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2005年インド洋大津波で被災したスリランカ西~南沿岸部1250kmを踏査、復興状況を視察

2017年02月20日 | studywork

2005「インド洋大津波から半年 スリランカ復興の現状と課題」  日本建築学会大会パネルデスカッション/2005.7  フルページ、写真はホームページ参照
                             
 2004年12月に起きたスマトラ沖地震・インド洋大津波が発生した。半年になる2005年7月にスリランカ・南西~南沿岸部のおよそ1250km走り、主として被害住宅、応急仮設住宅、再建住宅、新たな住宅地、被災した学校、応急仮設教室の復興状況を見て回った。
 復興の現場と課題にを紹介する。
 沿岸部に建つ学校も津波被害にあっており、小学校(小+中+高校もある)全数3547校のうち、全壊小学校59校、半壊一部損壊110校である(前頁表)。スリランカ政府は海岸から100mの建築を禁止したため、100m内に建つ小学校は再建不可能になった。
 この地震で最高高さ10mに及んだインド洋大津波でスリランカでは推定4.4万人の犠牲になった(表は死者・行方不明者数)。
 スリランカの地形は、高さ2500m級の山脈を擁する山岳地帯、古くから王朝が栄えた高原地帯、海岸部の低地帯で構成され、低地帯の漁村集落、ヨーロッパ進出後の都市、沿岸部のマリーンリゾート地(ヨーロッパ人の被害も大きかった)に津波被害が集中した(右上図はスリランカの地勢断面)。

 津波被害:津波は3回あり、最初は小さく水がかなり引いて魚が陸地に取り残されたので大勢の人が浜辺に出たところに、2回目の大津波が襲ってきた。
 どの場所でもヤシの木ぐらいの波だったそうで、およそ5~6m、高いところで10mに近い波がきた。
 3回目の波は小さかったが大津波でおぼれた人、流された家屋家財が海に持っていかれたそうだ。
 1回目の津波で海辺に行かず様子を見ていた人は2回目の大津波を見て必死に逃げ助かった。2回目の大津波に襲われた人でもヤシや木材にしがみついて助かった人も少なくない。
 ほとんどの家族が身内や友人知人を失っており、避難所仮設住宅では子どもは夜中に大声を上げて泣き出す、大人でもスコールの激しい音にびくっとする、昼は仮設住宅にいるが怖いので夜は高台のキャンプで寝る、など精神的な不安がまだ続いている。
 Galleの韓国による仮設住宅にはキリスト教ボランティアの人が常駐し相談にのっていて好評であった。物的な支援だけではなく精神的なケアの必要性を感じた。

 住宅被害:スリランカの伝統的な住宅は古くは日干しレンガ、多くは焼成レンガを積み上げた瓦葺き平屋の簡易な構造で、津波によりほとんどが土間床を残して瓦礫になっている。
 比較的新しい建物はコンクリート構造にレンガの間仕切り壁で、これらは構造体を残して瓦礫化している。
 東南~南の海岸線は海抜数mのため、海岸線沿いはすべて被災地で、こうした瓦礫の山、構造体だけを残した残骸が続き、建物の形を残していても大津波に水没したため無人家屋が多い。(少し高台に町並みは活発に動いている、被災地でも店を開けているところも少なくないが、総じて復興のテンポは遅い)。
 100m内建設禁止:政府は被災後ただちに海岸線100m以内の建設禁止を打ち出した。しかし、その後の支援・復興・再建についての情報が不足しているため、100m以内に住んでいた人からの不満は大きい。
 とくに、100mの外の被害者には住宅再建資金の支援があるが、100m以内については支援はないとの情報しかなく、行き先の指示も無いため、津波が怖い、できれば安全な場所に行きたいと思いつつも、もとの住宅跡に自力で仮設住宅を建てたり、自力で住宅再建を始めている。

 仮設住宅:一時期55万人が避難生活をしていた。いまでも仮設住宅を大量に必要とし、多くの国から支援の手が届いている。
 反面、いろいろな国の仕様を反映して形はさまざまである。波形トタン(政府支給)、板材、ビニールシートなどが主な材料になる。テントの仮設よりはいいといっているが、狭い(おおむね6~9㎡が多い)、暑い、家具などすべて失った、仕事がほしい、早く自分の家を安全な場所にほしい、など不満がたまっている。
 ほとんどがトイレ、シャワー、キッチンが共同である。天井が吹き放しも多く、プライバシーは低い。
 一時、キャンプや仮設住宅で赤ん坊の誘拐が多発したため、中に入るには原則として許可を必要とし、いくつかは政府管理事務所が置かれているが、ここでの情報は限られている。

  住宅再建:100m内では政府からの支援が示されていないため自力で住宅再建を始める例が少なくない。100mの外では10万ルピー(およそ11万円)の支援が約束されていて、自力、または各国の支援を受けて住宅再建が始まっている。
 ほとんどが自分の敷地での再建で、コンクリートブロックなど強固な構造や2階建てにしているが、プランなどは自分の考えのため外観は多様化している。インフラ整備や室内設備・家財はないため、復興はかなり長引きそうである。

 住宅地計画:政府が用意した土地に各国の支援による中~大規模な住宅地計画の建設が始まっている。奥まった場所が多く、インフラなどが整備されていないなど、生活の不便が予想される場所が多い。
 傾斜地を開き樹木を伐採した切り土の敷地もあり、新たな被害の懸念もある。ほとんどが支援国・団体による計画であり、住民はもとより専門家や政府の意向は取り入れられていない。が、家を失った被災住民の期待は大きく、未完成ながら住み始めている人もいる。

 未曾有の予想しえない緊急事態に世界中からの支援が集まっていて、頼もしい限りである。しかし、スリランカの住民、専門家が主導的に参加した復興再建ビジョンは皆無であり、支援国・団体の考えを反映した建物が次々に建ちあがっていくのは新たな課題となろう。
 また、スリランカの大学には都市計画がきわめて少なく、建築計画も多くないそうだ。小・中学生への教育支援とともに、建築・集落計画・都市計画分野の専門家の交換、専門技術の交流も急務である。

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