yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

2020.1 鬼怒川で年を越し、新年を祝う

2020年01月28日 | 旅行

2020.1 孫に誘われ鬼怒川で年越し・新年を祝う 

 結婚したころは東京に住んでいたので、大晦日の夜は浅草や原宿などに出かけ、行列にもまれながら初詣をして家に戻り、カミさん手づくりのおせち料理を楽しんだりした。
 子どもが生まれ、家を新築してからは、大晦日は子どもを膝に乗せ手づくりのおせち料理をつまみにして一献、年越し蕎麦を食べて年を越し、初日の出を眺めて新年を祝い、家族でおせち料理を囲むようになった。
 子どもが大きくなり、やがて結婚し、私たちはマンションに移り住んだ。おせち料理は簡素化されたが、大晦日は家で杯を傾け、年越し蕎麦で年を越し、初日の出を眺め、おせちをつつきながらシャンパンを開けるなど、家での年越しは長い習慣になった。

 昨年12月中ごろ、娘方の孫から鬼怒川温泉での年越しに誘われた。娘夫婦はTクラブ会員で、家族でリゾートホテルをよく利用するらしい。昨年は年末年始を鬼怒川温泉のリゾートホテルで過ごし、とても良かったそうだ。
 孫からの誘いに応えて長年の習慣を切り替えることにした。外泊の年越しは初めての体験である。
 鬼怒川温泉にはJR+東武直通の特急が走っている。31日、JR大宮駅で孫たちと待ち合わせ、特急きぬに乗った。満席である。鬼怒川温泉などで年を越すようだ。
 Tクラブのリゾートホテルは東武ワールドスクウェア駅から徒歩数分である。孫たちは慣れた足取りで先導してくれた。ホテルは満室だった。至れり尽くせりの接待をしてくれるので、年末年始をリゾートホテルで過ごす人が多いそうだ。

 東武ワールドスクウェア駅の反対側に駅名になっている東武ワールドスクウェアがある。
 1990年代、学術交流や歴史の古い街並み=老街の調査などで何度か台湾を訪ね、そのとき小人国を見学した。1/25の縮尺で世界の建物を再現したテーマパークに驚かされた。
 愛知県犬山には実物大で世界の民族的な建築を再現したリトルワールドがあり、数回、訪ねた。だから東武ワールドスクウェアを聞いてもさほど関心がわかなかった。
 孫たちはまだ東武ワールドスクウェアに入園したことがない。冬期は16:30からイルミネーションが点灯される。寒さ対策をして、出かけることにした。
 園内は現代日本ゾーン、アメリカゾーン、エジプトゾーン、ヨーロッパゾーン、アジア日本ゾーンに分かれていて、1/25模型がライトアップされている。世界遺産47を含む21ヵ国102の模型が展示されているそうだ。そのあいまに光のトンネルや光の散策エリアがイルミネーションで光輝いている。
 イルミネーションナイトマップを見ながら、順路標識にしたがって歩き出したが、曇り空で月明かりがなく、マップはすぐに見えなくなった。孫たちはおもしろい建物を見つけると走り出すのでしばしばはぐれては再会しながら、展示模型を見て回った。精巧につくられているようだが、ライトアップでは光の演出がきわだち、模型とは思えないほど見応えがある(写真は帝国ホテル模型)。
 途中に鎮守の社・縁結び神社があった。孫には縁結びはまだ早いが、二礼二拍手一礼し初詣の予行演習をする。
 雪が舞い、冷え込んできた。ところどころに暖房付き休憩室があり、軽装の外国人らしい入園者が顔を青くして暖を取っていた。寒さ対策万全の私たちも寒さがきつい。娘が園内のレストラン平安に縁結び会席を予約しておいてくれたので駆け込んだ。熱燗で会席を頂く。身体が温まったところでホテルに戻る。

 多くのホテルでは浴室階以外の浴衣姿は禁止である。ここも浴衣姿禁止なのでロビー階のショップで地ビールを購入してから、部屋で浴衣に着替え温泉に向かう。ホテルは鬼怒川沿いに立地していて、ときおり雪がちらつく露天からはせせらぎが聞こえる。ゆっくり湯につかり、1年の疲れをほぐして部屋に戻り地ビールを頂く。
 夜半近くに、ロビーで年越し蕎麦が振る舞われた。こうしたサービスがリピータを呼ぶのであろう。
 テレビで除夜の鐘を聞きながら年越し地ビールを頂く。近年は騒音と騒がれ、除夜の鐘ならぬ除夕の鐘にしたところかえって参拝者が増えたとの報道もある。代わってカウントダウンが広まっている。ホテルロビーでも大勢がカウントダウンを楽しんだらしい。
 ゆっくりだが確実に時代が新しくなっている。

 部屋は南東に向いていたらしいが、二重カーテンで初日の出を見逃した。遅ればせながら少し高くなった日の光を浴び、新年を喜ぶ。
 娘がホテル特製のおせちセットを予約しておいてくれたので、部屋で持参したシャンパンを開け、おせちを頂く。定番通りのおせち料理が格子で小分けされ、彩りよく並んでいる。どれも美味しく調理されていて、箸が迷う。赤飯とお吸い物も付いている。至れり尽くせりの感があるが、日ごろ小食を心がけている私には量が多い。残りを冷蔵庫に入れ、みんなと外に出る。日射しがあり、昨晩のイルミネーションの寒さが嘘のように暖かに感じる。

 午前の予定は花と緑の楽園・日光花いちもんめでのイチゴ狩りである。ホテルから花いちもんめが見えているが、鬼怒川に架かる橋が離れているので歩くと20~30分かかるらしい。
 東武ワールドスクウェア駅前から循環バスに乗る。なんと満員だった。外国人も少なくない。ほとんどの人は日光江戸村で降りた。入口で忍者姿が出迎えをしていて、外国人グループが写真を撮っていた。忍者は人気があるようだ。江戸村はまだ入ったことはないが、孫たちの遠足?修学旅行?先で、上の孫は体験済み、下の孫は今年に行く予定なので、そのまま通過する。
 花いちもんめはベゴニアを始めとする温室植物園とイチゴの温室に分かれている。孫たちはイチゴに目がないのでイチゴ狩りに向かった。私は温室植物園を見学する。かなり広い温室で、ベゴニア、胡蝶蘭、ペチュニアなどが香りとともに目を楽しませてくれる。
 ベゴニアは熱帯~亜熱帯の植物で、立ち木、根茎、球根などの種類があるらしく写真付きの説明パネルも展示されていた。私にはどれも同じように見えるが、色とりどりの花を眺めていると気分が春めいてくる(写真)。のんびり花を眺めながら一回りし、イチゴをたっぷり食べた孫たちと合流する。よほどイチゴが美味しかったのか、にこにこ顔だった。
 みんなはアスレチックなどで遊んでいるというので、私は一人ホテルに戻ることにした。狙いは元旦を祝した樽酒の振る舞いサービスである。

 日射しがあり、歩いていると汗ばむほどの陽気である。鬼怒川も穏やかに流れている(写真)。かつて鬼怒川は絹川、衣川などと呼ばれ、太平洋に注ぐ本流だったそうだ。一方、利根川は下流の隅田川を流れ江戸湾に注いでいた。江戸時代初期、利根川を東遷させ、絹川とつないで太平洋に流す大工事が行われた(book482 家康、江戸を建てる参照)。以来、絹川は利根川の支流になった。明治以降、再三洪水が起きたため?、絹川は鬼怒川と呼ばれるようになったらしい。
 絹川と鬼怒川ではずいぶんと印象が違う。今日の穏やかな流れは絹川といえよう。気分も和む。
 ホテルに戻り、ロビーで樽酒を頂く。さわやかな味である。が、紙コップが気になる。枡で頂きたいが枡がないので部屋のグラスに樽酒を満たし、おせちの残りをつまみに美味しく頂いた。
 ほどなく孫たちが帰ってきた。温水プールで遊ぶらしい。連泊のみんなと別れ、私は所用があるので特急きぬで家路に着いた。

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2016.11 出雲/稲佐の浜・日御碕→国民宿舎さんべ荘→女三瓶山を歩く

2020年01月24日 | 旅行

2016.11 島根を行く ④稲佐の浜・日御碕 国民宿舎さんべ荘・別館松虫草 女三瓶山を歩く   
稲佐の浜・日御碕
 神門通り駐車場を出て勢溜交叉点から国道431号線を左に=西に折れ、大きく迂回しながら整備された国道を走り大社湾に向かった。
 勢溜交叉点のすぐ横に細い道が西に通じている。家並みの続くこの道が「神迎の道」で、旧暦10月10日の夜、稲佐の浜で迎えられた八百万の神々が御神火、龍蛇に先導され、およそ3kmの神迎の道を進み、出雲大社に向かうとされる。が、日常は細い生活道路のようで、気づかず国道を走り抜けた。

 整備された国道431号線は、残念ながら神がかった雰囲気は感じられない。神迎の道も夜に行われる神迎神事でなければ神々しさは感じにくいかも知れないと自分を慰めながら、稲佐の浜駐車場に車を止める。
 緩いカーブを描いた稲佐の浜に波が静かに寄せている。浜の途中の岩に神迎神事をイメージさせる鳥居が立っている(写真)。鳥居に気づかないと神迎えの浜がイメージしにくいが、静かに寄せる波を見つめていると、この浜辺なら神迎えにふさわしいと思えてくる。

 ついでながら、神在祭の神事が終わると出雲大社で神々が去る神等去出カラサデ祭が行われ、旧暦10月26日、斐川町の万九千マンクセン神社から神々がそれぞれの神社に帰るそうだ。

 私なりのロマンでは、渡来人が船で稲佐の浜に着き、土着の人々に文明をもたらしてリーダーである大国主命が神格化されて大国主大神となり出雲大社あたりを居とし、一族が全国に散って文明を広めそれぞれの土地で神格化され、毎年11月ごとに各地の一族が大国主大神のもとに集まって懇談した、渡来人一族が土着の人と縁を結び栄えたことから、縁結びの神として崇められた、ということではないだろうか。伝説では、創建時の大社の高さは現在の高さ24mの4倍の96mとされることからも、渡来人の文明力がうかがえる。
 その後、伊弉諾イザナギ+伊弉冉イザナミをリーダーとする渡来人が上陸し一大勢力を構築、対抗した大国主命勢力は敗退、天照大御神をリーダーとして伊弉諾+伊弉冉一族も神格化され、出雲の地を大国主大神に譲り、天照大御神は伊勢を居とし、神話の主神となった、ということであろうか。神話は古代のイメージを膨らませてくれる。

 当日は、前述の旧大社駅の見学時間にあわせていったん戻ったあと、日本海に沈む夕日絶景の地として知られる日御碕に向かった。日御碕灯台を眺めながら岩場に出る。押し寄せる荒波の先は雲だったので、夕日をイメージしながら車に戻った。
 近くに日御碕神社がある。訪ねなかったが、下の宮=日沈ヒシズミ宮は天照大神、上の宮=神の宮は素戔嗚尊を祀っているそうだ。天照大神=天照大御神の弟が素戔嗚尊である。天照大神をリーダーとする勢力が強大だったことをうかがわせる。

国民宿舎さんべ荘・別館松虫草
 今日の宿は三瓶山中腹の国民宿舎さんべ荘である。日御碕から国道431号線、9号線、184号線を抜け、およそ1時間走って、三瓶山高原道路沿いのさんべ荘に着いた(写真)。
 国民宿舎とは、国立公園・国定公園・都道府県立自然公園・国民保養温泉地など、自然環境に優れた休養地に建つ公共の宿で、全国各地に80ヶ所ほどが開業している。
 インターネットが普及していない30~40年前の旅行では目的地の宿情報がほとんどなく、宿探しに苦労した。現地に着いてから観光案内所などで宿を探すことも少なくなかった。国民宿舎は、確か全国の宿を網羅したパンフレットがあったので?宿が探しやすく、公共なので安心感もあり、比較的料金が手ごろだったので何度か利用した。かんぽの宿、勤め先の福利厚生施設や連携している福利厚生施設の宿も同じような理由でよく利用した。
 しかし、インターネットの普及で宿探しのシステムが格段に向上してからは、アクセス、眺望、宿の雰囲気、温泉、食事、料金などを比較することができるし、JやR、Yなどの予約システムごとに特典、ポイントがあるので、インターネットで宿を探すようになった。今回の島根の旅では三瓶山のハイキングと温泉で検索して国民宿舎さんべ荘を見つけ、Jサイトで予約した。

 さんべ荘は本館と別館に分かれていて、本館は昔ながらの国民宿舎の面影があり費用は廉価(前掲写真)、離れになった別館は古民家風のつくりで費用は割高である。国民宿舎としては割高でも観光地の宿に比べれば割安なので、別館の「松虫草」と名付けられた部屋を予約しておいた。

 「松虫草」は庭に面した和室である。浅学で草花には疎い。webによれば、松虫草とは高原、山中の草地に育ち、草丈は50cm~、松虫=草虫が鳴く8~10月ごろに青紫色の花が咲くことから草虫草と名が付いたらしい。すでに11月、松虫は隠居しているから松虫草は見つけられないが、代わって紅葉が見事な色づきを見せていた(写真)。
 松虫草は、隣に茶室も併設された和室で、長押に第63期王将戦の扁額がかけられていた(写真)。渡辺昭王将と羽生善治三冠七番勝負の第6局がこの部屋で対戦されたようで、由緒ある部屋に泊まったことになる。

 あとでwebを調べ、第63期王将戦は2013年に開局され、第1局は掛川城二の丸茶室、第2局は大田原市・ホテル花月、第3局は箱根町・ホテル花月園、第4局は弘前市民会館、第5局は秦野市・元湯陣屋、第6局がさんべ荘で、第7局は河津町・今井荘で対局された。さんべ荘松虫草の第6局は渡辺王将が勝ち、第63期は4勝3敗で渡辺王将が防衛している。

 羽生善治といえば、7タイトル時代に竜王、名人、王位、王座、棋王、王将、棋聖の全タイトルを独占して世間を驚かせたから、将棋に疎くても知っている。その後、永世竜王、十九世名人、永世王位、名誉王座、永世棋王、永世王将、永世棋聖の永世称号を獲得し、将棋界の花形ともいわれる。将棋好きであればさっそく将棋盤を用意し、対局を追体験するであろうが、将棋の腕は芳しくないので温泉を楽しむことにした。

 温泉はなかなか凝っていた。浴室内は室内浴槽にサウナ、水風呂が並び、これは珍しくない。露天は、広めの岩風呂に続き、桧風呂、陶器風呂、酒樽風呂、釜風呂、桧風呂が列をなしている。それぞれつめれば2~3人は入れそうだが、空いていて一人占めできた。同じ湯のはずだが、素材や形が違うと気分がずいぶんと違ってくる。星空を眺めながら身体を伸ばし、心身を癒やす。ややぬるめで、順番に湯を楽しんでものぼせることはなかった・・朝晩で男女が入れ替わる、同じような趣向だが、湯船のつくり、配置、景色を変えてあり、気分が一新される・・。

 温泉を楽しんだあとの夕食は、半個室の食事処で量少なめの小さんべ会席を頂いた。量少なめとはいえ、蟹味噌の小鉢に始まり、帆立雲丹和えなどの前菜、鯛、かんぱち、牡丹海老などの向付、手打ち蕎麦、鯖寿司の凌ぎ、鮎塩焼きの焼物、河豚、芋などの油物、蒸し物、蓋物、和牛しゃぶしゃぶ、鴨のマリネ・・・・と続いた。量多めの大さんべ会席はどれほどだろうか、想像ができない。
 食事処の廊下に銘酒が並んでいる。島根の酒は馴染みがないので、岩見銀山、出雲誉、開春の冷酒セットを味わうことにした。順に、すっきり、まろやか、辛口といった印象だが、酒にうるさいわけではないのでどれも美味しく飲んで、ぐっすり休んだ。

女三瓶山を歩く
 三瓶山は鳥取県の大山(標高1792m)に比べ標高は低いが、ともに中国地方を代表する山として人気がある。トロイデ型火山で、北側の男三瓶山(標高1126m)、東側の女三瓶山(標高957m)、太平山(標高854m)、南側の子三瓶山(標高961m)、孫三瓶山(標高903m)などが環状にそびえている。豊かな自然のなかのハイキング、トレッキング、登山を楽しめ、温泉も出ることから、訪れる人が多いそうだ。
 三瓶山ハイキング・トレッキング・登山は6つのモデルコースが設定されている(図web転載)。午後の予定と体力を勘案し、東の原駐車場→観光リフト→女三瓶山頂の往復2時間ほどを選んだ。雲が少し出ているが明るく、雨の心配はなさそうだ。フロントでも確認し、国民宿舎さんべ荘を9:30ごろ出た。

 10分ほどで東の原駐車場に着いた。折りたたみ傘、ウィンドブレーカー、ペットボトルなどをリュックサックに入れる。三瓶山登山口の標識を直進すると、コース5の登山路になり、太平山(標高854m)を経て女三瓶山(標高957m)、男三瓶山(標高1126m)に登れる。
 標識を右に折れると観光リフト乗り場である。リフトは、登山口あたり標高580mほど、リフト山頂820mほど、標高差240mを10分ほどで登った。シーズンオフなのか、リフトはがらがらで、斜面のススキが大忙しに揺れながら出迎えてくれた(写真)。

 リフト山頂から女三瓶山頂を目指して歩く。標高差は140mほど、なだらかで歩きやすい。女三瓶山頂(標高957m)まで30分弱だった。三瓶山を環状に取り巻く峰々の雄大な眺めを見ながら、一息つく。最高峰の男三瓶山(標高1126m、写真)がすぐそこに見えるが、女三瓶山~男三瓶山は70分ぐらいらしい。
 男三瓶山から北の原登山口に下れるが、元気な人は子三瓶山を目指してから西の原登山口に下ることができる。さらに山好きな人は子三瓶山から孫三瓶山を制覇し、南の原登山口に下るか、孫三瓶山から太平山を経て、東の原登山口に下ることもできる。太平山から女三瓶山まで歩けば、三瓶山完全制覇になる。三瓶山はいろいろなルートを楽しめる山のようだ(写真左が孫三瓶山、中ほどが子三瓶山だと思う)。
 男三瓶山、子三瓶山、孫三瓶山は目だけの登山にし、一息終えてからリフトに戻った。出会う人無し、鳥の声も静か、ススキも音なしでたなびいている。滑車の音だけ響くなか、駐車場に戻る。往復1時間ほどの山歩きだったが、山の風景は気持ちを大きくしてくれた。 続く(2020.1、2020.2加筆)

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シチリアを舞台にした「モンタルバーノ警部 悲しきバイオリン」はがシチリア人の気質があふれている

2020年01月07日 | 斜読

book503 モンタルバーノ警部 悲しきバイオリン アンドレア・カミッレーリ ハルキ文庫 1999   (斜読・海外の作家一覧)
 シチリアツアーに参加する予定を立てた。20年ほど前のイタリアの旅でパレルモに2泊し、異文化に圧倒された。その後、異文化の旅を重ね、知識も増えた。新たな発見が楽しみである。
 予習復習に本を探し、シチリア・アグリジェント出身の作家アンドレア・カミッレーリ(1925-2019)による、シチリア人モンタルバーノ警部がシチリアを舞台に活躍する推理小説を見つけた。モンタルバーノシリーズは18作品あり、イタリアではテレビドラマ化され好評だそうだ。ツアーで訪問予定の世界遺産に登録されているラグーザもロケ地の一つらしい。
 日本語版は4作目の悲しきバイオリンが先に出版され、2作目のおやつ泥棒が続いて出版されていたので、始めの訳本を読んだ。

 冒頭から、アンチョビーにレモン汁をかけ、オリーブ油と黒胡椒で味付けし、サラダにして食べる話が登場する。P40では、パスタのゆで具合のため電話を無視し、伊勢海老の味噌と雲丹でつくった珊瑚色のソースでパスタを楽しむなど、物語のなかで再三、料理を楽しむ場面が出てくる。表紙絵のモンタルバーノは長身で細身だが、ダイエットを気にする場面もあるから、料理には目がないようだ。あるいは、シチリア人は料理を楽しむのが暮らしの基本なのかも知れない。

 モンタルバーノの婚約者リヴィアはジェノバに住んでいる。リヴィアとの結婚が延び延びになっているらしい。P244・・深い思いやりで結ばれ、地獄の底まで手に手をとって行く決意だった、そうだ。ところが、いきさつは4作目では不明だが、養子に迎えようとしていたフランソワを部下で友人のミミ・アウジェッロの姉家族に預けておいたところ、フランソワは姉家族を選びリヴィアに決別を宣言してしまう。
 リヴィアもフランソワも事件とはまったく無縁だが、こうした日常の光景を事件解決と並行させて描いているのが、テレビドラマ化されるほどシチリア人の趣向に合っているのであろう。
 恋人リヴィアはジェノバに住んでいるので、モンタルバーノは一人暮らしである。物語には事件にからみ何人もの女性が登場するが、モンタルバーノは女性とのきわどい場面を避けている。イタリア始めヨーロッパでは男女関係を大らかに描いた小説が多いが、モンタルバーノはリヴィアへの忠誠が深いようだ。それもシチリアの女性から好評なのではないだろうか。

 モンタルバーノをのせ車を運転していた部下が、道路に駐車されていたダークグリーンのルノー・トゥインゴにぶつけてしまう。トゥインゴには誰も乗っていない。目の前の3階建ての屋敷を訪ねるが、返答がない。気になったモンタルバーノは、夜、屋敷に侵入し、絶世の美女が裸で、わいせつな姿のまま窒息死させられていたのを発見する・・警部でありながら、しかも単独で夜中に侵入するのは理解しにくいが、ドタバタ喜劇的なところもシチリア人好みなのだろうか。
 遺体は、ボローニャで歯医者を開業しているエマヌエーレ・リカルツィの夫人ミケーラと分かる。リカルツィはこの土地を遺産相続し、新婚旅行でここを訪れたときミケーラ夫人が気に入って、3階建ての別荘を建て始めたそうだ。内装はまだ未完成で、ミケーラはモンテルーザのホテルに泊まり、内装工事のため別荘にときどき訪れていた。現場検証では靴、衣類、下着、バッグなどが見当たらない。誰もいないと思って強盗が入り、ミケーラに見つかって殺したのか?。それならなぜ、ミケーラは裸で、わいせつなかっこうだったのだろうか?。

 ミケーラには友人が多く、社交家のようだ。モンタルバーノは、女友達のアンナから貴重な情報を聞く。
 ボローニャで骨董商をしているグィードはミケーラの愛人で、ミケーラとよく会っていたことが分かる・・リカルツィが黙認していた理由は中盤で明かされる。
 事件後、別荘の建築技師ディ・ブラージの息子マウリツィオが行方不明になる。マウリツィオは軽度の知的障害があるが、ミケーラに憧れていたらしい。

 物証が少なく、聞き込み情報からも的が絞れないモンタルバーノに追い打ちをかけるように、気のあわない署長がモンタルバーノをミケーラ夫人殺害捜査から外してしまう。代わりに署長お気に入りで、昇進を狙う機動隊長バンツァッキが捜査を担当する。
 バンツァッキは隠れているマウリツィオのを見つけ出したところ、手榴弾を持って出てきたので撃ち殺してしまう。
 不審に思ったモンタルバーノは手に持っていたのは自分の靴だったこと、手榴弾はでっち上げだったことを調べ上げる。
 では真犯人と動機は何か。

 話を戻して、モンタルバーノが母のように信頼しているクレメンティーナ夫人のアパートの上階に、隠棲した天才バイオリニストのバルベーラが住んでいる。バルベーラはクレメンティーナ夫人のために、毎週金曜、ミニコンサートを開いていた。
 ミケーラ夫人の訃報を聞いたバルベーラは、ミニコンサートでミケーラを痛むすばらしい曲を演奏する。バルベーラを訪ねたモンタルバーノは、ミケーラが曾祖父から値段のつけられないほど高価なバイオリンを相続していたことを知る。一気に事件は解明に向かう。

 物語の構成はありふれているが、マフィアの弁護士が登場したり、シチリア料理が何度も紹介されたり、シチリアの風景が描写されたり、シチリア人の気質をうかがわせる会話がふんだんに織り込まれていたり、人気のテレビドラマというのもうなづける。日本での放映も期待したい。(2019.11)

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