yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

1994京町家の住み方調査→住み続けるための空間的余地が歴史を超えて京町家を存続させる仕掛け

2017年05月31日 | studywork

 1994年、京都出身のT君を中心に、京都の中心、中京区百足屋町で、京町家の住み方調査を実施した。暑い京都の炎天下の調査だったが、歴史を超えて存続する京町家の仕掛けの一端を垣間見ることができて実りは多かった。フルページはホームページ参照。

1998「京町家における現代的な住み方」民俗建築113号
 全国の町家の原型といわれる京町家は、平安京に始まるとされる。平安京はおよそ南北5.3km、東西4.5kmの広さで、条坊制が採用されていた。
 条坊で区画される宅地単位は一辺が40丈(400尺、およそ120m強)であり、町人地では一宅地単位の中を南北に8等分、東西に4等分した32の分割単位が町割りの基準であったことが知られている。図1に現在の京都市中京区の一部を示すが、街区単位の大きさを地図から計測すると124~132mあり、おおむね平安京時代の宅地単位が現在まで維持されてきたことが分かる。まさに生き続ける歴史遺産といえよう。
 しかし、街区単位の中は、町割りが必ずしも一様に保たれているわけではない。例えば、百足屋町新町通り側の南北方向では、間口が街区の1/8ほどの宅地もあれば、間口が1/12ほどしかない宅地も混在し、現在は南北方向に14分割されている。8分割に比べ間口はかなり細分割されていることになる。ていねいに地図を見ると、細分化されている宅地のそれぞれに空地が適宜とられていて、町家の構成要素のひとつである坪庭の存在をうかがわせる。坪庭のような空地は、細分化された宅地が集住しあうための空間的な仕組みの一つと考えてよい。言い換えれば、このような空間的仕組みを取り入れる余地があったからこそ、千数百年にわたり都市の構造である街区構成を基本的に変えることなく住み続けることができた、といえるのではないか。

 ところがその一方で、百足屋町室町通り側には大規模な宅地の出現が見られる。高層建築物の進出である。このまま推移すれば経済の効率を背景とした都市の発展によって歴史的な町家と集住する知恵が消滅しかねない。
 本研究の基本的な立場は、歴史的な町家に集積された住み方技術を事例的に明らかにし、歴史的京町家が存在し続ける意義を提示することにある。すなわち、都市の経済的な発展に代わる一石として、千数百年にわたり住み続けられてきた歴史遺産の保全的価値を再評価する有用な資料の提示である。そのうえで、都市の構造である街区構成を遵守しつつ、生活様式の発展変化に順応して住み続けることのできる住み方技術を抽出し、これを歴史的な街区構成の枠組みのもとで過密な集住を続けている歴史の古い町やスプロールによって無秩序に形成された新市街地などに応用することで、都市構造や街区形態を大きく変えずに生活様式の現代化を図る計画技術の提示をも目指している。・・略・・
 本研究の考察資料とした事例は図1に示す3事例で、住居平面の実測採図、ならびに現在・30年前・60年前の家族構成と住み方に関する聞き取りを1994年8月に実施した。

 京町家3事例を取り上げ平面構成と住み方の基本、ならびに現代化の工夫について検討した結果、次のことを得た。
①間口幅の狭い住居は間口が4間ほどで、これは当初の町割りのおよそ1/2に相当する。この場合、道路から奥に向かって土間床で2階まで吹き放しのトオリニワが通り、トオリニワに沿って並ぶゲンカン、ダイドコロ、オクによって住居平面が構成される。
②間口が6間ほどに広くなると、間口4間の住居平面に加えて、トオリニワに並列したロクジョウ・オザシキ・オザシキなど呼称される部屋が並ぶ。
③さらに間口が広がると、間口4間の場合の平面構成と間口6間の場合に加えられた部屋並びのあいだにもう一列の部屋が並んで住居平面が構成される。
④いずれの住居も、道路側に店舗などとして利用できる部屋と、オクの奥側にウラニワ、さらにその奥に蔵や物置をもつ。
⑤いずれの住居も、1階に重なるかたちで2階に部屋が並ぶ。
⑥もっぱらゲンカンは主として近所の人との世間話、ダイドコロは家族の食事および団らん、トオリニワは炊事、オクは世帯主夫婦の寝室として用いられる。
⑦間口が狭い住居ではオクは行事空間を兼ねるが、間口が広くなると行事や寄り合いは二間続きのオザシキを用いる。
⑧2階の部屋は子ども室や若夫婦室にあてられるが、物置を改装して子ども室や若夫婦室を独立させる例もみられる。
⑨トオリニワの床上化やウラニワへのダイニングキッチンの増築により、現代的な炊事・食事空間への対応が図られている例もみられる。
 平面の組み立てを整理し直すと、
①道路を横軸に考えれば縦軸に土間床のトオリニワがとられ、トオリニワによって道路から奥の庭までの動線が確保される組み立てとしてとらえることができる。この場合、道路と庭は外部空間であり、対してトオリニワは内部空間になる。
②縦軸のトオリニワに対して床上のゲンカン・ダイドコロ・オクは横軸方向の組み立てであるが、これらは道路-庭の序列と連動していてゲンカン/社会空間=公空間、ダイドコロ/共空間=家族の空間、オク/私空間=夫婦の空間であり、この構成は基本的な日常生活に対応する一つの完結したかたちであることから、トオリニワに並列して縦軸に生活空間が並列する組み立てと考えることができる。この場合のトオリニワは、2階まで吹き放しであり、各部屋はトオリニワに対して開放され通風採光を得ていることから、内部化されたニワとして位置づけられているといえる。
③間口が広い住居では、縦軸に構成されたトオリニワとゲンカン・ダイドコロ・オクの部屋群に並列してオザシキなどの部屋を並べる組み立て、言い換えれば、縦軸の空間単位が間口の広がった分だけ横軸方向に増殖する組み立てである。この組み立て方は、都市の骨格的な形態を規定している道路や町割りのシステムと少しも矛盾しない。
 すなわち、町並みの骨格構造となる道路を横軸に設定し、縦軸に住居の構成基準である町割りを設定しておいて、住居の骨格構造となるトオリニワを縦軸にとり、トオリニワを基準に縦軸に構成された部屋群を間口幅に応じて1列、2列、3列と並列させる組み立て方が、町並みの全体構造を遵守する仕組みである。
 また、2階に重なるかたちで部屋が設けられていること、密集した町並みでは採光通風に欠かせないと考えられていたウラニワはハナレやダイニングキッチンを増築するほどゆとりがあることが、家族構成の変動や非日常的な生活、現代的な住要求に応えられる空間的な仕掛けになっている。住み続けていく過程ではさまざまな住要求が発生するが、住要求を吸収できる空間的な余地があらかじめ取り込まれていたことが町並みの全体構造の保全につながったと考えられる。
 3事例による検討であり、部屋に余裕があるにもかかわらず家族の生活空間の居住性が悪い例もみられるなど引き続きの検討が必要であるが、本稿の検討から、町並みの構造を損なわない住居空間の組み立て方と住要求の変化に応えられる十分な空間的余地の計画的確保が住み続けることのできる京町家の鍵であるといえる。

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2016 埼玉県杉戸のまちづくり 「杉戸版まち・ひと・しごと創生総合戦略」有識者会議に参画

2017年05月30日 | studywork

2016 杉戸のまちづくり「まち・ひと・しごと創生有識者会議」

 2014年11月、「まち・ひと・しごと創生法」が成立した。法の目的は、第一条「・・我が国における急速な少子高齢化の進展に的確に対応し、人口の減少に歯止めをかけるとともに、東京圏への人口の過度の集中を是正し、それぞれの地域で住みよい環境を確保して、将来にわたって活力ある日本社会を維持していくためには、国民一人一人が夢や希望を持ち、潤いのある豊かな生活を安心して営むことができる地域社会の形成、地域社会を担う個性豊かで多様な人材の確保及び地域における魅力ある多様な就業の機会の創出を一体的に推進すること=「まち・ひと・しごと創生」が重要となっている・・」である。
 同年12月、「まち・ひと・しごと創生法」を具体化するために、人口の現状と将来の展望を提示する「まち・ひと・しごと創生長期ビジョン」、および今後5か年の施策の方向を提示する「まち・ひと・しごと創生総合戦略」が閣議決定された。
 埼玉県杉戸町でも大幅な人口減少が予想されることから、第5次杉戸町総合振興計画と連動した、人口減少対策と地域の創生に取り組むための「杉戸町まち・ひと・しごと創生総合戦略」を策定することになった。
 策定は町長を本部長とする「杉戸町まち・ひと・しごと創生本部」で、原案策定のため副町長を委員長とする「杉戸町まち・ひと・しごと創生総合戦略策定委員会」および作業部会が設置された。策定に関する意見聴取のため、杉戸町総合振興審議会委員による「まち・ひと・しごと創生有識者会議」が設置され、ほかに町議会、行政改革推進会議などからの意見聴取、およびパブリックコメントが予定された。
 私は杉戸町総合振興審議会委員だったので、2015年3月の総合振興審議会で仮称・杉戸町版総合戦略の策定について報告を受け、同年5月の総合振興審議会で仮称・杉戸町版総合戦略の策定について意見交換したうえで、同年7月、第1回有識者会議が開催された。以降、2016年1月までの5回の有識者会議で議論を重ね、提言を行った。有識者会議の主な内容は、
 第1回 町の人口の現状分析について
 第2回 総合戦略の策定にかかわる意見交換
 第3回 杉戸町まち・ひと・しごと創生総合戦略(素案)中間報告について
 第4回 杉戸町人口ビジョン(素案)及び杉戸町まち・ひと・しごと創生総合戦略(素案)について
 第5回 杉戸町人口ビジョン及び杉戸町まち・ひと・しごと創生総合戦略(第1版)に対するパブリックコメントの結果報告について、である。
 有識者会議、町議会、行政改革推進会議などやパブリックコメントの提言、提案を受けて、2016年2月、「杉戸町人口ビジョン及びまち・ひと・しごと創生総合戦略」(第2版)が策定された。
 目次を転記・・略・・ 杉戸町ホームページ参照

 「Ⅰ 人口ビジョン」で2015年人口およそ46000人が2060年にはおよそ29000人と推計し、まち・ひと・しごと創生総合戦略を着実に推進することで人口減少に歯止めをかけ、若い世代の希望をかなえることで出生率の上昇、人口増加への転換を図り、目標人口36000人を目指すとしている。
 「Ⅱ 現状分析」では、杉戸町の強み、弱みを分析し、「しごと」「人の流れ」「結婚・出産・子育て」「時代に合った地域づくり」について、杉戸町の目指すべき姿をまとめている。
 「Ⅲ まち・ひと・しごと創生総合戦略」では、計画期間を2015~2019年とし、杉戸町第5次総合振興計画と整合させた4つの基本目標と具体的な事業、先導的・けん引的な重点施策事業であるリーディング10を示している。

  リーディング10を列記する。
1.屏風深輪産業団地整備事業
2.創業支援推進事業・マイクロビジネス等支援事業
3.杉戸宿開宿400年祭イベント開催ほか、杉戸宿を活用した賑わいづくりの促進
4.アグリパークゆめすぎと観光・文化交流拠点機能強化事業
5.東武動物公園駅東口通り線整備事業
6.保育園施設整備事業
7.小中学校環境整備事業
8.緊急防災・減災対策事業
9.防犯灯整備事業(LED化の推進)
10.町内循環バス運行事業
 リーディング10を始めとする各施策の効果的、継続的な実施を図るため、施策の成果を客観的に検証できるよう、基本目標ごとに数値目標、施策ごとに重要業績評価指標KPI=Key Perfomance Indicatorを設定し、まち・ひとしごと創生本部、および有識者会議で達成度を検証する仕組みが設けられている。
 
 杉戸は日光街道5番目の宿場として栄え、2016年は開宿400年になる。リーディングプロジェクトにもあげられている400年祭では盛りだくさんのイベントが企画されている。400年祭を弾みに、まち・ひと・しごと創生総合戦略が着実に推進されることを期待している。

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2009埼玉設監協主催「卒業設計コンクール」最優秀賞はベルリンの壁をモチーフにした国境博物館

2017年05月29日 | studywork

 2000年に埼玉建築設計監理協会のT氏から埼玉県内の大学生を対象とする卒業設計コンクールの相談を受けた。何回か意見を重ね、2001年4月、第1回卒業設計コンクール実施にこぎ着けた。回を重ねるに従い応募作品も増え、2009年に第9回を迎えた。この間、審査委員長を務めてきたが、準備から10年経ったので、10年一区切り、今回をもって委員長を辞任させて頂いた。皆さんのご協力に心より感謝申し上げるとともに、新しい審査委員長のもと、あふれるばかりの情熱を傾けた、審査員の度肝を抜き、新しい時代のうねりとなる提案を期待したい。

2009「第9回埼玉卒業設計コンクール」埼玉建築設計監理協会主催 
 埼玉建築設計監理協会(以下、設監協)主催・卒業設計コンクール第9回の審査会が2009年4月、埼玉会館で開かれた。10大学、26作品が寄せられ、展示された。審査までのあいだにも建築系の学生や建築事務所に勤める専門家、一般の方々が見に来られていたが、審査当日は審査の先生方と応募者の質疑応答が公開され、入賞候補者のプレゼンテーションもあることから、後輩の学生や報道関係を含め、大勢の参会者で賑わった。
 本設計コンクールは設監協主催により2001年度から始められた。主旨は「都市や建築デザインにもIT革命時代にふさわしい斬新な発想が求められている。そのような中、新しい世紀の第一線で活躍が期待される建築系学生の能力向上、育成を図る目的で、次代を先取りした意欲ある作品を広く募集し、若い学生達の考えた創造価値と熱意を奨励し、また一般の方々にアピールを行う」であり、主旨に賛同を得て、日本建築学会埼玉支所、日本建築家協会JIA埼玉、埼玉県建設業協会、埼玉住宅検査センター、総合資格学院の協賛、埼玉県、さいたま市、テレビ埼玉の後援を受けている。
 ・・略・・ 当日の審査会の様子はテレビ埼玉の取材を受けていて、20日にテレビ埼玉で放映されたそうだ。
 応募作品を順不同で列挙する・・略・・
 審査は、・・略・・ 最終選考の結果、最優秀賞は「国境博物館」、優秀賞は「ロヂハ イリグチ」と「100m農業~都心のビジネス農業」、埼玉賞は「マチ、トチ、アケル」が受賞となった。審査員特別賞は「つぼみ~畑のあるマチに住む」、「ちっちゃなアトリエ」、「人の為の森、森の為の建築」が受賞となった。

 「国境博物館」(写真)は西アジア~中近東などで頻発している民族紛争とそれに伴う人道支援ボランティアの拉致に触発され、国境問題の解決こそが平和への確実な一歩となると考えて、国境の象徴であるベルリンの壁をモチーフにした国境博物館を提示している。現在の国家数が203なので壁を203回折り曲げ、その一部を空中に持ち上げ、一部を反転させ、一部を交錯させるなど、国家、国境のあり方を問いかけようとしている。若者らしい純真さがコンセプトにあふれており、各民族、国家の文化を展示する空間構成などのていねいな表現も好評であった。しかし、203回の折り曲げ方は多様であるがなぜこの形にしたか、造形の意味が不明確ではないか、あるいは国境を取り払っても消えることのない民族の拮抗をどう考えるかなどの追究の甘さが指摘された。

 「ロヂハ イリグチ」(写真)は横浜市子安の運河沿いに並ぶ漁師の家を再編成し、新たな交流の場となる集合住宅を提案している。運河に沿った長大な構造体にスリットを挟み込んで透過性を確保するとともにそのスリットを住戸の開かれた庭とし、さらにスリットに連続させて橋をかけ、対岸に計画したギャラリーやカフェなどの公共施設とつないで回遊性を演出している。新たなまちづくりへの提案が評価された。一方、長大な建築体を一つのシステムで制御することによる均一性や単調性などが疑問として提示された。

 「100m農業~都心のビジネス農業」(写真)は食料自給率問題や若者の農業離れを背景に、東京・汐留の高層ビルを農業工場にしようとする提案である。採算性も試算したそうで、このビルが農業ショーウィンドウとなり、農業への親しみをつくり出すことを期待している。食の安全を含め、農業が取りざたされている今日、斬新な発想として評価された。が、都心農業工場では農業問題の根幹は解決されないことや既存ビルへの適用の難しさなどが指摘された。

 これらの作品や埼玉賞、審査員特別賞をはじめ、応募作品には、毎年、学生の卒業制作に懸けるひたむきなエネルギーを感じる。しかし、近年、多くの応募作がおとなし過ぎる、と思う。身近にある課題を見つけ、素直に計画をまとめていて非が少ない。が、それは「」つきの優等生に過ぎない。若者が作品を通して提示してくれる社会の改善はよく理解できるが、その先の日本が見えない。それは翻って、指導し、審査する我々の側の問題かも知れない。確かに指導し、審査するときは、いまの時代をどうとらえたかや立地環境をどうとらえたか、機能性や構築技術はどうか、空間造形の魅力はあるかなどを基準にする。しかし、矛盾するようだが、それを越えて、若者だけに与えられた鋭い感受性で課題を掘り起こし、若者に与えられた特権である奇想天外な発想力で未来を構想し、若者だから許される少々荒削りで不完全であってもほとばしる情熱をたたき込んだ提案を期待しているのである。その情熱が大人を揺り動かし、時代の流れをつくってきたことは、歴史が証明している。

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かつてソウル市民の憩いの場だった清渓川は汚染のため暗渠化されたが2007年に再生された

2017年05月27日 | 旅行

2007 ソウル・清渓川 Seoul,Cheonggyecheon
 2007年6月、全羅北道淳昌郡で日韓研究会が開かれた。前日、ソウルの河川整備として国際的に知られている清渓川を見学した。
 李氏朝鮮時代のソウルは、景福宮を中心として形づくられていた。朝鮮では風水が生活に根づいており、景福宮の北には北岳山、南には漢河が流れる背山臨水の地であり、そのあいだに町が広がる。
 清渓川は町の中ほどを流れ、漢河に合流する川で、かつてはソウルの人々の憩いの場になっていた。豊かな流れは、川沿いの緑とともに涼しさをつくりだし、癒し効果を生みだしていた。

 しかし、ソウルの発展とともに清渓川に流れ込む生活排水が増え、再三、浚渫が行われた。現地資料やwikipedia、web上の情報によれば、1950-60年代に始まる韓国の高度経済成長と都市開発で相当に水質が悪化したうえ、周辺がスラム化し、さらにソウル市の発展で交通渋滞が深刻になったことなどが重なったため、ソウル市は清渓川を暗渠化するとともにスラムを強制的に撤去し、ここに清渓高架道路を通してしまった。
 憩いの川を失ってから、清渓川を惜しむ声が年々高まり、ついに2003年7月、ソウル市長の英断で、清渓川復元工事が着手された。翌々2005年9月、総工事費3867億ウォン≒500億円をかけ、長さ5.84kmの清渓川が生態河川として再生された。
 再生された清渓川の起点は、景福宮の南、光化門近くの太平路に面して設けられた光化門広場になる。地下鉄・光化門駅を目印にすればよい。広場の噴水から勢いよく清水が湧きだし、3.5mほどの落差を流れ落ちて、川が始まる。川幅は3-6mで、その両脇に遊歩道があり、全幅は15mほどになる。光化門広場近くは川の景観も人工的な造形が強調されているが、下るに従い、自然の流れが強調されていく。
 韓国も梅雨入りし、当日は初夏を思わせる暑さだったが、川面を冷風が流れるのでしのぐことができた。川の恩恵は少なくない。遊歩道には大勢の市民が散策を楽しんでいた。橋の下は日陰になっていることもあって、足を水につけたり、水の中を歩いたり、清水の流れを心ゆくまで楽しんでいた。清渓川の復元を断行した市長、市民にエールを送りたい。
 清渓川は、漢河に合流する5.46kmを、清渓川広場から歴史ゾーン、文化ゾーン、自然ゾーン、和合ゾーン、ソウルスプゾーンにエリア分けし、それぞれのテーマにあわせたコンセプトで流れやデザイン、催し物が工夫されているそうだ。私は2kmほどしか歩いていないので言及はできないが、パンフレットを見ると、ファッション広場、リズム壁泉、トンネル噴水、旧清渓高架道路柱脚を残した存置橋脚、ボドゥル湿地など、市民と川が共生するさまざまな趣向がうかがえる。
 残念なことは、川面が地上面から3.5m以上も下がっているため、地上からはのぞき込まないと川を感じることができない。逆の言い方をすれば、川沿いの遊歩道を歩いているときは、地上の喧噪をまったく忘れることができる。逆の視点ではいいかもしれないが、地上から川沿いに誘い込むきっかけの工夫が欲しい。光化門広場の噴水の水の一部を地上の道路沿いに分水し、ところどころで川に落とし込むなどの工夫はどうだろうか。加えて、私が歩いた範囲では、人工的な感じが強く感じられた。大きい樹木を植栽して木陰をつくり、土の部分やよどみなどを増やし、もっともっと、自然を前面に打ち出して欲しかった。気になることもあるが、自然回帰の英断は、極めて高く評価できる。

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2017青森の妙丹柿チョコディップは高校生を中心とする商品開発=光による渋抜き+チョコのコーティング=◎

2017年05月26日 | よしなしごと

 青森のO君がこの4月、M高校長に着任した。さっそくお祝いに駆けつけ、青森の地酒で一献傾けようと連絡したら、5月にさいたまアリーナで全国の校長が集まる会があるので、大宮で歓談することになった。当日、急ぎ集まったみんなで大いに飲み、盛り上がった。
 O君が持参してくれた土産の一つが「妙丹柿チョコディップ」である。高校生のアイデアで生まれた商品で、なかなかいける味だった。
 青森の高校生を応援したかったので紹介する。
 妙丹柿のホームページを参考に私の推測を入れてまとめると、
 ・・南部の殿様が参勤交代の帰り道、会津で柿を見つけたらしい・・たぶん、秋だったのであろう・・これは旨いと思った殿様?家来?は冬場の農民の糧・収入源にならないかと考えた
 ・・そのころ青森には柿が育ってなかったらしい・・他藩の名物は門外不出が多い・・柿の枝は大根に隠して密かに運ばれた・・なんとか根付き、柿が広まっていった・・これが妙丹柿の始まりで、柿の北限だそうだ
 ・・南部地域に残る妙丹柿の樹齢は200年を超える老木も多いそうだ・・干し柿にされた妙丹柿は甘味が強く繊維や種子の少なく、干し柿の名産地・和歌山に引けをとらないと評判だそうだ・・妙丹柿は放任栽培で無剪定のため高さ十数mになることもあり、枝も折れやすく栽培、収穫には危険が伴う、一方で生産者の高齢化が進んでいる
 ・・食生活の多様化で干し柿の需要は少なくなった・・名久井農業高校の若者を中心とした研究プロジェクトが商品開発に取り組んだ・・手間のかかる渋抜きに代わって「光による柿の渋抜き法」を発明する、これは2011年の京都大学で開催された発明&事業化プランコンテスト「テクノ愛2011」グランプリを受賞した
 ・・たぶん、渋柿を薄くスライスすると光のよる渋抜きに効果があるのであろう・・高校生のアイデアは無限だ、なんとスライスし渋を抜いた柿にオーガニックチョコレートをコーティングしたのである・・それが「妙丹柿チョコディップ」である・・かわいく仕上がっている、味もとても渋柿とは思えない、いまや在庫なしの人気商品、その希少性もいいね・・

 O君の務める高校では「高校生レストラン」が評判で、なかなか予約が取れないそうだ・・地元に貢献する高校生にエールを送る。

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