記載途中
真言密教において必須の釈摩訶衍論(しゃくまかえんろん)であるが
全く別の話とはなるが大分県佐伯市弥生の尺間山山頂にある霊峰尺間神社において
釈魔大権現にからむ尺間経≒釈魔経が今日まで伝わる。
霊峰尺間神社に正式参拝するとこの経を祝詞として唱えていただける。
さてこの経の中に『世上の願蒙を開かせ給はんが為め
養老元年(717年)六月廿四日 天竺龍海山より 此朝に天降らせ坐す』とある。
神としてまつられた初代肥後国司の道君首名公が亡くなる前年のことである。
九州において天竺渡来の始祖伝承は多く
雷山千如寺 天竺霊鷲山の僧 清賀上人の開創
背振山 天竺の徳善大王の王子乙天護法善神及び弁財天が渡来
英彦山 彦山権現は天竺の摩訶提国から渡来
阿蘇三十六坊 西巌殿寺 天竺毘舎利国の最栄読師が神亀三年(726年)来朝開創
阿蘇藤谷神社伝承 養老元年(717)天竺の龍海山より阿蘇の峰へ降臨があり
里人が阿蘇山中の天狗岩に祀ったのが創祀
天竺と仮称しているが威奴や姬氏につながる可能性も検証が必要。
さて釈魔大権現とは愛宕の大天狗太郎坊から授かったと
される日隠太郎坊という大天狗のことである。
そして何故か九州の真言宗系で修験道護摩行者は
尺間神社にて尺間経を行事るものとされる。
参考 尺間経
http://bud.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/ss06007.pdf?file_id=6046
https://note.com/yoshidatakuya/n/na5cbb04f6419
真言密教において必須の釈摩訶衍論(しゃくまかえんろん)であるが
全く別の話とはなるが大分県佐伯市弥生の尺間山山頂にある霊峰尺間神社において
釈魔大権現にからむ尺間経≒釈魔経が今日まで伝わる。
霊峰尺間神社に正式参拝するとこの経を祝詞として唱えていただける。
さてこの経の中に『世上の願蒙を開かせ給はんが為め
養老元年(717年)六月廿四日 天竺龍海山より 此朝に天降らせ坐す』とある。
神としてまつられた初代肥後国司の道君首名公が亡くなる前年のことである。
九州において天竺渡来の始祖伝承は多く
雷山千如寺 天竺霊鷲山の僧 清賀上人の開創
背振山 天竺の徳善大王の王子乙天護法善神及び弁財天が渡来
英彦山 彦山権現は天竺の摩訶提国から渡来
阿蘇三十六坊 西巌殿寺 天竺毘舎利国の最栄読師が神亀三年(726年)来朝開創
阿蘇藤谷神社伝承 養老元年(717)天竺の龍海山より阿蘇の峰へ降臨があり
里人が阿蘇山中の天狗岩に祀ったのが創祀
天竺と仮称しているが威奴や姬氏につながる可能性も検証が必要。
さて釈魔大権現とは愛宕の大天狗太郎坊から授かったと
される日隠太郎坊という大天狗のことである。
そして何故か九州の真言宗系で修験道護摩行者は
尺間神社にて尺間経を行事るものとされる。
参考 尺間経
http://bud.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/ss06007.pdf?file_id=6046
https://note.com/yoshidatakuya/n/na5cbb04f6419
私の脳内メージ世界と現実は重なっていて、この尺間信仰は何となく理解できています。
宿縁かもしれないです。
はっきりと思うのは、大変厳しく、あっという間に線引され奈落の底に落とされます。
私が決めるのではなく、指令が来ます。
眷属が動く世界もあるので、そちらが動きますね。
分かりやすいのは、釈尊が悟りを啓くときに邪魔する天魔(マーラ)の存在です。
釈尊はそのマーラに打ち勝つことが出来て、悟りを啓くことが出来るのですが、、、尺魔信仰の根底にはその御話が流れているでしょう。
人間の欲望の話しであり、愛宕権現ですので、特に生命誕生するときには性欲があります。
人とは、元々魔を内に生じています。
欲望の肥大化は抑えることが大事。
貪瞋痴はいけないということですね。
その魔という存在を制御する力の象徴が刀(天の沼矛⇒天の逆矛⇒比比羅木之八尋矛)であり、
八岐大蛇⇒牛頭天王と南海龍女の八大龍王子⇒王子信仰に変わっていると思っています。
確かに、私を身近でサポートしてくれる人物たちは九州の山々を楽しんでいる人達ですね。九州だけでなく、長野県や奈良県などお山はお好きですね。
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大峯をはじめ・・と書かれています。
弥生の霊峰尺間神社
開山は天正元年(1573) で、山麓の高司盛雲が奈良の大峰山で修行の後、霊場を開いたとされる。
この前大峯山の山々を、熊野から酷道309で通りました。
奥深い山の中、天河弁財天社の奥の院弥山登山口をみました。龍泉寺寺八大龍王まで、小さな川沿いに走ります。山の空気は冷たいです。
天河弁財天曼荼羅図の三匹のオロチ頭と狐を2017年に夢で見ています。その翌日松尾大社の門前、愛宕山が見える桂川で二重の虹でその翌日、比叡山釈迦堂になるのですが、天河弁財天の妖しい霊体を玉龍と名付けていました。
天河弁財天社に行きますと、曼荼羅があります。
私が見た妖しい玉龍ではなく、弁財天と十五童子の図でした。
弁財天と龍樹菩薩についてまとめます。
上記コメントで釈迦と天魔(マーラ)のことを書いていますが、
この天魔の姿は、私の脳内では弁財天に見えるのです。智慧の実を食べたアダムとイブを誘惑するヘビですね。
半裸の若い女性で手にはお金を持っています。
さて、以前「弁財天縁起による十五童子と徳善大王の役割」のPDFを張り付けてもらっています。
①天川・背振山 弁財天と徳善大王の子
②箕面 役行者に徳善大王が門を開き、弁財天と龍樹菩薩が並坐している
③背振山 弁財天と徳善大王が化身(同じ)
箕面には、役行者が出会った聖天(歓喜天)があります。
この聖天(双身の象)と龍樹菩薩が関係するのであろうと感じています。
※以前、東寺の善女竜王堂にお参りにいくと、隣は大元帥明王堂
天河弁財天の奥の院弥山に登らないといけないと言ってる人物が居ました。大峯修験のことです。
他人事ながら大変だなぁと思っていたら、私も偶然弥山の傍まで行く事になりました。
ありがとうございました。
ひらめいたことは、自分に巣食う天魔を斬って分離させて、そのあと上手く融合することができるのが大乗の教えになるのかもしれない。
やはり、寛恕と和と思いやりの精神が大事ですね。
実は霊的なことを書いていますが
霊能力はないと言い切れるでしょう。
霊視できない、霊聴できないからですね。
ただ、色々と自然や仲間からのメッセージなどで読み解いているだけです。
潜在意識で読み取っているだけですので、私の能力は大したことはなく
何かしらお役目があって、使い走りのようなことをしているだけです。
唯一古い古い師匠の存在だけが気になっています。
その深い知性の出どころが気になっています。
私よりもずっと霊能力の高いはいせ様と日本国の国防祈願が順調に叶いますようお祈りしております。