吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

熊本霊ライン基点の御坊山の鯰と阿蘇国造神社の鯰 No361

2013-10-26 22:30:21 | 神霊界考察
自分が熊本霊ライン祭祀を主宰するに至った経緯は複雑な絡みがあるが
元を辿ると40年前まで健軍神社の裏にあった小さな祠での神秘体験に行き着く。
それは小さな丘の頂上付近に有って、
右手が竹やぶで左に民家が数件ならぶ狭い道を登っていくと
そこにその小さな神社が存在していた。
昼でも薄暗く祠の前には裸電球が灯っていた。
ここは小学校の帰りに時々通る道だったが、
ある学友などはとても怖がっていた。
20年後にその祠のような神社を探したが全く場所が分からなくなっていた。
ところが健軍神社内の摂社の道君首名公を祀る天社神社に参拝した際に
再び神秘体験をしてこの神社の前身があの祠のような神社がではないかと直感した。
その後の聞き取り調査でその予感は当たっていることが分かったが
その祠があった場所は健軍神社の真裏で天神山と呼ばれ
道君首名公と少彦名神が祀られていたことが判明した。
健軍神社は普賢岳祭祀のために社殿の向きや長い参道は普賢岳に向かっているが
天神山の祠である天社神社と健軍神社とその参道と普賢岳の関係はレイライン構造となっている。
  
上記図の青丸が旧天社神社位置
中央写真は健軍神社の鳥居の間から見える普賢岳
参道の長さは1.3kmの直線

この健軍神社の参道は八丁馬場と呼ばれ加藤清正公によるレイライン結界と考えられる。
しかし裏山の天神山の天社神社までが直線に並ぶということは
もともと道君首名公由来のレイライン結界の可能性も考えられる。


さて御坊山を基点とする熊本霊ラインのほうであるが
この道君首名公がもともと夏至の日の出ラインだったいわゆるレイラインを
結界としての熊本霊ラインの構築に造り替えている。
こちらは中央構造線のエネルギーも加わり日本の脊梁たる規模となっている。

ところで前段で神秘体験といったが
なぜ自分に感応があったのか最初理解できていなかったが
そのことについては興味深い経緯があったので記載したい。
今から10年ほど前になるが高齢の父が急に本家の墓参りをしたいと言い出し
自分は初めて阿蘇の手野の古城にある本家の墓参りに同行した。
代々阿蘇国造神社を守り続けた一族で墓も神社から遠くない場所にあるのだが
驚いたことに初代の墓は慶長元年 (西暦1596年)となっていた。
  
慶長元年 (西暦1596年) 春雲院殿義山盛幸 大禅定門
市原山城守墓-阿蘇家市原城主 市原宇治姓 盛幸
      行年六拾四歳市原源正 父


この阿蘇の国造神社と熊本霊ライン基点の御坊山とは鯰の縁で繋がっている。
国造神社境内には鯰社があり阿蘇の大鯰が祀られている。
また御坊山の小島阿蘇神社には阿蘇大明神が祀られているが、
洪水のときおみこしを運んできたのがナマズとされ、
ここの地域の人はナマズを食べない。
それで加藤清正構築の熊本霊ラインは国造神社より北に数百メートルずれるのだが
もともとの夏至の日の出ラインはどこを通過しているか調べてみた。

①まず御坊山の小島阿蘇神社の緯度経度を確認する。

②御坊山の夏至の日の出角度を『日の出日の入り計算 - 高精度計算サイト』で確認する。
ここでの夏至の日の出角度は61.08度であることが分かる。


③googleアースソフトのツールの定規で御坊山から61.08度の夏至のレイラインを引く。

④この御坊山基点の夏至のレイラインと阿蘇の国造神社の位置関係を確認する。

写真中の赤い線がgoogleアース地図に引かれた御坊山から見た夏至の日の出の線で
国造神社の写真の下の三角部分の先が国造神社の位置となる。
つまりもともとの熊本の御坊山を基点とするレイラインは
阿蘇の国造神社の上を通過していたことが分かる。

どうも御坊山基点の夏至のレイラインが阿蘇の国造神社に向かっていることは
レイラインの祭祀上重要な意味を持つようで
国造神社に自分の先祖が縁のあることから私に白羽の矢が立ったものと思われる。
それは自分が小学生の時の天社神社での神秘体験から続き
現在熊本の西区に住み熊本霊ラインの祭祀をするところまで
神霊界においてはその時から織り込み済みだったという訳なのだろう。

さて鯰に話を戻すが
この鯰を信仰する人たちにはルーツがありそうである。
その情報はネット検索でも興味深い話が出てくる。
このブログでは鯰については『西の国宝 瓢鮎図 No239』
『鹿島の封印はもはや風前の灯 No330』で記事にしている。
たぶん他の魚は鰻にしろ鯉にしろ記載した覚えがないので特別な存在ということになる。
佐賀に嬉野という温泉街があり、そこに豊玉姫神社があるのだがここにはなまずが祭られている。
この地の伝承によるとなまずは豊玉姫の眷属らしい。
豊玉姫は一般には海底の龍宮や龍神や海人族と繋がるはずであり
川にすむ鯰との繋がりは希薄なはずだが、どうしても繋がりが気になっている。
ところで長崎の対馬に豊玉姫を祭る海神神社がある。

海神としてはこの長崎対馬の豊玉姫、福岡の住吉神、福岡志賀島の安曇磯良、
宗像の道主貴の三女神が知られるが、
ほぼ全ての祭祀に神宮皇后が関与している。
従って龍宮の謎は神宮皇后を含めての調査の相互関係の中から
何らかのヒントが得られるはずだと考えているがまだ確信にでは至っていない。
霊的感応から言えば神宮皇后の足跡は九州北部を中心としているが
豊玉姫は宮崎での感応が強い。
これがどういうことを意味しているのか課題となっている。








記載途中

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13 コメント

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Unknown (ulala)
2013-11-03 10:46:15
昨日東海道を歩くウォークで、京阪三条から浜大津まで逢坂峠を越えてきました。
関蝉丸神社の主祭神が豊玉姫だそうで。
蝉丸神社の上中下社を調べてました。
上社は塞の神の猿田彦はわかるとして、豊玉姫がなんか不思議。
ホツマによればというサイトはチラッと見たのですけど。
返信する
ulalaさまへの返信 (吉田一気)
2013-11-03 22:03:11
関蝉丸神社の主祭神が豊玉姫の情報ありがとうございました。
旅人を守る神とされる猿田彦命・豊玉姫命って
あまりにも不思議な組み合わせですね。
私ももう少し調べてみたいと思います。
返信する
大(稚)日霊女とウナギ・ドジョウ (禮月)
2013-12-31 00:26:34
吉田様、2013年(昭和88年)も残す所あと僅かですね。

今年は吉田様を始めとする、縄文神(クナド神・アラハバキ神)を研究されている方々に出会えた事が、とても大きな収穫だったと思います。私の人生の方向が定まってきた様な気がしました。

所で表題の通りなのですが、大日霊女尊(稚日霊女尊)を祀っている神社の周辺地域では、ウナギまたはドジョウを食べたり捕まえたりすると、良くない事が起きるという伝承を見つけました。

一つ目は山梨県武川村山高には、稚女霊女が戦闘中窮地に陥った時に大ウナギがこの女神を救った、という伝承があります。従ってこの地域の人達はウナギを食べなくなったのだそうです。
参照URL
ttp://www.mikawasuisankakou.jp/toranomaki/episode.html

また、現在私が住んでいる所から比較的近い場所に有鹿神社という、太陽の神とその后である水の女神、そして大日霊女を祀っている神社があるのですが、この神社の氏子地域ではドジョウに関する禁忌がある様です。この水の女神が守護している有鹿神社奥宮にはホトケドジョウの生息地である小川が流れているのですが、このドジョウを採ることは古くからのタブーだった様です。またドジョウ達が生息している小川の直ぐ近くには、勝坂遺跡という縄文時代の遺跡後があります。

ウナギ・ドジョウのタブー。
川や水の近くに祀られている。
近くに縄文遺跡がある。

こうした事から大日霊女尊(稚日霊女尊)には縄文神である九頭龍神の力を封印、または制御をする力がある事が判りました。

先ずは一番近くの有鹿神社へ足を運んでみようと思います。

所で話は変わりますが、こんな面白いニュースも見つけました。
http://dailynews.yahoo.co.jp/photograph/pickup/?1388411308

海底神社にしめ縄を締め直している所に、コブダイ(鯛は猿田彦の眷属または化身と言われているみたいですね)がやってきてた所を写した写真です。年の瀬の人間の様子を視察しに来た猿田彦尊といった所でしょうか?
返信する
有鹿神社について (禮月さまへの返信)
2013-12-31 18:55:52
大日霊女尊(稚日霊女尊)には
縄文神である九頭龍神の力を封印、
または制御をする力があるということを
心して参拝することは大切だと思います。
そういう思いで祈れば少しづつでも変わると思います。
有鹿神社の有鹿比古命と有鹿比女命が
太陽と水というのも興味深いです。
私も機会を見つけて参拝したいと思います。
返信する
きたきた (りひと)
2016-01-24 08:41:32
関さんに豊玉さんですかあ、この前この記事から2年後の年始?豊玉姫を調べていて千葉に飛びそして洲崎の海底のコブダイ?かな?ニュースで見ていますよ。

禮月さまへ
せきさんのお母さんでしたっけ?昔でもあるわけですね。
吉田さまの過去の記事急に閲覧が増える所をみると読者の中でもかなり理解している方々がいるんでしょうね。

過去に吉田さまと禮月さまが話している記事に出会え嬉しく思いました。2011ではなく、2013年で私現世での夢実現で見えない世界とは一度離れました。そこからの繋がりがまた入っているように思えて仕方ないです。私のタイムリミットは4月。ここまでにある程度進めてまた現世に帰らなければならないので残り三ヶ月だけこの流れに乗ってみます。3259
返信する
やたらと洲崎 (りひと)
2016-08-29 10:49:28
この前、博物館で見た地形の洲崎神社。そんなところないと思ったら新田開発で地形が見えなくなった地でした。
それがわかったのは地震。それも何故かあそこだけ揺れた〜、みたいなのでびっくりしたのでその辺りの神社調べたら出ました、洲崎神社。諏訪もあるのも昔から感じはある。残念ながら場所は、新田開発にせいか海側に動かしたかったのか?または人間の土地の都合なのか元の場所とは違う所へ。

そのあと尾鷲だかに地震がありまして飛び地になっているところが大抵怪しいんですがやはり昔の港でしょうね。ここも開発ありそうで、古来の交通経路と現在とは違いそうです。またその場所のどなたかの表現に須崎だか須賀だかを連想する地名の由来に砂州がありそうでびっくり。スサノウって方も砂州好きな一族の様相も感じてきました。この関係は女ばかりが目に付くのですが海の男ありき(根本は女系かもしれませんが)かもしくは男をまず出しから女系に行くのかもしれませんがそんなイメージが出てきました。
安曇や秦のイメージかなあ。
男がやってきたならスサノウにも通じるかも。けど女が仕切っている。なんせ男は杭のように打たれるのでしょうね。パワーあるので。
鯛が猿田彦、いいですね。恵比寿さんは女で鯛を抱えている?でも本当は鯛も大事なんで祀ってあげたらもっといい効果ないかとも。
そう、私も頼朝の名をもったコブ鯛の映像みました。その地でも地震最近ありましたね。アマテルって海女輝?そにためには海や魚のヘルプが必要な気がします。アマテルは、男女両性的に扱えるといいかも。解釈として。豊受大神と同体に近くなりますし。ただ豊が強すぎるのも大変、バランスなのでしょう。

東京の台所の豊洲ってのもちょうど話題ですが人間の過ちで汚染された豊の地じゃあ人間はまずいですよ。きちんと日本の知恵で綺麗にしてからじゃないと東京の人間ますますおかしくなっちゃいます。それを狙ってるのかな?地球と長く共存する方の考えではないはず。

豊洲の再生も焦りすぎると心配ですね。
物はその地のエネルギーを受けます。市場の神がきちんと機能した地ではないとパワーフードにはなりません。

人間の欲は長期に持つ方は多分、欲がないと言われる方に結果としてなる。なので目先の欲とか損とかを重視するならば怪しいと思いたいですね。

オリンピックなんて一時的で長いスパンで見たら点。そんな物に振り回される東京じゃダメですよね?さあどうなるか見守ります。

そうそう、築地には自分達がいかに早く鮮度を守りながらまたそれぞれふげきのような阿吽の呼吸で狭い場所を譲り合い育んできた文化があるとなくなる事で評価が急上昇していますね。

男の子を育てているとそんな気配を読むことが苦手な男たちの阿吽の呼吸は本当この先今の子育てからは生まれる見込はありません。神職さん達そうみたいですね。

今後の日本に必要なのは共通目的を持つ信念のある男を頂点にその下の男たちも目先の欲に騙されず淡々と団体目標達成までの阿吽の呼吸を文化として残して行くことです。それを阻止したいってのは?変な男ばっかりになって喧嘩ばかりになりますよ。力だけの時代へかな。

女性はその中で十分考えて動けます。

洲崎の件がきになってきたのも連動しているように思います。

そうそう女性は秩序では動かない物ですが信念には従う物です。信念がよければついていくし、それがまずいとすぐそっぽ向きます。

男女の差をいかに活かすかで日本が変わります。男女の神もその代表としてすべき役割りをきとんと全う出来るようヘルプしたいものですね。4533、2387
返信する
嬉野温泉の白鯰はアラハバキが生んだ大いなるモノ (禮月)
2017-08-03 13:48:30
伯母から告げられた事です。

伯母「嬉野温泉に伝わる白鯰伝説だけど、あれは豊玉姫のお使いじゃなくて、豊玉姫よりももっと古くて格の高い存在のアラハバキが生んだ大いなるモノの事なの。」

私「大いなるモノ?神じゃなくて?」

伯母「神とはまた毛色の違う存在だけど、神に十分匹敵する存在ね。言うなれば『生命と魂そのもの』かしら?その生命と魂が偶々白いナマズに見えたから、白鯰伝説が出来たの。豊玉姫はアラハバキから託された『生命と魂』を嬉野の地で慰めつつ護り続けているのよ。」

私「ちょっと違うと思うけど、白鯰の正体はエネルギー体みたいな物?」

伯母「そうかもね。」
8178
返信する
天神 (さくら)
2020-01-01 20:28:48
本年も神霊界探訪よろしくお願いします(^^)
この記事にある「天神」と言う地名が健軍神社の裏手にあり、とても気になっていました。
まず、私は「天神」という地名で生まれ育ちました。
もともと、天神を祀っていたので名付けられた地名ですが、、、
きっと、あの場所に祀られていたのだろうと、、、想像しています。
そして、私の生まれた「天神」地区は、池が多く、ため池があり、回りは田んぼだらけの場所でした。
近くの大きな池は私が幼少の頃に、埋め立てられて、市の総合スペースとなりましたが、その際に池から放流された魚たちが沢山近くの川に流れ込み、手づかみでとれるほどでした。
沼、池で、田んぼのドロドロ天神地区となります。
まずは、自分の生まれた土地の「天神」が気になりました。
その後、阿蘇山ご褒美旅(このご褒美とは坐摩神の昇格と、二上山、金剛山の神様とのコラボ結果)、2017年3月21日と指定が入り、風景画を見せられて、計画を練ります。
その風景画に近ずくように計画を練りましたが、
結局雨にたたられて、、、行きあたりばったり旅に変更します。
熊本市内を走行中に早稲田スクールからの間違い電話事件があったことが判明したりしましたが、、、(早稲田⇒穴八幡宮)
神来貴船神社⇒祖母神社(偶然)⇒高森杉(森高千里)まし⇒俵山SA、近くの揺が池は行こうとしましたが、地震の爪痕で道がよくわからなかった。。⇒西原村(この辺りに白山姫神社があるのね)⇒白川水源(本当は妙見水源に行きたかった)⇒菅家馬肉店(ここで、だれか熊本のマンションに引っ越ししてきた人と間違われる)健軍神社に行く前です。菅家さんから
健軍神社に行きますが、、、これが、、この天神地区を通って、裏から入りました。
ナビの案内が裏からなので、分かりにくくて、、この天神地区をウロウロしました。それで、3月21日に天社神社の例祭の日に遭遇します。
雨で、ばっちり今から例祭が始まるところでした。
何か、祭りらしきものがあるので、「何ですか?」と尋ねますと、、「年に一度の天社さんの例祭だ」と言われました。
それも、本来と違い、雨の為時間変更したみたいです。
3月21日に例祭なんて、知らなかったし、、、
健軍神社に行くことも予定していなくて、、雨で熊本のどこか神社に行き、その後、八代の龍王神社にお礼参りをしようという事に当日変更したのです。
要するに、この天神地区ウロウロして天社神社と雨宮神社の靈石を観にに行ったという事になります。
ここに、美和神社があり、、、奈良の三輪山と同じなのか?と思います。

2019年8月、雲仙温泉に宿泊に行きます。
それは、長崎県に能勢妙見像とそっくりな像がありましたので、、、長崎に行くことを決めます。
ま、偶々近くに温泉神社がありましたので、散歩がてら、行きますが、、、
そこで、、かなり、、吃驚したことがあり、、、
九州四宮神を祀っていたり、、、国魂神社ということで、ビカーっと黒くひかり、、、感応があったのです。
家に帰宅してから、かなり温泉神社の事は調べました。
この記事にあります
>健軍神社は普賢岳祭祀のために社殿の向きや長い参道は普賢岳に向かっているが
天神山の祠である天社神社と健軍神社とその参道と普賢岳の関係はレイライン構造となっている。
 
なのですが、、、普賢岳は、、、頂上に妙見神社があるのです。それは、長崎の温泉神社に行かなければ分からなかったことになります。
それで、、、このブログにコメント書くことは、決められていたのかと納得していました。
鯰との御縁はわからなかったのですが、、、
白井神社ということで、、、だいぶ謎が解けました。
法善寺の白井神社は、九曜紋が有りました。
返信する
阿蘇君一族 (さくら)
2020-01-03 20:45:08
阿蘇君に連なる手野の古墳群(中通古墳群)
阿蘇市一の宮町の水田地帯である中通地区には、5〜6世紀に築造された大小さまざまな古墳が点在しています。車塚、鞍掛塚など8基の円墳と、長目塚など2基の前方後円墳からなる阿蘇君一族の古墳であると推定されています。県下最大の前方後円墳をはじめ、10基の古墳群は県指定文化財で、東岳川をはさんで東部群と西部群に分けられます。中通古墳群の東に位置する国造神社の南側には迎平、平井、手野古墳群があり、この地域が古くから阿蘇谷の中心として発展していたことがわかります。
=阿蘇の古墳・遺跡=
http://www.city.aso.kumamoto.jp/tourism/spot/historic/remains/
※黒川に古坊中の遺跡があるのですね。

この辺りのこととほんの少しだけリンクしまして、、、滋賀の草津市穴村、野村、霊仙寺近くの神社に参拝してきました。
①菌神社(くさびら)と読みます。
発酵の酵母の神様。「きのこ」の神様になります。
拝殿には、お酒と「紀州有田」の蜜柑が箱ごと奉納されていました。
菌神社(くさびらじんじゃ)は明治時代までは草平社と呼ばれており、日本でただ一つのきのこを祀る珍しい神社です。毎年5月5日の例大祭では、ジャコのなれ寿司が供えられます。なれ寿司は滋賀の名物でもあり、発行された食品、おおいに菌に関係がありますね。主祭神は大斗能地神(おおとのじのかみ)と大斗乃辨神(おおとのべのかみ)であり、神世七代(かみよのななよ)の五代の時代に地面が余すところなく固まった時の神様です。
※きのこの御朱印が欲しくて出向きましたが、宮司さんは常駐ではなく、御朱印は諦めました。

②草津市野村の安羅神社
五弁の梅紋と三個の勾玉紋でした、、白井神社同様三つ巴ですので、、五つの丸は、千葉神社の変形九曜紋に値するのかと今日は思いました。日月の灯篭です。
素戔嗚尊になります。石の地蔵さん?が数体祠の中で祀られていました。石神っぽい感じでした。
https://www.norichan.jp/jinja/kenkou/yasura.htm

③草津市穴村の安羅神社
天日鉾が祭神であり、
天日槍の終焉地但馬国出石には、古来国土開発の大神として延喜式内名神・出石神社が鎮座し、そのもたらされた八種神宝
を霊代(みたましろ)として、いまも人々の厚い尊崇をうけられている。
聖蹟の碑がありました。蘇鉄が植わっていました。
拝殿に飾られたお神酒箱入りの名前に、知り合いの名前がありました。この近くの人ですので、、、奉納されたんだなぁと思いました。日月の灯篭に、十字の灯篭に、三つ巴になります。どうも、この巴が勾玉に見え、鯰に見えます。

④片岡町の印岐志呂神社
ここに、小安羅神社が摂社であるので行きました。
小安羅という神社もあると行く直前に知りましたので、、急遽この印岐志呂神社に行くことに決めました。
千葉の麻賀多神社辺りにに駒形神社といって、「小麻賀多」なのです。この辺りの地名も、「駒井」があるので、、、
どうも、千葉の「麻賀多」同様「小麻井」なのではないかと思ったのです。
ここまでは、地元の人との触れ合いはなく、、、
このまま順調に何事も無くこの調査は終了すると思われましたが、、、
ここで、由緒書きの写真を撮っていますと、、、
おじさまから話しかけられまして、、、
「僕は、ここの摂社の氏子の総代で、観光ボランティアもしているので、この神社の事を教えてあげる」と色々と30分ぐらい話をしました。
ここの写真を撮ると良いなど、細かく指示していただけました。
要約しますと、、、
ココは、八千矛神で、かなり古い神様で、1300年前と言われているけど、実はもっと古いはずだと言っていました。
というのも、「八千矛神なら、、奈良の大和神社もそうで、、そこは、大神神社よりも古くて、2000年前らしいですよ」と私が助け舟を出しましたら、、、
やはり、そうか、、、そうだと思っていた。。と。
裏に二基ほど古墳があり、元々そこの人を祀っていたはずだと言っていました。
安羅神社に行ってきたお話しをすると、、三か所「安羅神社」があり、三か所とも、祭神が違う。
地面に三角形の図を書いて教えてくれました。
おじさまは、小安羅神社の氏子総代だったらしく、、、
今日は、元始祭で、みんなそれぞれの14か所の氏子総代が集まって、神事をして直会でその帰りだという事でした。
最後、大きな鳥が私達の近くに飛んできて、、
私「大きな鳥ですね。何ですか?」と聞きますと、
おじさん「あれは、ゴイサギですね。鶴の仲間かな。」と言いました。
ええっ、ゴイサギなの?ここで、出会うなんて、、
25年に一度、盛大なお祭をするらしく、その時に来ればいいよ!と言われましたが、、二年前にお祭をしましたので、23年後ですね。
この神社は、国常立尊が祀られていました。
そして、奥御前神社として、、、
「別雷命」が祀られていまして、そこは「虚空臓」さんと呼ばれているとのことでした。虚空蔵ではなく、虚空臓なのです。
この神様は雷のように、激しく、あらたかな神様で、恐れられる一方、その御神威は雷をよび、夕立を降らせるなど、水を恵んでくださる尊い御神徳の神様と古代から崇め奉り、災難除けを祈願された最も古いお社だそうです。
「おくみさき」ですので、「おっくん・おつ護法」さんに似ているなぁと思っていました。
摂社で色々ありますが、、、石の祠があり、それは若狭で見た石の祠、大日霊女神社の石祠とほぼ同じものでした。
最後に、御朱印をもらう時に、御朱印帳を渡しますと、
「これは、高野山で、深沙大王ですね。こんな、立派でメジャーなところの御朱印帳に書くなんて、恐れ多い。滋賀の田舎の小さな神社なのに・・・」
とえらく恐縮されました。
御朱印を受け取る際にも、見知らぬ人に仕切られて、仲間のように話合いがあり、、
「お先に失礼します」と見知らぬ人からお声掛け、挨拶がありました。
一体何だったのだろう。。。もしかして、私が長い時間氏子総代の方と親しげに話していて、知り合いだと思われた可能性があります。
教訓
礼儀正しいのが、素晴らしいということになります。







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イキス 小潮井 (さくら)
2020-01-04 12:25:33
尼崎穴太村白井神社から草津穴村安羅神社に導かれましたが、、小安羅神社ということで、(栗太郡十里)にあるのですが、偶々穴村の近くの印岐志呂神社(八千鉾神、国常立尊)に行きます。
=玄松子様より=
『和漢三才図会』には七カ村の氏神で狐を神使とするとあり
穀霊である稲荷神としての性格を持っていたのかもしれない。
ただし、現在は本殿前に神鶏の像が置かれ、鶏を神使としているようだ。

また、社伝によると、
用明天皇即位二年夏、悠紀(ゆき)地方に定められ印岐志呂と名付けられたとある。
ただ『太平記』などには、伊岐洲、伊岐須、伊幾須などと書かれ、
「イキス」とも称されていたらしい。
鹿島の息栖(いきす)社は「沖洲の津」の意味らしいが、
湖岸に近い当社と何か関連がありそうな気もする。
また、当社の西、琵琶湖側に風神を祀る志那神社が鎮座しており、
風の強い地方の息吹きの神を祀っていることにも関連しそうな気もする。

※すぐ近くは、「志那」と言う地名でしたので、私も風に関する「シナツヒコ・シナツヒメ」が関係すると思いました。すぐ先は、琵琶湖博物館があり、~゜・_・゜~が展示されているようです。
志那神社
https://genbu.net/data/oumi/sina_title.htm

その穴村、駒井、野村、霊仙寺あたりを検索していて、
小汐井神社がありました。
http://www.shiga-jinjacho.jp/ycBBS/Board.cgi/02_jinja_db/db/ycDB_02jinja-pc-detail.html?mode:view=1&view:oid=339
イキシロでイキスとシロ⇒シオだろうと思ったのです。
女体大権現・・・これは、氷川あたりの神様の名前でなかったかな?
武内社と小槻社と深い関係で、、鶴と亀をわかちもっていると書かれています。それに、豊受大神が摂社であります。
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