番号に菊池さんの連れ?
私と一緒にチェックインした男性が菊池さんだったのではと予感はしました('◇')ゞ

ここで、やっと、藤崎宮参拝になります。
宮司さんと九曜紋のお話しになります。
この辺りから、宮司さんは顔色が変わって、聞いてもいないのに、自分の身内のお話しや、出身のお話しやら色々と詳しくお話しをしてくれるようになります。







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google大規模システム障害? (さくら)
2019-03-16 19:12:06
3月14日にコメントを記載したのですが、
何故か勝手に削除されています。
その時は、身体がしんどくてパソコンではなく、IPhone
からの投稿でしたので、はじかれてしまったのでしょうか?それとも、吉田様が気に入らなかったのでしょうか?
まだ、微熱が続き、ほぼ寝たきり状態ですが、やっと近所のお医者さんに行くことが出来ました。
原因不明でこのまま体調が悪ければ、色々検査をすると言われました。
今のところ、肺は大丈夫だったようです。発作のように肺が痛くなったので、心配していました。今週も全て予定はキャンセルで
来週の旅行も取りやめました。

藤崎宮ですが、どこから書きましょうか・・・
琵琶湖の藤崎龍神とのご縁は、京都大学が絡みます。今回も、京都大学のお話しが2・3個でてくるのですが、、
まさか、熊本で京都大学の話をすることになるとは夢にも思っていなかったというのが本音です。
熊本霊ラインが京都御所など貫いているので、どうしてもそのようになるのかと思います。そう考えると、私は、18歳の頃からこのようなことをする運命だったのかと思います。

熊本に着いて、最初に宿へのシャトルバスに乗ります。乗ろうとしましたら、一人の男性が先に乗っていました。
その男性と、二人で、チェックインします。
私は、申し込みよりランクの上の部屋をご用意しました
と言われ、やっぱり、、ラッキー!と予感は当たり。絶対何故かいつも、申し込みよりいい部屋用意してもらう事が多いのです。
でも、その男性は一人なのに、「お二人様の申し込みでよろしいのでしょうか?」という言葉を聞き逃さない私。私より、高い階層の高そうな部屋じゃん。聞いてます、人の事情。
案内されて、部屋から見える景色は、、
植木市だったのです。植木市??大黒天さんやん。
白川河川敷の植木市、今日が最終日です。という説明を聞き、屋台もアルとか、是非行ってみてくださいですって、、北岡神社がすぐ近くでしたので、明日朝に北岡神社かなぁ。

私「ところで、いけべてら?って知っています?」
案内の方「聞いたことないです。」
私「多分、池(いけ)ってよばないねんけど、、、イへン寺やったかなぁ」とボケた事を聞いていまして、「徒歩60分らしいのよね。タクシーを呼んでいただいていいですか?」




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吉田一氣 (さくら様への返信)
2019-03-12 21:02:29
旅行中でPCが無いのでスマホからです。
返信が遅れていて申し訳ありません。
来週にでも読み直させていただきます。
藤崎宮ですがどうでしたか?
素直な感想をもう少し聞かせてください。
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藤崎宮の不思議 (さくら)
2019-03-12 20:53:54
寝ていると、「藤崎宮と池辺寺」と浮かびました。
それで、熊本に行くことを決めました。
ネットで3日後が最短で、これでいいやっと、ぽちっとしました。家族は、日ごろから私の信心深い変な行動を知っているので、何の疑いもなく、快く送り出してくれました。
それどころか、何か不思議出来事があったら教えてとすっかり、何かの為に行くことを分かっているようでした。
山陽新幹線は、最近慣れていて、コンセントの位置とか快適に過ごす手段は分かっている。7回引っ越ししているので一人で長距離移動は慣れている。しかし、体力がないので、肺の調子が良くないのが悩み。今回は、激疲れたので、
もうこのような行動はしないと思う。
池辺寺は、熊本霊ラインの十字の強化の為に訪れたのだと思います。
高野山とつなぎました。
其の為に、私は高野山に呼ばれていたようです。
聖地です。
日本にあんな場所があるのですね。

藤崎宮は、何のために呼ばれたのか、、
多分、琵琶湖の龍神の関係だろうと思っていたのですが、、
旅行に行く前日に、武内宿禰さんが金縛りから守ってくれる感覚を2回も体験します。
王冠が気になり、行くことになりました。
普通に参拝をして、約束事を実行して、これで終わりかなぁ、、
また、ちょっと、下に降りる階段のようなのがあります。
そちらの階段をおりると、摂社が3つあります。
白川からの風がそよそよ吹いています。
この場所に長くとどまろう。
摂社の名前を確認できるのは、最後の六所宮?と書かれていますが、正面には、「武内社」となっています。それも、武内宿禰大臣と書かれています。
どうして、名前が二つある宮なんだ、、不思議。
紋は、九曜紋。
とりあえず、私は相変わらず何の下調べもしてないので、行き方調べるので必死。
あー、そうか、やはり、武内さん呼んだんだ、、、
そこで、しばらくゆっくりして、猫がゆうゆうと歩いていた。私一人きりの、時間と空間。

横に続く道がある、そちらに歩いていくと、宮司さんが掃除しています。
聞いてみよう。

私「あちらに、武内社と六所宮?があるようですが、どうして、名前が二つなんですか?武内社の看板は、違うお宮になるのですか?」

宮司「あそこの、元は武内社なんです。そこを、細川氏の祖神を祀ったので、二つの名前になります。奥に、武内さんをお祀りしています。」

私「九曜紋ですね」

両肺が激痛ですので、また、書けたら書きます





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池辺寺と藤崎宮 (さくら)
2019-03-11 01:44:38
この二つを重点的に調べています。
池辺寺について、こちらの記事に書かれています。
阿蘇山の信仰とかかわりがあり、乙護法童子が赤く祀られていたという事ですね。
阿蘇山に三体の龍神様が祀られています。

山頂の阿蘇火口の山上神社の横には三体の龍神の石碑も建っている。
右  尊壽光王龍王神
中央 龍宮大霊最上尊
左  燈明蓮女龍王神
吉田一氣はこの三体の龍神を
国龍神 健磐龍神 龍宮乙姫として祭祀している。

ということは、
光王⇒国龍神
龍宮最上⇒健磐龍神
蓮女龍王⇒龍宮乙姫

ここで、この三体はもしかして、徳善さん、乙護法さん、弁財天さんとして祀られていた可能性も考えられます。
阿蘇神界と山岳仏教。
阿蘇神界は九頭龍伝承でしょう。
摂津の九頭龍と福井の九頭龍と白山の九頭龍に私は関わってきています。そして、琵琶湖に飛ばされました。これは576と41も関わるのでしょう。
ここで、曾我社と犬と聖徳太子と龍宮と日向と鯰が導かれてきているのですが
池辺寺の説明に聖徳太子と犬がありました。

※寺主暁覚が白犬に導かれて独鈷杵を発見したことから、妙観山を独鈷山と呼ぶようになりました。

※聖徳太子の像を発見した場所に、お堂を建てた。

藤崎宮については、
八「旗」としているのが、本来の名前であり、池辺寺での伝承で、旗の記載が多かったのが気になりました。
王冠が出てくるのですが、、
また、書けるときがきましたら書くことにします。
.

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みわにくくる2 (さくら)
2018-11-10 11:39:06
昨日、入浴中にイメージが浮かんできたので、忘れないうちにとコメントに文章で残したのですが、、、
一晩経って、
光線でくくると書いていますが、やはりこの場合は、太陽だけですね。星と月は関係ない。あの時も太陽だった、、、
日、火です。私は、ぼんやりとしかわからないので、苦戦しています。
11月5日には、朝三時から起こされて、瓢箪について随分調べさせられました。
何か、考えさせられています。

安曇磯良の事も、私の中ではフェイクが混じっていて、審議が難しい。だいたい、意識体、想念体、実体を伴わないから、言ったもの勝ちであるので、いつも言葉、文章には疑いを抱いています。
今回、高良大社がの祭神、高良玉垂はイソラかもしれないと言っていますが、、
以前、私が降りてきたものは「武内宿禰」だったので、神功皇后を助けたという意味で、武内宿禰がでてきたと思います。ここで、イソラで武内宿禰であれば、やはり「神の企画」は続いています。
街を風の中、風に吹かれて、走っていると降りてきた言葉でした。
イソラは姫島神社で感じました。
もう少し、詳しくいうと、アベノヒラフになります。
しかし、藤原さんとイソラも何か関係ありました。
鹿島の神様はイソラだった、、、かもしれない。ここで、月が関係します。
藤原家の秘密、宝物についても、夜中起こされてコメント書かされたり、大変でした。
ということは、やはり何か関わるのでしょう。
今は、FAKEや罠(トラップ)に気を付けるように。
良源と円仁と藤原氏の三すくみについても、書けるのですが、比叡山の歴史になります。
信長は、比叡山焼き討ちを命じます。
明智光秀と豊臣秀吉は、わざと、僧侶や仏教美術、経典などを見逃します。
中国の皇帝もこのような、焚書などで宗教を破壊します。





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みわにくくる (さくら)
2018-11-09 23:42:46
少彦名神・または水の女神の神力で、
ふたつのものを引き寄せますが、
その間に太陽也、満月也、星の光也、つまり光線でくくります。
わざと、主語を省いています。

安曇磯良を関西で感じるのは、
志賀海神社、姫島神社、枚聞神社、和多津美神社、
あと、琵琶湖の真ん中の北側高島、朽木辺り。長野であれば、安積あたりでしょうか。
月と塩ですね。
神功皇后に玉を渡しました。高良大社もイソラでしたら、高津宮とか、高良神社とかもそうかもしれないです。そうすると、塵輪鬼ともからんできます。
水が湧くつまり、泉は亀井であり、
水が輪鬼なのかもしれないです。




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乙護法童子 (さくら)
2018-11-09 22:31:19
ここの、コメント欄を読んでいると、、
乙護法さんは、どうも、カグツチ命さんの気配も感じますね。
陶器神社にいる。瓢箪を二つに切った柄杓(麻)で水を汲む神事があるはず。
朱い蛇かなぁ。でも白も感じるけど、、それは善財童子であって、乙護法童子は赤い。
朱くて蛇なので、深沙さんだと何度も自分で書いている。
水の神性ももつと思う。
法起さん、呉音神、三光、ここらへんが同じグループかと思います。


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芭蕉扇 (さくら)
2018-09-20 23:36:34
芭蕉扇とは
牛魔王の女房の羅刹女の持つ芭蕉扇(崑崙山の後ろで、混沌はじめて開けてこのかた、天地の生み出せる霊宝、つまり大陰の精葉で、火を消すことができるのはそのためとあり)だけが火を消せるのですね。
最初、偽物をつかまされた悟空があおぐと、火がごうごうと燃え盛ります。その後、牛魔王を退治して本物であおぐと、まず静かに火が消え、またひとあおぎするとそよ風が吹き、三度あおぐと雲がわき起こり細雨がしとしとと降り注ぎます。そして49回あおぐと大雨がざあざあと降り注ぎ、火の根が絶えるのです。
坎離既成して真元合し
水火均平して大道成る
坎は易の八卦にあてはめれば水、離は火。既成は易の六十四卦の一つで、坎が上、離が下にあるもの。既成とは事ことごとく成るの意。離火下にあり坎水上にあれば、水火相まじわり、おのおのその用を成するに取る)
芭蕉扇は風を吹かせるものではなく、水(雨)を降らせるものということでしょう。
また、五行相剋とは、木、土に剋(か)ち、土、水に剋ち、水、火に剋ち、火、金に剋ち、金、木に剋つ、です。風は入っておりません。

※鉄扇公主(羅刹女)の持ち物。
ひとたび仰げば風を呼び、ふたたび仰げば雲を呼び、みっつ仰げば雨が降る。
立て続けに49回仰ぐと、どんな火でも消し止める霊水が雨として降り注ぐ。

私の言う、「塩満玉、汐干珠、天照玉」の3つの珠を操れるのが、芭蕉扇ということでしょうかね。

塩満玉=月・天(海)・水
汐干珠=日・天(海)・光
天照玉=星・天(海)・雲(光と水)

こんなイメージで居ます。
十羅刹女は法華経の護法善神ですが、
本来は
鬼子母神(姫氏母神)かと思います。
そして、これは国常立尊・妙見神(日月星)と関係あると思っています。

1・藍婆(らんば)/有結縛(うけちばく)、梵ラムバー 衆生を束縛し殺害するので名づく。本地は上行菩薩。
2・.毘藍婆(びらんば)/離結(りけち)、梵ヴィランバー 衆生の和合を離脱せしめんとするので名づく。龍王の如く円満月なり、大海に向かうが如し。右手に風雲、左手に念珠を持つ。衣食は碧録。面色は白く、前に鏡台を立てている。本地は無辺行菩薩。
3・.曲歯(こくし)/施積(せしゃく)、梵クータ・ダンティー 歯牙が上下に曲がり甚だ畏怖すべきゆえに名づく。本地は浄行菩薩。
4・.華歯(けし)/施華(せけ)、梵プシュパ・ダンティー 歯牙が上下に鮮明に並んでいるため名づく。本地は安立行菩薩。
5.・黒歯(こくし)/施黒(せこく)、梵マクタ・ダンティー 歯牙が黒く畏怖すべきゆえに名づく。本地は釈迦如来。
6・.多髪(たはつ)/被髪(ひほつ)、梵ケーシニー 髪の毛が多いので名づく。本地は普賢菩薩。
7.・無厭足(むえんぞく)/無著(むぢゃく)、梵ラークシャシャ・チャラー 衆生を殺害しても厭わない、飽き足らないことから名づく。本地は文殊師利菩薩。
8・.持瓔珞(じようらく)/持華(じけ)、梵マーラー・ダーリー 手に瓔珞を持つため名づく。本地は観世音菩薩。
9・.皇諦(こうだい)/何所(かしょ)、梵クンティー 天上と人間の世界を自在に往来するゆえに名づく。法華十羅刹女法には、膝を立てて座り、右手に裳(も)、左手に独鈷を持つ。本地は弥勒菩薩。
10・.奪一切衆生精気(だついっさいしゅじょうしょうげ)/取一切精(しゅいっさいしょう)、梵サルヴァ・サットヴァ・オージョーハーリー 一切の衆生の精気を奪うため名づく。本地は多宝如来。

法華経では、これらの鬼神が釈迦から法華経の話を聞いて成仏できることを知り、法華経を所持し伝える者を守護することを誓っている。

羅刹女の名前と数は、上記とは異なる名前が登場する十大羅刹女もある。また八大羅刹女や十二大羅刹女、また孔雀経の七十二羅刹女といった名称がそれぞれ挙げられているが、法華経に見られる羅刹女の名称については法華経陀羅尼品以前の出所が不明であり、研究の対象になっている。

ここで、歯とか髪とかでてきます。
あと鉄扇公主の御主人「牛魔王」の事を、ゆう様は牛頭と表現されています。
ここも気になりますね。




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 (さくら)
2018-09-16 09:57:57
ゆう様
はじめまして。
私は、夢で扇の啓示を受けていまして、こちらで勉強させて頂いています。
芭蕉扇、鉄扇公主ですか。
鉄扇もね。かなり調べました。
牛頭、十羅刹女なんて単語がでてくるなんて。。。
私も、この十羅刹女さんを調べなければいけないと考えていました。

有難うございます。
ということは、西遊記と紅孩児ですね。
ヒントを有難うございます。
紅孩児とは、漢字だけでも、赤い子供ですからね。

佐賀県武雄神社、ここは扇が紋であり、楠木の御神木があり、城のような神社でした。
扇紋があったので行きました。
近くの住所は、御船です。
福岡県香椎宮、こちらも扇塚があり、地主神であろう場所は、赤土でした。酉と石の神様がいました。香椎宮の南東角に蘇鉄がありました。武内宿禰公が未だに守護している気がしました。
大宰府、ここも楠木の巨木だらけでした。
心という字の草書体で書かれた池の橋、過去、現在、未来を渡ること。
現在は平坦でしたが、過去と未来は太鼓橋になっていました。未来に向かう場所には、志賀神社がありました。
最後、志賀海神社に行きました。
こちらには火炎塚が近くに在りました。
玄界灘の見渡せるとても良い雰囲気でした。
石亀のオブジェが2匹いました。塩満、汐干の玉を亀が神功皇后に渡したと書かれていました。ちょうど、夕方の詔を奏上されていました。

最初に行ったのは、豊玉姫神社と轟瀧です。轟瀧、ここにも、火炎塚が在りました。不動明王と二童子。
豊玉姫神社では、今まで参拝して不思議現象が起きた眞名井神社、石上神宮と同じ現象が起きました。


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Unknown (ゆう)
2018-09-14 16:39:45
初めてコメントいたします。
さくらさまのお話の善財童子とは、紅孩児のことでしょうか…。

西遊記の芭蕉扇のお話と、このブログの中のやりとりが、なかなかに芭蕉扇のお話と重なるものがあります。

善財童子は観音菩薩のお弟子でもありますし乙護法童子が善財童子で、かつ紅孩児ならば、牛頭、十羅刹女も出て参ります。
紅孩児の母は鉄扇公主。

とても面白いお話です。
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Unknown (小川)
2018-09-12 18:48:42
うおおお、また、酔払って、やってしまった。
ごめんよ。

怨霊結界術について、
段々、わかってきた。
蘇我氏と葛城氏は婚姻関係であるのだが、
同族ではない。
出雲系とされるのは、この点である。

天皇家の役割は、結界術の役割である。
その役目を、葛城氏、
裏天皇が担うようになる。

蘇我氏は、スサノオ系。
物部氏は、イザナギ系。

中臣氏は、イザナギ系。
吉田氏が、縄文神の呪いについて、
書いてたが、
それは、対立する霊的関係を
知らねばならない。

天邪鬼伝説があるように、
嘘にたけた呪詛使いが、
巧妙に争いを仕掛ける。

怨霊結界術は、
対立する関係だと思えば、よい。

大本教で、ナオ派、王三朗派と
わかれているが、
ナオは、イザナギ=物部氏。
王三朗は、スサノオ=出雲系。

石の役割は解ける…。

そして、初代天皇の役割を
担うものが表れる。

そう、初代天皇の本当の役割は、
神の依代となることだ。

これは、一部の人間しか、
知らないことだ。

結界術は、近親婚で能力維持をしたみたいだが、

これは、初代王家しか、知らないことだ。

ニャハハハハ( ´∀`)、
ニャンテナー。
返信する
コメント欄について (さくら)
2018-09-12 18:13:53
コメント欄は見えぬ御神霊への奏上として、書かせていただいています。
これは、私のスタンスであり、御神霊との対峙であります。こちらのブログは特殊です。
どこか違うところから答えをいただいたり、気づきをいただいたりしています。
それを胸に抱いて、一人孤独に歩いています。
吉田様を頼ったりしていません。
依存せず、自立しているつもりです。
荒唐無稽な夢。
13年前に見て、頼まれた仕事をしています。
未だに自分でも半信半疑ですが、、
もし、吉田様がこのブログを閉じられることがあれば、そっか、、仕方ないなぁと思います。
無くなっても構わないのです。
固執していません。執着はないです。
できれば、バイブルになればよいなぁとは思いますけどね。
言葉はなくても良いのです。
私のコメントに返信は必要ないです。
ま、あればあったで嬉しいですけどね。
反応は気にしていないのです。
それよりも、見えない何かとの関係が穢される方が心苦しく思います。
ですので、他の方と私は極力会話はしないように諫めています。
たまに、つい会話してしまうときがありますが、、
そこはね。人ですから、許してもらいたいと願っています。
知ることは、地獄を知るし、使いようによっては天国を知ることになりますよ。(^^)
知的な人はカッコイイと思いませんか?
知識を振りかざしたりせず、謙虚にしていれば地獄は見ないのでは?でも、たまには地獄をみるのも、刺激になっていいかもよ。7888






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Unknown (小川)
2018-09-10 21:01:12
さくらさんは、知る欲で過ごしている。
知ることは、地獄を知らねばならない。
何故?、
何故?、
何故?、
知らないほうがいいから、
教えない。
返信する
Unknown (小川)
2018-09-10 20:36:28
さくらさんは、答えは自分で
見つけたほうがいい。
吉田氏に、頼るのはやめたほうがいい。
貴女の質問の意図は、
解るが、
私も、吉田氏も、
単なる、計画の一部でしかない。


私も、わからないことで、
計画されているが、
返信する
乙護童子 (さくら)
2018-09-10 20:26:36
乙護童子と乙護法童子は一緒なのだろうか?
乙護童子
善財童子のもう一つの名前。
弁財天15童子。最後に善財童子が来る場合と、15童子に善財童子を+16童子の場合がある。
乙護童子は、白蛇のようだ。
袋をもって纏める童子であったりする。
鎌倉にある常楽寺による逸話
常楽寺に住した蘭渓道隆の下に多くの僧が集まってくるようになりました。ここで何故か江ノ島の弁天様が道隆の給仕役として一緒に宋から連れて来た乙護童子を、美しい女性の姿に変えるというイタズラをします。こうしていつの間にか、村中に道隆が美女を大切に囲っていると噂になります。乙護童子は、師と自分の潔白を示そうと、白い大蛇となってイチョウの樹に七回り半も巻き付き、その尾で池の底を叩いたということです。このことから色天無熱池をおたたきの池とも云うそうです。
※七回り半?
三上山のムカデの逸話と一緒。美女は龍宮の乙姫?
※無熱池?
無熱池とは龍王が住む炎熱の苦しみがない池を云います。

乙護法童子
佐賀県に弁財天・乙護法という鳥居がある。
弁財天と一緒になっている。
南天竺から父徳善大王、母弁財天の化身
父は雷・雲神、母は水神、乙護法さんは、山水神かな、、まだ、本質を掴めないです。何故赤い?深沙さんでしょう。それとも、日。火かな?

ミャンマー、マンダレー地方
ここは、中国が大切にした翡翠硬玉の有名な産地。
ここで、地震が起きて、次熊本阿蘇山。
硬玉に宿るのか?それで、乙護法さん青い服きてる?
翡翠の色は、深い緑、山の色、河の色、生命の色
蛇紋岩が母石となって、翡翠が採れる。
蛇が母なの?子供が生命の色、ひすい。

返信する
Unknown (小川)
2018-09-10 20:25:07
うおおお、
この我を誰だと思っている。

あの、ニギハヤヒ大王が。
返信する
Unknown (小川)
2018-09-10 20:21:05
うおおお、
負けるか。
返信する
ささやかな願い (さくら)
2018-09-10 20:05:03
うーーん、、
よくわからないのですが、私の願いは
自然災害の阻止ではないのですよ。
天災はある意味仕方ないと思っているのです。
浄化と言う意味を使う場合もありますね。
ただ、どうか少しでも人的被害の軽減を天にお頼みできればよいなぁです。大それたことは思わないです。
思いあがってはいけないからね。そう、私はたいしたことないのです。
自分の力なんて無に等しいのですから。
そこのところは、絶対吉田様も雷音寺様も良くご存知だと思います。被害軽減としか言わないでしょう。
智慧を使って、なんとか奇跡を起こせるのなら、素敵だなぁです。先人たちの教え、智慧を知る。システム、霊的背景を知る。
ただ、祈るだけでは効果がない。
そこに、智慧を働かせないと祈りは届かないということです。
災害だけではなく、豊穣、経済の巨利を生むことにも応用できれば良いなぁ、、と荒唐無稽な夢でしているのです。変人でしょ。でも、人にどう思われようとかまわないと心に噛みしめています。普通の感覚では、こんなこと出来ないです。

そう、普通の人は、
台風を、祈りでどうにかできるなんて、はははっ馬鹿じゃないのか?!という発想だとおもいますよぉ。



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Unknown (小川)
2018-09-10 18:34:45
すみません、さくらさん、
多分、吉田氏の使命は、
自然災害の阻止ではなく、
猿田彦の魔方陣🔯と関連している。

なんか、なんとなくだが、空海ぽっい。
弟子?の一人と感覚が似ている気がする…。

んー、九州は、重要な土地だがら、
結界術の類の気がする。

自然災害は、人間の邪気の浄めに必要であって、それ事態は必然かな…。

封印の術と結界の術は、
正反対をもつ術です。

日本において、"貴女"は、
封印の術は
知る必要がないです。

知る必要の霊的な家系とは、
違います。

古い家系は、
…、
発狂しているか、
飲んだくれになっているか。

どちらにしろ、
頭がおかしいと思われてる。
返信する
台風被害最小祈願 (さくら)
2018-09-09 19:01:58
吉田様を神格化などしていませんが、
今回の台風21号の被害を少しでも軽減していただけるように祈願されていたと感じています。そう、私が感じていましたので、お礼を申し上げました。雷音寺様も祈願されていました。とても、ありがたいことです。
私は祈願の最中に昔の都の沢山の僧侶達などが祈祷している姿がありありと浮かびました。
それで、もしかして、雷音寺様も御祈願されているのではないかと思っていました。
これは、何でしょうね。
神仕組みと申しましょうか。
不思議なご縁なんですよ。
私が祈願でお頼みした、
上賀茂神社の絵馬の由来を知ること。
大阪の古い龍神たち。
これは、こちらにコメントを書いて、読んで、自分の頭で考えて導き出された答えを元に祈願しました。
ですので、吉田さまのブログのお蔭なんです。
結局、私自身、風の被害と雷の被害は多少受けましたが、
本来ならもっと、甚大な被害だったのではないかと思います。
いいように考えたいじゃないですか!
私が祈願しても変わらないと実際思いますけどね。
私より、吉田様や雷音寺様が祈願されていたので、そちらで十分だと思います。
ま、私の良心というか、背後の方に頼まれているというか、祈願しなければ自分が後悔しますので、、
大阪の姫島はやっと、停電が解消したようです。
まだ、関西地方でも停電があるのではないでしょうか。
大変不便な生活です。
自虐ネタで「絶賛停電中」と書きましたが、
自虐です。お笑いにもってかないとね。(*^^)v
北海道でも広い範囲の停電なんて、、もう、、悲しいですよ、、
沢山のものを捨てなければいけない。冷蔵庫・冷凍庫がぱぁですから。

私は、3丁目に住んでいて、3丁目は停電被害を受けましたが、1丁目も4丁目も停電は無いのです。
小規模停電広範囲で、分散している。
通電したときは、みんな携帯の充電を一番にしたと言います。
私は停電中、暑いので水仕事ばかりしていました。
換気扇とか綺麗になって良かったかなぁって。
なんでしょうね。
あの、辛い時って、少しでも幸せ・ラッキー探しをするといいですよ。
この名人になれば、人生の達人ではないかと思うのです。
それはね、身体が弱ってくると、当たり前のように出来ていたことが、少しずつできなくなるのです。
それを、出来ないことを嘆くのではなく、まだできることがあることを感謝するのです。
この心境に到達することが、
散る桜、残る桜も、散る桜ですね。





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Unknown (小川)
2018-09-09 17:30:40
呉?、わからんが中国系統はわからないが、
台風の影響を吉田氏に関係なくね~。
最小限にしてるて💧
魔方陣🔯は、"物"の配列で決まる。

ここらへんのことは、
吉田氏が詳しいと思うが、
カルマとか、神霊族に
携わるものは、
魔方陣🔯か…。

神社は、封印結界に関係している。
結界術と言われているが、
封印の術かな…。

人は、知らなかったですまわれない。
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吉田一氣 (さくら様への返信)
2018-09-09 16:15:21
コメントありがとうございます。
上記一連のコメントはある意味で核心に迫っているのだとは思います。
私も以前かなり調査していたことがあります。
ただ思い返すに完全解明には至っていないという認識があります。
それは蘇我氏と縄文神の解明に至る際に
危険なものを感じ一度中断しているからです。
『物部氏の三輪での祭祀の背景考察 No263』
https://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/808cd6d8e904dee1df6cd597b893e1f4
『縄文神 サイの神のおさらいです No151』
https://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/970c1ddee4ee240f6735f4abf95a4c33

たぶんかなりの勘違いが残ったままになっているのだろうと
考えていますが最終的には避けて通れない道ですので
さくらさまの見て足で稼いだ情報で
少しづつ祭祀上の修正をお願いします。

返信する
御助言ありがとうございます (さくら)
2018-09-09 10:59:52
吉田様
ありがとうございます。
夢で見る蛇は、縄文神とのコンタクトになるのですね。
なるほどです。
それで、蛇紋石を祀る夢もみたのですね。
縄文の神がヒントになって、私なりの夢分析できました。

もうすぐ、佐賀・福岡に行きますので、
そのことも関係しているのでしょう。
どこに行けばいいのか、探っていますので。

田道間守公が常世国に探しに行った「非時香菓」は、私は天照玉だと表現しました。
穀壁=黄幢=非時香菓(天照玉)
として考察していました。
実は、穀壁の発見された王の山の上流に居た赤池龍神に実は、物凄く感じるものがありました。「くしふる」とかでてきました。ここで、「くし」です。「ふる」は石上神宮の「布留」が頭に在りました。
吉田様が追記でそっとしておきたいと書かれたので、
私はあえて蓋をしました。
そこからは、文献で豊穣、実りの部分のみにクローズアップしてコメントを書いていました。
しかし、夢で色々見させられて昨日の蛇紋石を祀るところで、私も心をシャットダウンしたのです。
もう、受信しないと強く思ったのです。

私の中では、霊的な玉(ぎょく)は3つあるのです。
塩満珠、塩干珠、天照玉になります。
日月星になるのかもしれません。

夢で見た高千穂蛇と生駒山中にある饒速日の墳墓で顕れた現実の蛇が一緒だと思いました。

饒速日とは
ニギハヤヒ(饒速日、『古事記』では邇藝速日)は、日本神話に登場する神。別名、櫛玉命(くしたまのみこと)。天照国照彦火明櫛玉饒速日命ともされる。物部氏、穂積氏、熊野国造らの祖神と伝わる。

名前に「くし」と「天照」があります。
今知りましたが、穂積氏、熊野国造の祖神??
そうだったのですか、、、
穂積氏は青麻神社や、大阪の姫山にある三光神社すなわち日月山神社ですね。
大阪の坐摩神社行宮、京都の城南宮は王子信仰(99王子)の出発点なんです。
熊野詣で、どちらも神功皇后が絡みでます。城南宮の国常立尊これは妙見神(日月星)と同体かもしれない。
坐摩の行宮には、石があります。そして、神武天皇に則って、海に碇と祭物を鎮めます。
大きな碇が大将軍八神社の裏にありました。
その時も、碇を見て「うん?」と疑問に思いましたが、大将軍八さんが妙見神と同体と教えてもらったので、実はこの碇も関連があるのだと思いました。
その前に夢で、神功皇后が海の怒りを鎮めるために、木の精霊の教えてもらった、碇の逸話を知っていたからです。

「ならびおか」の言葉で、すっかり忘れていた「蚕の社」「木嶋坐天照御魂神社」を思い出しました。名前に天照があります。
祭神が天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
大国魂神(おおくにたまのかみ)
穂々出見命(ほほでみのみこと)
鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
瓊々杵尊(ににぎのみこと)

本来は「天照御魂神(あまてるみむすびのかみ/あまてるみたまのかみ」を祀っています。つまり、アミニズムといわれる古い太陽信仰。皇室の最高神の「天照大神」ではない。「アマテラス」ではなく、祈雨の神。神事で、足をつけて、禊をします。

三柱鳥居があります。
糺の池にあるのですが、私が見たときは池に水はなく、鳥居とその下に石が積み上げられていました。それは、生駒山中のニギハヤヒの墳墓と同じです。
東京にある三柱鳥居は、ここの木嶋神社の原型で、三井家の守護神。

気になるのは、対馬の「和多都美神社」の三本鳥居。
長崎県対馬市豊玉町。海彦山彦伝説があり、龍宮城といわれている神社。

和多は
1、海を支配する神。
2、海。大海。
「わた」は海の古語

対馬は、、(対、ならび・双の馬ですね。。津井の馬。。黄幢にも色の違う二匹の馬)
魏志倭人伝にでてきます。
「卑狗」(ひこ)と呼ばれる大官と「卑奴母離」(ひなもり)と呼ばれる副官によって統治されていた。

和多都美神社の三柱鳥居は二つある。
ひとつは参道の脇にあり海水の入りこむ汐干だまりに阿曇磯良の岩を囲む形であり、塩が満ちると水中の上に立つ形となる。
もう一つは、海神の豊玉彦命の墓を囲む形で三柱鳥居は立っている。

そして、対馬には「阿麻氐留・あまてる」神社があります。祭神は、「日神命」「天照御魂命」。蚕の社の本来の祭神と一緒。
対馬の歴史でみれば、古事記の「アマテラス」より古い。

蚕の社の祭神
鵜茅葺不合命は、海神の娘である豊玉姫の子。
鵜の羽で屋根を葺こうとして、葺き終わらないうちに生まれた子という。

京都の元糺とは、対馬の和多都美神社なのだということを夢は知らせてくれたのかなぁと落としどころをつけています。8050









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吉田一氣 (さくら様への返信)
2018-09-08 22:50:51
夢で見る蛇というのは深層意識の現れですから
私の場合は縄文神とのコンタクトとなります。
暗示する蛇は最終的なテーマにはなりえてもまだ早い気がします。
あまり蛇にとらわれ過ぎずにここはやり過ごす方が
いいでしょうね。
もちろん蛇霊がどうのこうのという低次元の話ではありませんよ。

返信する
Unknown (小川)
2018-09-08 19:48:46
すみません、さくらさんて、ニギハヤヒ、大物者、祟神天皇と関わりあいになるん?
( -_・)?んー、吉田氏のルート√は、わからん。
九州は、ニギハヤヒ、神武系統だが。

ここのブログに集まる、
背後にいる霊団は、
応神、イエス系統か?

なんとなくだが、
イエスが干渉している気がする。

スクナヒコか…。
博多で、父親が死んだらしいが…。

ムキャー(/▽\)♪、
吉田氏を苦しゅうない。

この、小川サンダーを
称える日が近い。
返信する
蛇紋石 (さくら)
2018-09-08 16:31:02
ここのところ、何故か蛇に関する夢ばかり見るのですが、
先ほど、蛇紋石をご神体として祀っている夢を見ました。
何か、伝えたいことがあるのでしょうが、
まだ読み解けません。
そして、何か気になって頭がぼーっとして手につかない状態です。
蚕の社は、饒速日の墳墓に行って、多分「たかちほへび」か青大将の薄い白に近い蛇を見た後、半年後ぐらいに友人に誘われて訪れたと思います。
友人の名前が「秦」さんで、蛇塚古墳に行きたいと誘われました。近くに映画撮影所があったのが、強く印象に残っています。その時に、大酒神社にも行きました。
近くに弥勒菩薩で有名な広隆寺もあったのですが、時間がかかるので、本命の蛇塚古墳をメインに行きました。確か、井戸も調べていた、、行けたら行きたい。鉄輪井戸だったと思います。鉄だった、、あやふやな記憶なんですが、、
台風による停電で調べるのが途中になっていた、
田道間守公のことを調べましたら
私、垂仁天皇陵に行ってました。そこに田道間守さんのお墓もあるようです。
三輪山登って、そのあとに、何故か垂仁天皇陵に行き、和菓子を買って帰りました。
もう、10年ぐらい前のことなのに、
何の因果かしら、、そして、黄幢の気になる図と田道間守公の図が、同じ黄色をバックにしていて、、
それと、天日矛が祖先として、立花町とか、橘寺とか、
また、鉄と鏡。
黄色。
八の枝と八の実かな、、4に分けている。5122

返信する
ならびおか・双岡 (さくら)
2018-09-08 05:56:39
大雨避難警報が夜中二度もでました。確かに猛烈な雨が降りました。災害になりそうな嫌な予感です。
うとうとしていますと、
「ならびおか」と突然思いつきました。
この記事に関係あるのか不明ですが、
京都の「双岡」のことだと思いました。
ごめんなさい。コメント残しておきます。
二上山。二上(くしふる)神社。二匹の蛇の夢・白蛇・高千穂蛇と関係あるかもしれません。
あの辺りに行ったことがあります。
三本鳥居の「蚕の社」と「蛇塚古墳」です。
https://kyotofukoh.jp/report428.html
5111
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詳細なご説明有難うございます (さくら)
2018-09-07 22:38:03
長時間の停電は生まれて初めての経験でした。
しかし、昔は電気なんてなかったのだから、昼間に沢山働いて、夜すぐ寝るという規則正しい生活であり、常温のものを食べていたのですね。ぬるい飲み物とか慣れました。30時間で済んだから良かったものの、ホント長ければ気が滅入ること必須です。一番の難点は暑さ対策でした。暑さから逃げれない。水浴びを何回もし、いつも水ばかり触っていました。

乙護法さんの詳しい、ご説明感覚を有難うございます。
乙護法さんの存在は九州のみでしょうか?
播磨に書写山の乙護法堂がありますが、
お茶の発祥の地として、佐賀の霊仙寺と栄西上人の名がでています。霊仙寺は、豊臣秀吉が打撃を与えたようで、、荒廃し、のちに鍋島氏が助力したようです。
栄西上人といえば、吉備の出身で、吉備津彦神社の神官・権禰宜でした。建仁寺の龍に何か秘密がありそうです。栄西上人は虚空蔵求聞持法で、背が伸びたんです。
乙護法さんは天竺か、チベットか、ミャンマーですか?
仏教系統ということですね。
私は深沙さんが怪しいなぁと思っています。
でも、深沙さんは友ヶ島ですからね。若狭にもいらっしゃいました。高野山。比叡山。うーん。
まだ結びつけれないです。
建仁寺の龍は、琵琶湖の龍神で真如堂の摩多羅神とも関連があるのですが、、
また、何かきっかけがあって、ハッと分かるのでしょう。

甲と乙の関係は「甲乙つけがたし」ですね。
甲が一番、乙が二番という、、主と従。
呉音霊の護法童子ですか、、、
なるほど、、辻褄合います。8514 5535




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吉田一氣 (さくら様への返信 2)
2018-09-06 23:54:43
乙に関してですが
甲を主として乙を従とする意味があると感じます。
甲を光とすれば乙は音
甲を姉とすれば乙は妹
甲を豊玉姫とすれば乙は玉依姫
甲を呉音とすれば乙はそれに派生する音
甲を呉音霊とすれば乙は護法童子
こんなところでしょうか。



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吉田一氣 (さくら様への返信)
2018-09-06 23:27:03
停電から復旧しましたでしょうか?
いろいろとお疲れ様でした。
呉音神が長江流域の御神霊だと仮定したときに
乙護法は天竺(印度)もしくはチベットからの
渡来ではないかと考えています。
あるいはブログ記載のミャンマーのマンダレー地方も
可能性があります。
呉音霊を主として乙護法は従のようにも感じられますが
呉音神より過激で障礙神のような振る舞いですね。
今のところ私の祭祀の範疇にはありませんが
この神霊は近年まで日本の山岳仏教系で祭祀されてきた歴史があるので
縁がある人間が責任持って祭祀していくべき御神霊だと思います。
呉音霊は日本での神道系の祭祀が消失していましたので
私がその歴史を辿って祭祀して現在に至るのですが
乙護法も呉音神に従うようであれば無視も出来ないのかも
しれないと感じてはいます。
まだ感得した訳ではありませんので
正直発言にまだ責任が持てません。
ただ乙護法童子はかなり強力な神力を発揮するので
行を行うものにとっては興味深い神霊だと思います。
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古坊中 麓坊中 (さくら)
2018-09-06 15:19:55
池辺寺には道君首名公の味生池の悪龍伝説があり、とても大きなお寺の伽藍だったようです。
古坊中 麓坊中の歴史では、加藤清正公が保護したと書かれていました。
山林信仰と山岳仏教の違いなど、調べていましたが、、
乙護法さんは赤のイメージであり、星の絵が描かれた青い服、田螺つまり螺髪頭、ガマ・蒲を持つ。
性空上人の霧島での像も、筋骨隆々で、ガマを持っているのです。
私が勝手にガマと言っていますが、本当は何かは分かりません。杖です。先が長ぼそく丸いのを付けた杖。
毘沙門天、水神、深沙大王などが浮かびます。
呉音神ではないのですね。
乙がついてますけど、ちがうのですね。
佐賀に嬉野温泉があり、
鯰がまつられています。
嬉野温泉の住所には、乙がついています。
乙とは?何でしょう?
音かと思っていたのですが、、
末子と言う意味?
赤山大明神は、あるものと同体だと思っていますので、、、
地震と関係しますが、、
このブログで取り上げられて、日の目を浴びることにより、治まっていただけるように願います。
8718


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Unknown (さくら)
2018-09-06 13:49:21
吉田様へ
台風被害最小祈願有難うございます。
恐れ入ります。
庭木、倒木2本と傾き1本、計三本を伐採しました。大きな瓦を巻き込んでの倒木でしたので、南面の大きな特注窓の飛散防止をしてくれたと思っています。30時間にも及ぶ停電も、心の中ではお手上げ状態でしたが、通電してしまえば、良き思い出になりつつあります。北海道でも大きな地震があり、6強ですので6弱とは一段と規模が違います。
お見舞いとご冥福を心よりお祈りいたします。

こちらの記事は手がだせなくて
このような本はご存知だと思いますが
http://www.book61.co.jp/book.php/N73733
西巌殿寺に
日通さんと向き合う乙護法 さんです。 古文書には阿蘇山が噴火したときに織田信長が亡くなったと書いてあります。

日通さんとは?
初めて聞く名前です。調べてもわからなかったです。

http://www.transnationalasia.com/biblio.html
資料は沢山存在するようです。

あと、雷神が気になりました。
特に五雷神というのが気になりました。
三光旗での手書きの図で、この雷五柱がありましたので、、
『中国皮影における雷公像の図像的考察』
https://www.waseda.jp/flas/glas/assets/uploads/2017/03/2017_luo_692-676.pdf#search=%27%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E7%9A%AE%E5%BD%B1+%E9%9B%B7%E5%85%AC%27

性空上人は乙天(不動尊の化身)、若天(毘沙門天の化身)として使役していました。乙天=不動尊です。
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/241395
 円教寺は966年、平安時代の僧、性空(しょうくう)によって創建された。書写山は素戔嗚尊(すさのおのみこと)が山頂に降り立って1泊したという伝説があり、古くから信仰の対象とされていた。山の名も「素戔(すさ)ノ杣(そま)」に由来するという。白山権現が天辺にあってと資料を読んだ記憶があるのですが、、、
https://4travel.jp/travelogue/11190697
この地図に書いてあります。


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