吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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我が厨二病時代

2024-01-28 11:32:04 | 神霊界考察
ちょうど新約聖書を読んだのも中学生のその頃なのだが
宗教の矛盾点とそれが人類に与える影響を強く感じた事を記憶している。

例えば マタイによる福音書 5:38-42

「あなたがたも聞いているとおり、
『目には目を、歯には歯を』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。
悪人に手向かってはならない。
だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。
だれかが、一ミリオン行くように強いるなら、
一緒に二ミリオン行きなさい。
求める者には与えなさい。
あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。」

これは隣人に対する『愛』を説くキリスト教にとって
核心的な教義と言える。
寛恕と和と思い遣る心により幸せがゆき届く事を説く私にとって
類似ではないかと誤解される観念でもある。
しかし私は決して自己防衛の武装は解かない。

さてキリスト教において信仰者による宗教戦争や
正義の戦いとする聖戦はなぜ起こるのか?
それは特別の地位にあるものにはそれが免除されるからである。

聖書ではヨハネ黙示録に理由もなく天のキリスト側の神霊と
地下の神霊との最後の戦いが描かれる。

※このヨハネが霊視した黙示録が偽書でないのかという疑問は伏せる。

厨二病の私にはこのダブルスタンダードがものすごい偽善に感じられた。
つまり右の頬を打たれたときに左の頬をも向けるのは
神が視ている事に対する偽善行為でしかない。

何故なら神·神霊は黙示録の通りで決して譲らないからである。
もっとも譲られるとその配下にある人間はたまったものではないが。

黙示録においてのこの戦争のように特別の地位にあるものには
それが免除されるということにより十字軍宗遠征や宗教戦争
宗教的騎士団への弾圧などの血なまぐさい事件へと繋がったと判断する。

そして近年その最たるものがヒットラーナチスによる黙示録日程の
前倒し推進である。

ナチスがノストラダムスの預言書を翻訳し
各家庭に配布していたのは事実のようである。
最初は宣伝大臣ゲッベルスによる英国中傷が目的であったとも言われている。
ただヒトラーが指揮する「ラストバタリオン」とは
そのノストラダムスによる予言に対してのヒトラーによる
独自解釈による黙示録日程の前倒し推進に他ならないと思っている。

実際にキリスト教信者にはこの黙示録とそれに続く千年王国の実現を
我が目で見たいと熱望する輩が数多く存在する。

そして戦後にこのピークとなったのが1998年から2000年頃である。

そして四半世紀経った今再びこの件はくすぶり始めている。

記載中断
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3 コメント

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青二才 (さくら)
2024-02-09 12:46:57
ご無沙汰しております。
この御記事の文章で釘つけになったのが、
「私は決して自己防衛の武装は解かない。」ですね。
やはりと言いますか、
私もそうなのです。
常識を飛び越えなければいけない案件もでてくるのですが、、
自己防衛、線引はあって、、踏みとどまる努力をするか違うやり方に回避するか、常軌を逸しない真っ当な手段を選びます。
言い換えますと、むちゃな言い分は、物凄く悩んで、時間をかけて潜在意識に問うて解を得るのです。

そうしなければ、狂うのだろうと感じるからです。
九十九神、付喪神に憑りつかれる。
線・千を越えた本人は気が付かないでしょうが、端から見ると、こちらの世界には戻ってこれないのだろうなと思うからです。

私は御伽草子を読んで勉強しています。
https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00013599/explanation/otogi_05
返信する
吉田一氣 (さくら様への返信)
2024-02-10 00:21:42
この記事の御理解有難うございます。
ところで私ごとですが施設に昨年入所した母が
今年1月にコロナウイルスに罹患しまして
モルヌピラビル( ラゲブリオ)を使用しました。
その後急激に認知症が進み、
時代背景が退行してイベント記憶は
未成年時代の記憶以外が消滅してしまいました。
自分の子供(つまり私)の認識は出来るものの
自分の写真見せても自分自身が認識出来ずに
まだ十代の気分でいます。※たぶん
阿蘇の実家に帰りたいといいます。
昨日まで実家にいたのだそうです。
とても興味深い記憶退行なので注意深く観察中です。
少しでも回復してもらいたいので全力祈願中です。
自分の神力も試されている気がします。
あと自分がもっとも不得意とする断易の勉強中です。
見落としがないかのチェック項目が多い上に
難解な部分が結構あって
周易のような枠に当てはめるものでないため
取り敢えず卦を出してもいい流れなのか悪い流れなのかも
直ぐには判断できません。
しいて言えば商業登記法の試験なみにチンプンカンプンです。
返信する
苦難多発 (さくら)
2024-02-10 17:14:05
近況を込めたご返信、有難うございます。
卦というか、、断易を勉強されていて
予兆を読み取る能力を鍛えるためですね。
例えで商業登記法の試験なみということは、
いやーそれは難しいですね。
何か楽しみを見つけないと続かないのではないでしょうか。
私も自宅の建物登記は法務局に出向き教えていただきながら、自宅の設計図を書いて提出しました。
法務局の容赦ない厳しさは身をもって知ったわけです。
その後、相続による不動産登記の機会などありましたが、司法書士の先生に丸投げしました。
断易という世界に踏み込み、高みを目指してスキルUPされているのは素晴らしいです。
いつまでも若さを保つ秘訣ですね。
私の場合は、友人が「卦」を遠方である宮崎の先生から基本を教えていただき、プログラミングし他人の目を通してチェックしてもらっているようです。
私が友人に「自分の嘆き」などを相談しますと、勝手に卦で占ってくれますので恵まれている現況に感謝しています。
ところで、御母堂様の記憶退行を伺いますと
柳田國男著作の「妹(ゐも)の力」になるのでしょうか・・
ネット情報抜粋
古代日本における女性の霊力に関する一種の呪術的な信仰である。
ここでいう「妹(いも)」は、現代の生物学上もしくは社会学上の定義における妹ではなく、母、姉妹、伯母や従姉妹等の同族の女性、妻、側室、恋人など近しい間柄の女性に対する呼称をさす。
古代日本において、男性は政治、女性は祭祀をつかさどる存在であり(ヒメヒコ制)近親者や配偶者となった男性にその霊力を分かち与えることにより加護を与える存在とされた。
ちなみに、アイヌ民族においては信仰の場における女性と男性はほぼ同格の存在であり、男性が祭祀、女性が呪術に特化しているとされる。

千人針の様子が目に浮かぶようです。
吉田様(ヒボコ=悲母観音の子供、天日鉾命)を護っているのでしょうね。
吉田様は大事な国防祈願をされるお役目がありますからね。
阿蘇の実家とは、御母堂様にとっての生家ということですね。
阿蘇国造神社で、見かけた白装束の女性はオナリ信仰⇒いなり(稲荷)信仰の原型だと思いました。
私は呉系姫氏の眷属を動かす役割を得ていますので、お互い頑張りましょう。
1880
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