吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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夏至の日報告 熊本霊ラインと夏至ラインとのズレ量の報告

2024-06-21 00:06:37 | 神霊界考察
本日は20240621夏至の日である。
毎年5時に日の出祈願をするのであるが
天気は雨なので陽光は難しそうである。


さて筆者が伝える熊本霊ラインは加藤清正公によって加工され
徳川家康が築城した京都二条城に向けられている。

  

熊本霊ライン詳細は今までHPにしていたが
動きが遅くなり使い物にならないので
近日中にこのgooにある程度まとめたいと思っているが
今回は以下HPを参照にしていただきたい。
『主題 熊本霊ライン概略』
熊本霊ライン数値関係』
『熊本霊ラインと中央構造線』

 

加藤清正公が決死の覚悟で尽力して実現したのが、
二条城における豊臣秀頼と徳川家康の天下分け目の大会談である。
加藤清正公は懐に短刀を忍ばせ万が一のときは徳川家康と刺し違える覚悟であったという。
肥後へ帰国する船の中で発病してそのまま死去となっているが
瀕死の状態で熊本城までたどり着いたとも語られている。
また加藤清正公築城の熊本城には豊臣秀頼を迎え入れるつもりで造ったと言われる
「昭君の間」という豪華な建物がある。
隣接する「若松の間」との境のふすまの取っ手には豊臣家の家紋である桐文が使われている。
1877年(明治10年)の西南戦争で焼失したのだが熊本地震後に再建された。

歴史は勝利者が作るというので真実は闇であるが
暗殺されたというのが真実であると思う。

さて加藤清正公以前にこの霊ラインを活用したのが道君首名公である。
しかしそもそもこの霊ライン五山は縄文時代からの夏至ラインであった。

 ブルーが霊ラインで赤が夏至ライン

この夏至ラインは前回の記事『2022年4月 金毛九尾封印顛末記』で紹介した
『関西の五芒星』の伊吹山を通過している。
この伊吹山の神(伊服岐能山之神)は白い猪とされる。
このイノシシは少名日子建猪心命に関係する猪であり以下の関係にある。
耶馬(やま)=野馬(やま/陽炎)→蜻蛉(かげろう)→蜻蛉(とんぼ)
→秋津(あきつ)→大日本豊秋津洲(あきつしま)

耶馬(やま)=野馬(やま/陽炎)→陽炎の化身である摩利支天→猪に乗った姿
→少名日子建猪心命→少彦名神

※四国伊予の愛媛県大洲市の少彦名神社には狛猪が置かれているが
こういう謂(いわ)れで置かれたものと考えている。

 愛媛県大洲市少彦名神社の狛猪

摩利支天は本来は女神であるが以下のように猪に乗った三面六臂像で表現されることが多い。

   摩利支天

摩利支天はMariciと呼ばれるので外国サイトから女神の画像を抜いてきたので
本来の姿を紹介しておく。
  Marici女神

相模原に住んでいた25歳の頃か山梨県の韮崎に仕事で通っていて
南アルプスの雄姿に感動した覚えがある。
急に南アルプスの甲斐駒ヶ岳に登りたいと思って
10月10日の体育の日に決行することにした。
登山未経験者が6千円の安物テントと夏用シュラフを買い黒戸尾根を登って行ったのだが
登りながらふと半月板を損傷しているので無理できない体であることに気づいた。
登山のキツさを身に染みて感じながらここで歩けなくなったらどうしようかと悩んだ。
このころはまだ携帯などない時代である。
途中の山小屋に着いたとき山小屋の管理者は小屋を閉めて麓に降りようとしていた。
話を聞いていたら午後からは氷点下になるからねと云われた。
夏山気分がいっぺんに吹き飛んだのを覚えている。
この不安の中で登山道に無数に置かれた摩利支天像に無事を祈りながら登って行った。
それにしてもこんな重そうな石像をどうやって運んだのだろうか?
不安の混じった心細さの中で信仰ってすごいなと心から感動した。
あとで新田次郎の強力伝を読んだら白馬岳に50貫(187キロ)超える石を
一人で担ぎ上げる実在した人物の物語だったけど
石像を山に運ぶ強力(ごうりき)なる仕事が成り立っていた時代があったのだ。
私はこの時に無数の摩利支天像に必死で祈ったおかげで
なんとか無事に無謀な登山を完了することが出来た。
黒戸尾根から摩利支天の峰まで山岳信仰の姿を初めて知ったのだが
その労力にとにかく驚かされた。
そして藁にもすがるような祈りの一歩一歩というものを深く体感した。

   

ちなみに祈りながらの登山はその後も南アルプス北岳・八ヶ岳・北アルプスと続いていくのだが
祈りが効かないイギリスのベンネビス山でとうとう半月板を損傷してしまい
日本にちんばでびっこで大変な思いで帰って緊急手術する羽目となってしまった。

そしてこの摩利支天から30年掛かって卑弥呼が導き出されたのであるが
女神摩利支天→猪に乗った姿→少名日子建猪心命→卑弥呼
これは私以前に深く考察された方がいるので
その方のブログを紹介しておきたい。

『倭女王卑弥呼 発見なる!』
http://blog.livedoor.jp/nanamihantaro/





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6 コメント

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月の女神 (はいせ)
2024-06-24 23:09:36
夏至の日の出祈願ありがとうございます。

摩利支天というと剣の女神と思っていましたが、弓矢の女神なのですね。Marici女神の画像はギリシャ神話の月の女神アルテミスを彷彿とさせます。Wikipeadiaでは『アルテミス女神は小アジアでは「多数の乳房を持つ豊穣の女神」として知られ紹介されるが、異説として女神への生け贄とされた牡牛の睾丸をつけられているともされ、小アジアにおけるキュベレーなどの大地母神信仰と混交して、独特なアルテミス崇拝が存在していたと想定されている。それは植物の豊穣や多産を管掌する地母神としてのアルテミス崇拝であった。』とのこと。
イメージ的に亀蛇に乗る豊玉姫(海)の大地バージョンにも感じられます。猪の縄文土偶は青森県で出土されているし、古くからいたのでしょうね。

でも陽炎や卑弥呼の持つ太陽のイメージよりも月のイメージを感じるなんて何故でしょう?2024年は夏至の翌月が満月で月も太陽に照らされて輝くからでしょうか?でも卑弥呼が少名日子建猪心命と思えば、この月というか水のイメージも納得できます。

蛇だったり猪だったり縄文神の心を和するということに本当に長い間苦心してきたんだなとしみじみ感じいります。
返信する
訂正 (はいせ)
2024-06-24 23:14:19
スミマセン。夏至の翌月が満月ではなく夏至の翌日が満月でした。
大変失礼しました。
返信する
吉田一氣 (はいせ様への返信)
2024-06-26 10:48:17
夏至の日の熊本は余り天気が良くありませんでしたが
夜は月が大きくて綺麗でした。
見た目はほぼ満月でしたよ。
夏至の日の出は拝することはできませんでしたが
月の出は拝することが出来て不思議な気持ちになりました。
返信する
笹の葉さらさら (はいせ)
2024-07-09 08:33:18
猛暑お見舞い申し上げます。
今年は夏至と満月がセットのようでしたが、七夕の前日が新月と面白い配置。
武甲山再登拝を七夕に予定していました。最初の予報では何とか暑さを避けて行けそうでしたが、あれよあれよという間に猛烈な暑さに…。おまけにエアコンが壊れて交換になり、暑さで生命の危機に陥ったため、今年の七夕祈願は神恩感謝と自然環境の改善祈願となりました。
自分の祈願力とやり方に疑問が出て来ていたので、それを試されることになりました。

とりあえず、本日の交換まで7/6~7/8を凌ぐことになり。
7/6 ゲリラ豪雨の影響で無事通過。
7/7 よく干からびなかった。必死の祈願で通過。
7/8  休み返上で出社しましたが、家族と職場の同僚の強烈な避難勧告により夜は近くのホテルに避難。
しみじみとよくわかったのは、自分はよわっちいことと自然相手の祈願は誰かに伝えられない(理解されない)ということです。今週は少し暑さが和らぐようですが…。
対自然の祈願はする事ないと思っていたのですが、いろいろあるな~。そしてエアコンは素晴らしい!

七夕は晴れて彦星、織姫は逢瀬を楽しめたようですね。
七夕祈願は非常に勉強になりました。

6889
返信する
吉田一氣 (はいせ様への返信)
2024-07-20 23:54:13
丁寧なあいさつありがとうございます。
まさに現代のエアコンは生命維持装置ですね。
昔は夜になると気温が下がっていたのに
今は下がらない不思議。
社会人になるまではエアコンと無縁な人生だったのが噓のようです。
死語となってしまったウインドファンでも涼しかったらしいですね。
私は今でも眠るときにはエアコン切って扇風機です。
熊本では記憶にないぐらい何年かぶりに七夕が晴れて
星が輝きました。
涼しくなってから武甲山再登拝期待しています。
返信する
猛暑お見舞い申し上げます (さくら)
2024-07-31 16:24:11
ご無沙汰しております。
遅ればせながら夏至の日祈願有難うございます。
本日は京都祇園の八坂神社の正面「疫神社」の夏越祭です。
熊本霊ラインと夏至ラインにズレがあるお話しですね。みやま市の神籠石を観に行った時に、熊本城築城の造りや、健軍神社の御祭神「建緒組命は少名日子建猪心命と卑弥呼」のことを考えましたので、吉田様と同感です。
以前、摩利支天は2023年1月妙見菩薩をお祀りするお寺に出向いたときに、近くのお寺に祀られていましたので、イノシシを撫でて、その時に「陽光の女神・摩利支天」が気になり御札を購入してお祀りしています。

九鬼氏縁者様癌延命祈願後に私自身が体調不良になり、それを押して夏至の日祈願をしましたら、それ以降体調不良が悪化し多発した傷病が治癒しない状態になり、藁をもすがるつもりで相談して試しながら過ごしていました。
自宅の神棚としている敷物を今回初めて「亥」の敷物に変えました。模様としては、亥の文字が連なっているのですが、全体で見ますと陽光のように輝線が斜めに広がってみえます。

輝線から薩摩切子の模様が素敵に見え、そこから薩摩孔雀石が欲しくなり
緑色の石なのですが、縞模様を形成し、目が浮き出てくるので、孔雀石。
月刊 うちゅう様参照
銅にできる錆である緑青(ろくしょう)と同じ成分です。天然に産出する孔雀石は、水と大気中の二酸化炭素がある環境で、銅の鉱石が風化して作られることがほとんどです。
一般的によく見られる孔雀石は、孔雀石の非常に微小な結晶が不純物を含みながら層状に集合しているものです。そのため、断面を研磨すると、美しいマーブル模様が現れます。また、孔雀石の名前は、この模様が孔雀の羽の模様に似ているということからつけられたそうです。

クレオパトラのアイシャドー。
鹿児島とエジプトと上海の緯度が同じ。
ローマでは「孔雀石」と呼ばれ、稲妻などの天災から守ってくれる女神ユーノーに捧げられました。
エジプト神話に伝わる、カバの姿をした家庭と出産を司る女神、トリエス。母親の女神として「セクメト」や「ハトホル」と同一視されていたそうです。

銅山で産出されますので、香春岳「香春の銅精錬所」や多田銀銅山のことを思い出し、猪名川の九頭龍神と孔雀は同体なのかもしれないと想像を羽ばたかせていました。
鹿児島の銅山は検索して
「鹿野銅山」が目につきました。
略 高隈山でしたので、彦坐王、開化天皇を祀る小幡神社の出口王仁三郎氏が気になります。

真如堂の虫祓に出向きまして、
宝物として、牛玉(牛の結石)、鬼の牙(いのししの牙)。安倍晴明の自念仏の不動明王。境内のお寺、新長谷寺には、妙見菩薩(鎮宅霊符神)と八大龍王尊と共に、摩利支天もお祀りされていました。
真如堂は、験の出るモノを取り入れてアップデートしているお寺だと感じました。

決定往生之秘印「五行の印」を頭に押してもらい、これで地獄を歩くことになっても不動明王に救ってもらえるのだという安心感を得ましたが、多くの人を救うための探究を続けることになりました。
1414 いよいよ?
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