yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

2017孫と雪印メグミルク工場見学、寝る前に乳製品をとるとカルシウム、タンパク質が有効に働く

2017年07月30日 | よしなしごと

小2の孫と雪印メグミルク川越工場見学

 孫が夏休みに入り、出番が増えた。先日は、小2の孫と雪印メグミルク川越工場見学会に参加した。川越線的場駅9時半集合。娘家族はさいたま市西区=私の旧宅に住んでいるので、最寄り駅は埼京線指扇になる。北区のマンションを7時半過ぎに出て、旧宅に8時ごろ着く。8時半過ぎ旧宅を出て、指扇駅8時50分の川越行きに乗り、川越駅で川越線に乗り換え、二つ目が的場駅だった。的場駅で降りるのは始めて。駅前はボーと広がっていて、駅前の賑わいはないが、近くに大学があり、少し先に工業団地があるそうだ。雪印メグミルク川越工場はその工業団地の一角にある。
 駅前に集合した参加者はほとんどママと小学生の組み合わせで、祖父と孫の組み合わせは私たちだけだった。総勢40数名?が徒歩10分ほどの工場を目指して歩き出す。日ごろ、大股で歩いているので、ママ+小学生の行列にあわせると調子が合わず疲れる。
 7~8分歩いたころから工場が現れる。入間川沿いで、関越道も通っているから、工業団地に向いているようだ。いくつかの工場を抜けた先に、雪印メグミルク工場があった。さっそく2階のプレゼン室に入る。入口ドアは前室を挟んで二重になっていて、片方のドアが閉まらないと反対側のドアが開かないシステムだった。防塵や空調コントロールのためであろう。

 プレゼン室で、まず会社の理念、環境への取り組みが説明され、続いて川越工場の製品ラインが紹介された。1989年にデザート工場として操業を始め、2011年からヨーグルトとデザートを製造する雪印メグミルク川越工場となった。工場は6ラインで操業されていて、ヨーグルト系3ラインで10品目、デザート系3ラインで9品目が製造され、多くはコープに出荷されているそうだ。従業員は124名で、24時間操業らしい。工場内にはミルクサイエンス研究所も併設され、機能素材MBPなどの研究開発もされているそうだ。

 ヨーグルトの製造工程は、運ばれてきた牛乳(ここでは主に北海道と栃木の牛乳)を調合→脂肪を細かくし均質化→120°で2秒の殺菌ののち冷却→乳酸菌を混ぜる→容器に詰める→検査→発酵(ここでは後発酵、42°で3~7時間)→急速冷蔵(5~6°で2時間)→完了、だそうだ・・若干、聞き漏らし、聞き損ないがあるかな?・・。

 一通りのレクチャーが終わると、プレゼン室の左側のカーテンが開けられた。その向こうは製造ラインで、プレゼン室から見学できるようになっている。真下の1階にデザート系3ライン、右手の中2階にヨーグルト系3ラインが動いている。といっても動いているのは流れてくる製品の容器が3個や6個などにパックされている工程である。牛乳からヨーグルトを作っていく工程は、ラインの向こうにあるタンクや加熱器、冷却器のなかで進んでいくので、外から見ても工程は分からない。素人には何かが動いていないと、製造ラインが実感できない。パック詰めの製造ラインをたっぷり眺めてから、席に戻り質問時間になった。いつ牛乳を飲めばいいかという質問があった。寝ているときは血液中のカルシウム濃度が下がり、骨のカルシウムが溶け出すそうだ。また、成長ホルモンの分泌も寝ているときに活発になるそうだ。そのため、寝る前に、牛乳、ヨーグルト、チーズなどの乳製品を飲食すると、乳製品中のカルシウム、タンパク質が効果的に働くことになる、という答えだった。曖昧に知っていたが、改めて確認できたのは収穫である。


 見学会が終了となり、集合写真を撮って、的場駅まで戻って解散した。ヨーグルトの製造ラインを見るのは初めてだ。孫の付き添いがなければ見学しなかったと思うが、パック詰めのラインを上からのぞいただけだから物足りない。さて、小2の孫にはどんな効果があっただろうか、いまは分からなくてもしっかり乳製品をとり、大きく成長を。(2017.7)

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平岩弓枝著「ふたりで探偵」はローマ、スリランカ、チュニジア・・ニューヨーク・・を舞台にした妻の添乗+夫の推理

2017年07月29日 | 斜読

book446 ふたりで探偵 平岩弓枝 新潮文庫 1990 (斜読・日本の作家一覧)
 スリランカを舞台にした平岩弓枝(1932-)著「青の伝説」に続いてこの本も読んだ。8つの短編が収録されている。順に、「ローマの蜜月」「スリランカの殺人」「チュニジアの新婚旅行」「ロアールの幽霊」「ハワイより愛を込めて」「ニューヨーク旅愁」「香港の満月旅行」「箱根・冬の旅」である。
 主人公は人気の旅行社添乗員森加奈子と夫の旅行記作家池永清一郎の二人である。実は池永は乗り物が苦手で電車、バスも絶えられない設定である。長距離の移動や海外旅行は考えただけでも苦しくなるらしい。それで旅行記作家?ということになるが、実は妻の加奈子が添乗したツアーでの詳細な記録と記憶、旅先の資料などをもとにすべて想像で旅行記を書き上げてしまう。それは、加奈子もびっくりするほどリアルで、情感にあふれていて、自らの体験をもとにまとめたかのような出来映えのため、人気旅行作家として売れっ子だそうだ。

 8つの短編のタイトルからも想像できるように、平岩氏は旅好きなようだ。自分で魅力的なところに出かけ、そこでの見聞をもとに構想して物語を練り上げる。その旅好き+作家という性分を加奈子と清一郎に分けて本にしたのが「ふたりで・・」といえよう。加奈子+清一郎のふたりあわせると平岩氏ということである。「・・探偵」と題しているように、どの短編も事件が起き、加奈子の見聞をもとに清一郎が解き明かす構成である。加奈子は見聞や推測はするが、推理はしない。推理は清一郎の分担、というより性分であろう。これも加奈子+清一郎=平岩氏ということのようである。

 それぞれの短編は独立していて脈絡も、時間的連続もない。登場人物も加奈子・清一郎の二人を除き、まったく無関係である。加奈子+清一郎に時間経過をつけると、物語がもっと身近になったように思う。たとえば、4月に二人が結婚して間もなく添乗したローマ、6月はスリランカの添乗、国際電話からは同じぐらいの暑さが伝わる、8月はからからに乾いたチュニジアの添乗、・・・結婚1年目に覚悟して箱根のふたり旅・・などの時間経過を設定すると、読者も一緒に添乗し、あるいは清一郎になって推理した気分になって、ふたりの探偵に親近感を覚えるのではないだろうか。

 「青の伝説」では次々と人殺し、行方不明が起きたが、「ふたりで探偵」では殺人は少ない。代わって、ほぼ全編が離婚騒動、夫婦問題である。海外ツアーに新婚旅行が多いことや、そのころ夫婦関係、離婚騒動が社会問題化していたせいであろうか。この本を読んだ2017年も政治家や芸能人の不倫が連日のように報道されている。だから、不倫、別居、離婚・・などは日常のことかも知れないが、設定が少し行き過ぎに感じた。あるいは私がそうした週刊誌的な話題に関心が低いせいかもしれない。いずれにしても、信義を平気で裏切るような人間関係は私の好みではない。

 「ローマ・・」はパリ3泊、ローマ2泊のツアーの添乗で、新婚4組、夫婦、友人同士、姉妹と一人参加の浅野の15人参加だった。帰国後、浅野が2000万円の預金通帳を持ち出し、ホテルで心不全を起こして亡くなる。この話を聞いた清一郎が真相を解き明かす。清一郎が謎解きするまで、結末がまったく予想できなかった。清一郎に謎解きされて、いくつか伏線が張ってあったことに気づいた。推理好きの私にも伏線が読めなかったから、平岩氏の展開に脱帽するが、平々凡々の暮らしを送っていると、とてもこの展開にはついて行けない。浅野はやり手の奥さんにまったく頭が上がらない。ひそかにキャバレーの女とつきあいだし、その女と1年に一度の海外旅行に出かけるようになった。旅行中、同じ部屋だとばれてしまうので、女はバーテンと二人で参加し、夜はバーテンと浅野が入れ替わったそうだ。ところが、バーテンが奥さんに女のことをばらすぞと、2000万円を脅し取った。浅野は大金を渡したことで?、先行きが不安になり?、心不全を起こしてしまった、という展開である。現実離れしているように思うが。

 「チュニジア・・」も私には想像つかない展開だった。チュニジアツアーには10人が参加、高齢者が多く、やや高価なツアーのようだ。一人参加の小林光代はまだ若い。同じくまだ若い高村孝夫も一人参加である。チュニスを観光しているとき、加賀尾政子という老夫人が一人で困っているのに出会わす。政子は息子裕一、妻千花子の新婚旅行についてきたそうだ。あとで考えればこのあたりがすでに怪しいが、私は気にせず読み進めた。千花子は政子が選んだ嫁だったが、異常なほど政子に冷たい。ついに政子は堪忍袋の緒が切れ、ツアーの人々と同行することになり、光代が親切にする。政子が驢馬にぶつかりチュニスの病院に入院することになったときも、光代が献身的に介護する。政子は冷たくあしらう千花子を先に一人で帰国させ、裕一と光代が介護に当たった。後日談、裕一と千花子は離婚し、おって裕一と光代が結婚することになる。千花子も高村孝夫と結婚しレストランを開店する。つまり、もともと高村と千花子、裕一と光代は恋仲だったが、政子の強引さに逆らえなかったため、裕一と千花子が契約して結婚し、千花子が政子に冷たくし、光代が親切にして、千花子の離婚、光代との結婚を同意させるという展開である。やはり現実離れしているように思うが。
 奇想天外さが小説家の醍醐味だろうから、これはこれで良しかな。

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2015グエル公園の広場は砕いたタイルで仕上げられた曲線のベンチ+雨水浸透の砂層

2017年07月27日 | 旅行

スペインを行く52 2015年ツアー13日目+1994年ツアー2日目 グエル公園続き 住宅 ラ・ナトゥーラ広場 市場
 オロット火山の石でできた通路は大きく円を描いているうえ、ごつごつした柱が複列に並んでいるため、迷路のようでもある。住宅地が完成していたら、子どもたちの遊び場になったに違いない。途中で戻る。芝生の斜面にはつづら折れの散策路が下っていて、3階建て、望楼付きの建物が建っている(写真)。これが60戸の予定のうちの完成した1棟らしい。2階からアクセスする設計で、こうした住居がゆったりとした庭を挟みながら互い違いに配置されていく計画だったようだ。これなら、どの住居も斜面を登ってくる風に身体を預け、バルセロナ市街と地中海を眺めながらくつろげる。
 分譲住宅予定地の西に市場として計画された未完の建物が建っている(写真1994)。屋上は行事用の野外劇場=ラ・ナトゥーラ劇場としてデザインされた。60戸の住宅地でも市場を用意し、野外劇場を設けようとしたのは、ガウディとグエルの発想であろう・・至れり尽くせり、羨ましい限りだ・・。
 2015年ツアーでは先にラ・ナトゥーラ広場を見学した(写真、少し手前からの撮影)。広場の先端から遠望すると、市街の先に地中海が見える。大型船も見える。地中海沿岸には、イタリア、ギリシャ、トルコ、エジプト、チュニジア、モロッコなどの国々が面し、ジブラルタル海峡を抜ければ、さらなる遠い世界が広がっている。ガウディもグエルも、世界を意識し、この住宅地に住む人にも世界を感じさせたかったに違いない。
 広場の外周には見事なタイルを貼ったベンチが波を打つように続いている(写真、予約+有料とはいえかなりの観光客で、人の入らない写真を撮るのは至難)。このタイルは焼き上がったタイルを砕いてモザイクのように組み直し、ガウディ好みのデザインに仕上げてある・・ほとんどは助手のジュジョールらしいが・・。
 一説では、割れたり使わなくなった陶磁器を利用したらしい。ガウディに傾倒し、いち早く日本にガウディを紹介した今井兼次(1895-1987)設計の長崎・26聖人殉教の地に建つ聖フィリッポ教会(1962)では使われなくなった陶磁器を多用してあるから、ガウディ+ジュジョールが使われなくなった陶磁器を利用した説は有力に思う。
 ベンチに腰掛けてみた。タイル張りで堅いと思ったが、座り心地はいい。ガイドによれば、ジュジョールは職人を腰掛けさせ、もっとも座り心地のいい形で仕上げたそうだ。発想をしっかり検証するガウディ+ジュジョールらしいエピソードである。
 ベンチの波形はいくつかバリュエーションがあり、座った位置によって目線の向きが変わる。直線のベンチだとどこに座っても同じ風景になるが、波打っていると座る位置によって風景が変わる。凹型のベンチに座ると目線が交わりやすく、親近感が増す。逆に、凸型に隣り合っても視線がまったく交わらないためか隣にいても気にならない。計算し尽くされたデザインとしかいいようがない。
 広場は厚さ60cmの砂敷きで、歩くと足に心地よい。子どもたちが遊び回って転んでも、60cmの砂場だからたいした怪我にはならない、と思った。が、ガイドによれば降った雨を浄化するための浸透層になっているそうだ。もちろん、ガウディのアイデアである。
 バルセロナの年間降水量はおよそ630mmで、東京、埼玉の半分以下である。スペインには台風による大雨、梅雨のような長雨はない。となれば年間630mmの雨を大事に使わなければならない。自然環境に関心の高いガウディは、丘陵地に降った雨を屋上広場に導き、60cmの砂層で浄化してタンクに溜めたのである。この水は後述するトカゲにつながる。
 広場をじっくり見渡す。ガイドが斜面の上に建つ建物を指さした。木に隠れているが、かなり大きな邸宅に見える(写真)。白を基調にした色合いで、曲線のファサードには蔦模様の浮き彫りが施されるなど、格調の高さを見せる。かつてグエルの弁護士が住んでいたそうだ。おそらくガウディは、住宅地を見下ろす高台にグエル邸を計画したのではないだろうか。オーナーにふさわしいデザインにしたのであろう。しかし、住宅地建設が頓挫したため?、グエルが亡くなったため?、代わりにグエルの弁護士が住んだらしい。
 次に、ガイドは広場の向こう側に濃い茶色の大きな建物を指した(写真)。外観の色合いは先ほど見た望楼付き分譲住宅に共通するが、住宅にしては大きすぎる。当初完成した住宅の1棟で、ここにはガウディ自身が住んだそうだ。住宅地計画が中断し、ガウディも他界したので、その後、改修、増築し、いまは小学校になっている。グエル公園が小学生の遊び場、学び場とは羨ましい。
 望楼付きの住宅、グエルの弁護士が住んでいた住宅、ガウディが住んだ住宅の3棟を確認できたから、分譲住宅地はこの3棟ができた時点で中断したとの説が正しいようだ。
 もう一度、広場を一回りした。あちらこちらのベンチの座り心地を確かめたり、地中海を眺めたりした。ここを憩いの場にできる市民も羨ましい。観光客には時間制限がある。市場に降りた。

 市場は、1996年ツアーのときよりタイルの色調が明るい。補修、改修のせいであろう。ドリス式オーダーを載せた凹み模様の86本の柱が高めの天井を支え、天井は柱の区画にあわせた曲面で、モザイクで仕上げられている(写真)。
 柱は床部分で直径1.3m、天井部分で1mとかなり太い。中は空洞になっていて、広場の砂層で浄化された水が地下の水槽に落ちるように工夫されているそうだ。貯水された水は掃除にも利用できそうである。
 天井は6mあり、風がよく通る。涼しいうえに、市場の臭いを消してくれそうである。天井のモザイクが光を反射して明るい。清潔感にあふれた市場になっている。曲面の天井全体は白みのモザイクだが、四季や太陽、月をイメージしたモザイク画、食品を連想させるモザイクも飾られている(写真)。四季、太陽・月は食品を生み出す自然を表し、タコのモザイク?は魚屋、牛のモザイク?は肉屋、野菜のモザイク?は八百屋・・、買い物が楽しくなる。
 グエル公園を訪ねたサルバドール・ダリ(1904-1989)はたいへん気に入り、市場をメインに大パーティを開いたそうだ。ダリのパーティ好きはよく知られている。ルネ・マグリッド(1898-1967)も招かれたというというから、豪華な顔ぶれの賑やかなパーティになったに違いない。続く

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JRで遠出をする場合、往復割引を使うか、とくだ値を使うか、よくよく計算して比較を

2017年07月25日 | よしなしごと

          えきねっと・トクだ値切符に注意、往復割引と比較してから購入を

 娘家族が、夏休みに入って早々ハウステンボスに出かけることになった。その間、孫支援は休みになる。この機会に私たちも出かけることにして、急きょ、北海道新幹線で函館散策を計画した。
 さっそく、インターネットでホテル+新幹線のセットを探したところ、N社に手頃なセットがあった。往路は午前早めのはやぶさ、復路は午後遅めのはやぶさを第1希望、第2希望として申し込んだところ、2時間ぐらい経って、往路の希望は満席、夜着しかないとの回答がEメイルで来た。
 しかし、新幹線空席状況を調べると残席少しありになっていた。N社への申し込みを取り下げ、ときおり使うえきねっとで指定席を予約することにした。
 えきねっとを開くと、往路はとくだ値5%の席が空いていた。とくだ値は乗車券と指定席券がセットになっていて、乗車日までの期間によって5~25%を割り引く仕組みである。私が見つけたのは5%割引だから、仮に、乗車券片道1万円+指定席券片道1万円の場合、計2万円の5%引きで、19000円になり、1000円の得になる。まさに、とくだ値である。
 とくだ値5%で往路を仮予約してから、復路を探したところ、とくだ値は空席がなく、普通席しか空いてなかった。つまり、復路は乗車券1万円+指定席券1万円=2万円になり、合計は往路19000円+復路20000円=39000円になった。
 ここで電卓をたたき、しっかり計算すれば良かったのだが、N社の満席情報、えきねっとでも残席わずかだったため、座席確保に頭が固まっていて、そのまま予約してしまった。
 それでも頭のどこかで気になっていたらしく、寝ているときミスに気づいた。翌朝、電卓をたたく。乗車券は片道の営業キロが601km以上の場合、往復とも乗車券は10%割引になる。いわゆる往復割引である。つまり、往路1万円+復路1万円=2万円は10%割引で18000円になる。指定席券は割引がないので往路+復路で2万円となり、合計で38000円、往路だけとくだ値を使った予約より1000円安い。
 これは仮に乗車券1万円、指定席券1万円と仮定した場合で、乗車券が高くなればなるほど往路だけとくだ値を利用したときより有利になる。しかも2人分だから倍になる。
 反省したこと/601kmを超える遠方に出かけるときは、とくだ値と往復割引をよく比較して予約すること。往復ともとくだ値が適用できれば得になるが、片道だけの場合は往復割引の方が有利になるかも知れない。
 小さな勝負だが、とくだ値、往復割引を上手に使うと、ささやかな得がある。

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1982生活空間再考「町をつくるということ」で町をわがものにと論じた、35年経っても通じるが、私も年を取った

2017年07月24日 | studywork

 1982年に建築とまちづくり誌に連載した1稿、旧ホームページから見つけたので再掲する。ずいぶんといきがってまとめてあるが、いまでも通じると思う。ただし、私の方が年を取ってしまった。
生活空間再考2 「町をつくるということ」 建築とまちづくり誌
 町づくりにとってもっとも大事なことは、そこに住む全ての人々が、町をわがものにできることである。

 そこに住む全ての人々とは、歴史の流れの中でみれば、自分の親であり、祖父母であり、曾祖父母、そのまた曾祖父母・・・であり、また、子どもであり、孫であり、曽孫、曽・・孫であり、地理の広がりの中でみれば、兄弟であり、隣人であり、知人であり、彼等の家族・隣人であり、そのまた、家族・隣人・・・であり、つまりそのまちに関わりのある人々の全てである。
 わがものにできるとは、町に住む人々が心身ともに、自由で、快適で、納得のできる生活を送ることができることである。無論、この世の中、離れ小島での孤立した気ままな生活を送るのとはわけが違い、人々は血縁、地縁を基盤とした様々な契機でつながっているのであるから、自我の欲するままの行動は慎まねばならないのは当然であり、社会通念上の一定の規範を守るうえでの、わがものである。加えていえば、人の一生が自分の意志ならず、生を受け、育ち、死する神の思し召しの中であってみれば、幼児も老人も、男も女も、ハンディのある人も全て等しく生活を享受できること、これをお互いが共通の認識として持つこと、すなわち、全ての人が共に生きるという思想を持つことを基本としたうえでの、わがものである。
 ところが現実の毎日の生活を振り返ってみれば、町をわがものにできるどころの話ではない。借りてきた猫のようにじっとしていても、環境は日に日に悪化し、生活を脅かしつつある
 陳述A、「いつの間にか緑豊かな自然が壊されて、造成工事が始まっています。我々の生活とは無縁のものが、我々の意志の一カケラの反映も無く作られようとしています」「弱い人が困っています。手を貸してあげねばますます弱い立場になってしまいます。明日は我が身かも知れません。皆さんの問題でもあるはずです。立ち上って下さい」
 しかし多くの人々は、スーパーの食品には不安が多いと、自然食品や無添加食品と銘うった商品を探し求める一方で、朝食抜き、流れ寿司の昼食、休日のファミリーレストランでの食事を楽しみに待つ食事形態、子どもの教育は何でもいいから早いうちにと、ピアノに英語に、体も鍛えておかねばとスイミング等々スケジュールに余すところ無しの教育方針、奥方はといえば、「子どもよ父ちゃんよ、隣だけには負けないで!、私も頑張るわ」「めざめよ、立ち上れ、男女平等なり」と内職にパートに、臨時社員にセールスウーマンに、果ては華麗なる夜の職業に精を出し、片や世帯主の肩書きを待つ主人殿は、毎日毎日ミスを出さず、問題を起こさず仕事はなるべく少なくこなし、うまく行かないことがあればナケナシの金をはたいてキャバレーヘ、「あらヘーサンしばらくね」などと言われて有頂天、懐さびしい時は安スナックのカラオケでガナリ声、へたな歌をほめられて調子に乗ってカラオケセットを買いこみ、近所迷惑も考えず歌い出す(奥方も子どももこの方が安上りと忍あるのみ、時には悪乗りして一緒に飲めや歌えの大騒ぎ)、待ちに待った日曜日はいつもより早く起き、奥方や子どもの目をすり抜けゴルフにツリに、金の無い時はソフトボールに熱中の小市民的家庭環境である。これでは、突然の事態になす術を待たないのも無理はない。
 陳述B、「皆さんは、上でもない下でもない新中間層と深く自認しているようです。最大の夢であるマイホームに安住の地を求めているように見受けられます。・・・そんなことではいけません。これでは巨大な管理機構の中に、すっかりはめこまれてしまいます。人間として主体的でなければいけません。町は皆さんが主役なのです。皆さんでつくるものなのです。・・・かけがえの無い自然を守りましょう。歴史的な景観、文化的な遺産への認識を深めましょう。生活環境を見つめ直しましょう。目覚めて下さい」
 やっと気を取り直した町の主だった人の答弁はいわく「この町からは○○先生を選出しており、町の意向は行政にしっかり反映してもらっている」、「そのような難しい問題は専門家でなければわかりません」、「賛成多数は民主主義の原則であり、絶対である。皆が良しといっているのだ、個人的な意見は控えられたい」
 町づくりとは、行政が行なうことでも、専門家に任せておくことでも無いし、まして個人のレベルの問題でも無いはずである。
 内田雄三氏は「手づくりの都市・住宅政策を求めて」(平凡社カルチャーtoday ③住む)の中で、マンション建設反対運動に立ち上った住民が、生活環境とは何であるかに目覚め、地域空間の自主管理へと発展していく過程を報告している。これは住宅供給を旗印しとしたマンション建設計画に対し、当初は「地域空間とは異質な中高層マンションの建設により日照、日射、開放感、プライバシー等の環境が損われる」こと、「地域の将来ば自分達で決める」ことを主張して、「地域外の大手不動産資本により、地域の空間の変容が一方的かつ半強制的に進行させられることに対する抵抗」であった。

 結果的には環境協定を締結することで合意に達したのであるが、この運動の過程で、住民は一つには地域環境総体への視点を持つものとなり、一つには近隣のコミュニケーションを回復し、お互いに相手の生活を思いやりつつ行動することになるという大きな成果を得た、と述べている。
 さらに氏は、運動の中で日照の意味に始まり環境の意味、空間の意味について人々が自分の問題として深化させ、豊富化させるとともに、直接的なコミュニケーションを回復し、地域に対する共同主観をつくり得たという意義は大きなものであり、行政から示される計画や政策に対し住民が検討し賛否を表現する形では、住民の環境や空間へ具体的に関与する機会を奪い、地域の共同主観の形成、すなわち、町づくりの芽を摘みとってしまうと指摘している。

 私が専門委員の1 人として関わってきた、S地区綜合10 ヵ年計画策定においても、住民一人ひとりが直接的コミュニケーションを軸に、共有の価値観を形成し、地域空間の意味を理解し豊富化していく過程をみることができる。計画の中間報告集「まちをつくるということ」から引用すると、「・・・上述のプロセスが経過する約一年間に渡り、我々は人々の間に入り直接話を聞き、地域の生活を実感として肌に感じながら作業を進めてきた・・・地域内の生活全般にわたる各集会に参加し耳を傾け、話しあい、生活そのものを共に見つめてきた・・・住民からの非常に具体的・即物的な問題提起、広汎な生活実態からの問いかけに対し、絵・模型・スライドを用いて直にコミュニケートし理解しあう形をとった。こうして共有の価値観を育て、生活の総体性を計画に落しこむ努力を住民とともに続けるなかで、彼等は次のようなすばらしいまちづくり6 原則を打ちたてたのである。
1.ここは、われわれの永住する町である
2.すべての地域住民を対象とする町づくりである
3.人間のつながりを大切にする住環境づくりである
4.住民の健康を守る町づくりである
5.老人・子ども・身体障害者がのびのび生活できる町づくりである
6.近隣住民に開かれた町づくりである
 私達専門委員が果した役割は、住民が空間の意味を自から深化し共有化していくための誘発剤にすぎない。専門家の持つ知識や能力がいかに高く優れたものであっても、住民がそれを手中におさめなければ決して生きたものとはならないのである。
 このようにそこに住む全ての人々が町をわがものにするためには、①お互いを思いやり共に生きるという認識をもつこと、②町づくりの主役は自分であることに目覚め主体的に行動すること、③直接的なコミュニケーションを軸として人々がしっかり手をつなぐこと、であり、専門家の果す役割は答を提示することでは無くて、④住民のなかにあってその知識・能力を住民と共有していくこと、であると要約できよう。

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