<世界の旅・イタリアを行く> 2020.1 シチリアの旅 30 タオルミーナを歩く2 トレベリアン ナウマキエ 市庁舎 ドゥオーモ
シチリアの旅8日目、5:30に起きる。このホテルの欠点は空調機がうるさいことで、少し早めに目が覚めてしまった。
バルコニーの先にエトナ山が見える。薄明かりの中にそびえる標高3326mのエトナ山が雪を被っている。白い峰は神々しく感じる。少し左にはイオニア海がゆらゆらとさざめいている。眺めは素晴らしい。空調機の欠点は帳消しになった。同行の仲間の部屋も並びで、次々とバルコニーに出てきて絶景を写真に収めていた。
7:30、1階に降り、エトナ山を眺めながらビュッフェ朝食を取る。日を浴びたエトナ山は一回りも二回りも大きくなったように感じる(写真)。さらによく見ると、富士山は峰が背伸びをしたように上に伸びている(たとえば、葛飾北斎「富士越龍」)が、エトナ山の峰は横に広いし、裾野も横に広がっている。‥エトナ山を見たら北斎はどんな龍をイメージするだろうか?‥。
9:00現地ガイドMさんの案内でホテルを出発する。
Mさんはホテル前の通りを避け、ホテルの隣の崖地に沿って北に延びているGiardino Pubblico市民公園に入った。石畳の散策路で緑陰の花壇をめぐるように整備されていて、ユニークな建物も建っている(写真)。
女性の彫像も飾られていた(写真)。Mさんの話にweb情報を加える。スコットランドの貴族の出身のFlorence Trevelyanフローレンス・トレベリアン(1852-1907)は世界の船旅を楽しんだあと、タオルミーナに滞在して医師サルヴァトーレ・ガッツィオラと結婚し、ここを庭園として整備した。ユニークな建物は、赤みの地元産の石、溶岩、レンガを用い、1898年に建てられた。物見や休憩、客人の接待に使われたようだ。庭園には世界各地の樹木や花が集められたらしい。1906年には、エドワード7世とアレクサンドラ女王も訪問したそうだ。
トレベリアンもイオニア海とエトナ山の絶景に魅惑され、その話が国王に伝わったようだ。
トレベリアンの死後、庭園は市に寄贈され、市民公園として整備、公開された。
Mさんの案内で、昨日とは別の坂道、階段を上る。途中、レンガ積みアーチの連続した構築物が見えた(写真)。紀元前1世紀、古代ローマ時代の体育場の回廊遺構らしい。
長さ122m、高さ5mで、アーチごとに矩形の壁龕nicchiaが設けられ、神々や英雄の像が置かれていたと推定されている。
遺構は、アーチ壁の向こうに市街への給水用の大きな貯水槽が設けられていたため、模擬海戦を意味するNaumachieナウマキエと呼ばれている。崖下にイオニア海が広がっているのにわざわざ船をここまで運んで海戦を演習することは考えられない。発掘した研究者の見当違いであろう。
ウンベルト通りに出る。Mさんは特産の菓子屋に案内した。ショーウインドーには着飾った人形が菓子を求めて集まっているようなイメージで、菓子と大人、子どもがレイアウトされている(写真)。12月になるとクリスマスのイメージのように、季節にあった模様替えがされるのではないだろうか。道行く人はショーウインドーにつられて菓子を買いたくなりそうだ。
試食用の菓子を食べたらやはり甘すぎたが、土産におすすめの菓子18個9ユーロを3袋買った。
西に歩き、4月9日広場、時計門の解説を受ける‥前述‥。山側の階段の上には、シチリア・バロック様式で17世紀に建てられたChiesa di San Giuseppeサン・ジュゼッペ教会が空に鐘楼の尖塔を伸ばし、その先の急峻な崖の上にはいまにも転げ落ちてきそうに見えるSantuario Madonna della Roccaマドンナ・デッラ・ロッカ教会が見下ろしている(写真)。rocca=要塞だから、イオニア海を攻めてくる敵船の監視の要塞があったのだろうか‥後ほど絶景ポイントを訪ねた‥。
時計門を抜けて西に歩くと、400mほどで左=南にドゥオーモ、右=北に市庁舎が向かい合って建ち、ドゥオーモ広場が続いている。
市庁舎Municipio(写真)の銘板にはPalazzo dei Giurati 1704と記されている。直訳すると陪審員の館になるから、1704年に裁判所として建てられ、いまは市役所として活用されているようだ。
外観は赤みの漆喰?で仕上げられ、窓周り以外には彫刻、装飾はない。裁判所だから、バロック様式の過剰な装飾を避けたのかも知れない。
市役所銘板の中央には、タオルミーナの紋章である女ケンタウロスがデザインされている(写真)。ケンタウロスcentauroはギリシャ神話に登場する半人半馬族で、野蛮な種族として伝承されているが、ケイロンのような医術、狩猟、武術、音楽、預言に優れた一族もいる。タオルミーナの女ケンタウロスは右手に玉=地球?、左手に笏を持ち、頭上には王冠もデザインされている。文武に優れたケンタウロスのようだ。
ドゥオーモDuomoは、もともと船乗りの守護神聖ニコラスに捧げられた小さな教会堂があり、アラゴン王国時代の1400年ごろ、現在のドゥオーモが建てられたそうだ。 外観は堅固な石積みで、窓は少なく、屋根外周には胸壁を思わせるのこぎり状の小壁が並んでいて、要塞のようである(写真)。
政争で両シチリア王国がフランス・アンジュー家のナポリ王国とアラゴン家シチリア王国に分裂した余波だろうか?。‥ヨーロッパを旅して、教会が戦時には指令本部、騎士団の拠点、住民の避難所になる例は何度も見たので不思議ではないが‥。
西面をファサードにした、ラテン十字平面の3身廊である(写真)。アーチを支えるピンク色の円柱は地元産大理石が使われていて、柱頭はコリント式などのオーダーとは違い鱗?紋様がデザインされている。身廊天井は木造トラス構造を現し、木組みは黒く彩色されている。天井、壁にはフレスコ画、モザイクは描かれておらず、白一色で仕上げてあり、外観が無骨なだけに清楚さを感じる。
入口近くにタオルミーナの守護神Sant'Agata聖アガタ像が飾られている(写真)。もともとサン・ドメニコ教会に祭られていたが戦時下の1943年に教会が破壊され、聖アガタ像がドゥオーモに移された。右手に大きなペンチで切り取った乳房を持っているが、顔は揺るぎない信仰の力強さを感じさせる。
アガタ(231?-251?)は、ローマ帝国支配下のカターニアで生まれ、権力者のローマ人からの結婚を断たためキリスト教徒として弾劾され、乳房を切り落とされる拷問を受けて獄中で殉教する。のちに聖人に列せられ、鐘職人、パン職人、近年は乳癌患者の守護神として信仰を集め、カターニア、タオルミーナ、マルタなどの守護聖人として崇められている。
祭壇に一礼し、広場に出る。
ドゥオーモ広場Piazza Duomoには1635年製作されたバロック様式の大きな噴水が設けられている(写真)。
円形基壇の四方の円柱には、ギリシャ神話の海神ポセイドンが乗る海馬が乗せられ、基壇中央には裸身立像で支えられた大きな円盤、その上に裸身座像がが支える中円盤が重なり、頂部にタオルミーナの紋章に描かれている冠を被り右手に玉=地球?、左手に笏を持った女ケンタウロス像が飾られている。
ウンベルト通りは見どころが多い。訪れた人は観光で目を楽しませながら、シチリアの歴史、ギリシャ神話、キリスト教と聖人についての知見を学ぶことができる。 (2021.7)