<日本を歩く> 2024.6東京 清澄庭園・小石川後楽園で花菖蒲を見る
6月初旬、花菖蒲が見ごろになった。websiteで調べると、都立庭園の清澄庭園で「花菖蒲と遊ぶ」、小石川後楽園で「花菖蒲を楽しむ」が催されていた。土日には伝統音楽などの催し物もあるらしいが、混雑を避けて平日に訪ねた。
東京メトロ半蔵門線・清澄白河駅で下りる。地上に出ると、向こうに庭園らしい緑地が見え、2~3分で庭園入口に着いた。65歳以上70円で入園する。
紀伊国屋文左衛門の屋敷跡?が、享保年間(1716~1736)、下総国・関宿藩主久世家の下屋敷になり、庭園が作られた(関宿は利根川舟運の要衝で、徳川家の信任の厚い者が関宿藩主に任じられた)。
明治維新、廃藩置県後の1878年、岩崎弥太郎がこの屋敷地を含む土地を取得して社員の慰安、貴賓の招待のための造園を行う。隅田川の水を引いた大泉水、富士山などの築山に全国から取り寄せた名石を配した回遊式林泉庭園が完成するが、1923年に関東大震災の被害を受けた。翌1924年、被害の小さかった東半分が東京市に寄付され、復旧整備されて、1932年、清澄庭園として開園された。
庭園は東西200m、南北250m、広さ37,000㎡ほどで、大泉水と呼ばれる大きな池の周りに緑地が配され、散策路が設けられている。
入口を入ってすぐの緑地に伊豆川石が置かれている(写真)。石には疎いから見ただけではどこの産だとか、どんな種類だとか、どのように鑑賞するのか分からない。運ぶのが大変だっただろうとか、どことなく蛙に見えるなどと思いながら通り過ぎる。ほかにも石が配置されていて産地などが記されていたが、どれも眺めて通り過ぎた。
大泉水に出る。風景が広がる(次頁写真)。写真右手の池に突き出た青い屋根の建物は涼亭と呼ばれる。1909年、国賓として来日した英国のサッチャー元帥を迎えるために建てられた。1985年に全面改装工事を施し、いまは集会場として利用されている。
写真中央の築山は富士山と呼ばれる。視点が変わるので風景の変化が楽しめそうである。
池まで下りると磯渡りと呼ばれる石が並べられていて、水の景色を身近に感じながら歩くことができるようになっている(写真)。踏み面が小さく足下に神経が集中するので水の景色まで気が回らなかった。
大泉水の西の遊歩道を南に歩き、大泉水を東に回り込んで自由広場を抜けると、花菖蒲園に出る。350株ほどの花菖蒲が水辺に沿って植えられていて、白色、薄い紫色、薄い青色の花を咲かせ(写真)、涼しげな景色を見せている。行きつ戻りつ、しばし花菖蒲を眺める。
同好会の人たちだろうか、自由広場に一画に集まり、持参の茶などを飲みながら、撮影した花菖蒲の写真を談義していた。
花菖蒲が途切れた少し先に「古池や かはづ飛び込む 水の音」の句碑が置かれている(次頁写真)。この句は、松尾芭蕉が1685年、隅田川沿いの芭蕉庵で弟子たちと詠んだうちの一句とされる。芭蕉庵は清澄庭園から400mほどと近い。句碑は1934年に建てられたが、芭蕉庵改修の際、敷地が狭かったので東京市に願い出て清澄庭園に移したそうだ。花菖蒲園の風情からは蛙がいてもおかしくないから、あわせて古池も掘っておけば「古池や 蛙飛び込む 水の音」の風景を想像できそうである。
自由広場を東に歩き、富士山に登り、大泉水東の遊歩道を北に歩いて出入口に戻った。
東西200m、南北250mのほとんどを大泉水が占めているので、花菖蒲鑑賞を含めても散策は物足りなく感じた。
清澄庭園を出て食事処を探しながら駅に向かった。駅の少し先に小ぎれいな寿司屋があり、のぞくと満席だったが、ちょうど席が空いた。カウンターでは外国人家族が寿司を握ってもらっていた。にぎり寿司ランチセットは1430円と廉価、ネタは新鮮で美味しかった。人気の店なのかも知れない。
清澄白河駅から都営大江戸線に乗り、飯田橋駅で下りる。2~3分歩くと小石川後楽園西門(写真)に着く。65歳以上150円で入園する。
1629年、水戸徳川家初代頼房がここに中屋敷をつくって造園を始め(1657年の明暦の大火後に上屋敷)、2代光圀(1628-1701)が庭園を完成させた。後楽園は光圀の命名で、中国の岳陽楼記に書かれた「天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」に由来する。光圀の思想がうかがえる。
東西、南北とも300m強、広さは70,847㎡で、神田上水から水を引いた大泉水を中心に、築山を築き、川、滝を設け、稲田、花菖蒲田、蓮田、梅林も作っていて、変化に富んだ回遊式築山泉水庭園になっている。のちの大名屋敷庭園の手本になったようで、清澄庭園も規模は小さいが後楽園を手本に造園されたと思える。
西門から西湖の堤を眺めながら渡月橋を渡り、屏風岩の横の坂を上る。通天橋を渡ると林が深くなり、光圀が史記を読んで感銘を受け、伯夷、叔斉の木像を安置した得仁堂を過ぎる(写真web転載)。
小石川後楽園は何度か来ているので、今回は円月橋、神田上水跡、愛宕坂などは行かず、坂を下って大泉水に出る(写真)。写真中央の蓬莱島を見ながら、池に沿って歩くと松原が広がり、松原の北に花菖蒲田(写真)、稲田が作られている。 花菖蒲田には700株ほどの花菖蒲が面に広がっているので、白色、薄い紫色、薄い青色が遠くまで入り乱れ、見応えがある。花菖蒲の時期には観賞用の木道も設置され、ベビーカーや車いすからも花菖蒲に近づいて眺めることができる。花菖蒲は色合いが淡いせいか風景が静かで、眺めていると気持ちが静まってくる。
花菖蒲田の北奥は梅林があるが時期ではないのでパスし、松原から大泉水に沿って南に歩き、唐門を目指す。水戸徳川家の上屋敷(当初は中屋敷)は小石川後楽園の東、現在の東京ドームあたりにあったらしい。上屋敷の西の内庭を通り、唐門を抜け、後楽園に入る配置だったようだ。唐門は、光圀が後楽園の造園を完成させた1669年ごろの建造と推定されるが、戦災で焼失し、写真、資料などをもとに2020年に復元された(写真)。これまでの入園では復元工事中だったので、見るのは初めてである。
徳川御三家の風格を表す華麗な作りである。扁額の後楽園も同時に復元されたそうだ。
唐門は閉じているので脇を抜けると、大きな池が広がる。池は睡蓮で埋め尽くされ、昼下がりなのに時を忘れた花がポツン、ポツンと咲き誇っていた(写真)。
水辺の風景に真っ白い蓮、清々しい気分になる。
小石川後楽園東口から出て、JR総武線水道橋駅に向かう。5分ほどで着いた。総武線を利用するのは久しぶりである。秋葉原駅の乗換では人の流れに合わせながら上野方面に下る。秋葉原駅周辺の再開発はめざましいが、総武線、山の手線、京浜東北線の様子は記憶のままだった。 (2024.7)