yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

アラバスター、ムカルナスなどで華麗なアルハンブラ宮殿はその陰でアベンセラヘス36人斬首の悲劇

2017年02月22日 | 旅行

スペインを行く41 2015年ツアー10日目 アラヤネスのパティオ バルカの間 大使の間 ライオンのパティオ 王たちの間 アベンセラヘスの間 二姉妹の間 アヒメセスの間 リンダラハの出窓 /2017.2

 ・・略・・グラナダ・アルハンブラ宮殿・アラヤネスのパティオにいる。長さ34mの池の両側の生け垣がアラヤネスというフトモモ科の植物で、資料によっては天人花または銀梅花と訳されている。天人花は東南アジアの熱帯が原産、銀梅花は地中海原産だから、銀梅花があってそうな気がするが、植物には詳しくないから見分けがつかない。
 池に写っているコマレスの塔は高さが50mもあるそうだ(スペインを行く40参照)。現代のビルでは16~17階の高さになる。レンガ積みで、格別の装飾もないが、最上部には狭間が並んでいる。塔の下は各国の大使と接見する大使の間Salon de los Embajadoresとして使われる。もし大使に不穏な動きがあれば攻撃するぞ、といった重圧を感じさせるためかも知れない。
 ・・略・・ 7連アーチの回廊は、繰り返しになるが、雪花石膏アラバスターの透かし彫りでさながらレース編みのような繊細さを感じる(写真)。
 柱は極限まで細くしてあり、その上に馬蹄形アーチを乗せているが、オアシスの傍らの椰子の木の細い幹から葉っぱが大らかに広がっているイメージから発想したのであろうか。どこを眺めても、高度な職人芸で、見飽きない。

 残念ながら見学時間に限りがあり、ガイドはアラヤネスのパティオを一回りしてからコマレスの塔に向かった。前室の狭いバルカの間Sala de la Barakha=祝福の間?の石化石膏の細やかな彫刻も見事だが、目は奥の大使の間Salon de los Embajadoresに飛んでいる。
 ・・略・・ まるで天空にきらめく星空である(写真)。ヒマラヤ杉の木組みが基調になっている。天井が高く、吸い込まれるような感じである。・・略・

 イスラム教の開祖ムハンマド(570ごろ-632)はアラビア半島中西部メッカの生まれで、隊商交易の商人だった。アッラーフ=アラーの啓示を受けた後、砂漠を駆け巡り、布教を進めていく。夜ともなれば、澄み切った天空に星がきらめいていたに違いない。大使の間の天井は天空のきらめきの再現であろう。しばし、天井のきらめきに我を忘れる。
 目が慣れてきた。室内を見渡す。天井に近い壁の半円アーチは雪花石膏の透かし彫りがはめ込まれていて、光があふれている(写真)。
 その下の壁は幾何学模様の繰り返しで埋め尽くされている。色調を雪花石膏の色調にあわせたタイルのようだが、色もところどころに残っているから、彩色されたタイルだったかも知れない。
 下層の馬蹄形アーチの開口周りは雪花石膏アラバスター仕上げ、腰壁は鮮やかなイスラミックタイル仕上げ、床は彩色の施されたイスラミックタイル・・中央にしか残っていない・・である。
 招かれた各国の大使は豪華な装飾に度肝を抜かれたであろうから、ナスル朝の王侯は有利に交渉が進められたのではないだろうか。

 ・・略・・
 バルカの間を抜け、アラヤネスのパティオの東隣のライオン宮Leonesに向かう。ライオン宮は国王一族の居住空間で、中央の中庭を囲んで、四方に王の間やハーレムなどが並んでいる。
 中庭は、ナスル朝中期、ムハンマド5世により造園された。口から噴水を噴き出す12頭のライオンが支える水盤が中央に置かれているため(写真)、中庭はライオンのパティオPatio de los Leones、王の館がライオン宮と呼ばれた。
 ライオンは、年月が経って穏やかな顔になったのか、丸くなった角をつければ羊に見えなくない。あるいは猫に近い。
 ローマ帝国時代ごろにイベリア半島のライオンは絶滅したから、ライオンを誰も見たことがない。職人もこれで良しと思い、王族もこんなものだろうと言ったのかも知れない。

 ライオンが噴き出した水は、東西南北の四方の水路に落ちる(上写真)。水路は回廊を抜け、室内まで続いている。室内にもそれぞれ水盤があり、涼しさを作りだしている。
 ・・略・・ ライオンのパティオの東が王たちの間Sala de los Reyesである。前室は、鍾乳石装飾ムカルナスで彫刻されたアーチ壁で区画されていて、腰壁は色とりどりのイスラミックタイル、天井は降り注いでくる錯覚にとらわれそうな蜂の巣状の鍾乳石装飾ムカルナスで仕上げられている(写真、1994撮影)。
 豪華さが王の居室を表している。アーチ壁で区画された前室の奥が王の寝所になる。天井にはナスル朝歴代の10人の王の肖像画が描かれていたが、見どころは前室の装飾と、王の間からの回廊+中庭の眺めであろう。

 回廊を戻り、ライオンのパティオの南側のアベンセラヘスの間Sala de los Abencerrajesに入る。
 ナスル朝(1232-1492)の末期、王位を巡る争いが激化し、最後の王となるボアブデル=ムハンマド11世(1460?-1527)は王位について間もなく、有力な一族であるアベンセラヘス家の36人を王宮に招いたあと、謀反の罪で全員斬首してしまう。その首を星形のへりに並べたというからすさまじい。以来、この部屋はアベンセラヘスの間と呼ばれている。
 星形天井は蜂の巣状鍾乳石飾りムカルナスで、三角形の凹凸の壁は雪花石膏アラバスター、下の壁はイスラミックタイルで、デザインの基調を同じにしながら、方形、長方形、ドーム、星形、八角形(後述の二姉妹の間の天井)と形を変え、ときには木組みを用いるなど変化をつけている。
 床に置かれた水盤には赤いシミがついているが、斬首されたときの血しぶきが消えずに残っているとの説もある。栄華の裏には暗黒が渦巻いているようだ。
 ・・略・・
 回廊を回って、ライオンのパティオの北の二姉妹の間Sala de las Dos Hermanasに入る。デザインの基本は同じで、壁をイスラミックタイル+アラバスター、天井をムカルナスとしている。
 床の中ほどに大きな大理石の石が2枚敷かれていることから二姉妹の間と呼ばれたそうだ。確かに大きな石が二枚敷かれているが、彫刻があるわけでもないし、特別な仕掛けもなさそうだ。
 それでは話が盛り上がらないためか、王の寵愛を受けた二姉妹がこの部屋を使ったという説もある。ハーレムがあるくらいだから、王の特別な寵愛を受けた姉妹の部屋の方がもっともらしい。

 二姉妹の間の奥、北側にアヒメセスの間Sala de los Ajimecesと呼ばれる部屋がある(写真)。窓が大きいため、腰壁の鮮やかなイスラミックタイル、窓の縁取りや窓の上のアーチ型の壁の雪花石膏アラバスター、鍾乳石装飾ムカルナスが光り輝いている。
 通常ハーレムの女性は生涯外に出ることを許されない。寵愛を受けた二姉妹や女性たちはここから外の眺望を楽しむことができた。アヒメセスの間はその女性たちにふさわしい装飾が目指されたのであろう。
 窓は、リンダラハの出窓?Mirador de Lindarajaと呼ばれている。二姉妹はソライダとリンダラハという名で、この窓から外に出られない身を嘆き悲しんだ?という伝承もあるそうだ。後世の人が物語を次々と脚色していくから真偽は分からないが、もっともらしいい話になっている。

 リンダラハの出窓?の先に幾何学模様で刈り込まれた庭が作られている(写真、1994撮影)。周りはすべて壁で外には出ることはできない。
 ハーレムの女性たちはこの庭をそぞろ歩き、ささやかな自由を楽しんだ。庭は、ダラクサ?ダラハ?の庭Jardin de Daraxaと呼ばれていることから、リンダラハの出窓?はダラクサの出窓?とも呼ばれる。
 ダラハはナスル朝最後の王ボアブディルの妻の名だったという説もある。王の妻ですら街には出ることができないので、この庭を散策し、窓からグラナダの街を遠望して、自由な暮らしに思いを募らせていたのかも知れない。
 囚われの栄華と貧しいが自由、どちらが幸せだろうか。

 ・・略・・カルロス5世宮殿に向かった。続く

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