yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

2022.4鎌原観音堂&白糸の滝を歩く

2022年07月29日 | 旅行

群馬を歩く>  2022.4 嬬恋郷土資料館・鎌原観音堂&浅間大滝・白糸の滝を歩く

 鬼押出し園から嬬恋プリンスホテルまで車で20分ほどである。ホテルのホームページには標高1130mの高原に立地し浅間山本白根山・草津白根山が遠望できると紹介されていたので、浅間山側のモデレートツインを予約しておいた。チェックインし、部屋のカーテンを開けて思わず歓声がもれた。
 満開の桜が窓の真ん前に大きく枝を伸ばし、その向こうに浅間山がそびえている(写真)。浅間山の眺めはもちろんだが、満開の桜は想定を越えた。
 温泉に向かう。洗い場は屋内だが温泉は屋根付き露天で、高原の緑野の向こうに浅間山・四阿山などの山並みが遠望できる。目を左に移すと満開の桜である。すばらしい眺めを楽しむ。
 今日の歩数は13900、風景を眺めながら足をもみほぐす。部屋に戻り窓辺に腰掛けて、満開の桜を眺めながらビールを傾ける。
 夕食は洋風で、地元干川豆腐、ギンヒカリのカルパッチョ、野菜のポトフ仕立て、真鯛のソテー、やまと豚肩ロースのグリル焼きなどが続いた。雲に隠れだした浅間山と庭の桜を眺め(写真)、赤ワインと白ワインをあわせ美味しくいただいた。ワインも風景もレストランの雰囲気も、ディナーをいっそう美味しくしてくれる。
 ホテルの南はミニゴルフ場だったようで、幅は500mぐらい、長さは1000mぐらいの起伏の続く芝生広場になっていて、遊歩道が整備されている。朝食後、散策に出たが霧が流れてきた。霧に包まれた芝生広場を一周する。高原は朝霧が出やすいようだ。霧のなか、30分ほどの散策になった。

 霧に包まれ幻想的な姿を見せる桜をあとに、万座ハイウエー、鬼押しハイウエーを南に走り、嬬恋郷土資料館、鎌原観音堂に向かう。霧は晴れ曇り空になった。
 嬬恋郷土資料館は1983年開館で、建物は小規模だがコンクリート打ち放しの簡潔なデザインである(写真)。
 郷土資料館には、主に1783年の天明大噴火による大規模な土石なだれによって埋没した鎌原村に関する資料、絵図、出土品が展示されている。
 入館(300円)すると、早々に後述の鎌原観音堂石段で発見された2人の遭難者のレプリカと顔の復元模型と、ポンペイで発見された遭難者の人型レプリカが展示されていた。レプリカ、復元模型と分かっていても生々しい。
 でき得れば縮小でもいいから遭難状況の復元模型が併せて展示されていれば、災害による遭難が理解しやすいと思う。
 昨日の鬼押出し園を思い出しながら展示資料を見ると、天明大噴火がいかに大きな被害をもたらしたかがよく理解できた。

 郷土資料館から下った斜面の中腹に鎌原観音堂が建っている(次頁写真)。現在の石段は15段だが、発掘調査によって地中に35段の石段があったことが確認されている。1段は18~19cmで、地中に35段=6.5m、地上に15段=2.8m、あわせて50段≒9mだったようだ。
 1783年、浅間山の天明大噴火により火砕流とは別に大規模な土石なだれも発生し、鎌原村は土石なだれに襲われて村民570名のうち477名が命を落とし、観音堂などに逃れた93名が助かったそうだ。石段の発掘調査で地中の石段の途中に女性2体の遺骸が発見された。状況から一人がもう一人を背負っていたと推定されていて(娘と老母か)、あとわずか上ることができれば助かったのだが力尽きてしまったようだ。
 観音堂で被災者を思い合掌する。
 
 次は浅間大滝に向かう。11:00過ぎに嬬恋郷土資料館を出て国道144号線に戻り、東に走って国道146号線に右折、県道54号線に左折してしばらく走ると浅間大滝の案内がある。
 11:30ごろ、砂利敷きの浅間大滝駐車場に着く。熊川沿いを歩くと、ほどなく豪快な浅間大滝の音が聞こえてくる(写真)。高さ10mほど、幅4mほどで、滝としては小さいが岩を流れ落ちる水量が多い。水に水が重なって流れ落ちてくる。水の多さ、音の大きさが大滝と呼ばせたようだ。
 熊川沿いを戻ると、魚止めの滝もある(写真)。3段に分かれた岩の上を流れる落ちる水の勢いが強すぎて魚も遡行できない、ということであろう。
 熊川の源流は鼻曲山(標高1654m)だそうだ。周辺は浅間山などの山並みが続いている。山に保水された大量の水が浅間大滝、魚止めの滝をつくりだしたようだ。マイナスイオンをたっぷり浴びて、車に戻る。

 県道54号線を戻り、国道146号線に左折し、白糸ハイランドウエー(有料)に左折して、12:30ごろ、白糸の滝駐車場(無料)に着く。人気の観光地のようで、駐車も多く、向かう人、戻る人が行き交っている。
 湯川沿いを歩くと数分もかからず、高さ3m、円を描いた幅70mの白糸の滝で行き止まりになる(写真)。湯川は白糸の滝が源流で、千曲川に流れ込むそうだ。
 白糸の滝の水はどこから流れてくるのか?。目をこらして滝を眺めると、岩にできた水平の隙間から数え切れないほど無数の筋になって水が流れ出しているのに気づく(写真右手が分かりやすい)。岩肌を無数の白い筋が流れ落ちている様は、まさに白糸の滝である。
 浅間山などの山並みに降った雨が地下に浸透し、6年ぐらいの時間をかけて地下を流れ、岩の割れ目から地表に流れ出て、白糸の滝となり、湯川をつくりだしたようだ。
 白糸の滝の水温は12℃近くで、ほかの湧水に比べ少し温度が高く地熱の影響と考えられている。浅間山はまだ火山活動が活発だから地下のマグマが地熱を高め、白糸の滝も水温が高くなったようだ。
 岩の割れ目から白糸のように無数の筋になって流れ落ちる水の景は、きわめて珍しい。目をこらし絶景を眺めていて、絶景の奥に人知を越えた自然の力が作用していることを知らされ、自然に畏怖を感じる。
 白糸ハイランドウエーを戻り、国道146号線を南に走り、軽井沢でランチを取って帰路についた。  (2022.7)

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2022.4雪の回廊&鬼押出し園を歩く

2022年07月23日 | 旅行

群馬を歩く>  2022.4 雪の回廊&鬼押出し園を歩く  

 草津温泉西の河原を出て、国道292号線を北、西に向かう。
 1週間ほど前、志賀草津高原ルートが開通し大勢が雪の回廊に訪れ大渋滞が発生、といったニュースが流れた。
 志賀と草津を結ぶ国道292号線は、冬のあいだ大雪のため閉鎖され、春になると道路の雪を掘り起こして志賀草津高原ルートが開通する。道路の雪を掘り起こすため、道路の両側には高さ数mの雪の壁が出現する。これが雪の回廊である。開通を待ちかねたのは流通関係者ばかりではなく、雪の回廊目当ての観光客も押しかけ、大渋滞が発生したようだ。
 今日は高原ルート開通から1週間たった平日である。渋滞だったら引き返すつもりで雪の回廊を目指した。

 2016年7月に万座温泉に泊まり、ロープウエイを利用して本白根山に登り中央火口、展望所、鏡池などを歩いた(HP「2016.7本白根山を歩く2&3」)。本白根山(標高2171m)は国道292号線の左に位置する。1500~5000年前に噴火活動のあった火山だが、いまは噴火活動は無く登山ができる。
 本白根山の北、国道292号線の右に位置する草津白根山(標高2160m)はいまも噴火活動が続く活火山で、2016年7月は噴火警戒レベル2であり、その後噴火警戒レベルは1になったが火口付近は依然立入禁止である。
 国道292号線を走っているうち、2016年7月の記憶が戻ってくる。ヘアピンカーブを何度か上り、武具脱の池、殺生河原、ロープウエイ乗り場を過ぎる。車はけっこう多く、ほとんどが乗用車で、高原ルートを快調に走っていく
 斜面に雪が現れ、あっという間に雪?霧?に包まれ道路も風景も真っ白になった。前の車のテールランプを頼りに走る。ときどき対向車のヘッドライトが通り過ぎていく。
 やがて雲?霧?が消えた。見晴台で一息する。雪が残っていて風は冷たいが、広々とした山並みを遠望できる(写真)。

 見晴台には「草津白根山の噴火と防災Q&A」の説明があった。Q1草津白根山の噴火の特徴/明治以降、マグマに由来する火砕流や溶岩流は発生していない、噴火活動は湯釜を中心とした半径600m以内の水蒸気爆発で、噴石は3kmぐらい、火山灰はかなり遠方まで飛ぶことがある
Q2火山ガスの危険性/草津白根山の火山ガスには有毒な硫化水素が含まれているので立入規制を行うとともに、ガス濃度が基準値を超えた場合は警報が鳴る装置を設置し、その後中毒事故は起きていない、などが紹介されていた。
 車に戻り山道を上る。やがて窓を閉めていても硫黄の臭いを感じる。草津白根山からの火山ガスが流れているようだ。道路は駐停車禁止で、レストハウスも柵で立入禁止になっている。

 硫黄の臭いを通り過ぎる。またも雲?霧?が流れて真っ白になり、車が止まりだした。渋滞か、と思ったら片側一車線規制で、通過して間もなく雲?霧?が消えた。次の瞬間、雪の回廊が現れた(写真)。
 雪壁の高さは低いところで5mぐらい、高いところで8mぐらいありそうだ。何台も停車して写真を撮っている。このあたりは標高2060mぐらいで、雪の回廊のなかにいるからかなり寒い。多くの車は峠を越え、志賀に向かっていった。
 私たちは雪の回廊を眺め終え、来た道を戻る。ときおり雲?霧?で真っ白になるが下るにつれて晴れ上がり、草津町に戻るころには快晴になった。山の天気は予想がつかない。

 八ッ場あがつま湖から草津に向かうときは東寄りの国道292号線=日本ロマンティック街道を走ったが、今日は草津から嬬恋村に向かうので西寄りの国道292号線=日本ロマンティック街道を下る。
 草津の信号を右に折れてほどなく、街道の両側に煉瓦壁にとんがり屋根を乗せた塔が建ち、街道の上をガラス屋根のデッキが渡っている「道の駅草津運動公園」があった。目立つ建物なので立ち寄った(写真)。
 街道の西側に道の駅と日本・ドイツロマンティック街道資料館、東側にベルツ記念館などが並んでいるのだが、駐車場に車を止めたとき斜面に咲き誇っている桜に気づいた(写真)。
 「草津運動公園つつじ園」の看板が立っていたが、さくら園でもおかしくないほどピンクの濃いが斜面を埋めていて、近所の人が散歩を楽しんでいる。やはり草津の桜は埼玉より遅い。花見の気分で一回りする。
 
 「道の駅草津運動公園」を出て国道292号線=日本ロマンティック街道を南に走り、国道144号線に右折するころ12:00になった。高原のなかを延びる国道沿いの食事処を探していて、今日の宿の嬬恋プリンスホテルに併設されたゴルフ場のクラブハウスレストランのランチ案内を見つけた。ゴルフ場の先の雪を被った山を見ながらランチを取る(写真)。南を向いているから雪の山は浅間山(標高2568m)だろうか。

 ランチ後、万座ハイウエー鬼押ハイウエーを走り、鬼押出し園に向かった。ホテルから20分ほどで着いたが、第1から第4まである広々とした駐車場には数台しか止まっていない。コロナ渦で閉園か?、噴火警報で立入禁止か?、と不安になる。
 鬼押しハイウエー+駐車場をまたぐ巨大なデッキにも人影が見当たらない。入園券売り場のスタッフを見て一安心する。650円の入園券を購入して入園する。
 右に鬼押出し園と大書きした3階建ての展望レストラン「鬼飯センター」が建っている(写真web転載)。八角形平面のガラス張りで、軒、柱は茶褐色のコンクリート打ち放しである。
 設計は池原義郎氏(1928-2017)で、1970年に建てられたそうだ。池原氏の設計による1973年竣工の所沢聖地霊園礼拝堂は静謐な空間で感動を覚えたが、鬼飯センターには設計の妙味を感じない。半世紀という時間が建築の見え方を変化させたのだろうか。
 
 浅間山あたりは数十万年前から活発な火山活動が頻発していて、古い記録でも685年、1108年、1128年・・・・、1721年、そして1783年の天明大噴火、その後も噴火は頻発し、近年でも・・2008年、2009年、2015年、2019年に噴火が起きている。
 天明大噴火では、1783年4月から爆発、振動を繰り返し、7月7日夕方から激しい噴火が起き、8日10時ごろ、火炎が数百mに吹き上がり、大量の火砕流が浅間山の北に流れ出した。溶解した火砕流は凝固しながら長さ5.8km、幅800m~2km、厚み30mの溶岩となって堆積した。これが鬼押出しである。
 鬼押出し園には見学路が整備されている。遊歩マップには北側の高山植物観察コース700m、東側に奥の院参道1200m、南側に表参道510m、中ほどに裏参道410mが描かれ、30分、40分、60分のモデルコースが紹介されていた。

 左手にはゴツゴツした溶岩の上に屋根が抜き出た浅間山観音堂が見える(写真)。観音堂を目印にすれば迷わず歩けそうなので、北~東~南の見学路を一回りしようと、高山植物観察コース700mから歩き出す。
 溶岩は暗褐色で、大小入り乱れて固まっている。小さな岩は押せば転がりそうに見えるが、押しても引いても固まったまま動かない。高温でドロドロの溶岩が地表を猛スピードで流れるあいだに冷えて、そのままの形で固まったのであろうか。天明大噴火から240年もたつが、溶解した溶岩が流れながら凝固する様を見せられているような気がする。

 樹齢100年と推定される石割りの松の案内があった。岩のあいだから松の木が伸び上がっている。地味が少ないせいか幹も枝も細い。よく見ると、あちらこちらの岩のあいだや岩の横っ腹,岩の上に植物が生えている。荒涼とした溶岩は鬼気迫るが、にもかかわらず植物が育とうとしているのだから、生命力の強さに拍手をしたい。
 ヒカリゴケ自生地の案内もある。ヒカリゴケ自身は発光せず光を当てると反射する仕組みなので、普通には白っぽい少し緑がかったコケが岩にへばりついているようにしか見えない。懐中電灯を持参していれば緑色に光る様子が見られたはずだが、とりあえずヒカリゴケにもエールを送る。その後、あちらこちらの岩にへばりついている白っぽいコケを見たから、鬼押出し園にはかなりヒカリゴケが自生しているようだ。
 標高1358mの見晴台に着いた(次頁写真)。途中に休憩所と書かれたコンクリートのボックス+ベンチがあったが、緊急時に逃げ込むボックスのようなので通り過ぎた。
 入園口あたりが標高1320mぐらいなので、見晴台まで40mほど上ったことになる。ベンチはないが、見晴らしはいい。溶岩にもめげず育とうとしている植物を眺めながら一息する。

 見晴台から先は奥の院参道1200mになる。ゴツゴツした溶岩が無機質に続くが、溶岩にめげずに植物が育っていて、トウゴクミツバツツジ群生地、ハクサンシャクナゲ群生地、ヒカリゴケ群生地の案内が続く。
 溶岩を祠とした神成志保氏寄進の炎観音像が祀られていた。
 少し先で表参道510mと裏参道410mの分かれ道になり、どちらを下っても鐘楼堂に続く朱塗りの太鼓橋を渡って東叡山寛永寺別院浅間山観音堂に参拝できる(写真)。天明大噴火の大勢の被災者を思い、合掌する。
 観音堂には回廊が巡らされていて、四方を眺めることができる。北には山並みが遠望できる(写真)。四阿山(標高2354m)だろうか。右手に本白根山が連なっているはずだが分からなかった。
 表参道510mを下り、二天尊像の構える惣門で一礼する。
 溶岩を眺めながらのべ2400mほど歩いたので、足に疲れが出ている。車に戻り、宿の温泉を目指す。  (2022.7)

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2022.4草津温泉を歩く

2022年07月18日 | 旅行

群馬を歩く>  2022.4 草津温泉を歩く  湯畑 西の河原

 八ッ場あがつま湖に沿って国道145号線=日本ロマンティック街道を西に走る。草津温泉に行くには、国道292号線に左折しなければならないが、国道292号線は長野原役場を過ぎて間もなく左折する道路と、少し先の大津の信号で左折する道路の2本あり、どちらも日本ロマンティック街道の一部で、どちらも草津温泉に着く。東寄りの国道292号線なら八ッ場あがつま湖西外れから草津温泉まで45~46分ぐらい、西寄りの国道292号線は37~38分ぐらい、大差は無いので、今日は東寄り292号線を上り、明日は西寄り292号線を下ることにした。

 東寄りの国道292号線は吾妻川の支流になる白砂川に沿った山あいの道路で、北に向かって少しずつ標高を上げていく。八ッ場あがつま湖から30分ほどでヘアピンカーブが続いて標高は1000mを越え、道路は西向きになり、八ッ場あがつま湖から45分ほどで草津町役場前を過ぎる。ナビに従い草津の交差点で左に曲り、もう一度左に曲がって、今日の宿である草津温泉ホテルリゾートに着く。駐車場に車を止めるころに雨が一瞬流れた。天気は不安定である。
 部屋は5階の南向きで、彼方に見えるのが浅間山(2568m)のようだ(写真)。眺めがいい。
 向かいのリゾートホテル?の駐車場には満開を過ぎたソメイヨシノが雨に煙りながら花を散らしていた(写真)。このあたりの標高は1210mぐらいなので、埼玉に比べ桜開花~満開が遅いようだ。

 草津温泉は湯畑や湯もみが再三報道されるからよく知っているが、泊まったことは無かった。温泉湧出量は毎分32300㍑以上で・・ピンとこないが・・日本最大といわれている。
 室町時代の禅僧・歌人万里集九が有馬温泉、下呂温泉とともに三名泉と紹介し、江戸時代の儒学者林羅山も草津、有馬、下呂を天下の三名泉と呼び、江戸時代の温泉番付では西大関が有馬温泉、東大関に草津温泉・・当時は横綱は無く大関が最高位・・が上げられている。古くから草津温泉の薬効が津々浦々に伝わっていたようだ。
 草津温泉は標高1100~1200mに分布し、大源泉は湯畑、白旗、西の河原、地蔵、煮川、万代鉱の6つで、ほかにも小源泉がいくつもあるそうだ。pHは2.0前後で酸性度が高い。強酸性が、恋の病以外は治るといわれるほど効くのであろう。・・強酸性を中和するための施設が草津に設けられたことは「2022.4八ッ場ダムを歩く」で紹介した。
 
 草津温泉ホテルリゾートの源泉は万代鉱だが、草津温泉の中核、目玉といえる名所は湯畑なので、傘を手に出かけた。案内図を見ながら急坂の細道を北に下る。
 草津温泉ホテルリゾートは標高1210mぐらい、湯畑は標高1160mぐらいなので50mほど下る。坂道には建物が建て込んでいて、坂道が右に左に曲がるから見通しは悪い。草津を抜ける国道292号線=日本ロマンティック街道を渡りなおも北に下ると視界が開け、石柵で囲われた湯畑が現れた(写真)。
 奥の木製湯樋から湯気を上げながら勢いよく湯が手前の湯畑に流れている。湯畑は硫黄特有の黄緑色で、近づくと硫黄の臭いが立ちこめている。

 説明板に、石柵内の広さは1112㎡、7本の湯樋から毎分4040㍑が湧出している、湯温は52℃で、湯樋は湯を冷ますための装置である、江戸時代、徳川8代将軍吉宗が草津の湯を江戸城まで運ばせ入浴した、1975年、岡本太郎氏(1911-1996)にデザインを依頼し現在の形に整備された、岩盤を流れ落ちる湯滝の独特な風情は草津固有の温泉文化であり国の名勝に指定されている、などが紹介されている。確かに、霧雨が流れ、湯煙と重なり、湯滝を幻想的にしている(写真)。
 手前の湯畑から石柵に沿って歩く。湯滝を眺め、奥の湯樋を見下ろし、上手の四阿から全景を眺める。石柵それぞれに草津温泉を訪れた100人の著名人の名が彫られている。日本武尊(本当?)、源頼朝、前田利家、小林一茶、ベルツ博士、スクリバ博士(ベルツ、スクリバは後述)、志賀直哉、横山大観、田中角栄、福田赳夫、ブルーノ・タウト、与謝野鉄幹・晶子、斎藤茂吉、渥美清などなど、もちろん岡本太郎の名もある。徳川吉宗は草津の湯に入浴したが、草津には来ていないので名は無かった。
 名前を見たり、湯畑、湯樋、湯滝を眺めたり、ぐるりと一回りしたあと、ときおりの霧雨に傘を差し、坂道を上って宿に戻った。

 宿に戻り、万代鉱の湯につかる。pH1.5の湯は透き通っているが、青く見える。pH1.5と思うと目が青く錯覚するのかも知れない。肌にぬめりを感じる。これは錯覚ではない。ぬめりは効き目がありそうなので、毛穴が広がるように手足、胸、首、肩を柔らかくもみ、薬効を吸い込ませる。
 食事は旬の素材、地産地消がコンセプトだそうで、夕食は「上州麦豚のしゃぶしゃぶ」をメインに、蓮豆腐などの菜、群馬県産銀光などの造、蟹水晶蒸し、鮭のちゃんちゃん焼きなどの和膳である(写真、左が蓮豆腐など、右が上州麦豚、奥に赤城山)。
 朝食も和膳で、嬬恋村地野菜サラダ、前橋市森そだちサーモン味噌包み焼き、渋川市和豚もち豚のベーコン・フランクフルト、草津温泉の豆腐・温泉たまご、沼田市刺身蒟蒻、榛東村合わせ納豆、群馬県産おきりこみ、渋川市漬け物・味噌汁、中之条ご飯、長野原発酵乳ヨーグルトが並び、地産地消のこだわりがうかがえる。

 ときどき白い雲が流れるが、晴れ上がっている。チェックアウトし、草津の観光名所西の河原に向かった。少し手前のベルツ通り・シャクナゲ通りに面した有料駐車場に車を止め、急坂を下る。右に片岡鶴太郎美術館、左にホテル・土産物店が建つあいだの水路に沿った遊歩道が西の河原の入口になる(写真)。
 水路は硫黄の臭いがし、湯気も立っている。遊歩道は緩やかな上りで、歩きやすく整備されている。少し上ると、愛嬌のある顔の鬼の茶釜碑が置かれていて、「わき出る湯口はわれもおそろしや鬼の茶釜の湯土産噺」と刻まれている(写真)。
 かつて草津温泉の西側に高温の温泉が湧き出ていて、荒涼とした風景だったことから鬼の泉水と呼ばれた。なかでも茶釜が沸騰したような音を立てる源泉を鬼の茶釜と呼んでいた。
 その後、源泉が枯渇したため湯温95℃、pH1.5の万代鉱から温泉を引いて大露天風呂を建て、西の河原公園として整備したそうだ。鬼の茶釜碑は、かつての荒涼とした源泉のイメージをいまに伝えている。
 遊歩道には草津穴守稲荷神社が斜面中腹に祀られている(写真)。階段を上り、祭神豊受姫命に一礼する。

 少し先にベルツ博士スクリバ博士の胸像が並んでいる(写真web転載)。エルビン・フォン・ベルツ(1849-1913)、ユリウス・スクリバ(1848-1905)ともにドイツ出身の医師、医学者で、1870年代、明治政府に招聘され、東京医学校(現東京大学医学部)でベルツは内科、スクリバは外科の教授として学生を指導し、実際に医療を行った、いわゆるお雇い外国人である。
 草津温泉を訪れたベルツは草津温泉の薬効、草津の自然景観、清浄な空気と飲料水が病気治療に有効と日本政府に進言、世界に紹介し、私費を投じて保養所を建てた。スクリバも草津温泉の効用を世界に紹介し、草津滞在中に無料診療所を開設し町民を診たそうだ。
 
 左奥の階段上に草津ビジターセンターが建っている。入館無料で、草津を取り巻く火山と温泉の関係や自然環境と動植物の分布などが模型、パネル、写真、ビデオで紹介されている。予習、復習になるが、立地がよくないせいか、入館者は数人だった。
 別の遊歩道を上ると、万代鉱から引いた西の河原露天風呂が建っている。日帰り入浴600円で、草津の自然を眺めながら湯を楽しめるらしい。
 斎藤茂吉の「いずこにも湯が噴きいでて流れゐる谷間を行けば身はあたたかし」の歌が刻まれた碑もある(写真)。斎藤茂吉も草津に楽しんだようだ。

 右の遊歩道を上るとゴロッとした岩が並び、あいだを温泉が流れ、四阿や円形の足湯が設けられている。その先に崖があり、巨岩の上を湯滝が流れ落ちている。西の河原不動滝と名づけられていて、湯滝が流れ落ちた岩場に小さな不動明王が厳しい顔でにらんでいる。隣の岩場の上には赤子を抱え柔和な顔の菩薩像が立っている。
 崖に設けられた階段を上り、遊歩道を進むと国道292号線=日本ロマティック街道に出るようだ。車の往来が見え始めたあたりで引き返した。どこかには鬼の相撲場があるらしいが、見落とした。
 帰りは遊歩道から離れ、かつての荒涼とした風景をイメージしながら温泉が流れている川沿いの岩場を歩いて入口に戻った。 (2022.7)

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2022.4八ッ場ダムを歩く

2022年07月14日 | 旅行

群馬を歩く>  2022.4 八ッ場ダムを歩く

 関東近県ブロックの県民割りが継続されている。感染対策を熟慮し、マイカーで→八ッ場ダム→草津温泉→雪の回廊→鬼押出し→本白根温泉→白糸の滝のおおざっぱなコースを組んで出かけることにした。
 桶川北本ICから圏央道に入り、鶴ヶ島JCTから関越道に折れ、渋川伊香保ICを降りる。国道17号線を北に走り、国道353号線を西に折れる。国道353号線は中之条町で国道145号線に接続する。国道145号線はJR吾妻線、吾妻川に沿った道路で、中之条町から草津温泉に至る区間は日本ロマンチック街道の一部になる。
 日本ロマンティック街道は、栃木県日光市~群馬県~長野県上田市の名所旧跡、観光地、温泉地を結ぶ全長320kmの道路で、何度か走っている。

 昼どきになった。宿の夕食を美味しく食べるためには遅い昼食は避けた方がいい。食事処を探しながら走っていて、「あづま家」を見つけた(写真)。
 駐車場には4~5台止まっている。庭も手入れされている。入口のたたずまいも整っている。のぞいたら満席だった。たたずまい、混み具合から評判は良さそうである。庭を見ているうち席が空いた。天麩羅そばをいただく。

 国道145号線=日本ロマンティック街道を西に走る。八ッ場あがつま湖にかかる大橋が見えてきた。2016年7月、白根山に向かう途中、工事の進む八ッ場ダムに寄り、八ッ場大橋、不動大橋から吾妻渓谷を見下ろした(HP「2016.7 白根山を歩く1 八ッ場ダム」参照)。
 それから6年経つ。完成した八ッ場ダムを見ようと、八ッ場あがつま湖北東の展望台「やんば見放台」に上った。展望台に「浅間山北嶺ジオパークF6」の説明板がある。・・数十万年前、吾妻川は吾妻渓谷を削り西向きに流れていて、その後、浅間・烏帽子火山群の噴出物が流路をふさぎ、現在のように東向きの流れになった・・吾妻川は草津温泉からの強い酸性で、魚は住めず、農業にも使えず、コンクリートも溶かしてしまうため、石灰を投入して水を中和する工場が草津町に作られ、毎日24時間中和作業が行われていて、いまは魚が住める川に生まれ変わった・・などが紹介されていた。草津温泉は日本を代表する温泉地だが、その陰で中和作業が行われていることを知った。

 展望台から眺める八ッ場あがつま湖は中和された水を満々とたたえている(写真、下流側、写真左は湖に突き出た展望台)。総貯水容量は107500千㎥だが、ピンとこない。・・1位は徳山ダムで660000千㎥、多摩川の小河内ダムは189100千㎥で24位、まだピンとこない。棚上げにする・・。
 上流側には八ッ場大橋、その奥に不動大橋が見える(写真)。
 2016年7月はまだ水が無く、八ッ場大橋から深さ70m、不動大橋から深さ86mの谷底を眺めて足がすくんだのを思い出す。
 さらにさかのぼって八ッ場ダム工事が一時中断したころ、話題の現場を見ようと八ッ場大橋の巨大な柱脚を見に行ったことがある。その日は川原湯温泉に泊まった。その温泉街は八ッ場あがつま湖の底に沈み、代わって八ッ場大橋の南=前掲写真左に川原湯温泉街が移された。展望台から遠望することができる。

 展望台から八ッ場ダムに隣接する「なるほど!やんば資料館」の駐車場に移動する。歩き出したところ小雨が風にあおられ始めたので、車に戻り傘を差した。ダム堤頂には雨よけの場所がない。ダムを見学していた先客は資料館に向かって小走りしている。山の天気は移ろいやすい。
 八ッ場ダムの堤頂は長さ291mで、中ほどにダム底に降りる堤体エレベータが設置されている。感染対策のため一時停止していたらしいが、この日は定員24人を1/3に制限して動いていた・・雨が降り出したせいか、下り、上りともに私たちだけだった・・。
 ダム底に出ると高さ116m、堤頂長さ291mの重力式コンクリートダムの巨大さに圧倒される(写真)。
 ダム底には八ッ場発電所の建物がある(写真手前)。年間に4200万kw/h(一般家庭1200世帯分の消費電力相当)を発電しているそうだが、仕組みは見られない。

 ダム底の端から下をのぞくと、吾妻川が岩盤を削ってつくりだした吾妻峡の険しい風景が延びていた(写真)。吾妻川に下る階段が設けてあるので途中まで降りた。
 吾妻川に沿って渓谷を歩くハイキングコースが整備されていて、屏風岩、布袋岩、龍頭岩、龍尾岩などの巨岩奇岩を眺めながら歩くらしい。雨は上がっているが雲行きは怪しいし、峡谷まで降りると戻りはかなりの上りになりそうなのでパスする。
 左の斜面の中腹に吾妻峡八ッ場駅があり、線路も敷いてあった。八ッ場ダム周辺案内には、レールバイクアガッタンと記されている。八ッ場ダム工事でJR吾妻線が付け替えられたので、廃線敷を利用し自転車型トロッコで吾妻峡を眼下に堪能しながら自転車を走らす仕掛けだそうだ。期間限定で、この日は休止していた。自転車をこぎながら渓谷を眺められるから人気が出そうに思える。

 堤体エレベータを上り、「なるほど?やんば資料館」に寄った。1階展示ホールには地域の成り立ち、ダム工事の目的や経緯などのパネル、地形模型が展示されていたが、私には物足りなく感じた。2階は展望デッキになっている。雨だったり寒かったしたときの展望に向いていそうだ。
 15:00に近いので、「なるほど!やんば資料館」をあとにし、ダム横に建つ「やんば茶屋」でコーヒータイムにした(写真)。セルフサービスだが、店内もスタッフの声もは明るく、気分が前向きになる。八ッ場あがつま湖を眺めながらコーヒーをおいしくいただいた。
 「やんば茶屋」のすぐ先に八ッ場あがつま湖に突き出た展望台がある(前掲写真)。中和された水をたたえた八ッ場あがつま湖を眺望する。
 ダム建設で紆余曲折したうえ、川原湯温泉街は湖底に沈んだが、八ッ場ダムが完成し、川原湯温泉も再生された。八ッ場茶屋のスタッフの明るい声、吾妻峡ハイキングの整備、レールバイクアガッタンの試みなど、これからの発展、繁栄を祈りながら、八ッ場ダムをあとにする。 (2022.7)

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2022.4赤城神社・赤城南面千本桜を歩く

2022年07月10日 | 旅行

群馬を歩く>  2022.4 赤城神社・赤城南面千本桜・ぐんまフラワーパークを歩く

 朝霧に煙る伊香保温泉の356段の石段を下り・上りしたあと、宿をチェックアウトし赤城山に向かう。
 狙いは群馬桜名所の筆頭に上がる赤城南面千本桜である。満開は過ぎただろうが、桜千本の風景は期待できる。
 赤城山は2020年6月にも訪ねている。そのときは曇り+霧で、黒檜山(1828m)、駒ヶ岳(1685m)、地蔵岳(1674m)などは雲?霧?にボーとしていた。山の天気は急変することがあるので、赤城神社は参拝したが大沼一周散策は止め、覚満淵を歩いた。翌日は晴れ上がったので小沼を一回りし、長七郎山(1579m)に登った・・「HP2020.6 赤城を歩く1 大沼・赤城山」・・。

 今回は伊香保を出て霧が晴れたのだが赤城山に近づくにつれ霧が流れ出し、上るにつれ霧が濃くなった。大沼、赤城神社に近づくころに霧は上がった。赤城神社北側の駐車場に車を止める。大沼沿いには雪が残り、沼を渡る風が冷たい。コートを羽織り用心に傘を持ち、赤城神社に参拝する(写真)。
 赤城神社は赤城山を神体山とし、赤城大明神、大国主神、磐筒男神(いわつつおのかみ)、磐筒女神(いわつつめのかみ)、経津主神(ふつぬしのかみ)たちを祭神とする。8世紀初頭に現地蔵岳の中腹から現在地の大沼の畔に遷宮した、との記録があるそうだから7世紀ごろの創建だろう。
 赤城神社は鳥の嘴のように大沼に突き出た半島の手前に建っていて、嘴の先端あたりに鳥居が立ち(写真)、その先に岸に渡る朱塗りの橋が架けられ、啄木鳥橋と呼ばれている(写真、橋の右が半島の先端で鳥居が立ち、左が岸辺)。半島の形が啄木鳥の嘴を連想させたようだ。
 岸辺の駐車場に車を止め、啄木鳥橋を渡り鳥居で一礼して本殿に向かうのが本来の参道だが、橋は補修中で通行止めである。鳥居で一礼し、参道を戻り、本殿で二礼二拍手一礼する。

 赤城神社に向かう山道は赤城山南山麓の西寄りを上る県道4号線と東寄りの県道16号線がある。2020年6月には県道4号線を上り、県道16号線を下った。県道4号線はカーブも多いがカーブは大回りで道幅は広い。県道16号線は道幅は狭く、ヘアピンカーブが連続する。県道4号線の方が走りやすい。
 大沼畔には食事処、カフェなどがあるがシーズンオフのためかすべて閉まっていたので、走りやすい県道4号線を下る。
 カーブをいくつか曲がったところで「見晴山展望台」の標識を見つけた。見上げるとすぐそこに展望台が見えるので寄ることにした(写真)。
 ツツジ林のあいだに整備された道を上り始めたら霧が流れてきて、展望台からの眺めは霧に消えてしまった。さらに上ると標高1458mと記された見晴山山頂に着く。いつの間にか霧が晴れ、ツツジ林のあいだから赤城山の山並みが遠望できる。
 展望台~山頂の道は柵が設けてあって、牧場立入禁止と注書きされている。2020年6月赤城山に向かう途中の白樺牧場ツツジ群落が目を楽しませてくれた。そのとき、レンゲツツジには毒があり、牛はレンゲツツジの毒を嫌ってレンゲツツジ以外の草を食べるため牧場にはレンゲツツジの大群落が残る、といったことを知った。見晴山も牛のおかげで時期になるとレンゲ群落を楽しめそうだ。

 県道4号線を下るうちに前が見えないほどの霧が出てきた。ライトを付け、真っ白な前方に目をこらし走る。民家が現れ始めた標高500~600mぐらいになると霧が消えた。どうやら今日は標高1000mあたりに霧?雲?が流れているようだ。
 県道4号線沿いに桑風庵という人気のそば処がある。道路の東が大きな駐車場で、なんとピンクの濃い桜が花を散らしていた。八重桜だろうか。しばらく見とれる(写真)。
 道路を渡った西側の和風庭園の奥に、古民家を思わせる瓦葺き切妻屋根の店が建つ(写真)。暖簾をくぐり、靴を脱ぎ、座敷にテーブル椅子の席に着く。
 そばは二八の手打ちで、2人前なら五合、3人前は七合、4人前は一升と注文する。ご飯の五合は二人ではとても食べきれない。そばの五合はどのぐらいだろうか?。
 2人前そば五合1800円と天麩羅800円を頼んだ。そば五合は、やや食べ過ぎの感があったが年寄り二人で食べ切れた。こしがありのど越しがいい。天麩羅も美味しかった。庭園を見ながらそば五合を楽しんだ。
 
 今日の宿は県道16号線沿いの赤城温泉ホテルである。ナビでは県道4号線を下り、赤城山麓の国道353号線を東に走り、県道16号線の上るルートを推奨しているが、赤城山が晴れていればウオーキングを楽しめるので県道4号線を上ることにした。
 標高1000mあたりに霧?雲が流れ、標高が上がると霧は消えたが空は怪しげな曇が動いている。ウオーキングはあきらめ、大沼から道幅の狭いヘアピンカーブが連続する県道16号線を下って赤城温泉ホテルにチェックインする。
 宿は1700年創業で、国定忠治一党や新田義貞も心身を癒やしたと伝わるにごり湯が看板である。久しぶりの白濁した湯につかる。露天は少しぬるめだがじんわりと体が温まってくる。惜しいかな、湯からも部屋からも霧?雲?で真っ白である。宿は標高850mぐらいだが、谷あいを霧?雲?が次から次と流れるようだ。
 夕食は地元の旬の素材、無農薬野菜を用いた会席膳である。わらびのアーモンドとクルミ和えの先付、上州鶏の松風焼きなどの前菜、蒟蒻ごぼうの小鉢、ブランド鱒などのお造り、パイグラタン風の強肴、岩魚の塩焼き、ローストビーフなどの皿物、上州地鶏のコラーゲン鍋などが続いた。地酒の赤城山を頼んだら、赤城山スパークリングワインもおすすめというので両方いただいた。
 寝しなににごり湯で体を暖め、熟睡する。
 翌朝は霧が晴れ、峡谷の風景が遠望できた(写真)。紅葉の時期は山が真っ赤になりそうだ。

 宿をチェックアウトし、県道16号線のヘアピンカーブを下る。国道353号線を東に折れると赤城南面千本桜の案内板があり、スタッフが駐車場に誘導してくれた。桜まつりは終わっているが結構な人出だった。
 説明板によると、市民が荒廃した山林を緑化しようと1960年から3年かけ、国道353号線(標高430m)から忠治温泉に向かう南北の市道の標高540mあたりまで、3.5kmに渡って1400本ソメイヨシノの苗木を植え、見事な桜並木をつくりだした。
 「日本さくら名所百選」にも選ばれ、千本桜まつりには10万人以上が訪るそうだ(ポスターweb転載)。緩やかな坂道を歩き、桜吹雪を受けて花見の余韻を味わう。

 ソメイヨシノの樹齢は60~70年といわれている。新たに市民参加で桜並木の隣の斜面にみやぎ千本桜の森が整備され、世界の桜ゾーン、日本の桜ゾーンに500本の桜が植えられた。
 すでに花を散らした桜もあったが、色の濃い八重桜が盛りとばかりに目を楽しませてくれた(写真)。
 みやぎ千本桜の森の低地側にはピンク色や白色の芝桜ゾーンが整備されている。上ると菜の花が斜面を黄色に染めている(写真、右奥に芝桜ゾーン、左奥にテント村)。大勢の家族連れが花見を楽しんでいた。
 会場の一角に飲み物、食べ物などのテント村があり、その一つでぐんまフラワーパークを紹介していた。チューリップが見ごろだそうで、赤城南面千本桜+みやぎ千本桜の森を満喫したあとに寄った。

 国道353号線を西に向かい、県道16号線を南に折れると、ぐんまフラワーパークの大きな駐車場に着く。マイクロバスに乗ったグループが次々と降りてくる。人気の観光地のようだ。
 ぐんまフラワーパークは標高300~350mに整備された広さ184000㎡の花をテーマにした遊園地である。正面ゲートを入ると大花壇の鮮やかなチューリップが出迎えてくれる(写真、中央奥はパークタワー)。大花壇は季節にあわせた花が植えられるようだ。
 PARK MAPを見ながら左手のつつじヶ丘、日本庭園を歩く。ツツジはまだ咲いていないが80種、8300株植えられているらしい。代わりにボタンが見ごろだった。
 四季のエリア、5つの鑑賞温室を歩き、パークタワーに上る。チューリップの大花壇は、地上から見たときは気づかなかったが色をそろえ同心円に植えられていた(写真)。花ごとにいろいろな形がデザインできそうだ。晴れ上がっていて、赤城山麓の広大な風景を遠望できる。霧の風景も幻想的だが、彼方まで遠望できる晴れの風景は気持ちが広々する。
 PARK MAPの右手の木漏れ日の森、濃いピンクの八重桜の並木を下り、ハーブの植えられた香りの散歩道を歩き、400種、1700株が植栽されたバラ園、イングリッシュガーデンを一回りする。バラは品種によってかすかに香りが違う。
 正面ゲートに戻り、家路についた。藤岡桜山公園、水澤観世音、赤城南面千本桜、ぐんまフラワーパーク、盛りは過ぎたが花見の余韻を楽しめた。  (2022.7)

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