yoosanよしなしごとを綴る

つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

2020.9 吹割渓谷で鱒飛びの滝、吹割の滝を眺め、左甚五郎作如意輪観音像に合掌

2020年11月27日 | 旅行

日本の旅・群馬の旅>  2020.9 谷川温泉・宝川温泉 5  吹割渓谷を歩く

 3日目、宝川温泉旺泉閣東館の窓を開けると、山あいの森閑とした空気のなかを宝川の音が響く。もやっと温泉の湯気が流れていて、子宝の湯、般若の湯、摩訶の湯に気が引かれるが、冷えている朝は血圧が乱高下しやすいので不測の事態を避け、諦める。
 9:30過ぎ、チェックアウトし、県道63号線を下り、大穴交叉点で国道291号線=奥利根ゆけむり街道に左折し、月夜野に向かう。奥利根ゆけむり街道は、井戸上町交叉点あたりで同じ国道291号線だが月夜野バイパスに名を変える。
 戸鹿野町交叉点で国道120号線=日本ロマンチック街道に左折し、吹割の滝を目指す。10:50ごろ、吹割の滝市営駐車場に着いた。

 吹割の滝は天然記念物に指定され、日本の滝百選に選ばれている。片品川の流れが凝灰岩、花崗岩を浸食し、吹割の滝、鱒飛びの滝などの落差のある岩の割れ目、はんにゃ岩、獅子岩などの奇岩をつくりだしたそうだ。
 天然記念物に指定されている吹割の滝は落差が7m、幅が30mで、東洋のナイアガラとして人気があるらしい。
 駐車場の案内図を見ると、一周2400mほどの吹割渓谷散策路が整備されている(写真。web転載)。駐車場から片品川に架かる吹割大橋を渡り、土産物屋が並ぶ遊歩道を歩く(図①)。人出は多い。マスクを用意し、すれ違うときは着用する。
 階段を下ると、岩のあいだを勢いよく流れ落ちる鱒飛びの滝に出る(写真、図②)。このあたりまで鱒が遡上していて、この滝で懸命に滝を登ろうと鱒が飛ぶことからこの名が付けられたそうだ。この日は飛び上がる鱒は見られなかった。

 その先の対岸の岩は形が般若の顔に似ていることからはんにゃ岩と呼ばれる(写真、右手の岩、図③)。奇岩が続くが、遊歩道は狭く、行き交う人も多いので、奇岩に気を取られると川に落ちそうになる。
 岩場が広くなり、大勢が写真を取り合う吹割の滝(写真、図⑤)が現れる。水量が多く、瀑布が勢いよくしぶきを飛ばしている。水の力が高さ7m、幅30mの岩の割れ目をつくったのであろう。水の流れをジーとみていると吸い込まれていくように感じる。水には人を惹きつける霊力があるようだ。

 川幅が広くなり、流れが緩くなる。吹割の滝の先に向かう人は少なくなる。風も流れウイルスのリスクも少ないので、人がいないときにはマスクを外し、新鮮な空気を思い切り吸い込む。
 川中の平たくて広い岩には千畳敷の名がついている。大小二つの並んだ岩は夫婦岩と呼ばれている。このあたりは川幅が広いが、片品川はよほどの水量らしく、上流から押されているように次々と水が白波を立てながら下ってくる。

 川の風景を眺めながら遊歩道を歩き、吊り橋の浮島橋(図⑨)を渡る。浮島(図⑩)には浮島如意輪観音を祀った浮島観音堂が建っている(写真)。三間四方に方形屋根をのせた小さな堂だが、創設は759年と古い。その後荒廃したらしく、1469年に再興され、老朽化が進んだので1984年にいまの形に再建されたそうだ。
 説明坂の浮島如意輪観音由来によると、江戸時代初期の彫刻職人・左甚五郎(1584-1644、日光東照宮の眠り猫を始め各地に名作を残している)が日光東照宮で彫刻製作を終えたあとこの近くの追貝宿に一泊し、その晩に如意輪観音座像を彫り上げたとされる(写真)。
 もとは白木の像だったが、明治時代、誰かが前橋の塗師に金箔塗を依頼、1945年の大空襲後、追貝の寺に保管され、1990年に浮島観音堂に安置されたそうだ。いくら名人とはいえ一晩で彫り上げたというのは話が大げさすぎるが、信じることも大事、そう思い穏やかな顔の如意輪観音座像に合掌する。
 
 浮島から対岸に吹割橋が架かっていて、対岸には片品川に沿って崖の斜面に遊歩道が吹割大橋まで整備されている。林道のような坂道を上る(図⑫)。詩のこみちと名づけられているが、とくに詩碑は見当たらない。詩心を持って歩けといことだろうか。
 道は林に覆われ、片品川の渓谷はチラチラとしか見えない。しばらく歩くと、第1観瀑台が設けられていて、木々のあいだから片品川を望むことができる。
 そのまま林道を下ると第2観瀑台がある。広々とした風景のなかを片品川がゆったり流れている(写真)。しばし、ウイルスの脅威を忘れ、気分をほぐす。
 少し先の第3観瀑台を過ぎ、坂道+階段を下ると吹割大橋のたもとに出る。
 出発が12:15ぐらいだったから、一周2400mを80分ほどかけて散策したことになる。東洋のナイアガラあり、片品川の清流あり、左甚五郎作の観音像あり、林道の上り下りあり、と趣向が凝らされほどよい散策になった。

 国道120号線=日本ロマンチック街道を戻りながら食事処を探す。大衆食堂、ラーメン店、焼き肉屋などがあったが昼時で混みあっている。感染リスクを避けられる広々とした食事処を探していたら、道の駅白沢・望郷の湯・展望レストランの案内を見つけた。国道120号線を左に折れたすぐに、方形の大屋根をのせた施設があった(写真)。
 マスクを付け、入口で手を消毒する。受付で検温し、スリッパに履き替える。レストランは広々として天井が高い。感染リスクは問題なさそうだ。他の客とは十分に空きをとり、そば膳をいただく。
 館内の説明には、河岸段丘の北の白沢高原に建っていて、南東の赤城山と河岸段丘を眺めることができるらしいが、レストランの大きなガラス窓の向こうの松林が視界を遮っていた・・望郷の湯から絶景が眺められるようだが、湯に入るのは慌ただしいので諦める・・。

 昼食後、沼田ICから関越道に入り、川越ICで関越道を下り、夕刻に家に着いた。3日目は吹割渓谷しか歩いていないから歩数計は8600歩にとどまった。3日間でのべ27200歩、一日平均9070歩だから、<よく歩きました、○>であろう。
 感染リスクを避けながら、・・梅雨の長雨で予定がいくつか変更になったが・・自然を訪ねて心身を癒やし、ささやかながら経済活動も行えた。今回の試行をもとに次の旅を工夫したい。  (2020.11)

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2020.9 宝川温泉の200畳・子宝の湯、50畳・般若の湯、120畳・摩訶の湯を楽しむ

2020年11月25日 | 旅行

日本の旅・群馬の旅>  2020.9 谷川温泉・宝川温泉 4 宝川温泉で子宝の湯、般若の湯、摩訶の湯を巡る

 県道63号線を戻り、藤原湖の手前で利根川を渡り、宝川に沿った県道264号線を上る。ほどなく左に宝川温泉・旺泉閣が見える。左に大きく曲がり、大手門を通り抜け、宝川に架かるみこと橋を渡って、右手の宿泊者駐車場に車を止める。
 伝説では、日本武尊の東国征伐でこのあたりに宿営したとき、白鷹が飛び立った場所に温泉を発見し、温泉で傷を治し、身体を癒やしたとされる。大手門の近くに日本武尊像が置かれ、宝川には白鷹橋と名づけられた吊り橋が架かっている(写真参照)。いずれも伝説にちなんだようだ。

 宝川温泉は2度目である。前回は1955年建築の木造3階建ての本館に泊まった(写真)。本館は入母屋屋根をのせたいかにも山あいの温泉宿という風情がある。
 今回は気分を変えようと、1966年建設の鉄筋コンクリート造5階建ての東館を予約した(写真)。ほかに旧館、別館があり、これらの宿泊施設、食事処は宝川の西に並んでいる。

 宝川温泉の特徴は広々とした露天風呂で、宝川を挟んで西に200畳の子宝の湯、東に120畳の摩訶の湯(写真、web転載)、50畳の般若の湯、100畳の摩那の湯が並んでいる。子宝、摩訶、般若は混浴、摩那は女性用である。どの湯も石組みで造形され、四阿が建てられていて、野趣である。
 露天風呂には洗い場が無いので、まず東館に隣接した大浴場の男用・殿湯(女用は姫湯)に入り、身体と髪の毛を洗う。
 殿湯を上がり、浴衣で東館、本館を通り、サンダルを履き、棚の湯浴み着を持って外に出る。
 白鷹橋を渡り、宝川東の摩訶の湯、般若の湯を通り過ぎ、吊り橋の子宝橋を渡って宝川西の子宝の湯に行き、脱衣場で湯浴み着に着替え、湯に入る・・前回は、男は裸、女はバスタオル着用だったが、いまは男女とも湯浴み着着用に変わった・・。

 子宝の湯は、200畳で視界は開けているから広々している。前回は大勢の客で混み合っていたが、今回はがらがらと言っていいほど空いている。
 時間が早いせいもあろうが、新型コロナウイルス感染予防の外出自粛が効いているようだ。
 湯につかり、宝川と向こう岸の般若の湯、摩訶の湯、その向こうの林の緑を眺める。200畳のこちら、あちらと場所を変え、眺めを楽しむ。風景が広がっていると気持ちも広々とする。風は涼しい。ほてった身体にはちょうどいい。
 子宝の湯を楽しんでから、浴衣を持ち、サンダルを履き、湯浴み着のまま子宝橋を戻り、般若の湯に行く。

 宝川を風が吹き抜けるので濡れた湯浴み着が冷たくなる。般若の湯の脱衣場に浴衣とサンダルを置き、急いで湯に入る。
 般若の湯は誰も入っておらず、50畳の湯を独り占めする。小さな子どもも楽しめるように途中から浅くなっている。石組みの造形はほかの湯に比べ簡潔である。

 120畳の摩訶の湯はすぐ隣なので、浴衣などはそのまま般若の湯の脱衣場に残し、湯浴み着のまま移る。こちらは数組が湯を楽しんでいた。石組みはダイナミックで、野趣味が強められている。
 前回来たときは熊が飼われていたが、今日は鉄格子の檻だけになっていた。見世物の熊は気の毒である。見世物よりも湯を楽しむ工夫を凝らすべきだろう。
 今日は午前の土合駅・モグラ階段、午後の奈良俣ダム・ロックフィルの階段を上り下りしたので十分に足をほぐす・・歩数計は10700歩だった・・。

 山あいのためか、日が落ちるのが早そうだ。十分に身体を温め、疲れをほぐしたので、浴衣に着替え、東館の部屋に戻って、暮れなずむ山あいの風景を眺めながらビールを飲む。湯もいいが、湯上がりのビールは最高だね。

 
 食事は時間制のうえ、いくつかの宴会場も食事処にしていて、テーブルは十分すぎるほど開けられている。入口で手を消毒し、マスク入れをもらい、席に着く。係は顔をすっぽり覆うフェイスガードを付け、ビニール手袋で配膳してくれた。感染対策は万全である。
 山里料理と銘打った和食膳(写真)と、お勧めの地酒、宝川旅情(写真)をいただいた。・・宝川旅情は飲み残したので、自宅まで持って帰り、後日、谷川温泉の地酒と宝川温泉の地酒を傾けながら、旅を思い出した・・。
 年を取ると露天風呂の寒暖差が血圧へのリスクになるそうなので、寝しなは殿湯で身体を温めて床に入った。 (2020.11)

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2020.9 奈良俣ダムでダムカレーを食べ、ロックフィルダムの階段に挑戦

2020年11月23日 | 旅行

日本の旅・群馬の旅>  2020.9 谷川温泉・宝川温泉 3
奈良俣ダムでダムカレーを食べ、ロックフィル階段を下り上る

                              
 土合駅を出て国道291号線を下り、大穴交叉点で大きく左にカーブした県道63号線=奥利根ゆけむり街道に折れる。県道63号線は利根川に沿った山道で、走っているうち利根川は藤原湖に変わる。ダム湖のようだ。視界が開け、気分がいい。
 藤原ダムを過ぎ、利根川の支流になる宝川に沿った県道264号線に左折する。山あいの県道を上り、12:00少し過ぎ宝川温泉に着く。
 フロントで森林浴散策コースと食事処を聞いたところ、梅雨の長雨で熊が餌不足らしく、つい最近もが出たので森林浴散策コースの立ち入りは危険、旺泉閣の食事処はしばらく休業している、県道63号線にいくつか食事処がある、とのことだった。
 長雨、大雨は熊の餌にまで影響している。触らぬ神に祟り無し、散策、ハイキングは止めることにした。食事処の休業は新型コロナウイルス感染予防自粛要請のためらしい。熊にウイルス、観光業への打撃は大きそうだ。

 車で県道63号線まで戻り、利根川上流のならまた湖・・利根川の支流である楢股川を堰き止めた奈良俣ダム・・まで足を延ばして食事処を探す。途中見かけた食事処は休業していた。自粛要請のためかも知れない。
 ほどなく奈良俣ダムに着いた。奈良俣ダム資料館は新型コロナウイルス感染予防で閉館していたためか、人出はほとんど無い。すぐ脇には、ダム周辺での熊目撃、注意の警告ポスターが貼ってあった。よほど飢えているようだ。
 先の銀色屋根のならまたサービスセンターは営業している。のぞくと客はいない。スタッフが新型コロナウイルス感染予防自粛で材料が入らないから、うどん、そば、ダムカレーぐらいしか用意できないというので、名物ダムカレーを頼んだ(写真)。カレーが貯水池、ご飯がダムのイメージのようだ。
 日本のダムは、堤自体の重みで水圧等に対抗する重力式とアーチ構造で水圧等を両岸で支えるアーチ式が多い。アーチ式はコンクリートでつくられるが、重力式では堤をコンクリートでつくる場合と岩石や砂利でつくるロックフィル、その複合などがある。
 奈良俣ダムはロックフィルダムなので、ダムカレーのご飯は断面が三角形になっている。カレー側のご飯を少しずつ削るようにして食べ、途中でダムの放流のようにカレーを放流させ、食べ終えた。
 
 食後、ダムを歩く。奈良俣ダムは1991年に完成した多目的ダムで、貯水量は8124万㎥、ほとんどは東京、埼玉、千葉、群馬の水道用水で、千葉では農業用水、群馬では工業用水としても利用され、水力発電も行われいる。
 堤頂の長さは520m、高さは158m、幅は14mの巨大な構造物である。放流口あたりで下流側をのぞくと、落差158mのかなたに楢股川が山あいを縫うようにして延びている(写真)。山あいの先で、奥利根湖=矢木沢ダム、洞元湖=須田貝ダムを経て流れてくる利根川と合流し、下って藤原湖=藤原ダムに流れ込む。利根川水系にはダムが多い。

 奈良俣ダムの上流側も山、また山である。森林が豊かな水を育み、私たちの暮らしを支えてくれていることを実感する。ちょうど係員がダムの見回り?に来たので貯水量を聞いたところ、今年は梅雨の長雨でほぼ満水に近い、まったく心配はないとのことだった。
 長雨で洪水や土砂崩れ、熊出現などもあるが、一方で水不足を心配せず暮らせるのだから、功罪、哀楽、長短・・相半ばか、前向きにとらえよう。

 520mの堤頂の向こう端まで歩くと、堤頂高さ158mを下る階段がある(写真)・・保守点検用だろうか?、休憩スペースもあったから観光用も兼ねているようだ・・。
 718段あり、水平距離は1600mで、毎年この階段を走り上るイベントが開かれているそうだ・・今年は新型コロナウイルス感染予防のため開催は見送られた・・。
 走り上るのは無理だが、ロックフィルの巨大構造物を実感しようと、途中まで下ることにした。下るときは息は切れないので、もう少し、もう少しと半分ぐらい下りてしまった・・途中でひとり歩きの高年者とすれ違った、上るときに二人連れとすれ違った、外出自粛のためか空いている・・。

 見上げると一面の岩石が目を奪う(写真)。高さ158m、水平距離は階段と同じとして1600mのも岩石を積み並べたその労力がロックフィルダムに込められているようで、圧倒される。
 しばらくボーと岩石の斜面を眺めてから、堤頂を目指す。高さ158m=718段の半分としておよそ80m≒360段、マンションの26階分に相当する。上り始めてすぐに、午前中に上り下りした土合駅のモグラ階段の疲れが復活してきた。吹き上げる風に休み休みしながら、なんとか上りきる。
 天気がいいと風景が雄大に感じる。満水の奈良俣ダム、ならまた湖の彼方の山並み、楢股川の下流の先の山並みをもう一度ぐるりと見回し、車に戻る。 (2020.11)

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2020.9 谷川温泉散策・牧水の歌碑→谷川岳ハイキング不可→土合駅のモグラ階段

2020年11月17日 | 旅行

日本の旅・群馬の旅>  2020.9  谷川温泉・宝川温泉 2

谷川温泉/薬師堂・冨士浅間神社を歩く+牧水歌碑
 2日目、天気良し、体調良し、朝食後、身支度を調え散策に出る。
 谷川に下ると、細い吊り橋が架かっていた(写真)。温泉を送るパイプ用の吊り橋らしい。たぶん、その先が言い伝えの姫が湯浴みをした温泉発祥の地なのであろうが、ほかに橋はないし、渡れてもヒルが心配なので通り過ぎる。
 すぐ先の高台の上に堂が見える。石段を上ると、「温泉小屋 壁しなければ 巻きあがる 湯気にこもりて 冬の月射す」と刻まれた若山牧水の歌碑が置かれている(写真)。
 若山牧水(1885-1928)も教科書で習った。「白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」を学んだ記憶がある。
 webを参考にすると、牧水は1918年に谷川温泉を訪ねていて、その足跡が2.4kmの牧水の散歩道として整備され、何カ所かに歌碑が置かれているそうだ。写真の歌碑はその一つである。1922年にも水上などを訪ねていて、1923年に「みなかみ紀行」、牧水没後の1939年に歌集「みなかみ」が出版されている・・どちらもwebで知った。牧水については学校教育ていどの知識しかない・・。

 話を戻し、高台に鎮座する栃の木薬師堂に参拝する(写真)。説明坂によると、沼田真田藩2代領主夫人が重い眼病にかかったが谷川の薬師の湯につかり完治したことことから、領主は薬師堂を建立して寄進、文永6年1269年、浄海上人が開眼したそうだ。
 栃の木薬師堂と呼ばれるから栃の木にゆかりがありそうだが、薬師堂を囲む林のどれが栃の木かは分からなかった。
 堂は素朴なつくりだが、春祭りは盛大らしい。
 説明坂には、拍手を20回、強く打つと霊験あらたか、と記されている。信ずる者には効き目がある、そう思い20回拍手する。
 私たち以外には誰もいないと、せせらぎの音が大きく聞こえる。木立で日射しが遮られているせいか、静けさが気になる。高台だからヒルはいないだろうが、落ち着かない。一礼して堂をあとにした。

 坂道を戻り、牧水の散歩道を上る。M研究所講堂と書かれた大きな施設やペンションSがあったが、散歩道で出会う人はいない。
 左の坂道に折れると、緑の林の中に朱色の冨士浅間神社中宮が鎮座している(写真)。
 説明坂には、1663年?1665年?の棟札から沼田城主真田氏の造営と考えられる、と記されている。1200年代に真田氏が薬師堂を建立し、1600年代には冨士浅間神社を造営していることから、谷川温泉は真田家が病気平癒などに愛用した秘湯だったかも知れない。
 写真の社殿は覆屋で、なかに木花咲耶姫を祀った三間社流造の社が建っている。二礼二拍手一礼する。
 説明坂によると、奥の院は谷川岳山頂に祀られているそうだ。
 中宮の向かいに舞殿が建っている。春祭りには神楽が奉納され、大いに賑わう様子が描かれていた。
 境内に若山牧水の「わがゆくは 山の窪なる ひとつ路 冬日光りて 氷りたる路」の歌碑が置かれていた。牧水は大酒飲みだったようで、肝硬変を患い体調を崩し、43才で没している。谷川温泉を訪れたのは30代半ば、ほどほどの酒で長生きすれば多くの名歌、名作が生まれたのではないだろうか。

 牧水の散歩道を下り、天一美術館脇の階段を下りる。牧水の散歩道はペンションくるみ村まで下っているらしいが、今日は谷川岳ハイキングを予定しているので、旅館たにがわに戻り、チェックアウトする。

上越線土合駅で462段+24段の階段に息切れする
 10:30、旅館たにがわを後にして山道を下り、みなかみ町役場水上支所、水上駅あたりで国道291号線を左に折れる。このあたりは町の中心のようで通りには店が並ぶが、すぐに店は途切れた。
 国道291号線は、利根川の支流の湯桧曽川とJR上越線と入れ替わりながら、上っていく。湯桧曽駅、土合駅を過ぎ、坂道を上ったところが谷川岳ロープウエイ土合口駅で、11:00ごろに着いた。
 谷川岳は群馬県、新潟県の県境に位置し、峰が二つあって、トマの耳が標高1963m、オキの耳が標高1977mである。百名山の一つで、万太郎山・仙ノ倉山・茂倉岳などとともに谷川連峰と呼ばれる。
 標高746mの土合口駅からロープウエイで標高1319mの天神平駅、さらに天神平駅からリフトで標高1502mの天神峠駅まで上ることができる。
 天神平はスキー場であり、冬期以外は高山植物の宝庫なので、標高1500mの自然を眺めながらハイキングを楽しむことができ、体力を勘案しながら天神尾根のトレッキングにも挑戦できる、と考えていた。
 ところが、ロープウエイ土合口駅駐車場は立ち入り禁止、上りの道路も進入禁止である。注書きによれば、梅雨の長雨?で電気系統が冠水し、復旧のめどが立たない、道路も土砂崩れ?で危険らしく、工事関係者以外は進入はもちろん駐停車もできない。
 諏訪峡の遊歩道、谷川温泉のヒルに続き、今回の旅の最大の狙いである谷川岳ハイキングも雨にたたられた。それほどの長雨、大雨ということである。地球温暖化による気候変動が要因のようだ。

 Uターンし、国道291号線を下り、JR上越線・土合駅に立ち寄る(写真)。
 土合駅はかつての単線のころホームは地上にあったが、複線化で長さ13500mの新清水トンネルが掘られ、上りホームは従来のままの地上、下りホームは新清水トンネル内の地下に設けられた。
 列車を乗り降りする客は少ないが、地下に下る長い階段が珍しいということで見学者が多いらしい。駅前には見学者の車が数台止まっていたし、私たちが階段を上り下りするあいだも、何組もの見学者が訪れていた。最近は地下ホームを利用した催しや駅前広場でのイベントで賑わうらしい。

 駅舎は大雪をおろしやすい三角屋根の簡潔なつくりである(前掲写真)。駅舎内は無人で、改札を通り抜けると地上の上りホーム=2番線・大宮上野方面が延びている。どこにでもあるホームの風景である。
 改札を戻り、地下ホーム=2番線・長岡新潟方面の矢印にしたがって右に進む。通路はコンクリートブロックを積んだだけで殺風景だし、意外と狭い。すぐに斜め左に折れる。狭いまま、先が見通せないほど奥に通路が延びている。両側に格子の入ったガラス窓があり明るいが、殺風景さは変わらない。窓から見下ろすと国道291号線が下を通っていた。途中、12段ずつ、2回階段を下る。通路の先は引き違い戸になる。冬の寒いときは閉めるのだろうか。
 この日は開いていて、通り抜けると通路が広くなり、天井は丸くなり、窓は大きくなり、と形が変わるが殺風景さは変わらない。通路の真ん中にV字型の衝立が立っている。風除けだろうか。
 窓からのぞくと、湯桧曽川が見える。この連絡通路は国道291号線と湯桧曽川を渡る橋になっているようだ。全長は140mほどあり、狭く四角い通路部分が国道291号線の上、丸い天井の広い通路が湯桧曽川の上らしい。

 円い天井の通路を進むと、ぽっかりと口を開けた長大な下り階段が現れる(写真)。階段も壁+アーチ型天井もコンクリートのままで、灯りは少ない。下から冷気が吹き上げてくる。一瞬、足が止まり、階段を下るか迷う。
 呼吸を整え、階段を下る。5段ずつ踊り場が設けられていて、途中、2ヶ所の踊り場には休憩用のベンチが置いてあった。下りだから息は切れないが、足への衝撃が積もってくる。休まず下ったが、くるぶし、ふくらはぎに疲労を感じた。
 下りきったところに「ようこそ日本一のモグラ駅へ」と銘打った説明坂が置かれている(写真)。この階段は338m、462段、連絡通路が143m、24段、下りホームの海抜は583m、地上の駅舎は海抜653.7mで、標高差は70.7m、改札口まで10分ほど要する、と書かれている。
 上越線下りで土合駅に着いた客への親切な案内だろうが、何も知らずに、大きな荷物を抱えて降りた客は唖然としたかも知れない。
 
 下りホーム=2番線・長岡新潟方面は灯りがともっているが、誰もいない(写真)。待合室とトイレが整備されているが、あとはただ閑散としている。13500mの新清水トンネルのどの辺に位置するのか分からないが、ホームには冷たい風が休みなく流れている。トンネルの先は暗い。のぞいていると吸い込まれそうな気がしてくる。
 戻ることにした。462段を見上げる。明るいかなたが目指す462段目のようだ。マンションの1階分は15段だから、462/15=31階の高さに相当する。
 上り始めは元気だが、次第に息が切れてくる。なんとか最初のベンチまで上り、一休みする。上からカップルが元気よく下りてきた。
 一休みしてから、次のベンチを目指す。だんだん足が重くなる。なんとか2つ目のベンチにたどり着き、休む。
 階段には1段ずつ段数が書かれている。400段になると、あと62段だからマンションの4階分、401段、402段・・、430段になるとマンションの2階分、431段、432段・・、気合いを入れて462段を上りきる。山登りのような達成感は感じないが、ぽっかりあいた穴の先を見下ろすと462段=31階分を上った脚力に自信を感じる。
 143m、24段の殺風景な連絡通路を戻る。青年2人連れ、続いて婦人3人連れとすれ違った。観光名所を実感する。
 車に戻ったのが11:45ごろ、ランチには少し早い。今日の宿である宝川温泉の近くにもハイキングコース、展望台があるので、宝川温泉に向かう。 (2020.11)

 

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2020.9 利根川・諏訪峡で与謝野晶子歌碑→太宰治ゆかりの旅館たにがわ

2020年11月14日 | 旅行

日本の旅・群馬の旅>  2020.9  谷川温泉・宝川温泉 1
                              
 ヨーロッパでの新型コロナウイルス感染は収束の気配を見せない。異文化の旅はまだ難しい。
 国内も感染クラスターが発生するなど予断を許さない。よく知られた観光地など、混み合うところは感染リスクが高そうである。
 天候も落ち着いてきた9月中ごろ、マイカーを利用して感染リスクの少ない谷川岳のハイキングを計画した。
 宿は、じゃらんネットで、GoToキャンペーン対象の1泊目・谷川温泉旅館たにがわ、2泊目・宝川温泉旺泉閣を予約した。GoToキャンペーン対象の宿は割引があるし、感染予防対策が講じられていて安心である・・割引のおおもとは税金でいずれ国民の負担になるのが気がかりだが・・。

1日目、曇り空だが雨の心配はない。川越ICから関越道下り線に入る。6月に比べると車が増えているが、流れはスムーズである。
 12時ごろ、赤城高原SAでランチを取る。駐車場もレストランも6月に比べると人出が増えているが、飲食以外の場所ではマスク着用、レストランでは入口で手を消毒、適宜に空きを取って座るのが一般化しつつある。感染対策が日常化しつつあるようだ。

利根川・諏訪峡~与謝野晶子歌碑公園を歩く
 水上ICから国道291号線に出る。谷川温泉に向かう途中、道の駅水紀行館に立ち寄った。見どころを聞くと、諏訪峡めぐりを勧められた。利根川沿いに20分ほどの遊歩道が整備されている(写真)。足を延ばせば、+30分ほどの散策もできるらしい。
 水紀行館から川辺に下り、せせらぎの音を聞き、コスモスを見ながら、下流の笹笛橋を目指して歩く(写真、上流の先に見えるのは谷川岳のようだ)。
 途中から桜並木になり、与謝野晶子の歌碑が現れる。
 与謝野晶子(1878-1942)は水上に4度・・最初は1931年に法師温泉、翌1932年に水上温泉、1934年に湯桧曽温泉、与謝野鉄幹=寛(1873-1935)没後の1939年に猿ヶ京温泉・・を訪ねている。水上の自然が気に入ったようだ。
 水上で鉄幹は135首、晶子は221首を歌ったそうだ。1932年、水上温泉を訪れたとき、諏訪峡で24首を歌ったことから、のちに与謝野晶子歌碑公園がつくられ、桜並木に5首、中央広場に鉄幹・晶子3首ずつ、晶子の歌アルバムとして2詩1首の歌碑が設置された。
 写真は桜並木の歌碑で、「寶の湯 これより奥に ありと言ふ 利根餘吾橋も 寂しかりけれ」が刻まれている。どんな心情を歌ったのだろうか。晶子の気分になったつもりで利根川に架かる笹笛橋を渡る。

 渡った先は笹笛童子公園になっている。少年が笹笛を吹き、隣の少女が音色を楽しむ、といったイメージのブロンズ像が置かれている。見晴らしのいい公園で、笹笛が風に乗り利根川に響きそうである。
 ところが、遊歩道はここから先は立ち入り禁止になっていた。梅雨の長雨で利根川が氾濫し、修復が間に合わないらしい。桜並木も晶子歌碑公園も笹笛童子公園も、私たち以外に人がいなかったのは、遊歩道のほとんどが行き止まりのためかも知れない。
 やむなく、笹笛橋を戻り、利根川に沿って上流側の紅葉橋まで遊歩道を歩く。よく見ると流木があちこちに打ち上げられている。かなり増水したようだ。ほとんど人がいないから感染リスクの心配は無いが、立ち入り禁止、通行止めでは散策を楽しめない。早々に切り上げることにした。

太宰治ゆかりの旅館たにがわでくつろぐ 
 車に戻り、一路、国道291号線を北上する。利根川の支流の谷川に沿った山道に折れると、ほどなく谷川温泉である。
 言い伝えでは、美しい姫・・木花咲耶姫か?・・が谷川の清流で身を清めているのを見た村人が冨士浅間大菩薩の化身と恐れおののきながら近づくと、姫は消え、その岩間から温泉が湧き出てきた、その湯を浴びると疲れが癒え、目などの病が治った、それを聞いた沼田城主真田家夫人が湯治したところ重い眼病が平癒したので真田氏が薬師堂を寄進した、そうだ。
 谷川岳まで2時間?ほどなので登山家の利用も多く、文人にも親しまれてきたらしい。
 旅館たにがわには2:30ごろ着いた。チェックインを済ませ、谷川沿いの遊歩道の散策に出ることにし、フロントに道を確認したところ、梅雨の長雨でヒルが異常発生しているので草むら、湿地には近づかないようにと注意された。長雨、大雨の影響は生態系にも大きな影響をもたらしている。
 触らぬ神に祟り無し、散策は止め、温泉を楽しむことにした。

 じゃらんの予約は和モダンの部屋で、貸切露天風呂利用券と升酒付きである。和モダンはリニューアルしたばかりの広々とした畳敷きの部屋に、ツインベッドとソファー、イス・テーブルが置かれ、眺めも良く、気分がゆったりする。
 貸切露天風呂から谷川岳が見えるというので、升酒持参で、さっそく入った(写真)。湯につかると山は見えないので、身体を十分に温め、眺めを独り占めしながら升酒をいただく。また湯につかって身体を温め、升酒をいただきながら谷川岳を眺める。升酒を飲みきり、いい気分で湯を上がる。
 和モダンの部屋の手前に太宰治ミニギャラリーと名づけられたラウンジがある(写真)。
 太宰治(1909-1948)が1940年に発表した「走れメロス」は教科書でも習った。
 太宰は、1936年、1937年と続けて谷川温泉の川久保旅館に泊まったそうだ・・私は読んでないが、水上駅から1時間歩いて宿に着いた、という下りが1947年発表の「姥捨」に記されているらしい。川久保旅館は改修され谷川旅館と改名し、近年、リニューアルされ旅館たにがわと名を改めた。
 かつての材料を再利用し、当時の雰囲気を演出したのがこのギャラリーで、太宰治の本や資料が配架されている。
 テーブルには、地元中学生の「走れメロス」に関する研究レポートが置いてあった。「走れメロス」の内容にしたがい、日の出時間、妹の結婚式、日没時間、勾配のある道のり、途中の休憩、思わぬ出来事などを勘案して、メロスがどのような走り方で約束を守ったかが、中学生らしい視点で考察されていた・・太宰治に触発された中学生は推理作家の道を歩むかも知れない・・。
 メロスの心境を想像しながら、ラウンジでくつろぐ。

 夕食は食事処で取った。時間差で客数を調整してあり、感染リスクは少ない。健康によさそうな自家製野草酒に始まり、秋刀魚の燻製などの先付、替えに無花果・零余子ムカゴ・栗などの胡麻和え、温物は和風乾酪ロワイヤル、造り、上州牛しゃぶしゃぶの鍋物、さらに岩魚の塩焼き、煮物と続く。名物のたにがわちぎりっこ椀をいただき、みなかみ産コシヒカリは一口にし、デザートの洋梨の赤ワイン煮で〆となった。どれも手が込んでいて、目も口もおいしさを感じるが、お腹が悲鳴を上げそうだ。
 お酒は群馬銘酒飲み比べをおいしく味わった。
 今日の歩数は7900、散策が少なかったので足の疲れはないが、寝しなに温泉で身体をほぐし、ベッドに入る。 (2020.11)

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