yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

1995 中国・福建の山間に残る土楼住宅は集団性・防衛性・分配性などから円楼へ進化

2017年04月30日 | studywork

1995 「福建土楼の発展変化とその要因」
 1990年に中国・福建省の山奥に残る円形土楼住宅を調査した。その後、中国・同済大学の助手だったM君が研究生として来日した。M君もかつて土楼住宅を調査しており、M君と共同でまとめたのが「福建土楼の発展変化とその要因」である。
 土楼住宅に興味のある方には格好の資料になると、自画自賛。長文なので、一部を紹介する。

1. はじめに ・・略・・ 福建土楼とは、福建省の西部の山間の小さな盆地が開けるところに分布する、粘土と杉材を組み合わせて構築された大型の群居住宅のことである。福建土楼は、客家語を用いる客家人1)と閩南語を用いる閩南人2)によって作られており、福建土楼を客家土楼と閩南土楼に分けることもある。これらの土楼は主に福建省の龍岩区域に属する永定県全境、龍岩市と章平県南部、章州に属する南靖、平和、華安、詔安、雲霄、章浦、龍海などの県に分布していて、その形態から五鳳楼、方楼、円楼などに区分される。また、客家土楼は内側に回廊をもつ内通式、閩南土楼は回廊をもたない単元式の形態が特徴にあげられる。以下に、これらの形態的な特徴について文献と現地調査結果をもとに説明する。

1)五鳳楼  五鳳楼は中国の伝統的な四合院を原型として、地元の特徴を総合して形成された宮殿式の群居住宅である。典型的な特徴は前後3堂、左右両横式平面、入母屋式屋根、スカイラインに落差のある立面にある。図は永定県高坂郷大堂脚村の大夫第である。大夫第は中軸上に三つの堂屋を連らね、左右に横屋をそれぞれ持つ。三つの堂屋は3堂と呼ばれ、南北の中軸線上にあり、入口部分から下堂、中堂、上堂また主楼と称される。各堂屋の間には天井(日本の天井とは異なり、中庭を意味する)があり、天井の両側の通路または廊屋によって前後の堂屋と結ばれる。主楼は後楼とも称し、3~6階の高さがある。一般に中央の部屋は門庁と呼ばれ、階段を設けて倉庫とする。両側の部屋は寝室として用いられることが多い。・・略・・

2)方楼  方楼は、五鳳楼から発展した形式で、外壁の荷重を均一にし、屋根をそろえるなど、構造が単純化され、防衛機能を高める工夫を加えた土楼である。方楼には後述する内通式と単元式の2種類がある。・・略・・

3)円楼  方楼から発展した円形の土楼であり、方楼と同じく、内通式と単元式の2種類がある。図は内通式の南靖県梅林郷坎下村の土楼である。円楼は円筒状をなし、中央に大きい天井を囲む円形建物である。円楼は方楼と同じように、厚い生土の外壁によって囲まれている。そして厚い壁に沿って数多くの居室が並ぶ。中軸上に配置された後の部屋は中堂・祖堂である。祖堂に相対して、中軸上に大門がおかれる。・・略・・

4)内通式土楼  ・・略・・
5)単元式土楼  ・・略・・

3.福建省における五鳳楼の成立過程   ・・略・・ 当初、中原に居を構えていて客家人は、秦の始皇帝時代からこれまでに5回の大移動を行っている。現在の福建省に客家人が定着したのは4回目のとき(宋朝末年1200年~1600年)で、それ以前の客家人は江西省などの地方に住んでいた。江西省の客家人の代表的な住宅は3堂屋で、これは江西五鳳楼とも呼ばれる。
 江西省の3堂屋平面と前述した福建省の五鳳楼平面を比較すると、両者とも3堂2横の特徴をもち、福建客家人の最初の住宅が江西五鳳楼に共通することが分かる。上海から厦門までの列車から江西省の住宅を展望すると、福建省の五鳳楼に類似する江西五鳳楼を数多く見ることができる。
 江西五鳳楼と福建省の五鳳楼の違いを強いてあげれば、江西が煉瓦造であるのに対し、福建は土を用いた版築造であり、さらに洪水対策のため底部を石で高くしていることである。地方性を反映して素材は異なるが、平面構成はほぼ同じであり、先に定住した江西の五鳳楼が原型となり、その後に定住した福建でも五鳳楼がまず建てられたと考えられる。

4.五鳳楼から方楼への変化要因
1)集団性の強調 ・・略・・
2)構造の簡素化 ・・略・・
3)防衛性の強化 ・・略・・
4)倫理観の変化 ・・略・・
5)防衛力の増加 ・・略・・
6)立地環境の影響 ・・略・・

5.方楼から円楼への進化
1)分配の平等 ・・略・・
2)集団の結束 ・・略・・

6.おわりに
 
福建土楼がまず五鳳楼を手本に形成され、その後、防衛性の強化、構造の簡素化、集団性の強調を目指して方楼に発展、さらに、閩南人の円形土楼を参考に、中国礼制を遵守しながらながら集団の結束を求めて円楼へと発展進化してきた経緯とその根拠について考察をした。
 これは中原にいた先祖をともにする人々が福建に移住したことによっていて、中原でなければ戦乱や政治的な背景がなく度重なる移住も、また漢民族の根底にある礼制を集団としてこれほど遵守しようとすることも起こらなかったであろうし、福建でなければ、山間立地や土楼に必要な素材の入手、さらに円楼の参考となった閩南人の円形土楼のいずれもなく、円形土楼は成立しなかったと考えられる。
 数百年にわたり、福建の山間僻地で精神と集団性をたくましくし、それを円形土楼として昇華させた客家人の創造力に敬意を表したい。

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1997埼玉環境研究フォーラムで地域に伝承されている身近な環境共生術を再評価

2017年04月26日 | studywork

1997 「環境共生と伝統的居住様式」 埼玉環境研究フォーラム
 1997年1月に大宮ソニック市民ホールで「埼玉環境研究フォーラム」が開かれた。いきさつは正確に覚えていないが、たぶん県内の大学や研究所あてに呼びかけがあり、それを見て投稿したのだと思う。ほかの研究発表は、渓畔林の成り立ち、平地部の杉衰退、淡水赤潮、環境と潤滑油、低公害圧縮天然ガスエンジン、超高効率太陽電池で、かなり広範囲のテーマが取り上げられていて、環境への関心の高さをうかがわせる。

1 はじめに・状況認識と課題
 地球環境問題はいまや世界に共通の認識である。その基本的な行動指針として地球サミットで宣言された「地球環境を保全しつつ、持続可能な人類の発展」を図ることが合意されている。日本では20世紀に入って以来、科学技術の発展を裏付けとした生活の高度化と都市居住の増大が進展し、先進国の仲間に入ったものの、生態系のバランスをくずすほどの開発と環境負荷が進み、早期の行動計画が求められている。
 もともと地球環境には、自然なエネルギーの蓄積と生物の生存によって生じる環境汚染を浄化する働きをもつ。19世紀までの日本では、稲作を主体とする農業生産を基盤として、地域に固有の環境条件を読みとり、エネルギー消費と環境汚染を復元可能な範囲にバランスさせる生活を営んできた。もしバランスが破綻すれば生存が危うくなるのであり、環境に共生する住み方が作法として次の世代に伝承された。この伝統的な住み方作法は現在も伝統的な農山漁村に脈々と息づいているが、しかし、20世紀の科学技術過信のもとで都市型生活に取って代わられ、急速に姿を消し始めている。
 しかし、20世紀の科学技術がどれほど高度化しようと、人類の発展が地球に蓄積されたエネルギーを基盤とし、地球の環境浄化力に依存している基本はいまも変わっていない。そして、これからも変わることはない。とすれば、人類誕生以来19世紀までに築き上げられた地球環境と共生し、環境を順応的に活用しようとする住み方を生活の基本にすえることは、エネルギーと環境浄化の負荷を軽くし、生態系のバランスを復活させる可能性をもつ。その環境共生の住み方を仮に19世紀型生活とすれば、19世紀型を生活の基本に据え、その上に20世紀に到達し、これからも発展する科学技術を組み込んだ混成系の生活体系を構築できないか、これこそが21世紀に求められる住み方ではないかと考える。
 そこで筆者は、日本の農山漁村に伝承されてきた環境に共生しようとする住み方作法を探しだし、その仕組みを解読したうえで、現代への適用の可能性について検討することを目的に研究をスタートさせた。本報告はその一部であり、伝統的な居住様式として身近に伝承されている環境共生事例を取り上げ、その仕組みと基本的な考え方を検討し、さらに環境共生が居住空間の快適性と地域に固有の景観性を形成していることに言及する。
 なお、環境とは人間を取り巻くすべての外界を指すが、本稿では「地球環境を保全しつつ、持続可能な人類の発展」を論じる立場をとっており、生態系のバランスをもち、保全すべき環境をその目標として用いている。 ・・略・・

2 土地との共生/伝統的土地利用 ・・略・・
3 水との共生/伝統的水利用 ・・略・・
4 緑との共生/伝統的屋敷構え ・・略・・
5 生活を豊かにする環境共生 ・・略・・

6 おわりに
 身近に伝承されている環境共生事例を取り上げ、その基本がそれぞれの地域に固有な環境の成り立ちを読みとり、その成り立ちを順応的に活用することであり、結果としてそこに住む人々の安全性と居住性が獲得でき、そのうえ特徴的な地域景観が形成されているのである。
 すなわち、土地利用においては地勢の成り立ちを読みとり、水のラインを基準に住み分けを行い、盛り土と植樹で住まいの安定を図ろうとする住み方、水利においては地勢と河川の成り立ちを読みとり、水の流れにかなった水路計画を施し、屋敷ごとに水を浄化して水を流れに返そうとする住み方、屋敷構えにおいては地勢と風の成り立ちを読みとり、風制御に屋敷林を用いて住まいの安全と快適性を得ようとする住み方が地域の伝統的な居住様式として広まり、結果として地域に固有の景観が形成されるのである。
 そこに共通することは、それぞれの地域の環境の成り立ちを正確に解読することであり、そのうえで環境の成り立ちを損なわないよう土を盛り、水路を配置し、木を植えて、安全性と居住性を獲得したことである。結果として人々の居住が継続し、集落や住まいがいまに続いてきている。

 さらに、環境共生によって原野であった土地が快適な居住空間に発展し得ることを紹介した。すなわち、地域の素材を活用して景観を整え、春夏秋冬ごとに開花結実する樹木の選定で四季の変化を強調することができるのである。
 地球環境問題の行動計画として環境共生がにわかに脚光を浴びているが、本稿で紹介したように先人は生活の基本としてすでに行ってきており、少しも難しいことではない。繰り返せば、それぞれの地域の環境の成り立ちを読みとり、その成り立ちを踏まえたうえで土、水、木を用いて環境に手を加えることである。
 ただし、注意しなければいけないことは、環境はそれぞれの地域に固有であり、それぞれの地域で環境の成り立ちを考えなければならないことと、その環境はそこに住み続けている人々が担っていることである。そこに住む人々と一緒に環境を考えることが第1歩である

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「フランドルの呪画」はフランドル派の精妙な「チェスの勝負」に描かれたチェスの対局が謎解きの鍵

2017年04月25日 | 斜読

book439 フランドルの呪画 アルトゥーロ・ペレス・レベルテ 集英社 1995  (斜読・海外の作家一覧)
 少し前、セビリアを舞台にしたレベルテ(1951-)著の「サンタ・クルスの真珠」(book423、1995出版)を読んだ。かつて、セビリアの名門貴族が土地を寄進し教会を建てたが、その教会で立て続けに事故死が起きる。裏にその土地を再開発する陰謀があるらしく、それを阻止しようとした殺人らしい。ヴァチカンから調査のため神父が派遣され、真実が明かされていく展開だった。没落しても威厳を保つ名門貴族と金で成り上がろうとす者との対比、ヴァチカンのスマートな神父と地方の教会の貧しい神父の対比など、スペインの実情を描いていた。
 フランドルの呪画はサンタ・クルスの5年前、1990年の出版で、大ヒットしフランス推理大賞を受けたそうだ。図書館のスペインコーナーには隣り合わせに並んでいたが、タイトルがフランドルだったので、舞台はスペインではないと勘違いし、先延ばしにした。実は、舞台はマドリッドでプラド美術館も登場するのに気づき、読み通した。
 主人公は女性絵画修復家のフリアである。
 マドリード交響楽団の指揮をしていたベルモンテは何点もの名画も所蔵していたが、身体を壊して引退してから生活に困り名画を少しずつ手放してきた。最後に残ったのが「チェスの勝負」と名付けられた名画で、女性の画廊オーナーであるメンチュを通してフリアに修復を依頼し、修復が完成次第、競売にかける段取りだった。
 物語は、フリアが「チェスの勝負」のエックス線写真によって絵の具の下に隠されていた「誰が騎士を殺害したのか?」という文字を発見した場面から始まる。
 タイトルのフランドルは、15~16世紀、フランドル地方を中心に栄えた精妙な写実の北方ルネサンス絵画を意味し、名画「チェスの勝負」もチェスをする2人、窓辺の貴婦人、室内の様子がきわめて精妙に描かれている。画家はファン・ハイスと記されているが、インターネットで検索しても見つからないからフィクションのようだが、ヤン・ファン・ハイク(1395?-1441)をイメージすると、絵の精妙さが想像しやすい。
 絵に描かれた3人の名前も記されている。チェスをしている一人がオスタンブール公国君主フェルナン・アルタン・オーフェン公爵、対戦しているのが公爵の配下であるロジェ・ダラス、窓辺の貴婦人は公爵夫人ベアトリス・ド・ブルゴーニュである。オスタンブール公国は歴史上は存在しないが、p35~には、フランスとの従属関係から自由になり、周辺国フランス、ドイツ、ブルゴーニュに対し中立を守ろうとし、フェルナンとブルゴーニュ公爵の姪ベアトリスが1464年に結婚した、と書かれている。ブルゴーニュは実在し、14~15世紀に周辺国を併合した時期があったから、そのころをモデルにしたようだ。
 フリアは大学で美術を勉強しているとき、美術史が専門のアルバロ・オルテガ教授に惹かれ、恋人としてつきあった。その後別れたが、「誰が騎士を殺したか?」の謎を解くためにアルバロ・オルテガ教授を訪ね、教えを請う。絵に記された製作年は1471年である。オルテガ教授の資料によると、ロジェ・ダラスは1469年に弓で胸を射貫かれ殺されていた。画家ファン・ハイスは、1471年に、2年前に殺されたロジェ・ダラスとフェルナンがチェスをしている絵を描いていることになる。フリアはオルテガに絵を見に来るよう伝えて研究室を出る。
 フリアは小さいころに身寄りをなくしたらしく、古美術商のセサルが親代わりの後見人としてフリアの面倒を見てきた。フリアはセサルを信じ切っていて、何でも相談をしていたから、「チェスの勝負」の「誰が騎士を殺したか?」も相談した。セサルは、謎を解く鍵は絵に描かれたチェスの対局にあると推理する。
 フリアがセサルに「チェスの勝負」を見てもらっているとき、オルテガ教授からファン・ハイスとチェスの勝負に描かれた3人の詳細な年表が届く。フリアは、ファン・ハイスはロジェ・ダラスが殺された真実を知っていたがそのころは騎士殺しの真実に目をつぶらなければならなかった、しかし、見て見ぬふりをすることに耐えられず、絵の具の下に「誰が騎士を殺したのか」と記し、後世に騎士殺しの真実を遺言したと推理する。この謎が解明されれば、「チェスの勝負」の競売価格が跳ね上がることになる。
 セサルはフリアに、チェスクラブ最強のプレイヤーであるムニョスを紹介する。中盤から、たとえばp166、p166、p220などにチェスの対局図が登場する。ムニョスがその都度、解説するが、チェスに馴染みがないとムニョスの解説に追いつけない。急ぎ、キング、クィーン、ナイト、ポーン、ルーク、ビショップのマークと動きを調べ、対局の展開を読もうとしたが、付け焼き刃では先は読みにくい。前後するが、オルテガ教授の死体が発見され、チェスの指し手を書いたカードが残されていた。のちにメンチュも殺され、やはりチェスの指し手のカードが発見された。終盤、フリアは見えざる敵からの電話で、プラド美術館12室のブリューゲル作「死の勝利」を見に行くと、そこにもチェスの指し手のカードがあった。チェスに詳しいと、カードに記された指し手の謎が分かるかも知れない。
 最後は、ムニョスが犯人を突き止め、予想外の結末になる。前半は500年前のフランドル派の精妙な絵画を背景に誰が騎士を殺したかが話の軸で、後半は犯人の残したチェスの指し手とムニョスの勝負を背景にした犯人捜しが軸となるが、500年前と現代は直接リンクしていない。犯人が500年前のチェスの勝負をヒントに巧妙な事件を仕組み、チェスの対局で謎が明かされていく展開がミステリーとしてのおもしろさであろう。この本を読むのであれば、チェスの予習をおすすめする。

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2008県産材利用推進を狙った「埼玉木の家・設計コンペ」は無垢の木を活かしたアイデアにあふれた

2017年04月24日 | studywork

2008 「埼玉の木の家・設計コンペ」 埼玉県産木材利用推進

コンペの趣旨
 2004年度から始まった埼玉県・木づかい夢住宅デザイン事業実行委員会主催による「埼玉の木の家デザイン事業」は、今年で5年目になる。
 このデザイン事業の狙いは、埼玉県内の森林で生産された木材を使用した良質な住宅の普及(木づかい夢住宅デザイン実行委員会規約第2・目的)であり、2004年度は「埼玉の木を使った家づくりの夢」と題し、県民から寄せられた家づくりの夢を選び、それを建築設計のプロにデザインしてもらう形式ですすめた。
 2005年度以降はこの趣旨を発展させ、建築を志す学生達に県産木材を利用した家づくりのアイデアコンペを行うことで県産木材を利用する建築設計者の育成を図ろうと、「埼玉の木の家・設計コンペ」を行うことにした。
 そして、2005年度は市街地に建つ住宅を想定した設計コンペ、2006年度は里山などの田園景観に配慮した住宅の設計コンペ、2007年度は花と緑の田園都市にふさわしい子育て世帯向け住宅の設計コンペとした。

 今年度は、これまでの経緯をふまえ、「無垢の木の良さをとことん活かしたまちなか住宅」を設計課題とした。課題にあるよう、ポイントの一つは無垢の木の良さをどう活かすか、二つはまちなかに建つことの積極的な提案、を期待した設計コンペである。
 敷地は幅員10mの南北道路の東側立地とし、東西17m、南北15mの矩形で面積は255㎡である。まちなかで255㎡はやや広すぎるいが、例年、工高生や専門学校生の応募が多く、取り組みやすいように敷地にゆとりをもたせている。まちなかの様子は周辺に小規模な商業施設が混在している古くからの住宅地を想定し、第1種住居地域(建ぺい率60%、容積率200%)とした。前述したが、こうしたまちなかの様子や敷地条件をどう読み取り、どのように設計に織りこむかが評価のポイントになる。
・・略・・

審査経過  ・・略・・

最優秀賞:学生の部「楽間灯」
 この作品はアイデアが卓越していて、それが学生の部・優秀賞作品を一歩制した。卓越したアイデアは3点に整理できる。
 一つは無垢の木を柱・梁、あるいは内装や濡れ縁に使用する(これは他の作品にも多いアイデア)にとどまらず、外壁に可動式の水平ルーバーとして用いていること、二つは、可動式ルーバーから暖かな光がまちなかに漏れていき、まちなかを照らすとともに、まちなか~家の互いが可動ルーバーを通して気配を感じあえること、三つは、1階に配置された親夫婦室と子ども室はアプローチ土間を介して独立しながら互いに気配を感じあう一方、2階の空間を家族が共有しあうプランニングとしたことである。
 まちなかにありながら家族の安らぎを確保するために外周を四角形平面としてルーバーで囲み、その中に円形平面の住空間を配置し、家族は個を確立しながらも1階では気配を感じ、2階では空間を共有する、さらに、可動ルーバーを介して家とまちなかがつながりあうアイデアは独創的である。夜が更けたまちなかで、この家の可動ルーバーから漏れだす灯りはまちなかに安らぎを与えるであろうし、休日に可動ルーバーから感じられる生活の気配はこの家族とまちなかの人々の交流を深めそうである。
 そうした学生らしいアイデアが審査員の評価を得た。ただし、そうしたコンセプトの説明が雑ぱくである。アイデアの独創性をもっと積極的に説明して欲しい。1階の夫婦室と子ども室も独立性が強すぎるし、2階の共有空間も3人家族にはやや広すぎて空間が拡散している。新しいライフスタイルの提案が盛り込まれればプランがもっと明快になったと思える。(講評:I)

優秀賞:学生の部「自然と繋がる家~わたる庭・とまる庭」
 この作品もなかなか秀逸である。アイデアのポイントを3点に整理すると、第1は無垢の木の活用、第2はまちなかとのかかわり方、第3は中庭を介した住空間になる。第1の無垢の木の活用は、床材に象徴されている。住空間のほぼ全面を板床にするだけではなく、ダイニングをあえて床座とし、木のぬくもりを肌を通して感じるライフスタイルを提案している。板床に寝ころぶと、格子梁を現しにした板天井が中庭に視線を誘導しながら広がっていき、中庭の自然の木を楽しむことができる。
 第2のまちなかとのかかわり方では、ダイニング~外庭~縁台風のデッキ~通りと住宅の内と外が連続し、地域の人とこの家の家族との交流が深まる仕掛けを提案している。外庭の緑陰はまた、通りを行く人が腰をおろし、語らう場所にもなる。
 第3の住空間のアイデアは、通り側にダイニング、中庭を挟んだ奥に個室を配置し、まちなかにありながら個人のプライバシーを守り、かつ南からの日差しが溢れた中庭の自然を介しながらダイニングにいる家族の気配を感じることができるプランに表れている。
 こうした優れたアイデアが明快にまとめられているのだが、アイデアを表した各所のパースが安易すぎた。配置・平面図、断面図の柔らかな表現に対し、写真を取り入れた画像の表現が強すぎる。外庭側の外観は通りに対し閉鎖的だし、パースを正確に表現したあまり雰囲気がよそよそしくなっている。図を見た人がイメージを膨らませられるような表現が望ましかった。惜しまれる。(講評:I)

優秀賞:一般の部「街道筋~まちなかの家」
 一般の部には建築設計の実務に係わるプロの応募が少なくなく、この作品も設計技術に優れたアイデアが評価された。が、応募者が設計趣旨で述べているように、実現性を目指した合理的な設計であるが故に現実的な解決が優先されすぎ、未来に向けた夢、斬新なアイデアが希薄になり、優秀賞にとどまった。
 高く評価されたポイントはまちなかとのかかわり方で、一つは通りに面した店舗、二つは通り側の外観デザインに表れている。店舗は八百屋または雑貨屋を想定していて、実際にはストックスペースや下処理などのスペースが必要であろうが、スーパー、コンビニがあたりまえになっている昨今、まちなかの商店が地域の人々の交流の要として大切であり、まちなかに安らぎを与えていくとする主張は大いに共感できる。商店会、青年部の会合にも使うことを想定した6帖は、なお工夫が必要であろう。
 通り側外観は県内各地に残る街道筋の宿場をイメージした表現で、街道筋に残る店舗付き住宅の改修にも応用でき、街並み景観再生につながる可能性を秘めている。強いていえば、懐古趣味に陥る危うさがあり、次代を担う若者にも受け入れられる革新性を織りこんだ表現を提案して欲しかった。
 無垢の木を始めとする木材活用、さらにはセルロースファイバーを使った断熱工法などの環境負荷への配慮は、建築設計のプロならではの力量をうかがわせる。が、前述したように、現実的な解決にとどまってしまい、夢を予感させない。それは間取りにも表れていて、三世代7人のライフスタイルを提案されているが、嫁姑に象徴される同居の難しさや子どもの個室化の弊害などについては提案がなされていない。惜しまれる点である。(講評:I) 


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2007「地域資源を活かしたまちづくり」講演=環境は住む人々、とりわけ子どもの感性に影響する

2017年04月21日 | studywork

2007「地域資源を活かしたまちづくり」全国地区計画推進協議会

 2007年8月に全国地区計画推進協議会協議会で講演する機会を得た
もの・ひと・こと
 略・・そもそもまちをつくるということはどういうことかというふうに考えると、つくられた結果としてのまちがあるのです。町並み空間を「もの」と表してありますが、そこには大勢の人が住んでいるわけです。住んでいる、暮らしているのを「こと」と表していますが、大勢の人たち「ひと」が主役で、人が生きている、人が何かをするための舞台が町並み空間「もの」になるというふうに考えることができます。つまり「ひと」が「こと」をするところが「もの」で、これらは不即不離の関係にあります。場所を考える、町並みを考えるということは、そこで人々が何をするかと組み合わさって考えなければならないということになります。・・略・・

暮らしの舞台をつくる
 
・・略・・つまり、それぞれの都市ごとに個性がある。その個性こそが、その地域の魅力になっている。そこに住んでいる人たちは、その土地ごとの個性を大事にしようと思っていて、だからこそその町の個性的な魅力なっている。その地域のよさとは、町並みとしての舞台をつくり続けている人々の力であり、それこそが資源というふうに考えることができます。まちづくりとはひとづくりですね。
 一方で、そういう個性的な舞台は、そこに住む人たちに何らかの影響を与え続けます。今、私の手元にお水が用意されております。これは、今ここのポットに入っているわけですけれども、ポットの水をグラスに入れると、水は、当たり前ですけれども、グラスの形に変わるわけですよね。もし、これを四角い容れ物に入れると、水は四角い形に変わっていくわけです。人間は、それほど自由に変化をするわけではありませんけれども、環境の持っている形が、人々の感性に何がしか影響すると思いませんか。・・略・・

子どもの感性を豊かにする
 
・・略・・つまり親が思い入れを込めてつくろうとしてきた、あるいはそれによって生活が豊かになってきている、そういった思い入れは確実に子どもに伝わっているのです。身近にある資源の価値を大人たちがしっかりと認めて、それで気持ちが豊かになっているということを子どもたちはしっかり感じていて、子どもたちの原風景の中に根づいていると思うのです。よくIターンとかUターンというような話がありますけれども、こういった原風景をしっかり持っている子どもたちは、ある時期に、高校に行き、大学に行き、どこかにぎやかな都会で働くということもあると思うのですが、ある年になってくると、自然に原風景を思い出し、原風景のような場所に住もう、あるいは原風景のあったところに帰ろうというふうになるのではないでしょうか。いかに地域を大事にしたまちづくりが重要か、お分かりいただけたと思います。

四季を感じる
 
・・略・・その結果として、これは春から夏にかけて花が咲いたり、実がつく木の位置です。これは夏から花が咲いたり実がなる木です。当然違う木ですよね。これは秋です。時期ごとに、季節ごとに違った場所に花が咲いたり、実がつく。当たり前ですけれども、違った木に花が咲いて実がつく。93種類の樹木のおかげで、風景が変化をしていくわけです。ここで子どもたちは、当然ながら四季の移ろいを見ることになります。大人ももちろんそうです。四季を感じることができるわけですよね。・・略・・

町をつくり続ける
 
・・略・・つまり私たちが素晴らしいと感じている地域の資源というのは日々つくられているということです。私たちの住んでいるまちも、日々つくり続けられ、よくなっていくということではないでしょうか。人々が、自分の住んでいる場所そのものを素晴らしい、さらによくしたいと思って、そこに新しい風景を積み重ねる。そうした思いが大変重要なのです。
 以上をまとめると、その場所をよく読み取る、解読する。その場所に先人が伝えてきた記憶は何かよく考える。つくるもの、建築の形と大きさは非常に重要です。人間は、だいたい1メートル何センチですよね。目の高さは、身長から10センチ、15センチ引いたあたりにある。人間の大きさは決まっているわけですから、その人間が見る物の形や大きさというのは非常に重要ですよね。
 それから、周辺にある自然との調和をよく考える。素材は何を使うか、無理な素材は使わない。いままで紹介したそれぞれがその土地ごとに選ばれた素材でした。そうすると、色合いもおのずとなじんできますよね。それをさらに、さらに美しくするにはどうしたらいいかを考える。先ほど紹介した出雲にしろどこにしても、みんな普通の人がつくりだしたのですよ。もちろんすぐれた人がいます。歌のうまい人も、走るのが速い人もいるから、それぞれの才能はあるのですけれども、基本的には住んでいる人たちが工夫をしているということですよね。・・略・・

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