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つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

1998投稿 研究室レポート=現場で考える・町づくりの目を養う・アジアと手をつなぐ

2017年04月14日 | studywork

1998「習うより慣れろ、歩きながら考えよう」建築とまちづくり誌
 建築とまちづくりという冊子がある。アジアを歩くなどを連載したこともあり、1998年1月号に研究室・現場からのレポートを書いてくれと依頼された。いつもながら原稿を推敲する時間はあまりなく、研究室のレポートだから、日ごろすすめていることを書くことにして、投稿した。古いファイルを整理していたら原稿が出てきたので、補注を加え再掲した。

1 現場で考える

 大学で研究室を構えてからもう20年ほどになる。研究室を構えて間もなく、気のあった学生が何人か集まり勉強会を兼ねた見学会がスタートした。もともとフィールドに出て、体ごと空間を感じとるのが好きだったので(言い換えれば、机の上で理論的に考えをまとめるのが苦手?)、見学会はぴったりの企画であった。数台に分乗し、建築ガイドブックや民家巡礼などを片手に見学を重ね、夜は安宿で、お酒を片手に討論をしていた記憶がある。
 例えば、昨年は大阪・富田林の町並み、新梅田ビル、ピース大阪などを見学したあと、光の教会(上写真)、大山崎美術館を経て、京都のシンタックスなどを見学した。今年は、宮城県で気仙大工の仕事ぶりを見せていただいたあと、リアスアーク美術館、慶長使節ミュージアム、登米の町並み、森舞台(下写真)などを見学した。
 だいたい、春に手分けして見学先の学習を開始し、レポートにまとめ見学資料を作成する。見学会はおおむね夏休みの終わりごろに開催する。それぞれの市町村役場や施設にはあらかじめ連絡を入れておき、まちづくりや施設づくりの狙い、メンテナンスの苦労について生の声を聞く。これは学生にとって新鮮な印象になるようだ。そのあとは、グループごとに思い思い見学し、宿に戻ってから、見学の印象を含めて意見交換する。参加者は学部1年から大学院生までいるが、ものの見方や感じ方は学年とあまり関係ないため、うかうかすると院生が話しに負けることも少なくなく、これもいい勉強になるようだ。
 この見学会には、行き先ざきの卒業生にも参加を呼びかけろようにしている。例えば、昨年は、大阪と京都でそれぞれ30人ほどの卒業生・在校生の交流会がもたれた。今年は、スライド持参で駆けつけてくれた卒業生が、夜、ふすまをスクリーンに熱弁をふるってくれた。また、卒業生の話す論文のまとめ方や現場での体験は、在校生に実に有意義なようでもある。
 秋になってから、実際の体験を踏まえた町並み・建築作品ガイドとしてまとめ、ほかの活動を加え、建築探見録と銘打って印刷する。これを参加者や卒業生に配布するのだが、遠地にいる卒業生からは研究室の様子が分かる、と好評である。
 この企画をベースにして文部科学省のその当時の「特色ある教育研究の推進」と呼ばれた助成に応募したところ採択された。特色ある教育研究の推進はその後、高等教育改革推進、教育学習等改善支援などに名称を変えたが、私たちの申請は毎年採択された。応じて内容も充実し、5-6月/11-12月に建築関係文献検索、ゼミで発表、7月/1月に資料集作成、8月/2月に現地学習、9月/3月に学習成果をゼミで意見交換、集約し、3月に建築斜録に収録するスケジュールとし、現地ではレンタバスを使用するなど利便性も向上した。
 幹事の学生も環デザ心構えなどをまとめ、後輩に伝授するなど、意欲的に参加、学習してくれた。しかし、時代の趨勢か、参加学生が急速に減衰した。文科省への申請も取りやめることにした。そして、ついに見学会の企画さえ発案されない事態になった。時代を穏やかに受け止めている。

2 まちづくりの目を養う
 大学のあるM町では、住民参加のまちづくりが着実に根付いている。その一つに、コミュニティセンター・進修館(象設計集団)の脇の公衆トイレづくりがある。一般の公衆トイレは汚い、暗い、壊されると悪評だが、ここも以前は逃げるように用を足す場所でしかなかった。町の担当者は何とか改善の道はないかといろいろ考えたが名案浮かばず、いっそ住民に知恵を借りようということになった。さっそく委員会が発足し、利用者や清掃の方の生の声を聞く一方、アイデアを町民に募り(文字通り小学生からお年寄りまで、一般の方から専門家まで、案が集まった)、さらにはトイレシンポジウムを開催してようやく基本計画がまとまってきた。予算は少し割高になったのだが、結果としてユニークさが評価され、テレビや新聞で取り上げられ、さらに埼玉県から助成金を受けることもできたそうだ。
 管理者である行政、利用者である町民、研究室の学生、そして地元の専門家の輪が確実に動いていることを実感した。その後も、自然環境調査、都市化と緑地、駅西口周辺のまちづくり、農の景観とまちづくり、通学路のあり方、バリアフリーの道づくり、新庁舎基本計画など、機会あるごとに研究室を地元に移し、町民と話し合いながら調査を重ね、結果を提案としてまとめるようにしている。
 教室で授業を受け、図書館で資料を調べ、製図板の上でプランを練るだけでは、抜け落ちてしまうものがたくさんある。フィールドに出ることは、少なくとも、自然のリズムや住民の生の声を感じることができる。机上の高度な理論構築も大切だが、建築や環境が自然を含めた人々の生活の場である限り、触れあうことの暖かさを大事にしたいと考えている。
 M町公衆トイレの名前を募集したところ、これまた大勢の応募があったそうだ。そのなかから「四季楽」が選ばれた。写真は四季楽オープンの式典に集まった町民である。公衆トイレのオープンにこれほど町民が集まったことは町民の関心の高さをうかがわせる。その後、町民による町民の庁舎づくり検討会も順調に進み、報告書を町長に答申、一時庁舎建設が棚上げになったが、機が熟し、2005年に木造庁舎が竣工した。こうしたまちづくりに関する検討会は、時間がかかるし、地道な討議が多いためか、学生の参加はやや低調である。

3 アジアと手をつなぐ
 早くから私自身の関心がアジアに向いていたこと、大学にアジアの留学生が多かったことなどから、留学生が研究室に集まるようになった。みんな日本での生活に苦労しているようだし、地元でも言葉や習慣の違いでとまどっていた。何かお手伝いできないかと考え、中国や韓国、台湾などに調査で訪ねたときのスライドを使って交流会を企画した。例えば、中国の住まいと題するスライド会では、中国の留学生に餃子を作ってもらい、町の人々も手作り料理を持ち寄って交流する企画である。スライドで町並みや住まいの様子を見たあとなので、初対面の留学生と町の方も会話がスムーズだし、何より味比べは好評だった。
 スライド会は毎月一回のペースで実施し、そのうち、留学生+町民の交流会が発足した。味を楽しむから宮あじ会とも言っているが、ついには国際交流会にまで発展する勢いである。いつの頃からか、欧米を科学や文化のお手本とする風潮が根づいてきたが、遠くの親戚より近くの他人のことわざがあるように、近さは何にもまして力強いものである。そのうえ、かつての日本はアジアから多くのことを学んできたはず。もっともっとお互いに知りあうべきだと思うのだが、いかがだろうか。
 案ずるよりも産むが易しというわけで、研究室の留学生と調査に出かけたり、町民と一緒に留学生のふるさとを訪ねる企画も動き出した(写真はタイの留学生とタイを訪ねたときの光景)。町民や日本の学生ももちろんだが、留学生も改めて自分の国の魅力を見つけて大満足であった。アジアの第1歩は、ニーハオ、アンニョンハセヨ、ナマステ、アユボーン・・。皆さんも普段着の国際交流をどぞ。
 インド洋大津波で大きな被害を受けたスリランカ支援として、2006年2月から救えスリランカ宮あじ会が活動を開始している。これには研究室の学生も積極的に参加、大いに助かっている。積み立てられた義援金は奨学基金として被災した生徒におくっている。

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1 コメント

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懐かしく読ませて頂きました。 (東原達也)
2017-04-16 12:39:01
スライド会や見学会、ゼミ旅行など学年を越えた学びがありましたね。
また集まりたいですね。
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