yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

2018.8 孫の付き添いで「親子deキウイフルーツ学習会」に参加、キウイジャムをつくる

2018年08月31日 | よしなしごと

2018.8 孫の付き添いで「親子deキウイフルーツ学習会」参加
 夏休みも終盤の某日、小5、小3の孫の付き添いで生活共同組合企画の「親子deキウイフルーツ学習会 ゼスプリ編」に参加した。
 私は、間食の習慣がないし、果物もたまに朝食後のデザートで数きれ食べるていどである。その果物も冬ならリンゴ、秋には梨、ブドウの頂き物をしたときぐらいで、ふだんは食べない。
 朝食後に食べるヨーグルトには毎日、バナナ数きれ、プルーン1個、いまごろはブルーベリー数個を入れるが、キウイはめったに食べない。ホテルに泊まったとき、細かく切ったキウイをヨーグルトに入れて食べるていどである。
 生協の「・・・・ゼスプリ編」を見ても、ゼスプリが何のことだが分からなかった。

 浦和駅近・P会場の4階会場のテーブルには紙の皿に2個のキウイが置いてあった。一つは毛?が多くoragnic greenのラベルが付いている。他方はつるんとしていて、ラベルはorganic sungoldだった。そのラベルにzespriの文字もあったが、まだゼスプリが何だか気づかない。

 10時開会、定員30名のほとんどはママと子どもで、祖父は私だけだった。開会の挨拶で、始めてゼスプリが社名であることに気づいた。
 ゼスプリの講師の話では、日本のキウイのおよそ90%がニュージーランド産キウイ、残り10%ほどが国産で、ニュージーランド産キウイの輸入業者がゼスプリだった。
 もっとも、隣のテーブルの母子はキウイがニュージーランド産だということも輸入業者がゼスプリだということも知っていたから、知らないのは私だけだったかも知れない。

 キウイ生産量第1はイタリア、続いて中国、ニュージーランドである。原産がどこかはゼスプリの講師も分からないそうだ。
 1904年、ニュージーランドのイザベル・フレーイザーが中国からキウイの種を持ち帰り、以来、ニュージーランドでキウイの生産、品種改良が進められ、いまや世界第3の生産量を誇り、日本のシェアの90%をカバーしている。
 ニュージーランドの国鳥がキウイバードだそうで、ニュージーランド産はキウイフルーツと命名された。

 サンゴールドキウイは、甘い、ビタミン豊富、肌がつるつる、免疫力を高める効果があり、グリーンキウイは、さっぱり感、食物繊維豊富、お腹すっきり、肉を軟らかくする効果が高いそうだ。
 こうした話を聞きながら、実際に2個のキウイを食べ比べた。確かにサンゴールドキウイの方が甘く感じる。一方のグリーンキウイも十分に甘い。
 甘みを機械的に計測するとサンゴールドキウイに軍配があがるようだが、店頭に並べられたキウイは熟成の度合いが違うから、熟したグリーンキウイがまだ熟し切っていないサンゴールドキウイよりも甘いということがありそうだ。

 子ども向けのクイズも織り込まれた分かりやすい話で、子どもたちも前向きに話を聞き、おいしくキウイを頂いた。
およそ1時間の講座の後、5階のキッチン会場に移る。まず、料理講師のテーブルに集まり、キウイを使ったジャムの作り方と、アスパラガス+ブロッコリー+レタス+キウイのサラダ作りの説明を受ける(写真、講師の説明を聞く)。たぶん、ママは熟知していると思うが、子どもたちは真剣に聞いていた。
 各テーブルに戻り、1テーブル2組で、ジャムづくりからスタートする。
 大きいボールに細かく切ったキウイを入れ、押し潰し撹拌後、砂糖とレモン水を入れてキッチンラップをかけ、しばらく放置、講師が回ってきて様子を見てから、電子レンジで500w、6分加熱する。
 6分後、講師が確認し、500w、3分加熱する。まだゆるいがキウイジャムが完成する。

 いっぽう、鍋が沸騰したら、5cmほどに切ったアスパラガスを入れる。数分後、アスパラガスを取りだす。次に小さな塊に切り分けたブロッコリーを入れる。これも数分後に取り出す。レタスをちぎり、キウイを細かく切り、銘々皿にアスパラガス、ブロッコリー、レタス、キウイを盛りつける。
 準備終了、厚焼きパンにキウイジャムを付け、サラダにドレッシングをかけて、頂く。孫たちは野菜が苦手でだいぶ残した。
 小3の孫は4階会場でキウイを食べ過ぎたため、舌が過敏になっていて、厚焼きパンにはキウイジャムを付けずに食べていた。
 ほかのテーブルでも野菜が余っていたから、子どもには野菜を少なくし、ハムかチーズを載せた方がいいかもしれない。私はたっぷりの野菜で満足である。

 ということで、キウイを学び、キウイをたっぷり味わった。ゼスプリさんに感謝。
 片付けが終わったのが1時近く、ゼスプリ社からお土産までもらって、解散した。 

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2018.8 孫の付き添いで本棚づくり、組み立て図を見ながら部材を組み合わせ釘を打つ

2018年08月28日 | よしなしごと

2018.8 孫の付き添いで本棚づくり
 
 2018年8月某日、孫に付き添って、さいたま市M児童センターで開かれた「親子で本棚づくり」に参加した。工具を使うためか小3の孫は参加できず、小5の孫と私が参加した。18組ぐらいの親子が参加していて、工作だったためかパパも少なくなかったが、祖父は私だけだった。
 指導はさいたま市のN工務店で、毎年、夏休みに親子工作教室を開いてくれているそうだ。ボランティア活動に大いに感謝したい。
 ただし、部材はすべて加工され、組み立て図の通りに釘を打っていくと完成するようになっていて、物足りなかった。親が付いていてもちょっとしたミスでけがをすることもあるから、児童センターから最小限の工作にするよう要請があったのかも知れない。

 私の祖父は岐阜の山村で半農・半大工だったらしい。腕前は良かったと聞いている。父は東京に出て、大学で学び、建設会社に勤めた。私が子どものころ、家に祖父伝来の大工道具一式が置いてあった。
 誰もいないとき、こっそり道具箱を開け、いくつもの鉋、鋸、ノミ、金槌、墨壺などを取り出して眺めた。鋸の歯は左右に突き出ているのと、一直線に並んでいるのと2種類あった。鉋の歯は大きさ、厚みが違う。ノミも大小あった。歯が丸くなったノミもあった。墨壺は黒と朱があり、糸を引っ張りだし、ぐるぐる回して戻す。L字に曲がった物差しや折りたたみの物差しもあった。
 大工道具が家をつくりだすのだから、どんな風に使うのか、想像するのが楽しかった。いたずらして歯をこぼし、父から思いっきり叱られたこともあったが、大工道具のお陰で工作は好きだった。

 結婚して、子どもが生まれたころ、一念発起、自分で家を作ろうと決心したのは、子どものころの大工道具をきっかけにした家づくりの実現だったかも知れない。
 家ができて間もなく犬を飼うことになり、90×180cmの合板1枚を加工して犬小屋を作った。合板1枚を数日にらみ、半端が出ないよう、不足もないよう、何度もスケッチし、変形五角形の筒状の形にした。
 鋸で切り、釘を打ち、角には鉋をかけ、風通しのため屋根になる一方は蝶番で開くようにし、仕上げに塗装した。自慢できる傑作だったが、犬が18才の長命で死んだとき犬小屋も処分した。

 話を本棚づくりに戻す。部材が加工されていて組み立て図があるから、完成品が想像できる。
 主役は孫なので、うまくいかなかったときに手伝うようにしても、助言が誘導的になる。
 釘を打つのは孫でも、打つ位置や打ち方は助言するからミスはほとんど無い。金槌は通常、片側が平で片側が凸になっている。まず平側で釘の頭に垂直に打つ。打ち方が斜めで釘が曲がっても、親指で曲がりを修正しながら釘を打たせれば直る。釘を打ち終わったら、凸側で釘頭をしっかり打ち込むようにと教える。
 ということで、組み立ては順調に進み、30分ほどで出来上がってしまった(写真)。

 どの部材とどの部材を組み合わせるか悩んでいたり、釘が斜めに曲がってしまったりなど、四苦八苦している親子も少なくなく、M工務店の指導員が走り回っていた。
 組み立てが終わったら、バルコニーに出て仕上げのペーパー掛けをする。部材の角にペーパーをかけると、なめらかになる。一通りの角にペーパーをかけ、仕上げが終了した。
 その本棚は孫の机の上に置かれている。工作は、具体的な物が残り、記憶から消えないのがいい。これがきっかけで工作が好きになり、鋸をひいたり、本棚の側面にレリーフを彫ったり、塗装したり、さらには好みのデザインを考えたりと発展することを期待したいね。

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レベルテ著「呪いのデュマ倶楽部」はデュマ著三銃士の物語をゲーム盤とする著者と読者の知的遊戯

2018年08月27日 | 斜読

book470 呪いのデュマ倶楽部 アルトゥーロ・ペレス・レベルテ 集英社 1996  (斜読・海外の作家一覧)
 2015年10月のスペインの旅の前後にスペインにちなんだ本を読んだ。
 その一冊がセビリアを舞台にしたレベルテ著「サンタ・クルスの真珠」(book423)である。物語の展開は冗長な感があるもの明快であり、伏線から話の流れが予想できるが殺人事件の推理も盛り込んであって、読みやすかった。
 少ししてレベルテ著のマドリッドを舞台にした「フランドルの呪い画」(book439)を読んだ。500年前のチェスの勝負という絵画が物語の発端で、フランドルの歴史や美術論が織り込まれているが、事件はチェスゲーム従って展開していく推理小説で、「サンタ・クルスの真珠」とは趣を異にした。

 図書館のスペイン文学コーナーには、レベルテ著「呪いのデュマ倶楽部」も並んでいた。
 デュマはフランス人アレキサンドル・デュマ(1802-1870)のことで、「三銃士」「モンテ・クリスト伯」などが大ヒットした。スペインの作家がフランスの作家を主軸にしてどんな展開にするのか、と思いながら読んだ。
 ところが一筋縄では理解の追いつかない物語だった。

 訳者あとがきによれば、「フランドルの呪い画」が第1作、第2作が「呪いのデュマ倶楽部」で、この2冊でヨーロッパの伝統的知的遊戯を織り込んだ推理小説作家として評判になったそうだ。この場合の遊戯はゲームに置き換えると分かりやすい。

 ゲームにはルールがある。バスケットやテニスなどは決められたコートの上で一定数の敵味方が点を競う。
 チェスや将棋は対決者がチェス盤、将棋盤でキング、王を取り合う。「フランドルの呪い画」はチェスゲームに従って、主人公と隠れた犯人が競い合った。


 本書では主人公ルーカス・コルソと隠れた対決者が、デュマ著三銃士の物語をコート、ゲーム盤として智恵を競い合う展開である。

 三銃士では、主人公ダルタニャンと三銃士のアトス、ポルトス、アラミスが、王妃アンヌを支え、枢機官でかつルイ13世の宰相リシュリューと対決する展開で、リシュリューの懐刀としてロシュフォール伯爵、リシュリューの手先でかつてアトスの妻だった絶世の美人ミレディーが登場する。
 この本では、三銃士に登場する人物に相当する人物が、まるで三銃士のそれぞれの役柄を演じているように、主人公ルーカス・コルソ=ダルタニャンを助ける役柄、あるいは敵対するリシュリューやロシュフォール、ミレディー役が現れる。
 デュマは「三銃士」に続いて「20年後」「ブラジュロンヌ子爵」も書いていて、その内容も織り込まれる。

 そもそも、この本は、稀覯キコウ本(数が少なく貴重な古書)のコレクターで料理本で知られるエンリケ・タイリュフェルの首つりの現場検証で、足下に「なにもかも筒抜けだ!」にアンダーラインが引いてあるダルタニャン物語の本が落ちていたことから始まっている。
 さらに、タイリュフェルは三銃士第42章「アンジューの葡萄酒」のデュマの手稿を手に入れていて、死の前に主人公コルソにその真贋を依頼していた。
 だからデュマの著作に精通していないと、読者は物語からしばしば浮き上がったり、よそに流されてしまう。これが一筋縄で読み進めない理由の一つである。


 主人公コルソは、人物紹介では書物狩猟家=稀覯本を扱う書籍販売業者の依頼を受け、ヨーロッパ中を飛び回り、希書を探すのが仕事である。
 スペイン・トレドの億万長者で国際書籍販売業者であるバロ・ボルハは3冊しか現存しない稀覯本の「影の王国への九つの扉」を所有していて、コルソにこの本の真贋も依頼していた。
 ほかの2冊は、ポルトガル・シントラに住む稀覯本収集家ビクトル・ファルガス、パリでオカルティズムと悪魔学についての本を著して莫大な財産を築いた男爵夫人フリーダ・ウンゲルが所有している。

 「影の王国への九つの扉」には9枚の木版画が暗号文の詞書き付きで挿入されている。ボルハ版の挿絵はp83~にある。これだけでは謎が解けない。
 ほどなく、コルソを付け狙う傷のある男=ロシュフォール役が現れる。
 コルソは次にシントラのファルガスに会い、ファルガス版の木版画p169~と照合する。挿絵の微妙な食い違いを見つけたが、謎は解けない。
 前後して、イレーネ・アドラーが現れる・・ダルタニャンに好意を寄せる侍女か?・・。ファルガスは水死体で発見される。アドラーはコルソを助ける役だが、結末では登場しない。

 話が飛ぶが、ミレディー役を演じるリアナ・タイリェフェルも、コルソの友人でコルソを助けるフラビオ・ラ・ポンテも結末では登場しない。これも一筋縄では理解しがたく、想像するしかない。

 コルソはパリのフリーダ・ウンゲルに会いに行き、ウンゲル版の木版画p265~と照合する。3版の微妙な違いが見つかるが、謎は深まったままで、ウンゲルは焼死し、ウンゲルの「九つの扉」が燃やされてしまう。

 この「影の王国九つの扉」の木版画の謎解きとファルガス、ウンゲルの殺人が物語の中軸のように展開するのだが、「呪いのデュマ倶楽部」の展開と織り合わさっていながら、「この二つは別々の物語で、「影の王国への九つの扉」の謎解きのゲームに参加していた読者は、いつの間にか「呪いのデュマ倶楽部」のゲームに参加させられてしまうのである。

 登場人物の会話には多くの著名な物語が引用されている。著者は、読者がどのくらいさまざまな物語に精通しているか試しているかのようだ。
 つまり、著者と読者のゲームも仕組まれていると思う。著者は、何重にも複雑にからめられた知的ゲームを仕掛けているようで、それがこの本を難解にしている。

 目次は、
おもな登場人物
呪いのデュマ倶楽部
1 「アンジューの葡萄酒」
2 死者の手
3 トーガを着るひとたちと剣を持つひとたち
4 傷痕のある男
5 忘れるな
6 ごまかしその他の疑わしいことがら
7 1冊目と2冊目
8 最後のものは死ぬ
9 ボナパルト通りの書籍販売業者
10 3冊目
11 セーヌ河岸にて
12 バッキンガムとミレディー
13 陰謀は深まる
14 マンの地下室
15 コルソとリシュリュー
16 ゴシック小説的策略
訳者あとがき  になる。 

 「アンジューの葡萄酒」の冒頭に、第1人称でぼくはボロス・バルカンが登場し、第2人称でコルソが現れる。
 p26から、コルソが第1人称になって「影の王国九つの扉」が展開していく。
 p342からバルカンが第1人称で解説を始める。
 こうした構成も知的ゲームなのであろう。著者は、p304~このミステリーは解決できると思わせられる理由とまさに同じ理由によって・・解決不能に思えるという。メビウスの輪のように、読者が著者の仕掛けを見破ったと思った瞬間、解決が未解決へと反転してしまう。
 著者と読書という知的ゲームを楽しみたい方にお勧めである。(
2018.8)

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2018.8 松本城へ 車で行くと往復17000円、長野新幹線利用は33000円、中央線*トクだ値35は20000円強

2018年08月26日 | よしなしごと

JRトクだ値を利用して得だね

孫たちの学校が間もなく始業する。孫支援が一息するので、国宝松本城観光+高原散策+温泉に行くことにした。

車利用の場合 往復17000円
 車で行くと、圏央道~中央道~長野道を走るコースが最短で、およそ3時間半かかる。250kmほどで、高速料金が6000円弱、ガソリン代が2500円ほど、往復では12000+5000=17000円になる。
 車は目的地を自由に選べる利点はあるが、高速道路の風景を熟視しながら、4時間近く運転をしなければならないのが欠点になる。走るのが面白い、という年は越えた。

長野新幹線利用の場合 往復33000円強
 列車を調べた。長野新幹線を利用すると、大宮-長野/篠ノ井線特急-松本で、2時間半前後、運賃+特急券は8300円ほどである。2人*往復=33200円と、車の倍に近い出費になってしまう。
 しかし、風景を眺めたり、本を読んだり、運転しないので帰りは一杯飲めるなど、気ままである。

中央線利用の場合 往復28000円弱
 長野新幹線が通る前は中央線で松本に行った。中央線経由も調べた。
 大宮-新宿/特急-松本で、3時間少々、運賃+特急券=6900円、2人*往復で、28000円弱になり、車よりは1万円強高いが、長野新幹線経由より5000円ほど安い。

トクだ値利用 なんと往復20000円強
 シルバー*年金暮らしだから中央線経由にしようと、えきねっとを開いた。
 特急の空席を調べたら、ちょうどいい時間帯にトクだ値35%割引があった。トクだ値は特急券と乗車券がセットになるので、新宿-松本間の特急券+乗車券が35%割引になり、2人*往復で18000円強である。大宮から新宿まで乗車券2人*往復2000円強を加えも20000円強である。
 車利用より3000円高いだけで、時間は車より30分ほど早く着き、のんびりできることになる。
 長野新幹線利用よりも30分ほど時間がかかるが、13000円も浮かすことができる。
 直ちにトクだ値35を予約した。当日の天気も良さそうだ。楽しみである。

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2018.7 孫に付き添ってうどんづくり、中力粉+食塩水を混ぜ、手でこね、寝かし、足で踏んで麺棒で伸ばす

2018年08月23日 | よしなしごと

2018.7 孫の付き添いでうどんづくりを体験
 2018年7月某日、さいたま市N公民館企画の「親子でうどんづくり」に、小5、小3の孫の付き添いで参加し、うどんづくりを手伝った。
 講師はM食品で30年に渡りうどん研究を重ねている通称うどん博士で、M食品のスタッフが助手を務めてくれた(写真、会場風景)。
 10時開会、最初に、うどんの弾力、こしの解説から始まった。テーブルに白い粉のビニール袋と茶色い粉のビニール袋が置かれている。白い粉が小麦粉、茶色い粉がグルテンで、触ってみると小麦粉はサラサラしているが、グルテンは固まっていて粘りがある。
 にわか勉強した。
 6000年前、地中海沿岸で小麦粉を利用していまのパスタのもとが生まれた。それが中国に伝わり?、諸説があるが、奈良時代?平安時代?に日本に伝わって改良され、いまのうどんになった。
 小麦は硬質小麦、軟質小麦、中間質小麦に分けられるらしい。
 強力粉硬質小麦を原料とし、タンパク質が12%以上で、粘性、弾力性が高く、パン、パスタ、ピザ生地などに向いている。
 薄力粉軟質小麦を原料とし、タンパク質は8.5%以下で、粒子が細かく、粘性が低いので、クッキーやケーキなどに向いている。
 中力粉中間質小麦、軟質小麦を原料とし、タンパク質は9%前後で、粘性、弾力性も強力粉、薄力粉の中間ぐらい、別名うどん粉とも呼ばれ、うどんやお好み焼きなどに向いている。 
 うどん粉=中力粉は、おおよそ、でんぷん80%、タンパク質10%前後、水が10%ほどである。
 タンパク質の85%のおよそ1/2がそれぞれグリアジングルテニンで、グリアジンは弾力性が弱く伸縮性がいい。グルテニンは逆に弾力性があるが伸縮性は低い。
 グリアジンとグルテニンは水を吸収すると網目状に結合し、粘りのあるグルテンになる。最初に見せられた茶色い粉がグルテンであり、加工すると麩になるそうだ。

 子どもが主役だから話はもっと簡単である。うどんの材料はあらかじめ用意されていた。

1.ステンレスのボールに小麦粉200gを入れ、10%の食塩水100ccを注ぐ。
 水回しというそうで、webなどでは最初に2/3を注ぎ、よくかき回してから1/3を加えるなどと書かれているが、子ども向けでは一気に食塩水を注ぎ、ボールに着いた粉を中ほどにそぎ落とすようにこねればいいとのことだった。

 粉がそぼろ状になったところで、外側から中に巻き込むようにしながら粉をまとめていく。何度かひっくり返し、中に巻き込んで粉をまとめる。この時点では、団子状の粉の塊は凸凹し、表面はなめらかではない。

2.テーブルの上に商品用のラップフィルム=サランラップが貼ってある。団子状の塊をラップの上に置いて、手のひらで中ほどを押し込む。
 当然外側がふくれてくるので、ふくれあがった外側を中に巻き込むようにしてまた手のひらで押し込む。これを数回繰り返すと、表面がなめらかになり、つやが出てくる。
講師いわく、子どものほっぺぐらいになめらかになれば良し、とのことだった。


3.鏡餅のようなった生地をビニール袋に入れて、口を閉じ、しばらく寝かせる。webでは30分~1時間と書かれているが、子どもたちが飽きてしまうので、もっと短かったと思う。
 講師がグループごとの生地を見て回り、適当な時間が経ったとき、講師のかけ声でビニール袋を開けて生地を四角に延ばす。なるべく空気を入れないように手早く四角にし、ビニール袋を閉じる。

4.少し寝かせてから、床に敷いてあるシートの上に生地のビニール袋を移し、布をかぶせてから足で踏む。
 一方を3回ほど踏んで、次の辺、次の辺へと移りながら踏んでいくと四角がだんだん大きくなる。
 大きくなったらビニール袋を開け、素早く生地を折りたたみ、またビニール袋を閉じ、再び足で踏んで、四角を大きくする。
 次は反対方向に折りたたみ、ビニール袋を閉じて足で踏む。これを数回繰り返し、また寝かせる。

5.テーブルのラップフィルムに打ち粉を振りまき、ビニール袋から出した生地をのせる。
 生地にも打ち粉をかけ、麺棒でのばす。一方向に延ばしたら、生地を90度回転させ、再び麺棒でのばす。四角い形になるよう、数回繰り返す。

 打ち粉を振りまき、次は生地を麺棒に巻き付け、麺棒を転がしながら生地をのばす。生地を90度回転させて麺棒を転がす。生地が同じ厚みで四角い形になるよう、力を加減する。
 生地が3mmていどの厚みの四角い形になったら終了である。グループによっては生地に穴がいたり、生地が切れたりしていた。私たちのはやや台形に近かったが、ほぼ一様の厚みになった。

6.打ち粉を生地全面に振りまき、屏風のように折りたたむ。折りたたんだ生地を幅5cmほどにカットする。
 各テーブルにうどんカット装置が用意されていて、5cm幅の生地を上から入れると包丁を使わず生地を細く切ることができる。切ったうどんに打ち粉を振りまき、すぐにビニール袋に入れる。乾燥防止である。

7.大鍋にたっぷりの湯を沸かし、沸騰したらうどんを入れる。しばらくかき回していると、再沸騰してくる。
 再沸騰したら、かき回さなくていい。およそ10分ほどゆでる。1本を試しに食べて確認し、ざるにあげ流水で水洗いをする。

 12時ごろ、うどんがゆであがった。皿に盛りつけ、用意されていためんつゆでいただく。
 自分でつくったせいか、よほどおいしかったのか、200gのほとんどを小5、小3の二人が食べた。元気に育てよ・・私の昼食は帰宅後になった・・。

 
 ということで、うどんづくりを体験した。
 私は麺好きで、土曜の昼にうどん、日曜の昼にそばを食べる。各地の乾麺を買い置きしてあり、手軽に麺を楽しんでいる。
 大鍋にたっぷりの湯を沸かし、表示通りの時間でゆで、少し前に1本取り出して食感を確かめ、うどんは流水でよく洗い、そばは氷水で締めながら洗う。
 かつてそば打ち道具をそろえ、そば打ちに挑戦したが、長続きしなかった。私には手軽にゆでる方が性に合っているようだ。

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