1995 「福建土楼の発展変化とその要因」
1990年に中国・福建省の山奥に残る円形土楼住宅を調査した。その後、中国・同済大学の助手だったM君が研究生として来日した。M君もかつて土楼住宅を調査しており、M君と共同でまとめたのが「福建土楼の発展変化とその要因」である。
土楼住宅に興味のある方には格好の資料になると、自画自賛。長文なので、一部を紹介する。
1. はじめに ・・略・・ 福建土楼とは、福建省の西部の山間の小さな盆地が開けるところに分布する、粘土と杉材を組み合わせて構築された大型の群居住宅のことである。福建土楼は、客家語を用いる客家人1)と閩南語を用いる閩南人2)によって作られており、福建土楼を客家土楼と閩南土楼に分けることもある。これらの土楼は主に福建省の龍岩区域に属する永定県全境、龍岩市と章平県南部、章州に属する南靖、平和、華安、詔安、雲霄、章浦、龍海などの県に分布していて、その形態から五鳳楼、方楼、円楼などに区分される。また、客家土楼は内側に回廊をもつ内通式、閩南土楼は回廊をもたない単元式の形態が特徴にあげられる。以下に、これらの形態的な特徴について文献と現地調査結果をもとに説明する。
1)五鳳楼 五鳳楼は中国の伝統的な四合院を原型として、地元の特徴を総合して形成された宮殿式の群居住宅である。典型的な特徴は前後3堂、左右両横式平面、入母屋式屋根、スカイラインに落差のある立面にある。図は永定県高坂郷大堂脚村の大夫第である。大夫第は中軸上に三つの堂屋を連らね、左右に横屋をそれぞれ持つ。三つの堂屋は3堂と呼ばれ、南北の中軸線上にあり、入口部分から下堂、中堂、上堂また主楼と称される。各堂屋の間には天井(日本の天井とは異なり、中庭を意味する)があり、天井の両側の通路または廊屋によって前後の堂屋と結ばれる。主楼は後楼とも称し、3~6階の高さがある。一般に中央の部屋は門庁と呼ばれ、階段を設けて倉庫とする。両側の部屋は寝室として用いられることが多い。・・略・・
2)方楼 方楼は、五鳳楼から発展した形式で、外壁の荷重を均一にし、屋根をそろえるなど、構造が単純化され、防衛機能を高める工夫を加えた土楼である。方楼には後述する内通式と単元式の2種類がある。・・略・・
3)円楼 方楼から発展した円形の土楼であり、方楼と同じく、内通式と単元式の2種類がある。図は内通式の南靖県梅林郷坎下村の土楼である。円楼は円筒状をなし、中央に大きい天井を囲む円形建物である。円楼は方楼と同じように、厚い生土の外壁によって囲まれている。そして厚い壁に沿って数多くの居室が並ぶ。中軸上に配置された後の部屋は中堂・祖堂である。祖堂に相対して、中軸上に大門がおかれる。・・略・・
4)内通式土楼 ・・略・・
5)単元式土楼 ・・略・・
3.福建省における五鳳楼の成立過程 ・・略・・ 当初、中原に居を構えていて客家人は、秦の始皇帝時代からこれまでに5回の大移動を行っている。現在の福建省に客家人が定着したのは4回目のとき(宋朝末年1200年~1600年)で、それ以前の客家人は江西省などの地方に住んでいた。江西省の客家人の代表的な住宅は3堂屋で、これは江西五鳳楼とも呼ばれる。
江西省の3堂屋平面と前述した福建省の五鳳楼平面を比較すると、両者とも3堂2横の特徴をもち、福建客家人の最初の住宅が江西五鳳楼に共通することが分かる。上海から厦門までの列車から江西省の住宅を展望すると、福建省の五鳳楼に類似する江西五鳳楼を数多く見ることができる。
江西五鳳楼と福建省の五鳳楼の違いを強いてあげれば、江西が煉瓦造であるのに対し、福建は土を用いた版築造であり、さらに洪水対策のため底部を石で高くしていることである。地方性を反映して素材は異なるが、平面構成はほぼ同じであり、先に定住した江西の五鳳楼が原型となり、その後に定住した福建でも五鳳楼がまず建てられたと考えられる。
4.五鳳楼から方楼への変化要因
1)集団性の強調 ・・略・・
2)構造の簡素化 ・・略・・
3)防衛性の強化 ・・略・・
4)倫理観の変化 ・・略・・
5)防衛力の増加 ・・略・・
6)立地環境の影響 ・・略・・
5.方楼から円楼への進化
1)分配の平等 ・・略・・
2)集団の結束 ・・略・・
6.おわりに
福建土楼がまず五鳳楼を手本に形成され、その後、防衛性の強化、構造の簡素化、集団性の強調を目指して方楼に発展、さらに、閩南人の円形土楼を参考に、中国礼制を遵守しながらながら集団の結束を求めて円楼へと発展進化してきた経緯とその根拠について考察をした。
これは中原にいた先祖をともにする人々が福建に移住したことによっていて、中原でなければ戦乱や政治的な背景がなく度重なる移住も、また漢民族の根底にある礼制を集団としてこれほど遵守しようとすることも起こらなかったであろうし、福建でなければ、山間立地や土楼に必要な素材の入手、さらに円楼の参考となった閩南人の円形土楼のいずれもなく、円形土楼は成立しなかったと考えられる。
数百年にわたり、福建の山間僻地で精神と集団性をたくましくし、それを円形土楼として昇華させた客家人の創造力に敬意を表したい。