yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

「質素なドイツ人のゆとりある生活」斜め読み

2015年04月30日 | 斜読

b395 質素なドイツ人のゆとりある生活 大槻彰子 祥伝社 2002  斜読「日本の作家」一覧 

 ドイツ北東部の旅=2015年5月が近づいてきた。異文化の旅には、旅先の知識をあらかじめ吸収し、あわせて気持ちを高めておくと得るものも感動も大きくなる。ドイツに関する本を探そうと図書館に出かけた。何冊か手に取ったがまだ気分が乗っていないせいか内容が重すぎた。
 この本は、ドイツでの生活体験をもとにしたエッセイのようで、気軽に読めそうと思って読み始めた。
 結果的には、ちょっと軽すぎた。2007年の南ドイツの旅の前後で読んだ何冊かの一つb159「ドイツ快適住宅物語」はドイツ人と結婚した日本人の本でエッセイながら内容が深かったし、b175「シュタイナー教育を考える」は子どもをシュタイナー学校に入れた日本人の本で、「・・ゆとりある生活」を軽く感じたのは、頭の隅で「ドイツ快適住宅・・」「シュタイナー・・」を思い出していたせいかも知れない。

 著者大槻氏は、音楽専攻で、大学生のころベルリンに留学し、卒業後は音楽の教師となった。40代半ばに学術研究休職をとり、主にドイツリート=歌曲を学ぶためにハンブルクの音楽院に留学し、そのときに感じたこと、考えたことをまとめたのがこの本である。
 大槻氏はたいへんまじめで、努力家のようである。加えて、学術研究休職で歌曲を学んでいることもあり、さらには日本の教え子たちのことが頭から離れないらしく、アパートと音楽院とコンサートホールやセラピーセンター、スーパーなどの限られた場所を往復していて、そこで感じたこと、考えたことのエッセイのため、限られた範囲に偏ったのかも知れない。

 エッセイで取り上げている内容を目次で紹介する。
プロローグ 23年ぶりのドイツ
1章 ホッと息が吐ける街・ハンブルクで
日曜の静かな朝と「閉店法」
緑がいっぱい、枯れ葉集めは大変だけど
バスからスロープが下りてきた!
自作の歌を聴かせてくれたタクシーの運転手
愛犬の亡骸を盗まれたおばあさん
オペラ劇場で出会ったお医者さん
気持ちのいい挨拶

2章 自らの責任において
必要な音、要らない音
改札のない駅と、無銭乗車とドイツ人
真夏にオーバーを着ている人
ピアスをした警察官
頑固なバスの運転手を動かした人々

3章 長期休暇とドイツ人
ドイツ人は「休むこと」にも、また勤勉
親子で過ごす宿題のない夏休み
リフレッシュした先生に教わる心地よさ

4章 音楽院の1学生に戻って
生徒を楽にするトゥーラのレッスン
「上手になりたければお散歩をしなさい」
「Akikoにフロイデ(歓び)を持たせたい」と言ってくれる先生
試験前日の私の狼狽、そしてトゥーラの言葉
真冬の小さなプラットホームで
自分に点数を与えることなく、楽しむということ

5章 厳しく温かい子育ての現場で
スイカの食べ方を教えられた私
食事のルール
声を殺して泣いたフローリアン
「まま、セックスってどうするの?」
みんなに一つずつイチゴがなった
親の手作りのアドヴェントカレンダー

6章 子供の個性を育むために
勉強は学校でするものよ
ハリネズミの世話をする子供たち
十歳の学校選び
ギムナジウムに進んだフローリアン

7章 ハンブルクの学校と子供たち
国籍さまざまな子供たちの学校祭
だれもが一度はつっかえる、だけど楽しい発表会
実習生の授業を参観して
エピローグ 参列者13人のお葬式

 目次を読んでも著者の大槻氏が、身の回りの出来事をさらりとまとめた雰囲気が伝わってこよう。ドイツ人の感じたこと、考えたこと入門編として気軽に読めばいい。ただし、大槻氏はしっかりとドイツ人の感じたこと、考えたことを見極めていて、それは対する日本人の感じたこと、考えたことと対比させているからなのであるが、ややもすると大槻氏はドイツ流を賞賛し、日本流を卑下しすぎる嫌いがある。
 自分の教え方の反省でもあろうが、文化の違いを互いに認めることが基本だから、ドイツから見た日本なりの良さも書き加えてほしかった。
 大槻氏と同じように、ドイツに留学して音楽を学ぼうと考えている人には・・私は門外漢だが・・参考になるところが多いと思う。 (2015.4)

 

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斜読「霧に消えた約束」 舞台はモディナ

2015年04月26日 | 斜読

b394 霧に消えた約束 ジュゼッペ・ペデリアーリ 二見文庫 2005  斜読・海外の作家一覧

 原題はCamilla Nella Nebbia=霧のなかのカミッラである。カミッラは、主人公となるモデナ市警察少年課警部の名前である。
 読み終えても、約束らしいことはどこにも登場しなかった。訳題は、カミッラの思い、カミッラの願い、カミッラの期待が消えたといった意味合いを込めたのかも知れない。
 天候としての霧も本のなかではとくに出てこない。これも曖昧なまま、不鮮明なまま、分かっていてもどうにもならないといった、霧でぼんやりとしか把握できない状況を意味しているようだ。

 モデナはイタリア北部の歴史的な町である。2014年のイタリアツアーで訪ねていて、本に出てくる大聖堂や柱廊は記憶に新しい。しかし、わずか半日の見学だからカミッラが誘われたレストランには寄っていない。モデナはバルサミコ酢の本場で、これは市場で購入した。本には市場は出てこないが、バルサミコ酢の料理が紹介されている。そうした体験と物語が重なると親近感がわいてくる。

 冒頭、カミッラらは巡回中に娼婦の格好をさせられた死体を発見する。モデナの上流階級の裕福な家庭の娘で近く結婚する矢先だった。カミッラは、被害者の足もとにコンフェッティ(結婚式で配られる砂糖菓子)が落ちていたのに気づく。
 モデナは歴史のある都市で、裕福な家系もある一方、外国人の娼婦がたむろする地区もあるそうだ。カミッラは・・つまり著者は・・、表舞台の晴れやかな社会の裏にはかげりを帯びた社会があり、正義感を持ち続けるものの力が及ばない現実に途方する。

 次の殺人事件が起きる。ここで犯人が登場し、犯人の目線で殺人の展開が記述される。事件現場あたりは麻薬中毒がたむろする場所で・・これも裏社会のかげりである・・、被害者は麻薬中毒者の格好をさせられて発見される。
 この被害者もモデナの上流階級に属し、新婚だった。やはり足もとにコンフェッティが落ちていた。
 カミッラは少年課だったが、最初の事件の発見者だったことから連続殺人事件を担当することになる。二つの事件の共通点を考えながら聞き取りをしていて、二人が同じ高校の同じグループに所属していたことに気づく。

 カミッラが聞き取りをしていたとき、偶然、マルコという資産家に出会う。間もなく、マルコの妻が高級車のなかで娼婦の格好をさせられて殺されているのが発見される。マルコ夫人もモデナの上流階級で資産家だった。しかも二人の被害者と同じ高校の出身だった。
 新聞は、3つの事件が同じ犯人によ連続殺人と報道し、町なかは戦々恐々となった。カミッラは、この事件現場にはコンフェッティが落ちていないことに気づく。
 ここまで読んでくると、始めの二つの事件の犯人像がおぼろげながら浮かんだり、マルコの怪しさが気になり出したりするが、なんとカミッラはマルコに引かれてしまい、再三、ベッドをともにすることになる。

 カミッラは同じ高校の同じグループの仲間に聞き取りを重ねていく。どうやら高校時代のパーティが動機になったらしいことに気づき、犯人の目星をつけるが、証拠がない。そこでおとり作戦に出る。目星をつけた人物が現れるが気づかれ、逃げられてしまう。マルコに気を許していたカミッラはその顛末を話してしまう。
 証拠が見つからず犯人検挙に手詰まりになっていたとき、犯人がウエディングドレスを着て、首吊り自殺をする。室内から証拠も見つかり、3つの連続殺人事件が一挙に解決し、カミッラは有名人になる。
 ところが、マルコが姿を消してしまう。一方で、自殺した犯人と同居していた足腰の弱い叔母が、犯人は虫が嫌いなので必ず窓は1cm以上開けたことがないのに自殺したときは大きく開けられていて不思議だ、とカミッラに告げる。

 カミッラは事件を一つ一つ思い出して整理しているうち、事件の全容がおぼろげながら浮かび上がってくる。ヒントはコンフェッティである。おぼろげな全容だから「霧のなかのカミッラ」なのであろう。
 モデナの近くにサンマリノGPが行われるサーキット場があり、1994年、アイルトン・セナがレース中に命を落としているそうだ。本のなかでも路上レースが登場する。
 マルコはフェラーリの運転がうまくプロ並みだそうだ。本の最後で、マルコはフェラーリに乗り、路上レースに挑戦する。そして消えていく。
 訳題の「消えた」はフェラーリに乗ったマルコが消える、あるいは事件解明が消えてしまうといったことを暗示しているのかも知れない。  (2015.3)

 

 

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ダン・ブラウン著「ロスト・シンボル」

2015年04月24日 | 斜読

b393 「ロスト・シンボル」上・中・下 ダン・ブラウン 角川文庫 2012  斜読・海外の作家一覧

 2000年の「天使と悪魔」、2003年の「ダ・ヴィンチ・コード」に続くラングドンシリーズの第3作になる。
 ラングドンはハーヴァード大学教授、専門は宗教象徴学の設定である。宗教象徴学は聞き慣れない学問だ。宗教に関する象徴の研究と考えてもまだピンと来ない。
 象徴をそのまま英語に直せばシンボルsymbolとなり、この本のタイトルThe Lost Symbolとつながってくるが、まだ意味がつかめない。
 インターネットで調べると象徴学を記号学、記号論に置き換えて解説している。厳密なことを棚上げにして、ある人Aが仲間Bだけに何かを伝えたいとき、言語を使うと同じ言語を使うCにも知られてしまう。AやBたちの仲間だけの秘密にしておきたいときは仲間だけで通用する記号=暗号を用いれば、知られたくないCには秘密にできるし、時代を超えて後世にも秘密を伝達することができる。
 そういった象徴=記号=暗号は確かに私たちの周りには無数に存在しているが、解読法は仲間だけにしか伝わっていないし、ときには解読法が忘れ去られてしまうこともある。
 ラングドンは、象徴=記号の解読法を解き明かし、象徴に秘められた意味を読み取る専門家と考えればいい。確かに、第1作「天使と悪魔」も第2作「ダ・ヴィンチ・コード」も象徴が重要なキーになっていた。

 第3作では、フリーメイソンに伝わる石のピラミッドに記された象徴=記号=暗号がキーになっている。フリーメイソンも、日本などの木造建築の国では馴染みにくい。
 ヨーロッパの石工職人をメイソンといい、城塞、聖堂、居館などが盛んにつくられた時期に石工職人の組合が連携し、フリーメイソンと呼ばれた。
 そのフリーメイソンが社会の表舞台から姿を隠し、秘密裏に、厳密な規範のもとで活動が続けられた。会員組織も厳格な位階性があり、この本では最高位が33位階となっている。
 この本の冒頭で、マラークと呼ばれる男がフリーメイソンの秘儀参入式・・33位階のフリーメイソンが剣でマラークに触れ、マラークは誓いの言葉を述べたあと、ドクロに注がれた赤ワインを飲む・・の秘密めいた様子が描写されている。
 実はこのマラークが事件の張本人で、フリーメイソンに伝わる石のピラミッドに隠された象徴をラングドンに解き明かさせようと綿密な計画を練っていて、ラングドンが巻き込まれていく展開になっている。

 舞台はアメリカ・ワシントンDCで、下巻に地図が添付されている。その地図によると、ワシントンDC中心部は格子状の道路で区画されていて、右手に連邦議会議事堂、議会図書館、中ほどやや左にワシントン記念塔、左端にリンカーン記念堂、上巻冒頭に登場するテンプル会堂はワシントン記念塔の真北に位置する。
 事件は、ラングドンが親友のピーター・ソロモンから緊急の講演を依頼されて会場の連邦議会議事堂に着いたところ、講演はでっち上げで(あとでマラークの仕組んだ罠と分かる)、会場にピーターの右手首が指を折り曲げられ、入れ墨されて置かれていたところから始まる。
 ピーターは代々資産家で、スミソニアン協会会長を務める歴史学者であり、あとで分かるがフリーメイソンの第33位階であった。息子がいたが、父に反抗して家を飛び出し、イスタンブルの刑務所に服役中に撲殺されてしまう。
 子どもを助けられなかったことで妻は離縁し、ピーターは母と一緒に暮らしていたが、大男が侵入してきて母を撃ち殺してしまう。
 狙いは、ピーターが保管していた石のピラミッドだった。ピーターは犯人を追いかけ、拳銃を撃ったところ、大男に命中し、大男は氷の張った川に落ちて流されていった。ところがこの大男は生きていて、この大男がマラークであることが分かってくる。

 ラングドンが連邦議会議事堂でピーターの右手首にびっくりしていたところへ凄腕のCIA保安局長サトウが現れ、ラングドンに、国家の安全にかかわることだから石のピラミッドに隠された秘密を解き明かせと迫る。
 ピーターをなんとか助けたいと思ったラングドンは、ピーターの折り曲げられた指や入れ墨が象徴になっていることに気づく。その入れ墨のSBBⅩⅢとは、通常は人が出入りしない議事堂の地下2階の部屋を指していて、ラングドンとサトウはSBBⅩⅢの壁にかけられた帆布の奥に隠されていた石のピラミッドを見つける。
 ピーターには純粋知性科学を研究する妹キャサリン・ソロモンがいる。純粋知性科学によれば、意識や思考には質量があるばかりでなく、意識や思考が肉体から離れて働きかけをすることができるらしい。そのキャサリンにもマラークの魔の手が忍び寄ってくる。危険を察知したラングドンの知らせで間一髪、キャサリンは助かり、ラングドンと議会図書館で落ち合う。

 後半になって、アメリカ建国にかかわるジョン・アダムス、ベンジャミン・フランクリン、トマス・ペインらはフリーメイソンであったことが紹介される。
 彼らはワシントンDCのどこかに「古の神秘=古の英知」の秘密を隠していて、石のピラミッドの象徴は「古の神秘」に至るための地図だったことが分かってくる。
 マラークはこの「古の神秘」を手に入れるため、宗教象徴学が専門のラングドンをおびき寄せたのであった。
 ピーターの命は危ないと脅しをかけてくるマラーク、一刻も早くピーターを助けようと石のピラミッドに隠された象徴を解き明かそうとするラングドンとキャサリン、国家の安全を守るためにはピーターの命をあきらめて石のピラミッドに隠された象徴を解き明かせと迫るサトウが三つどもえで絡みながら、ワシントンDCを舞台にスリリングな展開を見せていく。  

 後半に大どんでん返しが用意されていて、事件はあっけなく幕を閉じてしまう。が、その後、助け出されたピーターとラングドンにより「古の神秘」に至る地図の謎解きや、「古の神秘」とはいったい何を意味するかが述べられていく。
 ラングドン、ピーターとキャサリン、マラーク、サトウらの主演者によるスリリングな展開はさすがダン・ブラウンであるが、私には、ダン・ブラウンがフリーメイソンによるアメリカ建国の秘話や、宗教とくに聖書が行間に隠している意味を読者に伝えようとしているように感じた。(
2015.4読)

 

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479 イタリア紀行2004-26 ヴェネツィアの巨匠ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」に目を奪われる

2015年04月21日 | 旅行

イタリア紀行2004-26 イタリア4日目 ウルビーノのヴィーナス オルサンミケーレ教会 サンタ・マリア・デル・フィオーレ

ウフィツィ美術館見学の最後は、ティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」である。ティツィアーノはヴェネツィアを代表する巨匠で、ヴェネツィアの公認画家として数多くの作品を残している。
50代のころ、ローマに出て描いたのが「ウルビーノのヴィーナス」で、ますます名声が高まり、神聖ローマ帝国のカール5世=スペイン王カルロス1世、息子のスペイン王フェリペ2世からも信望が厚かったそうだ。
ルネサンスはフィレンツェで花開き、その後ローマが中心となり、そしてヴェネツィアでルネサンスが盛んとなる。その絶頂期の一人がティツィアーノである。
ウルビーノはフィレンツェの東110kmほどに位置する公国で、君主のグイドバルド2世が妻のためにティツィアーノに依頼したのが「ウルビーノのヴィーナス」である。
ほぼ等身大の女性がベッドの上で裸のまま横になり、妖艶な目でこちらを見つめているなかなか官能的な絵である。
ヴィーナスの足もとには犬が寝ている。犬は従順の象徴だそうだから、主人に対する愛と忠誠を意味しているらしい・・絵を贈られた夫人はどんな心境だったのだろうか?・・。
この絵は、その後、ゴヤの「裸のマハ」やマネの「オランピア」、さらにはアングルの裸婦像にも影響を与えたそうだ。
ウフィツィ美術館でルネサンスの醍醐味を鑑賞することができたのだから、これだけの名作を集めたメディチ家の財力と芸術への理解に感謝しなければならない。
それにしても、どうしてこの時期にフィレンツェに集中して天才が生まれたのか、不思議だ。
疑問を考える間もなく、ガイドはサンタ・マリア・デル・フィオーレに向かった。
その当時、世界最大の大聖堂で、いまでも世界3位?4位?の大きさを誇っている。石を積んで・・レンガも使うが・・高さ114mの大天蓋を築いたのだから素晴らしいを超え、すごいと思う。114mは38階建てのビルに相当するのだから。

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478 イタリア紀行2004-25 盛期ルネサンスの3巨匠レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロを鑑賞する

2015年04月19日 | 旅行

イタリア紀行2004-25 イタリア4日目 ウフィツィ美術館 受胎告知 ヴェッキオ橋 聖家族 レオ10世と2人の枢機卿

ウフィツィ美術館ではルネサンスに絞った作品の見学だった。教科書では盛期ルネサンスの3巨匠としてレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロを学んだように記憶している。
 ボッティチェリに圧倒されたあとにもかかわらず、レオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」でまたまた目を奪われた。なんと、20才になったばかりの作品にはすでに神々しさがあふれている。表現も緻密である。人体の形、動きは実に正確で、生き生きしているのはたぐいまれなる観察力によるのであろう。
右手のマリアと左手の大天使ガブリエルの動きで三角形を構成していて、安定感をつくり出している。その三角形の中ほどの奥にぼかした山が描かれている。ルネサンス初期に遠近法が使われ始めたが、レオナルドは遠くのものをぼかすことで遠近感を強調している。この空気遠近法を編み出したのがレオナルドであった。
 続いてミケランジェロの部屋で「聖家族」を見た。やはり20代の作品である。中央のマリアが体を大きくひねり幼子イエスを抱き上げて後ろのヨセフに渡そうとしてる動きのある作品である。ミケランジェロは彫刻に秀でた才能を見せただけに、この絵も立体的である。背景の手前にヨハネが描かれ、その奥に裸の男が描かれている。ミケランジェロは作品にメッセージを込めるのが得意で、「聖家族」では背景の裸の男が未開の時代、ヨハネが旧約聖書の時代、そして手前イエスによって人々が救済されることを意味していると考えられている。
 ミケランジェロの部屋の奥がラファエロの部屋で、ここで「レオ10世と2人の枢機卿」を見た。ラファエロは20才のころフィレンツェに出てきて、メディチ家の復興をなした枢機卿ジョバンニ認められ、ローマに向かうことになる。ローマではヴァチカンのラファエロの間などよく知られた作品を残す。ジョバンニはやがて教皇レオ10世になり、暗殺されたジュリアーノ・デ・メディチの遺児ジュリオが枢機卿になる。ラファエロは大恩人を生き生きとした表情で描き出している。
ルネサンスの陰にメディチありということがよく分かった。

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