yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

2016年埼玉県桶川のまちづくり=中高層建築物による紛争防止のための事前公開・事前説明で成果

2017年01月30日 | studywork

2016 桶川のまちづくり=建築紛争調停委員会 /2017.1 (全文はホームページ参照)

 2016年4月、桶川市建築紛争調停委員会が開かれた。・・略・・
 「桶川市中高層建築物の建築に係る紛争の防止及び調整に関する条例」は、平成9年1997年に制定された。・・略・・
 目的は、第1条 この条例は、中高層建築物の建築に関し、関係法令等に定めがあるもののほか、建築計画の事前公開及び事前説明並びに紛争のあっせん及び調停について必要な事項を定めることにより、良好な近隣関係を保持し、もって地域における健全な生活環境の維持及び向上に資すること、である。
 もともとの居住者と新にマンションに住む居住者が良好な近隣関係になることが望ましい。それが町の発展につながる。多くの場合、開発業者がマンションを建設し、居住者を募集する。であれば、開発業者は事前に周辺の住民に丁寧に説明し、了解してもらうことが前提になろう。
 ということで、この条例では、中高層建築物の建築主または工事施工者は周辺の住民に事前公開+事前説明を必須条件としている。

 都市計画法・建築基準法では、住居専用の地域、住居系の地域、商業系の地域など用途地域を定めている。中高層建築物も用途地域によって規制が異なる。
 条例第2条2(1)では、・・略・・
 別表は3区分していて、第1種低層住居専用地域・第2種低層住居専用地域では軒高さ7mを超える建築物、地階を除く3階以上の建築物を中高層建築物
 第1種中高層住居専用地域・第2種中高層住居専用地域・第1種住居地域・第2種住居地域・準住居地域・近隣商業地域・準工業地域では高さが10mを超える建築物を中高層建築物
 商業地域・工業地域では高さ15mを超える建築物、高さが10mを超え上記の地域に冬至日の午前8時から午後4時までに日影を生じさせる建築物を中高層建築物としている。
 一般的な建物の階高は3mだから、高さ15m=5階、高さ10m=3~4階になり、商業地域・工業地域でも午前8時から午後4時までの日影にも言及しているから、かなりの建築物が事前公開・事前説明の対象になる。

 ではどんなことがらが条例の適用を受けるのか。第2条2(2)では中高層建築物の建築に伴って生ずる日照、通風及び採光の阻害、風害、周辺の交通安全の阻害、電波障害等並びに工事中の騒音、振動等によっておきる周辺住民と中高層建築物の建築主又は工事施工者とのあいだでのトラブルを紛争と定義している。
 日照・通風・採光のみならず、風害、電波障害、交通安全、工事中の騒音・振動も含めている。これなら周辺の住民はもともとの良好な環境を享受することができ、新たな居住者を気持ちよく迎えることができると思う。

 周辺の住民については、第2条2で、(3)近隣住民を、中高層建築物の敷地境界線からの水平距離が15m以内の範囲で、かつ、中高層建築物の外壁またはこれに代わる柱の面からの水平距離が50m以内の範囲における建築物であって居住の用に供するものの所有者、管理者又は居住者、および中高層建築物の敷地境界線からの水平距離が当該中高層建築物の高さの2倍を超えない範囲内であり、かつ、当該中高層建築物により冬至日の真太陽時による午前8時から午後4時までの間に日影となる部分を有する建築物であって居住の用に供するものの所有者、管理者または居住者

 (4)周辺住民を、中高層建築物の敷地境界線からの水平距離が15m以内の範囲における土地の所有者又は建築物の所有者、管理者もしくは居住者、中高層建築物により冬至日の真太陽時による午前8時から午後4時までの間に日影となる部分を有する土地の所有者または建築物の所有者、管理者もしくは居住者、さらに中高層建築物による電波障害の影響を著しく受けると認められる者とし、
 近隣住民に対しては建築計画の事前説明、周辺住民に対しては建築計画の事前説明を求められたときには説明するよう定めている。
 敷地境界から15m以内、建物から50m以内、冬至の午前8時から4時前でのあいだの日影、著しい電波障害をあげているので、中高層建築物の建設のかかわる住民はほぼ網羅されているのではないだろうか。

 ・・略・・ そのうえで、第5条 事業者は、中高層建築物を建築する場合は、周辺住民にその建築計画の周知を図るため、当該建築敷地の見やすい場所に、規則で定めるところにより、当該中高層建築物の建築計画の概要を表示した標識を設置し、2 事業者は、前項の規定により標識を設置したときは、速やかにその旨を規則で定めるところにより、市長に届け出、 
 第6条 事業者は、前条第1項の標識を設置した後、速やかに、近隣住民に対し、当該中高層建築物の建築計画の概要その他の規則で定める事項を説明し、2 事業者は、当該中高層建築物の建築計画について、近隣住民以外の周辺住民から説明を求められたときは、前項の規則で定める事項を説明するよう求めている。

 万一、紛争当事者の双方から紛争の調整の申出があったときは第8条で市長はあっせんを行い、紛争当事者の一方から紛争の調整の申出があった場合において相当な理由があると認めるときは第8条2で、市長はあっせんを行うことができる。

 そして、第11条 市長の付託に応じ紛争の調停を行うとともに、市長の諮問に応じ紛争の防止及び調整に関する重要事項について調査審議するため、桶川市建築紛争調停委員会を置き、2 調停委員会は、前項の諮問に関連する事項その他紛争の防止及び調整に関する事項について、市長に意見を述べることができる、としている。
 ・・略・・
 詳細な条文は省略したが、条例制定後の該当する中高層建築物は18年間で共同住宅27件、事務所・店舗9件、工場4件であったが、事前説明の結果、計画が変更されるなどにより紛争・調停に発展することはなかった。
 よって建築紛争調停員会は開店休業である。事前説明により双方が計画を納得できたということであり、良好な近隣関係が築かれているということでもある。これからも開店休業であることを期待したい。

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1986年ごろの埼玉県大里・滑川の茅葺き民家はザシキ・カッテ・ヘヤ・デイが間取りの基本だった

2017年01月29日 | studywork

 いろいろなところを旅していると、その地方、その地域に特有の民家を見つけることができる。そのことは先人が数多くの研究成果をあげているが、自分なりに実証しようと考えた。その一つが、埼玉県大里・滑川での調査である。

1986「茅葺き農家における間取りの型について-埼玉県大里・滑川」 日本建築学会関東支部研究報告会 /1987.3 図はホームページ参照
1 はじめに
 歴史的な集落の居住空間においては、住居の作り方と対する使われ方に、数多くの類似性・規則性を見ることができる。
 この伝統的といえる作り方・使われ方が、定着し、継承される要因として、作り方・使われ方が、風土的条件・生活内容の発展・生業形態の変化等に柔軟に対処し得ていることの他に、地域的な成員の共同的な生活のくり返しのなかで、これらが一定の型として人々に広く了解され、伝承されていることがあげられる。
 それ故、歴史的な集落における新たな居住空間の計画には、この伝統的な空間の作り方・使われ方への認識を欠かすことはできない。

 本稿は、伝統的な集落居住空間の構成の仕組みを実証的に明らかにする一稿として、埼玉県内の水田を主体とする2地域の、伝統的な農家住宅の典型である茅葺き農家を対象に、主として住居の型について 考察し、報告するものである。
 ・・略・・
2 茅葺き住戸の特質
 建築年代をみると、江戸時代36%、明治・大正時代57%と、少なくとも60数年以上の-なかには200年に及ぶ-住戸が大半を占めるが、構造的にはしっかりしており、甚だしい傷みはあまり見られない。
 しかし、居住意識は、永住指向の100%に対し、満足68%、不満32%と、一部に住居への不満度がみられる。この大きい原因は茅葺き屋根で、夏涼しい100%、冬暖かい33%と快適性をあげながらも、葺き換え時の職人不足68%、茅不足26%あるいは経済的負担や時代遅れを理由に、文化財の指定を希望する2戸を除き全戸が、将来は茅葺き以外の屋根を希望するほどである。
 一方、相当数の住戸で間取りや設備等の面での増改築がみられたが、必ずしも不満としては表れていない。例えぱ、間取りに関しては、将来も伝統的な形式を25%、伝統を基本として54%と、また外観に関しては、将来も伝統的な様式を25%、伝統を基本として42%と、伝統的な作り方を継承しようとする指向をうかがうことができる。
 以上のことから、茅葺き換えの問題点を解決できれば、住居の間取り等に機能的・性能的な改良を加えた伝統的な作り方で、充分に現代的な生活に対応し得ると考えられる。           
3 部屋の構成と部屋名称 
 調査事例33戸のいずれも、方位の多少の振れを含めて通観すると、南側の作業・鑑賞庭に向いてトボグチと呼称される(以下、呼称名はカタカナで記す)出入口をとり、東側を土間空間、西側を床上空間としている。既調査事例では西側を土間空間とする例も幾つかあり、結論づけられないが、東側土間空間の指向性が極めて高く見られる。
 ・・略・・ 土間空間と床上空間の間には、おおむね奥行3~6尺の板間を設け、アガリハナ(またはハリダシ・ヨリツキ各1例)と呼称する住戸が30例見られる。
・・略・・アガリハナが、土間空間と床上空間とをつなぐ結節空間、あるいは緩衝空間として欠かせない構成要素であることがわかる。
 ・・略・・
 また、床上空間の南側にエンガワを付設する例が、32例見られる。・・略・・エンガワがアガリハナ同様、床上空間と外部空間をつなぐ結節空間あるいは緩衝空間として欠かせない構成要素であることがわかる。・・略・・
 土間空間・・略・・
 床上空間は、2~8部屋、平均5部屋であるが、整型四間型14例、整型六間型9例で大半を占める。・・略・・
 出現率の高い7部屋を、便宜上、整型四間型を例に位置と対応させて傾向をみると、土間側南の部屋aにはザシキ、土間側北bにはカッテ、北側奥cにはヘヤ次いでナンド、南側奥dにはデイ、またはトコノマ、次いでコザの呼称が集中する。
 ・・略・・
4 間取りと部屋の使われ方
 間取りに対応する使われ方の規則性を知るため、特徴的な生活行為と部屋の対応を見ると、以下の一定の傾向をうかがうことができる。
 便宜上、上記四間型abedを例に、まず結納に使われる部屋をみると、有効回答のうちdは74%、aは26%、法事ではd96%、a 88%、アガリハナ21%となる。またdには100%が床の間を備えていることから、dが儀式空間の中心であり、規模内容によってa、時にはアガリハナまで用いられることがわかる。

 一方、会合・宴席などの人寄せの場合は、a 90%、d60%、次いでアガリハナ25%と、中心がaに移る。また大切な客を招く部屋のd 67%に対し、親しい客を通すa 94%、世間話しをするアガリハナ100%と、dに比べaは格式性の低い接客空間の中心であること、規模内容によってはd及びアガリハナまで用いられることがわかる。
 ・・略・・ 食事に使われる部屋はb67%、次いでa14%及びダイドコロ、また家族の集まる部屋はb 58%、a37%である。仏壇の置かれる部屋はbが63%と高く、また神棚もdの35%に対し、bに55%が備えており、aを含めたbが家族のための空間であり、bがより中心的な空間といえる。
 夫婦の寝室に使われる部屋として、c 56%の他にd25%やa・その他、老人に使われる部屋として、d 50%、c 21%・その他である。総じてcの居室としての使用がやや低いのは、特別な行事にd・その他が使用される時以外は、より居住性の良いd・その他を指向するためと考えられる。
・・略・・
 使われ方と空間認識が間取りに対応して固定化していることがわかる。
5 おわりに 
1)部屋の構成は、床上四部屋に土間空間、結節空間としてのアガリハナ・エンガワの基本的な作り方があり、
2)それぞれの部屋は位置に対して、地域による若干の差があるが、固有の名称がつけられ、
3)儀式・接客・家族・私室の固有の使われ方が間取りに対し固定しており、
4)使われ方の規模内容に応じて、柔軟に一定の空間が転用される仕組みを持ちながら、
5)空間の格式性・序列性・分節性・方向性が明確に認識されていることから、空間の作り方・使われ方が、地域的に型として人々に了解され、伝承されていることがわかる。

 

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ウィンズロウ著「犬の力」はメキシコ~アメリカを舞台にした麻薬カルテルとの戦い、国境の壁で止められるか

2017年01月28日 | 斜読

book431 犬の力 上・下 ドン・ウィンズロウ 角川文庫 2009/2017.1

 2017年1月、アメリカ大統領にトランプ氏が就任した。選挙中からメキシコとの国境に壁を作るなどの公言をし、大勢から支持を受け、選挙戦を勝ち抜いた。
 大統領就任後、さっそくメキシコ国境の壁建設に関する大統領令に署名した。なぜ、メキシコ国境の壁建設が熱烈な支持を受けたのか。
 アメリカにはメキシコからの不法移民が1100万人を超える勢いだそうだ・・もちろん正規の移民もいて、まじめに働き、アメリカ国籍を取得した人も少なくない・・。
 不法移民であってもアメリカで子どもが生まれるとその子どもはアメリカ国籍となる。
 メキシコには基盤となる産業がなく、人々の暮らしは厳しい。アメリカで働ければ、メキシコよりも楽な暮らしができる。10倍ほどの賃金格差があるらしい。誰も豊かな暮らしが望む。
 アメリカに正規に入国できない人は不法でも何とかアメリカに渡り、10倍にならなくても5倍?の賃金で働こうとする。子どもはアメリカ国籍となり10倍の賃金で働くことができる。
 しかし、不法移民のなかにはうまくいかず悪に走る者もいる。麻薬の取引はかなりのもうけになるそうだ。不法移民によってアメリカ人の雇用が少なくなる+不法移民による犯罪が多発する+不法移民が麻薬取引をすると考えた人が、熱狂的に国境の壁建設を支持し、不法移民の遮断により、アメリカ人の雇用が増え+犯罪が少なくなり+麻薬を撲滅できる、と発想したのかも知れない。
 前置きが長くなったが、この本はメキシコとアメリカを舞台にした麻薬戦争を描き出している。もしかすると、この本を読んだ大勢が麻薬を撲滅するには国境の壁しかない信じたのかも知れない。
 それほど、麻薬取引が国境を簡単にすり抜けることができたらしい。裏には、金による買収と銃による殺戮で、警察、国境警備、麻薬取締、政界、財界までもが麻薬カルテルの言いなりになっていたことがある。
 金か鉛かといった表現が何度も出てくる。現金による買収を断れば、銃弾を受けることになる。殺人描写も生々しいが、現実に似たようなすさまじい事件が起きていたようだ。


 物語は1975年に始まり2004年に終わる。物語の先駆けに1962年のキューバ危機にみられる共産主義の脅威があった。中南米諸国の左傾化を防止するため、資金が流れ、CIAが暗躍した。
 この本でも、アメリカ陸軍特殊部隊大佐でCIA工作要員・マフィア構成員CIA工作要員・マフィア構成員のサル・スカーチやCIA中央アメリカ地域司令官ジョン・ホッブズなどが登場する。
 共産主義者を倒すために麻薬に関わる買収や殺戮が公然と見逃されていき、麻薬カルテルが力をつけていったようだ。

 物語の最初に登場するのが、合衆国麻薬取締局DEAの特別捜査官アート・ケラーで、物語の締めくくりもアート・ケラーだから、主人公といえる。
 しかし、舞台が転換するとアート・ケラーは退場し、たとえば麻薬カルテル・バレーラ一統の親玉のミゲル・アンヘル・バレーラを中心に展開したり、ミゲルの弟でやがてバレーラ一統を率いるアダン・バレーラが主役になったり、やがてアダンの愛人になる白い館の娼婦ノーラ・ヘイデンが主役になって物語が進んだり、などなど舞台ごとの登場人物を中心に話が展開していく。
 そうした舞台ごとの動きは始めのうちはそれぞれが個別に展開するが、次第に相互に絡み出す。小説だから1頁ずつ読んでいかなけらばならないが、この本の構成は大型モニター画面に映し出された、右上のアダンの舞台、中ほどのノーラの舞台、左下のアイルランド出身の殺し屋ショーン・カランの舞台、右下の麻薬カルテル・チミーノ一家の幹部ジミー大桃の舞台、中央のアート・ケラーの舞台などが同時進行していくのを見るようで、臨場感にあふれた流れになっている。


 アート・ケラーはアメリカ人の父とメキシコ人の母のあいだに生まれ、ヒスパニック居住区で育つ。父に捨てられ、アメリカ国籍だが厳しい現実にYOYO=you are on your own自分の道は自分で拓け、を身につける。
 CIA工作員としてベトナムに行くが悲惨な場面を体験し、帰国後、麻薬捜査官になる。スペイン語が分かるということでメキシコ・シナロアに派遣されるが、同僚から煙たがられ、孤独なときまだ青二才のアダン・バレーラと知り合い、叔父のミゲル・アンヘル・バレーラを紹介してもらう。
 ミゲルは麻薬組織の親玉を平然と殺し、アートの手柄にさせるが、実は自分が麻薬カルテルの親玉に取って代わる狙いがあった。手柄を立てたアートは美人の妻と子どもとともにアメリカで暮らすこともできたのに、アートは犬の力を確信し、ミゲル、後を継いだアダンと戦う決心をする。
 犬の力とは、旧約聖書に登場する言葉で、人倫を踏み外すような悪のことらしいが、アートの場合、戦うべき悪に立ち向かうための力としての悪といった意味になろうか。

 30年に渡ったアートの戦いでついにアダンを刑務所に送ることができた。しかし、アダンに代わり新たな麻薬カルテルによって麻薬はアメリカに流れ込んでいて、アメリカ大陸における麻薬戦争は終わっていない。この本は、アートが静かな余生を望んでいる場面で終わる。

 現実のアメリカでは国境に壁を作り麻薬戦争を終えようとしている。本の中でもトンネルや船によるルートが登場した。壁は人々の心に差別を生み出すが、麻薬の流入を止められるだろうか。

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2004年台風23号で円山川の堤防は計画水位を超えて決壊、教訓=身近な避難所整備

2017年01月27日 | studywork

 私たちは自然災害と暮らしあっている。報道で甚大な被害を知るといつもそう思うが、のど元過ぎれば・・いつの間にか備えがおろそかになる。2005年ごろ、建築学会で災害復興・再建に関する研究会を立ち上げた。その一環で、2004年に円山川破堤で大きな被害を受けた豊岡を訪ね、聞き取りを行った。

「2004年 台風23号の大雨で円山川が破堤、豊岡に甚大な被害」 /2006.3(写真図はホームページ参照)
                             
1台風・大雨・洪水
 2004年10月13日にマリアナ諸島付近で発生した台風23号は超大型の強い勢力に発達し、10月20日昼過ぎに高知県土佐清水付近に上陸、夕方には大阪府泉佐野市付近に再上陸し、東日本を横断して、21日朝方に関東の東海上で温帯低気圧となった。
 台風23号の接近に伴い、本州南側にあった秋雨前線が押し上げられたことから極端な大雨となり、四国や大分では総降水量が500mmを超え、近畿北部、東海、甲信越でも300mmを超えた。
 兵庫県豊岡市(合併により旧豊岡市、旧城崎町、旧竹野町、旧日高町、旧出石町、旧但東町を含む市域)では、20日正午ごろから雨足が強まり、18時までの総雨量は旧豊岡市162mm、円山川上流の和田山で169mm、出石川上流の出合で228mm、稲葉川上流の栗栖野で215mm、奈佐川上流の辻で226mmに達した。
 その結果、国土交通省管理区間で25カ所の越水、23時過ぎには円山川と出石川で破堤し、大きな被害に見舞われた。
 右図上段は円山川の水位を示しており、10月20日21時に最高水位8.29mを記録した。しかし、立野あたりの堤防の計画水位は8.16mで、越水、破堤を免れなかった。
 下段は立野観測所における年別最高水位図で、8.29mが記録的な水位であることを裏付ける(右図は円山川とその支流の越水、破堤箇所、および浸水状況を示す)。

 この結果、現豊岡市での被害は、死者7名、負傷者51名、全壊333棟、大規模半壊1082棟、半壊2651棟、一部損壊292棟、床上浸水545棟、床下浸水3326棟に及んだ。
 とりわけ豊岡地域(旧豊岡市)に被害が集中し、被害家屋総数はなんと5847棟にのぼる。これは豊岡地域の16472世帯のおよそ1/3に相当する。(数字が見にくいが被害一覧を以下に紹介する)。
 これに伴い、10月21日に災害救助法、31日に被災者生活再建支援法、12月1日に激甚災害の指定を受けることになった。


2避難

 旧豊岡市は市街地の大部分が円山川の河川堤防よりも低く、これまでもたびたび水害に見舞われてきた。下図は円山川13km地点の断面で、市街地が堤防よりもかなり低い様子がよく分かる。
 大雨で円山川の水位があがると支流に逆流することになる。これまでもたびたび洪水が発生した。表は、1959年伊勢湾台風による洪水以来、2004年10月20日台風23号までの洪水一覧であるが、45年間に7度もの洪水が起きている。
 およそ7年に一度の割で洪水を経験しており、この経験から、洪水時には水門を閉め、ポンプで内水を円山川に排出し、浸水被害を防いできた。

 しかし、今回の大雨による急速な水位上昇は排水能力を上回り、やむを得ず内水の排出を停止せざるを得なくなり、旧豊岡市全域に浸水被害が広がった。
 それでも円山川の水位は上昇を続け、ついには最高水位8.29mに達し、本支流あわせ25カ所の越水が発生した。越水は堤防を弱め、23時には堤防が決壊し、甚大な被害になった。
 右上写真は円山川決壊、右下写真は1階部分が全損した堤防脇の住居(上は破堤直後、下は1年3ヶ月後、いずれもインターネット転載)。

 旧豊岡市では、10月20日18:05に一部を除く市内全域に避難勧告を発令した。さらに、排水ポンプを停止した19:13に一部を除く市内全域を避難指示に切り替えた。
 避難指示の対象は15119世帯で、全世帯16472世帯の92%に及んだ。20:35に早急な避難の呼びかけ、20:40に裏山崩壊の危険区域に避難の呼びかけ、22:55に厳重な警戒の呼びかけ、23:45に円山川決壊に伴い2階への避難の呼びかけ、0:15には外に出ず自宅2階への避難の呼びかけが行われた。

 しかし、避難所の収容数は20日22時に最大で3753人であったそうだ。言い換えれば、多くの住民は事態を傍観するうちに逃げるに逃げられなくなり、2階や屋根に逃れ、救助を待つことになってしまったそうだ。
 いくつか原因があげられるが、一つは、避難勧告がきちんと理解されなかったこと、続いて出された避難指示との混乱があげられる。

 避難勧告とは、当該地域又は土地,建物などに災害が発生するおそれがある場合に出され、避難準備をして様子をみる、あるいは自主的な避難が望ましい。
 避難指示は、状況がさらに悪化し,避難すべき時機が切迫した場合又は災害が発生し,現場に残留者がある場合に出され、すみやかに避難をする、あるいは避難が難しい状況になり救助を要請する段階にある。
 しかし、通常の考えでは勧告と指示の差が分からず、住民のなかには避難勧告が出たので避難の準備をしたが避難指示になったので、危険が去ったと勘違いし、逃げ遅れた例もあったそうだ。
 豊岡市内では2.4mの水位が記録されており(写真はその後に設けられた水位表示)、気づいたときは一面水びたしで逃げられなくなってしまう。水害は早め早めの避難がよい。

 これを経験に、豊岡市では分かりやすい用語に切り替えるとともに、職員の研修や市民への啓発に取り組み始めた。ハザードマップを見直し、身近な避難所の整備充実を図るとともに、ショッピングセンターと打ち合わせ、緊急時には上階の駐車場を避難所として開放することになった(写真は緊急時受け入れのショッピングセンター)。災害から学ぶ教訓は少なくないし、次への取り組みが期待される。

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1986年風の強い御前崎で集落・民家調査=空間の作り方・使われ方が風土に規定される

2017年01月26日 | studywork

いまから30年前、1年中風が卓越する御前崎で集落・民家の調査をした。確か、社務所に泊めていただいた。おかげで、研究の方針が固まり出すきっかけになった。大勢の方にお世話になった。懐かしく思い出している。

1986 「住空間の型と風土-静岡・御前崎」 日本建築学会北海道大会 /1986.8 (図はホームページ参照)

1 はじめに 
 歴史的な集落においては、空間構成の様々な面に類似性・規則性を顕著に見ることができる。この要因として、空間の作り方と対する使われ方が風土的条件に適合していること、生活・生産の変化・発展に柔軟に対応していること、地域的な成員に型として広く継承されていることが考えられる。
 すでに「住居の型とオモテ認識-周山街道-」「葺き農家における間取りの型-埼玉大里・滑川-」で事例的に居住空間の構成の仕組みについて考察を進めているが、引続き本稿では、風の卓越する静岡・御前崎の農家を対象に、部屋の並びと名称、部屋の使われ方・オモテ・ウラ認識、屋敷の囲みの考察から、住空間の型ついて事例的に明らかにする。
2 部屋の並びと名称 
 37例を通観すると、いずれもおおむね南側を作業庭とする平人・右土間形式であるが、間取りは多様である。そこで、床上空間側と土間空間側に分けて、部屋の並びを類型的に見ると、床上で3群(図1)、土間で4群(図2)に分けることができる。この類型毎に部屋名称の傾向を見たものが表1で、以下のごとくおおむね部屋の位置に対応して名称が固定していることがわかる。
 床上空間の第1群は、ウワゼまたはイワデ、デイ(グチ)、カツテまたはイマ、ナンドが整形四ツ間に並ぶ形式の11例である。
 第2群は四ツ間のナンドに並んでナカナンドが取られる整形五ツ間の5例である。
 第3群は整形六ツ間の14例で、デイ・ウワゼの間にナカノマが、ナンドの奥にウワゼと並んでオクナンドが取られる形式である。
 五ツ間と六ツ間は形式的に異なっているが、部屋の位置と名称からは四ら間を基本とした発展形と見ることができる。

 土間空間の第1群は、土間一部屋形式の5例であるが、作業庭側をニワ、流し・コンロのある裏庭側をスイジバと呼称する例も多く、土間の分節化がうかがえる。
 第2群は炊事部分が部屋化され、スイジバまたはダイドコロと呼称される4例である。
 第3群は炊事部分が床上化され、入り口脇の妻側にムカイダナが取られた7例である。
 第4群は、第3群のスイジバがさらに二分される18例で、妻側の炊事の部屋はスイジバまたはダイドコロ、イマ側の部屋はカッテ等と呼称される。

 ムカイダナについては解明が不十分であるが、炊事場の形式から1群=土間→2群=部屋化→3群=床上化→4群=機能分化と、発展をうかがうことができる。
 多様な形式に見える間取りも、床上空間の四ツ間を基本とした発展形土間空間が部屋化・床上化される発屋形の組み合せの結果であることが分る。

3 部屋の使われ方と空間認識 
 それぞれの部屋がどのように使われるかを表2から見ると、以下のごとくおおむね部屋の位置及び名称に対して、使われ方も一定していることがわかる。
 隣り近所の人との世間話にはデイが用いられ、人寄せなどの場合はデイを中心に、内容によってナカノマやウワゼが続き間として使われる。
 一方、大切な客を通す、あるいは結納・法事にはウワゼが中心で、人数によってナカノマやデイが続き間として使われる。
 床の間・神棚・仏壇の傾向とあわせ、ウワゼが格式の高い接客儀式、デイが日常的な接客、ナカノマが中間的な性格の空間として位置付けられていると考えられる。
 これらの部屋はまた作業庭側に並んで位置しており、通常は大戸口、特別時は縁側と、部屋の使われ方に応じた出入口の使い分けが見られる。

 家族の集まる部屋としてはイマ、食事の部屋としてはカッテまたはスイジバに回答が多く、イマに続くカッテ・スイジバが、日常的な家族の空間として位置付けられているといえる。
 ナンド・オクナンドは主として寝室空間に用いられているが、ムカイダナや別棟・2階の部屋を夫婦・老人・子どもの部屋とする新たな機能要求に対する空間的対応例も少なくない。

 さらに、オモテ・ウラの空間認識を見ると、ウワゼ・デイ等の作業庭側をオモテ、ナンド・イマ等の裏庭側をウラ、六ツ間でオクナンド・ウワゼをオクとする回答が多い。
 土間空間に床上の部屋が取られない場合は、オモテ・ウラの認識が見られないこと、四ツ間ではオク、六ツ間のウワゼ・オクナンドではオモテ・ウラの認識が低いことから、四ツ間のオモテ・ウラ分節認識が間取りの発展と共に拡大したものと考えられる。

 以上のごとく、部屋の使われ方と空間認識(図3・4)には、部屋の並びと名称に重なる一定の傾向が見られ、間取りが型として広く共有されていることが分る。

4 屋敷の囲み 
 母屋への入りとなる大戸口の向きは(図5)、極めて南面指向が高い。これは、オモテにあたる部屋と、続く作業庭の南面性を規定する。敷地への入りとなる門口の向きは(図6)、接道条件に影響されながらも母屋の入りに応じて、東南~西南に集中し、門口→作業庭→大戸口・縁側→オモテの部屋の連続した配列を作り出す。
 一方、屋敷林の囲みを見ると(図7)、東~北~西南は椎・モチ・翌檜・松・竹などのこんもりした喬木で囲まれる率が高い。南~東南は、やや率は低いが刈り込まれた槙の生垣が設けられ、率の低い分、附属屋が配置され(図8)、四周を囲む形式となる。
 御前崎は、特に西風の卓越するところであるが、季節風・台風・海からの風など、年間を通じ四方からの風が強い。風を防ぐために敷地を道より下げる例も多く、屋敷の四周の囲みが安定した敷地条件確保のための空間的仕組みであることが分る。

5 おわりに 
 個別的には、部屋名称や使われ方、間取り規模、屋敷構え等に差異が見られるものの、屋敷の囲み、母屋の配置や間取り等の空間構成に一定の作り方・使われ方を見ることができる。空間更新の際にはこうした空間の型が規範となり、固有の景観構成が発展的に継承されていくと考えられる。

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