吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

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串間穀璧メモ  No494

2018-08-26 16:39:00 | 神霊界考察
串間市については以前より赤池渓谷にある赤池神社の
龍神がとても気になっていた。
 
赤池渓谷の起源は約2万5000年前におきた姶良大噴火で
発生した入戸火砕流の浸食にある。
ここを流れる川の名前は福島川というのだが
この地域を調査していて江戸時代にこの河川流域で
穀璧と呼ばれる玉璧が見つかっていたことを知った。
「串間子爵位穀玉璧」
ネット上では国宝と書かれていて
『国指定文化財等データベース』で調べてみたが
一致するものを見つけられないでいる。
分類は考古資料のはずだが見つからないので他の項目も調べているのだが
残念ながらやはり見つからないでいる。

箱書きは
「文政元年戊寅二月 日向国那珂郡今町農佐吉所有
地字王之山掘出石棺所獲古玉鉄器三十余品
一蓋日向上古之遺跡多矣所謂王之山亦必非尋常古塚
明治十年丁丑十二月
 湖山長愿題」

前田育徳会が所持しているというが
前田育徳会のウイキペディアの所持品の重文以上の項にも
この穀璧は記載がない。
しかしこの前田家由来のお宝類は国宝だけで22点も所有している。

またこの穀璧は紀元前2世紀という印象付けが為されているが
実際に中国の玉器の写真集を見ると
紀元前3世紀から紀元前2世紀と判断される。
なぜ紀元前2世紀に固定されたのかというと
漢の武帝は前156年生まれなのだが武帝が支配した朝鮮四郡に
下賜された玉璧が日本に渡来したという下書きがあるからだ。
天理参考館に穀粒文璧があるがこの年代は戦国~前漢 前3~前2世紀と
記載されている。
また漢に従属しながらも結局武帝に滅ぼされた南越王の
玉璧と類似しているとして時代を特定しているが
『西汉南越王墓01』
『西汉南越王墓02音楽付』
の中国サイトを見ても玉璧56枚の一枚であり
全てが同一の漢王朝由来という訳ではないようだ。
それ以前の旧来品の可能性も高い。

ただ日本に伝わったこの穀璧が日本に渡来した呉系の姫氏に
関係するのかについては良く分からない。
春秋の玉器や璧はもう少し武骨であり穀璧を見る限りは
戦国時代(中国語検索では战国)のものと思われる。

この赤池神社に眠る龍体は時と人とを待っているように思える。
しかし目覚めればそれなりの覚悟も求められるので
今しばらくはそっとしておいた方がいいのかもしれない。






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29 コメント

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Unknown (小川)
2018-08-29 00:57:37
吉田さんて、
中期の大和朝廷のメンバーやろう。
匂いていうか、
初期の大和朝廷とは違う気がする。

呉?、とか、
その当時の中国のことが詳しいのは、
もしくは、興味があるのは、
呪いとか、
やりあった、
当時の人物としか思えない。

縁、を知れば、
必然的に、
物事は成就をする。

ただ、理解をするか、しないか。
理解しない人物は、

神とは、必然である。
どんな。手法をとろうとな…。

うおぉぉぉ、ニギハヤヒヒィイ~。
美少女を紹介しろ~(血の涙)

そうしないと、
そうしないと、
そうしないと、

とりあえず、
吉田氏の後ろで、
石みたいに
地蔵になるぞ~。

ひいイイイ~。
いいのか、
いいのか、
いいのか、

妖怪、小川なり~の誕生なり~。
返信する
赤池渓谷の写真 (さくら)
2018-08-29 20:44:52
串間市にこのような水の綺麗な渓谷があるのですね。
宮崎は水が美しくて、ほっとしますね。
こちらの心もサラサラ浄化されるような気がします。
龍神さん、写っていますね。
光の加減で偶然かもしれないですけど、、
でも、私には赤龍に見えました。
玉璧には龍の図柄が多く見えます。
串間市の赤池渓谷の下流で見つかった「穀璧」というのは、深い意味があるのでしょうね。
加賀前田家と、琵琶湖、日向、那珂郡、王の山
実はこの前四山神社のコメントで書いた「穀璧」のリンク先を失敗したのです。
今度は大丈夫でしょう。
https://plaza.rakuten.co.jp/opektal/diary/201703180001/
こちらで日向物語(8)です。
「穀璧」は硬玉「ひすい」なんですね。
硬いのです。
「ひすい」は糸魚川からの産地で、確か中国に輸出していたはずですから、、中国では翡翠は採れなかったのではなかったかな、、
http://kelen.co.jp/blog/2890/
単純に考えれば、日本からの「穀璧」ではないのかなあ?糸魚川の近くに姫川があるのです。この前、この二つの川を横切りました。
あの中国の博物館の資料南越王墓は呪術的ですね。
死者の魂を蘇らせるための秘術の為に玉(ぎょく)を使用した感じです。
隼人の盾の図柄は、こちらでは京都伏見稲荷山の神宝神社にあるのです。南九州での図柄ですよねぇ。私の中では、これもずっと不思議なのです。狛龍と竹とかぐや姫と糸の神様を祀っていたはずです。神宝なので、十種神宝の辞典を買いました。「ふるべゆらゆら」なんですね。3400 6680

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Unknown (小川)
2018-08-29 21:53:10
まったくもって、
だれも、
直接的に、突っ込みをいれない🌟

ムニャ、ムニャ、
さくらさんの、
詞の会釈は、
なるほどねー。

おそらく、
私の直観だが、
吉田氏の周りは、
スクナヒコ、
つまり、イエスの系統なのだろう。

応仁天皇、
日本には、三系統、
祟神、神武、応神とある、
地理的には、
福岡、大分、熊本の
三つである。

その背後は、
モーゼ、イザナギ、イエスとある。

ユダヤ系統で、
モーゼ、イエスで、あるから、
ふ、縁なき衆生はどしかたしとある。
返信する
夜中の出来事 (さくら)
2018-08-30 07:53:35
また、夜中2時ころ
寝ていたのに
「串間のクシはクシフルのクシ」
これだけ、、言葉がありました。
「くしふる?」そこから、ちょっとだけ「くしふる」を検索しました。
クシは櫛、串刺し「身刺」、奇御霊(くしみたま)
イメージは七支刀に鈴を一つつけるになります。
宮崎に「くしふる神社」がありますね。
それだけ、考えて寝ました。
私の夢は精度がわるいので、他にも色々重なったらコメント欄に書こうと思ってました。
前田家の宝を調べていて、
宝積経要品 - 足利尊氏、足利直義、夢窓疎石筆。巻末にある直義の跋文より康永3年(1344年)高野山金剛三昧院に寄進されたことがわかる。直義は「或人」(直義本人か)が霊夢により得た「南無釈迦仏全身舎利」の読み12文字(なむさかふつせむしむさり)を頭にする和歌を詠むよう、北朝天皇をはじめ三宝院賢俊ら20数人に依頼した。この和歌短冊120枚を張り付ぎ、その紙背を用いて、兄尊氏と夢窓の3人で『大宝積経』を抜粋して書写したのがこの宝積経要品である。写経は巻首から、直義、夢窓、尊氏、の順で書かれ最後に直義が跋文を記していることから、直義が主体となって制作したと想定できる。写経の目的は、本作と『夢中問答集』が同じ日付なことから両者が対の作品だとする説がある。江戸時代に、前田綱紀が金剛三昧院に堂塔修繕費を寄進した返礼として前田家に入った。

12文字を霊夢でみて、和歌を詠んだようです。
そう、じゃ「くしふる」のこと書いてみようと思いました。
古代中国の「玉」(ぎょく)のことは、熊野速玉社でかなり調べました。あの紀伊半島の先端は串本なんですね。「串」なんです。串本を真っ直ぐ北にラインをひくと、福井県常神半島にいきつくはずです。大音氏で、大音明神、伊香具神社に行きました。3235
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串間の穀璧 (さくら)
2018-08-30 16:09:43
どうして、穀璧が加賀前田家の手に渡ったのか?
現在は、東京の前田育徳会に所蔵。
元々、翡翠は蘇我氏の独占だったはず。
昔は陸より舟の移動のほうが沢山の荷物を載せれて、
貿易として栄えたはず。串間から串本も、黒潮の流れで、丁度いいんじゃないかな。新宮出身の友人は、紀国屋文左エ門?は木材を東京や、関東地方に運んで巨利を得たと言ってましたね。
北陸と九州。そして、相模、武蔵の国。日向が、武蔵。身刺。と名前が重複している。
これが、もしかして、東と西の端の封印と関わっている?
くしふる神社も大蛇。大神比義。
串間市の津井岬は馬で有名だけど、
火祭りも有名。これは、大蛇退治の様子を表したもの。
「トントコトッテ エイトクボウヤ」の掛け声。
どーゆー意味でしょうね?

津井岬の御崎神社には蘇鉄と磐のコラボが素敵です。自生蘇鉄「国天然記念物」があり北限地ですって。うん?常神岬の蘇鉄も北限だと言われていたけど、、あれは自生ではなく、インド人が植えたものだからかな?常神あたりも、闇見神社か、八岐大蛇伝説があったような、、、

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白玉 (さくら)
2018-09-01 07:46:35
上記のコメントは、穀璧の事を書くつもりが、大蛇のお話しばかり書いて、自分でも不思議だと思っていました。

訂正があります。
>くしふる神社も大蛇。大神比義。
これは書き方が省略してしまっていて、訂正、追加します。
>本来は槵触山を神体山とするが、現在は本殿を構えて天津日子番邇々杵命(あまつひこほのににぎのみこと)を主祭神として祀っている。なお、当神社が国史に見える「高智保神(高智保皇神)」とすれば、中世のものではあるが、『八幡宇佐宮御託宣集』巻2に、「高知尾(明神)」は神武天皇の御子である神八井耳命の別名で、「阿蘇(大明神)」の兄神であるとしたり、『平家物語』巻8緒環段に、豊後緒方氏の祖神を「日向国にあがめられ給へる高知尾の明神」として、その神体は「大蛇」であるとするなどの異伝がある。

コピペしました。
関西の神社などを紹介しているつもりが、ここ最近いつの間にか、九州の神様のことを調べて書いていました。調べると、ともかく現地に行きたいと思うのです。

先ほど夢を見ました。
二匹の蛇がでてきました。
一つは、白蛇(目が黒い)
もう一つは、灰色のような灰色がかった青のような蛇(毒はないけど、やまかがしと浮かんだ)実際のやまかがしは違うと思います。

白蛇は弁財天の使いなどで、世間一般縁起がいいと言われています。加賀前田家が国宝級の宝物をそろえています。それは、財力が必要です。
穀璧は財力と関係ありそうなんですが、、
古代中国では、円盤系の玉は、富の象徴であったからです。お金の原型ということでした。

以前、双頭の蛇の夢を見て、醍醐山に登りましたが、
双頭の蛇とは、大蛇の頭の上に小さい蛇が乗っかっていたんだなぁと、、、
高野山に行って、善女竜王さんの祠に、一緒に清瀧権現さんも祀られていたので、あの時の双頭とはこのことかもしれないと思いました。
それと、葛城の二上山で、白玉稲荷の祠に感じるものがありました。その後に大きい人間のような狐の夢をみました。
このくしふる神社は、二上神社と呼ばれていたのです。関係あるかな?
今朝の二匹の蛇の夢で、白玉・二上山と醍醐山と高野山を思い出し、やまかがしと浮かんだ蛇は生駒山のニギハヤヒの墳墓に行く時に現れた実際の青っぽいグレーの白に近い蛇を思い出しました。

穀璧=財力=白玉「白石勾玉・白山丸玉」
7275






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吉田一氣 (さくら様への返信)
2018-09-01 08:31:16
恐れ入りますがまだ回答できる段階に無いので
少し調べてから回答いたします。
ところで阿蘇の坊中の乙護法童子は全身赤色でした。
誰が赤にしたのかを調べています。
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返信の返信です (さくら)
2018-09-01 12:31:51
そうです。
コメントを書きながら、
赤と白の対比を思い浮かべていました。
赤山と白山。
この二つの信仰があった。
赤の私のイメージは、七面天女(日蓮が会った仏護法さん龍神、関東地方)、赤山大明神、赤い服を着た僧侶は霊仙さんだと思いましたので、乙護法さんのいる霊仙寺は赤、春日大社に居る赤童子、深沙大王、丹生。
火祭がある。那智の滝、鞍馬の由岐神社の火祭。

弁財天の15童子を調べて、
善財童子が乙護法さんだった、、、
善財童子は白なんですね。
白はウカ、お米、餅、羽、四山神社の五円玉は円盤で、稲が描かれている。呉縁。

赤は血で白は骨。
能作生玉は骨。性空上人は最後自分の骨を像に埋め込んだ。白。
赤は紅葉。水にはらはらと落ちる錦のまにまに。



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タカチホさん (さくら)
2018-09-02 10:31:41
すみません。夢で見た二匹の蛇のお話しです。
一匹は、黒い目の白蛇で
もう一匹は、やまかがしと浮かんだのですが
実際の画像を見ると、毒気のあるまだら模様ですので、
絶対違うのです。しかし、あのまだら模様は毒気の金の気配を感じます。
青大将かな、、、
と思いながら探っていると、
「タカチホへび」がいたのです。夢で見た蛇はとても大人しいのです。
くしふるとか蛇のこと言っているので、、
あー多分、この「たかちほ」さんだわと思いました。
分布図がまた興味深いhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%81%E3%83%9B%E3%83%98%E3%83%93#/media/File:Achalinus_spinalis_distribution.png
うまく貼り付けできたか疑問ですけど、、
蛇の画像は張り付けないようにしています。
中国の長江辺りから南の範囲ですね。
半島は入っていないのです。
これが興味深いです。
それと、この「たかちほへび」を命名したのが、人名で「たかちほ」さんなんですね。
英彦山の神社の宮司さんだったようなんです。
母は山内豊資の娘で、その縁からですね。

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肥前山内氏 (さくら)
2018-09-02 11:08:28
たかちほさんの母方の肥前山内氏とは?
と検索してみましたら
油獏さんのサイト「神代勝利」にいきつきました。
妙見神、武内宿禰の末裔、神代(くましろ)、高良大社の宮司、背振山、、
https://blog.goo.ne.jp/araki-sennen/e/24e28eb2638ebc4858a2d16a5369cd3e
神代、、神が「かみ」ではなく、「くま」なんですね。
神水、、これは神が「くわ」なんですけど、、これはどう変化したのか?
返信する

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