<日本の旅> 2022.7 湯西川を歩く
平家の隠れ里として知られる栃木県湯西川はまだ訪ねたことはない。隠れ里なら人里離れ新型コロナウイルス感染リスクは低いと見込み、全国旅行割支援を活用して湯西川温泉に出かけた。
東北道宇都宮ICから日光宇都宮道路に入り、今市ICで下りて国道121号線を北上する。鬼怒川を渡ると国道121号線、鬼怒川、東武鬼怒川線が並行する。鬼怒川温泉を過ぎる。川治温泉を過ぎると、鬼怒川は西に離れる・・川治ダム、上流に川俣ダムがある・・。
国道121号線は、川治温泉あたりから鬼怒川に合流する男鹿川に添って北上する。五十里ダムを過ぎ、会津鬼怒川線湯西川温泉駅あたりで男鹿川に合流する湯西川に沿って県道249号線に左折すると、ほどなく湯西川ダムの巨大な構造物が見えてくる(写真)。
1947年9月のカスリーン台風で関東地方、東北地方は甚大な浸水被害が発生した。鬼怒川でも3ヶ所の堤防が決壊・破壊し、4ヶ所の護岸が決壊・流失した。
国土交通省は、1956年、男鹿川に五十里ダム(重力式コンクリート構造)、1966年、鬼怒川上流に川俣ダム(アーチ式コンクリート構造)、続いて1970年、川治ダム(アーチ式コンクリート構造)、2012年、湯西川に湯西川ダム(重力式コンクリート構造)を完成させた(図web転載)。
湯西川ダム横の説明板によると、ダムの堤高は119m、堤長は320m、重力式コンクリート構造で、洪水調節と農業用水、上水道、工業用水の供給が目的だそうだ。
温室効果ガス削減、持続可能な社会のためには自然エネルギーである水力発電を期待したいが、湯西川ダムでは水力発電は行われていないようだ。
ダムは見学自由だったが、管理事務所?は閉まっていた。新型コロナ感染対策のためかも知れない。パラパラと見学者が来ていたので、展示室などを開放してくれるとダムへの理解が深まると思う。・・2020年に訪ねた多摩川上流小河内ダムの水と緑のふれあい館は開館していたし、2021年に訪ねた多摩川上流白丸ダムは魚道が公開されていて、ダムの理解が深まった。湯西川ダムも見学者向けのサービスを期待したい。
ダムの途中から119m下をのぞく(写真)。山あいを切り裂くように湯西川が流れていく。やがて鬼怒川に合流し、鬼怒川は利根川に合流し、海に向かう。途中で洪水調節や農業用水、上水道、工業用水として私たちの暮らしを支えている。流れを見下ろしながら、水資源に感謝する。
ガイドブックによると、湯西川ダム湖クルーズと湯西川ダム見学を組み込んだ水陸両用バスダッグツアーが人気だそうだが、新型コロナウイルス感染対策のためか、休止していた。70分ほどの行程で大人3500円だそうだ。水陸両用車は滅多に体験できないし地元経済支援になるが、3500円は少々高嶺の花である。休止ならあきらめがつく。
湯西川に沿って県道249号線を走り、湯西川温泉に着く。温泉宿の先に平家の里があった(写真)。510円の観覧料を払い、冠木門をくぐる。
源平合戦(=治承・寿永の乱1180~1185)に敗れた平家は源氏の厳しい追及を逃れて各地に逃げ隠れた。湯西川にも平家の一族が隠れ住み、鯉のぼりをあげない、鬨(とき)を告げる鶏は飼わないなど人目・人耳を避けて源氏の追究を躱(かわ)したそうだ。
樹林の広がる園内には、茅葺き入母屋屋根の鄙びた民家が9棟再現されている。再現民家は、受付、調度営みどころ、床しどころ、種々伝えどころ、よろず贖(あがない)どころ、お休みどころ(写真)として公開され、かつての生活用品、衣装、工芸品などが展示されている。新型コロナウイルス感染対策のためらしく、応対のスタッフはいなかった。展示品の趣向は、各地に公開されている民家園などとさほど変わらない。
園内にせせらぎが流れている。せせらぎの音を聞きながら緩やかな坂を上っていくと、朱塗りの鳥居の先に赤間神宮が祀られている(写真)。
壇ノ浦の合戦(1185年)で海に身を投じた8歳の安徳天皇を祀る赤間神宮が下関にあるそうで、平家の里開園にあわせ下関赤間神宮から分祀したそうだ。
パンフレットには、平家の里では安徳天皇を偲ぶ先帝祭や平家の復興を祈念する平家大祭の盛大な行列が紹介されているが、新型コロナウイルス感染対策でさまざまなイベントが休止されたようだ。新型コロナウイルス感染が治まり、イベントが復活して賑わいが復興するよう期待し、平家の里を後にする。
湯西川沿いを歩く。岩盤の川床の上を澄んだ水が勢いよく流れている(写真)。この水が男鹿川、鬼怒川、利根川に合流し、太平洋に注ぐ。水の旅は遠大である。
温泉街を歩く。人は少ない。人が少ないとのんびりしてくる。
宿に戻り、温泉につかり、のんびりする。 (2023.4)
平家の隠れ里として知られる栃木県湯西川はまだ訪ねたことはない。隠れ里なら人里離れ新型コロナウイルス感染リスクは低いと見込み、全国旅行割支援を活用して湯西川温泉に出かけた。
東北道宇都宮ICから日光宇都宮道路に入り、今市ICで下りて国道121号線を北上する。鬼怒川を渡ると国道121号線、鬼怒川、東武鬼怒川線が並行する。鬼怒川温泉を過ぎる。川治温泉を過ぎると、鬼怒川は西に離れる・・川治ダム、上流に川俣ダムがある・・。
国道121号線は、川治温泉あたりから鬼怒川に合流する男鹿川に添って北上する。五十里ダムを過ぎ、会津鬼怒川線湯西川温泉駅あたりで男鹿川に合流する湯西川に沿って県道249号線に左折すると、ほどなく湯西川ダムの巨大な構造物が見えてくる(写真)。
1947年9月のカスリーン台風で関東地方、東北地方は甚大な浸水被害が発生した。鬼怒川でも3ヶ所の堤防が決壊・破壊し、4ヶ所の護岸が決壊・流失した。
国土交通省は、1956年、男鹿川に五十里ダム(重力式コンクリート構造)、1966年、鬼怒川上流に川俣ダム(アーチ式コンクリート構造)、続いて1970年、川治ダム(アーチ式コンクリート構造)、2012年、湯西川に湯西川ダム(重力式コンクリート構造)を完成させた(図web転載)。
湯西川ダム横の説明板によると、ダムの堤高は119m、堤長は320m、重力式コンクリート構造で、洪水調節と農業用水、上水道、工業用水の供給が目的だそうだ。
温室効果ガス削減、持続可能な社会のためには自然エネルギーである水力発電を期待したいが、湯西川ダムでは水力発電は行われていないようだ。
ダムは見学自由だったが、管理事務所?は閉まっていた。新型コロナ感染対策のためかも知れない。パラパラと見学者が来ていたので、展示室などを開放してくれるとダムへの理解が深まると思う。・・2020年に訪ねた多摩川上流小河内ダムの水と緑のふれあい館は開館していたし、2021年に訪ねた多摩川上流白丸ダムは魚道が公開されていて、ダムの理解が深まった。湯西川ダムも見学者向けのサービスを期待したい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/01/98b46e2106b52be29a4724eee372168c.jpg)
ガイドブックによると、湯西川ダム湖クルーズと湯西川ダム見学を組み込んだ水陸両用バスダッグツアーが人気だそうだが、新型コロナウイルス感染対策のためか、休止していた。70分ほどの行程で大人3500円だそうだ。水陸両用車は滅多に体験できないし地元経済支援になるが、3500円は少々高嶺の花である。休止ならあきらめがつく。
湯西川に沿って県道249号線を走り、湯西川温泉に着く。温泉宿の先に平家の里があった(写真)。510円の観覧料を払い、冠木門をくぐる。
源平合戦(=治承・寿永の乱1180~1185)に敗れた平家は源氏の厳しい追及を逃れて各地に逃げ隠れた。湯西川にも平家の一族が隠れ住み、鯉のぼりをあげない、鬨(とき)を告げる鶏は飼わないなど人目・人耳を避けて源氏の追究を躱(かわ)したそうだ。
樹林の広がる園内には、茅葺き入母屋屋根の鄙びた民家が9棟再現されている。再現民家は、受付、調度営みどころ、床しどころ、種々伝えどころ、よろず贖(あがない)どころ、お休みどころ(写真)として公開され、かつての生活用品、衣装、工芸品などが展示されている。新型コロナウイルス感染対策のためらしく、応対のスタッフはいなかった。展示品の趣向は、各地に公開されている民家園などとさほど変わらない。
園内にせせらぎが流れている。せせらぎの音を聞きながら緩やかな坂を上っていくと、朱塗りの鳥居の先に赤間神宮が祀られている(写真)。
壇ノ浦の合戦(1185年)で海に身を投じた8歳の安徳天皇を祀る赤間神宮が下関にあるそうで、平家の里開園にあわせ下関赤間神宮から分祀したそうだ。
パンフレットには、平家の里では安徳天皇を偲ぶ先帝祭や平家の復興を祈念する平家大祭の盛大な行列が紹介されているが、新型コロナウイルス感染対策でさまざまなイベントが休止されたようだ。新型コロナウイルス感染が治まり、イベントが復活して賑わいが復興するよう期待し、平家の里を後にする。
湯西川沿いを歩く。岩盤の川床の上を澄んだ水が勢いよく流れている(写真)。この水が男鹿川、鬼怒川、利根川に合流し、太平洋に注ぐ。水の旅は遠大である。
温泉街を歩く。人は少ない。人が少ないとのんびりしてくる。
宿に戻り、温泉につかり、のんびりする。 (2023.4)