book537 風の王国 1翔ぶ女 2幻の族 3浪の魂 五木寛之 アメーバブックス 2006 <斜読・日本の作家一覧>
五木寛之氏が語るテレビ放送「百寺巡礼」に触発されて奈良・當麻寺などを訪ね、當麻寺の仁王門から大津皇子が葬られた二上山を眺めた。古代史は疎いので二上山をキーワードに補習の本を探し、五木寛之著「風の王国」を見つけた。第1巻翔ぶ女、第2巻幻の族、第3巻浪の魂の3巻構成である。
各巻の扉に「一畝不耕 一所不住 一生無籍 一心無私」と記されている。これは幻の族(世間師=ケンシ)の生き方なのだが、第2巻の終盤までは謎である。
話は変わる。私は子どものころから本を読むのが好きで、手当たり次第読んだ一冊に夜間中学生をレポートした本があった。ある夜間中学生は船が住まいで、船乗りの両親の仕事によって港を転々とするそうだ。船が転々とするため住所が不定のため昼間の中学に通えず、しばらく係留する港町の夜間中学で学ばざるを得なかったそうだ。勉強は夜間でも船でもできるが、友達ができても次の港に移動するたびに別れなければならないのがつらいと、書かれていた。
「風の王国」を読んでいて、非定住のためつらい日々を送っていた夜間中学生の手記を思い出した。
国家に対し自由に生きようとした人々が日本にもいて、非定住、無戸籍のため不当に差別されてきたそうだ(ケンシ、山窩とも呼ばれる)。五木氏は、企業や組織を巨大化させ利権を得ようとすることより、「一畝不耕 一所不住 一生無籍 一心無私」のケンシのように、自然のなかで無に生きる自由の歓びを描こうとしたようだ。
第1巻「翔ぶ女」の冒頭に、メルセデスの四駆で仁徳陵に向かう32歳の速見卓が登場する。・・五木氏は車にも詳しい。このあとも車の構造や特性、希少な外車が描写される。そういえば「ワルシャワの燕たち(book490参照)でもBMWを乗り回すシーンがあった・・。
話は前後する。速見卓の実の家族は狩野川台風による土砂崩れで流され、卓だけ助かり、その後、速見家に引き取られた。養父速見悠蔵は、実の息子で卓の一つ上の真一以上に卓を可愛がってくれた。
真一は、横浜で歌手麻木サエラと暮らし、二人は心底愛しあっている。・・真一の趣向はおりおりに語られる。五木氏は何にでもこだわるようだ・・。・・サエラの生い立ちは第3巻で語られる。悲惨な境遇から救ったのが暴力団渾流組の名誉会長蓆玄一郎で、後述の葛城勇覚の伯父だった。蓆玄一郎没後、サエラは渾流組から離れようとしてもめ事になっていたことなどは、第3巻まではもやもやと描かれる。五木氏の筆裁きである・・。
速見は世界放浪旅行の経験をもとに、プロのトラベルライターとして雑誌社の仕事をしていた。
海外でのトラブルで助けた流星書館出版部長花田吾郎から、古代史を専門とする大学教授西芳賀秀之著の「大和路・その光と闇」に続き、「日本・その光と影」を出版することになり、第1回発売は「大和編」なので、西芳賀に代わって竹内街道を歩き、二上山に登って見た通り、感じた通りをレポートするよう依頼される。
・・五木氏は実際に二上山にも登っていて、大和の歴史地理が詳しく紹介される・・。
速見卓が立ち寄る近くの中華料理店芙蓉軒のマスター趙は二上山から出る石に詳しい・・趙の役割は第3巻で明かされる・・。
二上山行きを引き受けた速見は、同じ流星書館で出版している季刊TEKUTEKU編集部に立ち寄り、島村杏子に会う。このさき島村杏子は速見にアドバイスをするなど登場するが、後述の葛城哀を知り、身を引く。
速見は、二上山に向かう近鉄特急で隣に座った若い僧・・あとで葛城哀の兄勇覚と分かる・・と千日回峰を話題にする。速見は當麻寺で當麻曼荼羅を拝観する。
・・當麻曼荼羅は五木氏の「百寺巡礼」にも紹介されている。五木氏は比叡山千日回峰にも詳しい・・。
當麻寺で風のような速さで歩く「へんろう会」を聞く・・五木氏はあちらこちらに伏線を張り巡らせるのが巧みである・・。
二上山は雄岳と雌岳の二つの峰がある。速見は當麻寺を出てその中間の鞍部を目指して登る。途中で、葛城勇覚が教えてくれた「・・あやしや たれか ふたかみの山」の歌碑を見つける・・第3巻で再登場する・・。
速見は二上山の鞍部から雄岳の山頂に登り、大和盆地を見下ろす。大津皇子二上山墓でうつらうつらし、気づくと霧に包まれていて、霧の中をそろいの法被を着て翔ぶような速さで歩く一団の人々が駆け抜けていく。速見は早足で雄岳を下り、雌岳を登って追跡しようとするが見失う。
不意に法被を着た若い女(葛城哀)が現れ、連れに「仁徳陵の正面に午前零時」と話しながら速見とすれ違う。女は身長1m65cm、体重50キロ足らずで、ダマスカス・ナイフみたいな顔立ちだった。葛城哀は、速見の視線を意識しながら翔ぶように雌岳に消えた。速見は翔ぶ女にどうしても会いたくなり、午前零時に仁徳陵に行く。
午前零時、仁徳陵の前にいつの間にか大勢の人が集まった。全員えりに「同行五十五人」「天武仁神講」と染めぬかれた法被を着ている。老人(天武仁神講2代目講主葛城天浪、葛城哀の父)がみんなに語りかけ、速見は最後の「・・コノオクニネムッテオラレルカタガタノコトヲ ケッシテワスレテハナラヌ」を聞き取る。
のちに、へんろう会は葛城編浪にちなんだ修養団体の名前で、速見悠三は講友、麻木サエラは会友であることが分かる。
第2巻「幻の族」 速見は翔ぶ女=葛城哀に会いたいため、流星書館専務に連れられ射狩野総業60周年記念パーティに参加する。78歳の射狩野冥道は飛ぶ鳥を落とす勢いで成長し、大企業を作り上げた怪物オーナーで、流星書館も射狩野総業の傘下だった。
パーティにロングドレスを着た葛城哀が、宗教法人天武仁神講講主代行として講主の言葉を代読する「・・射狩野氏は葛城遍浪の信念を企業の信念として成長した・・自然を亡ぼすような開発事業に加担してはならない・・へんろう会の精神を受け継いで欲しい・・」。
射狩野冥道の意図は第3巻で明かされるが、葛城哀の代読から速見はへんろう会が射狩野冥道と決別しようとする宣言と気づく。
そこへ麻木サエラのマネージャー瀬田宗介が助けを求めに来る。麻木サエラは天武仁神講講員である渾流組への恩義があり、60周年記念パーティで歌うことになっていたが無理な要求を拒否したため、横浜の真一を人質にした渾流組竜崎錠治に脅されていた。兄真一とサエラを窮地から救うため速見は必殺技で竜崎を倒すが、竜崎は拳銃を出し、そこへ葛城哀が現れ、ことを落着させる。
会場を出た葛城哀は、速見卓の旧姓は石内で、石内は講友であり、葛城天浪が講友の子の速見卓に再会したがっているから、午後9時高輪泉岳寺下で落ち合い、伊豆山権現奥の院までの120kmを20時間以内で歩くと伝える。
葛城哀は、速見卓に歩くことは歩行(ほぎょう)と呼ぶ行で、速見は大切な同行(どうぎょう)、ふたりがひとりの心になって歩くと話し、歩幅80cm弱、毎分120歩で歩き始めた・・五木氏はここでヒトの運動能力、ヒトの足、無意識の歩行などにうんちくを傾けるが割愛・・。
葛城哀の背中から、いっしょに行きましょう、どこまでもふたりで手をとりあってと、無言の声が送られ、速見は限界を超えて歩き、午後3時に伊豆山権現奥の院に着いて、意識を失う。
目覚めた速見卓は葛城勇覚の案内で、土蔵で待つ葛城天浪講主を始めとする八家の面々と会い、自分の生まれ育ちの真実を知る・・卓の父は六家のモンドの子で名前はゲン、無戸籍で、14歳のとき講に預けられ修行を終えたのち講を離れ、その後は講友として義理をつくした。ゲンは新戸籍を得て石川元と名乗り、サヨと結婚し卓が生まれた・・。
葛城哀が、卓が6歳のときに狩野川台風で家族が流され、助かった卓は速見家の養子になり兄真一以上に可愛がられたこと、工高を傷害事件で中退したが工場で臨時工として働けたこと、みんなの援助やカンパで世界放浪旅行に出かけて多くの体験をしたこと、イランで秘密警察に捕まるが釈放されたことなどは、講が卓を見守り、必要なときに手をさしのべたからだと話す。
・・八家の面々は、速見卓が初代葛城遍浪の血を引くたった一人の男、遍浪の面影が懐かしいという。この時点で血筋のいきさつは分からないが、気にせず先を読む・・。
講がなぜ生まれたか、学行を教える晒野老人が卓に話し始めるが、全体像は第3巻の速見の理解度を試す見台開きで語られるので割愛する・・五木氏は第3巻を盛り上げるための物語構成が巧みである・・。
第3巻「浪の魂」 速見は勇覚と伊豆山権現奥の院をあとにして、渾流組の仕業による自動車事故で瀕死の重傷を負ったマネージャー瀬田を見舞いに川崎に向かう。途中、新幹線で勇覚は、自然を傷つけることは初代講主葛城遍浪の教えに背く、自然との共生は一族のおきてである、フタカミ講の存立を賭けて射狩野冥道をおきてに従わせる、と速見に力説する。
瀬田を見舞ったあと、速見と勇覚は横浜の兄真一、サエラに会いに行く。途中、勇覚は、遍浪はケンシの「浪民の魂」を確認し合い、相互扶助を目指して成功し、後を継いだ天浪は精神的自覚をこころざしたが、射狩野冥道がそのこころざしから外れようとしていると、話す。
ケンシとは、第2巻で勇覚が速見に、世間師を指し、山を降りて里に住まず、里にありて山を離れず、世間を流れ歩いて生きると決めた一族、と力説している。
・・サエラの家で速見はサエラの生い立ちを聞くが割愛・・。
射狩野冥道が速見卓に会いたいというので駿河湾を望む敬浪寮に行く。速見と流星書館専務、出版部長花田、西芳賀教授が待つなか、渾流組3代目組長蓆幻洋、渾流組竜崎を従えた射狩野冥道が現れ、速見に、恩師葛城遍浪の血を引く講子に会いたかったと語りかける。
射狩野冥道は速見が講についてどこまで理解しているか試そうとし(=見台開き)、速見は晒野老人から学んだことを語る。
・・廃藩置県後に河内・境・大和一帯を治めた県令斎所厚は出世のため竹内街道開削事業に着手、腹心の縄岐要介が現場指揮を担当するが労賃ピンハネなどで労働者が集まらない。二上山で三万遍回峰を志していた山岳行者がケンシたちの面倒を見ていたとき、縄岐が開削事業のために非定住・無戸籍の人々を強制的に連行していて(ケンシ狩り)、山岳行者も240数名とともに二上山南麓の凹地に収容された。
山岳行者が一心無私でケンシの世話をすることから、次第にリーダー格として慕われ、葛城と呼ばれた。
斎所厚は、貴重な古美術をだますように収集して出世に利用していたが飽き足らず、古墳の埋蔵品に目つけた。縄岐は葛城ら8名を選び、闇夜に古墳を掘らせ、目当ての物が見つかると別の穴を掘らせて8名に土砂を崩し、生き埋めにした。
土中で奇跡的に助かった葛城は縄岐を殺し、二上山の収容所に戻ってことの顛末を伝え、二上山を離れようと説得する。
葛城は、賛同した8家族55人に、自分は伊豆のケンシを離れたバサラ(婆娑羅)のヘンロウだが、これからは葛城遍浪と名を改め、私心を捨てみんなに一身を捧げると誓う。収容所を出て間もなく、残った仲間が皆殺しされるのを目撃する。
葛城は、二上山が出発の地であり、帰るべき山墓とみんなに話し、伊豆に向かって200里=780kmの山伝いの隠れ道を歩きだす。・・このあとケンシについて語られるが割愛・・。
射狩野冥道があとを続ける。二上山を出た八家55人は途中で8人が亡くなり、47人が南伊豆婆娑羅のヘンロウの一族の地にたどり着いた。葛城遍浪は八家を講員とするフタカミ講=天武仁神講という結社を創る。講員はケンシの心を胸に秘め、社会に溶け込み、たがいに助けあいながら私を捨てて一心に働いた。
葛城遍浪も赤貧のなかで身を粉にして働き、細君は病死し、娘を五家に預け、一心無私の日々を送った。
・・五家に預けた遍浪の娘が六家のモンドと結婚しゲンが生まれ、ゲンとサヨが結婚して卓が生まれたとすれば、遍浪は卓の曾祖父ということで辻褄が合う・・。
講員のなかに成功者が少しずつ現れ、講に寄せられた寄付の運用も始まる。講は講主(おや)、講朋(おじ)、講中(きょうだい)、講子(こども)、講友(ともだち)と形を整えた。相互扶助をさらに進めるため、講員の成功者が集まる「へんろう会」がつくられた。
講の子どもは一族の歴史と思想を親から学び、一族の使命をになう意気込みをもって勉学に励み、社会で活躍した。
講員のなかで、教育界で働く天浪と実業界で活躍する射狩野が際立ち、遍浪から重んじられた。天浪は講に戻り一族の歴史の伝承を教える師となり、遍浪亡きあと2代目講主に押された。
射狩野はイカリノ商店を興し、太平洋戦争敗戦後、奇跡的な躍進を遂げ、いまや射狩野総業として50数社を傘下に治めている。射狩野は、一族の講子、社会に溶けこんだ講友、八家以外の浪民のため一心無私に生きて、60年経ったらこうなったと話す。そして、速見卓に「へんろう会」世話人代表を譲りたいと強く説く。
速見はへんろう会世話人代表の申し出を断り、話を終えて車で帰ろうとするが、さっそく嫌がらせを受ける。
横浜の真一、サエラに電話をすると葛城哀が代わりに出て、渾流組が乗り込んできて、勇覚を撃ち、サエラをさらっていったと伝える。渾流組は、速見がへんろう会世話人代表を受ければ(=射狩野の言いなりになれば)、サエラを返すと言い残していた。
葛城哀は速見に、フタカミ講の一族は自然との共生、世間との共生が信念だが、射狩野は自然との競争、世間との競争を目指している、志を失って繁栄するより無になって自由に生きる道を選ぶ、と語る。
第3巻の中盤で物語の構図が明らかになった。第1巻、第2巻で物語のさわりを披露しながら話を次々と展開させたのは、第3巻を盛り上げるための五木氏の技法であろう。
このあとサエラを救うために真一と哀が渾流組本部に乗り込む。ところが、五木氏は真一、サエラをあっけなく舞台から降ろしてしまう。
速見卓は南伊豆婆娑羅山近くのフタカミ講本部を訪れ、助講師となる。
竜崎は渾流組に見切りをつけ、講に戻る。
フタカミ講2代講主葛城天浪が初代講主遍浪の言葉をとなえる「・・・・山民は骨なり、常民は肉なり、浪民は血液なり・・・・山は彼岸、里は此岸、二つの世の皮膜を流れ生きるもの、セケンシの道なり、統治せず、統治されず・・・・」。・・これまでもおりおりに語られてきたケンシの生き方がここに凝縮されている。五木氏は国家と離れ、自然を慈しみ、無に生きる自由を問いかけているようだ・・。
縄岐たちが盗み出した埋蔵文化財の話しが、ボストン美術館爆破事件とからめて説明されるが、割愛。芙蓉軒マスター趙の目的も明かされるが割愛。
葛城天浪は、射狩野冥道に降りてもらうため、自分はカクレると決意する。
天浪を首とし、公平に選ばれた55人の一行が「天武仁神講」「同行五十五人」と染め抜いた法被を着て、伊豆山から二上山を目指して歩き出す。
二上山に着いた速見に哀は、大津皇子の謀反を証拠づけるためケンシが叛徒として捕らえられて罪人とされ、首が伊豆へ流刑となった、その首の末裔がバサラのヘンロウ、と語る。
そのヘンロウが二上山で三万遍回峰のとき、縄岐のケンシ狩りに会い、ヘンロウとともに八家55人が南伊豆にたどり着いたのだから、二上まいりとは故地巡礼でもあったのである。それを思い、速見は気持ちを熱くする。
このあと、葛城天浪は遍浪の眠る二上山の風穴に入り、穴をふさいで隠れる。・・射狩野冥道もあっけなく舞台を去っている・・。
速見卓と哀は心を一つにして翔ぶような速さで二上山を歩き、物語は幕となった。
五木氏は二上山での大津皇子謀反の際のケンシ狩りと廃藩置県後の斎所+縄岐による竹内街道開削事業でのケンシ狩りに、自然との共生、世間との共生を信念とするフタカミ講と自然との競争、世間との競争で繁栄しようとする射狩野の対立をからめた物語を構想したうえで、卓と哀の心を一つにして、自然を慈しみ、無に生きる自由こそが明日を切り開く、と呼びかけているようだ。
日本の古代史の補習にはならなかったが、ケンシ狩り、仁徳陵、竹内街道に加え、五木氏の豊富な知見を得ることができた。志を見失った繁栄より無になって自然と共生する考えには共鳴を覚えた。 (2021.12)